京都に行っていたことを思い出す
町屋で過ごす新しい旅の形
2008年3/15-16

デジカメの写真を見ていたら、今年、京都に行っていました。
何故か、この京都の旅だけupしていなかったので、今、悔恨の念を持ちまして
思い出すように書き上げます。(2008-11/1)

そもそも名古屋より西半分は、僕はほとんど旅先として選択しません。
理由は一つ。
名古屋の東側に住む者にとって、南信州は90分先に存在し、
緑豊かな快適なドライブが楽しめる道は30分もすれば、その中に居ます。

ところが名古屋より西に一時間車を走らせても、名古屋の外縁。
90分走らせると山の中ですが、二時間もすれば関西圏の勢いを感じてしまいます。

そんな西側嫌い(←コミュニストではない!)の僕にとり、京都は遠い存在でした。
人から言わせると、京都を日帰りで楽しめる名古屋の地の利の良さを
もっと利用すべしと度々言われるのですが、
勝手の知らない土地と、いつも混んでいるというイメージが先行して
今の今まで先延ばし。

今回は、親しいマイミクさんのご提案に便乗させていただきました。
京都の町屋に泊まる素敵な旅の形。

その前に、集合時刻まで銘々自由に京都を楽しむ。

僕は、NHKの大河ドラマ【おんな太閤記】の「ねね→北の政所→高台院」の生き方に
深く感銘するところがありまして、
高台寺の参拝は大いなる楽しみ。

でも、正直言うと、赤木春江演じた【大政所様】のほうが、もっと好き。
夜になりまして、この門前町の明かりの下で、待ち人を待つ。
プレイガールの最高幹部でもあるtaro先生が車を飛ばして遠路遥々。

それから食事となるわけですが、
食事処が多すぎて、それが絞込みの邪魔になり
物凄い距離を歩いて、京懐石をいただく。

大変に美味しかったのですが、
大きなハンバーガーばかり食べている目の青い人たちにとって、
お腹を満たす量なのかと疑問に思いました。

それは現代日本人にとっても同じで、
結局帰り道、カップ麺とかを買うのでした。


町屋で過ごす京都。なんて素敵なのでしょう。
システムは至って現代的。
電子ロックされた町屋。

それぞれが好きに街を歩き、そして町屋に戻る。
ホテルのように管理人がいるわけでもなく、
本当に、街の真ん中に住んでいるような気がしてくるのです。



翌日、衝撃の場所に案内される。
遊興、ここに極めり。
角屋(すみや)

こんな貴重な場所をルートに組み込んでくれるN師って、なんて素敵なんでしょう。


撮影厳禁の貴重な部屋の数々。
夢のようなひと時を提供するため、部屋の細部にまで意匠が届く。
全く、消費するだけの館に贅の限り。
しかし、このような文化が存在したということは、
総じて日本は豊かな国だったのでしょう。

二時間飲み放題とう現代のけち臭い遊興ではなく、
その日一日、歌舞音曲や詩歌、そして酒宴に耽る
なんと豪快な「遊び」だったのでしょう。

遊ぶ側も馬鹿では務まらない。
知的な遊び心が全体を成立させる大きな要素。

このような昔の馳走の内容に激しい興味が湧くのです。
それから国宝の絵画など見て、僕だけ先に失礼させてもらう。

思うのは、京都は一年かけて巡っても、
見尽くすことは、まだまだ難しい。そんな気がしました。

方々、珍しいものばかりで、
これに季節の表情が色を添えるのだから。

書いていたら、また町屋の京都を待ち遠しく思うのです。