août.2014 le 31 dimanche //大満足// もちろん、本日も作陶。今日は心ゆくまで轆轤の回転に喜びを感じるのでした。 季節が変わりますね。毎年この時期には、繰り返し繰り返し聞くのですが、何故だか心弾むのです。 今回、マダム焼に興味を寄せる人と時間を設けて丁寧に説明し、数も多くお渡ししました。 最近、気前よく渡すのですが、会う人に一個。そうではなくて、興味寄せる人に時間を設けて丁寧に説明したうえで何個かまとめてお渡しする方が良いのかもと思うのです。 だって一つの器では僕を説明できませんもの。 八月の終わりに書きましょう。 この手から、美しいと思うモノが生まれている。これは子だくさんの母親みたいなもので喜びの極みです。なんて自分は素晴らしいのだと思うのですよ。自惚れと言う意味ではなく、自分の手から、指先から、美しいモノが生まれ、人に渡しては喜ばれ感心される。今までの僕には、そういう「生み出していく自分」は存在していませんでした。 これは、この世に生を受けた意味を42にして既に体現していると思うのです。もちろん、これからも高み高めるのですが、世に存在する意味が、ただなんとなく生きているではなく、確固とした意味を持っていて、それを僕は言葉で表現できている。 時間がある限り、広大無辺な世界を、僕は確実に色付けできるのだから、やはり生きていて良かった!!!意味あるもの。 生きている毎日を、ただなんとなくから、語れる自分に。感謝感謝です。内にも外にも感謝です。 le 30 samedi //15分遅れ// 今日も陶芸。ただし15分遅れ。6:30の新幹線で戻り、そのまま作陶!! さすがに疲れているのか、冴えはありませんでしたが、東京で長居する必要はないと思ったので、選択としては良かったと思います。 le 29 vendredi //本物は地のモノ// 仕事終わって新幹線。マダム焼に関心を寄せる人に、そう、まもなくフランスに戻られる彼に、段ボール一箱分、解説を交え別れの儀式・輸出の手続き。 恵比寿の小料理屋に行きました。確かに旨いのですが、これが東京の限界の様な気もする。 そう思うとウーマン号で方々を巡り、地のモノを扱う小料理屋で夜を過ごした経験は、美食家の域なのかと思ったり、自惚れたり。アハハ 彼と話していて、一つ強烈に心に残るものがあります。 日本は、田舎に行っても文化的に一流な人が存在している。フランスに行けば田舎に一流を求めることは無理。日本は中間層が厚くて、ブルジョワでもないのにワインや料理にアレコレ語ることが出来、マナーも心得、器だって作家モノを買ったりしている。それらはフランスでは上流社会の人たちがすること。ただし、今の日本は、勢いよく中間層が痩せ衰えつつある。危惧するものであると。 le 28 jeudi //心痛める// 盲導犬の事件。本当に心痛めます。 そのようなことをして、憂さを晴らす生き方は、必ず破綻すると知り得ないのだろうか。 物事を極小的に近視眼的に見るから、「やり得」と判断し、愚行を犯すのだが、 愚行の果ての人生を想像してみるがよい。 弱き者を虐げる輩が多すぎる。しかし、彼らもまた悪徳の限りを果たしたとしても老いる。 老いた時、愚行の果てを実感するだろう。 何故分からないのか!? 「犯人とバレないからオレの勝ち」と思って逃げきろうとしても それは想像力が欠如している。犯人として検挙されなくても、剣のように鋭い恨みが実は襲ってきているのだ。 皆に恨まれ続ける者は、よほどの改心がない限り、今後する選択を誤り続けるでしょう。 誤り誤り誤り続ける選択の果てに年老いて、「弱者」になるのだ。 そして痛みを分かってもらう報いが襲いかかるのだが、老いた身には、 とても辛いだろうと想像する。 人は死ぬ瞬間に大いなる旅立ちの進路が決まると思う。 例え孤独死でも、山で遭難しても、ああ死ぬのだと諦観した時から始まる人生の振り返りで、良きに分類される記憶がどれだけ再生されるか。楽しき日々を構築してくれたことへの感謝の念を持って旅立つのなら、きっとその後の魂の旅立ちも、良き方向に向かって進んでいると自信を持って歩くのだろう。未知への旅立ちだが、向いている方向が正しかったという安堵感は、何にもまして重要だとおもう。(たとえ金持ちでもこの安堵感は人によりけり。貧しくても心正しければ必ず持ち得ます⇒こういう例えは多くの宗教書に出てくると思いますが、まさしくこの瞬間の選別を言い表しているのだと) その対極は、ああ死ぬのだと諦観した時から始まる人生の振り返りで、生前の悪徳が因果しての苦しみと知り苦悶するのなら、それは最悪だと思う。これから先は、未知への旅で誰も後押しをしてくれない。ただ死の瞬間の向いた方向へ進むのだが、苦悶して息絶えるのなら、それこそ地獄の門を開いたことになると僕は思う。 いづれ僕の死生観を長々と書かせてもらいますが、 人類の歴史で、天国と地獄の思想は古今東西・洋の東西を問わない。きっとそれは言い得て妙の真実なのだと思う。では閻魔大王がいるのかというと僕は疑問に思うのだが、振り分けはあると思う。それこそがああ死ぬのだと諦観した時から始まる人生の振り返り。 そして息絶える時に見ている方向から伸びる一本の道しかないと。 その先は誰も分かりませんが、死後の世界は自分の前に開かれた道を進むだけ。そこで右に行こうか左に行こうかの迷いはない。分岐はないのだ。ただ真っ直ぐに進む道。その先に辿り着くまでは孤独であり不安もあろうが、道は一本しかないので進むしかない。 その道の質こそが人生の質。そして人生の質とは良きに分類される記憶の量。 恨まれるな。窮する者に手を差し伸べよ。届かぬのなら彼のために祈れ。 le 27 mercredi //早く寝る寝る運動// もちろんラマダンも兼ねて。今日は、途中から秋の空気になりましたが 、季節の変わり目は前の季節に耐えた緊張感が解ける時でもあり体調を崩しやすい。 そんな時期に僕は数年前から、早く寝る寝る運動強化週間を設け、体を新しい季節に移行させるのですが、これが効果覿面なのです。 le 26 mardi //美しい//と自画自賛。 美しいモノが自らの手から生まれるなんて、子だくさんの母親みたい。実に実に素晴らしいことです。その手で人を殺めたりする輩もいるのに、今の僕の手は、毎週末何かしらの作品を世に出している。 le 25 lundi //放っておけない// 血のつながりも何にもないけ放っておけない。 無償の愛というか、全く見返りはありません。だけれど、そういう損得は一切関係がなく、放っておけない。 昨日の座禅では、その人のために祈りを捧げたほどです。 窮しない者の使命は、窮する者に対して差し伸べる手。資金力がなければ、祈りでも良い。 それは窮しないための黄金律でもあるのだ。 le 24 dimanche //殺せ! 殺せ!// 本日は早朝座禅の後に作陶。 禅寺では、「殺せ」という言葉を良く使うらしい。それは頭に浮かぶ邪念を殺し無になるためのリセット。 毎回、老大師から法話があるのですが、今回はちょっと新鮮で書き記しますね。 深く暗い海の底からブクブクと湧きたつ泡(あぶく) 人は、生活していると瞑想していると、変な思いを抱く。腹の立つことなど頭に浮かぶのを「念」と申しますが、この念が生まれることは人としてある種仕方ないこと。老大師は言う。二念 三念を継ぐなと。腹の立つことが頭に湧いたら、それは仕方ないこととして、その思いを引き継ぐなということ。そんな思いは湧いたら「殺す」 殺して無になり、また湧いたら殺す。 le 23 samedi //行って良かった!常滑焼まつり// 作陶を取りやめてさえ行く常滑焼まつり。素晴らしい収穫がありました。今後一年の目標となる急須を買いまして、作家とアレコレ話しこむ。実は急須作りにおいて悩むところがありましたが、話すことにより道が見えてくるのですよ。解決の道が。 それと、去年、買いそびれて一年後悔した、古常滑の土で焼いた灰釉の碗。共に眺めていても飽きません。 いつもドケチネタを披露していますが、急須一つに32000円も支払うなんて、こういうところが名古屋人だなって思います。なんか、毎年の購買行事になりそう。 コレだ!!!!と思う良い品を買い、一年かけて技量を近づける。 陶芸の枠内での行動ですが、作陶をしない土曜日って新鮮です。夏の終わりから冬の初めにかけて、そんな過ごし方が多くなる季節でもあります。楽しいことが多くて時間がますます足りません!と、ブツブツいう季節でもあります。 le 22 vendredi //守りを破って// 久々に夜の都市生活者。思うことはあっても、結局は家にいる守りの姿勢が目立つ昨今ですが、本日は久しぶりに出歩きました。 人の目を感じる環境に、たまには身を置かねばと思う次第。飲み屋のことよ。 le 21 jeudi //生活の継続と断絶// 広島の豪雨。政令指定都市で死者・行方不明者が70人近くだなんて。こういう大規模な災害の映像を見ると、生活が断絶してしまった人たちと隣り合わせで、変わらない生活を継続できる人たちがいる。 生活が断絶されると、蓄えを切り崩さなければならない。庶民は、それこそコツコツと蓄えをラッキョウの皮のように、少しづつ、紙すきの様に少しづつと頑張ってきたのに、不意に訪れる災害や災難で、マイナスの領域に転落し、そして這い上がって、ようやくプラマイ0 貯蓄の再開なんて、遥か先。。。。 天災は諦めるしかないけれど、進んで生活を断絶させてしまうことは避けなければならない。 過度な飲酒や喫煙・不摂生な食生活でも生活は断絶するかもしれないし、睡眠不足でハンドルを握ると、これもまた恐ろしい。 話し変わるけれど、去年の12月の日記を読むと、過去に書いた日記を転載しているのですが、それは僕がピン!と来た内容。再び目を通すと面白い。 そうそう、土曜日はウーマン号で常滑に行きます。下道で行くと60分は運転すねかもしれませんが、名鉄よりも安いと弾き出す。まあ、それくらい高速料金が高いってこと。 le 20 mercredi //圧倒的な差// 常滑焼祭りはウーマン号を走らせようと考えていたのですが、ガス代・高速代込みで、往復3200円。名鉄だと1300円くらいなので、今年は名鉄で参戦です。 le 19 mardi //陰陽のバランス//が乱れています。何かが原因で不調和。 le 18 lundi //日本茶カフェ// 緑茶を有料にて提供する躊躇いもあるのか、緑茶カフェは総じて安価だ。 まああアカン。盆明け初日は疲れるわ。おやすみ!! le 17 dimanche //ありがたやありがたや// 先程、段ボールが一箱届きました。長野に移住した友人から各種馬鈴薯や夏野菜り詰め合わせ。無農薬に化学肥料も使わない、それは我が家の食に通じるもので、我が母上も大喜び! 心から感謝いたします。 さてと、明日から仕事です。僕は、5日間の休みも終日作陶に費やし、なんか仕事の延長みたいな感じでして、明日からはまた違う仕事を5日間。本当の休みは8/23に常滑焼まつりに顔を出す息抜きが唯一の夏季休暇かしら!? 長い休みの最終日の夜には、なぜか自然とすることがある。自然にそうするのは、まちがいなく大切な意味があるのだろう。 le 16 samedi //当選確実// とりあえず速報。土曜日の晩を出歩くことなく過ごしましたので、実質残りのお盆休みは明日の作陶だけ。で、この間したことと言えば作陶のみ。僕ほどお金を使わなかった人っていないのではなかろうか。 そういう意味では質素倹約闘争大勝利!!!! ところが、充実感は、皆さん同列にあるので、なんとまあ有難い趣味かな。 明日は小皿を18枚作ります。 釉薬が9種類あるので二枚づつなんですが、テストピース。 酸化鉄に潜らせた後、それぞれの釉薬をかけるるどんな焼きあがりになるのか楽しみです。 楽しみというと、8/23-24は常滑焼まつり。 お盆明けの一週間も、この楽しみで乗り切れそうです。 le 15 vendredi //正直、忘れるわな// 今日は終戦記念日。正午の黙とうを忘れてしまいました。寝る前に捧げましょう。 こうやって古い惨事から忘れ去られるのも当然でしょう。 小学校の夏休みとか、広島-長崎、そして終戦記念日の追悼は、まだリアリティーもあって厳かな時間が流れたものです。 弔う日が多くなったということです。それこそ昔は関東大震災の戒めから9/1の防災の日、それが地震への戒め。年に一度でした。そして阪神大震災が加わり東日本大震災。 今も9/1の防災の日は何かしら企画するのでしょうが、もう関東大震災云々は言わないでしょう。 こうやって古い記憶から消えていくのだ。 それにしても連日、作陶超満員。 あまりの押し込みように詐欺用能率上がりませんわ。 le 14 jeudi //特別なこと// 今日は半身浴をしまして、何年かぶりに天龍村史を読む。今回は二度目なので、前回と違って全頁読破ではなく、気になるところを拾い読み。やはり楽しい。先人の生きる知恵が満載です。 あ、もちろん、それは作陶後のことですが。 le 13 mercredi //慎ましい初日// 当たり前ですが、本日も作陶。今日は急須を三つ作りましたが、三個目にしてようやく勘を取り戻しました。つまり、この前の青森旅行で一年の1/24の期間を連続して非作陶にあてた凹みからの脱却です。 今日は水曜日。お盆休み。普段は週末の僕ですが、水曜日だから来る人もいまして、予想はしていましたが、「アナタだったのね!!」と伺う人がいるのは嬉しいことであります。 明日も同じことでしょう。 明日は、昼ごはんを瀬戸の街中に行って、少し展示会も見て、2時間ほど中座します。 これが凄く楽しみなんですよ!!!! 僕って、ほんと慎ましくなったものです。 le 12 mardi //あの頃は?// ここ最近の10年を振り返るに決定的な線引きは、陶芸を始めたかどうか。 たまに思う別の時間軸の憧れは、三年半前より昔の非陶芸時代。 お盆休みに入ったとたん、準備してあった車を走らせ、日付変わる前に暗夜の駐車場に到着してテントを張って、そして日が昇る前に僕は山に登り出したはず。 もう一つ線引きするなら、年に一度会っていた某氏と、会わないという選択をした年。 それはお盆の山登りで、僕にいろいろと教えてくれて憧れだったけれど、まあ良いのだ、彼に会わないと言う選択から、陶芸が転がり込んだ気もするし。 今でも思う、僕にとっての心地良い時間。 それは強烈に心地良く思い出しては、再び浸りたい、、、、なんでしょうか身体の根本に響く過ごし方なのです。 ① 仕事終わらして車走らせ、日付変わる前後にテントを張って、夏なのに忍び寄る冷気が楽しく、買ってきた缶ビールとかソーセージを食べていることが楽しく、NHKラジオ深夜便を聞いていることがたまらなく情緒的で。そして寝るのですが、これまた外の厳しさを風の強さで感じながら雨音を感じながら、守られている感覚。そう子宮にいる胎児に戻った感覚がして、思い出すたびに、再びと感ずる思い出です。 ② 大白川野営場。リヤカーで好きなところにテントを運び、設営。①はその後、登山ですが、②は終日孤独に浸る時間。そういえば、どこかの年では2泊三日一人でポツンと過ごしました。 あああ、なんて心地良かったことでしょう。ノイズの向こうに何とか聞こえるNHKラジオ。椅子に座って、読書に耽り、ヘッドライト照らしてまで読み耽ったり。 ①と② それは海外旅行の思い出や高級ホテルの特別階に滞在した時よりも、轆轤の回転に悦している時よりも比較にならない、僕にとって最高に心地良い時間なのです。そして、共通するのは、①も②も一人で過ごすスタイル。 どうりで僕は平素から単独行動なんです。一人でいても平気だし、意味もなく誰かといることに全く意味を見いだせない。でも、そういう思いは、つきつめればさらに協力で、理想は人と関わりを持たなくて自然の中に一人で過ごす環境なのです。 だから僕は老いを恐れていないのだ。老いは、必ず滋味あふれる自由で孤独な時間へと変質する。そして老いの孤独に十分浸り過ぎた時、人生で初めて人恋しくなるのだろう。 もちろん、それは叶えられるものではないのだが、その満たされぬ気持ちを何で乗り切るかで、また一つ豊かに過ごすはずたけれど、僕にもそれだけは全然イメージがつかない。 le 11 lundi //ってことで、、、// 只今、マダム・ラマダン実施中。今回は、朝食を家庭菜園からの野菜の煮汁と擦り下ろしジュース。そしてヨーグルトのみ。 実質のカロリーは前夜の晩御飯だから、今回は本腰。36時間断食になります。 毎回そうですが。絶食していると食べることをいろいろ考えてしまいます。 報恩講料理は、いつの日か食べてみたい。 かぶら寿司も。 le 10 dimanche //心ゆくまで// 暴風雨。僕はいつものことながら作陶。 毎回、席に着いてから好スタートとは行きませんが、今日は昨日の助走も手伝って、心ゆくまで轆轤の回転を楽しみました。 土日で1kgの粘土を使用しました。冷酒器を4つと。杯を8個。 増税前に大量に買い込んだ粘土。3-4年は持ちそうな!!! それにしても不思議なのは台風がもたらした風は南東。 なのに全然暑くない。湿度はあるけれど、不快になるほど気温が上がらない。不思議だ。 le 9 samedi //Mっ子です!!// 仕事しながら、できないかしら??と思うのです。マダムラマダンは24時間の空腹だけれど、それ以上の時間を空腹にしたい。 今年は後厄。どこかで断食と祈りの特別な数日を設けたいものです。 聖書読んでいるところですが、断食と祈りは密接に関連して出てきます。つまり、届く祈りに断食は極めて有効なのだと。 断つことにより、代替のコースが体内に産まれ、旧道の疾患が治癒するのか、ああ、断食したい。仕事がネックだなあ。。 le 8 vendredi //在野としての禁じ手// 権力批判に特化するのもよし、知る権利や報道の自由でもって権力の闇に挑戦するのもよし、ただし権力を弱体化させるために、強いては外国勢力に利するために虚偽を虚偽と知りつつ32年も世界中に発信してきた朝日新聞には、大いに失望するものです。 アレレ?? 解せないのです。 在野としての鋭さとは一線を画す今回の虚偽報道。 つまりです、権力の不正をただしたり巨大与党に緊張感を与えると言うスタンスではなく 終始一貫、日本の利益を貶める、つまり日本の野党を代弁しているのではなく 日本は全て嫌悪する民族主義的な敵対行動。 朝日新聞の罪は、権力に切り込むという今後も期待したい大切な役割を表の顔とするならば、あってはならない裏の顔、外患誘致を並行したこと。それも虚偽をもとにした外患誘致。 解すためには、、、 自由や民主主義。正義や女性の権利は朝日新聞ではとても遵守されていそうですが、実は民族的敵愾心により、それらを無視して虚偽ある報道をもとに日本の価値を貶める。そういう報道関係者が相当数存在している、としか考えられない。 日本における自由や民主主義、女性の権利向上・平和教育なんて、実は関心もなく、日本の価値が世界的に低下することが、某国の利益やアジアの平和につながると、もはや思考そのものが日本人ではない。 良いのですよ。日本の権力を常に厳しく正していくのは。日本国は野党も健全で言論も自由であって、権力の不正や横暴を正す機構は弾圧されてはならない。そういう意味で朝日新聞の存在意義は先日までありましたが、虚偽の報道でもって日本の価値を貶める行為を、指摘があったにもかかわらず32年間も放置した現実を持って、 自由や民主主義、女性の権利拡大や平和教育なども語る資格のないチンピラ集団。新聞社あるまじき外国の工作機関としか認識できなくなりました。 在野でも良い。批判の先に不正を正し日本社会が健全に発展するのなら、反権力でも立派な愛国者ではないか。 今後、朝日新聞が、その列に加われなくなったのは、虚偽を執拗に広め別の目的を叶えようとした、日本社会の健全な発展と何ら関わりを持たない性格・集団だと知り得たからです。 le 7 jeudi //いつから、、// 僕の夢に、情緒的生活がある。言葉で語るより、音楽で表現すると、、、 その時には、肉親も喜怒哀楽を言う相手もいない孤独なのでしょうが 滋味あふれる自由な孤独を、ようやく楽しむ時でもある。 le 6 mercredi //自慢と言えば、、、// 今世紀に入ってから海外旅行に行ったためしがない。では、海外旅行の経験は皆無かというと、それが案外あるのだ。 去年・今年と、一度も山に登っていない。では、登山の経験は皆無かというと、それが案外ある。 いづれ、皆が陶芸をするでしょう。(時代が内向的になる) その時は、僕は何をしているのだろうか? le 5 mardi //下品な夢を見た//下品で不潔な夢を見た。そして、それは今朝だけでなく、前にも見ていると思いだしてしまった。。。 たぶん、またどこかで見るのだろう。 それは僕の過去における事実を土台とした夢であり、今は嫌悪するけれど 当時は興じていたのも事実。もう14-5年以上も昔の話ですが。 それは当時も今も思うところは同じで、何に興じていたかというと「人間模様」 ありとあらゆる種類のダメ人間を間近に観察して、 彼らのその後は、ごく稀にネットに引っ掛かるのですが、、、、酷いに尽きる。 ただ、僕がこの世界に興じることがなければ、もっと上質な日常があったのかと、それも思う。 転落していく人たちの穴の淵を見てきましたが、穴の中まで観察することなく手を洗ったのは、自己防衛本能というかご先祖様・神仏の加護というか、本当に救われたと思っています。 le 4 lundi //大雨と猛暑の間で// 涼しい風が吹く。昨日も今日も30度を越えていません。妙に安定した曇り空。涼しい。 今日も時間がたっぷりあったのに何をするわけでもなく、まもなく寝ます。 大人って、楽なの!? これじゃ、イカンイカン。 le 3 dimanche //慎ましやかな我が楽しみ// 常滑焼まつり 8/23-24 せともの祭 9/13-14 小さなクラフト展(岐阜) 10/4 美濃焼まつり 10/11-12-13 クラトコ 11/8-9 こういう作家市がちらほら開催されるのが夏の終わりから冬にかけての毎年の流れ。 作陶の気晴らしに顔を出す。そして作陶。そんな休日の過ごし方で今年も終わりそうですが、これはこれでとても楽しみなのです。 毎日、日記と称していろいろ書かせてもらっていますが、禅問答というか、一人で納得したり自信を付けたり。。。 そんなに古い記述ではないけれど、2-3年前かな?人生の質とは良きに分類される記憶の多さによって決まると、ここに書いたものです。振り返るその時に、どれだけ良きに分類される記憶が自分に残っているか。誕生日前だったり、大晦日。定年のその日。そして臨終に際して。 何度も振り返る機会はある。その時に、スラスラと湧いて出てくる良きに分類される記憶が、どれだけあるのかと。 案外真面目な話だけれど、そのために僕の行動パターンがある。 日々、快楽的なことに没頭しても、良い方向にぶれてはいるものの、記憶に残るほどのパンチ力がない場合、それは浪費や散財に過ぎない。要は、良い方向に向いている自身の行動を記憶に残るように、如何に刺激として脳の神経回路に焼きつけるのか。それには感動や達成感があって、はじめて思い出となるのだと思う。好きなことをしても信号が弱ければ意味がないのだ。 作陶は好きだ。では、馬鹿みたいに作陶をする理由は、良きに向いている僕の行動を良きに分類される記憶として、没頭と専念という特化によって記憶に昇華させようとしているのです。 楽しくもないデイトをするなら、好きなことに没頭する方が100万倍ましということで。 le 2 samedi //都市生活者// 余った時間は都市生活者。いったん帰宅して、シャワー浴びての再出発。 久々に金山駅に降り立ちましたが、凄い人ですわ。昔、金山に賑わいというイメージはなかったのですが、ここまで人が多いと、松坂屋金山店とか造れそうなのに!! le 1er vendredi //明日は人間犬// ってことで20時以降、ラマダンになります。 特に構えていたと言えば、月曜から禁酒した程度。これがために土曜日作陶見合わせなんで、辛いわ。 |
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