août.2007

le 31 vendredi
//どれだけ罪が癒せるか// 久しぶりに、大衆の風情に寄る。この七輪の炭火焼屋では、〆の茶漬け以外は、全て肉のみを頼むルールが自然発生的に出来上がり、今回もまた肉のみ。

この罪を贖罪するために、食後、黒ウーロン茶とヘルシアを飲み干すのだが、果たして健康を取り戻せる効果はあるのだろうか?

おなじく、大衆の風情のあとは、煙を身に染み付かせてのカクティールバーへ。  行動パターンはいつも同じ。
楽しい。

le 30 jeudi
//世界陸上の集客力// まさか、すんなりホテルが取れるとは。最悪、神戸とかどこかに泊っての参加にしようかとも思っていたのですが、なんとか心斎橋で落ち着くことができました。  

ホテル日航大阪は、僕のシティーホテル一泊の旅の記念すべきスタートの地。  それまでホテルは何かの用件を日帰りでこなすのには無理があるための宿泊でしたが、あの滞在は、ホテルでのんびりするのが主目的でした。

そのような趣味も一巡したという感です。

le 29 mercredi
//休日スペシャル// ある日、mixiにこんな公示をし楽しみたい。  本日は、これから即興で小説を書き上げます。今日も終わる頃、不出来でも、未完でもupしますと。


車中で、それこそ即興で書き出しを考えていた。  どんな内容か、どんな結末か書きながら決めていくのだろうが、書き出しは、決まりました。

いづれ訪れるはずである秋の時間のある休日に、そんな試みをいたしましょう。 

le 28 mardi
//第二巻// ようやく宮本輝全集の第一巻を読破できました。 人には得意とする文体があり、無意識のうちに、そのような風味で書き上げてしまうのだが、全集も14巻あると、どこかで作者の創造的破壊が試みられるはず。  そこへ行き着くのも楽しみの一つである。


//二つの疲れ// お盆前からの熱波による、不慣れゆえの体の疲れ。  そして最近の暑さ収まってから吹き出す溜め込んだ夏の疲れ。  なんで毎日こうも眠たいのだろうか?

le 27 lundi
//今年初めてのクーラー// それも夜に点けています。扇風機で対応できるのに。理由は一つ。野営場では、夜寝る頃から電池が続くまで、草むらと森の声を録音しました。夜なので、それも標高が高く、寒く、虫は一種類のみ、チリチリチリと鳴いています。  それを聞いているのですが、部屋の窓を開けると、庭から何種類もの元気な虫の声が入ってくるので、何がなんだか分からなくなってしまうのです。

今日は、罪と知りつつも、クーラーを点けながら、虫の声を聞いて眠ることにします。

le 26 dimanche
//写真のみデジイチ// 文章はmixiからの転載。

テントを持参すれば一人800円で泊れる。
白川郷近辺でどこかに泊ると考えれば格安の世界。
しかし、格安だけが魅力ではない。

ここ大白川野営場は、西日本最大のブナ林の中にあり、それは原生林。手付かずの枝ぶりは自然の自由意志の現れです。

まずは車にて受付のログハウスへ。ここで荷物を降ろし、車は300mほど離れた場所に駐車する。テクテク戻り、荷物をリヤカーに載せ、あとは気に入った場所に設営すれば良いシステム。


家を出たのが5:30頃。それから北区の24時間営業しているマックスバリューでお買い物を。
肉と、魚と、野菜ジュースと酒。
それからバケツ型の七輪と炭も買う。



ETCカードを二枚持っているので100キロ超なのに、上手いことして全線半額適用。


それから道の駅にて野菜を購入。
どこに寄ることもなく、テントを設営。10:30。

持っていったガスコンロは、本来の役割を手放し、炭の着火用にだけ用いる。網に載せた炭に火が入ればバケツ型の七輪へ。

昼は、トウモロコシ二本と、鶏肉・海老と、他に野菜をいくつか焼く。足すことの小さな笹寿司を二つ。
ガスコンロの風除け用に買ったコ字型のアルミの衝立を風除けに使うことなく、七輪を覆いかぶせるようにして、上に逃げる熱を輻射熱として簡易オーブンに。少ない炭でしっかり焼けました。

それにしても、トウモロコシに醤油をかけるとき、炭に落ちて焦げる匂いの何と香ばしいことか。それから焼きあがる野菜には醤油をたらすのであった。


90分ほど昼寝して、山道を下り大白川野天風呂へ。

夕方、コーヒーを淹れ、それから最近行きつけの名古屋は上前津の中国茶専門店で購入した旅行用の携帯茶器で、「白毫東方美人」と「阿里山金萱茶」の二種を楽しむ。

七輪が楽しくて、早めの夕食を。毎度のことだが、酒を沢山飲んでも酔わない。

夕食が終わっても六時前。外は明るい。


【文化的キャンプ】
前回もそうですが、ここ大白川野営場で泊るときには本を持参する。軽量リクライニングチェアに腰を掛けて、今回は、先日購入した【宮本輝全集】から、第一巻を。

すっかりのめり込んでしまい、夜も更ける。
昔、水曜スペシャルの探検隊がヘルメットに装着したライトみたいなのも持っていたので、頭に付けて本を読む。

20時前後にテントに入る。

広大な敷地内にあって、視界には他のテントは入らない。そうやって皆さん、干渉を嫌い、ポツリポツリと設営する贅沢な環境。


夜になり、ようやくAMラジオは受信できるようになって、NHKの情緒的な内容に聞き入りながら、眠りに付く。

満月に近く、星が殺されていましたが、夜中の3:30に目が覚め、夜空を見上げると月は沈み天の川が。

それから浅い眠りで、夢を見続ける。一つだけ、夢の中で凄い発見をして「凄い!こういうことか!!」と歓喜の声を上げていたのですが、それが何なのかは全然思い出せない。

朝は7時に目が覚め、朝食と読書。


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僕は、昔から小説などは読まなかったので、その記憶は、おそらく大学受験に向けての現代文のテストか、どこかの赤本であるはず。

文化的な夏の休日の過ごし方として何年も続いているのは、避暑地の別荘にての読書会。そんな有志が何人か集まり、食事などは一緒に囲むのだが、それ以外の時間は、銘銘読書に耽る。
夜に、ワインやコーヒーなどを楽しみ、今日、読んだ本について語り合う時間を設ける。

そんな一節を思い出した、ウーマンの文化的キャンプ。


歳をとったということでしょう。
このキャンプ場で、他の誰かも(一人でも複数でも)
日中は読書に耽るブナ林なら、夜のワインも美味しいのだろうと。

炭は煌々と燃える。

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帰る荷物をまとめ、リヤカーに積んでいる頃、本日の泊り客がやってきた。関西弁の老夫婦と老犬。

ブナの巨木の、静まり返るこの環境が、本当に好きです。





le 25 samedi
//一人の聖地// と、初老の男性と擦れ違ったのが去年の七月。
その老人は二泊したあとの帰りの手続き。僕は始めての野営場。
それは老人から話しかけてくれて、「君も一人が好きなんだね」と。
「ワシは二泊もしたぞ」。  記憶が定かなら、
車は尾張小牧ナンバーでした。
「ここは一人が好きな人が良く訪れる場所でね、
一人の聖地」みたいなことを言い、彼は去る。

一人の聖地とはよく言ったもので、それから、その年にもう一度、
そしてこの週末と聖地巡礼をする敬虔な教徒になりました。

以下、mixi日記から転載。

【色の変わった湖】
去年は、それ以前は、久しくコバルトブルーでした。


ところが今回、普通の湖になってしまった。
なんとなく理由は分かります。

その顕著な例は、草津白根山の火口湖のコバルトブルー。
湖水に硫黄が含有されると、まったく美しい色になります。

ところが今年は普通の湖。
考えられる理由は、以前は硫黄分あふれる温泉が
湯水のごとくダム湖に流れ込んでいたのですが、
最近、ふもとで日帰り温泉施設が完成し、
この温泉を導引しているとのこと。よってダム湖の硫黄分が低下して、
普通の色になったのではないか?とウーマンは推測する。
(文化的記述)




ウーマンが、「年中行事」として取り扱う、
岐阜県は白川村の白水湖。特に秀でた場所には、
毎年、その季節には訪れるべきであるとウーマンは考える。
それを「年中行事」と称し、今回の白川村も、そのような待遇。


白川村に行くまでも遠いのに、多くの太平洋岸の住民は、
来た道をそのまま北上して世界遺産の白川郷を目指す。
僕は、その手前の悪路を西に折れ、さらに13キロ進む。
その行き着く先にあるのが、白水湖であり、
湖畔の温泉は「大白川野天風呂」であり、
毎年テントを設営する西日本最大のブナ林のキャンプ場が
「大白川野営場」である。よって僕は未だかつて
白川郷は見たこともない。白川村まで北上したのに。


落差72mの白水の滝も圧巻ではあるが、
最も秀でた魅力は悪路の先に広がる大自然。


この景色に魅せられたのは何年前でしょうか?
それ以来、毎年最低でも一回は訪れています。

湖畔の温泉は300円。

キャンプ場の運営は毎年7/20-8/31のチビッ子の
夏休みに合わせていますが、温泉は10月の中ごろまでは
営業しているらしいです。

名古屋圏の人なら、少し早起きすれば十分に日帰りも可能。
お勧めです。


道の駅で買った、旧・荘川村の新鮮な野菜たち。



アルミの風除けを、このようにするとオーブン効果を発揮して、焼きあがりも早く炭も少なくて済む。


トマトは、焼き、余分な水分を飛ばしてう旨みを凝縮させる。
それを深皿に入れ、潰す。
焼けたシシトウなどを濃厚なトマトソースに潜らせて食べると、とても美味であった。

le 24 vendredi
//本家を大切に// 最近、暑さのせいで妙に疲れる。暑さもひと段落したら、ホッとしてまた疲れる。  それを日記の簡素化の理由にはしたくないのですが。   明日は、僕が年中行事の一つに数え上げる岐阜県は白川村の白水湖。  
この場所、ピン!とくる呼び名がないんだよね。
湖は、白水湖。
湖畔の温泉は、大白川野天風呂。
近くのキャンプ場は、大白川野営場。
ここから始まる白山の登山道は、平瀬登山口。
落差72mの滝は、白水の滝。

もう、何度も訪れるこの場所にテント張って泊れるなんて、幸せの極みです。

le 23 jeudi
//涼しいのも一日らしい// 明日の最高気温は36度だそうな。

科学の知識がないので分からないのですが、二酸化炭素を人為的に吸収するのはやはり植林による木質化しかないのでしょうか? それと貝を大量に養殖して貝殻に溜め込むとか。


さて、この夏の暑さを蓄えるのには、やはり水(→温水)しかないのでしょうか? ヒートボンブって未だに良く分からないのですが、もし、人間が夏の暑さをエネルギーとして何かに吸収できるのなら(引き換えにその分だけ涼しくなる)、冬場にそれを放出すれば良いだけのこと。


人間は、宇宙にもいけるのに、身近な危機を克服できない。

le 22 mercredi
//クーラー点けない強さと裏腹に// この夏でさえ、部屋のクーラーは一度たりとも点けていません。そのようなボタン一つの解決策は人間をアホにする。風邪を引けば抗生物質を飲み、風邪を治すのだが、この過程で人間は風邪の何たるやを勉強せずに素通りする。錠剤一つの解決策も人間をアホにする。

諸々の生活の知恵で、クーラーは点けずして生活をしていますが、やはり人間は体温以上の気温には防衛本能が働くのでしょう。 しきりに疲れ、睡眠に誘導する。   と、言うことは、酷暑から人間を守るのは、暑すぎる時間帯は寝ることなんだと理解できる。それが生命体保持の最良の道なんだと理解できる。   シエスタは、とても人間の生命体に見合った風習なんですね。たぶん。

le 21 mardi
//顔の位置// 顔以外なら、人間は触覚しか外界の状況が分からない。でも、顔には、触覚も感じることはできますが、嗅覚に視覚・聴覚に味覚を頭部が独占して感じている。

そんな頭というか顔をどこに持っていくかで世界は変わる。

テントを設営して、寝る。

まずは草の匂いを感じざるを得ない。そして虫の音が違う角度から聞こえるだろう。  夏も終わり。そんな週末、一人でどっぷり時間を潰すのは贅沢の極みだと思う。

自分で言うのも変ですが、僕は誰かと居るときは饒舌なんですが、努めて誰かと居ようなどとは考えない。努めて何かをするのなら、一人で過ごす上質な時間の確保。  こういう、進んで取得する心身のオフモードがあるから、各種ストレスを分解しているのだと思っています。

le 20 lundi
//週末の予定が決まった// 次の週末は、年中行事でもある岐阜県は白川村の白水湖にある大白川野営場にての一人キャンプ。
あの素晴らしすぎる景色を堪能するのも目的ですが、今回最大の目的は、自然の音の収録。  全く、車の音も入らない世界なので期待できます。

僕は、こうやって、その季節季節に訪れるべき場所を毎年少しづつ増やしているので、なんかこれから先の週末も予定で一杯なんですが。

le 19 dimanche
//せめてもの慰めは、、// AM岐阜ラジオ。   今日は早くに目が覚めたのですが、どうも疲れが取れずして、物忌みに決定。外出は控えます。

昨日は吹いていた風もなく、今日の暑さも堪えますが、それでもクーラーは点けていません。

あまり生産的なことはせず、扇風機四台を最大限の排熱効果が発揮できるよう、いろいろと設置を変えたりの工夫。

そんな物忌みな日曜日ですが、雑音の向こうに聞こえるAM岐阜放送がローカルな話題を提供してくれて、なんとなく異国情緒、旅行気分。また、雷が鳴っているだろう、独特の雑音も宜しいなも。

le 18 samedi
//疲れが堰を切る// 夜会の疲れと、それよりも登山の疲れが、土曜日にあふれ出ました。  夕方に兄家族が訪れて、我が家で鰻を食べたのですが、そんな精もどこかに吹っ飛ぶ疲れです。チューハイを一缶も飲み干せずして、僕だけ部屋に戻り横になったら、もう体が動きませんでした。

姪たちの別れを惜しむ声を察知しているのですが、それでも体は動かせず。なんとも金縛りにあった感覚の疲れ。


それでも、本日もクーラーはつけませんでした。  こんなに暑いのに点けずしていつ点ける!って感じですが、前にも言ったように風邪を自力で治すように、クーラーに頼るのは生活の知恵が無いようで嫌いなのです。

le 17 vendredi
//慣れは恐ろしい// 本日の最高気温、名古屋で38.3度。風も吹いていて「涼しい」と感じました。

その風は夜も吹き止まず快適そのもの。この日の夜は、日をまたいでの夜会。それも木曽三川公演で鍋。  キムチ鍋の汗も風が吸い取り快適でした。
皆様、お疲れ様でした。

le 16 jeudi
//40.9度// これからの夏は40度という数字にも慣れるのでしょうね。でも、日本は四方が海のせいか、極端な熱波の発生は抑制されているような気もする。 

 なんとかしてアスファルトの温度を下げれないものでしょうか?
例えば、路面はタイル状で目地のところが空洞。そこには水が流れる仕組みを作るとか。   

暑い。外の風には刺激物が含まれているような感じでヒリヒリする。

le 15 mercredi
//帰りはいつも、、、// その点、発想が一致するので助かる。  旅の最終日の最大の目的は「一刻も早く帰宅すること」    翌日の仕事を考えれば、旅の後片付けと疲れは、その日のうちに処理したい。
高速も使わず、名古屋の三好辺りで13時過ぎ。  余裕ある帰宅で大満足。
それにしても下界は暑い。

le 14 mardi
//変なこだわり// 大型の山登りを終えて皆さんのすることは100%温泉に直行だと思う。  毎回、変なこだわりを持つウーマン。  それは、シャンプー一回目では全然泡立たないことに、ちょっとした嬉しさを感じる。

le 13 lundi
//WWWW// 登ったり、下ったりの繰り返し。その先に山小屋があるから、そうせざるを得ませんが、平素の生活で、そんな苦行を取り込むなんてことはしない。  この精神鍛錬は年に一度はするべきでしょう。

le 12 dimanche
//mixiの情報が生きる!!// 沢渡といえば、関東勢が上高地行きのバスに乗り換える乗換え基地。言葉では簡単ですが、沢渡に関係もなく通り過ぎる者には、ただただ迷惑な場所に他ならない。  それを迂回するためには、奈川-乗鞍高原-白骨温泉と結ぶ乗鞍スーパー林道を利用しなければなりませんが、有料。

ところが期間限定で無料開放という情報をmixiで得る。万々歳!!

le 11 samedi
//一日中部屋にいて// クーラーを点けませんでした。僕の部屋は東南の角部屋で、東の窓には1m向こうの庇の先に簾をたらし、南の窓には一面の緑のカーテン。特に南側は窓だけでなく壁面全体が緑のカーテン。扇風機は二台活用して、外の空気を取り入れ、そして一方は吐き出す。

この時のポイントとして、自然の風の向きに逆らわないこと。南→北なら、扇風機の設置も同じように。

よって猛暑日といわれたのに、クーラーを点けていません!!!

le 10 vendredi
//ひんやり緑のカーテン// それがあるだけで僕の部屋はとても涼しい。以前は、咽返る熱気が篭っていましたが、緑のカーテンは偉大です。部屋と外界の間に新しい世界が出来きる。葉を透けて通る緑の陽光が注ぐのもとても贅沢な気持ち。

le 9 jeudi
//読んでくれる人がいる// テレビ局ならばビデオリサーチ社の集計から、ある番組の視聴率を知ることも出来る。  一応、カウンターはあるもの、それが素通りなのか、よく見てくれる人なのかまで判別は出来ない。

何かの拍子で、よく読んでくれたりとか見ていただけたりとか、そういうことを知れたとき、とても嬉しい。



最近、夏空が気持ちいい。  前に比べて湿度も幾分下がり、空は青い。
とても暑いのだけれど太陽光線は縄文時代から、いやいやそれ以前から角度は同じ。  午後5-6時の入道雲は以前には無かった夕陽の色彩も。空気は夏でも太陽はその力を弱めつつあります。

le 8 mercredi
//泥の河// 宮本輝全集が届きました。僕の悩みの一つは遅読。全14巻、読破できるのだろうか?   とりあえず泥の河は読みました。


//私は嫌だから、、、//全く関係が無いのに、今日の仕事は忙しいとか、他に嫌なことがあるからとか、そういう理由でもって関係ない人間にきつく当たるのは大嫌いだし、そういう人間を嫌悪しています。

でも、僕は、浴びる嫌な思いを誰かに転嫁はしません。それをすれば忌み嫌う人間と同じになるから。  でも、それだと僕は言われっぱなし。


天罰ってないのかしら? そんな期待を胸に抱くときもあるけれど
やはり、それをも凌駕する愛で克服しなければ、ならないのでしょう。

言われ続けたりしても、嫌な顔せず他に当たることなく、この変な川の流れは自分でお仕舞いとする。

自分が結婚しない、心的正当化理由に、
どうせ結婚は言い争いの日々であり、それを見る子供たちは辛い。
しかし独身で生涯を終えるのもまた辛い。
でも、独身の辛さは人を傷つけない。だから独身を選択する。


話は反れましたが、そんな人はいるのです。
雷が落ちるなら奴の頭の上に・・・とは思ってはならない。

辛いですね〜

この忍耐の先に報われる世界はあるのだろうか?
結局、無いとしても、それでも報復をしたり願ったりしては駄目。
言われっぱなしでも、駄目。


切り開くということは、放棄しました。
耐えて耐えて耐えた先に、何かがあるのかもしれないし、そのままの世界が続いているかもしれない。

それでも恨んではならない。

一体何なんでしょ、この心理。

le 7 mercredi
//お金にまつわるアイウエオ// ア あっという間に無くなるもの、な〜んだ!?

そんなアイウエオではありません。お金にまつわる諸々の話。

父は、散在の気。母は諸悪の根源と思い、兄は堅実で財を貯め、僕は妄想で豊かになり努力を放棄した。


父は、大地主の育ちであり、家の周りの集落は、みな下男たちであったそうです。家から学校まで6キロのうち4キロが自分の土地で、山林が主。精米所もあり農地解放の影響も受けましたが、連なる山並みは手中のまま。

母は、父ほどの大地主ではありませんが、村の名士に属していて、やはり家の前の数軒かは母の家に仕えていたそうです。  もちろん結婚は家同士。見合い。

兄は、そんな栄華は昔の話で全く関心も無く、西日本の名門私大を卒業し豊かな結婚生活を謳歌しています。

僕は、現実を見る能力が著しく欠如して、他にも沢山ある栄華を聞き出しては支配者階級の心地に耽る。そんな妄想に生き、兄のような堅実な努力もせず、今や自分の稼ぎなんて雀の涙。

父は、東京の大学を卒業して、金沢-名古屋とサラリーマン。失敗した転職(どうも複数??)を恨み、転職は悪だと決め付け、それは僕の身にも降りかかる。  ストレスもたまり、家では母に発散していた。夫婦喧嘩は、僕が31歳のときに結婚しない宣言の理由の一つに始めて公表したところ、その日を境に表立った夫婦喧嘩はなくなった。よって31年のロングラン公演だったはず。

母は、今でも心の底で父を憎んでいる。しかし父本人を憎むと自分の人生までも惨憺たる思いがするのでしょう。恨みの矛先を父方の祖母と、金満で育った、その金に向けている。母はお金は人をダメにするとかたくなに信じて忌み嫌っている。  我が家が豊かになれないのは、そんな極度にお金を忌み嫌う母の情念があるのかもしれません。

仲のよくない兄は、京都に下宿するとき、初めて僕に胸のうちを明けた。この家にいるのは散々だと。繰り返される夫婦喧嘩のやり場の無い思いから、自分は将来親の面倒は見ない!と僕に打ち明けてくれた。

しかし、僕からすれば、兄の前では努めて夫婦喧嘩もせず、この苦しみは分かっていたのだろうか?と疑問に思う。

僕は、妄想に生き、大学を卒業後、変な会社に身を任す。いつも仕事のストレスを家で発散する父の姿を見て、僕は入社以来仕事の話は一切せず、それを両親は残念がってもいたが、その理由は当時は知らせていなかった。

入社4年目くらいに、初めて転職の考えを親に表明したところ、父親は激怒して、一切話しすら聞かず、強度な反対というか粉砕というか、気が狂っていた。

とても悲しかった。  それ以降、自分の人生を切り開こうとか、そういう思いを放棄した。安くて貧しくて蔑まされていても、そういう人生なんだと。


34歳の直前、両親が執拗に結婚を迫るので、欝を演じた。
そして、給料明細を見せ、これで結婚は出来る!?と。

その額の安さに父親は愕然として、今度は、何も考えず、今すぐ転職しろ!と繰り返す。  その時、無碍に断られたあの時の辛さを始めて表明した。そして時は既に転職に遅しと下層な生活を継続させるほかないと言うしか答えが無い。


兄は理想の家庭をたまの週末我が家に持ち込む。
その場からは逃げ出したいけれど、この家が好き。

それは僕の両親だから。僕が家を出ないのは、居なければ再び二人の仲は険悪になり、衝突の連続。  この初めての平穏を少しでも長続きさせたい。


その昔、何度か離婚も提案したが、そういう考えは無く、ただ思うがままに動かない相方が憎いらしい。

育ちって、恐ろしい。

le 6 mardi
//情で付き合うけれど、情ではお付き合いはしない// そういう一線が世の中に存在するってことを、もっと早い段階から記憶の表面に格上げするべきなんです。毎回。


僕が地方都市に一人で泊まる最大の楽しみは、実は美味しい食べ物を頂けることなのかと、先ほど思った。

食べたい料理は多いのに名古屋に居て、一人で食べに行くのも不自然。
この不自然を見事に打破してくれるのが地方都市の旅。

寿司を食べに焼津に行った。

今、無性に鰻が食べたい。中津川で泊るとき、町一番の鰻屋に必ず寄る。この無性ってのが難癖で、産地に行って食べ比べしたい衝動に駆られるほど強い心的信号。


お盆終わったら、大阪の旅が控えていて、九月の頭には白山へ山登り。
それ以降、地方都市の旅でもしよう。この頃には、無性に一人にての上質な時間を欲しているはず。


明日、宮本輝全集が届くはず。
これを静かなる環境で読みたい。

九月の三連休は二泊三日で名物を食い読書に耽ようか。

le 6 lundi
//あの頃は隣接している記憶だった// 今から20年も前、それでも15歳。新聞は読めて大体は理解できる中等教育も終わり高等学校へ。

そんな記憶も定かなあの頃、戦争は僕たちに隣接した記憶だった。

今日のニュースで、被爆者式典に参加した平均年齢は74歳と聞きましたが20年も前なら54歳。現役世代です。当然にして、彼らを抱きかかえ灼熱の地獄を渡り歩いた父母も生きていたはず。

あの頃、日本国民の不文律としての禁忌に、戦争被害者への無理解は絶対に許されなかった共通の認識があった。

もちろん政治学的にソビエトへの対抗から保守派が軍拡を推し進めることもあったが、それと戦争被害者に対する無理解は全くの別問題で、各種の式典は
あくまで沈痛で荘厳だった。


今や、ネットには被害者への侮蔑が見受けられ、そして千羽鶴も燃やされる。平成の15歳にすれば、戦争の記憶は隣接するわけでもなく、沈痛タレ!と導いても、方法論として限界があるのではないだろうか?  62年前の記憶という側面でないアプローチが緊急の課題かと。


//因果応報// 無思慮で低俗で攻撃的な親が特に小学校の先生に無理難題を押し付け困らせたり辞任に追い込んだりする現象が問題になっています。

これを何て説明すればよいのだろうか?  類似する項目に公共マナーの欠落した輩の増加とか虐待とか。  何て説明すればよいのだろうか?

自民党が政権を担当したから?
排気ガスとか電磁波の影響?
下品なテレビ番組??
環境ホルモン!!
日教組??
新自由主義!

なんでしょうか?


最近、思ったのは、先生を困らせるDQNな親の増加原因は、彼らの受けた管理教育の反動だと思うのです。  あの頃の教育に愛があったか分かりません。この親たちと当時の先生が敵対する間柄で、愛も育たず大量に卒業したなら、無理解の連鎖で、今、反撃に転じているのでしょうか?????



仮に、これが真理の一端を担っているのなら、あと20-30年もすれば、子が親を大量に虐待する時代が必然として到来すると思うのです。
毎日のように報道される虐待。この影に愛を受けず虐待に近い類の放棄的な育児(飼育)によって育った大量の子供たちは、いづれ体力も逆転したころ、親たちを平然と虐待し始めるかもしれません。



腰の曲がった、体の不自由な年寄りが虐待を受ける。
とても心の張り裂ける悲しい表現。

しかし、この親が子供を虐待していたとするなら、その報いは腰の曲がった頃にやってくるのでしょう。


子供は何の力もなく虐待という24時間の繰り返しから逃げ出すこともできない。それと同じことが体も不自由になった老人に当然のごとく襲い掛かると思うのです。


どこかで愛を。

le 5 dimanche
//行ってはならぬ!// 土曜日はいつの間にか寝てしまい、日曜は4時に目が覚める。朝、可愛いムクちゃんとゴロリと寝転がる。  そうしたところ、僕が動き出そうものなら、ウウウーと手を噛み「行ってはならぬ!」と言うのです。何度も何度も。 そしてムクちゃんと転寝。 再度目が覚め、動き出そうとするものの「行ってはならぬ!」と。

プランが幾つかあったものの、自転車で知多半島方面に行こうかと考えをまとめていたのに、ムクちゃんの激しい抵抗運動は動物の鋭敏な勘なのかしら?と、従うことにしました。昨日に引き続き、閉じた貝のような日曜日。

今日も暑いけれど、諸々の知恵を働かせクーラーはつけていません。

//決まりました!// お盆の予定が決まりました。例年のごとく大型山登りです。日記にソレを書いたのを相棒が見たのか、連絡がありました。結婚しても、今のところは自由が効くみたい!  でも、こんな環境は長続きしないのは百も承知なので、大切に参加したいです。

//嫌韓とは熱湯欲のやり場のない心理的吐露か!?// 熱湯欲のイメージに、引きこもって定職につかず、日本という背景にモノを言わせ他を罵倒することに国士たる使命を感じる連中、、、、そんな見方もある。その最たる表現の吐露に嫌韓感情がある。  確かに特定アジア(熱湯欲が定義する中国と南北朝鮮)に対して彼らの批難は、少数の理路整然としたものを除いては罵倒や悪口雑言の類に近い。  話はそれるけれど、参議院選挙前の民主党を誹謗する多くの書き込みもその程度でした。(結果として、裏を返せば、自民支持層はその程度というブーメラン現象に)

しかし、この写真を見てほしい。嫌韓感情の発信源はどこであろうか!?


撮影は、修学旅行先の京都は清水寺です。

このような国際的な礼節を持たず、平然と醜態を曝け出す韓国人。
彼らは、自分の主張が正しいので、それをどこで表現しようが制約は受けるべきではない!と思っているのでしょう。 正しいと思えばイスラム原理主義のエリアでキリスト教を布教するのと同じ心理なのでしょうか?

彼らは、その先の損得勘定は考慮に入れないようである。愛国表現に将来の損得勘定を勘案するのは非愛国!と狭量な世界感が韓国を覆い尽くしているのでしょう。

この写真を見る日本人にもたらすものは何か!?
それは嫌韓感情の広範な市民権化だと思う。

韓国を忌み嫌うのは、熱湯欲という一部のネットユーザーという見方も早晩消え去るでしょう。  今のところ、市中の飲み屋で嫌韓を話すことは、場にそぐわずタブー視されていますが、それも規制緩和されることでしょう。いつまでも日本人に抑制的な感覚を求めるのにも限界があります。礼儀のない人を批難するのは、努めて市民的だと思うのです。(よって、主張が正しいからといって逆のことを韓国でしようものなら、無分別な愛国と批難されるべきです)

僕が言いたいのは、日韓の主張の正しさを、どちらかに求めているわけではありません。

自らが正しいと思い込めば、何処でどういう表現をしてでも許される(喝采を浴びる)という、近視眼的な玉砕的愛国主義を激しく嫌悪しているのです。

韓国人が日本でしていることは、まさにそれで、先進国でないから、、歴史的背景があるから、、、気の毒な人たちだから、、、、と無罪放免にはいかないのです。現行の道理を守らない不逞韓国人に激しく非難を表明するのは、法理と道理を守る市民の勤めだと思うのです。


僕は日記に何度も韓国に対して苦言を書いています。
アナタのような人が日韓友好を阻害していると指摘する向きもありそうです。ここは相互主義で、日本人が行った韓国内の同様な写真も添付するべきですが、幸いにして、同類の国際的な儀礼に反する何かをしたという話は聞いたことも無ければ写真もありません。もし、右翼団体やどこかの私立学校が似たようなことを韓国内でしたなら、僕は激しく非難します。

忌み嫌うのは、先ほども書いたように、自らが正しいと思い込めば、何処でどういう表現をしてでも許される(喝采を浴びる)という、近視眼的な玉砕的愛国主義。



平然とゴミを不法投棄する住民を知っていて黙認するのが、正しい市民の姿ではありません。不法行為は非難されるべきでありますよね。

le 4 samedi
//当分は買わない// 本日、時計が二つ届いた。結局、ロシア時計熱の影響で四本も購入。しばらくは謹慎です。

土曜日は、ベルト直しの為に車を少し走らせただけ。

le 3 vendredi
//カーテンと簾(すだれ)// ともに太陽光線を防ぐ役割があります。
しかし、カーテンは部屋の中で、ソレより奥への侵入を防ぐ。カーテンが吸収した熱エネルギーは、結局、部屋の中で放出せざるを得ません。よってクーラーを運転していても、窓の外に簾を垂らすことにより冷房効率は高まるそうです。

そもそも、僕は部屋にクーラーがあってもほとんど運転させません。今年もまだ一度たりともスイッチをつけていません。  なんかクーラーに手を出したとたん、僕の生活の知恵が敗北した思いがするのです。(僕が風邪薬を飲まずして風邪を治す感覚と全く同じです)

東の窓には簾。南の窓には緑のカーテンで直射日光を防ぎます。その代わり扇風機は多用して、一つは北の窓から空気を取り入れ、一つは部屋の空気を南に出す。  そして、たまに吹き抜けの下、つまり一階部分に扇風機を設置して、風を二階に送る。 風呂も家も、熱は上に篭るから、下の涼しい空気を取り入れているわけです。


実は、地面の下、1mも掘れば、全く外界の温度とは関係のない一定した世界があるそうです。そこに太いビニール管を通らせ、入り口と出口に扇風機を設置すれば、天然のクーラーの出来上がり。
我が家は、幸いというか粘土質の土壌で地震には強いのですが、1メートルも掘り下げるなんて、ちょっと無理。

le 2 jeudi
//今年は珍しい// ここまでお盆の予定が未定なのも。  そもそも例年、お盆は山小屋で二泊とかの山登り。そんな相棒も、今年は、おそらく今年からは無理なんでしょう。  

僕の信念として、友達であろうと誰であろうと、こちらの人間で結婚した者に対しては、僕からは一切連絡はしない!と誓っています。既に何人かいます。大の友達だったのに、結婚してから見事に音信不通になりました。 それは友人としての礼儀だと思っている。彼は住むべき世界を変えたのだから、用があれば連絡してくれれば良いと、その程度に思っている。

だから、山のお伺いをこちらから申し出ることもありません。毎年行ったのに、今年は行かないの〜?とは連絡しないのです。  そして、今年からは、もうそんな話は無くなると解釈しています。

誰かと居たりお喋りするのも好きですが、僕は一人でいるのも大好き。
今、考えているお盆の予定は、あの白水湖のキャンプ場に2連泊!しようかと思っている。

キャンプ場に一人泊まること、皆さんは驚かれる。ナニソレ、と。
しかし、僕からすれば一泊程度では、優雅なる孤独の一時はあってないようなもの。  ここは携帯も通じなければ、集落も無く、一本の生命線も夜七時からは閉鎖する悪路。  こんな環境に、特に話す人もいなくて二泊三日。実に素晴らしい。   


誰かから避けるようにして山奥に一人。
その一方、諸々のお誘いもある。


人間の心的バランスはどこが理想的なのかは知りませんが、
頻繁に孤独な時間を設けることは、僕にとってとても大切な栄養源。

le 1er mercredi
//鰻という不思議な世界// 最近、特に関心を寄せる食材・料理に鰻がある。それは好物なので、もっと旨い鰻屋に行きたいと欲が湧く一方。  

そもそも、鰻は高いといわれますが、僕はそうは思いません。鰻って、天井は低いと思うのです。

例えば、焼肉で美味なる肉を追求したら、行き着く先は何万もする。寿司も、同じような世界。  しかし、高級な食材・料理と持てはやされている鰻は、天井は意外と低い。  格安な鰻が出回らない反面、天井も低い。


時に肉や寿司の世界では、ネタにモノを言わせ法外な値段も設定するけど、鰻は、高級なネタといっても、せいぜい浜名湖や一色などの国産。
あとは焼き加減など店の技術で、他と差をつけざるを得ない。そんな努力を味わえるという、とても美味しい料理でもある。

あ〜、美味しい鰻探し、してみたいわ。
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