各駅停車高山の旅
2007年2月24日(土)-25日(日)

そもそも旅の予定は日曜の日帰り温泉。
しかし、taro先生がお得なホテルプランの存在を教えてくれて予約も間に合う。
よって僕だけ前日から高山行き。
行きは電車で帰りは車。
なんと贅沢な移動手段でしょう。
贅沢ついでに言えば、各駅停車で高山に行く。
この時間の緩やかさは、格別な贅沢感です。

朝は早かった。ムーンライト長良が東京から6時頃名古屋へやってきた。
岐阜までは特急車両ですが、こちらも各駅停車。

早朝出発を選んだのは、岐阜-高山間が乗り換えなしの鈍行だったからです。
三時間を越えるガタンゴトンのディーゼル機関車。

天井には、回転式の趣のある扇風機。二両なのにトイレもある長距離仕立て。
そして直角の硬いブルーのボックス席。
そこに陣取り、流れ行く景色を眺める心地の贅沢さ。
高山では、よく歩き、よく食べました。まず着いて早々、蕎麦を食べる。朝食も食べずに電車に乗り込み10時の高山。お腹グーグー。造り酒屋も多くあり、枡酒も賞味できる。結局、蕎麦はこの他にももう一杯。枡酒も何倍かのみ、お団子もほおばる。飛騨牛握りも食べる。お昼は、そうお昼なんです、それは会社の後輩から勧められたラーメン屋。こんなに食べて、これより先はどうなんでしょうね!?

食べ過ぎた後は贖罪ウォーキング。高山城を囲むようにある神社仏閣。そして山城である高山城址。
高山市内にあって、ものすごい違和感と存在感。
有名な旧市街とは正反対の西の丘に鎮座まします黄金の屋根。

しかし、目を通した観光マップには、そこを勧める記述はありません。
例え、総本山でも幾時代を経て、それでも存在し愛されてこそ
信徒に関係なく訪れる対象となるのでしょう。

信教の自由は保障されています。
しかし、その総本山といわれるところに
信徒のみの参拝しかない非一般化程度の宗教施設に、
僕はどうしても親近感を覚えるものではありません。

宗派に関係なく、バチカンにも嘆きの壁にも東大寺にも
訪れてみたい衝動は湧く。しかし、総本山や大本山と語っても、
ちっともその衝動が湧かない心のピュアさを大切にしたいものです。
高山に泊まること、この4-5年で3回目。 
高山そのものに深い愛着があるわけでもないのに三度目の宿泊。
それは遠い飛騨地方。焼岳登山の基地になったりもするわけです。

焼岳から無事下山して、その足で名古屋まで車を走らせることは
無謀に思えての宿泊。だから良く寝た高山。

今年は久々に焼岳に登りましょう。またの高山となるわけです。
ホテルは駅前。特別価格で3950円。しかも清潔。
昼寝に三時間ほど費やし、夜の高山、歩いてみることにした。

観光地高山にあって、そのほとんどは地元民に縁のない
高山名物を全面に出した飲食店。

しかし、地元民もどこかで憂さを晴らしたり出会いを求める。

そんな高山名物とは全然関係のない赤提灯の焼き鳥屋に行く。

隣の太った女は、タバコを切らすことなく吸い、詰まらなそうな顔をして
その本数から長く居座ったことは察しが付くが、650円の支払いだった。

他の席では若い男女が、その話の向こうに
今日の出会いを匂わせてもいた。

この時間が、一番高山らしくもあった。

焼き鳥屋でも食べて飲み、またもやの贖罪ウォーキング。一時間以上歩きまくる。
夜の高山はとても静かで大好きです。実は毎度の恒例なんです。

一時間の夜の散歩で手先はすっかり冷えてしまいました。
ホテルまで、あと少しなのに、洒落た西洋風のbarがあり、止せば良いのに寄ってしまった。
赤ワインと飛騨牛のカルパッチョ。(←美味)

そして、さらなるウォーキングも、もう無理なので
この後の僕は深い贖罪の眠りに。