août.2013



le 31 samedi
//鬼// 鬼なんて生物学的に存在するものではない。なのに鬼の伝承は時代を越えてあるのだから、人間は何かで鬼を感じているはず。
それは、どの時代でも、怒りをコントロールできない者に鬼を見出しているのではないか、と僕は思ったりする。
我を忘れて激憤する者は、鬼。彼の目は憎しみと怒りで鋭く輝き、発する言葉はとにかく下品で攻撃的。彼は鬼。

//鬼を一つづつ食べる人// そんな怒り狂う人間に、どういう因果か接しなくてはならない人間がいるもので、彼に鬼を見出しているにもかかわらず逃げ出すこともせず、時に不快な思いを継続しながらも関係を維持する不思議な関係。思うに、鬼にとって、逃げ出さない者(この場合仏と称します)との特殊な関係は鬼の存在そのものに欠かせない宿主のような間柄で仏がいるからこそ、激憤する鬼も、またなんとか日常生活の枠内に再着陸できる。では、仏にとって鬼との関係は身を削るだけなのかと言えば、そうではない。その仏は鬼から発せられる怒りのエネルギーを取り込み体内で浄化し自身の力(不思議な力)に成していると思うのだ。

鬼は身近に仏がいるからこそ、怒り狂えるのだ。仏が愛想を尽かしたら、怒り枯れ死ぬだけ。鬼は生きるがために仏を呼び込む。仏は、その人生で、多くの鬼と巡り会わざるを得ない。では、どうして一匹の鬼との永続的な関係ではないのかと言うと、鬼は仏に(怒りの)エネルギーを提供したうえで、(命を削りながら)抑制できない怒りを噴出させている。仏に捧げるエネルギーもないような鬼は、仏にとってもなんのメリットもない。仏は見捨て、鬼は鬼としてもはや届く怒りも発する力なく、(人より相当早く)死にに行く。

有体に申せば、怒り狂う人の一生は、やはり最後まで怒り狂うもので、その舞台を提供してるのは仏。仏は聞き役・まとめ役・なだめ役という舞台を提供するだけであって、彼の延命なんて期待していない。仏は鬼に接することによりエネルギーを吸い取るだけなのである。

怒り狂う人は、猛烈な速さで死に直行している。
そして、どういう因果か数多くの怒り狂う人と接する者は、不思議な力を持っていると確信している。彼に恨まれるな。鬼の怒りなんて比ではない。
仏の奥にある真の怒りに恐怖せよ。


le 30 vendredi
//真に自由な金曜日の晩// ところが最も警戒すべき仕事の疲労の一斉解放により睡魔が襲うのも、この時間。理想としては帰宅してシャワー浴びて夜の都市生活者をし陶芸の本やら読みふける。結局、次回にお預けですが木曜日に早めに寝て金曜日の睡魔を防ぐ工夫も必要になります。


le 29 jeudi
//ある人のブログ// これが面白くて帰りの地下鉄で遡って読み耽っています。でね、当時の僕は何をしていたのかと自らも遡って読むと、まあ自分も自分で面白い事書いているじゃない。彼は子ともが産まれたことや奥さんのことを家族の物語なんですが。

明日は金曜日ですね!!


僕の美的感覚にドンピシャリの動画です。
声を大にして言いたい。
美とは、美に非ずして、美





le 28 mercredi
//お洒落情報の収集!!!// ○○焼祭と言っても型押しの量産品は求めるものではない。手造りの作品は今や隅に追いやられている。それを探し眺めるのは好きである。
ところがクラフト市なんぞだと、会場全てが作家の手造り。これは一日いても飽きないのです。
残念ながら、そういう情報はなかなか手に入りづらい。アンテナを張り巡らせなくては。

いかんいかん、話し相手がいないと日記を書いては消すで自分自身と会話している。
思うことは多々あり。どうやって解決していくかを日記にて自問自答して書きながらまとめている。あまりに赤裸々ではないか!?


le 27 mardi
//お洒落に生きるぞ!!!// もちろん平年で言えば、今も立派な夏の気温なのですが、もはや日本の夏は期間も長く4月の下旬に初夏。そして梅雨の一休み。これは春ではないので夏の小休止。梅雨明けの夏は、今に思うと別格で盛夏。暦の上ではと言わず盛夏は酷暑が衰えるまで、今年で言えば5日ほど前まで。そして今は秋めいてきましたが、前が熱過ぎただけ。25度が夏日ですから10月の中頃まで続くのでは。夏は年間の半分を占め、生死にかかわる盛夏が梅雨明けからの一カ月。

さてと、お洒落宣言をしたのは、出歩いても死なない季節になりましたので
各種催しも活発になり始めます。9/14-15はせともの祭ですし、春に並び見て回るのにとても楽しい季節。
作陶から離れるという勇気を持ちまして、遠出する勇気を取り戻して、衝動買いを戒める勇気も持って広く見聞を深めようと思うのです。


le 26 lundi
//週の初日の始業間もなく。。。//叱られた。。。。。

それからというものの頭の中は新しい作陶のアレコレと叱られたことが渦巻いて、なんかパッとしない一日でした。

命にかかわるあの暑さも、そして今、一枚欲しいくらいの寒むさ感じるのも同じ八月。
朝、シャワー浴びるのが夏の週間でしたが、どこかの時点で苦痛に思う日が来るのでしょう。暑い暑いと申し立てていた今年の夏も、まもなく終わるのでしょうか。

秋はいろんな催し物が開催されます。
そういうのをチェックしながら作陶とともに深い秋が過ごせれたならと。


le 25 dimanche
//情熱的に語る// 今日は作陶も取りやめで常滑へ。第47回・常滑焼まつりでしたが、行くのは今回が初めて。やはり常滑。研究所研修生の作品は常滑の伝統的な流れがあり、見ていて飽きず、しかも格安。 もう来年の開催を待つのですが、常滑・陶の森研究所に行けば売っているらしい。 

一つ、急須を買い求めました。その若手作家さんも在廊で20分近くお話を楽しむ。
当初、無口な人だと思っていましたがいざ会話が成立すると、次から次へと彼の作陶に対する情熱が伝わりまして実に楽しいのです。

アレコレ見て回り、次回の週末作陶では、欲しいと思った作品の記憶を頼りに自分で作ってみようと思うのです。

さてと明日から8月も最終週。平日は日に三日、南信州新聞を読み、睡眠時間は多く
新しい季節へ体を慣らしていきましょう。


le 24 samedi
//夏の疲れ// 今日の涼しさは、もはや別の季節です。秋!! 昨日までは平年を上回る酷暑の日々だったのですが。帰宅して、妙に疲れる。今日の疲労を補うのではなく、この夏の疲れを取り払うかのような、濃厚な疲れの放出。季節の変わり目に必ずある通過儀礼。
悪性の疲れには長時間睡眠でもって分解するほかしかないのです。

最新のマダム焼。















le 23 vendredi
//蒸し暑い// 今日は午後から湿度が急上昇。ありえない湿り気具合。
待望の雨が近づいていると聞きますが、夜になっても全然。
ザーーーーっと降って涼しくなるのなら大雨でも我慢します。

さすがに金曜日も帰宅すると、疲れがでます。
昨日は早く寝たので疲労と言うより緊張の糸が解けた緩さからくる疲れ。


le 22 jeudi
//常滑焼まつり//行くなら土曜日だけれど作陶も待てないし。。。。。。。。
迷うけど、たぶん作陶。そもそも暑すぎる。

暑い。38.4だそうな、本日の名古屋。


体温より暑いと、たとえ日陰に居ても皮膚が焼けるような感覚になる。。。。
40度の夏は、今後、当たり前に出現するのでしょうね。
ネットでは温暖化懐疑論もあるけれど、この暑さ説明してちょうよ。


le 21 mercredi
//19:30までに//仕上げましょう。日記。
当分は、南信州新聞を日に三日読まなくてはなりません。
人に言わせると、どうしてそんな(関係ない)新聞をくまなく読むの!?と質問されますが、
これは僕の一つの工夫なんです。
知識の偏りを排する自助努力

ともすれば好きな情報のみに接し、それで世界を語ってしまいますが
この世界は、僕にとって心地良くない側面も現実として兼ね備えていて、あえて見ることをしない日常でした。 でも、世界は心地良い・心地良くないを含めて存在するものであり、偏りなく知るためには、経済紙とかでもない地方紙をくまなく読むことだと。

風変わりは、一人の時間でも、そう。


le 20 mardi
//パパパっと//僕が日記を書く、その時間は平日の夜ならグダグタした果ての寝る前の一時。でも、今は夕食後に。少しスタンスを変えて、日記後から就寝までの時間を大切にしようかと思うのです。

読みたい本は山積みで、標高は隆起する一方です。


暑い暑いと言っても夜には心地良い風が吹いてくるし庭からは虫の音。
そして、これは温暖化ガスの濃度とは関係なく太陽の角度は、確実に衰え始めてきました。


le 19 lundi
//お洒落カフェ!!!!!!// 海外好きな人でも、年に旅行するのは2-3回程度だと思う。
今の僕にとって、海外なんてのは夢と言うより来世の話。現実として、少しドライブを兼ねたお洒落カフェですら、年に1-2回も行けれたら万々歳と言うレベル。
今、土岐あたりの山奥のお洒落カフェで陶芸の本や南信州新聞を集中的に読みたいのですが、その勇気が無い。

するべきことをしてからのお楽しみという考えがあるので、いつまでたっても待ちぼうけ。
良きに付けては飽きるまで。
これは僕の傾倒具合を端的に示す言葉です。
過去にも何かに手を出しては、そればかりをし、やりつくしたら未練もない切り替えよう。

いつの日か陶芸に飽きが来るのかもしれませんが、当分はその兆候さえありませんので、お洒落カフェへのドライブは、40も半ばの話かも。。。。


le 18 dimanche
//律する人は美しい// 今日は座禅⇒作陶でした。
その人は座禅会で見るのですが、まず食と運動で体型を律しているのが分かります。
朝の粥もお代わりを辞退する、なんとまあ律する人でしょうか。
今日は、スポーティーな自転車で参加する、これぞスポーティーエレガンス!!

そういう人から感じる生活全般と言うのは、まず酒やパチンコと言う類のモノではなく
日々のジョギングやら図書館での読書やら自主的な学習。もちろん生活水準は律するところから健全で支払いに追われる毎日ではないと思うのです。

人の、ちょっとしたシーンから、沸々と湧くイメージの一連の流れ。

たぶん、それは当たらずとも遠からず、いや当たっていると思う。

この人、ケチだなぁ~と思われたら、たぶん彼はケチを基礎とした生活をしているはずだし
成金だと垣間見たら、他にも下品な金の使い方をしていると思うし、
これぞ品格も兼ね備えた真の金持ちだと思ったら、たぶんお茶やお花も嗜む深さがあるのかも。

その人の律する姿を見ると、彼には当たり前の日常が、僕には節制の賜物と映るのだから、いかに平素の自分自身がだらしないのかと痛感してしまうのです。


le 17 samedi
//そろそろ出始めた// お盆の活動報告。それに触れる度、僕のは、ある種凄い報告が出来そうで。。。 つまり、特になし!!!!!!!!!

今のところ葬儀・法事関係で二日費やし、あとは陶芸。これ以外、全く何もない。

明日は座禅会⇒陶芸。

葬儀関係が無ければ、陶芸一色で、全日程合わせても1万円に満たない、最安値な過ごし方だったのですが、出費に関しては、それなりの額になりました。まあ、それは仕方ない事ですがね。

あまりに軌道の違う生き方なんで、賑やかに過ごしている人たちの生き方に、なんか海外の別なる生活を紹介する番組みたいで、、、、僕は、どうでしょう、ソビエト市民の変化無い生活みたいです。。。。


le 16 vendredi
//守りの姿勢// 歳をとったと思うのは、ふと手にした自由時間に外出するというプランは浮かんでも、結局家でゴロゴロするのに勝るものは無いと、見送り。
よほどの強制力が無い限り、何かすることを僕はしなくなった。

一病息災とは言うけれど、2も3も病を抱えるわけにはいかないし、気を使うことと言えば自身の健康とか、身の回りのアレコレ。


le 15 jeudi
//夏のペンピーヌ夫人// 調子崩れるわ!!!!
尋常ではない夏の暑さで、多量の発汗。よって腸内の水分量が低下しているのではと思うのです。

今年は、とうとう夏の登山も見合わせの年になりそうです。長距離ウォーキングも。
一切合切陶芸に捧げているので当然の帰結ですが。。。 ただ、8/15、寝るまでには黙祷を捧げる、これだけは続けなければ。

明日は、茶碗だけ、しかも大量に作りましょう。


le 14 mercredi
//15人亡くなって// 田舎で初盆。お寺の檀家さんは100世帯ほど。今年、15人が亡くなったそうですが、このエリアで何人産まれたかと言うと、たぶん0人。 

今、一部都会を除いて、急激な人口の減少が引き起こされている。

問題は、かつての日本は田舎において自給自足をしていましたが、言いかえると都市化は微々たるもの。人口が減って日本に江戸時代のような情緒が復活するのなら良しとしますが、そうではない。江戸時代から維持されてきた小集落は、恐ろしい勢いで地図から消えると思うのです。


le 13 mardi
//趣味がドライブくらいしか、、、、//ない時代。ガソリン価格に頭悩ました時、総量規制で家に閉じこもる週末を何度も何度も設けました。家にいて温泉宿のような時間と銘打って、濃厚な薬草風呂に何度も浸かっては湯あがりに灸を据え、方々の冷酒を楽しむ。
本を読んでは寝ころんで、岐阜ラジオを聞く。

なにもしない時間を得るためには、当面するべきことをこなして到達できる域。

僕には、読むべき本が山積みで、眺めて楽しい陶芸の本も置場が無いくらい。

することのない時間は、もはや僕には定年後の夢なのだろうか。。。。


le 12 lundi
//中途半端な暑さは、嫌な暑さ//0.1度の差で本日より、暑さ日本一と言えなくなってしまった多治見と熊谷。なにせ41度ですよ、四万十市。
日本一暑いからする打ち水大作戦とかも金輪際禁止のような。
暑い日は屋外でバーベキューとか暑さを煽る政策で、日本一の奪還を虎視眈々に。。。!?

まあ、地方都市にとっては、日本一の暑さは全国り売り出せれる貴重な文言だったのに、その座から陥落してしまうと、ただの住みにくい街になりそうで、内心、次の熱波はもっと酷い熱波で返り咲きたいと、命にかかわる願い事をしていそうで。。。。。。

と、言いつつウーマンは多治見が大好きです。
住むなら瀬戸か多治見かと真剣に考えているのですから。
今の住生活も、ようやく便利になってきたし捨てがたいのも事実ですが。


le 11 dimanche
//暑つつーー// 25年ほど前は35度を越えたら、20年ほど前は37度を越えたら大ニュースでしたが、今では40度。日本の死因の上位に、熱波・熱中症という項目が追加されるかも。

//誰か実用化して!!!!!!//
太陽熱温水器は、その重量ゆえ敬遠する向きもあります。そこで考えた。
誰か試作して!!!!!!!!!
屋根に太陽電池のような全面を覆う薄い硝子の層で出来たパネルを置く。
ガラスとガラスの間は空気。真夏の太陽熱で空気は100度近くに上昇するかも。
さてと、その空気をコンプレッサーで浴室に送る。バスタブに送る。
湯船ではブクブクと泡立ちますが、人為的なものとしてはそのブクブクを極限まで小さくする。
湯船に熱した空気を送るとき、細かな網を通すのです。
そうすると、水を張ったバスタブは湯にならないものかと。。。。。。

熱湯に近くなるのなら、熱交換を地上ですれば屋根の負担もない。保温の利いたタンクを設置すれば夜に贅沢に使える。


le 10 samedi
//訃報// 父上の兄が亡くなったとのこと。合掌。
このお盆は作陶でドラマチックに過ごす!と気合も十分でしたが、葬儀や法事で3日ロクロから離れます。

こうやって年長の者から、病弱なものから旅立つのを見ると、自分も確実に死に近づいているのだし、41でしょ、あと半分生きれるかどうかってところですかね。
残り半分の間で、芸であるから命の誕生を祝す機会は無い半面、頼りにしている肉親や親類縁者との別れは確実にあり、そして孤独が訪れる。
本当に孤独になった!!と芸が思ったのなら、その次にあるのは自身の死なのかも。


le 9 vendredi
//唯一or二の// 金曜日の晩は、体調が良ければ土曜日の晩も加わりますが、僕にある貴重な自由時間。たいてい土曜日は作陶の疲れが出てグッタリなんで、実質金曜日の晩ですが、、、久しぶりに名古屋駅で乗り換えをする友人と合流。


le 8 jeudi
//なんという慎ましい楽しみ!!!// 会社の仲の良い人から盆明けに三回残る18きっぷを友達価格で購入する。 お盆は10年超続けた大型登山も見合わせ作陶に没頭します。
もはや日常と化した土日の姿をお盆にもこれでもかと。でも、お盆明けの週末は慎ましい楽しみが控えている。春にも企画しましたが、18切符で、読書のための電車旅をします。土曜日。
そして翌日は作陶と言うパターンを三回繰り返しますが、もはや陶芸の本も山積みだし南信州新聞も溜まる一方だし、ハンドル握るスタイルだと、時間は付いた先しかありませんので、この企画、今の自分にしっくりきています。

つまりだ、僕は休日を作陶に割り当てるため、仕事と睡眠以外の時間がほとんど無いのだ。


le 7 mercredi
//この欲求の、くすぶり続ける不満// 同じ環境の人たちと話すと、趣味陶芸も、ある一線を越えてしまうと、なんと週末の待ち遠しいことか。しかし、さらにもう一つ上にある一線を越えていないので、どんなに傾倒しても土日祝日のみ。ゆえに、平日は次は何しようかと考えてしまう。
人によっては設計図を描く人。僕は漠然としたイメージ。


下の写真にありますが、小さな急須が、実に使い勝手が良いと判明。
これまたお猪口を一回り大きくした感じの小さな湯のみに二杯分。

ありとあらゆる形状のミニミニ急須を作るぞよ。幸いにして、小さいものは難しいと言われるそうですが、僕には逆で造り勝手が良いので、もうバシバシと。


le 6 mardi
//テレビより面白い// youtubeで瀬戸や多治見の紹介チャンネルをネットテレビで連続再生しているのですが、僕の地方熱をくすぐる。聞く音楽が無いけれど耳が寂しい時は森の音を再生するように、注視することもなく、ただただ存在している地方の情報が心地良い。


le 5 lundi
//語りたいことは語るな//と思うことしばし。何でも綴り、それで心を整理したりして10年超。
でも、語りたいことは語るべからず、深い祈りに任せましょうと。


le 4 dimanche
//200円相当の倹約//ある発明により、週末の作陶において200円相当の倹約を二日分行えることになり、ガソリン価格暴騰分を吸収して余りある効果に僕はうっとり。。。

昨日も今日も作陶でした。あー楽しかった。

新しい指導員の姿を見て、もしや誰かが辞める替わりなのかと尋ねれば単純に増員だとのこと。その人の名前を聞いて、もしや多治見あたりの若手陶芸家さん!?と尋ねればそうだという。一瞬でも頭によぎったことは言ってみるものですね。

さてと、僕は手ロクロ派。それは絶滅危惧種。
多くの人が電動ロクロを勧めてくれる。とてもありがたいと思うのですが、僕は来年と言いつつ年が明ければまた来年と言うでしょう。
その便利さから、圧倒的多数の人が電動ロクロを使用しています。99.9%。
youtube見ても、その作陶紹介は電動ロクロばかり。

だから僕は手ロクロに拘るのです。
おそらく、電動ロクロを使用する人は、ある何かを失っていると思うのです。もちろん便利さから気が付いていないと思うのですが、99.9%の人は一様に何かを失っている。

僕の趣味陶芸が上手いか下手かは問わずして、見入ってくれる理由が手ロクロから派生しているある種の凄みと確信しているのです。
それとオマケするなら左利きゆえの左回転。たぶん、僕には分かりませんが独特な何かがあると思う。

陶芸に限らず、概ね傾向として流れている様式は、こと現代においては「楽」なのです。効率的とも言いますが。その楽や効率が限界を極めたうえでの答えだとは思っていません。現代(資本主義)ですからね。多少の無駄や劣化は無視して、概ね効率的なら良しとして舵を切る。そういう土台の上で勝負させられていると気がつくのなら、土台から逸脱して参加するのも注目や最低でも一定以上の評価を得るためには有用な方法でしょう。

もし、注目を浴びるのが一つの目的とするなら、結果に個性を求める奮闘よりも、方法に独自性を持たせることによりスタンダードでも、ありえない光を放つ不気味さを僕は選ぶ。


le 3 samedi
//連続失敗の、その先に// 先週と本日の前半はちょっとしたスランプでした。茶漉しが失敗の連続。10回ほど失敗して答えを見つけ出しましたが、それは簡単なものなので、力抜くことも大切なのかと。つまり失敗の原因は、穴の空け過ぎで構造的に絶えられないのに、無理し続けていた挑戦の10回ほど。。。 要は、時間が無くて少しだけ感覚に余裕を持たせたら、全く問題なくスラスラと。それは2mm程度の妥協なのですが、極めてもあと1mm詰めれるだけでしょう。

【マダム黒鳥蓋付青磁香炉】という蚊取り線香入れ


そろそろ茶銚もつくらねば。

le 2 vendredi
//その後の出会い系// 確かにウザかったりうっとうしかったり、、、、そんな理由でブロックすることは簡単。人の価値や魅力は、得てして後日、何かの機会に再認識することもあるかもしれないし、そんな時に備えるのならブロックは稚拙すぎると思う。
問題は、そういうブロック行為は、いづれ露呈する運命にあるので、将来のひょっとしてあるかも知れない損失は、転びようによってはデカいかと思うのです。
嫌いと生涯一貫して思うのなら理路整然さからすれば問題無いのですが、そういう度量の狭さは他にも転じて災いのもとになると思う。

ヤクザ映画とかに啖呵を切れば、それは大見得、見栄えする。格好の良いシーン。
ただ社会生活や人生において方々に啖呵切るのなら、その格好良さと裏腹に将来において再開できない閉鎖されたチャンネルが一つまた一つと増えるのだから、やはり人生のプラスにはなりえない。

どんなに嫌いでも、【保留する】のが大人の知恵だと思うのだ。


le 1er jeudi
//青い山// 先日は小さい島に会ったし、たぶん今日は青い山。ともに中学の同級生。たぶん僕の白髪頭には驚いたと思うけれど、僕もその太り様に驚いてしまった。

八月です。明日から、15分早起きするので、もう寝ます。

昔は、お盆も過ぎたら夜に秋めいた風が流れたものですが、今月中にそんな移ろいを果たして感じることが出来るのでしょうかね。





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