令和6年8月août.2024 le 31 samedi 土曜日 //第三回・可愛いムクちゃん忌//朝の6:45に特別に手を合わせました。三年前の本日、可愛いムクちゃんが昇天したのだけど、あれ以来、一日も忘れることなく可愛いムクちゃんは私の身の回りに存在します。 今晩より中断していた座禅を復活しましょう。精神統一はもとより股関節を柔らかくするためです。習慣化せねば。 それともう一つ理由を上げるなら、なにかしらしっくりこないのです。今が不安とか不満とかそういう感覚ではなく、何か歯車が噛み合っていないと。これが半年ほど続いていまして、解消の一助とするための座禅でもあるのです。 さて、本日の私と言えば、朝に特別な祈り。それから11:30まで作業場に。昼食後、母親を送りがてら平和堂にも。帰ってからは本を読み甘いものを食べ、16時台にはお風呂。それから晩ご飯を食べて、只今、18時前。これより本を読む程度になります。皆さん、どういう週末を過ごしているのでしょうか?? 私の場合、大雨だからこういう生活なのではなく、天気も平日週末も全く関係なく、出店が無ければ、毎日こんな感じです。違うことがあるとすれば、午後にも作業場に籠るかどうかの違い。誰かと会うわけでもなく、友人と何かの計画を立てるわけでもない。 ですから、他の人の生活パターンが全く謎になります。週末の度に親しい誰かと会うのかしら??全ての人がそういう訳でもないし、お一人で過ごす時は何しているのか?? 明日から九月。今年の九月は出店を入れていません。これは別の意味で忙しくしなければならないのです。時間は少し足りないくらいに思うようにして怠惰な生活を避けなければ。 le 30 vendredi 金曜日 //消えた瞬間//特別警報まで出た台風10号ですが、急速に勢力が衰える。この不可思議な現象の原因として、台風の目が屋久島の宮之浦岳に衝突して、その抵抗で衰えたと衛星画像で説明しているものをみましたが、確かに台風の目が宮之浦岳に当たった瞬間に台風の形状が大きく壊れている。今まで生きてきて、こういう理由で台風が衰えるなんて初見であり全くの驚き。 昨晩はたっぷり本を読みました。大正時代、出版界において伝記ブームがあったそうです。洋の東西を問わず偉人の伝記を出版。伝記文学というジャンル分けをする人もいました。大正天皇御大典記念の『明治功臣録』を読んでいるのですが、中身は伝記。渋沢栄一、福沢諭吉と読み終え、只今、西郷隆盛です。全てに共通するのは、人生の途中まで江戸時代であり、いかに能動的に時代を渡り歩いたか、その記録が書かれています。 明日は三回目のムクちゃん忌。6:45に特別な祈りを捧げようと思いますので早く寝ましょう。 le 29 jeudi 木曜日 //本を読もう//人生の在り方を変える決断をしてから、三年前ですね、それから大量の古書を買うようになった。まずは陶芸や美術関連の本でしたが、一通り買い揃えた以降も購買意欲は衰えず、ジャンルを問わずバンバン買っています。理由は新天地に行ってから、それと将来、近親者もいなくなり一人になったときでも心に深い充足感を与えてくれると信じて買うからです。 毎日30分~読書の時間を設けますが、本日は涼しいし、これからどっぷり読もうかと思います。 le 28 mercredi 水曜日 //毒素//ここ一か月ほど汗疹が原因なのか身体のあちこちに痒みがある。これも民間療法で治そうとしていますが、毒素であるなら体外に排出であるから水分の摂取は多めに。汗の量も多くなるのですが身体は清潔にして炎症を封じ込めようと思います。 それ茶毒蛾みたいな何かの毒虫が原因かも。 台風の進みは遅いし進路も変わる。原爆は一瞬の爆発だけど台風のエネルギーはその比ではない。このエネルギーですが、温暖化による顕著な熱供給だとは思いますが、この熱エネルギーが風力に転移して風として消費されることにより、地球の温暖化を、つまり温暖化のカロリーを少しでも消費してくれるなら、ある程度の台風の巨大化は良しとすべきである。 ところで、最大の問題は上記青文字の考えであっているのでしょうか?? le 27 mardi 火曜日 //まもなく三年//今月末で可愛いムクちゃんが昇天して3年が経過いたします。この間一日たりとも忘れたことはなく、今でも一緒に生活している感覚です。これからもずっと。 本日は久しぶりに生産。今までは作品作りでしたが、今日はマグカップをコツコツと。 涼しい日が続きます。夜の読書時間が心地良いですし、それ故時間が足りません。50日前後続いた猛暑の日々は、やはり身体が防衛的になりまして、この夏の陶芸の生産性は晴れという好条件が続いたにせよ、暑さの弊害が上回った結果となりました。 遅々として進まずの新工房以降ですが、流石に来年の夏は新天地で頑張っているかと思う。 le 26 lundi 月曜日 //隣のおじいさん//もう何年も前に亡くなりました。それと、まもなく可愛いムクちゃんが亡くなってから三年が経過します。息もしないムクちゃんを八事に運ぶ途中、隣のおじいさんが家に前で見送ってくれたのを私は知っています。お爺さんの方がもっと前に亡くなったのですが。 毎日、家の前の公園を歩いています。今でもムクちゃんと散歩するかのように一緒に歩くのです。少し前から、お隣りさんの前を歩く時、心の中でお爺さんおばあさん、ご一緒に散歩しましょうとお誘いしています。するとどうしたことでしょう。心の中から楽しい気持ちになり笑顔になるのです。その楽しさがずっと続くのですね。その様な新しい日常をはじめて数日後、ふと脳裏にお爺さんの鮮明な笑顔が浮かんできました。 魂と会話する時、人間の言葉の往復は致しません。まとまった思いの交換になります。 これから私はどの様な人生を歩むのだろう。おそらく50も過ぎればそれぞれに思ったりするのでしょう。特に芸は子孫がいないので、これからの道を大悲劇であると考えることも可能です。特に私は誰かと付き合うこともなければ、友達も0に近い値ですし、何年も誰かと会うことさえしません。つまり私こそ大悲劇の要素が揃っているのですが、今のところ寂しいと感じたことが無いのです。私に精神的実験があるとするなら、それは介護すべき全ての人が亡くなって、完全な自由を手にした時、何を思うか?? その時でも孤独を感じなければ、一冊、心の有り様の本でも書きましょう!!! たぶん、要諦としては、時間が足りないくらいな感覚になる夢中になる何かを生活に持ち得ること!!! これに尽きると思います。これは難しいことではなくて、普段会社に勤めていたら、週に二日しかありません。大それた趣味を探す以前に、二日では足りないくらいの夢中を探す事だと思います。これが見つからなければ、それこそ定年後に別の意味で大悲劇になると思うのですが。 le 25 dimanche 日曜日 //股関節//床に座る時は正座でした。それで現在に至るのですが、弊害というのか股関節が石のように固い。これを放置していると、将来的に健康寿命の短縮にもなりかねないと思うので、何か肩こりでも治すような健康器具を買いましてお又に当てようと思います。健全な意味で。 本日は午後から激しい雷雨。30分ほどでしょうか。 これにて梅雨明け以降の旱魃の害も修復に至ったと思います。来週はどこかで台風が近づきます。その間は自宅でじっと籠るわけですが、これを休日に定めて平素は精進に精進を重ねましょう。 //選べる自由//時間の不思議について書きましょう。只今21:05です。例えば10分後、私は寝ることも出来れば歯を磨くことも本を読むことも、幅広い選択の自由がある。ですが身体は一つなので選べるのも一つ。 ここで未来は複数存在している中で、何を選ぶかの選択が問題となる。冷蔵庫から甘い何かを探し出す未来もあれば、誰かに連絡したり勉強する自由もある。全てを捨てて家を飛び出して最終電車で大阪に行き、知らない街で人生を切り拓く選択も可能ではある。 何かを選んだ翌日は、例えば大阪を選んだ翌日、退職届を出した翌日、告白した翌日、早く寝ただけの翌日、強盗した翌日、そして明後日明々後日、人生は大きく変わる。当り前と言えば当り前ですが、人間は死ぬ瞬間まで膨大な選択をする。言い換えると人生は生命は無数の選択を繰り返すということになる。このパラパラ漫画みたいな選択から逃れることはできない。自閉症の人でも泣いている人でも同じこと。 そして全てに共通しているのは、立ち止まって人生を振り返ったとして、そこには辿ってきた一本の道しか無いのである。ただの一人の例外もなく、人生の航跡は一本だけ。どんなに大金を積もうがお経をあげようが勉強したり徳を積んだとしても、人生の航跡は一人につき一本。別の人生を並走することはできない。 人生は一本の道であるが、全く残酷ではなくて、常に選択の自由があっての一本の道。だから後悔するとか、論理的におかしい。失敗することはあっても、それは結果であり、長く付き合う必要はなくて、今日も容赦なくパラパラ漫画みたいに選択の自由がある。何を選ぶにも自由だけど、その都度、失敗の記憶を選んでいるから、引きずったような人生になるのでしょう。怒りが収まらないのは、その都度、過ぎてしまった怒りをこの期に及んでも選択するからである。悲しみも後悔も然り。 何を選ぶかである。悲しみを選ぶなら悲しみが到来して当然であり、それに悲観するのは倫理的に破綻している。 だから平素から多くの体験をし本を読み知識を増やすことが大切なのでしょう。これこそ次の瞬間に悲しみ以外の存在をより多く教えてくれるのですから。でも子供でもないのなら、選択肢は多いはず。喜びの種になるような選択も気づいているはず。私たちは次の瞬間も自由なのですよ!! le 24 samedi 土曜日 //50過ぎてからの珍現象//定年を無くした人生、生涯現役の人生を選んでから、つまり50歳を過ぎてから今までにない現象が私に起きています。 それは今の年齢を瞬時にして言えれないことです。全く年齢の枠がない人生になったので、今何歳なのか分らなくなるのです。50は過ぎたけど、アレレ、何歳だっけ!!??と。 おそらく退職していなかったら定年まであと何年と50を過ぎたら妙なカウントダウンが始まると思うのですが、この強制力が無くなると縄文時代とか弥生時代とか、あのころの人間は大人か子供か老人かくらいの判別であったと思うけど、まさにそれなんです。 働けるまで働き、死ぬときは死ぬ。この至って簡単明瞭な人生行路を進むわけですが、陶芸を最上の喜びにしたので、どれだけ救われたことかと思うのです。 本日は三年に一回の瀬戸での原土収集。今回はどんな作品にしましょうか? le 23 vendredi 金曜日 //幻の湯になりました//王滝村の王滝の湯。人に勧めようと思ったのですが令和2年で廃業とのこと。ここの緑の鉄泉素晴らしかったのに。 本日も夕方から強い風。夜は古い本を読んだりしています。戦前の本ですね。こういう他と共有できない趣味なのですが、私の人生そのもので居心地が良いのであります。そこから得られる知識や情趣は今にして私のみの独占状態。余りに素晴しく他に披露したい時は昔はmixi、今instaglam le 22 jeudi 木曜日 //大失態//12月のクリエーターズマーケットの申し込みを先程知りまして、手遅れでした。 今晩も涼しいです。庭からは虫の音。 一行目に戻りますが、悔いても仕方ありませんね。そうなるべくしてそうなった。まっすぐ進むのも人生だし、曲がってみるのもまた然り。こういう人生の細かな岐路や選択は数多とあるのですが、辿ってきた道は一本のラインで人生は一つであり一回限り。右か左か真っ直ぐか、全てのその先が分れば面白いのですが、魂は一つですから進んだ道こそ導かれたものだと思い全力で次の分岐を楽しみにしましょう。 le 21 mercredi 水曜日 //温度差//だいぶと涼しくなりました。今晩もクーラーなしで過ごします。この涼しさなのですが、温暖化なので平年よりは高い気温である。ところが梅雨明け以降の殺人的暑さを乗り切ったので、ピークから5度くらい低下すると例え平年より高くても相当に涼しく感じます。涼しさはピークからの温度差。だから10年後、連日40度の暑さになっても35度になると涼しいと感じるはず。 それにしても不思議なのは夕方から数時間は強い風が流れ続ける。扇風機もない昔の人は、この風をどれほど喜んだでしょうか?家族揃って風を浴びるそういう憩いの時間があったのかと思うと、人の心も荒び様もありませんね。 le 20 mardi 火曜日 //恵みの雨//雨の音で目を覚ますなんて!!!!3時間ほど降っていたと思われますが、これで植物の命は救われました。それと本日は涼しい。これより適度に雨が降って気温も下がれば、植物にとっては余裕も出てきて、梅雨明け以来、枯れないために一切の活動を抑えてきた禁も解かれ、秋に葉は茂り実を結び新緑みたいな色彩に覆われると思います。 夜は信州お野菜特別便。旱魃の名古屋と違って宝石のような潤いのあるお野菜にお花。ありがとうございます。この鮮度の野菜を名古屋に居ながら食べられるなんて、全く特別なルートあっての贅沢な極みです。いつもありがとうございます。 le 19 lundi 月曜日 //夏の二の丸へ//梅雨明けから一昨日迄、40度近い日々。高気圧が二重に覆う酷暑のメカニズムなのか、兎に角酷かった。それが漸く解けたのか、35度にいくかどうかの夏に。夏の本丸から二の丸へ。 今晩はクーラーの必要もありません。クーラー消すということは窓を開け風を呼び込む。お香が焚けるというわけですね!! le 18 dimanche 日曜日 //アナタ誰?//16日に@docomo.ne.jpから私の携帯に、暑中見舞い的なメールが届きました。題名は『元気にしている?』です。 スマホ替えたし登録していないので誰なのか分からず返信できません。この日記をお読みでしたら、お手数ですが名乗った上でもう一度メールください。 本日も、風呂の残り湯もドレン水も庭の水撒きに用いました。 le 17 samedi 土曜日 //9月も暑いなら//秋の出店は10月からにしましょうか? この間、新工房の準備やら作りだめやら。9月も屋外での活動は人の生死を分ける暑さになるかもしれません。 それでも数日前から夜になると虫の音が。特にお隣りさんのお庭から毎年のように聞こえてくるのですが、有難いことです!! le 16 vendredi 金曜日 //夜が涼しい//どういうことでしょうか?本当に涼しいのか、日中の気温差でそう思うのか。本日はクーラー要りません。 陶芸を始める遥か前でも、この日記を書いていました。何度か自分の性格を記していて、それは【良きと思ったものは飽きるまで】 今でも全く変わらず。これは陶芸の何に没頭するかなのですが、他の形が気になっても、今、焦点を合わしているものが楽しくて飽きか来ないなら、当面後回しになります。それで飽きたら、きれいさっぱり方向性を変えて、また飽きるまで。 昔出来たこと、簡単なことが全く出来ない不思議な現象が度々あるのですが、この答えは、今没頭していることに飽きの信号が無いからです。 【良きと思ったことは飽きるまで】 当面続きそう。 le 15 jeudi 木曜日 //恵みの雨//本日は79回目の終戦記念日。御先祖様の中にも戦没者がいます。310万人が亡くなり、生き残ったものの縁で、今の私が居るのだしアナタも存在する。ウクライナにしてもロシアにしても、戦争が無かったら、当然、存在している多くの方々が、今はいない。そして生き残った者の縁から、新しい命が生まれる。戦争が災害が無かったら、今なお存在する多くの命脈があったのに。でも、戦争があったから今の私が存在する訳である。この翻弄される魂の儚さを思う時、無念や無情で片づけられるとするなら、余りに残酷である。この観点からも、輪廻転生が無ければ人の世の非情を救うことはできない。 本日は午後に30分ほど梅雨明け以来の雨。これでもって大旱魃から復帰できるわけではありませんが、多くの植物にとって、この雨で、次の雨迄の命を保つ見込みが立てれそうです。 同じく、本日、一週間続いた南海トラフ地震情報【巨大地震注意】の警戒期間が解除されました。この間、窯の稼働は中止し風呂には常時水を溜めておく。ただし、当面、水の確保だけは継続しようかと考えています。窯の稼働も、他にすることを優先し出来るだけ後回しにしたいと思います。 le 14 mercredi 水曜日 //焼け石に大水//乾ききった大地に少しの水遣りでは全く追いつかない。10Ⅼバケツをその一点に注ぎきる。これでようやく植物にとっては一息つくのですが、この比率で言うと膨大な水が必要になる。よって風呂の残り水を有効に使うしか解決方法が無いのだが、アフリカの子供も避けて通れない。 le 13 mardi 火曜日 //アフリカの子供と逆//旱魃で苦しむアフリカの子供は、遠くに行き井戸水を自宅へ持ち帰る。バケツやポリタンクを持ちながら歩く子供の姿をテレビで見たりもします。一方、私は、この逆で風呂に行きバケツに汲んでは庭に撒く作業を何往復も。 何年か前も大干ばつでしたが、台風到来で恵みの雨。ところが今年は台風も東北に行ってしまい二か月雨無しとか、前代未聞。 le 12 lundi 月曜日 //ありがたや ありがたや//信州お野菜特別便。旱魃続く我が家の畑は壊滅状態で、頂いたお野菜が宝石のような輝き。ありがたやありがたや。 それと明日、お盆のお花を買いに行く予定でしたが、これも豪華なお花を頂きまして、ありがたやありがたや。御盆前のお花の購入は、地獄絵図で駐車場入るのにもお花選ぶにも会計するにも混雑との闘い。これを回避できるなんて、ありがたやありがたや。 le 11 dimanche 日曜日 //明日すること//お風呂に入浴剤を入れることは、当面中止しました。地震への備えですね。 そのお風呂の残り湯ですが、明日からすべて庭に撒きます。梅雨が明けてから晴天続きで庭木も枯れる夏になってしまいました。ホースで水撒きもしていますが焼け石に水。よって非常手段になります。 正直言うと、連日の猛暑で作業効率というか生産性が酷い有様。何とかしなくては。 le 10 samedi 土曜日 //緊急持ち出し品//本日は陶芸の一切はお休みで、防災関連の準備を。ただし、こうも暑いと生産性は落ちまして、一日掛けて仕上げる程の内容でもない。。 10年くらい前は35度を越える日も数えるほどでしたが、今年は50日くらいあるのではないでしょうか?? 災害級の猛暑とか言っていましたが、これが常態化するというより、100日を目指しで右肩上がりになるのかも。体温を越えた日の生産性の低下は国として考えるべきです。国策としてのシエスタは必要かと思われます。 le 9 vendredi 金曜日 //お裾分け//実は今週の水曜日に飯田市南信濃和田にて観音霊水を200Ⅼほど汲みに行きました。その翌日に地震があって、本日は新工房へ。ポリタンク一つをお裾分け。常温保存でも半年は飲用できる奇蹟の水なのです。すでにペットボトルの水の買い占めも行われていると言いますので、水曜日の南信州行は偶然ですが何というタイミング!! le 8 jeudi 木曜日 //不気味な地震//これを機に防災用品を身近に揃えます。 気象庁の会見をみて痛感しました。私が不気味に思うのは生活圏が南海トラフの震源域だからである。ところが、もし新潟とかに住んでいたら、これほどの不気味さは感じないでしょう。 日本で生きるということは、常にどこかで災害の報に接するということ。何処かの段階で、その報が地元発信ということになるのだろうが、こう考えるなら災害は避けられない。それでも先祖代々この日本で生き続いていたからこそ私が居るのだから、健全な恐れを忘れないことが肝要で、平素は頂いた命を、それこそ健全に使う日々であるべきだと思う。 le 7 mercredi 水曜日 //今年の夏は//産まれて初めて、連日、夜にクーラーを稼動させます。去年までは耐えられない日に限って、どうでしょうか、年間10日にも満たないのですが、涼しくして就寝。 こんなに暑いのですが、毎日16時ごろから3時間ほど強い風が吹き抜け、案外過ごしやすいのですが、寝る頃には風も止み扇風機でも良いのですが、強風にすると喧しいですからね。 le 6 mardi 火曜日 //110円//ちょっとしたお寝坊さん。グリーンロードなのですが、二つ目の料金所に6:00丁度に通過するのですが、本日最初の有料客に。それから中井侍など行きまして、南信濃和田にて湧水汲み。 帰りに新野の道の駅にて高原野菜を。名古屋のは他家は猛暑のため生育が止まりました。それから、ある峠の手前の無人販売所で、生でも食べられる甘いトウモロコシ。それも夜明け前の収穫なのですが3本200円と、腰を抜かしました。3袋買う。 le 5 lundi 月曜日 //滝のように//本日の最高気温は39度。丁度その頃、水汲み用のポリタンクを洗浄していたのですが、汗が吹き出しました。 これからの夏は、梅雨明けから1.5ケ月は37度を越える日々が続き、植物は生命を維持する最低限の活動に入り、枯れないだけで精一杯。種子をつけるなんて後回し。よって畑で収穫できるものが無くなる。大地はからからに乾燥し旱魃。こういう、ただ耐えるだけの時期が1.5か月日本の夏に到来するのでしょう。 これは去年確信したのですが、耐える夏が好きた頃、9月の半ば以降、再び新緑のような緑に覆われる。 le 4 dimanche 日曜日 //恵みの雨//この程度では全く足りないのですが、22:30あたりからパラパラと降り出しています。 ある程度の雨なら、植物にとっては命をつなぐ雨になるだろうし、連日の猛暑で熱をためた大地をも冷やしてくれます。 le 3 samedi 土曜日 //今は、、、//①作っても作っても、しっくりこない。納得いかない、上手くできない。こういう現実がある一方、②急に天恵のように頭に湧いてきた造形が、スラスラ出来上がる時もある。今は、①なのです。これを認めようとせず工房に居座っても無駄に一日が過ぎる。では、いつまで待機すれば良いかというと、こればっかりは不透明。冴えない状況で工房に居た時、②に転じることは良くあるので、①だからといって工房から遠ざかると②も遠ざかってします。 ①と②の現実を認識できるのに、意図的に①を②に転じさせる事ができないのだ。 でも、②は必ず訪れると確信しています。これは陶芸を心底愛する気持ちに何らの変化も無いからです。この陶芸愛と一体であれば、自ずと②を受け取る自信はあるのだが、待ち時間の有効な在り方は考えなくてはならない。 全ての時間を意味あるものに。変化を避けた半生を取り返すためにも毎日何かしら新しい種を蒔く。 le 2 vendredi 金曜日 //一志町史//新工房のある町になります。私が人生の途中から、この町と深いご縁を頂くのだろうと漠然に思い、それから、友達もいないこの新天地に愛情を持つには、どうすれば良いのか??この問いの答えは明快で、町の歴史と風土を勉強しなければならい!!と確信するのでした。以前、天龍村史を買い求めて読破しましたが、あれ以来の大読書の旅になりそうです。一志町史上下巻。これを読み終える頃、人生の移行期も終了して、新天地で腰を据えるのでしょうか??と、申しましても、名古屋にも工房があり、往復での作業になりますが。 le 1er jeudi 木曜日 //夜の風//何て心地良い風が吹くのでしょうか?今晩はクーラーの必要がありません。 還元窯の魅力は青磁釉。鉄であの美しさを出せる。 次に辰砂釉。カドミウムを使わずして出せる安全な赤色。 ただし電熱線を痛めるので、これを主力とするのは難しいかな?? 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