高濃度の黄砂襲来に
思い出も失せてしまった東濃の旅

2006年4月8日(土)


本日、2006年10月15日(日)は、一歩も外に出ることなく、
過去のドライブ日記を集中的に編纂する一日。

DVDを見て、こんな旅もあったのかと懐かしいのが、4月の東濃のドライブ。

ローソク温泉→恵那市旧市街→岩村町の古い町並みと岩村城址

この日は、人生史上初めての経験でもある超高濃度の黄砂と遭遇してしまった。
全く、中国政府に文句を言いたいくらいのひどい有様です。
最悪を後押しするかのように、雨が振ったりやんだり。
おかげで、ウーマン号にはコビ砂漠の砂がびっしりと付着。
この思い出だけが際立って強かったので、過去の記憶を整理しまょう。

日記を読むと、ここ数日、体の調子が悪いと書いてある。
ヒノキの花粉でダウンしたらしく、肺もちょっとした炎症を
起こしているのでは?とぶつぶつ記してある。

そんなこともありまして、日帰りのプチ湯治。
今は中津川市になってしまった、旧福岡町にラジウム泉では
日本随一の高濃度であるローソク温泉に出たり入ったり。
大量の発汗の後の水分補給は、これまた源泉を飲み
見事、蘇生することができました。

ローソク温泉は年に何度か訪れます。
そのまま帰ることもあれば、ちょっとした寄り道もしたりする。

次に行った先は、恵那市旧市街。
僕が旧市街と記したのはJR恵那駅周辺です。地方都市の市街を避けて走る国道などのバイパス沿は、
それは名古屋近郊で見る景色となんら変わらない。しかし、モータリゼーションが始まる前に形成された
旧国鉄の駅前には、そこに全国チェーンの紳士服屋や自動車用品店などが連なるわけでもなく
その町独自の景観が残されています。
そして、空襲の害もなければ、その町の構成は、江戸時代、明治時代の考えが残されています。
味わい深い旧市街ではありますが、商業的に言って瀕死の状態です。
これが駅前なのかと驚くくらい人は少なく、商店街はシャッターを閉めていたり開店休業な有様。
棚に空きも目立つ食料品店に、腰の曲がった老婆が一人買い物をしている。
車から愛想を尽かされた町の末路のようです。
このような現象は恵那だけに限らず、全国の地方都市に見られます。
時折、NHKのラジオなどで聞く、その町独自の中心市街地の再生策は
このような状況からの必死な脱却なのでしょう。
続いて、足を運んだ先は、古い町並みで有名な旧岩村町。こちらは現在・恵那市に併合されました。
岩村町には何度か足も運びましたが、なにかその体も動かしたくなりまして、
古い町並みの北端に位置する明智鉄道岩村駅ら車を止め、そのまま南に歩くこと、旧岩村城址まで。

この駅前に車を止めること、これで3回目でしょうか。毎回思うのが、外国人向けのガイドブックに載っているのか
ヨーロッパ人のようなバックパッカーの青年を見かけます。  このエリアは、日本的なものが残っていると紹介されているのでしょうか。
黄砂です→
先程の、ウーマン号の写真は、この岩村駅前で撮りました。
ここにきて雨がパラパラ。
空は写真では分かりづらいですが、
黄色い濃霧と表現できるほどの黄砂です。
マスクして歩かないと、それこそ肺炎になるのでは?と思える恐ろしさ。
割り箸はいらないので、
中国は国家を挙げて植林に取り組んで欲しい。


この岩村の町には各戸の軒先に
儒学者の佐藤一斎の句が
掲げられている。
前から、気になっていて、
本屋を覗くと、地元の歴史研究家が
発行した500円の句集があり
一冊買いました。

岩村城は石垣のみを残す山城。しかし、ほぼ完璧な姿で残っており、日本百名城にも選ばれています。
城郭に興味のある人は、ここに来ると想像力が掻き立てられますよ。
こうして、来た道を戻り、あとは名古屋まで。