janvier.2012



le 31 mardi
//怨むな 恨むな// 本日、会社で非情な人事がありました。誰しもが発起人を恨む。恨むに無理もない内容です。   僕もそんな意見を聞くし、今晩、居酒屋で酔いに任せて唸っている人たちの姿も容易に想像できます。

でも、恨んではなりません。
その強烈な恨みの力は、彼の再起、今後の幸せのために祈りましょう。
その鋭い刃物のような恨みのエネルギーは、
それ相応の何かをもたらす筈ですが、
恨むより先の緊急事態は、彼の明日からの生活を祈ることだと思うのです。


長く勤めていると、不条理で辞めていった人たちを多く見るものです。
僕は、その報に接した晩は、いつも寝る前に彼の彼女らの今後の幸せを祈る特別な時間を設けています。 それで彼らの今後がどうなるのか分かりませんが、非情な世界で生き延びるためには、恨みという柱は危険すぎます。かといって心に何かの支柱が無ければ折れてまいます。

接した悲しみに同情や怒りの連帯を示すのは他の多くの人がするはず。
僕がすべきことは、彼の明日からの幸せを祈るもう一方からの「支え」


le 30 lundi
//良い事アレコレ// 日記をですね、10年来、ここに書き綴っていると、
ふとした折に作者ならではの良い思いをする。

例えば、地下鉄の車内で不作為に過去の日記を読んでみると自分で書いた記録なのに下手な本より面白い。  また日常の困難とかに、どうやって心落ち着かせて乗り越えたかの記録も多々あるし、それを読み返すのは自信というか確信を再確認。 定年後、この日記をノートに書き写す作業をしたら、大いなる楽しみというか、作者ならではの味のある振り返り。  そして、いつの日か「妄想一代男・マダムの日記」とか売り出せば、案外、評判になったりしてと。。。。
あと、月日を指定して日記を振り返る定点観測も作者ならではの楽しみです。

つまり、2003年の1/30の日記は、、、、、

le 30 jeudi
//ドイツ民主共和国//旧東ドイツの国名ですね。さて冷戦時代東ヨーロッパには共産主義国家が沢山ありました。その中でドイツとチェコスロバキア・ハンガリーは生活水準も比較的良かったそうです。一方、ブルガリア・ルーマニアとかは散々だったらしい。個人崇拝の度合いの低い国の方が豊かであると分析する人もいました。なるほどね。         //それでも//社会主義の優等生だった東ドイツでさえ、西側に命をかけて亡命するのだから、社会主義とは崇高な理想かもしれないけれど国民生活からすれば何の魅力もない制度だったらしい。冷戦が崩壊して言えたと思うのですが、ある労働者の言。「共産主義は未来の生活は、こうなると宣伝するばかりで、厳しい労働から一向に解放されない」と。なるほどね。         //それでも、その2// 貧困と麻薬。暴力と売春が渦巻く中南米世界において、唯一、浮浪者のいない国家は社会主義・キューバらしい。        //それ以上の何か//どうも、イデオロギーだけで優越を決めるのは難しいようです。国家の盛衰は賢明な指導者と国家戦略みたいですね。  社会主義だからこそスラム街の存在しないキューバもあれば、同じ社会主義でも人肉まで食って生き延びる北朝鮮。           海外旅行に行き、車も何代か所持し、家電製品は壊れるのを待つまでもなく新商品に群がる先進国もあれば、同じ資本主義ブロックなのに、大都市にはスラムと麻薬と売春が伴っている多くの国々。   そう、結果をシステム云々に帰属させるのは達成動機が低いですね。システムではなく「やり方」が間違っていたと思う。  さて、日本はどうなんだろう。そろそろ大都市にはスラムと麻薬と売春が存在する環境になるかもしれません。やり方がまずかったのでしょう。



le 29 dimanche
//豪華本// 日本陶磁大辞典。
手元に届いたら、読むと言うよりかは愛でる、そんな時間を持ちたい。
同じことは昨日の日記にも書きましたが、
昨日も今日も陶芸でしたが、月に一日くらいは都市生活者として
陶磁大辞典をコーヒー飲みながら読んでみたいのです。

ところが陶芸の情熱と、それを消化する土日。このバランスが全く崩れているのです。
土日フルに勤しんでも、時間が足りない。
だから、都市生活者は一つの理想ではあるのですが、身を削る感覚もありまして、
いやはや、こんなに傾倒してどうする!!です。

もし、全く働かず金にも困らないとしたなら、
時間の過ごし方は、四日は陶芸。二日は休養。一日は予備日。


人の週末の内容は全然分かりません。
ただ、人は歳を重ねるに従い、ますます枝分かれ、個性というか、
その道を進む。

小学生の頃は、学校に部活、人によっては塾。
人の生活を想像するに、そんな困難も生じませんでしたが、
もはや僕が寝ても覚めても陶芸のことばかり考えているのは
この日記を読まない人にとっては旧知の仲であっても想像の範囲外。


少しは陶芸に飽きたら、どれだけ気も体も楽になるのかと願うのですが、
全然飽きないのですよ。全く。


le 28 samedi
//釉薬// 自分で掛けるのは難しいですね。

本日は、釉薬もありましたので、一日いて作ったのが、これだけ。

ネットで日本陶磁大辞典を買う。
もう、出費の全てが陶芸に注がれる、なんでしょう、この傾倒具合は。
この次に狙っているのが、織部の文様。


特別な旅行。来月の新潟とか、そういうお誘いが無い場合、どうやら無条件で作陶している自分が当たり前の様に見えてしまうのです。
月に一度だけ、一日、作陶から解放された日。
でも、陶芸の本を読むのですがね、そんな日を設けなければと考えている。

昨年の11月ごろから、例外なく通い詰めていますが、
そういう傾倒は、上達の妨げになるのかも、と考えたり。

指は休めて、どこかで器を見て、実際手にとりお茶を楽しんだり、
陶磁大辞典を読んだりとか、そんな休日を設けなければと思うのです。


le 27 vendredi
//俺に生きる、サバイバルの系譜// 
我が父上の生まれ育ったところは、例えるなら長野県飯田の大平宿。
昭和の50年を前にしたあたりで廃村し、下に下る。山奥の山奥。

父は、その村落の開祖の家系で、下りたのも最後。
父上の言からは驚く内容もある。

囲炉裏や五右衛門風呂は可愛らしいもので、
父上の祖母は、お歯黒(鉄漿)をしていた。
焼き畑をしていた。終戦直後は、違法ですが酒を、どぶろくを作っていた。
何かの草木の液を川に流し、魚を一網打尽にする漁をしていた(違法)。

今でも、思い出すように語るのは、イノシシの肉が旨かった、と。

親孝行しなくては。


さて、本日は誘われるままにケーキバイキング。
入ってビックリなのは、安い料金でのケーキバイキング。
甘さと脂っこさを強調した急場をしのぐケーキばかりで
15分で帰りたくなりましたよ。


le 26 jeudi
//三連休// 最も手前にある三連休って、いつだろう?????
陶芸は好きですが、あまりに好きで他を愛でる余裕が無い。

それでも、なんとかして確保したいのは「川売の梅の花」を愛でる日と、斜面集落探訪。

さて、陶芸が僕に絡みつくのなら、
三連休は、初日に瀬戸で泊まり。翌日は多治見泊まりというのも興があるかも。

たぶん、脱サラする人ってのは、趣味が高じて土日だけでは、どうにもならない憤懣が臨界点を超えたと思う。  

宝くじが7.5億でしたっけ。 
もし当たれば、
一割は、次回の宝くじの軍資金。外れても寄付したという満足感はある。
残りですが、瀬戸に日本家屋の良いものを手に入れ改装し、
火鉢のある生活を楽しみ、ろくろを回す。
電気自動車ともう一台買うくらいかな????

あとは和風建築のアパートか長屋を建てまして、
僕が80になるまでは家賃収入を得、
それ以降は改装して、グループホームとかにする。
そして僕も入居するという段取り。。。

もちろん、会社は辞めますよ。
その感覚は人と違って、
程度の良い日本家屋を季節の折々の小さな変化も逃すことなく楽しむためには
働いている時間が無いのです。

変な話、一億の日本家屋を建てたとしたら、
働いている暇なんて無いでしょ。
40で当選したら、80までの40年間は、存分に浸らなくては
一億の投資の意味が無い。

家から出るのがもったいないので、
火鉢を横にロクロを回す。


le 25 mercredi
//3月18日は//   リニモ早春ウォーキング。第四回の内容が秀逸。
陶磁資料館南で下車して、愛知県陶磁資料館企画展が二割引き。
瀬戸蔵ミュージアムが無料!!!!!!!
企画展は、青磁展だから何度も行くので二割引きは嬉しい。
瀬戸蔵も一度は行きたかったので無料なんてのは小躍りしちゃう。

こんなに瀬戸が好きになってしまったら、
瀬戸に居を構えるのもありかなって思ってしまう。


le 24 mardi
//窓の外// そうそう、日曜日。瀬戸のコミュニティーFMを聞いていたら小学生の作文を本人が朗読していました。  ガツンと来ましたよ。
「私は、塾の送迎バスではいつも窓の外を見ています。でも、ぼんやり風景を見ているわけではありません。いつも私は夢の世界を考えています」という始まりで自分の将来の夢を語る彼女。
例えば、地方都市の地方紙で読者文芸の俳句や短歌に、とても心染み入る作品があるように、私たちの周りには、人の心に豊かな味わいを添えてくれる皆さんの発信力が渦巻いているような気もするのです。  もう5年も前でしょうか、諏訪市美術館は210円。市民の絵を見て、大企画展よりはるかに染み入る地方の情緒みたいなものを吸収してきました。

大学の頃は、ロンドン・パリ・ニューヨークと憧れて行きましたよ、一人で。
それはそれで吸収するべき物も多かったけれど、
あの頃の、そう初めての海外はニューヨーク一人旅。
そういう冒険心も40を前に半減。
今は足元にある味わいを見つけることに腐心しています。

地縁・血縁全くないのに、故郷よりも地元よりも気になる町や場所があるはず。
言うとするなら、冬の終わりの春を感じさせる、雨脚もしっかりした二月後半や三月前半の雨。
場所は岐阜県の関市か美濃市。
大山岳地帯もいよいよ終了の濃尾平野の外縁部。
可愛い山がぽつぽつとして、冷たい雨は勢いよく霧というか
沢づたいに上昇する雲。 それを窓辺で見ているだろう至福な美濃や関の伝統的な家屋の住人。


気の早いところはある。短気ではないのですが、先を読んでしまう。
学生の頃、アジアなんてのは年取った時の旅先だと、進んで遠くばかり。
では、今、地方の風情を追い求めていますが、心の底流に響くのは
年取った時に慌てて探し求めないために今からと。

今の僕には、年をとってから、ますますそういう情緒が必要になるであろうから、
今の今から開拓しているというわけ。


季節の終わりは、いつも雨の心地良い日がある。
週末、夕方の四時は雨雲のせいで冬のように暗い。
次の季節の成分を含む生暖かく雨脚のしっかりした雨はやむ気配もない。

こんな時間に遭遇できたら僕は本当に嬉しい。
何をするかって???
ベッドに潜り込んで、寂しくも聞こえる雨音に、冬の去るのを惜しむ。

歳をとって、もし関や美濃の古民家か長屋かアパートに一人暮らすとしたら
きっと、そんな時間に、この町に移り住んで本当に良かったと実感するのでしょう。

長々と書きましたので明日からの宿題にしますが、
好きな天気と自分の居場所。そんなシーンは数多とある。
それらはどこかで体験したものではあるが、なかなかそんなシーンに巡り合えないもので
僕は日記に、来るべき日の未来の情緒でも認めることにします。


le 23 lundi
//五ヶ月後// 僕は40歳になります。  そもそも30代の全てにおいて、いやいや芸デビューして、ノンノン、産まれてから今まで色恋とは縁もなく、たぶん心の底では、その価値を蔑んでいるというか、性的欲求の処理さえあれば、個の自由を大切にしたいと思っているので、今後も一人で生きていくでしょう。 

それはそれで良いのです。
ただ男が40も過ぎて、誰それがイケるとか、誰それを募集とか、
そういう考えが先行して、ますます面倒になると言うか。
例えば行った旅行先で何かしてしまうのは、「ついで」だから良いのです。
そのために何かするのが面倒で、みっともないと思うようになるのかと。

つまり、僕は人間として備えているある種の感情に
大いなる欠損があるのも事実だと思っています。
たぶん、どこかで冷たいのだと思う。

そういう生き方を貫徹するのもオリジナリティ溢れて良いものだと思う。
昔から、僕は人とは違いと思ってきた。
きっと、この道を進んでいった先の、20○○年の日記は、
ある種の面白味に満ち溢れているような気もする。


le 22 dimanche
//大量生産// 昨日は、S氏から施釉のテクニックを教えてもらう。
有難いことは、その説明の折節に、事前にこの日のための下準備が伺えるのです。

さて、本日も陶芸。
粘土買いました。
白土440円 焼成料400円 一日施設使用料720円
ジュース一本120円 昼ごはん600円 ガス代600円。

合計2880円。

一日充実で、この破格値ですからね。
粘土買わない日は焼成料も必要無いので、実際は万歳価格です!!!!


今日は八個作りました。
とにかく施釉の段階では、全てが実験的になるので
サンプルの大量確保に迫られるのですが、
アホな作品も作っていられない奥の院。

たぶん次の週末も大量生産日でしょう。
その段階で30-40くらいの素焼きが手元にあれば
いろいろと試すことにも事欠きません。


仮に一カ月9日の休みがあって、陶芸に行くのが8日だとする。
8日全部粘土購入の贅沢パターンなら、2880×8=23040円。
でも、そんな日ばかりではない。半分は粘土を買わない日だとすると、

そんな日は、720+120+600+600=2060円

2060×4=8240
2880×4=11520

合計19670円。

一カ月の週末の楽しみが二万円。
こんなに安くて、それでいて心が満たされ、飽きる気配もサラサラないのですから
全くなんて有難い趣味に出会えたのかと。


それも一日ロクロの回転を眺めているのですから。
一日名古屋の街中をブラブラしたら、2万円なんか、その日の内に飛んでしまいます。
よって、他に何か買う欲も湧かなければ、その誘いもなく実際時間もない。


長いこと日記を書いていて、僕は進んで孤独でいる時間が異常に長過ぎて何かの病と悩んでいたことも告白しています。 陶芸の前はドライブですが、誘うこともなく一人で出かけ、行った先の店で2-3会話を交わし戻ってくるだけ。それが全然苦でなく悩んでいました。
でも、僕はこれが病だとすると治らないものだと諦めも心にはあるし、
そういう性分の人間として、出会うべくして出会えたのが陶芸だったのかなって、なにか運命的なものさえ覚えます。


一人でいるのがなぜ好きかというと、邪魔されない自由がそこにあるから。
陶芸も同じです。どの曲線を作り出すかは誰に伺いを立てるまでもなく私の自由。
百万が一、陶芸デートがあったとしても、たぶん無言のままのデートとなり相手方激怒で帰ることでしょう。


誰かがいないと寂しいと思う人もいるそうですが
日々、誰かと接しているのだから週末くらいは一人でいたいと避けてきたのが僕の生き方。

でも、今は陶芸で本来の饒舌な自分がいまして、おじさんおばさん相手に良く喋っていますが、
心地良いのは、会話を中断して5分10分無言のまま集中モードに勝手に切り替えても全く失礼でないところが嬉しい。

明日からの仕事は懸案事項もありますが、
それも須らく最善の形で解決されます。
五日働けばまた二日ロクロの回転を眺められる。


le 21 samedi
//潮の流れ// 22:30。土曜日の日記。
心に静かに騒ぐは潮の流れ、その変化。
僕は日々、祈る時間を設けています。
毎日の地下鉄で目を閉じるときにする、その日の平安だったり。

人事異動があって、ゴタゴタがあるのですが、さらに労災の案件も一つ飛び込んできた。
戦力1/2カット並みの四方八方からのゴタゴタ。
ただし仕事は難なくこなさなくてはなりません。

心の底に静かに騒ぐ、いつもとは違う警告。
これを疎かにしてはなりません。
僕は、無性にそういう信号を感じる時、特別に時間を設けて祈るのです。
それがあって今の自分があると思っていますが、
この第一級の祈りが必要な、潮の変化が迫りつつあるし、
それに適応しなければと思っています。


本日も陶芸。朝から夕方まで。
ただし、今日から開催の青磁展も見る。展覧会の本も買い、これを読みながら都市生活者としてコーヒー、そして昨日の下らない飲み会を清めるために女子大にでも行こうかと思いましたが、先日のエレガンス廉価版の日記で【損を取り戻すな】と書いたのは自分です。。。。
だから夕方から静かに自宅。


//1月23日// 今年の旧正月。江戸時代なら、今度の月曜日に新年を祝う。
天龍村史を読破したとき、秋田の村の正月の童歌に、
「正月って良いもんだ 雪のようなママ(米)食べて
正月って良いもんだ 油のような酒飲んで」っていうくだりが紹介され
強烈な印象を刻みました。

寒冷な北日本の実に、正月料理。
100%白米の飯は、うっとりするほどの甘みだったのかと。
そして酒の喉越しを油と称したところに、僕としてはもはや官能の域であると。

どれほど待ち焦がれた行事か。そう、こんな贅沢は一年待たねばやってこないのかなって、
想像しましたよ。

グルメの時代、ブログの時代、美味しい料理をいろんな表現で書き現わしていますが
日本酒を油と称した味覚の鋭敏さは、飢えに立脚していたものだと思うし、
表現の凄みに、現代の飽食は、全く陳腐な言いようの羅列なのだと。


le 20 vendredi
//溝に捨てた飲み会// 直帰して風呂に入って車戻すために再び名古屋駅へ。
そうしたところ帰る社員がいまして、今、アチラで飲み会やっているから行く??と誘われる。
酒癖の悪い人がいましてね、全く不愉快な飲み会。
たぶん彼は、ふだん溜めこんだ憤懣を酒の席で晴らすのか、
僕が丁度良いターゲットになりました。。。。

皆さん、それぞれにイライラを抱えていることが分かりました。
それから抜け出す方法は解決すること。
僕も気になることはありますが、解決に舵を切ります。
その場で憂さ晴らしは明日の糧になりません。


le 19 jeudi
//雨の音、23時// 最近、21-22時に寝ています。。。。。。。
今、23:12。 外は雨の音。

外。そと お外。
「お外で遊んできます!」
お○○  つまり、○○を丁寧に言うための「丁寧冠詞」。
外に「お」は不自然だと思うのです。
これは日本語の響きから生まれてきた言いようか、
それとも外での無事平穏を祈るため家の外に畏敬の念を現わしたものでしょうか????

雨の音を聞きながら、眠るのって良いね。
しまったと思うのは、今、横になると瞬時にして寝る。
20時なら、音を楽しみながら寝れたのに。


le 18 mercredi
//須らく最善の形で// 今回もまた、須らく最善の形で解決されます。まったく有難いことです。
一つの何かは、大きな果実を齎すのは毎度のこと。こういう機会のあったことに関して、まるで宝くじが当選したように、大いなる喜びと感謝を捧げなくてはなりません。


今日は午後から半休。
さて、僕は仕事に関してかなり保守的というか厳しいことを書いてきました。
ここに初めて記すは、0.5日の休み。約15年ぶりの取得になります。
この間、無遅刻・無欠勤。
つまりですよ、僕のHPの長々と綴られている日記。
10年か11年かな、この間全くの無遅刻無欠勤。

勤労こそ健康の源であり、
勤労こそ精神の平安であり、
勤労こそ生活の安寧である。

ただ働くでは駄目。
勤めて動く。真心を持って真摯な気持ちで有難く思う。

考えてもみれば、小学校の頃、何かに従事しても飴玉一つ買うことはできませんでした。
それが社会人となり働くことにより、僕はお給金をもらい、それに応じて好きなものも買える。
こんな素晴らしいシステムを当たり前と思っては罰が当たるし、
全く心して取り組まなければと思うのです。

名字からして先祖が木こりだと思うのですが、こういう気の長いところは
今に思うと実にありがたい遺伝です。


le 17 mardi
//パーーっと// 飲みに出ないと、焼き鳥とか熱燗とか無性に欲する。
今年からエレガンス廉価版なのですが、たまにパーーーっと使いたくなる。
支出の抑制こそ、何にも勝る財テクの法と書きましたが、
まあ、ビックリですわ。
最初からコーすれば良かった。。。。

さて、慎ましい贅沢を一つ書くとしたら、春、四月にマナカとトイカが連携!!!!
僕は名古屋市営地下鉄のマナカなので、今のところ名鉄はストレスフリーなのですが
春にはJRもらくらく改札。

贅沢って、10000円くらいチャージして、
夫人首都圏気まま旅。
と、申しましてもね、陶芸は週末に最低一度は顔出したいし、
結局は土日とも行きたいので、本当に他に何かする時間が無い。

明日は個人施釉の説明会。


le 16 lundi
//食べて寝て// 夕食食べて、そのまま寝て、起きたら雨の音。


le 15 dimanche
//夢にまで出てきたので// 結局、本日も作陶日。

18日にも行くので、今日の作品は焼きに回さず。茶碗なんてラインがデコボコだし。

帰り道、抜け道を見つけました。
帰りは特に混むので、高速を利用していましたが、
この抜け道を利用すると、高速+15分には収まるので、
これで500円が浮くとなれば抜け道かな。
と、思うのは、最近のマダム経済学は石高制度ではないのですが
全てが粘土一袋での換算。500円だと白土一袋買えます!!!!!
こういう計算が働くと、もう高速なんて乗れない。。

例えば、とりたてて理由もないのだけれど
なんかコーヒーが飲みたくて喫茶店に入るのも、
これで粘土が一袋買えれるよって心が囁けば、僕は店の扉を開けれない。。。

陶芸に没頭すると、以前の僕の週末に比べたら80万円は節約できるとは申し上げましたが、
粘土経済学で生活すると、どうでしょ、他のもろもろの支出も抑制される予感。。。

ヘアサロンを年間通して一回、数を抑えるだけで粘土が8袋となれば
僕は我慢もできると思うのです。

だって粘土8袋もあったら、アレもコレも作れるし。


さて、フランス国債も格下げ。
ウーマン思うに、汗をかかずして金儲けする人口が増えすぎたと。
しかし、人は去年より今年の収入はどうなるのかと、農業なら諦めもつきますが
作為的な投機で生計を立てると、そりゃもう次なるところですよ。

中国に大量進出し、インドであり、いろいろと。
彼等は常にどこかに金を投げないと、自らの首を絞める、そんな額に冷や汗な世界の住人。
ここに住む住人が増えすぎました。

イランの制裁⇒原油高騰は、ヨーロッパで辻褄の合わなくなったお金の避難先として
急遽、その舞台を設定しているように思える。

経済が前年より停滞しているのに、危機だけ先行して原油が暴騰。
そういうストーリーが無ければ、お金の移動先が無くなってしまう。
金の動きが止まった時、額に汗を流さない人は、死を意味するからです。


//瓢箪// 僕は瓢箪型が好きです好きです。そもそもケッタイな植物。
あの形が、いづれ木質化して、ちゃんと水筒の役割さえできるのですから。
秀吉も瓢箪を紋にしましたし、瓢箪はなんか目出たいと言うかご利益ある何かしら微笑ましいものを感じるのです。 

瓢箪型の徳利をたくさん作っています。
花瓶にもなるし。。。
括れたところに伊賀の組紐とか結べば、なんか立派な贈答品になりません????


le 14 samedi
//アンダーグラウンドの英雄// 地下鉄で両の目の横に蜘蛛の刺青をしている人を見た。
彼は30代後半から40代前半だろう。一応、ニット帽を深くかぶりはするものの、全てを隔したら目も見えなくなるわけで、結局は隠したつもりで隠せれない位置に刺青を。

夜の七時過ぎの地下鉄。ビールを片手に乗り込む。
これから週末の盛り場に行って、男の漢たるものを見せ付けるのでしょうか???

古代ローマでは奴隷に刺青を施した。
もちろん見せ付けるための刺青。
奴隷はどこに行っても奴隷で隠し通せれないものだと。

この人は、けっして悪さはできないだろうと思った。
人物の特徴が、これ以上顕著な別モノもないだろうと思われるソレですから。。。





le 13 vendredi
//2-3-4-2//仕事始めで二日働き三日休み四日働いて明日から二日休む。体に優しい緩やか発進。   

働くことは、ひょっとしたら定年までモグラ叩きゲームのようで
後回しにしたら手に負えずゲーム終了。
モグラが出てこない平安は仮の姿。
だけれど、そのモグラゲームのやり手、つまり働けれる事は無上の喜び。


ジムから戻り、youtubeでいろいろと見る。
はじめて大泣きしてしまいました。
日本では放送コードで一切表に出ませんが
世界の記録では東日本大震災の死体を含めたものも残っており、
見るか迷いましたが、彼らもまた鎮魂と記録の立場から編集しており
再生しました。

第二次世界大戦の米軍カラー映像とかには日本軍の死体も映っています。
それを今に見て戦争の惨禍を想起させるのですが、
この大震災も、生身の人間の惨禍として、いづれコードの解禁も含めて
日本人の心に連帯と災害への想起を確固とするために、
何もかも避けて通るべきではなと思いました。
この映像を見て、僕は大泣きをしましたが、
大泣きして、まだ一年も経過していないのに
冷めてしまっている連帯心を今一度呼び戻す一助にはなれたこと申し添えておきます。


le 12 jeudi
//ヘアサロンは、18日// まあ、いい加減、頭もスッキリしたいのですが
18日は午後から半休。陶磁資料館の帰りに塩釜ですね。

さて、夢にまで作陶が出てきます。
モノ価値は、粘土一袋のソレと見比べてしまいます。


今年から、エレガンス廉価版のことばかり考えていて
まあ、なんとなく線路に乗っかれたかなと。
今後考えるは、何を抑制するのではなく、何を買うべきか???


安い居酒屋とか芸バーは三回で一万円。
一万円のブランデーを買った方が、結果的に安上がりになります。
と、言うわけで何を買うかも真剣に考えねば。


le 11 mercredi
//省エネ電気ストーブ// どんなに技術が進歩しても電気ストーブの暖かさはワット数に比例するのか????      照明や冷房は省エネが進んでいますが、こと暖房に関してはあまり聞きません。   例えば、電気ストーブの対になる壁を鏡張りにしても部屋の温度はワット数に比例するのですよね。。


//あるご友人の、言//「で、あの子は、どーなの???」
回答。
「いつもお金が無い無いと言いつつ、贅沢なことばかりしていたわ」

そういう人がいるとしたら、
●俺、金あるぜよ。と言いつつ火の車。 も、いるかもね。

週刊誌のたまにある特集で、「あの人は今」
そう、あの人、何やっているのでしょうか???

今や、発行部数も激減の芸雑誌。
きらめきも鮮やかな行く行くboyの、その後とか、
そういう特集したら、増刷に次ぐ増刷ですよ。


le 10 mardi
//1月18日// 個人的には皆さんに紅白饅頭、のし鮑、スルメにお神酒、振舞いたいわ♪
去年の二月の末に始めた陶芸。1/18、個人施釉を申し込みます。午後から半休取る意気込み。
今まで釉薬は色こそ指定はできるものの、あとはお任せ。
だから、色の違いは赤ドベや白ドベで、発色に多少の変化を持たせるだけでした。

自分でする領域が格段に増えます。
だから以前のような大量生産はできないし、アホな作品も作れない。
釉薬に時間がとられると言うことは、生産量の減少。
よって粘土がさらに長持ちするのだ。
陶芸によって、どれだけ節約できたかを去年長々と述べましたが、
さらにもうひと締めできそうです。
それが楽しみを持ってするのだから、まさしくエレガンス廉価版。


「神の手」と呼ばれた男がいた。
突然現れ、恐るべき集中力によって生み出されるそれらは
指導員も黙らせる一級品。

彼は、もはやココで学ぶべきこともないと悟ったのか、
ある日を境に全く足も運ばない伝説の人になってしまった。

この間、3か月ほど。


僕はというと二月の末に初めて、ようやくです。10カ月と少し。

自分としては個人施釉は申し込みますが、電動ロクロには手を付けないでしょう。
皆さん、陶芸と言えば、電動のそれを思い浮かべますが、
僕は、あくまでも手回しで頑張る。

と、言うのは何の根拠もないのですが
電動に手を染めた途端、技術の進歩が止まるように思えてならない。


le 9 lundi
//東京では既に// 車を手放せば、年間100万はアナタのお小遣いに。
毎年のことですからね、10年で1000万円。
このお金で最新のモバイルとか買っても余りある。
どんなにお洒落喫茶店を行脚しても、余りある。
だから、年に何度も海外旅行に行くのでしょう。
それでも余りあると思っていますが。

さて、昨日のことですが、岐阜市街を半日歩きました。
なかなか面白そうな、美味しそうなところもあって
これで日が暮れれば、旨そうなところも追加する。
車なんて、無ければ無いなりに楽しい時間になるのかもって、思いました。

さて本日ですが一日陶芸の日。
ガス代750円 陶芸代(粘土あるので利用料のみ)720円 ジュース一本120円
お昼ごはん640円
今日は、一日楽しんで、たったの2230円。
これに高速を利用すると片道500円の追加になります。
まあ、安く済みましたが、ガソリン代が高いです。

たぶん、三連休で使ったお金は一万円程度。


アハハ。去年の同じ時期の日記を読んでいたら、同じことを考えている。




仕事は全力投球。だから一日があっという間だし、どういう心構えとか何をしようとか、そういう次元は卒業しています。挑むべき姿勢は決まっているから簡単です。全力で頑張る。
そうすると、一日があっという間に終わります。

定年までこの繰り返しすが、精神を腐らなくするためには帰ってから週末、いかに心に別の美味しさを味わってもらうかのアレコレ。
その一つが陶芸で、本当の楽しく時の過ぎるのもあっという間ですが
欲を言えば、岐阜市や美濃市など味のある街を歩いて本を読んで、のんびり。
毎週、三連休だったらなぁ~~~


le 8 dimanche
//夫人大学講座・エレガンス廉価版③//
【損を取り戻すな】 本日は岐阜市内をブラリ歩きして寒中見舞いも書きました。
連休中日の小さな旅にもウーマンはエレガンス廉価版の極意を求める。。。。。

本日、ドニチエコきっぷを買いました。600円。 金山駅で降り、チケットセンターで18切符のばら売りを買い、どこか遠くに行こうとしたのです。寒中見舞いを書きがてら。。。
ところがチケットセンターは休み。悔しいですよね。でも諦めました。
チケットセンターを探しに、また移動したら、時間は無くなるだけ。金山で降りたのも意味なし。。
そこで僕は岐阜市に狙いを定めました。

結論から言うと、市バス地下鉄乗り放題の600円のきっぷ。200円しか使っていません。
だって通勤定期券は主要なところを抑えているし。。。
400円の損を、以前だったらもったいないと、必要ない駅で降り、また乗っては下りたりして
行った先々で喫茶店に入り、400円以上利用した!!と安堵する裏で2000円とか使っていました。
正直、それならヘアサロンに行こうかとしましたが、サイクルを早くしてドーする!!!!
損は損と、後日の戒めにし、取り戻す動きは傷口を大きくするだけと本日悟りました。

誰でも消費活動の失敗はありますが、
その日の内に賢くなる必要もなし と。


//第三回・エレガント・ウォーキング//
岐阜駅も昔のそれはステーションデパートのイメージしかなく、この発展ぶりは何に例えられましょう。否が応でも目に飛び込んでくるのが43階建てのマンション。
展望台、タダだでよ。最上階。

岐阜城の奥に御岳山が見えます。名古屋の高層ビル群も見えるし、
いやいや何言ってるの!!! 名古屋駅から新快速で18分くらい?? 名古屋市民のかなり便利な層といい勝負で、岐阜市という味わいも堪能できる、ココはまさに超一等地。

8kmウォーキングしました。
岐阜市の、一宮とは違うところ。
それは名古屋の名駅と栄の関係に似ていて、岐阜市は駅前と柳ケ瀬がある。
ところが一宮で言ったら駅前が全て。

あまりに交通の便が良く、かつ、名古屋駅前がショッピングとしても栄に勝るとも劣らない地位を占め、名古屋駅だけに用があるなら、岐阜市民は週末の賑わいを求め、迷わず脱出の道を選ぶでしょう。 だから、岐阜市内を歩く人たちは、都市の規模からすると少ない印象は否めません。
そうは言うものの少ない人の歩きに濃淡はあり、つまり駅前と柳ケ瀬が少ないなりに濃い。柳ケ瀬に求心力がいまだ健在と知り安堵する。

高島屋では絵葉書を買いました。
僕は、毎年のことですが年賀状は会社の最小限の人間に絞り出すだけ。
ところがそれ以上にいただく。いただいた年賀状には寒中見舞いを出すのは毎年のことで、ではいつ出すのかと言われれば、成人の日の三連休、旅先にて。

どうやら、僕は旨い店を探し出す嗅覚はピカイのよう。
何の知識もないのに美味しい喫茶店を見つけ、絵葉書にしたためる。
最初は僕一人だけなのですが、閑散としている店は多いのに、いつの間にかほぼ満席。


勤めを終えてからとにかく北上。
岐阜市の面白いところは、山と平野の境目の町。
市街地にその境界線が走っている。
人間の自然的な営みとして、その境には道ができているだろうと信じ歩く。
それは大当たりで、いかにも時代を経た道幅と曲線の美でもって、僕は長良川河畔に辿り着く。
岐阜市は京都市みたいに駅前は大規模再開発ですが北に行くと昔ながらの町屋が多く、ここに住めたらなんて楽しいのだろう??とアレコレ思い浮かべてテクテク。



そして筋を変えて南下。
こちらも曲線ある南への道。戦後の都市計画の感覚が一切関与しない歴史の意思ある一本道。
夜になれば、実に旨そうであろう店を、何軒も見る。

再び柳ケ瀬に戻り岐阜駅へ。
飲食店は多くなるものの、チェーン店や大都市資本を隠した疑似地元店が多く、
ここでは食うべからずと、後日の参考にするのでした。

岐阜に黄金の信長像ありけり。

日が長くなったとお思いになりません???
光の春が、最初に届く春のように、日の傾きだけは秒針のそれと同じで気圧配置とか季節外れのナンタラとか一切関係がありませんものね。


それから、寄り道することなく帰宅。
600円のきっぷは200円の使用でおしまい。。。


le 7 samedi
//陶芸初め// ドケチ陶芸初め。

と、申しますのは、粘土は2kg単位で買うのですが、前回買った白土一袋で、なんとなんと、21個も作りましたよ。  もちろん小ぶりが多いのですが、何と言っても僕はケチ。
ケチゆえに薄く作ることに拘りがあり、奥の赤土の花瓶。表面がひび割れていますが、外を乾燥させ中から圧力を加える方法でなく、たんに薄過ぎて水分はあるのですが土が足りないのでひび割れています。2-3mmくらいの厚みでしょう。


さて、陶芸は行ったら一日どっぷり。朝から夕方まで。
最近、お昼ごはんが楽しみなのです。昼休みとして僕は小一時間ほど脱出。瀬戸市街へ。
銀座商店街の中に、地のモノだけをつかった、野菜や根菜の類で出来た健康ランチがあり、430円ですよ。おばあちゃん、欲が無いので。広い土間には炭も煌々と赤くなり、あの懐かしい匂いも漂っています。 この帰り、地元の和菓子やで饅頭を二個買い僕のお昼問題は解決。


帰ってからスポーツサロンにも行きました。なんて充実な三連休の初日でしょう。
明日は、どこかで寒中見舞いを書く予定。


le 6 vendredi
//スポーツサロン初め// 寒いのに行きましたがね。体脂肪計とか、怖くて測っていません。。

//夫人大学講座・エレガンス廉価版②//
①では、精神の充足こそ、至高の目標と言いました。捕捉しますが、麻薬中毒患者の中毒症状も同じ次元です。何で持って脳を甘く愛撫するのか!??

多くの市民は、それを合法の域でします。そして合法であるのですが、少し頭の良い人は健康にも留意します。お酒に溺れる人は、合法ですが馬鹿です。でも、馬鹿の心と一般人の心は別モノではありません。何でもって満たすのか!??? ただ、その違い。


おそらく、経済や貯蓄など突き詰めれば精神修養、宗教的なところに辿り着くと思っています。この夫人大学講座も、実は頭に浮かぶアレコレを瞬時にして文字にしているだけであり、自分でも、どういう言葉でもって締めるのか見当もつきません。


さて、今日からは具体的なテクニック。
目指すは、①支出の抑制 ②精神の充足 ③貧乏臭くなく、エレガンス
① ② ③の両立なのです。

たぶん、考える手間や知恵が無いと、日々渇望する精神の充足を支出によって満たすでしょう。昔の僕なら、飲んだり食ったり買い物したりアレコレの途切れることのない連続。でも、これから卒業するのだから、やはり考える手間と知恵は必要だし、ドケチ道場をココに求めるのです。


【過去の贅沢を今に活かす】
支出は抑え、心を満たしエレガンス。
まず、過去に買ったとっておきの贅沢品を棚の奥から探し出し生活用品に変える。

高価なお洋服。その日のためにしまいこんでも、その日には流行遅れで経年劣化。
日々の洋服代を抑制し、過去の贅沢品にとって代え、その日がきたら、その時に新調した方が安上がりになっていると思う。
だって、過去の上等品に同等な商品は、円高でデフレ、今買った方が安いはず。過去に10万円で買った革のコート。今なら2-3万円で同等のモノを探せます。

だから、今、アレコレ洋服に投資するのではなく、過去の贅沢品に光を与え当面の衣料代を抑え込むのです。

もちろん、何年も光の当たらない樟脳の世界に寝ていた服。
流行遅れかな???と気になる人がいるのかもしれませんが、
ファッションは堂々としていること。
他に左右されない、例えばゴールドは時代を越えて価値があるように
センスの王道はあるはず。そこに焦点を当て自分なりの世界を確立するべきだと思うのです。それは簡単なことだと信じています。だって、光を当てた服も自分がお気に入りで買ったのですから、なにコソコソする必要があるでしょう。

箪笥の肥やしは良く聞く言葉ですが、皆さん膨大な量を抱えているはず。
これを草臥れるまで堂々と着こなすなら、衣料品なんてのは数年間は下着の類で済ませるはず。  と、瞬間に思い浮かべるアレコレを今書いているのですが、僕って頭良い!!!と、少し酔ってしまいます。。。。。。。


le 5 jeudi
//今先ほどの、感動// 豆の木からメール。私の過去をつぶさに知っていて。アンタ! ナニモノ。と思いましたが、あららあらら、15年ぶりの再会。

彼は、このHPの事は知らないから、書いても無駄だけど
あの人は、結婚しました。5年くらい前。
あの人も、結婚しました。6-7年前。
あの人は、そう、あの人。生きているのか死んでいるのか分かりません。

そして僕はと言うと、何も変わっていないようです。
太って老けた程度。
でも、毎日は楽しいし、ありがたいことです。


15年か。
このHPより長いブランク。

もし、15年若ければ、今年40だから25歳!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
アホなことして、アホなことばかり考えていて、アホな未来を確信していた。

今でも鮮明なのは、
アナタ、あの人と付き合うと、アナタの幸運も消え去るわよ!と。
彼はとても霊感が強いのです。いろいろな話も聞きました。
で、その警告後も5年ほど付き合っていましたが、
やはり僕も、そう思うようになり、縁を切る。
この間、彼の警告を忘れたことはありませんでした。
確かに、あの時、真面目に地に足を付けていたら、
別の未来も開けたであろうとは思います。



le 4 mercredi
//夫人大学講座・エレガンス廉価版①// 
精神の充足こそ至高の目標
ます申し上げれば、sex。性器の充足ではありません。確かに性器を刺激するのですが、それは感覚の入口。甘く酔いしれるのは脳みそです。脳がどのような側面から充足されるのか。sexは性器を伴う一つの送信方法である。

精神の充足こそ至高の目標

心満たすため、最も簡単なのは、つまみ食い。そして人は必要以上に太るのです。
心満たすのに、皆馳せ参じるのが、初売りやバーゲン。
そして人は必要以上に買ってしまうのです。

食べたり買ったり寝たり。これらは、心の充足のための衝動的行動なのかもしれない。
もちろん、必要とするべきカロリーや睡眠時間はあります。
これを満たす分には問題ないのですが、人は、麻薬中毒患者のように、昨日の満足は今日の標準点。そして食べ過ぎ買い過ぎ、三度寝をする。


どのような理由であれ、心が満たされればよいのです。
世界の皆が、十分な睡眠で脳が満たされたとするのなら、戦争も半減するでしょう。

さて、ここまで書くと、なんとなく言いたいこともお分かりになられましょうが、一つ現代のスパイスが加わります。  それは、ネットとデジカメによって皆が皆、発信者になってしまったということ。  お買い物に酔う人は、お買い物の事実を広め、称賛と羨望を受け、さらなる高みに到達する。  もちろん、昔もそうでした。でも、昔のそれは自身が出歩いた距離に比例する自慢であり、ある種健康的というか原始的。  ところが今や、ネット一つで全世界に私の買い物が、私の食事内容が皆に分かってもらえます。


皆が皆、似たような動きをとるのは、より確かな心の充足を求めるからなのです。
その動きを否定しませんし、否定したら世の中の経済が動きません。
言いたいのは、99人がそうであっても、アナタは一人に留まるべき。

今、買いですよ!!!!と言われない時期に買うのが、本来の買いであり、
「今、買いですよ!!!!」は、99人の人足を集めているようなものだと思いなさい。


思うに、知識ない庶民の最大の財テクは、支出の抑制。
利子で10000円確保する原資よりも、10000円の節約をせよ!と言いたいし、
でも、皆が皆、そうあっては世の中の経済が回らない。
10000円節約する少数派になってこそ、富も蓄えられると思っています。

ところが、世の中、お買い物自慢。旅行自慢に溢れているし、自らの人的関係も自慢劇場の中で構成されているとしたら、やはり自慢の嵐の中に曝されなければなりません。

ここで、アナタなりの「自慢哲学」を確立しないと、少数派でいることにきっと耐えられなくなってしまうでしょう。  そのテクニックが、エレガンス廉価版なのです。


エレガンス廉価版の具体的なテクニックは後日、記すとして、
僕は、一つ目標とする数値があります。
それは、5000円の買い物に抵抗感・違和感を感じられるようにと。


5000円の買い物に、「え??」と思えるラインに立ちたいし、
かと言って、一杯のグラスで粘る客であってはならない。
全く倹約など匂わせず、いやいや、いつも楽しそうで華やか、そう思ってくれて
自分自身も自慢劇場を楽しむくらいの生活であって、
まるで成り立たないようなことを並べ立てていますが、
考えてみると人は安易すぎるくらいお金に頼って満足を得ているので、成り立たないと解釈するのだと思うのです。


何もない畳の縁に座り、朝の座禅を済ました旨、それを日記に書くとしたなら
何という充足感でしょう。
求めるのは豪奢なソファーではなく、何も置かない和室。


今はまだ救われていると思いますよ。
多くの老人の足腰は動き、良き消費者でいる。
では、いつの時代も老人は良きお客さんかといえば、今の若者を見るに
彼等は生きるのが精いっぱいで富の蓄積など夢のまた夢。

日本は、50年以内のどこかで、ガクンと購買力を喪失します。
街にあった百貨店が減少傾向なのは10年来続きますが、劇的に減ります。
これを防ぐために、消費の喚起は叫ばれます。
もう、久しい以前から貯蓄の奨励など聞きませんよね。

皆と同じ道をすすめば、皆と同じ答えをもらう。


30年以内に、日本は豊かな層。中間層が壊滅すると思っている。
若い世代に中間層が育っているのか!???と言えば、全く安い労働力としか思っていない。
もはや、中間層創出なぞ手遅れの感もします。上層と下層。二極化が進みますね。
そして僅かに残る中間層が、貯蓄何十年歴の人たちだと思うのです。


例え金持ちでも、今買った豪華マンションは、売れば価値の下落は目を覆うばかり。
家族構成は昔のように戻らず、泣く泣く叩き売り有料老人ホームに入る。
全てが初めての試みであり、その海を漕ぐモーターの力はお金。


そう考えると、お金が本当に必要とされる時期って、いつでしょう。
人の寿命は読めませんが、手元の100万円が、一番ありがたく思える時期に狙いを定め蓄えるなり使わなくてはと思うのです。  ここまで来ると、もう千差万別な答えが返ってくるようですが、働ける時期は限られている。
僕は今年、40になりますので、そろそろ浮いた使い道を戒めようかと思っています。
目指すは、その戒めが華やかで時に称賛され、実はちっとも苦しくない道の探求。
これは必死に探さなければ、と思う。
楽して蓄財。これが長続きの秘訣だと思うのですよね。


le 3 mardi
//エレガント・ウォーキング// 年越しエレガント・ウォーキングを今年に含めると、なっなんと、もう二回目。家から地下鉄で大曽根へ。480円支払い岐阜県は多治見。
ここから瀬戸まで峠が4つありましたが17kmのエレガント・ウォーキング。

いつかは歩いてみたいと思っていたコースなので、新年早々宿題の一つを終える。
まあ、あまりに食べ過ぎたので、ここで脂肪も燃焼しなければと。。。

尾張瀬戸から大曽根は名鉄で390円。名鉄が高いのか、jrが安いのか。。。


家に戻り午睡。そして夜に女子大へ。
明日は、長い休みの最終日。一日家でのんびりしませう。


le 2 lundi
//日帰り三重県// 行は渋滞に巻き込まれることなく全線高速で1h15m
ところが帰りは高速は大渋滞なので23号を川越まで利用しましたが結局、2h45m。

我が家の両親は三重県のそれも近くの出。
だから里帰りはとても効率が良い。
思うのは、お元気に願っても人の寿命には限度がある。
今の平安は、いつまでも長続きしない。
今の枠組み顔触れも、いづれ変わるし、変わるでろう日に、刻一刻歩みを近づける。

深い慈しみが尽きないとしても、人の生活の向く方向は皆違い、
残された時間と距離の差が、時に罪な気持ちにもなってしまうが、
僕は僕なりにしっかりと生きていなくてはと。


今年もまた、心よりのお元気と健康と安寧を願うのです。
そして私も、「あの子は大丈夫」と思われるように、日々大切に。


Nouvel An
//あけまして、おめでとう ございます//
思いを巡らす、全ての人に平安がありますやうに。


まさしく年が変わろうとする、その瞬間、僕は緑区は旧東海道の鳴海宿にいました。
七つの寺の、それぞれに響き渡る梵鐘の音。
喧噪のなかの初詣は、少し名を馳せたところだと大なり小なり。
ところが、ここ鳴海のそれは、静かで穏やかで、地元の家族連れが
それこそ親子三代で仲良く参る、本来の姿のようで、心が大変に豊かになりました。

今年は、というか、定年するまでと言うか、いやいや生涯に亘っての自分の戒めと言うか、
生きるための節制として、エレガンス廉価版を果てしなく続けるつもりです。

3年ほど前の日記ではガソリン暴騰の善後策として、エレガンス廉価版のアレコレを考えていましたが、今年は常の勤めとして実行する所存です。

具体的なテクニックは後日の日記になりましょうが、
10000円、いやいや5000円。そう、5000円の支払いに違和感を覚えるレベルに自分を置かねばと。 と、言って、例えば飲み屋でグラス一杯で何時間も居座ることは致しません。
毎日がとっても楽しく華やかなのに、倹約しているという頭の使いよう。


大晦日のことを少し。
21時過ぎ、檀家のお寺に行く。我が家は曹洞宗で、
1.5kmほどのところに奇跡的にお寺さんがあり、何年か前に申し込みました。
そこのお寺さんは、まさしく本来あるべきお寺の姿。 世界各地の難民とか、ベトナムからの仏教留学生に宿を貸し、境内を耕し少しでも食に自立できるよう努める。
お寺もチベットの香りがぷんぷんで、大晦日は108回般若心経を読み続け、五体投地もしていました。 檀家の皆で協力して建てた新しい梵鐘一式は、日本の建築様式ではなく、こういうお寺さんなので、花祭りの頃は、チベットのカレーとか本当に面白い内容です。


それから一休みして鳴海に行ったわけですが、
こちらのお寺は日本式の、でも行燈は和蝋燭ですよ!!


元旦は長いお正月休みの真ん中。真ん中に全員集合。
いろいろ食べ、飲んで寝ました。



 
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