車輪の文化を許さない神島
今回の旅の最大の目的、三重県は伊勢湾と太平洋の境に位置する神島。

鳥羽市営定期船で45分。途中、菅島にも寄りますが片道710円。佐田浜港から14キロ。
菅島も過ぎ、内湾も出てしまうと波は一気に数倍の規模。
これから行く神島が、孤島と称されるのも分かります。
神島は集落が一つしかない。必要以上に密集していて、斜面集落は細い階段が迷路状。左の写真は一級道路。立派な部類です。
家々の目立つ色彩は、美的感覚的に「?」ですが、それには理由があって、沖合いで漁をする男達が我が家を識別するがためだそうです。

港に着き、左右に一本道がある。ここのみ車が走れる。しかし、車はあるのだろうか? 走っている姿は結局見なかった。
車道で昼寝していても、安心な神島。
僕らは島内一周探索に出た。石段の立派な神社にヒィーヒィー言いながら参拝して、神島灯台に行く。途中から猫が付いてきた。
僕らは誰もいない神島で、灯台に着くや、ゴロリと寝転がってもみる。北風は強いけれど場所により無風。
日差しは穏やかで、潮騒がゴーゴーザワザワ。猫も一緒にゴロリンです。
三重県鳥羽市の神島といっても
愛知県伊良湖岬のほうが圧倒的に近い。

伊良湖からも船が出ていますが、コチラは片道1000円。
僕らの航路は市民の足として鳥羽市が相当な額を
財政負担しているのが分かります。

灯台は、もともと高台に位置しているので、コンクリートの
一階の上に付け足した感じの可愛い仕上がり。

それでも、のんびり眺めているとここは海の幹線国道。
北に名古屋港・四日市港・衣浦港、そして三河湾の奥に豊橋港と
日本の製造業を存立ならしめる生命線。

小さくてもますます重要な道しるべ。
太平洋戦争を、生きた記憶として語り継げれる人も、あと20−30年で絶えるでしょう。
その頃の軍事施設の遺構を「戦時遺跡」としてまとめる人たちがいます。そんな時代になってしまったようです。
僕らの小さい頃は、親よりも一世代上は、B29について語れたのに。
さて、写真は監的哨。渥美半島から飛ばした高射砲の着弾地点を調べる施設です。
実際に、日本の高射砲は日本の防衛にあまり役立たなかったそうです。はるか上空をB29は名古屋に向かう。
付け加えるなら、日本はVT信管(近接信管)を開発できず米国に大きく遅れをとりました。
砲弾を発射し爆破させるのは、衝突した衝撃か何秒後かの設定。
ところが米国は、砲弾から常に電波を発信して、対象物からの跳ね返りが強まり一定の距離に達したと判断したら自動的に爆発。
1000mでも5000mでもどこを飛んでいても砲弾が敵機の近くを通過したら爆発する。


神島はまさに名古屋の真南。直線距離で言えば豊橋よりも手前。
それなのに、この島は車輪の文化以前の集落の造営。
道が狭いのは、人が通るにはそれで十分だからだろう。
島で唯一の神島小・中学校。校舎は立派で規模も大きい。その昔の活況を偲びます。
理想の教育を追い求める親御さんは多いけれど、彼らにとり、ここは「教育」的にいかなる判断を下すのだろうか?

ぐるり神島一周も、まもなく終わり。
しかし、次の船までまだまだ時間がある。
12時過ぎた頃だし、三件あるという食堂に行きましょう。
海に囲まれたこの島で、
またどんな魚が食べれるのだろうと皆期待する。

↑の写真は島で唯一の斜面集落。
その向こうに渥美半島の伊良湖岬が鮮明に。

最初に出会った食堂は見るからに閉まっている。

残るは食堂と喫茶店がそれぞれ一つ。最後の食堂に望みを託す。
しかし、ここも日曜の昼というのに閉まっている。
最後の喫茶店に行くものの、ここも見るからに閉まっている。
しかし、恐る恐るドアを開けてみれば暖房が効いていて
営業はしているものの、何度呼んでも誰も来ない。

そして、とてもつまらなそうな顔をした女性が一人現れる。
例え四方を海に囲まれた島だからと言って、旅館で泊まる以外は
新鮮な海鮮は無理なのでしょう。つまり、あまりに不便が故、
来るか来ないか分からない客に
新鮮な食事など用意するのは赤字行為。

ご飯も炊いていないのだろう。カレーライスは本日はありません、
と言われ、あとは湯で戻したラーメンであったり焼きソバであったり。

そんなつまらない顔をした喫茶店に、海の仕事を終えた男達が一人、
また一人と入ってきた。ゴムのつなぎを着て、
コーヒーをツケで飲んだりと、実は立派に機能している店だと実感。

その昔、ソビエトの生活をルポした本を読みました。
全くサービス業という観念が無く、食堂は食事を与えるところ。
美味しく、早く、温かくなんて発想も無い。

競争の無いところで無愛想なのは自然の流れなのでしょうか。

しかし、それとは対照的に島のおばさんはお喋りで愛想が良い。

この疲れた女に思いを寄せる。

喫茶店という割には棚に焼酎の一升瓶が何本も。

島の男の憩いの場なのでしょう。昼のコーヒーを飲みに来た男が
○○ちゃん、と呼んでいた。

食事をしてもなお出航まで時間が残る。
船の待合所で、管理人のおばさんに土産物一つも買うことができないと
相談したら、売っていそうな場所を教えてくれた。
この狭い路地をグルグル周っていた時間が
実は一番印象に残る。


その土産物屋も閉まっていた。偶然にも向かいのおばさんが親戚に干物を送っているので、「うちのを見てなはれ」と。
サメとエイと小女子の干物を買った。
再び船に乗り、本土再上陸。一人東京から来ているのに明日は月曜。
再上陸してからは少しでも早く東京に戻れるようにと、帰りは、銘菓・へんば餅を買った以外なにもせず。
ただ、このへんば餅は大変に美味。夕食も割愛で高速で名古屋駅まで。
実に楽しかった去年の宿題をやっと消化する。
今年の三人旅は、どこにしましょうか???