大本山と、越前大野で過ごす週末
2009年8/22-23
色々ありまして、さて、何から書きましょうか?
この週末の最大の目的は、福井市から曹洞宗大本山・永平寺までのウォーキング。
結論から言いますと、中止。
土曜日の午前二時に起きる。
前日までに、ほとんどの準備を済ませ、あとは行くだけ。
ここで致命的なミスを発見する。
財布、会社に忘れた
。
土日祝日は休みなので慌てました。
ただ奇跡的にも、空調工事を土日で行うと思い出し、
あとは盗まれているかいないかの問題。
土曜日の九時に会社に行き、無事に発見。
九時ですからね、素直に諦めも付きまして
当初予定していいた北陸道も見合わせて、東海北陸道-油坂峠道路経由の大野入り。
曹洞宗の信徒としては、大本山永平寺を割愛するわけには行きません。
総鉄筋コンクリート造りで、日本最大の(エレベーター付き)五重塔とか
東大寺の大仏を上回る規模の大仏とか、
タクシー会社のオーナーが私財を投じて建立した大寺院。
越前は、勝山の清大寺。(8/15日撮影)
読経が聞こえるものの、それはスピーカーからでして
結局、僧侶の一人たりとも見ることはありませんでした。
道元開祖の曹洞宗・大本山永平寺。
福井県、永平寺町。
どちらが、厳かで、敬虔で、祈りのし甲斐もあるかと言えば、
右と言いたいのですが、僕は疑問を感じざるを得ませんでした。
神仏に祈るとき、最も大切な事柄といえば、
歴史があるかないか。建築が木造か否か。賽銭を投じるか否か。
色々と思うところが出てきますが、
やはり、
心静かに祈る、この環境
だと思うのです。
ところが大本山・永平寺は、既に祈りの場としての機能はほとんど形骸化されてしまい
(注・泊り込みの参篭は違うと思われ)
大本山にきても、賑やか。
もはや価値ある文化財に、皆が驚嘆する場で、
次から次へと人が移動したりする環境で
どこに静寂を求め御仏に手を合わせよというのでしょうか??
このような大衆の願いは、別に祈祷料を支払って「祈りの代行」に委ねるしかないようです。
(激しく疑問を感じるのです。本来は無一文の者にも救いの道を開くのが宗教の度量だと思うのですが。。)
たとえ、信徒集まる大本山でも、
一箇所だけは教会の礼拝堂のように
カメラ撮影も私語も一切禁止の
静寂で、敬虔に祈りを捧げたい者のための空間があれば良いと思うのです。
そういう、心静かに祈る環境という面では、
左のコンクリート大寺院のほうが遥かに勝っていると思うのです。
こちらはこちらで、大きさはあっても重みが全くなく
参拝者もいなければ、門前町も店はほとんど閉じている。
しかし、仏像の数だけは無数にありまして、
心静かに祈る環境は、永平寺には見当たりませんでしたが、清大寺には沢山ありました。
と、頭も丸めない者が偉そうなことを書きましたが、
永平寺には、若い修行僧が大勢見えました。
ここに、曹洞宗の生命力を覚えるのです。
願わくば、方々に赴任するだろう若き僧侶が、
地方地方のお寺で、
祈りたい者はいつでも静寂の中で祈れる環境を整えてくれたならと思うのです。
門前町で精進料理でも食べようと思いましたが、時間も過ぎてしまい、
一路、越前大野まで。
財布忘れた戒めとして、朝から何も食べていないのです。15時を過ぎました。