aoút.2008


le 31 dimanche
//自宅にて// 天気も晴れ渡りましたが、本日も家でゴロゴロ。昨日買ってきた器の使い心地を試す。  そもそも卓上中国茶一式揃えの茶杯が、畏まり過ぎて使い勝手が良くない。お猪口のようなサイズでいちいち飲むのは自宅向きでは不便。  そこで感じの良い湯のみを探していたわけです。 茶海に使っているのが黄瀬戸の抹茶茶碗。  瀬戸を巡っていたら、同じ造りの湯飲みが売っていて、新しい茶杯にしました。  同じく織部の作風の湯飲みも購入しまして、これから使い分けるつもりです。


瀬戸で飲んだ二回目のコーヒーが不味く家で作り直し。
好きなカップに豆も惜しげなく。
ただ豆が酸化していて失敗。
やはり古いものから使わなくてはなりませんので、あと4-5回の辛抱です。

le 30 samedi
//冷たい雨// こういう冷たくてしとしと降る雨は情緒的で好きです。
前日の酒もたたり正午まで寝ていました。

お昼から小さな旅を一つ。愛知県は瀬戸市。
近すぎて未開の地に等しかった瀬戸市をブラリ歩き。
訪れる観光客も閑散としていて、のんびり巡るには心地よかった時間です。
読みかけの分厚い本を持参し、器を見てはお茶を頂き本を読む。

今回は、ごく限られたエリアを散策しましたが、次回は赤津とか市の蔵も見て回りましょう。

36で白髪も爆発的に増えました。早老化現象でしょうか。
今年、時に顕著な傾向としては好きなものへの探求という次元から、情緒の収集に趣味が変わっています。

好きなもの。それがとても静かなものに変化し、とても大切にし、なるべくなら囲まれていたい、そういう欲求です。

le 29 vendredi
//空気の方が少ない??// 146ミリでしたっけ。そんな雨の中外にいると、呼吸困難になるのでは?? 大気中のほとんどが液体という、手品のような世界。
こんな雨に対処する堤防作りとかは、もう限度を超えているような気がする。要所要所にもっと安全な避難所を作るほうが現実的なのかもしれません。

明日も雨だ。数年続いた一人キャンプの年中行事も今年は中断。

le 28 jeudi
//雷ゴロゴロ// 近そうで怖い。飼い主にも平気でウウウウーと唸る可愛い無垢ちゃんも今日ばかりは怯えています。変な天気が続きます。

雷の音にかき消されれば良いのです。
好きだと思う人に、その旨を伝えることは出来ない。
そのまましまって消滅すれば気も楽。

一人では、物凄く強く生きる術を手にしたけれど
僕の傍に誰かいるなんて怖くて想像もできない。

でも、このままではいかんと思うし、このままでも仕方ないと思う。

山奥の旅館で、ヒグラシを一緒に聞いてくれる人。
それを求める不純にも嫌気が指すけど、僕の希薄な愛の感情というものは、今のところその程度で打算なものに支配されている。

le 27 mercredi
//後輩のお兄さんは同い歳// 結婚はしていないようです。ノンケさんです。お盆に実家に行けば、靖国神社に参拝しに行くと独特な格好で奈良県から出征。その兄は、多数が進んだ波には乗れず、階層的には不安定。どうも、職が不安定で結婚も出来ず、精神の安定性を求めるがため愛国の獅子になったようです。とても心配していた弟の話。
ま、僕も親からすれば心配の種ですが。

これは持論ですが、納税の義務を果たし、社会の規範を守るのが愛国であって、声高に叫んでも社会システムの役に立たなければ意味が無い。

不安の代償から発生する愛国など、屁ですよ、屁。

//そのヒステリックな姿は、、、// 曲解、思い込み。きつい言葉の羅列で相手を非難し、自己の信じるものの正しさを訴える。  しかし、それは誰が読んでも一方の勝手な思い込み。  そこで思ったのは、その人たちの教義には【寛容】や【愛】はないのだろうかと?    違う意見をねじ伏せることに意味があるようで、宗教が本来持つべき他者への愛が微塵も伝わらなかったのは良い発見になりました。 その信仰が深まれば、あのように刺々しくなるものかと。世の中で広く噂されるその異質性を本人自らが証明してみせた瞬間でした。

le 26 mardi
//泣きっ面に蜂// 某市中金融屋の前に急いで車を停める男が一人。この間、警察がレッカー移動。金を借りたのか返したのか、店を出たら新たな出費。  その一部始終を見せてもらいましたが、人間って没落の域に足を突っ込むと、不幸が不幸を呼ぶ連鎖。

余裕がないから、慌てて違法駐車をする。
これは生活の他の場面にもあると思う。
余裕がないから、「ありがとう」がいえない。
余裕がないから、寛大な気持ちになれない。

結局、余裕ない人には、素晴らしいお誘いや他者の笑顔とか、そういうプラスの接近は遠ざかるようで、幸運も逃げていく。


人は、予期せぬ頓挫で借金を抱えるかもしれない。ただ、知る限りで言えば、同情できる人を上回る能動的な債務者は多い。欲に打ち勝つことが出来ず、膨らむ一方。

皆が等しく農地を分割され自給自足を迫られたなら、生きるがために、無駄な享楽は排除すると思う。カロリーを均等割する節制。

le 25 lundi
//年中行事中止のお知らせ// 天気が悪そう。なんか続きますね。次の週末は、大白川野営場でキャンプしたかったのですが、前に集中豪雨で死ぬ思いをしました。天気が不安定と読める場合は絶対に行かないことにしたので、今シーズンの宿泊は無理となります。  とても素晴らしいキャンプ場なのに、行く日にちがありません。ちびっ子の夏休み期間中しか営業していないのです。

何事もそうですが、出来るときにするべきだと。


八月の気温の下落幅はガソリンの先物のような感じで顕著です。
夏も終わり。皆が認める最近の陽気。

ひしひしと良かったと思う出来事は、山梨の民宿で耳に入ったヒグラシの音。今年は足助町で録音にも成功しましたが、山梨での心地は本当に良かった。
そういう夏の山奥の宿で聞くヒグラシの音を、欲を言えばもう少しあっても良かったと思いますが、この夏は終わりました。

le 24 dimanche
//欲の根源// 祈る真剣さの違いはどこに???  どうも僕は解決したい問題、窮地を払いのけることに真剣な祈りを捧げ、残るは無欲な世界。

欲に基づいて祈っても良いと思うのだが、沸き立つ感覚がない。

人に祈りの容量が一定なら取捨選択も真剣ですが、こればっかりは祈るか祈らないかの違い。真剣さの違い、時間と回数の違いだと思う。

確かに祈りは体力の要ることです。力んで祈ってはダメですが、瞑想であっても、実は体力と精神力は消耗します。だから下らないことまでは祈らないのでしょうが、もう少し防御的なものから拡大して、欲に基づいた祈りを捧げても良いと思う。

やはり、そのための時間の確保が大前提だと思う。

心静かに祈る時間といえば、朝の地下鉄か、平日の夜少し、そして日曜の夜だけ。  もっと安定的な時間を毎日のどこかに持ちましょう。

日々のどこかに敬虔なる時間を持ちましょう。

le 23 samedi
//夏日でもない// 25度にも達しない名古屋。10日前、富士山に登りましたが、この間の気温の下落には驚きます。

こういう肌寒い雨の日も好きです。
ベッドの中に入って、ラジオなど聞いて寝るのは僕にとっては情緒的なもの。
陰を楽しむ生活です。

le 22 vendredi
//これが焼津なら// 仕事帰り、贔屓の焼肉屋が満席だったので、色々と徘徊。やはり金曜の夜はどこも忙しい。  辿り着いたのは回らない寿司。
回る寿司よりは美味しいものの、同じ金額(一人8000円)を払うのなら、焼津だったら、満足の域に達しているはず。

焼津に行こうか、諏訪に行こうか。
はてまた新しい町に行こうか。

le 21 jeudi
//う〜お〜あ〜え〜い〜// チベット仏教の寺院とか日本でも同様ですが、お坊さんが皆で経をあげる。あの響きは「倍音」と呼ばれて、何かしらに良いらしいです。未だに倍音が何に良いのか分かりませんが、あの響きは人を陶酔させるのに通じるのかもしれません。 読経のような周波数で、う〜お〜あ〜え〜い〜  耳を澄ませば、高音(倍音)の響きを感じるかもしれません。  ただ、それに成功したからといって、それが何に良いのかが分からない。

何に良いのか分からないけれど、あのスタイルを押し通すには、何かしらの良いことが含まれているはず。

自分が思うに、う〜お〜あ〜え〜い〜  読経を真似て発音すると、口腔や肺を中心に微震動が発生します。それは脳にも伝わるのですが、あの微震動が瞑想とか精神の安定とかに通じると思う。

le 20 mercredi
//お盆過ぎたら// 夏の暑さも一段落といいますが、顕著ですね。もう35度を突破する日もないでしょう。  この夏、35度以上なんてのはザラにあり慣れてしまった感もありますが、この夏に二度ほどあった39度に近い夏の日は、かつてない暑さの到来で、別の感覚を感じたものです。  あのような狂った暑気ももう来ないでしょう。  太陽の角度は正直です。

le 19 mardi
//夏の疲れが堰を切る// 富士山の疲れではなく、夏バテのようです。夏の盛りではなく、暑さも一段楽して、このえらさ。

//情緒さえ、千差万別// 僕の好きな情緒は、聴覚・視覚に訴えるものが多い。NHKラジオ第一放送の23時台のラジオ深夜便の情緒も好き。岐阜ラジオの平日朝10:10〜からの情緒も好き。三重テレビの情緒も好き。

岐阜ラジオのそれは、毎回、地元レポーターが県内各地の観光案内をするのですが、これがまた深い内容で大変に宜しい。最近はなかなか聞けないので、タイマー録音して、録りためたものをBGMにして流すのも僕としては情緒的。

同じ延長線上に、最近、へピーローテのヒグラシの音もあります。

何に情緒を感じるか。
それは、とてもさりげない物であって、隣の人間が必ずしもそれに心奪われない。とても個人的で個性の一つ。

説明するにも手間もかかり伝わらない可能性も大。

ここで、そっと打ち明かす情緒の数々。
これからも、少しづつ情緒のコレクスィオン。

le 18 lundi
//lcv// 僕の趣味は、かなり変。変ですが分析すると、自己流の情緒があり、それをコレクションしたい欲求があるのです。

もう何年も前にCSを繋いで電気ポットを部屋に設置したのは、ホテルの部屋の再現。その情緒がある自分の部屋。

とても変な告白になりますが、僕は年に何回か諏訪の温泉旅館に泊まります。その湯と旅館の雰囲気も大好きなのですが、よくよく考えてみると魅せられる理由は地元ケーブルテレビ局。   このテレビ局をBGVとして流し、布団の上でゴロゴロ。なんともいえない情緒です。

ただ、名古屋ではlcvを見ることは不可能。
ネットのオンデマンドもその日のニュースのみ。

そこで考えたのは、dvdレコーダーを持って諏訪へ。
一日、録画しまくる。
そうすれば部屋で何気に再生するだけで、僕の好きな情緒の再現になるのです。

僕の好きな情緒は他にもあります。それは明日ですね。



le 17 dimanche
//意識は変えられるか!?// 平穏な日々>>>>>>金運
例え、金持ちは素晴らしい!という本を読んでも、感銘を受けるのは一時的で、やはり平穏な日々が上位を占めます。

これを逆転させるためには、脳の神経回路の変更が必要となるわけですが、それは個性の変更のような根源的な問題かもしれない。


これまた聞いた話ですが、水の嫌いな子供たちの治療を、過去にさかのぼって原因を追究したら、前世に辿り着いたという話もありますが、そこまでの根本治療が必要なのでしょうか。


金回りも良く人望もあり、それでいて無事平穏な日々。そういう祈りの文句の変更が必要かもしれません。
心静かに祈り、訴えかけることは、脳に新しい考えの道を作る方法の一つだと思っています。 
この線で言えば、祈りとは、祈りの文句は、物凄く科学的であり、下らない事を祈ると、とんでもない災難に見舞われると答えを出すことも出来ます。


例え、共産主義者でも、今風な無神論者でも、日々、無意識のうちに祈る行為は多々あると思います。
地下鉄間に合えよ! これも祈り。
未来に対して、そうあって欲しいと、少しでも思うとき、それは祈り。
人間は無意識のうちに祈る。

たぶん、祈らないよりも、祈る方が成功する確率が高まるからでしょう。

祈りには効果があると、僕は信じています。
要は、祈り方。この無駄のない方法。

新しい意識が、太い神経回路として成立したとき、
手のひらに新しい皺が出来ているのかもしれません。

le 16 samedi
//統計学// 持論ですが、聖書や仏典、コーランは信じるに値するのは統計学上証明されていると思う。  役に立たない草を人間は何千年と煎じて飲まない。  やはり信じるに値する効用があると、莫大な人間の歴史が証明していると思うのです。故に、聖書や仏典、コーランは宗教書として読むよりも精神衛生上の書として、一度は読むべきだと思うのです。無神論者でも。

さて今、頭を悩ませているのは手相。
これも統計学だと思う。しかし、それは健康に関する統計学だと思う。
何故、手相に金運の強弱が読み取れるのかが僕には説明できない。
商売の方法が上手いという才能は、一つの健康の指針のようなものなのか!? 商売の才能に、何かの臓器が関わっているのか!?
また出世運も説明が付かない。

いやまてよ、結婚線。子孫を残そうという意識に欠ける人は、手相に出るのか?  内臓の何かが弱いと、子孫を残そうという意識に欠けるのか!?
それなら説明も付く。

この線で言えば、内蔵の何かが弱いと「金」に対する執着心に欠けるのかもしれない。だから出世も金も縁遠い。

今簡単に内臓といってしまったが、狭義の意味での内臓ではなく、ひょっとして現代の医学上では分類されない精神的な臓器も皺に作用するなら、手相も統計学的に信頼できるような気がする。

その精神的な臓器は、やはり脳の回路だと思うのですが、ある部分が発達すると、手の皺に現れる。それは内臓の働きが強いか弱いかと同一線上の問題であり、人間は全ての健康・心理状態を手のひらに描写する本能的なものがあるのかもしれない。

つまり、犬は、そのお尻の匂いで多くの情報を読み取りますが、人間は本来、手のひらに、その人の須らくの情報を顕在化させるのかもしれない。

この線で話を進めましょう。

祖母の、帰還した兵士の、オリンピック選手の、東大生の、赤ちゃんの、
手のひらを両手で抱え見てみよう。

手相を見るという技術以前に、人間は本能として、その手のひらに、物凄く多方面に及ぶ情報を汲み取ることが出来るのかもしれない。
愛する人の手をとって、じっくり見れば、それは犬のお尻の匂いと同じで、じわじわといろんな物事がイメージされるのかもしれません。


先日、詳しい人に見てもらいましたが、
●健康には問題はなし。
●金運はまるでダメ
●出世運もてんでダメ

とにかく社内では忍従すべしと。
出世も、金回りも良くならないけれど、耐え忍ぶことがベストだそうです。

●頭脳は明晰らしい
●そしてエロイ


その人曰く、今も未来も同じこと。
このように生まれ育つ運命として生を受けたので変えることは無理だと。



かなりショックでした。
金運。出世運。
その皺を顕著にするためには、上記の論法で攻めるとなると、
やはり、そういう「欲」が顕著であるべきですが、

実を言うと、金運も出世運も、無事平穏な日々の遥か下位に存在しているのは確か。

貧乏なまま一生を終えるのは嫌ですが、平穏ならそれで良いと思っているのも確か。

ここまで来ると意識の問題になります。

つづく

le 15 vendredi
//そろそろ// お盆明け、最初の週末を考えねば。   僕は、お盆は山登りで、それでおしまい。   お盆明けの週末に、どこか個人的に旅をします。

大白川野営場か、毒沢鉱泉か、地方都市で過ごす週末か。

読みたい本があります。どこにでも、その時間はあります。

大白川だと、テントを張り、炭火を熾して自炊の楽しさも味わえる。
準備が大変ですが、なにせ格安。

毒沢は、湯治場。それなりのお値段はしますが、あの静かなる環境が好き。

地方都市が、一番、本を読む時間はなさそうですが、夜ブラリ歩きして好きなものを食べたり酒を飲む時間は楽しい。


まっ、本を読むのなら家でもできる。
庭で炭火を熾すことはできる(←蚊の大群もいるが)

//つづき// トンボが飛んでいる。今年初めて見るな。風も吹き始めた。
太陽周辺は、ますますオレンジの色彩を強め、振り返れば青空は残っているものの、目の前は夕暮れが濃い。

結局、小一時間座っているだけで夜が近づいてきた。涼しい風が吹き始めているが、相変わらず奴の家は、逃げ場の無い夏の熱気が篭っているのだろう。 俺は、錆びれたベンチから立ち、少し離れたところにある内側へ降りる階段を下り、再び車に乗り込んだ。  既に、ギリシアの旅行なんて当の昔に終わっているのに、こうやって度々会っているのが、俺らだ。



食事は先に済ませてくれといわれたものの、特に食べることなく合流した。
今日は、そのあとに別の友人とお茶するとのことだ。やはり、奴の死は、地元でも話題であり、知るべき者は、言いたい事と聞きたい事の交錯が激しく、お互い整理しあうのだろうか。


初めて会うその人は、遅れたことの侘びと挨拶を同時にし、彼とは再会を喜び合う。その一連の流れは一分もせず終了し、その人は言う。
「これでお金も戻らなくなったわけね」
「お前も貸していたのか? 俺は二万円だけど」
「正直恥ずかしいわ。10万。返ってくると思ったけどね」

奴は死んだが、悲しみよりも消えてしまった二万なり十万のほうが第一の関心事であるようだ。  聞く俺にしてみれば、少し可笑しい感じだが、金の無心は手広くしていたらしい。  

思い当たる節はある。奴は、家庭内での辛抱と引き換えに、他の全てに辛抱が足らず、「好き勝手」は目を覆うばかりだった。 車に乗っては、周辺の迷惑を顧みず停めたいところに停めるのも奴だったし、タバコの吸殻は例外なく窓から捨てる。その一連の流れから、欲しい物があるから欲しいし、金が足りないから、街角で金を仕入れたのではないだろうか。 

奴は家庭に戻れば不憫だった。視力の衰えた母親に酒乱の父は暴力を振るう。奴が間にいて目を光らせていれば、大切な母親も少しは守れるものの、その忍耐に耐えかねたとき、久しぶりに就いた仕事のことなど関係なく家を飛び出し、何日も戻ってこない。その行き先が俺だったときもある。不憫な奴に同情もできるから、死んでも忘れられないのか。
俺が奴と絶縁する頃には、奴の母親は殴られた後遺症の弱視に加え鬱病も併発したとのことだ。母に連れ添う奴も、しばらくのうちにその医院の患者になったのは、優しく母親に語り掛けてくれる医者の姿を見て、何か感じるところがあったのだろう。君は必要ないから、と言われても、アレコレ不調を言い処方されるのを何よりもの楽しみにしていた異常な姿の根源は、男性への甘えであったのかもしれない。

その人は言う。
「聞いてもらえる。10万ならまだ目も瞑れるわよ。私の知るところでは、あの人、そう、あの饅頭屋の彼、180万よ」
聞けば、地元では有名なあの和菓子屋の息子が被害者だそうだ。仕事中、いきなり尋ねてきて居座るものだから、裏で待っててくれと、当面の客の相手をしている間に、見事にしてやられたそうだ。
その言い訳の酷さに、その人も興奮気味だ。
「聞いて唖然としたわよ。私もね奴とは付き合わないほうが賢明だと疎遠にしていたの。そうしたら奴から電話がかかって来て、どうして無視するんだって。そんなことどうでもいいじゃない!と言ったら、それは饅頭屋の180万のことだね、って。それは私とは関係のないことですって!だから私が無視するのは不当だと言うのよ。なんか慰謝料みたいなことを言っていたわ。メールだったら証拠に残るったのにね。残念!」
「でも、警察には届けたんだよね」
「警察には届けたけど、やはり全く知らないうちに、って言うしかなかったみたいだよ」と彼は言う。。。。
「そういう弱みに付け込むところは、他でもやっていそうね」
確かに、彼の二万の無心も、突然尋ねてきて「解決」するやり方だった。

「私の10万?  大阪に仕事が見つかったから、当面の資金として貸してくれって。私も馬鹿だったわよ。でも、仕事さえ見つかれば、少しはまともになれると思って期待していたのも事実よ。お気の毒な家庭だし、アナタ、知ってる??」
そう問い返されたが、実は初心者地味た顔の裏で、その人よりも知っていると自負している。
彼が、そのあたりを説明してくれて、何年か前は誰よりも仲の良い友達だったと言ってくれた。

「そう。じゃあ、アナタも何か話しなさいよ」

「えっ。 ま、俺も、奴と付き合うのは控えた方が良いって周りから言われて、それで奴とのトラブルをきっかけに縁を切ったよ」
「何よ、そのトラブルって」
「俺も10万」
彼はキョトンっとしたが、程なくして三人が笑う。
「あー、そう。アナタも10万。可笑しいわ。  で、戻してもらったの?」
「ま、なんとかね。俺も大阪行きで出したけど、半年の期限が過ぎても帰ってこないし連絡もないし、大阪に取りに行こうかと電話したら、とっくの前に戻ってきたって言われてさ、頭にきたよ。で、今から取りに行くからって言ったら慌てていたけど、次の週末には返してくれたね」
「じゃあ、アナタの10万は私のかもしれないわね〜〜」
また、三人が笑う。


帰り際、彼を家まで送る車内で聞いてみた。どうして饅頭屋の話をしてくれなかったの?って。
手を回す彼は、饅頭屋の彼は、実はタケちゃんだったから、と、全く驚いてしまった。そういうプライベートなこともあるし、だから俺は、それ以上聞かなかったけれど、彼の手はまだ止まらない。


le 14 jeudi
//国威宣揚// 台湾の新高山が当時の日本一だとしても、心の最高峰は富士山。  そこに人智を上回る何かがあるのだと信じ、信仰の山になる。

山頂には、【国威宣揚】や【敵国降伏祈願】など彫り込まれた石がある。戦争勝利を神にすがる。

それにしても火山性の地形は飽きさせません。
ただ、もう一度登るかと聞かれれば、何かの特別な事情でもない限り、しばらくは遠慮願いたいものです。  あの果てしなく続く下りは、足にきます。辛かった。

le 13 mercredi
//富士山に登る// 毎年お盆にある大型山登り。今年は富士山。一度は登ってみたい富士山。さらに僕を後押ししてくれるものは火山の富士山。火山は大好きなのです。  詳しくは、後日、特別頁を編纂します。

13日は、日付が変わるまで5合目山小屋風情で仮眠。

le 12 mardi
//つづき// 処方される薬の中には、睡眠を誘導するものもあり、奴は、それを利用したとのことだ。

彼は言う。大阪では、、、良くあることだが、相手を眠らせ、当面の資金を調達する、と。 そしてこの街に居るには危険と判断したとき、奴は俺の背後に舞い戻る。その繰り返しが何度もあったそうだ。

もはや、可愛いと、好きな物を買ってくれる相手など存在せず、人を眠らしては、生活費を工面していたそうだ。  狙いを定めた施設にしばらく居座り、また次に移る。悪い噂が立つころ、戻ってくるのだから、奴にとっては、簡単な出稼ぎだったのかもしれない。
俺が聞くに、彼は、この町と大阪のピストンは10回はあったという。何だか訳分からなくなったが、どうやら人生の終わりがけは、大阪に小銭を稼いでは舞い戻る繰り返しだったのか。俺の知らない加速度的な破綻に唖然とする。





奴は、定職にも付かず安定した収入がない上、居場所も定まらず、現代情報社会の窓口は携帯の画面が全てだった。  俺らがPCと併用して情報を共有し利用するのに対して、奴は携帯がすべてだった。

この濃尾平野の端に戻ってきても、大阪と同じ手法で当座の資金を工面していたのは、サイトに出てくる顔写真で容易に判明する。
その顔写真に期待する効果がない場合も多いのか、文字のみの訴状も多々ある。  それが奴と判別できるのは、年齢の上下は無視したとして、やはり、背格好と住んでいる場所を知っているのが大きい。  また、顔写真で使用したアドレスを、そのまま文字のみにも使っている場合もあり、奴らしい場合と、奴であると断定できる場合の二種類がある。  それに携帯のみでアレコレ試行錯誤している者にとって、PCの所有者は、その意識さえあれば、思いのほか簡単に掌握できると、それは俺と彼に共通する認識でもある。奴の動きが気になる者は、絶縁していても、ネットは容易にその行動の輪郭を浮かび上がらしてくれるのだ。


それは酷かった。この町に戻ってきても、もはや真面目に就職するという意識はなく、とくかく誰かと接点を持とうとしていた。  度重なる、意味ありげな文句は、全うな出会いとは別物である。  奴の好みから、到底相容れない年齢の方を求める文句を見るときなど、真面目に働かない者の末路が、あまりに顕著で寓話的でもあり、やはり見る者にして飽きさせない。




彼が教えてくれたところによると、奴は地元にいる頃、車を売却したとのことだ。  この田舎にあって、それがどれだけ大切な足回りかは知っているものの、何かに迫られるように売却したそうだ。  

「生活費のためではなく、返済のためだったと思うよ。俺にも売却先を急いで探してほしいって頼んできたからね。それで40万円くらいの良い返事が有りそうだから、車の売却はしばらく待っていてよ、と頼んだのに、奴ときたら、勝手に15万円で自分で探した男に売ったんだよ。だいぶと焦っていたんだね」

奴の売りに出した車は知っている。奴は負債までも抱え込んでいたのだ。


le 11 lundi
//つづき// 最末期の大阪の話らしいが、一年近くは住んでいたようだ。既婚の彼の家に夜、突然訪問し、話したいことがあると呼び出したのは、大阪行きを告げる決心と、金の無心だった。
あんな奴に金をあげたのかと聞けば、やはり突然来る不気味さから、たまたま財布にあった二万円を手渡し、今後、二度と会いに来なくてもよいという旨も添えたそうだ。その時の心情としては二万円で永遠に会わなくても済むのなら、それはそれで安いと思ったそうだ。

実際、奴の姿をその目で見たのは、手切れ金を渡したのあの夜が最後だった。


はやり、全てが変われ!と大阪に行ったのだろう。しかし、組織的商業的男娼行為のサービス提供員になるには、童顔を無理に維持したあとに現れる独特の老いの不均整も手伝い、到底無理だったとは、手切れ金に見る奴の表情から、十分な哀れが伝わったそうだ。

奴は生きるために、暗がりを選び、当座の資金を工面したのだろう。


東京杉並区から。23歳。大坂に来ています。優しいおじさまから色々と案内してもらいたいです。


その文面に大坂での困窮が伝わる。それを発見したときの、特別な微笑。
奴と絶縁してからも、俺には分かる奴の憔悴。
23にしては無理過ぎ、その生きるがための必死さが、堕落した生活の当然の姿のようで、やはり微笑んでしまう。

巨大掲示板にも、その無理さ加減を指摘する声もあり、とにかく飽きさせない奴だった。




考えるに、大学を卒業して働く、その最初の働きやあり方が、その後の生活を決定付けるのだと思えてしまう。
奴は、勤労の継続という大切な体への刷り込み時期を、最後まで持たず、唯一の成功モデルは、大坂での組織的商業的な男娼行為そのものだった。意味のある働き方は、まさしく、この狭いエレベーターのビルの一室に存在し、その時の奴は誰よりも輝いていた。 可愛いと褒められ、好きな物も買ってくれた。  

大坂に行けば、全てが変わる。この視野狭窄的な発想を終生持ち合わすことになった、初回の大坂での華やぎ。



可愛くなければ意味が無い。
可愛いから、お金が入り、好きなものまで買ってくれる。

30代後半の、その醸し出す全ては、見る者に、不気味さと愉快さを与えてくれる。意図的に不鮮明にした、23の無理から、26に。そして21や20と、元童顔は必死だ。







可愛くないと知らされたとき、奴は犯罪に走った。










奴は精神の病から処方される錠剤を、時の友人に自慢しながら飲むという奇怪な行動をしていたのは、俺も知っている。まるで破綻型人生の免罪符とでも言わんばかりにだ。
時は既に、奴をして組織的商業的男娼行為に組み込むのも無理がある頃になり、この時の収入といったら、私娼行為に期間の短い仕事をいくつか。
時の友人は、仕事さえ長続きできれば彼も救われると色々と助言もしたが、聞く耳は持たず、その錠剤と自分との関連性を長々と述べ給う。おかしなことは、その錠剤はもっとも軽度の症状向けという一言だけは、毎回必ず忘れることなく念押しするのだった。

le 10 dimanche
//読んでは寝るの繰り返し// ヒグラシの音を一日聞きながら、天龍村史を読みふける。この落ち着く音に誘われて、途中何度寝たことか。
寝ては起き、本を読みまた寝る。

外出は夜の八時に一回のみ。富士山の準備にドラックストアまで。

明日明後日と仕事。
なかなか課題も山積していますが、それもまた須らく最善の形で素早く解決されます。


休日の予定をアレコレ考えていますが、人間の基本は勤労か勤勉。
将来を考えれば不安になる人も多いはず。
ただ、勤労は人を裏切らない。
万全とした不安に対処したいのなら、勤労が受け持つでしょう。

転落する者に共通するのは、労働を甘く見ていること。これは僕の経験から、今のところ例外はありません。

労働を甘く見ている者は、時は前後しても必ず没落しています。
その仕事が面白くなく転職を考えているのなら、真剣に考えればよい。
「働くことが嫌だ! めんどくさい」と考えている者は例外なく没落しています。

当たり前のことです。

太古の昔、人間は生きるために狩をし、知恵が付き始め農業をした。
それと同一線上に労働があるだけで、これは現代社会において人間が生きるために、狩と同じく根源的に大切なもの。

それを甘く見ている者には、必ず没落が訪れます。

le 9 samedi
//宿題を二つ// 今がガソリンの最高値というのに、贅沢にも一人ドライブ300km。   ヒグラシの音を録音し、天龍村史も買いました。どちらも名古屋にいては手に入りません。

天龍村史は、中井侍はじめ斜面集落の情報が無いか、最後の頼みとしている分厚い二冊。

一人のんびり贅沢な時間を過ごしました。
さすがに家に着くと睡魔に襲われ、寝てしまいました。

ヒグラシの音は良いですね。
心は落ち着くし涼やかになるし。

le 8 vendredi
//一万円渡して帰りました// 仕事帰り七人で飲み会。こういうビールだけが目的で、あとはどうでも良い感覚の飲み会って大嫌いです。
どうせ二次会三次会もあるはずですが、とてもじゃないけれど付き合いきれないので一万渡して帰りました。

やはり旨い料理と酒を楽しみ会話が弾む。
酔うためや騒ぐために仕事帰りの時間を費やしたくはありません。

そういう傾向は、ここ数年、顕著です。

le 7 jeudi
//音のコレクスィオン// 入社一年目、ヨーロッパを旅したとき、空港や機内の音などを録音しました。帰国後、聞いてみると、暇つぶしによく、懐かしい。

それから何年も経て、二年ほど前、デジタル録音機を買いました。それ以前にもMDで、焼岳の樹林の音や、誰もいない朝一番の高山線の音など、なかなかのコレクスィオン。デジタル録音機は、MDの録音もできるではなく、録音専用機器。マイクの感度が素晴らしい。

いろいろとコレクスィオンが溜まります。
ただ、声を大にして言いたいのは、人の会話とかは隠しどりしません。
僕のコレクスィオンに人の会話は大敵で、そんなのが入ると作品はダメになる。高山線の音の風景も、わざわざ誰もいない朝一番を狙ったし。

そのような作品の中で、ムーンライトながらの音の風景があります。
夜行列車です。名古屋から乗り豊橋まではアナウンスがありますが、その次は「まもなく東京」
この間、聞こえてくるものといえば線路の音。鉄橋に差し掛かり音が変わったりトンネルの中。

寝ながら再生すれば、目を覚ますころ東京になります。名古屋ですが。


当面の残る課題は二つ。
ヒグラシとトンビの声。どちらも心に染み入る聞くに飽きない大好きな自然の音です。

le 6 mercredi
//雷// 今年は雷が多いです。ただ、雷鳴や光は見聞きできても、名古屋の場合、雨がほとんど降りません。焼けたコンクリートの街を冷やすのには全然足りません。

この前の御岳登山。静岡か関東平野か、あの辺りの平野部で熱せられた空気が、入道雲を形成しているのが遠くからでも判別できました。

地表面が暑くなり、空気は上昇。

よく分からないのですが、今年、雷が多いのは、
地表の熱が、あまりにも暑くて上昇気流が顕著。

寒気の流入と言うより、暑過ぎる地表面が、雷を生成する十分な温度差を生み出すのでは??と思ったりもした次第。

le 5 mardi
//びっくり// 契約しているサーバーの容量。85%の使用。もっと残りがあると思ったのに。  今のところ、容量の関係で過去のupを削除なんてありませんでしたが、今後、そのような取捨選択も迫られるかもしれません。

この日記のスペースがあるのって実にありがたいです。旅の予定を組み立てたり、何かしら小説じみたことを書いたり。これをmixiでするとなると友人すべからくに公言だし、かといって一人ノートに書くとなると何の緊張感も無い。
誰かが見ているようで、それが定かでないこの場所にアレコレ書くのは、自由に少しのスパイスを振りかける大切な頭の体育館。

le 4 lundi
//つづき// その大阪が辛酸極まるものだったら、奴の命は継続していたかもしれない。 

 仕切り直しと称して旅立った大阪は、全くの当ても無く、当座の資金は名古屋の映画館でこしらえた一万と七千円ほど。
全てが変われ!!と近鉄特急に乗り、難波へ着いたものの、その日の夕方には梅田の北辺りの狭いビルに入ったとのことだ。聞けば、雑誌の切り抜きはあらかじめ用意していたという。

「可愛い子が入ってきたよ」と店側の驚きを、面接を前に耳にし、瞬く間に二番目の稼ぎ柱になった。

「どうしても一番目にはなれなかったけれど、ライバルでも無くて皆優しかったよ。バーベキューもしたし、今でも、また来いって言うし」
奴は、そのとき買ってもらった、ブランド物のバッグ一揃えを、一つづつ出しては、磨きながら色々と話す。

「でも、やっぱりお母さんのことが心配だし戻ってきたんだよね」

彼にとっては、母こそ最愛の人物で、傍にいることで守ってあげたかった。悲劇は、その環境にあり、献身と苦痛に耐えられなくなった頃、全てが変われと、、、、いや、待てよ、大阪行きは三回はあったはずだ。




互いに天井を見つめ、時折、胸の脇あたりに手をやると、話は続く。
酷い話をぶり返す時折の白けも、適当に指を遊ばせれば消え去るのだ。

なんで耳にしたのかが知りたかった。
彼は言う、この話は大阪でも有名であったと。既婚の彼ではあるものの、今でも人づてに伝わるものは伝わるらしい。

ウソかホントか知らないけれど、南の方に位置する、そのような場所で、突然、吐血したらしい。その場に巣くい明日が来るのを待つ常連たちは激怒し、奴は、雨の中を飛び出したとのことだ。 

何かの事件にでも巻き込まれたのかと思ったが、目立った外傷も無く、病の果てが、暴風雨の中、揺れる街灯に照らし出されるアスファルトの上だった、ということだ。




「ちょっと酷すぎたよね」 

生前の奴の姿を責める。死に様ではなかったのだ。
そのように、言葉の続きを持っていったのには驚いたが、死んで人は仏にはならない。聞けば、確かに酷い生き方だった。


le 3 dimanche
//つづき// 奴の身に異変が起きるなど、それは時間の問題で想像に難くない。ただ、こうして物思いに耽るがためにやって来るのは、奴の人生を振り返るのも俺くらいと思う、弔いの気持ちもあるからだ。
焼香をあげる、そんな機会もあったのか、それとも失したのか。奴の顛末記を知るのは、それぞれが持ち寄る具体的な記憶の繋ぎ合わせだ。 合掌。



結婚した友人が古い地層で生きる俺を呼び出すなんて何事かと思った。ただ、人間の脳の回転は速く、言わずして奴に何かが起きたと分かる。素行の悪さから逮捕かなにかと思ったが、奴の死を告げるものだとは、さすがにうろたえたよ。
嫁はギリシアに旅行しているという。その話をするために俺は車を飛ばした。その先に抱かれる可能性を知っているものの、俺にとっては両方とも損の無い話だ。



県庁の近くにあるファミレスで彼と落ち合った。

彼は大阪の街角で死んでいるのが発見されたとのこと。
素行の悪さは定評で、誰かから殺されたのか!と即、問いただしたがそうではなかった。
治療を放棄し、街角で倒れたが、その日は台風の接近で誰もがシャッターを閉め、既に死んでからの発見だったという。40に達することなく死んでしまった。



久しぶりに吸うタバコはうまい。西日を正面に受ける夏の暑さだが、俺の影は、奴の唯一の窓に達している。夏もここに来て盛りを過ぎたのか、思ったよりも影が長い。もはや誰も住まなくなった家は、買い手も見つからず、全てを締め切った奴の家は夏の熱気が家に篭っていることだろう。


思えば、誰よりも必死に生きていたのだが、何か大いなる精神の欠損がいつの日も彼を空回りさせ、虚無感だけを与え続けた。加えるなら、育った環境も良くない。それに押しつぶされた一つの命と解釈することもできるが、話をつなぎ合わせた数人の彼らも、自業自得と言い放つばかり。
生き様は、死んだ後々にも放免とはいかず、聞けば堰を切ったように素行の悪さの具体例を何のためらいもなしに教えてくれ、話の結びには、皆、自業自得、撒いた種と言う。 死んで仏にはならないのである。   



俺が奴と絶縁したのは、ある種、計画的だった。あんな奴は遠ざけよと忠告してくれる友人は多かった。しかし、人の噂だけでこの友情関係を清算するのは道理に反すると信じていたし、それはしっかりと表明もした。
ただ、心のどこかで、きっかけとなるトラブルを求めていたのも事実だ。

既に破綻の兆候は見えていて、その全てを通院しているから仕方ないと、精神の病に転嫁していた。それ以前から、労働の大切さを知らず、ちょっとした仕事を見つけては嫌になったと辞める連続。奴が、このような発想に至るのも何となく分かる。それは大阪での楽しき思い出話から伺えよう。


人生を変えたくて衝動的に大阪へ旅立ったのは、俺の知るところでは二回あった。一つは奴の口から直接聞いたのと、俺が見送ったのと。


人生の再起に賭けた舞台は、ウリ専といわれる商業的組織的な男娼だ。奴は元来の童顔で歳を偽り入店。瞬く間に店の稼ぎ柱になったと武勇伝のように聞かせてくれた。


(つづく)



le 2 samedi
//一声掛ける。知っていることを言う。// 御岳のあとは、必ずセットの秘湯「王滝の湯」 貸切かと思いきや、同年代の男性が一人。
声を掛けてみたら話も弾む。村役場に勤める彼はちょっとした観光案内役だ。僕も王滝村は何度も行ったことがあるので色々と話す。そういう接点が話を拡大させ時間も楽しいものに変えてくれるのです。



今回の山登りは、お盆の訓練山行。体力よりも準備の品々の欠品など参考になりました。

le 1er vendredi
//母の懐// 金曜の晩は、車飛ばして御嶽山は田の原駐車場にて野営。テントを張り、その中で寝る心地は、子宮にいる安心感なのか、なぜか一番好きな時間です。そのような孤独の安心感は、毎年一人キャンプという形で好き好んで実践しています。

//濃尾平野が終わる頃、// 濃尾平野が終わる頃、その川は大きく蛇行している。その弧の内側にあって堤防で守られている低い土地に、家屋が何軒か密集している。農業を営む家もあれば、奇異な神を奉る住居兼礼拝所、人は住んでいるといわれるものの、一切の窓を閉めていると聞かされた家など、とにかく行くに不快な空気に包まれる。

俺は、そんな情景が今も存在すると知りながら、それを背後に、来る当てもないバスを適当に待っている。錆びれたベンチと標識は、何時間に一本の寂しいものだ。しかし、物思いに耽るにはベンチはありがたく、一応自然な形をとりつくってくれる。

まさに振り向けば俺の顔も判別がつくだろう。それがもはや俺が俺と知るべき奴も居ないと聞いた。堤防で守られた奴の部屋は二階で、俺の背後の至近に存在する。

(つづく)

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