janvier.2009


le 31 samedi
//物語は、夢// 夢って、面白いシーンなのに、前後の脈略がなかったり、それそのものの前提が説明できないものであったり。

これは僕だけなのか、それとも他の人にも言えるのか。

日々生活していると、面白い小ネタを見つけたり思いついたりして、頭の中で、ストーリーを展開したりしませんか?

まさに、起きていて、物語は、夢。

そのワンシーンは面白いのに、そこまで持っていく順序だったもの。次の面白い想像までの脱線しない運び方。そんな、大切な前提が全く用意されないのですよね。

面白い話の展開は、点として散在しているのに、それを不自然でなく順序だった線にするのは、もはや右脳のひらめきではない、とても緻密で理路整然としたものが必要となります。


街を歩けば、仕事をすれば、地下鉄に乗れば、皆、個性の万華鏡で、文才さえあれば面白い物語は死ぬまで事欠かない。

それは、古い木造アパートから出てくる一人の女性を見た1-2秒の瞬間に湧いてくるのですが、やはり前後を自然な流れにするとなると、思いつきだけで完成させる世界でもない。

le 30 vendredi
//自然派も大変// 見事に風邪ひきました。風邪は薬に頼らず食事や風呂や睡眠で治すのを数年来。だから今回もそれで望むのですが、風邪薬なら数百円で済むのに、精のつく食材を買い漁るとなると、もう何倍もの散在。

おやすみなさい。

le 29 jeudi
//つづき// 本当は、こんな続きが頭に浮かんでいたのです。

僕らはその晩、この淵に過ごしていた。  きっと仲間達は心配しているのだろうけれど、道に迷ったといえば何とでもなると。
だから、滝の轟音を良いことに、とても大胆に時を過ごしたのだけれど、気づいたら太陽の角度はもはや朝のそれではなかった。

僕達は、たがいに別れ仲間達の元へ戻った。


やっとのことで森が終わり、白い砂浜の向こうに海が見えたとき、僕は大変な過ちを犯したのだと、体が寒くなり倒れそうになった。

仲間達が誰もいない。僕達のキャンプに誰もいない。
普段なら、この視野の中に誰かはいるはずなのに、もう誰もいない。

僕は、慌てて岬の向こうの、別の彼らの元へ走った。
だが、浜辺に着くまでもなく、岬の高台に身を置けば
その先にも、振り返っても誰もいないのは確かだった。

南の太陽といえども、だいぶと角度が傾いてきた。

あの滝壺に行けば、ひょっとしたら彼だけには会えるかもしれない。
来た道を戻るのは憎らしいけれど、やはり、
誰を見ることもなく声さえも聞こえない。
どうして、誰も居ないのだろう。
取り残されたのか!?

太陽は、ますます色を濃くし沈もうとしているのに
焦る気持ちで足は血だらけになっているのに
ただ滝壺へ走るしか、僕を落ち着かせる方法はなかった。

おわり。

le 28 mercredi
//少し前の生活が残る、、、// 夕食は某名古屋の観光ホテルのブッフェ。伏見から名古屋駅まで2kmはあるでしょう。良い運動なので歩きました。
山海の珍味が食べ放題。こんな贅沢を思う存分味わって、苦しい苦しいと腹を抱えて歩くのだから、なんとまぁ罪作りなことか。

1キロほど歩いたとき、そんな僕らの前を歩いている男が一人。
左手には紙容器の酒。この街で過ごす独特の垢と埃がヴェールのように覆いかぶさっているのに、少し前まで続いていた生活の名残が、見え隠れしている彼。 彼は歳をとっていても40代前半でしょう。少し前までは、秩序だった時間の流れがあったと見受けられる。なのに、今、澱んだ目は所持品といったら酒パックだけで、どこに行くともなくふらふらと歩いている。

色彩なのです。

もともと誰にでも色彩があったのに、街に生活すると煤と埃と垢で、いづれ黒系統に覆われてしまう。  そういう過程があるのに、まだ前生活の色彩が黒の粗い粒子の隙間から覗かせている。


全く持って恐ろしい時代は、驚くべき速さで僕らの淵に迫っている。

le 27 mardi
//早く寝る寝る運動// 今週は早く寝る寝る運動。何となく雑菌をもらいまして喉がイガイガ。大病になる前に休養とって治しましょう。

そんな早く寝る寝る運動は、年に何回かあります。
決まって変な夢を見る。相当に眠りが浅いのか夢さえコントロールできる領域のときもある。 


早く寝る寝る運動のもう一つの効用は、瞬く間に週末になること。
仕事終わって風呂に入り寝る。まるで小学校低学年のような生活で、他にするべきことはできませんが体は楽。そして気が付けば朝。
一日の記憶として残るのは行き帰りの通勤と仕事だけ。

le 26 lundi
//生きる力// 植物の知識が欠乏していて、本当に不自由します。
会社の前の小さな花壇で、切断された蕾を持った草を発見。
萎れかかっていましたが、水に刺せば生き返ると直感。
冬だから雑菌が湧かないのか、理由は良く分かりませんが
根も張らないのに、水を換える毎日で、もう三週間も生き続けています。
そして小さな蕾は膨らみ一輪花を咲かせました。

と、いろいろと言葉を連ねて説明しているのに、当の草が何なのか分からないため、読む人にとって、まさにチンプン&カンプン。


本日は会議。不況不況と言われても先月までは、あまり実感は湧きませんでした。ところが今年に入って仕事の減りは顕著です。一年の1/12はまもなく終了。一ヶ月、いやいや2-3ヶ月落ち込んだとしたら、残る月によほど頑張らないと前年を凌駕できません。こりゃ今年は相当に厳しい年になりそうです。


会社として世に出たのが140年前?だっけ、とにかく100年+数十年。
今の屋号で80年と少し。  僕が入社して、今度の四月で13年目。
100年に一度の危機と言われていますが、その100年は凌いだことになっています。

le 25 dimanche
//秋の心地好さ// 昼は夏の暑さなのに、夕暮れから、夏も終わりに近づいていると誰彼となく口にする頃、あの風の心地が大好きです。夏が弱る夕暮れは、人によっては早めの秋。早稲品種も多くなり、稲穂の垂れる姿は夏の終わりか秋なのか。  でも、そんな頃の早まり始めた夕暮れのオレンジの空間が大好きです。

夜、涼しい風が部屋を抜け、
何を買おうかカタログを見入ったりするのも心地好い。

思えば、夏に比べて日の落ちるのがなんと早くなったことか。
秋はますます深まり、弱々しくなって冬となる。
紅葉は、新緑に比べたら心踊るものは、僕としては感じないのですが、
それでも山間をドライブして、見事なる紅葉に出くわす南信州の南部の隘路などで、夕暮れの日の角度を覚えようものなら、帰る時刻に焦る気持ちも湧いてくる。 まるで新緑の頃の浮き足立ちたる感覚はなく、寂しいものを覚えるというのに、はやり冷気は帰宅後の我が家の暖かさを鮮明に想像させるのだ。


//年の瀬// 何かと慌しく、現代生活においても、この休みだけは年中行事の準備で、相当の日本国民が伝統に即した動きをする。僕は、とても忙しい年の瀬に、少しでもノンビリしたいものだと、することといえば大掃除くらい。

年賀状は、毎年書きません。
頂いたものに、寒中見舞いを。
不幸があるわけでもないのに、もう何年もこのスタイル。
もちろん、送ってくれる人も、僕は後から返事が返ってくるとは織り込み済みで、礼に書いた奴だとは思っていないことを想像しています。

そして、年明けの第二か第三の週末に旅に出て、その風情に認める心地は、旅情を一層ましましてくれるもので、僕にとっては、この年明け一番の年中行事を、密かな楽しみにしているのです。

le 24 samedi
//夏の楽しみ// 梅雨も明けて夏。最近の名古屋の夏は、40度に迫り来るものがあって、四季の一つが生命に危機を感じるものになりました。
そんな夏。もっとも心地好いと思うのは、日の出前から早朝にかけての静寂と、それなりの涼しさ。日も昇れば蝉も喧しく殺人的な光線と熱波が押し寄せるというのに、日の出前だけは一抹の安堵感。それが好き。

おそらく最高気温が30度を2-3度上回る程度の過去の夏の盛りならば、
昼の入道雲とセミの声。夏休みの歓声も、季節に応じた風情でしょうが
もはや40度になるとなれば、まったくその余裕がない。

そんな殺人的な夏の盛りを過ぎたと肌で感じる夏の夕暮れは、とても好き。
窓を開けて、風が部屋を流れるものならば、ますます居心地も良く
諸々の小さなことを片付けたり、
キーボードを打つ指先も早くなっていることでしょう。

//雷// 例えば夕方、山間の民宿に辿り着く前の、山の向こうの濃い雲は、雷との到着の競争になる。    雷は、非日常の大自然のイベント。
あまりに近すぎて家電製品に害を及ぼすのは別として、そうでなければ音と光は楽しむべものであって、幼少の頃にあったその恐れは、
いまは皆無である。

//台風//温暖化で、いつの日か巨大台風に遭遇するものだと覚悟はしていますが、ここ数年、東海地方に台風は近づいていない不気味。
それでも台風襲来となれば、NHKラジオはつけっぱなしで、
コースや気圧。そして最大風力などの刻々と迫り来る情報を耳に眠りにつくのも、平和時における擬似戦時体験のようで、緊急事態をどこかで楽しむ自分がいる。 ただ、やはり家がガタガタと揺れるほどの接近は、恐怖を覚えてしまいます。
 集中豪雨でも然り。
大の大人が、NHKラジオを耳元に布団の中に入り込み、迫り来る恐怖に怯えるのは、そんな自然現象でも来ない限り、子供じみた振る舞いもできない。

le 23 vendredi
//春の風情// 冬が一番好き。それは青空の季節。その終焉は春の霞で表現される。この見通せない空気は、僕に言わせれば澱んだ水に等しくて、なんとも解せない気分になってしまう。  でも、例えば濃尾平野西部の水郷地帯とか霞ヶ浦とかに行けば、どうしようもなく低地の水も澱む有様を朧にしてくれる春の霞は、それはそれで趣があるのかもしれません。

ただ、時おりの気圧配置が春の霞を洗い飛ばして少し冷たい空気を運んでくれるときもある。そんな時、車を飛ばして青空と残雪と麓の新緑の組み合わせは、冬が好きと言うものの年を通して最も心奪われる光景になります。

新緑が新緑でありえるのは、ほとんど1-2週間程度。
あの陽光を通し、まるで清涼な茶の羊羹かゼリーのような有様に身を置くのは、なんとも健康的で遠くまで来たという甲斐もあるもの。

//梅雨の頃// 梅雨のころ。その始めの、手も悴む冷たい雨のしとしと降りしきる様は、帰宅途中に一層家の温かさを期待させてくれる。

一向に止みそうもなく、曇天の空に冷たい雨が降り続く週末は、
家に居て、何か諸々の小さなことばかりするのですが、
午睡を織り交ぜ時の過ぎ行くままに部屋で過ごすのも、これまた心地好い。
日中に部屋の電気をつけ、ラジオ聞くなりお茶や本を楽しむのも
上質な内向的時間。

梅雨も終わりの激しく降りしきる頃には、空気の質も夏のそれで
その不快さには閉口するものもあります。
ただ雨足強くなりぬるものならば、そのリズム感を楽しめる。
夜寝床に着き、ザーと雨の音を聞きながら寝る心地は、
案外と不快ではない。

le 22 jeudi
//冬の心地好さ// 冬。一番心地好いと思うのは、何と言っても快晴の青空。 時に棚引く白い雲。 
午前の部屋に入る光の具合。昼下がりまでは心地好い。

冬の海岸。この場合は夕暮れに向かう光の変化も好き。

太平洋岸に住む者の冬は、きっと日本海側のそれとは大違いです。
まさしく太平洋岸の冬は、空の青さを最も味わえる季節。

もちろん大寒波襲来で、日中の最高気温も0度を上回るかどうかの
真冬日なんてのも、幼少の頃には、案外ありました。
それが、今では皆無。

冬の風情は雪遊び。濡れた靴下をストーブで乾かす。
でも、全くの昔話になってしまいました。
時おり表現される大寒波の襲来でも、
雪が舞う程度の名古屋になってしまいました。

だから、一面雪に覆われ交通は麻痺し、尚且つ全ての音は雪に吸い込まれ、
静寂の風情は、とても趣があるというのに、もはやそういう記憶の再現は名古屋に居ても見込めない。

よって冬の風情の一つの雪降り積もる有様は、割愛せねばなりません。

le 21 mercredi
//試みの案// 私案でもありますが試案であり、思案の結果。
●中津川から、中山道を十二兼駅か野尻駅まで。
 岐路は中央本線を利用し、中津川で複数人集まった場合は、解散。
 そのまま帰るのも良し、中津川の夜を楽しむのも良し。

●岐阜県本巣市の道の駅に車を停め、樽見鉄道沿いに北上して
 終点樽見までる帰りは鉄道を利用して南下。

●新幹線にて岐阜羽島か、もしくは東海道線の大垣で下車。
 水郷地帯を南下し、長島で鉄道利用の名古屋戻り。

●高山線飛騨高山駅近くの道の駅に車を停め、下呂へ向けて。
 もちろん帰りは高山線利用。始点も終点も温泉があり、
 また岩屋岩陰遺跡を帰りに寄るのも面白そう。

四案でした。


le 20 mardi
//ラジオ// どうも携帯ラジオをなくしたらしい。ラジオは山登りにもウォーキングにも必需品。それなりに値の張るラジオでしたので、新たに買うとなると、何のための安上がりなプランだったのか!??

//消えて欲しいではなく、、// この人、消える。
正直に言いますが、そう思った人は、例外なく失脚し消え去っています。

全く預言者みたいなことを言っていますが、単純なからくり。
分かりますよね。
私が思う、「この人、消える」 そういう人は必ず消え去ります。
少しは勘が冴えているのかもしれませんが、
たいていの人が言い当てるでしょう。

消える人は、消えるような生活であったり性格であったり。


この人、安っぽい人生を歩む。
はやり多くの人が言い当てます。
その逆も然り。
この人、大成する。同じく皆が言い当てます。

まさしく、今、そのものの姿が、心意気が、
天気予報よりも確率も高く未来を的確に言い当てる。


例えば仕事は休みがち。遅刻も回数が多い。
周囲が、これを含めて諸々の要素も加味して
「この人、きっと痛い目にあうわ!」と2-3人でも言っているようなら
それは、まさしく彼の未来の姿そのものでしょう。

誰が鉄槌を下すかなんて問題ではありません。
ただただ、それは草木の水遣りと同じで
必ずそれに応じた結果を齎す。

花が咲き実が実るかどうかは、秋を待たずして
今、水をやっているかどうかで分かってしまう。

le 19 lundi
//世界征服// そもそも歴史を紐解けば、そんな野望を成し遂げた個人も国家も団体も、はてまた宗教だってない。  
それは人間の欲望の行き着く果ての姿かもしれないが、歴史に学ぶ者ならば、愚か者の妄想に過ぎないのでしょう。

つまり人間の能力として、一つの価値観を世界の隅々まで行き渡らせるのは無理な話であって、もし生命の神秘が多様性ならば、おそらくそのような行為は神秘に反するものとして自然淘汰される道を進むのでしょうか。

何が言いたいのかといえば、「無理なもの」というものはあるのに、それを認めず邁進する。その虚しさ。

それぞれに信じる正義が世界各地にあって、隣接するとき争いも生じることでしょう。  それを一つの正義にすれば境界もなくなり争いもなくなると主張するのなら、きっと届かぬ目標と知っていて馬車馬のように働かせる幻覚。


個々人が、隣人を愛すだけで良いじゃない。
席を譲りましょう。ゴミは棄てない。

le 18 dimanche
//琵琶湖は歩けるか!?// 今日はほとんど寝ていました。エヘヘ。
さて、琵琶湖は歩けるか。諏訪湖同様、湖岸は一定。
一定だからこそ湖な訳でして。  

さて、本格的に考えましょう。琵琶湖一周ウォーキング。
もちろん、何泊か要するでしょう。五月の連休に標準をあわせて。
まずは、コースと飛び込みで泊まれそうな宿の選定を。

まさかまさかの同行者って、
たぶん、こんな変な考えを持つ人はいないでしょうね。

急募なんですが。

le 17 samedi
//36km歩きました// 美濃太田駅から郡上の子宝温泉。
途中、美濃の町で和紙の絵葉書を買い寒中見舞いを。
これ冬だから歩けるものの、夏だとまず無理。
冬限定のスポーツってとこでしょうか。夏は夏山で。

歩けることが証明されると、また歩きたくなるものです。
ただ今回のウォーキングで靴が大破してので、新調しなくては。

今度は万全の準備で42.195km歩きましょう。

le 16 vendredi
//二回目の夕食// それが焼肉。家でカレーライス食べてからの焼肉。
当分、何も食べなくても生きていけそうです。

科学が発達したのだから、例えば変なカセットがあって、ある音楽を聴いたら、たちまちのうちに満腹感を得るとか、またはそのような香水とかDVDとか発明されないものでしょうか。

le 15 jeudi
//コースはいろいろと浮かびます// 一体、仕事中に何考えているのだか。
岐阜羽島まで新幹線。それから長島まで水郷地帯を南下。
濃尾平野西部はゼロメートル地帯が広がります。
川は無数にあっても、水の流れを感じない。
その川を地図でたどれば、最後はポンプで海に排出。
川の水面より、海の水面のほうが高いのです。

最も理想なコースは鉄道沿線。
いつでもリタイヤ可能なコースは、単身のウォーキングでは
本当に心強い。
そんな鉄道沿線も岐阜にはいろいろありまして
思いを巡らすだけで飽きません。

le 14 mercredi
//新調しない抵抗// 太り続ける腹回り。
それに抵抗するかのようにスボンは新調しない。
そのうち神経圧迫とかで病院に運ばれたりして。

胃袋を空っぽに。
でも水分補給は怠らず、ひたすら歩く。
この歩いている間のエネルギーは
蓄えた脂肪の分解になっているはずだから
ウォーキング一つとっても、いろいろとコンディション整えてから。

le 13 mardi
//お金使わず健康的で時間もあって// 今週は、この組み合わせを考えましょう。  毎年頂いた年賀状には寒中見舞いで返礼しています。
それを氷見でしようと考えたのですが、なかなか時間が作れなくて。

食べ過ぎたし体動かして、その動かし方が個性的で印象に残るもの。
そして、それは旅先であり絵葉書を書く喫茶店。
散在が過ぎたので日帰りプランになりますが、どこで致しましょう。

とにかく20キロは歩きたいのです。
そして、それは旅先で、歩き終わって絵葉書を書く。
コーヒーを飲み、その土地の風情を堪能し、温泉にも入って、
なのに今晩は、いつもと同じベッドで寝る、
それはそれで良い意味での安心感。

結局はですね、脳裏に残る思い出なのですよ。人生の質というものは。
ファーストクラス世界一周でも、流鏑馬でも、千日回峰でも
後日、ジワ〜〜〜っとくる思い出。
その在る無しが後日振り返る人生の質だと思っています。

だから思い出=散在にはならない。
金に頼って思い出作りするほうが、僕にとっては大問題。

今週末は、心に染み入る安上がりな週末を作り上げます。

le 12 lundi
//金沢// すぐ手前まで田園や山なのです。
そうしたら、いきなり街になり中心市街地。
郊外の住宅街というエリアが僕の感覚では比較にならないほど細い。
だから、あっという間に香林坊。

都市の中に入れば、賑やかで風情もあって楽しそう。
この光景がどこまでも続くのかと錯覚するのです。
ところが、帰り道、
そんな余韻に浸ろうとする以前に、
これまた田園地帯に入ってしまう。

ただ人口の規模は岐阜に似ているのかもしれませんが
吸われる岐阜と吸う金沢では、繁華街の店の規模が違うのでしょう。
金沢のネオンは60万人都市級かもしれません。

le 11 dimanche
//中部日本プレイガール// 三連休の中日から旅に出る。東海北陸道をひたすら北上して富山県の氷見へ。  寒波到来で、雪の風情もばっちり堪能できました。  やはりスタッドレスタイヤは偉大ですね。

ドイツ車なんだから、たぶん寒冷地に絶大な力を発揮するとは思うのだけれど、いかんせんタイヤがノーマルだと北上にも限界がある。
タイヤチェーンも後続車のことを考えると、申し訳ないし。

唸る温泉に浸かれるのも至福だし寒鰤を食べるのも、また極楽。
いつもはハンドルを握る僕だけどたまに後部座席ってのも楽で心地好い。
ありがたいのは、温泉学の有識者が主宰するツアー。
それはもう個性的な湯で大満足。

あと、富山平野の散居村という形態の住み方に、かなりの衝撃を覚えました。

le 10 samedi
//食べ物に国境は無い!//竹島は日本の領土ですが、だからといって韓国食材を敵視するものではなりません。もし、そういう御仁がいるとするのなら、なぜそこまで狭量になれるのかと聞きたいものです。

本日、名古屋駅裏の朝鮮人街で韓国食材を購入。
なかなか面白い体験で、また足を運びましょう。

まず朝鮮食堂に入り冷麺を。次に行く機会も楽しみです。
そして韓国食材店でいろいろと買う。
コーン茶が、なぜ日本でも自然発生的に生まれなかったのだろう?と疑問になるほど美味しくて、少し前からヘビーに飲んでいます。
そして韓国の袋麺や冷麺などを買う。
じゃがいも麺を買いまして家で食べる。
スープは、韓国人好みなのでしょう、日本人にはイマイチでしたが
あの噛み切れないコシのある麺は、はまりました。
次回、ジャガイモ麺だけ売っているようなら、
いろいろと家で料理したいものです。

韓国料理の凄みは、たぶん野菜を食べさせる量なのかと思う。
あのニンニクと唐辛子の味付けの勢いで、
食べる野菜の量はかなりあると思う。
韓国料理=焼肉という発想をしていましたが、それこそ視野狭窄的でした。

ただ韓国人は毎日あんなに唐辛子を摂取して大丈夫なのかしら?
あれほどオレンジに染まる食卓も世界的に朝鮮半島だけなのでは??

le 9 vendredi
//あまり時間は無いと思う// でも当の本人に問題意識がなければ無情にも時間は消えていくだけ。 それを耳打ちするものも居なくなってしまった。
例えば念力で彼の脳波に訴えられるのなら、最後通牒になるのでしょうか。

現下の厳しい雇用環境。そういう負の要素も大いに作用することでしょう。
平素真面目なら、さほど恐れることもありませんが、平素不真面目なので、大いに作用するはずです。

転換の機会は、365日全てに無条件に与えられているというのに、
その意思が全くないのは驚愕に値します。



入社して、先輩が「上司が何も言わなくなったら、もうお仕舞いだよ」と聞かされたとき、まだ若い僕は、ギャーギャー言われなくて済むのならラッキーじゃない!と曲解したものです。


いや、それは手前の勝手な思い込みなのかもしれない。
人は人なりの正義感に基づいて行動しているので、
彼からすれば、周り不正義が我慢ならないのかもしれません。
その彼なりの正義感に対する共鳴者が全くいないので、一つの独善の形だと認識して欲しいのに、その意思がないのは、もう育ちに起因する強烈な自我で修正も不可と見るべきか。


働く姿は、多くのものを見せますね。

le 8 jeudi
//お盛んな表現// 経済も久しい以前から破綻した某国。世界一の言論統制国家で、その国で発行される新聞雑誌などは、全て一党独裁の某党の意向。ま、ここまで書けばどこの国を指すのか誰でもわかるとは思います。

さて、彼らが発行する新聞や放送の内容は、勇ましい表現の百科事典のようなもの。
その勇ましい表現の一つでも達成できていたのなら、実は全ての勇ましい表現は必要ないのかも。ありとあらゆる血気盛んな表現で自己の主張をしたとしても、お膝元は全くの破綻状況だということがわかります。

そもそも、人民や大衆を鼓舞する盛んな表現を、来る日も来る日も書き続ける媒体は、裏を返せば、基礎の基礎というか執行部の体たらく。落第。

来る日も来る日も人民大衆を鼓舞し動員させるのは、つきつめれば執行部の方針が間違っている。何一つ達成できないハチャメチャな理論を達成させようとしているのではないか? 鼓舞し続けるのは、人民大衆を愚弄する詐欺行為だと思う。彼らからすれば人民大衆の幸福なんて無関心であり、とにかく「考える行為を停止させ」邁進させなければ、この自転車は転倒する。
従属させる人民大衆を鼓舞し続けることに意味がある。

いつになったら豊かに過ごせるの?
いつになったら個人の時間を干渉されずに謳歌させることができるの?
そういう世界を標榜しているのに、なぜ達成できないの?

偉大なら、来年の今頃は、人民を、そんなに動かすな。


東ドイツの労働者が、崩壊後述べていた言葉で今でも印象に残るのは、
共産主義者は将来の生活ばかり宣伝して、
我らを一向に厳しい労働から解放させてくれなかったと。

執行部というか指導者は、やはり数年経っても自己の理念が達成できないのなら、自己の理念を否定−修正させるか、後任に譲るべきだと思う。
それを働きが足りないと人民大衆に責任を転嫁し、毎年鼓舞させるのは、
真の意図が別にあるからだと思う。

le 7 mercredi
//国語能力のない者の怒り// とにかく乱暴で顔を真っ赤に怒りを表明する。場合によっては手か足も出る。込み上げる怒りを、いかに相手に言語として伝えるか。その国語処理が脳内で執り行われていたら少しは冷静にもなるでしょう。とにかく怒れるのに、それに相当する表現が見当たらない。だから顔を真っ赤に。。。。    
英語教育も大切ですが国語教育はそれにも増して。
脳内で込み上げる感情を適切に言語処理する。
それが冷静さの裏づけである。
基礎の教育を疎かにした者は、人生の様々なシーンで原始的な態度を露呈し、それは彼が正しい場合でも相当に不利に働く。

怒ることは幼稚だと、対処なき冷静さを求めても破綻する。
人間に感情はつき物。その感情を右から左と100%移行させては現代社会、全く通用しない幼稚な行為と捉えられる。

やはり、国語教育は大切で、動じない冷静な大人になるためにも、思うことを言葉に文字にする鍛錬は基礎の基礎。

le 6 mardi
//少し嬉しいことを一つ// 夏の予定ですが、お盆ではないけれど、夏の週末の予定が一つ決まりました。 進む道は全く違うのに、こうして年に1-2度思い出してくれることに感謝。


オバサン的な要素を有機的なものとするのなら、
非オバサンで、動ずることなく俗に言うクールな人を、
無機的と僕は例えたりする。
そんな無機的な彼は、僕みたいに感情の起伏も大きくなく、
大げさな表現もしなければ自分を卑下して笑いをとるなんて事もしない。
彼は都市生活者にありがちな無機的な魅力を兼ね備えている。
そんな折、都市生活者の彼が、この僕よりも
深く情に溢れる思いなどを吐露するとき、
僕は脳天に一本の矢が刺さったように、ツーんとクラリする。
魅力的なのは都市生活者にありがちな無機的な彼に巣くう、
何かしらの原人間性。


le 5 lundi
//やっぱり、働かないと// 仕事して数時間、やっと血の巡りが良くなったというか、全体にシャキッとしました。長い休みで社会復帰できるか心配しましたが、仕事こそ健康の源であると実感。

正月休み、テレビは民放を中心に見るべきものがない。もともとバラエティーなんてのは些かの興味もなく、たまにチラ見すると、下品な芸人が騒がしい。どこが面白いのかサッパリ分からないし、どうして笑っているのかもいまいち分からない。

CSもあるのに意外と見るべきものがない日ってのは多い。
それは何か刺激が欲しいけど、視野を奪われるほどの神経集中も嫌。という精神の一種の安定願望から来るものでしょう。

そんな時、デジタル録音機で収録した方々の音を聞くと、何故か心が落ち着く。少し刺激は欲しいけれど、脳も休ませたい。そんなときに最適です。
それは僕が欲しいと追い求めた音の数々。心地好いのです。

le 4 dimanche
//15:30帰宅// 諏訪を出てから中津川まで高速。何かの割引に引っかかっていると思いきや定額で走ってしまった。  なんか与党系の政治家があーするこーするとか言っていたけれど、あれは構想のままだったようです。

さて、高速料金。民主党は無料にするという。

うーーーむ。無料にしたら大挙して車が押し寄せ、高速としての機能が麻痺するような気もする。そういう意味合いで反対なのですが、疲弊した地方都市に都市部の観光客を招くために、これほど有効な手立てもない。

一日1000円とかの折衷案でどうでしょ。


明日から仕事。
心静かな時間を持ちまして、早めに寝ましょう。

le 3 samedi
//酒は、、、、//と、言うことで諏訪の毒沢です。
昨晩、22:30に予約入れて一人旅〜〜〜

食事を楽しくするために酒は大切な存在。そして僕なりに思うのが、飲むことは礼儀であり粋な計らいだと。そういう別注文はするべきであると。

毎回、毒沢ではするべきことを考えて訪れる。
それは極めて静かなるものですが、酔って寝てしまったら全く意味は無い。

毎回、酒で消化不良気味になる。


不思議な夢を見た。

le 2 vendredi
//都市生活者の有機的魅力// 一つの物語を書き上げるのは難しいし疲れるし、そこまでのストーリーを用意していない。ただ、頭にポンポン浮かび上がるのは、細切れのエピソード。ほんと五行とかからない短いエピソード。

//屠蘇散// 薬局で買いましょう。  
正月に限らず、通年の民間療法として。

元旦・二日と食べて飲んでの生活。
典型的な正月の過ごし方も、三日目は勘弁したいもの。

nouvel an
//秋元順子女史// 耳から離れません。他にすることがあるのに、
まったくの誤算。   pcに向かいながら鼻歌気分で、音量小さくコブシを利かせて歌えるでしょ。

元旦になれば、血気盛んに目標とか決める人もありますが
僕は生活の戒めを少し、記憶の表面に浮かび上がらせましょう。

●シャンプー・石鹸・歯ブラシは絶対に買わない!!!!!!
年末の大掃除で、餅をばら撒くほどの在庫を抱えていました。
貧乏性だから方々のホテルでもらって帰るのです。
それがシングルなんてのはまず泊まらないから、二人分あるんですね。

●お茶やコーヒーを使い切る!!!!
使い切るまで、新しいの買わない。

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