décembre.2011 le 31 samedi //マダム肩衝茶入れ 銘・大丸// 【2011年 私的10大ニュース】 ※順位なし ●陶芸を始め、陶芸に没頭する。 ●10年来の山友達と別れ、一人行く聖岳。 ●陶芸に伴い、地方都市で過ごす週末の激減。 ●陶芸に伴い、斜面集落探訪の激減。 ●それでも行くエレガント・ウォーキング(彦根⇒木之本 二回) ●地下鉄延伸。 都市生活者という言葉を多用。だって430m先なんだもの。超便利。 定期の買い方も工夫ました。週末の過ごし方も変わる。 ●名二環延伸。 1.5km程先にインター出来る。これは驚くほどの便利さ。 ●交通社夫妻の第一級の旅。雪の、山菜の頃の新潟別院。東北の旅。 ●仕事に妥協せず。 ●11月、とても有名な占い師に、アナタは「一人で生きていく人」 「もはや全ての問題を解決している人」 いろいろと言われました。 もっと自分を褒めてあげ、そして自分の中にいるいろいろな自分に語りかけるべきと。 中にいる自分が、話したくて仕方ないから、アナタは私のところに今日来ているのですと。 思うに、なんて素晴らしい一年だったのかと思う。 もう20年近く、街中のインタビューでは、来年は「希望に満ち溢れる」とか景気が良くなるとか そういう思いを繰り返し収録していますが、結局のところ、日本は50年単位とかの閉塞感の四合目にいるのかもしれないし、いやいや、どの時代でも庶民の暮らしには悲哀がこもり、来年は「明るく」と言ってしまうのか。 そういう意味では、僕は生活の継続と穏やかな日々が連綿としていて、これに勝る喜びはなし。 ただ、悲しいこともありました。 日本国民として東日本大震災の悲劇は、、、、僕はスマトラの映像より辛いものは見ることもないと思っていましたので、涙も止まりませんでした。 ところが日本列島は長いのか、それとも日本国の足腰が強いのか、僕の生活に何らの変化もなく、激しく違和感を感じたのも事実。 それ以来、積極的に赤十字に募金したりもしましたが、思うに生活に変化無き者は、その喜びを真摯な労働に転化させ良き納税者にならなくてはと思っています。 健康に過ごせること、勤労できることは全くの喜び。 だから労働は勤労でなくてはならないし、喜びを持って表現しなければとも思う。 いつも心に思うのは、今の枠組みは永続するものではない。 もし、生活が安堵しているのなら、災厄はその分だけ近づいてきていると。 そして、心の確信を述べましょう。 ただし、善良に生きている者に関しては、災厄の度合いは低いものであると。 避けては通れない意図しない生活の変化や災いも、平素、真面目で善行を重ねていれば それは自ずと消化され解決されるものであると、信じて疑わないのです。 働くことに真面目なものは、勤労の危機に、その災いは最小限。 健康に真面目なものは、身体の危機に、やはりその災いも最小限。 思いを巡らす全ての人に感謝しなくてはなりません。ありがとうございます。 そして、愛と言えば大げさな表現かもしれませんが、 受けている恩徳の喜びを、来年はそれ以上に分け与える なんていうのかな、度量の広さと言うか、惜しみない愛情と言うか 感謝するべき生活の安寧があるのなら、この喜びを忘れることなく やはり私も発信者にならなければと思う。 嬉しいことがあるのなら、私もまた人々に嬉しさを。 毎日は途切れることのない連続ですが どこかで振り返るのに、大晦日は絶好な日和。 感謝するべきことが本当に多くて、自分は幸せ者だと思う。 le 30 vendredi //味噌煮込み// 学年は一つ違うけれど、驚くべき生い立ちの一致が認められる腸ご近所さんのマイミクさんが帰宅したとのこと。 大型連休には戻ってくるので、最近はお食事やお茶が定例の行事。 味噌煮込み。うみゃーね。 のんびりしましたよ。 昼ごろは、歩いて和菓子を購入。点てましたよ。 そうそう、味噌煮込みを食べたのは夕方ですが、それからヤマダ電機に行きました。 最近は、何か買うとしたら「粘土」のみで、一回の支払に一万円、いやいや5000円を越えるなんてのは、しばらく経験もしていませんでした。ところが14800円の、どうしても僕を呼ぶ商品がありまして、それはオムロンの赤外線温熱治療器。買いましたがね。 年末の買い物が、1.5万なんて、なんかとても慎ましやかですが、 陶芸は全ての欲を忘却させるのか、昔の自分とは雲泥の差。 le 29 jeudi //やるべき時が一番楽// 実は昨日は会社から家までエレガント・ウォーキング。 減量のためにどうしても必要でしたが、先に延ばすことなく水曜日に消化。 本日はと言うと、午前中はラジオを聞きながらの大掃除。ベッド回りの本が40冊程度ありました。。。。。。。 昼ご飯を食べてから、次は洗車とブリスの塗布。実に半年ぶりのブリス。これで当面、肉厚のガラスコーティングで人も振り向く輝きになるでしょう。 次に、風呂に入る。出てからは、さてと、予定が無くなったので、栄に出ましてコーヒーと読書。 家に戻ってしばらくしてから、高級スーパーの閉店間際に参戦。 明日は、特に予定が無いことを大切にしようと思う。 つまり予定を入れない。何もしない24時間。 本を読み、入る光線の傾きに時の過ぎるのを知る。 掃除やウォーキングを後回しにしていたら、30日もてんやわんやだったでしょう。 le 28 mercredi //優秀賞// 仕事納めです。今年は優秀賞をもらいました。選ばれたのは、もちろん嬉しいのですが、人間、数秒先の未来は読めるのか、「俺呼ばれるな」と確信が先に来る。 さて、最も嬉しかったのは、社長の訓示、その考えと僕のそれが一致していたこと。 【現雇用の扉の向こうは、失業の海】 僕は、昔からそう考えている。今の世の中、今の職を失えば、例えではなく本当に路頭に迷う生活が手招きをしている。勝ち進んだ、勝ち残った一年だとしても、それは扉一枚内側に踏みとどまった、ただそれだけのこと。 と、そう思ったのは、25-20年も前のこと。 ヨーロッパは深刻な失業で、若者が街にあふれている???? 不思議に思いましたよ。若者は賃金も安く堅牢なのに、なぜ???と。 そこで考えに考えたのは、現労働者である中高年層が、しがみつきポストを明け渡さないから。 若者は、大学を卒業しても座る席が無い。 そのころの日本はバブルの絶頂で、アホみたいな雑誌記事とかが踊っていました。 今でも記憶に残るのが、「フリーターという生き方」 食うに困らない十分な稼ぎを、フリーター(当時は、好況で彼らでも存分に貰えた)という身分で、好きな時に、好きな分野で転々と、つまりフリーターとして繋いでいく生き方こそ、縛られず豊かで幸せと謳っていました。 我が家の祖先は「木こり」 林業で財を成した家柄だけはあり、こういう浮いた話は、天罰に相当すると、いつも疑って構える家でした。 コツコツと働いてこそ意味があると。 少し話もそれますが、家は200年は使えてこそ子孫も繁栄すると、僕は超保守派です。 その保守派経済学を披露すると、人間、家の購入に忙殺される生き方では富は蓄積できないし、ましてや安い造りの家など買うと、払い終わった頃には住めないという、忙殺の螺旋階段。 田舎に、どっしり構えた家に親子三代生活してこそ、富も蓄積できるのだと信じて疑いません。 だから、僕はそういう観念が特に強いので、許される間は同居するのに堂々とした正義を見出しています。 さらに蛇足。 と、上記に書きましたが、一代で使い物にならなくなる家を買わせ続けるのも、人を働かせるための一つのテクニックだと思っています。 先祖の家を受け継ぎ、さして支払いの項目もなければ、労働は怠惰になり愚民化する。 そういう意味において、緊張感の連続のために一代で壊れる家の購入には国家として意味があると思っています。 さて、逸脱してしまいましたが、戻ることにしましょう。 正直、僕が優秀賞を貰ったわけですが、優秀な働きは、僕の部下の汗と埃なのです。 彼らこそ、貰われて相当ですが、システムと言うものは、これはボーナスの査定でもそうですが、彼らを預かる要に甘い汁が来る。 それを快く思わない人も正直います。 「あいつ、何もやっていないがや」とそんな声も聞こえてきます。 ところが、ここに一つトリックがあるように思えるのです。 もちろん、僕も一生懸命働き、汗と埃にまみれても、全く評価も表彰もされない、そんな時代がありました。ところが心に救いなのは、入って間もない若造は、そんなもの。そういう努力が試されていると。とてもすんなり理解でき、そういうものだと、心も平静でした。そして段階を踏んでいき、彼らの頑張りが僕の評価として現実のモノとして渡ってくる、そんな地位に就くことになりましたが、言わせていただけば、コツコツと順を追って登っただけ、なのです。 さて、これが転職組に言わせると、心も平静ではない。 ある程度の年期や経験も、再就職の時点でリセット。 会社は、一からのスタートとしか見ていない。 だから、本来ならば、我慢の時期なのですが、記憶は継続しているので、すんなりとはいかない。「あいつ何もしていないがや」になるのです。 超保守派の僕から言わせると、それは転職を繰り返した当然の結末だと。もちろん、そんな事は心の内で言われたい放題なのですが、若いころの黙々と耐える貴重な一瞬を、今に活かせないのが転職だと思っている。 もちろん、転職によってスキルをupさせ、さらなる自分の向上と言う人もいるでしょう。 そして、現実に立派に成長される人もいるでしょう。彼らには彼らの正義とする経済学があると思いますし、尊重もします。 要は、今、現実のその仕事が、どういう経済学、経済倫理で運営されているのか、そこだと思うのです。 幸い、僕は保守的な世界で生きていますので、これはこれで結実しているのだと。仮に東京だとすると、忍耐に意味はないと一蹴される経済倫理が支配しているのかもしれません。 そんな保守的倫理で運営されているので、保守派なりの考え・恐怖もあるのです。 それが、【現雇用の扉の向こうは、失業の海】 コツコツ真面目に毎日を。これを緩めた途端、失業の扉は開かれるのだと信じています。 転職で自分を向上!!! こういう考えを持たなかったので、今の糸が全てなのです。 この糸が途切れる恐怖は、転職を経験していないだけあって、まさに路頭に迷う死の淵だと信じて疑いません。大げさに言うようですが、非転職組にとっては、今の職場が全て。この一貫した時間の流れこそ意味があると思っています。 長々となりましたが、これが平素僕の考える働く意味合いです。 ただし、天狗になってはなりません。貰ったのは僕ですが、貰えるようにしてくれたのは、実際に汗と埃にまみれている彼らの努力。感謝の念が欠如したときこそ、糸も切れると思っています。 僕はこの先どうなるのか分かりませんが、さらに出世したとするなら、それは彼らの努力をより報ってあげられる、そんな介添えも忘れてはならないと、こちらも信じて疑いません。 一年間、無事に勤めることができました。心に思う全ての人に感謝します。ありがとうございました。 le 27 mardi //電気自動車// つい、考えてしまうのが、先日乗せてもらった電気自動車の「燃費」の良さ。 どんなエコカーでも、100円分のガソリンで200kmは走れない。 それが可能なのですから、僕は次の車に「電気」は十分あり得る選択肢だと思っている。 ところが、僕はセダン以外に乗る気はないので、電気の選択肢が豊富になるまで、あと10年と読んでいる。 よって現ウーマン号は、あと10年は頑張ってもらわなければならない。 つまりです、買った当初に「20年乗る車ですから」と言った、その言葉が、まさしく予言であったというわけ。 ああ、今日はとても忙しかった。仕事の山は過ぎたと思っていたのですが、明日に持ち越しの膨大な量。明日は仕事納めと言うのに。 le 26 lundi //雪の朝// 寒いね。 一つの理想を挙げるとすると、とても慎ましいのだが未だ届かず。 「火鉢のある生活」 理想の住まいは、長屋でも良いのですが土間のある日本家屋。 火鉢に火を起こして、静かに本を読み、 鉄瓶からは湯の沸き出す音。 NHKのラジオ深夜便でも聞きながら、 風の音、雨の音を感じ、時を過ごすのが僕の夢。 その夢は、言うほど高くはないのだが、とても敷居が高い。 定年したあとの大いなる楽しみは、足元にあって慎ましいのだけれど、 それは僕が長年渇望してきた理想の空間。 le 25 dimanche //作陶収め// 今年の二月末に初めて足繁く通った瀬戸の陶磁資料館も、本日が僕にとっての作陶収め。 ところが全然上手く出来ない。。。。。 一つ高杯を作っただけ。 粘土の状態が良くなかったとは、手抜きの言い訳になりますがね。。。 ただ高杯は、今後も作ること多々ありそう。 粘土でお膳を作るのは、四点の設置を考えるとガタがくる。 そのてん高杯は粘土は少ないし簡単だし、安定性もある。 一の膳二の膳は難しいけれど、高杯なら4-5個作れると思うし。 年明けは高杯にしばらく没頭しそう。 そうそう、僕は始めてから今まで 全く何の制約も受けていないのに 洋風の器に挑戦する気が全く湧かない。。。。。。 le 24 samedi //アナタ、知らなかった、ミナト横浜// あけて土曜日。 ご主人と新横浜までエレガント・ウォーキング。 ご主人のジョギングコースとは違うルートでの新横浜。 いつもと違う道は、僕にとっても未知の世界。 二人して、気になる店の前に立ち止まったり、なかなか楽しい時間でした。 新横浜から名古屋は90分。 格安で買うと9400円ですからね、時間もお値段も東京よりお得感に溢れます。 最近、横浜や川崎に用があって、東京まで足が伸びていないのも事実。 たぶん僕は東京ディズニーランドには生涯行かないと思う。 東京なり横浜そのものが、実に楽しくて発見の連続。 ここを素通りして浦安に行こうとは、100年待ってもその考えにはたどり着けない。。。 le 23 vendredi //私、知らなかった、ミナト横浜// ヨコハマは、舶来の風を吹かせるお洒落な街だと思っていました。 ところがね、 いい味出しているじゃない。 伊勢佐木町辺りって、観光客とは無縁な地元の人たちで賑わっていて、 とっても良い味出しているの。 金曜日-土曜日と、毎年恒例の忘年会。 いつもお招きして下さって、今年で何回目でしょうか???? すっかり僕の年中行事になりました。 とにかく、お持て成しが素晴らしく、参加される人たちも ご主人の人徳でしょうね、皆楽しくて、夢か幻か なんて素晴らしい一晩だったのでしょう。 横浜は正午前に着きました。 それから15時過ぎまで歩く歩く。 ところが、何でしょう、、、、港町独特の湿気のなのか 寒波到来は知っていましたが、 足の底からしのび寄る寒さは、名古屋にはないものです。 le 22 jeudi //仕事の山// たぶん、今日が今年の仕事の山だったような気がする。それにしても皆、息災でよく頑張ってくれる。 さてと、今年の思い当たることの一つに、「老化」 老化というより加齢に伴う抵抗力の低下かな??? 今年も風邪薬は一切飲まずして風邪の類と戦っていますが、 その頻度が、去年より多い気がする。 le 21 mercredi //休みになったら// 年末の休みになったら、一つすることがある。 それは多くのマイミクさんの日記に、今さらながらですがコメント行脚の旅へ。 自分の日記の返事は書くものの、それだけに留まっているのが最近のmixiとの付き合い方。 年末の休みは陶芸も一切ないので、自分の非を詫びがてら伺うことにします。 三連休は、楽しみな忘年会。 前の日記で会社の忘年会にその意味が見出せずイヤだ!!!と叫んでいましたが こちらは楽しい仲間内の大忘年会。 le 20 mardi //候補// 今年を振り返ること、それは今年だけに非ず毎年のことでもあるし、今年に特筆するべきこともある。 今日からは思い当たること少しづつ。 本日は、ラジオSANQ について。 愛知県瀬戸市から発信するコミュニティFM。 この手の類の放送局は、内容も貧相で素人の呂律で聞くにもストレスが伴う、なかなかのレベルだと思っていましたが、ところがところが、聞きやすく、面白く、地元の話題を深く掘り下げ、手の抜いた番組もなく、名古屋に住む僕はワイヤー伸ばしてアンテナにし、ノイズあるの中、聞いています。 この放送局との出会いは今年のこと。 瀬戸市は陶芸を始める以前から足繁く通っているのでカーステレオで拾ったのが始まり。 そもそも、地域の話題を提供する放送局は、さかのぼること10年近く前の岐阜ラジオに熱狂したのが始まり。 テレビではBBCやCNNを見られても、地元の商店街の週末の企画なんてのは、海の向こうの情報より拾うのが難しい。 そういう話題が、たとえ岐阜であっても聞くのは楽しくて、何かの折には行ってみようかとも思う。 その岐阜ラジオもノイズの向こうの世界で、どうしたわけか夕方になるとラジオ和歌山と混信し日没後は聞けなくなる。 これに関してはradikoが見事解決。FM音声並みの音質で聞けれるようになりました。 さてとラジオSANQに戻るとして、、、、僕は緑区民。 緑区と言っても道路隔てたら天白なので緑区北部と天白南部をエリアとする発信媒体はない。 譲って緑区に特化したラジオ局もない。新聞の市民版や地元のニュースを見ても、 名古屋とは中京帝国の宗主国であって、方々のニュースを拾い集め発信して「地元」と称する。 だから僕は緑区で何が起きているのかもしらないし、ましてやタイムリーに週末何かがあるなんてのも分からない。 地下鉄も名鉄もJRも名古屋駅に行くように、緑区民は住んでいても心は北西を向いている。 だから瀬戸のラジオ局は、その存在自体が面白いし、そして内容深い出来栄えに、もうウットリしてしまう。 自分の住む町の週末の企画とか事前に知ることができるなんてのは、もう地域の価値・財産だと思う。 le 19 lundi //金正日死去// 昼ごはんは中華食堂。おばちゃんが、今テレビでいっとるよって。。 食事する人、皆それぞれに今後の北朝鮮について語る。 これは聞いていて面白かった。 僕としては、聞いてすぐに思ったのは、、、、 来年は、大風呂敷を敷いてしまった強盛大国の年。 ところが宣伝とは裏腹で 建設は粗末なもので人民の飢えも解消しない。 ここで将軍が死去したら、当面は喪に服せるわけで、 強盛大国未到達の言い訳も必要ないと。 案外、ロイヤルファミリーが怪しかったりして。 この困窮において イルカ館とかを建設する狂気についていけなかったのかと。 仮にそうだとしたら、 労働党の独裁は維持するものの、 案外、中国の助言とかには素直で 現実的な経済の舵取りをしたりして。 と。 le 18 dimanche //賞翫// 見ては愛で、手にとってはいとおしむ。 小さな壺は径が5cm 焼きに回ったら一回りは小さくなります。 全く実用の範囲外ですが、まさしく賞翫に耐えうるものになるであろうと。 そうそう、ウーマン号を買った時、ハイオクはリッター100円でした。 あの頃、100円あったらガソリンを入れて、僕は13kmばかりの自由を得ると、 100円の価値換算がそれでした。500円だと65km先に行けれるのだと。 今は、粘土。やはり500円だとすると、そんなものを買うなら俺は粘土だ、というふうに。 来年、月に2100円の贅沢を考えている。 南信州新聞は、発行日のモノもネットで読める。(100円) それを一月2100円払うと、着日は翌日ですが、 つまり名古屋の僕は前日の新聞を手にするわけですが、 まさに新聞紙として手元に届く。 紙面を捲る喜びは、相当なものだと想像もつく。 でも、そんな贅沢をするべきなのか、それが粘土何キロ分なのかって僕にちらつく。 le 17 samedi //気が楽になったのは、、、// 結局は普段と同じ過ごし方なのです。 ところが200日とか300日連続すると、僕はもはや病理の域に達しているのだと 嫌悪することもしばしば。 何かと言えば、一人でいること。 誰かと話すとなれば饒舌で飽きさせないらしい。 ところが、進んでそういう環境には身を投じない。 お話に花が咲くのは、初雪が降るようなもの。 その時になって初めてというわけ、ね。 では、引き籠ったり退屈しているのかと言えば、 幼少の頃は庭の砂場で、部屋で絵を書いたり、 全力で一人の時間を楽しんでいるのです。 いつの頃だったでしょう、 母親が度々「もっと外で遊びなさい」と、母なりの危機感なのでしょうね 強く迫られましたが、僕としては十分遊んでいるので、何を言われても 部屋で黙々と遊んでいる。 そういう傾向は今になっても同じで、 時に、この孤独を愛する過度な気持ちは一つの病理の域なのだと 自己嫌悪に陥ることもありましたが、嫌悪の対象が自分の好みなので どれだけ悩んでも、やはり一人でいる。 それを、先月の日記にも書きましたが、悩むものではないと理解でき、 陶芸が、普段に増して楽しくなったのも、それが転機だったような。 le 16 vendredi //金曜日の酔い// なぜだか帰宅したあと大曽根に赴き瀬戸電に乗る。陶のあかりという小さな街かどの展示を愛で、銀座商店街の小料理屋で熱燗を。それから女子大に赴いて飲むのだから 個人的な小さな忘年会。 le 15 jeudi //寒いからね// ジムには行かないのだ。。。 澱んだ水でも、びっしり氷が張り凍てつけば、なんか浄化されるような気がする。 冬は寒いからこそ、雑菌やら病害虫が死に、大地も正常になると思っている。 昔なら11月も終わりには、空き地に霜柱も立ったような気がする。 le 14 mercredi //新聞を読んで//とはNHKラジオの一つのコーナー。 僕の好きな南信州は飯田市。 この町の最大の欠点は、美味しいコーヒーになかなか巡り合えないところ。つまり、あってほしい場所に入りやすそうな喫茶店が無いのです。 南信州新聞は行っては必ず買い求め、名古屋にいるときはたまにネットで購入します。 お菓子の部屋ってお店ができるそうです。 あの辺りで、美味しいケーキにコーヒーだなんて、求めていたのは僕だけではないはず。 le 13 mardi //粟//クリじゃないよ、アワ。 究極の斜面集落である下栗の里の民宿で食べたご飯には、白米の中に黄色い粟の粒が光っていました。 その美味しさは格別で、ドライブに行っては直売所で粟なんかあった折には買い求め我が家でも粟御飯を賞味。 本当においしい。 その粟が間もなく底を突く。 救荒植物の粟が、今では米の何倍も高価な希少穀物。 ネットで探しているのですが、イマイチぴんとこない。 le 12 lundi //働いた働いた// 久しぶりに働いた。12:40から17時までノンストップ。 考えると、昔はこれが当たり前でした。労働環境が整備されたのか出世したのか、 昔を思い出す働きぶり。 le 11 dimanche //今年何買った???// 50000円の携帯を買い、五カ月程度で80000円の須磨保に買い替えたと言えば、大ブルジョワジー!!!!と言われそうですが、振り返るとそれ以外の買い物が思い浮かばない。。。 たぶん、中-大型の買い物は一件もないような気がする。 思い当たるのは、喫茶店のコーヒーチケットを値上げ前にまとめ買い。 陶芸の粘土や教室使用料。陶芸の細々とした道具。陶芸の本。 若干の衣料品。ガソリン代に高速代。 おそらく、ここ10年で最も支払金額の少ない一年だと思う。 それでも楽しく充実感に溢れているのは、陶芸との出会いがあったから。 一週間七日あるうちの二日しか作陶できない。 だから、この二日僕は没頭するのです。ゆえに、他の一切に手がつけられない状況。 他の一切には散財の要因がずらりと並んでいますが僕は今、陶芸一筋。 ちなみに、本日は、教室使用料が720円。ガス代に450円として高速代が500円。昼ごはんに640円。合計2310円。これに粘土買う日は+の1000円程度。 2310円で一日充実して楽しいのだから、僕はなんて幸せ者なのでしょうか。 これが一年前ならドライブ程度しか選択肢が無くて、15000円程度は使っていたのだから、 まあまあ、世の中の富や幸せは、身近にあるのに気がつくかどうかってことですよ。 でね、作陶中はかなり精神も統一している。人に言わせると話しづらい集中力だそうです。 そりゃそうだ。 たぶん悦に入る頃は1-2-3mm程度の曲線の変化とかに変わる美を見ているのです。 こうなるとですよ、煩悩というか他の物欲も消える。 昨晩のヤマダ電機もそうですが、なにかその、そういうところの投資が、結果的に陶芸の時間も潰してしまいそうで、全く興味も関心も湧かない。 le 10 samedi //げんこつ一発// 拳大の、手をグーにした量の粘土が残りました。 今日の陶芸は、グーの粘土(赤土)を使い切り、白土へ。 苦労しました。先週、乾ききった粘土カスなどを集めビニールに。水が多かったのでしょうね、 とても手捻りする状態になかった。2-3時間、全く何も完成せず。 正午前から、ようやく言うことを聞く。 二時半ごろだったかな、赤土も使い切り、一度道具や机を清掃。 本日は検査会の日だったし、そういう理由も先行して、白土には手を付けず帰ることに。 一度帰って千種保健所へ。 毎回通っていますが、今回は即日検査だったらしく、ややや、結果を聞くのに二時間半後。 日曜日にもう一度と思っていたので、急遽池下難民になってしまったのです。。。 帰り、野並のヤマダ電機に顔を出す。 でっかくなって帰ってきたヤマダ電機。全館大安売り。 以前の僕なら、アレとコレとソレ、この機会またとなしと正統化してボンボン買っていたのに、 これも陶芸の効用、週末のほぼすべてがその世界なので、ヤマダの商品に購買の欲が全く湧かないのです。 明日も陶芸。二キロの白土に手を出します。 さて、これでどれだけ作れるでしょうか!?? そういうドケチな発想から薄い造りに拘り出し、結果的に上手くなりつつある。 le 9 vendredi //忘年会// 会社の忘年会。僕は「会社の忘年会」が好きではない。そういう意味において、かなり割り切るところがあるので、会社の労は、個人の裁量に任せる休養で労うべきだと思っている。 会社の人間関係で、この人と飲みに行きたいと自然発生的に産まれる飲み会は大好きです。だから僕は自分の課の忘年会はやらない。前任者とは違う考えなもので。 仕事はある種の緊張感と連帯感と、どうしても発生してくる反目と、そんなのが渦巻く世界。 それを年末に御苦労さまと酒を飲んで洗い流せるものでもないし、酒の席で下手な言質でも取られる方が怖い。 ただし皆の活躍と健康と環境整備は常の心がけであり僕の祈り。 そういう気持ちは大切にしています。大切にしているし心がけているからこそ、その不備を酒の席で誤魔化したくもない。 さて、仕事のしがらみがない忘年会は好きです。 そういう集まりにおいて、何か共通の目標に向かった労などは全くなく、 それぞれのスタイルで一年無事に過ごせれた確認を楽しく酒の席でする。 こういうのは大好きです。 le 8 jeudi //本日は、木曜日//ってことは、明日は金曜日。明日はあまり気乗りしない忘年会だけれど、土曜は日曜は作陶ができる。 ジムが休みな木曜日。どうしたことか久屋大通で乗り換えて大曽根で下車。ここで一時間ほど【桃山陶の華麗な世界】という写真集に見入る。 大曽根での人の乗降の多さには驚いてしまった。名古屋は北の玄関口。 ところが、最近、錯覚が解けたのですが、黒川から大曽根って横一直線で並んでいるのですね。黒川の遥か北に大曽根があると信じてきたのでビックリ。 そうそう、明日、野並にヤマダ電機がでっかく再オープン。どうしよう!!!! le 7 mercredi //陶芸について// 毎年、大晦日の日記には個人的な10大ニュースを書くのですが、当選確実の項目に「陶芸」があります。 それまで趣味という趣味が無く、ましてや文化の香りがする趣味なんてのは全く御縁もない状態。ようやく巡り合えた陶芸。本当に嬉しかったですよ。 楽しくて嬉しくて、とにかく続けられました。 まず近くて格安。この恩恵は絶大。 そして上手い下手以前の問題で、幼少の頃から土いじりが好きで、 その大人版に出会えた喜び。 スパイスとしては、一人の世界に没頭できる環境。もともと週末の9割以上を一人で過ごす僕にとっては、全く理想的な環境。 何の経験もなく、とにかく楽しくて、いろいろなことを試してみたくて大量に作る。それは今となっては正視できないガラクタばかりですが、自分なりの成長方法だったのかと思うのです。来年も没頭しますよ。昨日の日記にも書きましたが、これが黄金の貯蓄法にも繋がっているし、全く素晴らしい限り。 明日はジムも休み。 陶磁資料館で買ってきた本「桃山陶の華麗な世界」どこかのコーヒーショップで読み耽るかな。 le 6 mardi //歌のサビで分かってくれた// 昼休み、僕は歌い出す。 最後の最後で、この歌を理解してくれました。 さてと、365日を7で割ると、約52。52もの週があるということは週末の回数は52回。 土日は休みだから104日。 104日ある休みに、多い年で70回ほどは一人で出歩いています。 70回のドライブで使用される金額は、70-100-130万円でしょうか??? 僕はこのほかに祝日も休めるしお盆や正月も。 まあ、ここは誤差の範囲ということで計算に入れません。 陶芸を始める前は、一年に100万円は消えていました。 これがですよ、陶芸では、どんなに贅沢をしても一日3500円(交通費込み) もちろん、粘土は次に引き渡されるので、実質、昼ごはん代も含めて2000-2500円。 2500円で計算するとして、例えば年間80回利用したとして、、、、20万円。 過去の日記を見ると、いかに支出を抑えるかアレコレ考えていましたが、 陶芸は安く見積もっても年間80万円の利益を僕にもたらす。 これでますます腕を上げ売れるようになったとしたら、 僕はですよ、黄金の蓄財法を編み出したということになります。 le 5 lundi //昔の日記を読むと面白い// 長々と書き続ける日記。 たまにランダムに読むのも面白い。 例えば2006年の10月20日は、 le 20 vendredi //瞬間の自己防衛→嘘// 何かを問い詰められたとき、自己防衛本能が働いて瞬間的に嘘を選択し、口外してしまう。 一度や二度なら聞かないふりもできるけれど・・・・・ 人として、根本的な信用問題にかかわる。 ましてや、瞬間的な自己防衛が他者にする責任転嫁。 これも一度や二度なら何かの間違いと思うこともできますが、人として根本にかかわる信用問題。 このような心の狭さからくる自己防衛は、いづれ防御できない制裁となって自身に降りかかるでしょう。 心するべきことは、制裁云々に介入しないこと。 そのような事柄に心を砕くものではない。 世間の常識。組織の連帯感。 人間の良識は不道徳を自然な形で駆除します。 2008年の12/2は、 le 2 mardi //色欲な女// きっと彼女にとって、恋愛のない期間は絶えられず、次から次なのでしょう。 その彼女は、一つの家庭を崩壊させ、当然今は謹慎するべき身なのに、相談事といえば、新しい恋を始めようかと。。。 もうコンパにも参加しているらしい。 家庭を崩壊させてまで、その男が欲しかったのなら、一つの筋道も見出せますが、その男を待つことも無く、次を考えている。 そういう女は、小説や映画の世界かと思ったら社内に居たなんて。 「本当の愛」とか錦の御旗を掲げ次へ進むのでしょうが、その軽すぎる身の処し方に、行く末は、きっと重い荷を背負うのだろうと、年寄りは思うのです。 長く書いていると、過去の日記というかブツブツ駄文が今の僕にはとても面白く映る。 こういう楽しみは、まさに書いた者だけが味わえる特権。 2004年5月の25日は、 le 25 mardi //同情も時間切れ//人にはいろんな性格があり、打たれ強い人もいればその逆もいる。 ある時、なにかきつい事言われたり、ちょっとした嫌がらせにあったりして塞ぎ込んでしまう人もいる。 皆は気にして励ましたり、彼が塞ぎ込むのを黙認したり、しばらくは容認の姿勢で回復を待つ。 ところが、いつまでたっても塞ぎ込んだり音沙汰無しでは評価も変わるもの。 この人は何か心に傷がついて塞ぎ込んでいるから、心に問題があり塞ぎ込んでいると・・・・・ 会社には先先週の中頃から出社を拒否している人が居る。 彼はそのまま週末に突入し、次ぎの週も丸々休んだ。 そこまでは会社の皆も同情していたのですが、今週も親から一周間休むとの連絡があり。どうも部屋に閉じこもり出てこない重傷のよう。。。 さて、この一報を聞いた会社や社員は先週までの同情もどっかに消えてしまい、「とっとと辞めれば良いのに」と。 全く評価も逆転。 ダダをこねるのも時間制のようです。 やはり厳しいい方をすれば、会社や、いやいや友達であっても、我々は彼に対する医療機関ではない。 そんな長期の重症患者を見守るのは当初から想定していない事だし我々の役割でもない。 困っている人や悲しんでいる人がいれば励ましたり話しを聞いたりするのは当然のこと。 しかし、当の本人も水禽屈のように少しは響いてくれるか、もしくは芽を出してもらわないと困る。 それに時間がかかるのも承知しているけれど、 実は、この種はいくら水を与えても成長しない死んだ種と断定されれば、だれが水を与えつづけるだろうか。 励ましや同情や見守りは、彼が再び立ち上がると信じるからするのであって、その信じる信じないには、どうやら時間に左右されるみたいです。 le 4 dimanche //切り殺し// ドけちな僕は、乾ききった粘土カスも集めてまた使う。 二キロの粘土も残りわずか、状態は良くない。 しっかりこねれば良いのでしょうが、先を急いでしまうのですよ。 薄くすると、シコリを感じる。乾いた粘土粒です。 僕は勝手に「切り殺し」と名付けましたが、ヘラを鋭角に 例えるならカッターの歯で、ろくろを回しながら、粘土の上から下に下から上に何層もの細かい筋を付けて、そういうシコリを殺すやり方を見つけました。 それでも、さらに薄くなると、どうしても周辺が持って行かれ崩れてしまう。 本日は古窯焼成の報告会。 一日いたのに時間が割かれてしまいました。 後悔するのは、香炉になぜ耳を付けなかったのかと。 一つ課題があります。 先月の写真もそうですが何を作るのかはいつも決めていない。 伸ばしたりへっこましたり、ラインの変わる様はとても楽しい。 そうやっていろんな形を作っては変更させ、何十回かやってようやく落ち着く。 だから時間の割にはちっとも完成しない。 ヘラに水を含ませ、回転させる内側から外側から、上から下から 回す方向を変えて、 あらゆる力加減で素敵に表情を変える。 ときには指先とヘラの挟み込みや両の手の指先で、ああ、なんて楽しいのでしょうか。 少ない粘土で薄く広げて、粘土の割には大きなものを作るのも楽しいことだし、 なにより二キロの粘土で何日楽しめれるのかも楽しい挑戦。 あああ、いいい、ううええお。 何も考えず、何日も連続して没頭したいわ。 二キロの粘土、まだ拳大で残っている。 これでどれだけ作れるのかは来週のお楽しみ。 le 3 samedi //お正月までには間に合うかな??// 今月の末は年の瀬。一度、陶芸に関しての長い日記を書かなくてはと思っています。 なんて楽しいのでしょう。朝から夕方まで没頭。 途中、集中力も途切れて、何やってもダメな二-三時間もありましたが、 今になってみると、集中力は非空腹と深いかかわりがあると思うのです。 昼も小腹満たす程度ではダメ。 昼食をとって午後も頑張れると思うのです。 le 2 vendredi //寝つきの良さは、、、// 切り替えの良さ。だから金曜日仕事が終わると、疲れていない(はずなのに)のに、どっと疲労感に襲われる。家に着いたらヘトヘト。 これでは楽しい金曜日の晩も流れてしまうわ。 帰りの地下鉄でも、本を読んでは2ページほどで睡魔に襲われる。 それがですよ、体の奥底から這い上がる疲労感で、寝れば解消するのですが 転寝ではダメで、僕は間もなく寝るという選択をせざるを得ない。 le 1er jeudi //まだ間に合う!??// いかんいかん、考えることは次の作陶。 だって今なら年内に手にできそうだし。 さてと、陶芸を始めたのは今年の二月末。全くの未経験からコツコツと。 当時の日記に「神の手」を持つ人がいると、その驚嘆を書いたものでしたが、 実に素晴らしい技量の彼は、人々を驚かし、そして去ってしまった。 今でも語り草になるくらいの彼。何かの拍子で現れたら嬉しさ爆発。 その神の手を、一度事細かに見てみたい。 |
→→→先月の日記←←← |