août.2016 le 31 mercredi //明日から九月//今月は月初から忙しかった。そして男の一生というものは、、、と思った一か月でもある。もう10年以上も前、定年した人が、一か月もせず他界したと聞き、男の一生というものは、、、と思い、そして今月は、それよりも早く訃報を聞く。 le 30 mardi //さわやかな朝//台風10号は変なコースの果てに東方沖を北上。このまま秋になるのでしょうか!? いやいや、もう一度くらいは夏の暑さよ!!と嘆くのでしょう。 le 29 lundi //真剣の上の真剣// 集中の上の集中。祈りの上の祈り。 その上の行為は、そう簡単なものではない。それは僕が凡人であるからだと思う。脳が、細かい血管が太くなり容積が大きくなる感覚、あの感覚こそ、平素から湧き立つべきである。願いが通じるとは、その上の感覚を通じて何かしらのものが発信されるのだと。 le 28 dimanche //一日で仕上げたった/ これは二重構造の物入。 透かしの蓋を取ると、中に蓋があり、メインの物入。 そして透かしの蓋は鳳凰を外すともう一つの空間が。 le 27 samedi //なんとなんと!//意気込んで瀬戸に行ったのに着いて気づくは施釉証とお気に入りの道具を忘れたこと。失意の帰路は途中で充電し、いったん家で仮眠。そして西尾にお抹茶と和菓子を買いに行きました。移築された近衛邸の茶室ではJAF会員証の提示で50円引きの350円で茶菓を。 この茶室、地元の人が散歩がてらに気楽にたち寄っているのです。なんて素晴らしい光景なのでしょう。 le 26 vendredi //まるは温泉//恥ずかしい話、昨日と今日は臭かった。シャワーは何度も浴びますが、シャワーだけで済ませた弊害だと悟り、急きょ温泉へ。往復130km。リーフで経済運転。 le 25 jeudi //もう木曜日//台風10号のけったいな動きが気になる。そもそも八丈島近海で発生というのがおかしい。緯度で言うと熊本沖ですよ。そして南西に進路を取るのですから。ただし消滅ということは考えられない。この近海は台風が発生していないしエネルギーが充満。強くなってコンニチハなのでしょう。 le 24 mecredi //今週は盆明け初の//5連勤。ですが折り返しも過ぎました。ここまで順調。 週末は楽しいのですが、平日もそんなに長い感覚なく5日が過ぎる有り難さよ。 さてさて、今年もほとんど誰とも会っていない。そもそも名古屋に芸の友人はほぼ消滅に近い。インスタではリアルが充実の写真が大変に多いですが、その手の写真は全く提供できないのが僕の生き方。 le 23 mardi //2か月//ってことは、44歳でいられるのもあと10か月。僕の余命はあとどれだけか見当もつきませんが、90まで生きられるとしたら、ぎりぎり折り返し地点には到達していません。いやいや、とっくの前に折り返している!? 陶芸で自分の意志が立体に表現できてから、命はより大切に長生きせねばと思うようになりました。自暴自棄とかありえない。 le 22 lundi //握り飯//昼ご飯代をざっと計算してみた。年間14万円。10年握り飯だと、10年満期で軽自動車が手に入るってことかな。20年で安い外車。 le 21 dimanche //明日から5日間//労働です。これは乗り切るのが大変。試練試練。 思うことは多々ある。そして思うのだが、祈り続けなければならない。 祈り続ける行為そのものが心を邪にしないのだろう。 話は変わりますが、読んでくれているのなら実践してください。 日の出の時刻にウォーキングは平素の生活では無理もあります。 言いたかったのは、朝を血流の面からも認識すること。朝になったら窓に光を取り込み、寒風摩擦のようにタオルでごしごししてください。血流は増し体は一日のスタートを認識します。朝に必ずシャワーも良いです。足の先から手の先から初めて心臓へ、ごしごし。 le 20 samedi //塩の結晶//暑い暑い。常滑焼祭りでは7-8km歩いたと思います。陶の森研究所もイオンモールも、もちろん散歩道も歩きに歩く。気が付いたら腕に塩の結晶が一面と。 今回は陶器の類は購入しませんでした。良いと思う急須もありましたが、以前のような魂が吸い込まれる感覚はありません。もちろん素晴らしいのですが、心奪われる一押し!!は最後まで見つからず。細い路地とか、これでもかと歩いた時間が暑かったですが、今となっては心地よい。 le 19 vendredi //明日は明日は//常滑焼祭りですよ!! 年の後半から始まる各地の陶芸祭の初陣がコレ!! 楽しみ楽しみ、本当に楽しみ。 le 18 jeudi //実に下らない。。。//妄想の復讐劇。空想の懲罰。文字で書けばオドオドしいですが、そういう攻撃的な空想は無意識のうちに脳内で上演されていて、ほんとうに困る。人生の質の面から言えば、一言物申す!!!という演劇ではなく、そのレベルにはない自分の生活。低い世界での綱の引っ張り合いや俺が正しい!!俺は指摘した!!というくだらない証言台での満足は、時に酔いしれることもあり恐ろしい。本当に意味ないことなのに。 le 17 mercredi //乗り切れる!!//三日働けば二日の休み。乗り切れる。だって、この日記を書くときは水曜の労働は消化しているし、あと二日ってことですよ。 le 16 mardi //美濃の町//やはり、この町は好きだ。また行きましょう。本日は作陶も考えましたが、見合わせ。ドライブを選びました。6連休も本日が最終日。これが年末年始だと家の予定が真ん中に入り休みというか家事手伝いというか。今年は心底自由に過ごさせてもらいました。まあ、できる範囲の自由なんですけどね。 明日から仕事です。これまた無事で過ごせますよう、これから心静かな時間です。 le 15 lundi //自宅湯治//家に居続けるつもりでしたが半田へ和菓子を買いに行く。本来は、家で上質のゴロゴロ感を味わう予定でしたが、これも事前の準備が必要で、あまり意味のない一日になりました。 le 14 dimanche //エレガント・ウォーキング// 久しぶりに歩きました。彦根⇒木之元。一年を超えての復活ですが、歩けるものですね。また歩こう。このコースは本当に好き、大好きなのだ。 le 13 samedi //陶芸//作陶の一日でした。まあ、お疲れ休みみたいなものでしょうが、それでも一日フルに頑張った。 le 12 vendredi //438km// 名古屋から下諏訪郡高森町。ここから天竜川沿いに太平洋。あの佐久間ダムに沿って!!それから西尾⇒半田⇒常滑経由の自宅。これも轆轤の衝動と同じで、直前に気持ちが湧いたので動いたまでです。コース取りも気持ちに沿って。6:01に阿南町にあるナピカショッピングセンターで100%まで充電。それから道の駅・天竜花桃の里まで運転し、残量が64% さすがに下り坂。伸びる伸びる。ただし反対のコースは恐ろしくて無理だ。せめて中部天竜に充電器がないと。 le 11 jeudi //予定がないので作陶//初日から、これでした。ですが、ようやく沸々と湧き上がるものがあり、まもなく外出するのです。 le 10 mercredi //今日を逃した。//勢いあるころはお盆の前日の晩から動くのに、今家です。床でゴロゴロ、寝ていました。ベッドがあるのに、ベッドの前の床で寝るという、なんと意味のないことを。。。 明日から六連休。 le 9 mardi //これは轆轤の前と同じだ!!//おそらくお盆は、その朝の気持ちで動くのだろう。まったく予定がないというか、決まった予定は全然ない。 le 8 lundi //大御心// 国民への寄り添いや祈りに全身全霊を傾けてこその象徴としての天皇であるならば、今の皇太子ご一家のあり様にその資格はあるのでしょうか。長年指摘され続けているこの大いなる懸念を含めて広範に議論され大御心に沿うことができるのなら、制度の手直しは喫緊に必要だと思う。 le 7 dimanche //今日も作陶//扇型向付を六個。 暑い暑い。だけど夜は案外涼しい風が吹くのです。夜もどうにも暑くて苦しいという日は、今年ありましたっけ!? le 6 samedi //先週の金曜とほぼ同じ//違うことを書くなら、諏訪市役所の無料充電スポットで100%まで充電した後、八島湿原まで登り、とこから車山高原まで。ここでもう一度充電し、来た道を戻り児湯と新鶴により木曽路で戻る。道の駅・賤母まで充電せず。 帰宅前に瀬戸に寄り施釉もしたよ。 le 5 vendredi //母上から聞いたジーーーンとくる話// 数日前から近くの公園にテントが張られおじさんが一人住む。ちょっと前、母上グループが意を決して話す。北海道から職を求め名古屋へ。詳しく書くと、安城へ。昔働いたことがあり年金がもらえるだろうと。ですが彼は61歳で今年から年金の支給は62歳。それから公園を転々とし、中区役所で生活保護の手続き。審査機関中の野宿では襲われ、郊外に行く。しかし行きつく先の公園では通報により退去を迫られる。そういう時の行政は退去であり、次はどこに向かうべきかを言わない。 月曜日には中区役所で結果を聞くというが、ほぼ内定らしい。缶ジュースと1000円を手渡しサヨウナラ。 心から良いことをしたと思うし心熱くなる。 人は、困った人を助けるとき、それは、そういう役割をある種求められてのことだろう。だから、助け続けている間は、「必要」に応じて動いているので、助ける人が助けられることはない(人生の転落はない)、と思っている。 困った人がいたら助けよ。それが表向き報われなくても感謝されなくても助けよ。助けている間は、生活は保障されるのだと僕は強く思う。窮地に立たされることはないと思っている。 自分を犠牲にする人は犠牲にしている間は救われているのだ。犠牲にできる環境に身を置かせてもらえることは、生活は破綻しないのだから。 le 4 jeudi //知的障碍者のパニック//会社の同僚から聞いた話ですが、先日のゲリラ豪雨。名古屋駅は運転見合わせで大混雑。その中で高校生くらいの知的障碍者が早く帰りたいと体を壁にバンバンぶつける。しばらくして駅員が囲み沈静化。その後、遠くにいた彼がウリ坊のように同僚へまっすぐ減速することなく走ってくる。逃げる間もなくデブの同僚とぶつかり、彼は地面にうずくまり沈静化。 いつものパーターンが崩れるのは健常者でも嫌ではある。例えばいつもの席に誰か座っていると、なんとなくスッキリしない一瞬があったり。そういうパターンの崩れは大なり小なり人に不快感を与えるのであろう。 ですが、彼にはそれがパニックとなって現れる。思考もものすごく限定的で、いつもの様式美をしたいしたいの一点張りで、それができなくパニックになる。 おそらくパニック障害というものは、思考に幅を持つことのできない人たちに現れるのだろう。嫌なものはイヤ!!とはねつける度量の狭さ。嫌なものとどうして接するかの思考の幅がない。だから嫌な人間がそばにいると大の大人でもヒステリーのごとく虐めに走ったりみっともない行動をとる。それで彼を追放し安堵感を得たとしても人間のストレス耐性に向上もなく、イヤを追放したという、その一点の行動でしか問題解決のすべがない。ところが枠組みに追放という手段が取れなくなった場合、彼のストレスはどう推移するのか。やはり大の大人でもパニックになるのだろう。 平素から受け入れたり許したり妥協できる人は、その行為でもって既に来るべき災難の相当部分を到来前に撃破しているのだ。 le 3 mercredi //須らく最善の形で// あまりに諸々の事象が一気に現れた。たとえ多くとも今回もまた須らく最善の形で解決することに感謝申し上げます。 人は皆、正しいと思い行動する。悪意ある行動も当人には鬱憤を晴らすための正しい解決法であるのだ。ましてや普段の行為には正義があふれている。だからこそ些細な誤解が大いなる不愉快を呼ぶ。人はまず許す心があってこそ不愉快を遠ざけるのだ。 【信じる者は救われる】は名言だと思う。ただその一念でもって問題を委ねたら、アレコレ苦悶して明日を迎える人に比べてなんて健康的な朝を迎えられるのだろうか。思いつめ睡眠も短く、そんな日々が数日も続けば心の処理能力は疲弊し、最悪、うつの症状が出てくるのかもしれない。何も考えないのは良くないけれど、こうありたい解決策を願い託すものには安眠が保証される。結果的にストレス耐性の強い人間になれるのだ。ただし、その【信じるモノ】を良く勉強しなくてはならない。あるおっさんの能書きで沸き起こった宗教なのか、数千年も廃れることなく信じられるものなのか。 前者か後者か、確率論的に言っても勝負ありです。 le 2 mardi //人には//許される範囲の各々の領域があり、それを食いつぶしたものは命を削りそれをする。 le 1er lundi //夏の終わり// 毎日のように夕立。まるで寒気の侵入を許し大気が乱れ始める夏の終わりに似ている。 |
→→→先月の日記←←← |