février.2013 le 28 jeudi //温かい//ようやく春の心地を覚えるのです。 特段の厚着とか暖房とか、温かい何かの助けが必要ない季節は、生きる上でのカロリー消費も少ないと言うか、なんか楽して生きれるのです。 温かいと言えは、常日頃、人に対してそうであるべき。 腹の虫がおさまらなくても、八つ当たりは厳禁。 八つ当たりばかりしているから、腹の虫は死なないのです。 le 27 mercredi //情緒なんだよ// コレを聞きながら南信州新聞を読むのだから、もはや老いた人です。 でもよ、情緒的な時の過ごし方ってのは大切だと思うのだ。 人が寝る意味に脳の再生があると思うけれど、起きてなお心を見つめなおすと言うか足元を照らすと言うか、この情緒メロディーにしても自然の音に耳を澄ますにせよ座禅でも然り、怒りや苦しみ焦りや義務感などいう懸案からの解放は、人を穏やかにせしむる上でも極めて重要だと思う。 ただ、これらNHKのメロディーに情緒を感じるのは、二度と来ないあの頃の自分をどこかに感じているからなんだよね。 le 26 mardi //そこにいるのは、、、//締りなくだらしなく腹が出ていて肌がやつれていて白髪頭の俺。 久々にダイエットに対する闘志が湧いたよ。 le 25 lundi //枠を定めました// さて、先月と同様、使えるお金に枠をかけ一カ月の挑戦です。 もちろん、枠内に収めますが、いかに多く残高を増やすか、コレがポイント。 確実に言えることは、定年後の可処分月額は現役より少ない。只今貰っている給料をまるまる使う生活に慣れてしまうと、定年後に混乱すると思う。 使える内と言うけれど、溜めれるうちってのもあるのです。 とケチくさい事を書きますが、この枠内生活、楽しいのです。 充足感があって枠内に収まっていて、なおかつ枠内の金額から貯金も出来る。 僕は風邪を民間療法で治すことに楽しみを見出していますが、全く同じ次元なのですよ。 le 24 dimanche //焼肉//旅の帰りに松阪で焼肉を食べる。その昔、平日の夜は週に三日ほど焼肉で、それもアルコールのほかは肉しか注文しない恐るべき食べ方にいそしみ、ある晩、痛風の初期症状を覚え、体をアルカリ性にする努力は今も続いている。 だから焼肉なんてのは、本当に久しぶり。やはり肉しか注文しませんでした。。。 今回も楽しい旅の企画、ありがとうございました。 le 23 samedi //南紀旅行// いつものメンバーで素晴らしい旅に出る。 また旅行記をupですが、今回も全幅の信頼を持って身をゆだね旅をする、 なんとまあ、有難いことか。 le 22 vendredi //週明けから//ラマダン。と申すのは過去最も重い体重のまま、週末は旅に出る。 また太って帰ってくるのだ。 夕食をおかゆかおじやにして、それを箸でゆっくり食べるとしましょう。 le 21 jeudi //図上訓練//6:30 難波行特急⇒7:20津⇒7:24JR津⇒8:08多気駅 地下鉄は始発の5:36に乗って早朝の駅の風情でも楽しみましょう。 近鉄1850円。 JR 480円。 あまりに歪んでしまった碗がある。上手く焼けたなら、かなりのお気に入りになったはずの色と形。 この悔しさは手に取るほどメラメラと。 ところが抹茶茶わんにしてみるとこの歪みが名碗の趣ですぞ。 le 20 mercredi //座ったあとは起き上がる// 30分足らずの出来事で空の色が変わった。 新しい世界の幕は切って落とされたのだから、進まなくてはならない。 様子をうかがったり前時代を懐かしむ行為は、特に今、慎まなくてはならない。 与えられた領域の仕事はこなし、その分野でトラブルは起こさない。 新体制で「緩んだ」とは思わせない。 不安に思う気持ちは、道化でも良い笑わせて進ませる。 特に与えられたことではないのだが、強い使命感を感じ執り行う。 心に一切の迷いがない。これは幸い、進めば良いだけなのだ。 先に進み、さらに足元を固め貢献する。 出世したなら、それで良い。 先に出世したものは、遅れた者の気持ちを率先して汲み取れば良いのだ。 上層部とは違う労苦や悲哀は、汲み取ってあげればよい。 だから出世すれば良いのだ。 誰よりも早く出世することを躊躇しない。 意味のない綱引きは、その綱を断ち切る。 働けれる喜びは、空中散歩ではない。 歩けれる道や橋、階段があってこそ歩く姿も頼もしい。 働く土台を痛みつける全ての事象に果敢に立ち向かう。 利益を阻害する行為に関しては、闘わなくてはならない。 馬鹿にされても良い。笑われても良い。ゴマ摺りだと揶揄されても良い。 従順は愚ではない。進んで考える従順さを実践する。 前は良かったなど、タワケたことは言わないし、言う暇はつくらせない。 働く場の確保、保持、拡大・発展こそ働く者の福祉である。 それに邁進する姿を、犬だと揶揄するならすれば良い。 労働は勤労でなくてはならない。勤しむ姿なくして日本人の働く姿に非ず。 ガチーーーーーーっと固めたる!! 働けれることは喜び。人の悪口を言う時間ではない。 明日から、とても楽しみである。この緊張感と使命感。 一通りの峠が過ぎた頃、きっと足元は固まっているでしょう。 le 19 mardi //腹が座ったと言うか// 何か大きな岐路があって進むべき姿が定まらない時、心はたいていソワソワするものですが、その中にあって、たまに迷うことなく心が腹が座った気持ちになることがあります。 そんな時、その方向に進めば間違いないのは経験が申すところ。 須らく最善の形で執り行われていく確信と、それに対する感謝の気持ち。 これを実感する安心感と有難さ。全く持って素晴らしいことです。 感謝が出来るって、本当に素晴らしいことだと思いませんか!? 感謝が出来る事実との巡り合わせがあるなんて、やはり感謝申し上げなくては。 顔の微妙な仕草、立ち居振る舞い、目の流し方。 全く美しい芸者さんを見ているかのよう。 le 18 lundi //なんと素晴らしい// 歌手は腹の底から歌ってなんぼよ。 久しぶりに飲みました。居酒屋⇒barなんだけれど、少し前は週に二度三度でしたが、今日は今年に入ってはじめてかも。 20代⇒30代⇒⇒40白髪の増え方に次ぐ変化は、平日の夜の過ごし方なのだと思う。 le 17 dimanche //柔らかく// 最近、何かすることには理由が伴うものだと、それを信じて行動している。 僕が座禅をするのは、実は体の硬さを警告するために向かわせたものだろうと。 とにかく硬過ぎて座禅後、毎回、僕だけ立つことが出来ない。この情けなさ辛さは通わなければ解放されるのですが、生命の維持・継続の観点から言って血管の硬さは致命傷だと僕に警告していると思うのです。 ストレッチに励み下半身の硬さを解放しなければと思います。たぶん、ほっておけば動脈硬化で半身不随とかありうると思うのですよ。 どえらい寒さの座禅のあと、多治見と瀬戸の美術館巡り。 座禅⇒多治見にてモーニング⇒美濃焼ミュージアム⇒瀬戸にてモーニング⇒瀬戸市洞地区ブラリ歩き⇒洞でコーヒー⇒瀬戸蔵ミュージアム⇒瀬戸市美術館⇒愛知県陶磁資料館にてお抹茶と展示会⇒帰宅。 最後に荒木集成館を予定していましたが集中力が続かないと判断し帰宅。 温かみあり丁寧で、そして陶器への愛情が溢れんばかりの説明文なのです。 マダム焼も、このように扱ってくれることお勧め申し上げるのです。 決めた!! 座禅の日は作陶は見合わせ。 本日、瀬戸市の洞地区ブラリ歩きしましたが、この車も入れない源瀬戸。なんと味わい深いことか。 座禅が日曜日なら、多治見から瀬戸への日帰り旅。土曜日なら多治見から飯田へ。 月に一度のお楽しみと言うわけで。 le 16 samedi //うむむ。// 本日の作陶、てんでダメ。 2月の最終作陶日を周年記念日としているので、本日が二年目の記念日なのね。 ところが、一日格闘しても、失敗の連続。。。。。。。。。。 日曜日を最終作陶日にしようかと思いましたが、座禅⇒美術館巡りと決めましたので、不本意のまま二年目。 明日の朝は名古屋でマイナス三度。多治見は氷点下の6-7度だと思う。 激サムのなか6時から座禅、8時から多治見観光。 ロクロ回さない週末って久しぶりだよ。 le 15 vendredi //穏やかな時間// 金曜日の晩、スポーツ・サロンに行くのも見合わせて、録音していたラジオ深夜便のナイト・エッセイを聞いたり、本日も届く南信州新聞を読みながら、マダム焼の器でお茶を楽しむ。 実に幸せだと思います。 酔いに任せて大騒ぎする金曜の晩も楽しいとは思うけれど、 こんな質素で情緒的な過ごし方ってのも、なんて言うのかな、豊かだと思うのですよ。 今の自分も好きなんです。 基本にあるのは仕事ですが、試験勉強があるわけでもなく、空いた時間は好きに使える。 これほど有難いこともない。 皆さん、どんな金曜の晩を過ごされているのでしょうかね? ロシアの隕石。youtubeで見ても心臓が止まりそうな爆発音。 爆薬がなくても、個体が高速で衝突すると膨大なエネルギーが拡散されるのだと分かりました。 le 14 jeudi //時が充実しています// 日課として南信州新聞を読破する、こんな目標を立てていまして、契約してから今まで途切れることがありません。 全く何を読ませるのか想像も出来ない、その日の地方紙を一言一句漏らさず読むと言う行為は、飯田下伊那地区に留まらず知識の広範な醸成に大いに役立っています。 le 13 mercredi //月に一度の小旅行// 日曜日の予定は特別。そもそも陶芸ばかりなので、違うことをする週末は考えなくてはぎこちない。 4時に起きて6時から8時までは座禅。小旅行は、盆地の寒さ厳しい多治見の8時より。 純喫茶でモーニングを楽しみましょう。それから美濃焼ミュージアムに寄るでしょ。 多治見に留まるのなら、もう一件、遅めのモーニングでも良いし、瀬戸に行きおもっいっきり歩くのも面白い。とにかく日頃の運動不足を解消するために瀬戸の町をくまなく歩きまして、いつもの愛知県陶磁資料館へ。作陶の思いは断ち切って、展示会場へ。 そして帰宅前に、荒木集成館。ここは昔から気になっていましたが、近くにあってようやくの訪問となりそうです。 あんなふうに透き通っていくのでしょうか。 強いと思うのは、ふと湧き上がる悲しみを慈しみを持って内に消化してしまうから。 理由もなく悲しくなる時に、素直になれず、内に消し去ってしまいます。それが僕の生き方。 le 12 mardi //雨の音// 少ししっかりした雨音が、春の近付きを思わせるのです。 もし、平素の生活で運動や筋力トレーニングを無理なく執り行えるのなら、そろそろスポーツ・サロンは解約しても良いと思うのです。だが、そういう自分への厳しさがなくて、なんとか御縁が続いているサロンです。 le 11 lundi //緊急来日//陶芸だけの三連休の予定が、最終日の19時から緊急来日歓迎会が開催され栄にてお食事。 一つ嬉しい事は、最近は作陶していても、かなり年季の入ったご老人方から褒められるようになった。素人さんが目を白黒させるのは昔からですが、長年のキャリアを踏んだ人たちからいろいろと質問されるのは嬉しいことです。 緊急来日歓迎会、いろんな話が聞けれて楽しかったです。 le 10 dimanche //日曜の晩のゆったり感// 三連休の偉大さを感じます。昨日も今日も、そして明日も陶芸。 家に戻ってからは南信州新聞。 もはや老人のような生き方です。 まあ、本人が楽しいと思っているので問題ないのですが、 僕のように特別な趣味を持たない人の方が多いはずだし、皆さん、特に芸の人たちって何して過ごしているのかと、最近は、あまりに別の道を進んでいるので、もはや言い当てる鋭敏さがありません。 明日の陶芸は300gの粘土玉を作って、少し大きめの器を作りましょう。 こうやって大きいものに慣れることが必要なのだと実感するのです。 le 9 samedi //凄い夢を見た// 僕は金縛りにあう。たまに遭遇する。 この感覚は、このまま進めば死んでしまう、と、なんとか留まって解放を待つ。 また魂が体から離脱し天井で上に行くのが遮られている。このまま上に行けば死ぬと理解して、しばらくすると解放される。この場合、下にある肉体を見ている。 昨日は、魂が移動すると言うより、肉体が下降する。それを眺める僕が居て、このまま完全に下り切ったら死んでしまうと、もがいていたら解放される。 何故日記に書くというと、昨日の夢では「死者の歌」というのか「あの世の歌」というか聞いたこともない強烈な旋律が流れていて、なぜ僕に聞かせる!なぜ僕はこの歌を聞いている!!!と。 でも、恐怖はないし地獄を見るような感覚でもない。 死ぬには早いから、僕はまだ生きたいからと踏みとどまるのだが、たぶん僕が本当に死ぬ時は、この過程を進むのだろう。 言える範囲で言うと、その先は地獄でもなく恐怖でもない。そういう感覚は伝わってこないのだが、その先は誰も僕には教えてくれなかった、何の知識もない大未知。そこに踏み出す不安は感じました。その先は、行った者しか理解できない世界がある。大未知だ!!!!! と、40男が書くと永遠の中二病患者だと思われてしまいそうですが、 日中の妄想ではなく、夜の出来事ですからね。無意識に遭遇した珍事。 医学的には体のバランスが崩れたりして引き起こされるのでしょう、金縛りってのは。 ただ説明してほしいのは、毎回例外なく肉体を上空から眺めている僕が居ること。そして、その先に行くのは早すぎると、あの世列車の出発をやり過ごし、肉体に戻る。 この経験が、実に多くて、最近は、あっ、そろそろやって来ると寝ている時に緊急金縛り速報が流れるのですよ。 果たして僕が度々経験するのは、本当に金縛りなのだろうか!?? もし、そうなら健康面で再検査は必要だと思うのだが 知りたいのは、金縛りにあう人って、自分の肉体を上空から見ている感覚になります??? le 8 vendredi //そりゃ時間が無くなるわ//日毎届けられる南信州新聞。これを一言一句漏らさず読むのが日課になりつつありますが、その時間は帰宅してから。これにスポーツサロンに日中録りためたラジオ番組の気になるコーナーとか、消化するべきことが多すぎて、本を読む時間さえもない。 ただ、僕の選択は実に正しいものだと思うのです。ネットは選択肢が豊富で簡単に情報を選べる。これが多様な価値観の理解や世界の把握につながるかと思えば、ともすれば好きな分野のみに偏っている。そこを読み世界を理解したと曲解もする。 一言一句読む行為は、そういう好き嫌いを排除して、その全てを理解する。 小さな世界の全ての話題。今はまだ言葉にすることもできませんが、なんとなく「見えてくるモノ」があるのです。NHKラジオに「新聞を読んで」というコーナーがありますが、僕もそういう記載を出来たらと思う。 le 7 jeudi //薄給だと//嘆く人がいるのだけれど、彼を観察していると、小さな争いごとばかり引き起こしては、それに勝つことに執心している。そんな小さな意見の相違などは円く収めるのが処世術なのに相手方を論破して悦に浸ることを優先させるのでしょう。 誰でも自分は一生懸命頑張っていると思っているはず。 ですが評価と言うものは周囲からの評判と言うか、自身が決めるものではない。 小さな喧嘩ごとの勝利者は大きな昇進の敗者です。 敵を作り過ぎた人間に、当のご本人が忘れたとしても、そのお相手はそれぞれに記憶が鮮明である。小さな相違を円く収めることのできない人の行動は、あまりに奇異で特異。それが分かっていない。まわりは敵だらけなのである。 故に薄給は客観的で正当な評価である。 ('3')
小さな争いを勝つために、丸く収めることを忘れていたら、大きな戦いに負けるのです。 ウーマン師 【解説】 棘のある生き方は、その棘で持って自身の評価が貶められる。敵は必要以上に作りなさるな。小さな喧嘩の勝利者は大きな昇進の敗者なの。 マイミクさんから教えてもらいました。 昔、聞いた旋律は、そもそも心の情緒として今に再生。 さてと、中国がロックオンですってよ。 防衛大臣の会見が、立ち話のような形式も、あれはあれで考えたうえでしょう。 若き指導者が功を焦って自滅する話は良く聞きますが、中国は長い歴史のあるそういう意味では深く偉大な国家。偏った教育を受けていて、歴史を顧みていない???? 連日の南信州新聞ネタですが、なんとなんと火曜日の新聞が火曜日に届いているではありませんか!!!!!!!!!!! 今後、一日遅れが解消していくのでしょうか??? le 4 lundi //遅読の改善になれば//契約した南信州新聞は、月曜日が休刊日。月曜を除く各号を郵送するのですが、郵便は日曜が休み。つまり、月曜日に、土・日の二日分が届き、火曜日は何も届かない。水曜は火曜の、木曜は水曜の、金曜は木曜の、土曜は金曜日の南信州新聞が僕の手元に届く。 とくかく僕は遅読で枕元には本が山積み。10年近く読破していない本なんてのもありあり。。。 読むスピードに比べ関心事が追いつかないって感じです。 さて、先程、土曜日分を一言一句漏らさず読破。 読者文芸の短歌の中にジワーーーと染み入る句を一つ書き写しましょう。 夕暮れの をりをりの景 好み居り この地を出でぬ 暮らしに悔ひ無し 読む行為ってのは、取っ組み合い。 なかなかに疲れるものです。 明日は郵送されないので日曜日分を読みましょう。 le 3 dimanche //2年ほど// 今年の10月で12年。このHPです。毎日、日記も更新しています。 カウンターは少し回っています。僕の知らない誰かさんが見ていてくれることに関して感謝申し上げます。その中には本当に何の接点もない人が、日々の慰めと言えば大げさですが定点観測・暇つぶし、、、、まあ新聞の小さなコラムに何かの実感を覚えるように、その人の一日の生活に組込まれているのかもしれません。 最近、日記を書くのに熱が入っています。正直言うと、2年ほど、数日分をまとめてUPした時期もあります。ところがよほど疲れている限りでもない限り、書くことが楽しい。 それは書き始めてから一貫して思っていること。 これを書き続ける先に、つまり20年30年。一つの作品としての価値、もしくは注目が生まれてくる気もするし、つづいて確信するのが老いた時、読み返す喜びが僕にはあり、そしてそれをインクにて書き写す膨大な作業が老いの慰めにもなるだろうと。 誰も見ていない、閉じてばかりの日記帳にコソコソと書き綴るのなら、日々書き上げている【主張】はないだろう。知ってもらいたいことなど誰かが見ているからこそ書けれる分野もあるし、だからと言って大人数が見ているわけでもなく、コソコソの内容もある、隠していることと言えばカードの暗証番号ぐらいの日記なのです。なんと赤裸々、なんと大らか、なんと恥知らず。 思えば、20代も30代もあっという間。10年が瞬時にして過ぎ去った。いやいや20年です。 20年があっという間。と、言うことは定年まであっという間。働けれるのもあとわずか。 そう気付いたのが40歳。 40になる衝撃は多かれ少なかれ皆に襲うだろう。 実に良かったと思うのが、僕は老いを認める選択をしたこと。 赤いアプリと言われる豆の木を見ていると、老いの受容なんて冗談じゃない!!!!とアンチエイジングに全力を傾ける人も多い。それはそれで良いと思うし、僕も30代の後半はそうでした。 今、見える世界が格段に広がっているし思考の幅と深さも一段と充実。 まるで新しい世界が僕の目の前に開けたのですが、それは老いを受け入れたところから始まっています。白髪頭を隠すことを止めたら、なんか聡明になってきましたぞよ!!!! 今日も陶芸。 平日は、夢にも仕事中にも作陶の欲求が湧いて出てくるのに、 昨日も今日も全く冴えない。 心技体が乖離しているのです。どこかでソワソワしたり、ジッと構えているべき我慢をしていなかったり。 le 2 samedi //私の独自性は爆発する!!!!// もはや個性という枠には収まらない。独自性。 写真に見る南信州新聞を契約しました。日毎、郵送されるのですよ。 もはや僕だけが知る特別な世界!! さて、生まれてから初めて家計簿をつけている。会社の先輩がスマホでつけているのに感化されたのですが、これがまた面白いですね。 陶芸では究極の薄造り、つまりドケチ路線を邁進しているので、家計簿をつけ始めてから、いかに減らそうかと眺めては検討しているのです。 昔は、どんぶり勘定で、まあその感覚も当たっているので家計簿なんて付けていませんでしたが、今はいろいろなグラフで見せてくれたりして、生活の傾向が白日のもとに。 そのドケチな週末ですが、陶芸です。 少し大きめのものを作ろうとすると、失敗する。手は造りやすい形を自然に追い求めるので、寸法も決めていないのに出来上がるのは同じ高さであったりする。これをもう少しだけ高いものを作ろうとすると、僕はどこかで戸惑いが生じてしまい失敗するのです。同じことは、自然に追い求める形からの卒業にも言える。新しい形をイメージしているのに、それを造ることが出来ない。 上手くなったなったと思っていても、それは慣れた世界にだけ言えること。 今年に入って躓いています。新しいものに挑戦しているからです。 le 1er vendredi //雨がしとしと//金曜日の晩は好きな時間帯ですが、色を添えるように春の暖かい雨がしとしと。それを聞きながらも録音しておいたラジオ番組アレコレを。 ラジオ深夜便11時台は大いなる慰めでして、地域の話題と月⇒金と特定の人の半生紀など。 保守派の僕にとって、何が心打たれるかと言えば、まったくスタイルを変えないところ。それはコーナーが始まる前の5秒ほどの挿入曲。こういう細部の情緒ってのが実に大切、心癒される。 10年ほど前でしょうか激務で風呂に入るのは23時台。余りの疲れ様にラジオ聴きながら湯船で寝てしまう、そんな子守歌に似たような慰めが深夜便。 二月は、二月からは足元の生活を深く楽しむのですが、全く手元にあったこの情緒世界を、ようやく手に入れる不思議は、若き故のアレコレを捨てた時に現れる。 寂しい時間は好きなんです。だからそれを打破しようと理解してもらおうと誰かを探すことは存在そのものを消し去ってしまう行為でもあり僕には考えられない。 寂しい時間は大切に慈しみたい。 |
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