février.2010 le 28 dimanche //猪肉// 山奥育ちの我が父上。先日、ぼそりと旨い猪肉が食べたいと。 昨日のドライブで猪肉も調達。今日の晩ご飯になりました。 いつもとは違う感じで旨そうに食べる。 古い記憶に一致した味なのでしょう。 地獄の黙示録-完全版を見ています。 狂気が表現されていて見入ってしまう映画です。 多少なりとも実話な部分があるのでしょうか?? csを契約している身としては殺戮の原野も録画したい。 え? キリングフィールドですよ。 ベトナム戦争は朝鮮戦争と違って米兵も保守的ではない。 ドラッグをやったり自由な個人が芽生えているのに 極限の世界へ追いやられる。 朝鮮戦争の映画はあまり世に出ません。 この違いは、単に古いというわけでなく アメリカの敗退というわけでもなく(いや、少しはあるが) 自由なアメリカ人が足を踏み入れる狂気。 自由が結え、狂いも早い。 と、思う。 狂いは、狂人と常人の二分割で言い表せない。 常人の心に狂いがあって二分の戦いをしている。 負けたものが狂人であって、誰にでも素地がある。 それは社会の常識が狂人を敗者として位置づけているのだが、 狂いの集まりではより狂ったものが勝者。 狂っているからこそ表現できると 薬物に頼ってその狂いを見出そうとするものもいる。 人は、実はちょっと狂ってみたいと思ったりもしている。 と、思う。 le 27 samedi //今、快晴なのに雨マーク// 天気予報大ハズレ。快晴ですよ名古屋。 今シーズ最初の斜面集落探訪に行って参りました。 南信州は、雪も日陰に残るのみになりましたが、まだまだ荒涼としています。 春の色彩は、これからめまぐるしく色を加えていくことでしょう。 ● //大河内集落// 天龍村史を読破した身として大河内集落は気になるもの。 今回、初めて行きましたが池大神社を見つけるには至らず。 狭い道路と一段低い田んぼの間の畔に、高さ50センチほどの小さな屋根付きの小屋。 屋根の下は粘土で覆われ煙が出ている。 炭焼きです。 なんとも情緒的な香り。 320kmkの日帰りドライブでしたが、 この何気ない光景が一番心に残るのです。 le 26 vendredi //水曜日の日記// これに帰結するのです。 真摯に謙虚に働いて、あとは広い心を持つ。広くて深い心。 le 25 jeudi //ネット配信// 海外では数年前から当たり前ですが、とうとう日本でもラジオのネット配信が始まります。試験的に東京と大阪ですが一日も早く全国に拡大してほしいです。 地方のラジオは、聞くだけで情緒的にもなって目を閉じてうとうとしていると まるで彼の地にいるようです。 岐阜ラジオは聞こえるのですが、なにせノイズが激しい。 僕が鮮明に聴きたい番組は、 ● 地元の情報が満載で旅の参考に。 ● 土曜日、ベッドの中でまどろんで聞けば岐阜にいる感覚。 ● 日曜後の夕方に感じる独特の哀愁を紛らわしてくれます。 ● sbc信越放送日曜10:00-11:00のフォーク名曲選。 抜群のナレーション。 http://www.sbc21.co.jp/podcast/ ↑ 今は、公開できる番組を細切れで配信していますが、 ライブですよlive サムネイルで1-2分の時差は生じるものの 大革命です。 le 24 mercredi //この寒暖の差ときたら// この前、吹雪の師崎を歩いていたのに、もはや四月の陽気。三月はどこへ消えた??? 傲慢であったし高慢であったとも思う。しかもお腹はいつも膨満。 信念として、労働は身を救う。 労働は自己を高めてくれるし、 閉塞感の打破もやはり労働がもたらしてくれる。労働は身を救う。 ところが欠けていました。 真面目に働くのは当然のこと。謙虚さも携行して。 謙虚さのない労働は、身を引っ張る。 じゃあ、何のために働いていたの!? 労働は身を救う。謙虚な心を持って今日も明日も。 le 23 mardi //全肯定の愛// 溺愛は子供の成長にマイナスを及ぼすかもしれない。 ただ思うのは時に事の云々は別にして受け入れる母の愛-父の愛そういう全肯定の愛は必要だと思うのです。 歳を経ても。。。。 ところが立場は逆転し、いづれ他界する。 できる妻は全肯定の愛を旦那に施し、明日への奮起に繋げるだろう。 いづれ全肯定の愛を語る人のいない寂しさに包まれるとしたら 何に充足を求める?? 酒? ギャンブル?? 生物学的にある種当然な道を拒否した僕らには 僕らなりの問題があり、僕らなりに解決しなくてはならない。 ベッドの中の甘えでなくて、 よい大人も、ときに全肯定の愛を受けたい。 le 22 lundi //3/27-28の日記// 迷っていましたが決断しました。7年に一度ですからね。引っ込み思案で逃して後悔もイヤだし。 3/26-27-28と長野県飯田市では七年に一度の大祭【お練祭り】が執り行われます。丘の上と呼ばれる旧市街で繰り広げられる時代絵巻。 ところがノンビリしていたら丘の上のホテルが満室に。 僕が選んだのは飯田インター近くのホテル。● なんとか見つけて、この郊外。 15時にチェックインしますが、僕の行動予定は、 9時前には飯田入り、鼎中学に車を停めてシャトルバス。● 丘の上に入り七年に一度の大祭を見てこようかと。 シャトルバスで戻り、ホテルへ15時。 16時くらいからまた出かけるとして、通常のバスは動いているのか!? 市民バス 市内循環線 ● 丘の上で酒が飲めるのは、車をホテルの駐車場に停めた後半戦から。 贅沢だと思うのは、気晴らしの町。旨いものを食べるための町。 そういう街が僕にはあって、その一つが飯田。 ところが年に何度も泊まるのに、当地で友達が一人もいないのは 異常だと思うのです。 ただ掲示板にその手の類を書くと、その先に性愛云々があるような気がして。 それを全否定して求めたとすると、かなりの確率でときめかない出会いがあるはず。結局、僕のうちに都合よい部分があるのです。ただ確証がないので公募しないだけ。 le 21 dimanche //イオン渋滞// 家から知多半島道路へ行くのにイオン渋滞に巻き込まれる。インターまで40分とか、どおよ!! 昨日の日記にあんなことを書いていて今日は14時に家を出た。 知多半島って、半島道路を使えばあっという間だし、近いイメージが強い。 ところが結構距離あるのです。 今週は前言翻しばかり。やはり別荘建てたい。 僕は火鉢のある生活が夢なのです。 ログハウスを建てます。 土間があってクドさんがあって薪でご飯。 薪ストーブもおきたいです。 土間の横には板の間。囲炉裏ほしいです。 その奥にもう一つ部屋を。1階は土間を含めて三間でok 階段があって二階に一間。 トイレはシャワートイレでお風呂は電気式。 うーーーむ。他に住む家があるのだから無駄といえば無駄。 理想だけれど、理想を手にしないのが経済的に一番の理想。 理想とは二系統も三系統もある。 だから意見の対立が起きるのでしょうね。 皆、正しいと思って時に衝突する。 理想に向って!と言っても好き勝手に散らばるだけ。。。 le 20 samedi //朝の2-3時間// 休日の朝。目が覚めてもベッドで2-3時間の睡眠の延長は許される。これが実に心地良いのだけれど、これをしてしまうと外出するタイミングを逃し終日家に居ることになる。 家を出るタイミングは僕にとっては実に大切。 このタイミングズレで見合すことは何度もあります。 要は融通が利かない。朝早く家を出て、朝のどこかで現地に着き、昼過ぎには家へ戻るのが理想です。 土曜日は、昼から車を二時間かけてピカピカに。 夜の20:30頃に八事に外出。そして戻る。 それなら溜まった旅行記でも書けばよいのに。。。。 le 19 vendredi //賢師// 仕事が終わって飲みにいくとしたら会社の人たち。 昔は趣味の仲間つまり組合員とも言いますが、そういう人たちと飲んでいた。 いつの頃からか、出会いより味を求め会社の人たちと美食の限り。 この日は、東京から賢師が来名。 賢師のマイミクさんと三人で旨い料理屋で酔う。 こちらの人たちと旨い食事で平日に酔う。一つの理想系です。 この旨い料理屋は、こちらの人が多く集う一般の料理屋。 不思議な感覚が大好きです。 こちらの人に安住すると、商売の売りが味以外に移行するはず。 食べ物屋としては致命的失敗です。 le 18 jeudi //ところが、、、// ところが別荘なんですが、このまま年月が経過すると、僕は二つ三つ、いやいや四つくらい家を管理する事態も想定されます。 こんな時代は皆に共通していて不動産業界も3-4割は廃業するでしょう。 皆、親が建てた家に住む。しかもだいぶと前から少子化。兄弟で争わない。 そんな時代は20年後には到来するでしょう。今、家を買っても安く投売りする時代は到来します。 不動産の購入は、10-20年待てる人は待った方が良い。建て替えとかリホームが現実的だと思うのです。 だから僕が、どこかに別荘を建てても、実家なり田舎の家や、人の数より部屋の数でなくて家の数ほうが多くなる。 こう考えると、憧れの別荘購入は見合わせ。 声を大にしていいたいのは、 戦後から平成にかけての65年程度が住宅不足で、 それは日本が豊かになるにつれ大量に建設して解決に向った。 平成に入ってからも、まだマンションなり建て続けている。 この時代はまもなく終わります。 探せば程度の良い中古物件が安く入ります。 よほど立地が良くなければ物件売れません。 日本人が減るということは、 日本人の成長過程でみる当たり前の経済行動を 回避することができる。 日本人の最大の買い物で最大の悩み事だった不動産問題を 大幅に軽減できます。 親が不動産を売却して死へ向けた焦土作戦をさせてはダメです。 子は親の面倒を見て、不動産を手に入れなければなりません。 豊かに暮らすことは、財の継続です。 好きな場所に住むのとは別儀です。 le 17 mercredi //と、景気悪い話をするのは、、、// もう何年も顔なじみの下請けさんが廃業するとのこと。彼は人柄もよく、毎日顔を合わせて当然と思っていたのに、衝撃です。 例え正社員でも会社が倒産すれば身分なんて関係がない。 不思議です。もし日本が鎖国したら、国民は食料を確保するために農地を切り開き国家総動員の様相を呈するでしょう。フラフラする者はいなく遊んでいる土地もない。 もうコーヒーは飲めなくなりそうですが、例えば江戸時代、幸せだったと思うのです。 僕は、どうも深刻に考えるというか、風邪も自分で治す。ある種、危機を想定して自分で対策を練るのが好きなのかも知れない。 明日にでも会社が倒産するような危機感が漂った感じですが、そんなことはありません。 ただ、この不景気。加えて言うのなら、年金問題とか困難は想定されます。 それを考えるのは楽しいことでもあります。 僕が今月、極めて支出を抑制しているのは、欲しいものが控えているのではなく、そのための予算確保でもなく、非常時にいかに健全でいられるかのコツを探す過程なのです。 親が死に定年後、いかに健全に生きるのか。 そんなところまで視野に入れています。 恵まれていると思う。 名古屋で親と同居。まもなく地下鉄も通る。 今迫られて別に居を構えるとしても、 それが老後にとって理想に近いのかどうかは未定。 僕が考える理想形は、今の場所で生活するものの、どこか気に入った場所に別荘を設ける。 こちらのほうが贅沢感に満ち溢れ、しかも都心で居を構えるよりはるかに安価。 ウーマンは、余裕あるよねって言われても実は誰よりも安価に仕上げる。 le 16 mardi //100万人に一つの百貨店// 現在は50万人一つの百貨店ですが、いづれ淘汰も進めば、100万人一つの一級百貨店。50万人に一つの代用百貨店。こんな時代が来るような気がする。 それほど百貨店という業態に皆の関心が向かないのでしょう。 高級住宅街に、品の良い食料品店がポツポツあれば、街の中心街に一つ百貨店があれば用も成す。 ただ日本が超高齢社会になっても豊かな層は残るので、彼らの欲求を満たす施設は数を減らせど残るでしょう。 名古屋は駅前に高島屋。栄に松坂屋があれば用を成すと思う。 あとは豊田-豊橋-岐阜-浜松に代用百貨店が一つあるだけ。 10あるものが9になるのなら、国民が危機感を持つには至らない。 ところが10のパイが7⇒6になろうとするのなら、 自分は生き残れるのかと疑心暗鬼になる。 これを8程度に落ち着かせるために蓄えた国民の貯蓄を放出する政策を採るのなら10-20年は危機を遅らせるかもしれませんが、最後の蓄えも放出した感があってその後のことを考えると恐ろしいです。 le 15 lundi //罵られる側の正義// 誰もが自分に正義なり大義を持って行動している。 僕が下賎な新自由主義と小泉改革をことさら非難するのですが、そうは言っても彼らなりの正義がある。 新自由主義者が、この学説で世の中失業者が溢れます。だから採用しましょうなんて言わないし、考えてもいない。 マルクス主義者も同じだと思う。この考えの果てには国家の崩壊がありますなんて言わないし、考えたこともない。 人間は進歩して効率が上がる。10人の仕事が4人で済む。 経営者は、それを目指している。 ところが6人を受け入れる準備を誰かがしなければ失業者が溢れる。 新自由主義者は自由闊達な経済風土で六人が吸収できる自然発生的なものを確信していたのでしょう。 マルクス主義者は、10人が15人分の仕事をするべきと考えていたのではないか!?失業者はありえない。 とにかく質が悪くても石炭を掘り続ける。 人間の効率が上がるのは人間が人間ゆえ多彩な根本を成すものだと思っている。 10人が10人の食料しか生産しなければ、誰が衣服を作るのだろう。 2人が10人分の食糧を生産し、一人は医者。一人は機織。一人は鍛冶屋。一人は採炭工。。。。。。 僕は、今、10人で考えた。 これを1000人で考えましょう。 少し前、50人が1000人分の食料を生産していた。 ところが、今や、グローバル化で安価な食料が入ってくる。 1000人の島で農業従事者は5人。 少し前、20人が機織をしていた。ところが安い島から大量に流入して今や機織は2人。 こんな感じで、中国がインドが安価で大量で、しかもそれなりのニーズを満たすものを大量生産して、受け入れる日本。 同様の仕事をしていた者は失業する。 この状況下で小泉改革は中国に匹敵する安い商品が作り出せるよう日本人を安く雇うことを選択した。 しかし、数十年も先進国だった日本に、やはりそれは限度もあって頓挫してしまった。安い労働者は街に溢れても中国のような安い商品は作れない。 それなら価値のある商品を作ればよいのでは?と思うのだが、安い日本人を大量発生させてしまった今の世の中で、彼らが買えるのは中国製のみ。 日本人が、今後も長く路頭に迷い、中国人が安い仕事はモウイヤ!と卒業するまで耐え忍ぶのか、それとも世界が日本商品を求める新規なる何かを世に出すのか、、、、 後者であるべきですが、安い労働者を大量発生させて10-20年。 子供の教育に関心を向ける余裕のない家庭。そして子供たち。 今回の不景気は悪質で根が深いと思う。 le 14 dimanche //0円// 建国記念日は100円は支出しましたが、本日は0円です。 では何をしたのかというと、膨大な時間があったというのに 記憶に残ることをしていない。遅く起き昼寝。 アレコレ買うべきものが控えている。 携帯電話。そろそろ限界でしょう。 夏の山には長持ちするのを買わなくては。 問題は現在主として使っているpc。 壊れてはいません。メモリが512なのです。 増設しても確か2Gとまり。 512ではハイビジョン動画が固まるのです。 前回はポンコツになって買い換えましたが 今回はポンコツでもないのに買い替えが迫られている。この悔しさです。 le 13 samedi //消費のラマダンは続く// と、言っても外出しました。お茶屋に行き、帰ってからは外食と買い物。 そうそうmixiのボイス。 最近、日記にするには軽すぎる内容はボイスに書きます。 さて、ボイス。気軽と言っても限度はあると思うのです。 もう情緒不安定の産物なのか ボイスの物量攻勢で長々としたものをダラダラ。 辟易というレベルは超越して、あー彼は不安なのねと話す始末。 何事もそれにはそれなりの重軽があって、 それに即するべきだと思うのです。それを自ら汲み取れるかどうか。 le 12 vendredi //脳内麻薬// おそらくこれに勝る快感はないのでしょう。 自殺未遂をした人は、その死に行く過程で恐怖とは正反対の恍惚としたものを覚えたそうです。これは人間のメカニズムが働き、空気を吸えない苦痛を忘却させるに余りある麻薬物質が大量に分泌されたとのこと。 おそらく自殺云々は別として人の死はその過程に入ったとき恍惚としているような安らぎがあるのかもしれません。 しかし、この自分がそれを発するという機能を薬物に求めた輩は、 その際、自分で放出することができずに苦悶するように思えます。 これは自然治癒力と同じだと思うのです。 本来その力があるのに安易に抗生物質に頼って 本来の力を発揮できない人間になる。 平素、薬物に恍惚を求める輩は もはや自力で脳内麻薬は出せないのでしょう。 脳内麻薬という、痛みを忘却させる ある種の最強のメカニズムを衰えさせた結末は重大だと思うのです。 le 11 jeudi //寒さという質の悪い、、、//時間。 人間の防衛本能として寒いと寝るのでしょう。 今日は日中雨がシトシト。昼から4-5時間も寝てしまいました。 なんか寒いしベッドに入ろうと思うのです。それが本格睡眠につながる。 建国記念日。週の真ん中の独立した休日。 本日は情緒的に過ごすことに大いなる楽しみを抱いていました。 そういう時間の過ごし方はしたのですが、 いかんせん4-5時間の昼寝で消化不良です。 次の週末はどうすごしましょうか? 春季生活防衛闘争期間中でもあるし、 頭ひねって充足な時間を求めましょう。 le 10 mercredi //消費のラマダン実施中ですが、、、// 今日は飲食に浪費してしまった。 春季生活闘争といえば春闘の略ですが、春季生活防衛闘争です。 一人で過ごすことが年の大半を占める自分は、 ついつい充足感が出費に比例するお馬鹿な傾向に走るのです。 こういう独り身というのは、実のところ自分に強くなくて金に逃げていると思うのです。することがないのでパチンコに行くレベル。 散在はしないけれど、とても充足感のある時間。 もっとも効果ある生活防衛は愛する人との濃密な時間なのでしょうが。 le 9 mardi //驚くべき不況なのかも// 僕らが小学生の頃は42-5人学級でクラスも多かった。今では30人前後といいます。もちろんクラスも少ない。 大学も進学の希望があればどこかは受け入れてくる全入の時代。 つまり、驚くべき勢いで若者の数は減っている。 ところが、こんなに少ない若者の何割かは職にありつけない。 もともと若年層の無職は多い。 働くことの切迫性に欠ける。自分探し、終わらない。 しかし、こんなに少ない若者が大量に職にありつけないという現実は 今の不景気は僕の考える以上に深刻なのだと思うのです。 景気が改善するというのなら、 中国の好況のおこぼれに授かる他力本願的なものでしょう。 景気が悪くなれば公共投資をし、 それで潤った人たちがアレコレ買う。 よって自発的な景気拡大につながる。 ところが、この公共投資があまりに整合性のない契約であったりして 100の税金で、実のところ60程度の効果しか産み出さなかったのでしょう。 よって40は無駄な税金。これを埋めるために未来に借金。 もはや天文学的な数字になって、この未来への負債が 現代への大懲罰にいつ豹変するのか戦々恐々としている水準。 この不景気が根深い理由は他にもあります。 まず労働者の身分が新自由主義の名のもと弱々しくなりました。 一度失業した者が再就職できたとする。 彼らが大型の物を買うという、傷の癒しはなかなか到来しない。 生活が一度破綻すると、蓄えを崩し繋ぎとする。 生活が再建したとしても、この恐怖体験により未来の蓄えを考える。 実際は蓄えができるほどの良い条件の再就職も難しい。 だからリスキーな子供なんて産まない。 経済改革という名のに元に、 日本国は新自由主義を勧めた勢力の敗戦国に転落した感もあります。 仮に膨大な借金を200-300年の歳月で消し去るための壮大な計画の一環であるのなら、この子供も作れない時代は後々賞賛に値するのかもしれませんが、はたしてどうなのでしょうか? とにかくハッキリ言えることは僕たちは死ぬまでのこれからの未来体験は 規模の縮小、贅沢の記憶の風化、江戸時代の町屋の慎ましい生活にも似たそんな経験を繰り返すと思うのです。 le 8 lundi //40代からのアレコレ// あと2-3年もすれば成人式から20年経過する。 この間の速さときたら、それは驚嘆の域。僕が考えるに、40-60-80にも同じこととがいえる。 40からのアレコレ。ログハウス。 土間があって居間があって、もう一部屋あればよい。 僕は火鉢のある生活を切望するし、おくどさんのある生活も同じ。 ただしお風呂は電気で。ネット環境も抜群。 ところがです、年月の経過と共に人は少なくなっても家は残る。 一人に一軒の戸建ての時代。 僕がログハウスを建てれば、またひとつ家が増えて、 それはそれで困るような。 でも、理想を言えば、崩しても尽きることのない貯金の残高があって そういう安心感の基礎の上、明日にでも田舎暮らしを始めるのです。 小麦を作りうどんにする。蕎麦も同じ。大豆で味噌としょうゆ、そして豆腐。 塩だけは買うのですが、当分は養蜂で得るくらいの生活。 炭焼きをして副産物の木酢液は農薬の代用に。 le 7 dimanche //岡崎市美術博物館// なかなか建物もよく、ロシアアバンギャルド展を見に行きました。 美術館をフラリ訪れるのもなかなか良いです。 ロシア製の質の悪いノートと鉛筆で3000円の出費はあとあと後悔の極みですが、それでも全体を低く抑えた日曜日でした。 それから瀬戸に行き和菓子を買って戻る。 そうそう昨日は戻ってから15時間も寝てしまいました。 来週は木曜日休みで一日働いたら土日も休み。 エレガンス廉価版。多様性に富み極めていこうと思います。 le 6 samedi //第三回エレガントウォーキング// 本年三度目のエレガントウォーキング。早朝、家から駅まで五キロ歩く。 名鉄に乗り、知多半島の河和駅で下り、師崎経由内海駅まで。 合計で30キロ歩きました。 寒波と到来で南のコースを選択しましたが終始雪が降ったり止んだり。 時に吹雪で八甲田山のようでした。 師崎で雪化粧ですよ。それも無南岸低気圧のボタン雪でなく日本海岸の雪。 今月は消費のラマダン。 エレガンス廉価版で過ごす休日です。 le 5 vendredi //手直し// 大学祭で聖書研究会の人からもらった新約聖書。 改宗のつもりは全くありませんが、もうボロボロです。 ボロボロの理由は二つあって、折に触れ読む。 そして鞄に入れっぱなしで振動でボロボロに。 時間をかけて手直ししました。 しばらくの間、ほったらかしにしていましたが、 今一度、大切な気持ちで読みましょう。 信じる者は救われるといいましたが、 パラパラとページをめくるとき、 信者であったらなんて心強い文言ばかりだろうと思うのです。 そうではありますが僕は改宗するつもりはありません。 そもそも僕の宗教観は、そういう真理的なものは、 洋の東西を問わず共通していると思うのです。 仏教徒が聖書を読んで罰を与えるほど キリストも釈尊も心は狭くない。 le 4 jeudi //実は凹んでいるのです// 今週は仕事でミスばっかり。 それを外野からピーチクパーチク。 精神的に参ってしまいそうにもなりましたが、 それは何も為さないときの答え。 心を深く落ち着かせましょう。 深く深く心を落ち着かせましょう。 深く静かな時間を大切に設けましょう。 私という存在の究極の力の源泉は生命の保持と貫徹。 これは全てに当てはまります。 生を受けたのに、この生が下位な扱いであるわけがありません。 最上位です。他を大きく引き離しての第一位。 自殺とは、今の生の苦しみを解決するための曲解。彼も実は生きたいのです。それをあの世に求めただけ。しかし、こんな曲解はダメです。 存在の根本は生の貫徹。 欝になる人は、生の防御反応の一つの結果だと思っています。 要は欝と呼ばれる人の生活の質が社会から問題視されるのであって 欝は何かの外部要因の生きるための一つの答えだと思っている。 私もアナタも、存在の根本は、この生の保持と生の貫徹。 だから祈るのです。 存在の根本は私を助けざるを得ません。 それに正しく働きかけるのは、正しい祈り。 深く落ち着いて祈る人と、 全くそれをしない人では、 統計学的にも広い開きがあって当然と思うのです。 祈りは顕著な答えとなって現れます。 ただしそれにはテクニックがあり、力んで祈っても効果ゼロ。 深く静かな世界に、 私の意識はまさに存在の根本と向き合っていると 思えるとき大切に語りかける。 ところが、こういう時間は案外手間隙のかかるもの。 問題ない日々が続くとき、ついつい割愛する。 だからまた問題が発生する。僕はこの繰り返し。 le 3 mercredi //ウーマン山// 来月、山に入って境界を見に行く。その後、森林組合に頼んで大間伐。全体の三割を間伐。膨大な木が採れるのですが、今の時代、放置するのが一番経済的。何か一つでも手間をかけようなら、つまり運び出す、製材所まで持っていく、乾燥させる、加工する。これで赤字になるからです。 かなり広い山ですが、山ですから平地があるのか分かりません。 理想の土地があったら間伐材でログハウスを作りたいのですが。 前にも述べましたが、経済対策としてセカンドハウスを大奨励するべきです。 8割補助とか、1000万円まで補助とかしてもよいと思うのです。 利点ばかり。 ●生活の拠点が二つ。 つまり地震とかの災害でも、転地避難が可能。 イジメとかの不登校対策にも代替地として有望。 ●なによりセカンドハウスを持つことで 海外旅行を抑制できる。金が国内で回る。 ●別荘用にアレコレ買って家電とか売れる。 ●地方経済の起爆剤。 例えばA市はB村と特別契約を結び、 格安で購入できる約束を結んでみるとか。 大都市では賃貸でも田舎に土地つきの家がある。 こういう二つの基盤政策を実施してくれたら面白いのですが。 le 2 mardi //意味を成さないラジオ番組// 結局のところは長年親しまれているからという理由でしょう。彼のする長寿番組は在野的で政府非難は毎度のこと。しかし、それは問題としない。在野なのに長年スポンサーを降りないピーチバレーの度量の深さに感銘を覚えるほどです。 大問題は、老いて呂律が回らず何を話しているのかさっぱり聞き取れないところ。これではラジオ番組として意味をなしていないと思うのです。 聞き取れないラジオ番組を、どう正当化するべきか?????? //意味を成さない宗教書// 僕の聖書はボロボロです。それは読んで意味が通じるので読むからです。 ところが般若心経は、長い歴史があるのに綺麗なまま。読んで意味が分からないから読まないのです。 般若心経には崇高な理念が組み込まれているのでしょう。しかし読んで意味が分からなければ、意味がない。それに意味があるというのなら、僕からすれば、もはや呪いか呼吸法の一つに転落した漢文です。 般若心経の下段に現代訳を付さねば、日本の仏教はいつまでたっても葬式仏教でしょう。こんな簡単な努力さえしない日本の仏教界に深い疑念を持つのです。 つきつめれば宗教とは「救い」でしょ。この日にお参りすれば千日お参りしたのに匹敵するとか、子供だましというか、思考を停止させている日本の仏教。怠慢です。 le 1er lundi //実際のところ// こんな小さな時間を確保するのも困難です。 一つの牧歌的な理想として、地方紙をくまなく読む。それが無理なら市民の投稿した短歌とかを詠む。しかし現実は、それさえ無理。 まず手元に地元密着の新聞がない。 そして、やはりあったとしても、他にアレコレしてやがて寝る。 ● ここをクリックすれば、読むこともできるのですが やはりそれさえもしない。 振り返るに、ドーデモよいことがかなり上位を占めている。 そのなかに何かしらの心地良さが秘められているのだろうが。 |
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