豊かに香る、湯の巡り旅
2011年10/7-8-9-10
秋も日に日に色を増すその初め、親しい友人(以下、交通社夫妻)が、とっておきの旅に招待してくれました。
年に二度か三度のそのお誘いは、いつも私の心に深く染み入る思い出の数々を添えてくれるのです。
10/7は三連休の前日、金曜日。
仕事が終わって、一旦帰宅。
心逸るこの旅に事前の準備は万端で、僕はというとお風呂に入る程度の帰宅なのです。
名古屋駅から、勤め人に揺られる自分は、同じ方向というのに帰宅ではなく大いなる旅の始まり。
22時は、滋賀県の彦根駅。
交通社夫妻の大型企画に彦根駅はいつもの集合場所。
慣れた駅前を少しだけ歩き、夫妻と合流する。
この企画が大好きな理由は、毎回、その詳細は朧気で
日本の西とか東とか、それから先に北の方、そんな感覚の把握で、つまり全幅の信頼を持って参加するのです。
乗り心地の良い新車は、半年で5万キロでしたっけ???
とにかく折々に触れ現地に足を運び、これはという温泉を選び出しては紹介してくれる
僕は新参者というのに、現地の通をも唸らせるなんとも贅沢なアレコレなのです。
途中、真夜中の新潟県で頼もしい青年も合流。
何度か休憩で起きていたはずですが、記憶が鮮やかなのは宮城県のどこかのSA。
前沢牛の丼を食べたのですが、肉が薄過ぎてタレが旨いと、そんな丼。
目覚めの湯は金ケ崎温泉で、岩手県。
湯は、トロリとした茶色の透明度のある湯。
確か300円で掛け流しの湯に入れて、東北は物価が安いという人の噂を朝の湯から実感するのでした。
ホテルのロビーには、ラップに包まれていた大きな焼きおにぎりが80円で売っている。
コンビニおにぎりの三個は握れる米、握りこぶし大。
東北の大地が実に豊かなものなのだと
その味わいも本当においしく、さらに買いなおして宿のお供にするのでした。
世界遺産の平泉と毛越寺にも足を運び、昼ごはんは道の駅でアレコレと買い、その場で食べる。
東北の大地と米。
豊穣を願うものの時に苦しめられ、飢饉の歴史は昭和の初めにもありました。
米を餅にして、そしていろいろな味わい方でいただく。
その多様さは、米(餅)の季節季節の増量剤という役割と共に、折節に愛で食べていたのかと。
米に苦しめられていたからこそ、執着して食べていたのだと
朝の大きなおにぎりは、米はこうして食べるのだと言う、土着な秋の喜び。
昼の餅は、納豆やズンダの中にあって、折節のご馳走だったのでしょうか???
ふと思うのは、田んぼの一枚一枚が大きくて、農地改良以前に山と山の間が広く
おそらく田んぼの区画概念が僕が考えるそれとは違うのでしょう。
実に広い田んぼの向こうに穏やかな山があって、その縁辺りに集落があるものの、
視界に飛び込む広大な土地に住む者が少ないと、そういう感覚は東北の旅に一貫して感じるものでした。
今年、東北の旅日記を書くと、3/11の大震災は避けて通れない話ですが、
僕らが目にした傷痕は今から2008年の岩手-宮城内陸地震。
走る道路に支障はないものの、山河に崩落の箇所は方々ある。
栗駒山の秋に訪れる人は実に多い。
紅葉にはまだ早く「三部枯れ」でしょうか、
木々によっては青々としている葉もありましたが
これがその盛りだと想像するだけで心は圧巻です。
高原の宿は、その隣で、
いや敷地内で湯が湧きだしている。
足湯というのも、硫黄の湯の川に浸かるものですが、
その熱さに躊躇する者もいるほどの
なんとも贅沢な環境。
宿では、部屋を二間連続して借り、一方は宴会場。
いかにも湯治場らしい過ごし方。
食べたり飲んだり、湯に浸かったり。
|
|
須川温泉
10/8
宿には湧きだしたばかりの内湯があって、まだ白濁する前。これがとても熱いのですが、なんとか肩まで入れました。
つぎに少し時間も経過した白濁した湯。と、いいつつ源泉のすぐそば、新鮮な湯には変わりありません。
シルキーな湯触りに悦な心地も一際鮮やかな朝の湯。
さてと、今日は秋田入りです!!
と、車を少し動かしたら秋田県。
交通社夫妻は、どんな秋田県をご紹介してくれるのでしょうか???
|