avril.2009 le 30 jeudi //非NHK// テレビをつけるという時間は、野菜ジュースを飲む、それと同程度になった気がする。 まず家に戻ればpcで自分を囲む情報の整理でしょう。残る時間に家事や入浴、その他諸々をすれば、テレビを見るという行為は、極めて能動的であり、それは野菜不足を効率よく補うための野菜ジュース、それと同じだと思っている。 自分にとっては出勤前にBGMとしてNHKを。自然に必要な情報が入る。(定時のコーナーの推移が時間の把握にも役立つ) そして、帰宅後は、CSで極めて趣味的な番組に安堵するか、NHKの特集なりを見る程度。 極端な話、朝の一時間程度と、週末の特集、そして災害報道と選挙速報以外に求めるものが見出せない。NHKで、これだから馬鹿を競い合う民放なんてのは、視聴する意欲は完全に無い。 NHKとお馬鹿チャンネルとしての非NHK一局。そしてCSがあれば全て足りるのです。 ところが、民放でも、お馬鹿番組とは一切無縁で、超地元志向の手作り感満点の番組は、非お馬鹿ということで見入ってしまう。大都市圏では希薄ですが、地方のU局、もしくは地元ケーブルテレビ局の番組。 そこに求めるのは身近さゆえの、安堵感でしょうか。ただ、あまりに泡沫な電波なので、その恩恵がほとんど伝わらないのも事実。 テレビを見て、笑いを求めるという感覚が理解できないし、そもそも、彼らお笑い番組なんてのは笑いどころか不愉快です。 最近知ったのが、熱湯を浴びせて、そのリアクションを楽しむ番組があったそうですね。 それをDQN19歳母が赤子に笑いながらしていたというのだから、民放の存在意義なんてのは無いと思うし、早急に統廃合するべきではないでしょうか。 さて、そうすると、ソースの出所が限られてくる。 各種論壇誌も廃刊に追い込まれ、民放でさえ数局が成り立たなくなってしまったなら、それは新聞にも言えるでしょう。 NHKの発表こそ、信頼に足りるもの。。。。 やはり、多様性は必要だと思うのです。 信頼のおける民放。不愉快なお笑い番組を根絶した民放。 彼がそういうのだから、NHKの見方にも問題はあるかも。 多チャンネルは、過去の映像の発掘番組で、 現行のチャンネルは淘汰されるでしょう。 民放連という組織があるのなら、民放報道 民放教育 民放娯楽 として 民放なりに英知を集め深い番組を作ってもらいたいものです。 願わくば、統合された大型民放が二系統あり、 それぞれに信じるところの報道をしてくれれば良い。 お馬鹿なお笑い番組は消えて欲しい。 下品な芸人は、見世物小屋で銭を稼げばよいのであって 電波に載せる対象ではない。 le 29 mercredi //センスないと思う// 去年の日記にも書いたはず。昭和の日ってセンス無い!! あと20年もすれば、何故に昭和の日!?って思うはず。 それなら伝統文化学習日にするとか、伝統継承の日とかあるでしょ。 昭和に的を絞るのがナンセンス。 その昭和の日に、何かした? ラジオで昭和歌謡を流す程度では?? 今日は、みっちし洗車しました。ブリス施工日。よくよく見ると小さな傷が多い。 平日プログラムの岐阜ラジオを聞きながら過ごす時間が、ほんとうに心地よかった。 夕方、四時ごろ、急に睡魔が襲う。眠たくなったから寝る。 これも休日の醍醐味。そして倹約に徹する目的も達成できたし、 無理して外出しなくて正解でした。 le 28 mardi //大義名分が無い// 去年のガソリン価格暴騰の折には、その対策として内なるエレガンスの追求に専念していました。 今はただ、漠然として外出を控えています。 散在が過ぎた反省もありますが、僕が知る良かれと思った場所や味わいも、すっかり脳に記憶され、とくに渇望しているわけでもない。 書くということは、心を整理する。自分の中の作戦会議室。 言うということは、錯覚を催す。 既にやってしまったかのような満足感を得てしまい、 原動力なるガスが抜けてしまう。 mixiにアレコレ書くのも言うことと道義だと思っている。 ただ、ここに書くことは、書くことそのもの。 le 27 lundi //狭いけど深くも無い// もしくは狭く深く。 人生を振り返ると、僕の世界というものは、とにかく狭いと思う。 人間見える範囲が世の中の全てですが、僕はとても狭い。狭いぶん、深いのかもしれないけれど、深すぎることは稀。 まずもって言えることは脳裏に浮かぶ人の数が少ない。 他人と比較したくないから接触を避けている傾向もある。 ふらりと湧く感情を大切にしたいから、他を避けているのも事実。 我侭と言えば、それまでですが、 誰かを巻き添えにする我侭よりはましだと思う。 自分らしくとは良く聞くフレーズですが、他人の輝きを見たくない。 le 26 dimanche //自己表現の場// ついついmixiに日記を書いてしまう。 少し自重するべきか。と、言って、ついつい書いてしまうのだが。 何故そう思うかといえば、コメント返しの疲労感を感じる人もいると思うからです。 例えば、明日にでも大金が手に入り、それが額も違う大金。 そんな大金が手に入ったら、一割は寄付するとします。 その寄付の先は、世の中の弊害を自分なりに研究して、声無き者のところへ届くようにしたい。 次に、仕事やめるでしょう。そのくらいの額が手に入ったというお話。 さて、問題は、どこで生活をするか。 妄想の世界ですが、定年後にも似た選択を迫られるはずです。 どこに住むべきか。 田舎暮らしをしたい。 でも、年老いてからの田舎暮らしとなると、地域へ溶け込む時間も無い。 明日にでも大金が入り、理想とする場所を探す旅に出かけ、 理想とする物件に居を構え、時を過ごしたい。 若い頃からはじめるから楽しいと思う。 そんな環境を切望します。 火鉢に鉄瓶を。あのチンチンと鳴る音、幼少の頃の記憶。 le 25 samedi //最近、日本映画が面白い// 最近のではありませんが、 傑作だと思います。 ● ピーターの歌が脳裏から離れなくて困ります。 世の中、景気が悪いのか、そうでないのかよく分かりません。 仕事、忙しいです。 この週末はお疲れ休みです。 le 24 vendredi //豚ちゃん// 不気味な足音メキシコから。 鳥・トリといわれ続けて、豚。 禁足令が出たとして、何日分の食料あるのかしら? //アンタ、エリャ〜ボインだね// 赤ん坊のときからボインだったの? なっ、わけないでしょ。 ● le 23 jeudi //ペットボトルロケット// 激しく試作してみたい。でも、子供同伴でもない単独の大人が公園で黙々と発射を繰り返していたら通報されそう。 子供同伴。時として立場を強くする。 ● ● こういう競技とか主催すると軍国主義を助長するとか言われそうですが、 例えば、草原の向こうに目標を設置する。 それをペットボトルロケットで正確に撃破する。 名古屋でそういうサークルでもあれば、絶対に参加するのですが。 le 22 mercredi //僕たちが初老になる頃、、、// 街角で、娼婦としては、鮮度も腐り、路頭で黒ずんだ女性浮浪者を多く見るような気がする。 彼女たちは、若き頃、薬物に手を染め、そして幼子を虐待し、 因縁をつけては生活費をまかなっていた。 ところが、老いに向けて備えるべき義務などを一切せず享楽に耽っていた結果、娼婦としての価値もなくなった今、路上に放り出される。 それを、虐待された、時に命を奪われた、罪無き子供たちの報いとして、捉えたなら、社会に救いも生まれるでしょう。 手を合わせるなら、初詣の好き勝手な願いだけ。 面倒な葬式も、前の人の見よう見まね。 あまりに希薄な宗教観。倫理観。 生きるということは、好き勝手に生きるのではない。 誰かを助け、誰かを救う。 具体的でなければ、納税だって、立派な倫理です。 助けることも救うことも無頓着で 欲望のままに生きてきた報いとやらは、もし如実に現れる事例でもあろうものなら、戒めとして、国家規模で公知させて欲しいものです。 その先の顛末、末路を、個人の自由や人権やなんだか分からない要素で隠し通す。 だから、悪行の果てのイメージが希薄になってしまうのだと思う。 le 21 mardi //何種類??// 肉・魚 野菜・海草 穀物(炭水化物) 卵 乳製品 植物脂 人間、砂や枯葉は食べません。 古来から、上記の枠内で生きてきた。 いや、二三種は、ここ100年程かもしれないし、肉類なんてのは、20-30年の歴史の浅さ。 そうそう、荷のちゃんねる。彼らは自らを巨大な勢力と思っているらしいですが、よくよく観察すると、「祭り」と呼ばれる現象は単発で、決して複数が同時に賑やかではない。つまり、騒ぐ人たちは、一つの祭りを盛り上げるのが現在のところ精一杯のような気がする。 le 20 lundi //この報いはいつ??//幼い子供に罪は無いのに。 親は選べない。 生まれた先で、虐待の嵐。 心は傷つき人格の形成にも悪影響があるはず。 幼いまま命が奪われるケースもある。 親は好き放題。 この報いを、虐待のその先にある自身への顛末を、世の中は、ドラマなり小説なり、広報なり、国民に告知しなければ、馬鹿な親には通じないでしょう。 最近、想像力の欠如を感じてならない。 虐待する親に、その先のイメージは沸かないのでしょう。 虐待し放題の馬鹿親の末路。その救いようの無い生活を鮮明に描き出し、世の中に広められたなら、報いを恐れて、虐待の手を止める親も出てくるのかもしれません。 虐待する親にも、原因があるのは、事実ですが、その一種の寛容さが、時間の緩みを生じさせ、今日もまた一人命が奪われる。 le 19 dimanche //タットリタン// 先日、市場にある朝鮮食堂でタットリタンを食べたのですが、旨い!! 色は朝鮮料理にありがちなオレンジ一色の激辛の世界ですが、食べてみると甘辛く旨い!! 本格レトルトでも売っていないかしらね。 タバコやアルコールに依存している人が、摂取を怠るとイライラする。 たぶん、人間に必要な栄養素でも同じことが言えると思う。 必須の野菜が欠乏するとイライラするのかも。 イライラは、不足しているよ!という内なる信号で大切にしたいのですが、 こと、悪いことに関しても手を挙げる。 会社の総務の人が言っていました。 アル中の彼を心配するというのなら、 チャンスを与える以前に病院に送り込めと。 これを聞いたとき、なんだか冷淡だなって思いましたけど 病気なんだし、素人がアレコレ外野から良かれと思うことも 病人には控えるべきなのでしょう。 病人には、専門家の治療を。 確かに、素人が、その度に許していたとする。 しかし、彼は病気だから、いづれ禁を犯す。 そして、また自分に自信をなくし自己嫌悪に陥る。 素人の手出しは、良かれと思っても 症状をより深刻化させるのかもしれない。 ただ、NHKラジオでも聞きましたが、自分で動かない限り、 治療も難しいようです。 自分で、この先は地獄と判断したとき、断絶できる。 もう一杯。この甘えが、ダメらしいですね。 自分で線引きをして、自分で閉鎖病棟に入るくらいの気概がなければ 依存症を治すことも難しいといっていました。 le 18 samedi //一人日帰り320km// 毎年のことですが名古屋の陽気に誘われ行ってみたものの、勇み足。 le 17 vendredi //今年の特別頁// 正確に言えば、去年の後半から、全然upしていません。梅雨時の週末にでも。篭ってupしましょう。自己紹介も変更しなきゃ。 もはや、僕のHPにセクシャリティーなんて関係が無い。 なぜ、斜面集落に性的な動向が関係あるわけ?? le 16 jeudi //理想な時間// この手の類の日記を書くとき、それはモヤモヤとしたストレスがたまっている証。 お茶に誘っても、アナタは読書に耽り、僕は何かを書く。 初夏の頃、田舎の民宿に入り、窓を開ければ 青々とした田んぼから涼しい風が吹いてくる。 昔、僕の時間の過ごし方は輝いていた。 それが色あせたと知って、どう打開すれば良いのか さっぱり分からないのですが、 知らない町に、友達が欲しい。 le 15 mercredi //安過ぎお断り!!//消費者にとって安く買えるのはありがたい話。 ところが、例えば深夜まで営業している安過ぎる大型店が近くに出店してきたら話しは変わってくる。 安すぎて、品(ヒン)もなくなれば、客層も悪くなり、町の治安が崩れる。 安過ぎお断り!! な訳です。 静かな夜で安眠したいのに、 そういう店に来る連中と来たら、近所の迷惑も顧みない。 le 14 mardi //コーヒーとはモカだった// 去年、モカから基準値を上回る残留農薬が発見されて全面的に輸入禁止。 モカが日本から消えました。 それ以来、いかにモカ=コーヒーであったのかと実感している人も多いはず。 禁止後のコーヒーは、どこか違う。酸味が目立ったり、コクがない。 コーヒーとはモカであったのである。 ヒノキの花粉でしょう。目がかゆい。 これは眼精疲労を齎し、結局、眠たくなってしまう。 寝ても寝ても眠たい原因は、ヒノキ。 le 13 lundi //手にしたとたん// 欲というものが弱火になってしまう。これは僕の昔からの悪い点。 いざ手にしてしまえば、萎れてしまう。 その対策としては、そういう欲という気持ちを内にしまい、唯一のガス抜きを欲の具現化に導くというもの。 しかし、方々に喧伝したてまえ、しばらくは、いったん手を引きましょう。 そして、また自然発生的に湧き上がるのを待つだけです。 //もう一つあげれば// 僕の世界観は狭い。と、思う。どうして十指に収まる小さな世界での、駒の動かし方で頭を悩ますのか。 le 12 dimanche //告白// した経験ってあったっけ? たぶん無い。 でも、心の奥底に、そういう思いはありまして、口に出さない分だけ、相手なんか僕のことすっかり忘れている頃なのに、片や僕は想うことしばし。 勇気を振り絞って、言ったところで、もう転勤でしょ。この前会ったのは2年くらい前。 実にあほらしい。 そりゃ彼の側からすれば、いきなり会って言われても不気味なだけ。 どこに行くのか分からないけれど、仮に大阪だとしたら、 転勤は、とても寂しいのに、実際会っていないのだから 何の実害も無い。 実にあほらしい。 le 11 samedi //寂れた商店街の活かし方// 寂れた商店街に広々としたテーブルと椅子の喫茶店を、時にオープンテラスにして、ずらりと並べる。 この商店街に無料の無線が完備されていたなら、これから、ある程度の需要はあったりして。 あの店にあってこの店には無いという不安でなく、この商店街には完備されているという安心感は、訴求力あると思うのですが。 昼と夜、外に持ち出して物語の続きを。 le 10 vendredi //四代目のpc// やっとのことでモバイルが手に入りました。 だけど、とても眠たいので、僕はまもなく寝るでしょう。 金曜日、いつも疲れが堰を切ったようにあふれ出す。 こうなると予測つくなら、平日から、早く寝る寝る運動をして、金曜日の夜更かしを楽しめれる体力を温存しておくべきだったのに。 le 9 jeudi //みんな元気??// 元気にしてますか? 毎日風邪も引かず元気に出社しています。ただ、僕が元気なのは、それだけのような気がする。 週末もそうだけれど、平日も、例えば週末に向けて誰かと予定を詰めたりすることは、極稀。 僕の性格って、基本的に内向的なのかな。 僕は昔から学校でも会社でも良く笑い大声で饒舌。 記憶をたどれば、家に戻ると誰かと遊ぶことなく、一人で絵を描いたり、積み木を積んだり、庭の砂場で町を作ったり。それがとても楽しくて、寂しいと思ったことは一度たりとも無い。無いのに、親は心配して、外で遊びなさいというのだけれど、そんなこと長続きもせず、やはり一人部屋で篭っていた。 高校の頃も、帰宅と同時に部屋に閉じこもり、それはそれで心配していたと思う。高校生になって、外で遊びなさいって言われるのだから。 一人篭っていたり、一人旅に出たり、とても心地良く思う。 だけど、人付き合いが希薄といわれればそれまでかもしれないし、その尺度で僕を見ると、もはや病理の域にどっぷり浸かっていると思う。 誰かを誘うという不確実性から来る、心理的負担を回避したいから、確実な一人の世界を確立する。 例えば、ある事を計画していて、僕は誰かに的を絞って誘うことは無い。 それならmixiとかに広く公募して、あとは待つだけ。 le 8 mercredi //「の」は省略可// 京都の大学の院卒。彼の研修をしたのですが、頭が良いとか、そういう以前に、痛感したこと。 それは、一流の人は、それが当たり前すぎて、全く自慢したりしない。 一流に手が届かない人とか、そういう人のほうが、かえって自慢したりするのだと。 それは別の人からもいえまして、僕の思いを今一度新たにしたところです。 自慢となると、痒いところばっかり。 言えることは、自慢という一種の行動は、 一つの精神的な防衛姿勢なのでしょう。 自分が思うに、その自慢は、それと同じことが、実は自慢にもならないお粗末さを兼ね備えていて、全く別物を指しているわけではないということ。 つまり、Aをことさら自慢するのは、実はAがお粗末だと知っているから。 Bとは関係ないと思うのです。 なんとなく。 le 7 mardi //勝算あるのかしら??// ここに来て、反転攻勢著しい現政権。小沢さん、このままジリ貧で、気づいたときには解散されていた!なんてことになったら、大の大前提が、その提唱者によって頓挫すると思うのです。 なぜ党首に執着するのかが分かりません。国民の多くは、潔い交代で、それこそ反転攻勢を待ち望んでいるのに。 毎日見ていても飽きない、傑作中の傑作動画⇒● 池玲子女史>>杉本美樹女史>>>賀川雪絵女史 この三大女優に心奪われています。 le 6 lundi //円円// これを英語表記して。円を二回スペース空けることなく。その英語表記をyoutubeで検索すると、日本人のラッパ〜が出てくるのだけれど、 どうみても厄中なんですが。他にも動画を掲載し、言いたいことを述べていますが、どれをみても、こんな感じ。常習者ですかね?? 格好良いと思って、違法行為を改めない輩は、 きっと、その顛末を想像する能力が著しく欠けるのでしょう。 le 5 dimanche //一番の貧乏籤を引いたのは、、、//ロシアでした。北朝鮮のミサイルは失敗したらしいのに、ロシアと来たら軌道に乗ったことを確認したと。。。。 実験に失敗した北朝鮮はもちろんですが、ロシアの追跡能力とかのお粗末さが世に出てしまったというわけか。 あとは北朝鮮から、この失敗を見事に隠して、大成功であったと、嘘八百のニュースがいつ報道されるのかと。 ただ北朝鮮は、国民が飢えてもミサイル開発に余念が無い。 今回は失敗に終わったけれど、また同じことをするはずでしょう。 つまり、これからも国民は飢えさせてでもミサイルの開発はする。 こんな理不尽、そう長くは続かないと思うのですが。 //信号受信// 仕事上のソワソワとした信号を受信。寝る前に、心静かな時間を設けましょう。懸案はいくつかあっても須らく最善の形で解決されるのです。 この安心感に、毎度、ありがとうです。 le 4 samedi //テポ丼// こういう当て字が出回るホノボノさにも、少し安堵。確かに不愉快ですが、危機というより、どんな性能かと構えている余裕が日本やアメリカにあるような気がします。 それにしても、五分後の誤報には驚きました。 性能が良すぎ、勇み足と見るべきか。 人工衛星と認めたとしたら、もはや一切の食糧支援なんてのは無用ですわな。宇宙開発をする国に食糧援助なんて、ものの道理から逸脱しているし。 こういう瀬戸際外交も、いづれ効き目がなくなるはず。 そのとき我に返っても、まともな産業も興さず農林業も疲弊。 じわじわと自滅の道を進むのか? まっ、日本に難民が来なければ、もうどうにでもなってくれてよい国ですわ。 信義や信頼など全く無い北朝鮮に、滅びようがどうなろうが、なんの躊躇も感じません。 たださ、ここまで嫌われるなんてのは、すごい努力の積み重ねですよ。 あのソ連でさえ、ここまで嫌われていなかった。 毎年毎年、必ず不愉快なことをやり続けた結果ですわな。 なぜ、国家の生きる道を「嫌われ者」に見出すのか、さっぱりです。 それとも「嫌われる」ことが最も得意とする分野だからでしょうか? le 3 vendredi //憤る、優しさ// なんて優しいのだろうと、皆、憤る。 この不景気に、路頭に迷うのは、忍びない。 そういう理論らしいけれど、、、、、 開いた口がふさがらないというものです。 例えば、極端な例を挙げるとするなら、 度重なる無断欠勤をする。だけれど、今、路頭に迷うのは忍びないと、 無断欠勤を容認する。 憤る、優しさ。 まっ、この際、徹底的に優しくしてもらっても、 それはそれで見ものになりそう。 //好きな時間は、、、// 太陽の角度と風の肌触りの違い。 僕には、好きな時間が多く存在する。 好きな時間帯とでもいようか。 でも、それを紐解けば、そのときの太陽の角度と、風の肌触りに起因しているような気もする。 例えば、山麓の田園の夕暮れ。オレンジのゼリーの中の時間帯。少しヒンヤリとした風が渡る。 とても好きな時間だし、そういう時間の安心保障があるのなら、その場所に赴き、なんなら一泊だってしてみたい。 自分の世界観は、狭いけれど深いのかもしれない。 沖縄も九州も四国も行ったことがない。 その場所には琴線に触れる心地よい時間があるはずですが、 僕は、それを知らない。 その知らない、エンプティーな心を満たすのは、 小さな世界でかつて体験した充足を、何らかの形で呼び戻すこと。 le 2 jeudi //お取り寄せ// ● 人気の品らしい。早く手元に届いて、いろいろと楽しみたいです。 僕は、文章を書くのが好きです。駄文であっても書き続けることに意味があると、将来に救いの余地を残してもいます。 現在、最も効率的に書くといえば、それは「打つ」こと。ただし、現実の僕は、部屋のPCの前でしか、このひと時を味わえない。とても会社のpcで打つ内容でもなし。 そこでモバイルノートがあれば、可能性は八方に広がるのですが、つい、買い控えている自分も一方にはあったのです。 週末、あてもなく旅に出るのが好きです。 さして用も無いのに、地方都市に宿を取り、その町の雰囲気を堪能する。 そういう時間がとても好きで、だから、旅に僕はアレコレ予定を付け加えない。 いや、アレもコレも「予定」を削ぐことに重きを置き、その流れ行く時間の質を少しでも上質のものにしたいと考えているのです。 つまり、僕にとって、上質な時間とは、何もしないこと。 でも、好きな場所にいて何もしないこと。 そんな町に宿を取り、早めに入り、手元にミニノートがあったなら、 僕は、いろんな物語を「つまみ書き」するのだろう。 現実は、とても面白いシーンの重なり合いなのです。 でも、彼に問いただすことはできない。 自分なりに思いを巡らせ、ページを増やしていく。 それを本人が見たとするなら、 きっと自分のことを書いているとは思えないだろう、見事な脱線振りを披露するはずだが、やはり、アレコレ思いを巡らし書きたいものである。 一つ理想とするのは、広いテーブルの喫茶店に、 向かい合って座るのですが、互いに物語を書く。 それを見せ合うかどうかまで、考えは及びませんが、 そういう、大切な存在はあるのに、自分の時間に没頭していて接近する間柄を、心に思うのです。 le 1er mercredi //つづき// 初冬、近くの神社の銀杏が一斉に落葉し、それは近隣に住む者の、まるで神に対する帰依の度合いを天秤にかけるかのように、皆、家の前を掃く。掃いても、瞬く間に落葉が舞うのだが、これを愚直に掃くことを、近隣住民は勤めとして課していかるのような光景なのに、彼女は、冷たい水を絞り、コンクリートに音を反射させる。 年明け、ますます寒さも厳しく北風が強くなっても、冷え込みの厳しい、朝に、変わることなく、絞る。絞り、コンクリートを濡らすのだが、夏と違って乾きが遅い。 桜の頃、彼女の前を通り過ぎる新入社員はいない。AとB以外は、近隣の人が、あまり話もせず、犬を散歩させる程度だ。 そして、夏になった今、その音は、意外と大きく響き渡るものだと認識できた。朝の風は心地よいのだが、必ず、絞り落とされる音が部屋を通り過ぎる。 そんな光景が、数日、途切れたことがある。アパートの奥の部屋に住んでいた、父親が亡くなったときである。 ほとんど姿を見たことが無いので、家族も彼の詳しいことは分からずも、足が不自由であったとか、今に聞く新説が定説として納得感を持ちつつ、皆に伝播したりもした。娘の姿は毎日見るのに、父親は、たまにドアの奥に、少し認識できる程度が、我が家の全てであり、おそらく隣近所もそうであろう。それが足の不自由さと言わせるのだから、何を根拠にしているのか。嫌だ嫌だ。 新規の入居は募集せず、大家さんは、いづれ取り壊したいとのことだ。空き部屋も目立つ、このアパートで、一つ、家族の規模が小さくなった。 |
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