janvier.2013 le 31 jeudi //あらよあらよと。// スカパーは解約し、南信州新聞は契約しました。2月は新しい楽しみが訪れます。 40になって、老いとの戦いに出る人もいるでしょう。若づくり、アンチエイジング。 ところが僕は自分でもここまでとは思ってもみませんでしたが老いを認めることに舵を切り、今や心のありようも老いに即したものになりつつある。 ここ最近の日記の底流にあるものは老いた時に遭遇するだろう環境に耐えうるための訓練なのです。つまり、大孤独と大内向。余りに時間は長く、かと言って昔のように出歩くこともままならず。こんな現実に何を持って喜びと成すのか。何に喜び事を見出すのか。 世界は身の丈に合うように急速に縮小する。これに憂いることなく、何かを見出す能力を養わなくてはならない。世界を捨てて地方を得る鍛練を20年続け、老いの達人となっていく所存であります。 le 30 mercredi //明日の宿題// 明日、寝るまでにスカパーを解約します。たまに面白い番組に遭遇しますが、そもそも見る時間がなさすぎる。思えば、10数年前、自室をホテルの部屋のようにしたくてcnnもbbcも見られるようにしたのがことの始まり。今となっては、一週間に15分も見ていないし、存在価値が希薄になってきたので、やはり後ろめたい気持ちも消し去るつもりで解約しましょう。 その代わりと言っては何ですが、南信州新聞を契約しますので、毎日、一日遅れで郵送されますが、僕にとっては一週間に15分以上は目を通すので、意味と言うか価値があると思うのです。 amazonでまた本を買ってしまった。 今、日東荘遊歌を再読しているのですが、度々出てくる各所での饗応。もともと江戸時代の食事に関しては関心もありまして、その外国使節団の応接なので、どんな内容か詳しく知りたくもなるのですよ。二月は作陶と読書と南信州新聞。 le 29 mardi //この週末は//二月だが、久しぶりに1kgの粘土で、どれだけ大きめの器を多く作れるか、つまり薄造りの挑戦をしてみようと思う。もちろん口縁部を強化してのことですが。 つまりですね、細部にわたり構造の研究と言えば大げさですが、思いを込めてじっくり見つめて作り上げ、そこから得られるものに期待したいのです。 le 28 lundi //動物園ニュース// 飯田動物園ニュースが間もなく100号。毎回、小さなパズルのピースが印刷されていて100枚で一つの絵になると、なんで名古屋の僕が知っているかと言えば、只今、飯田のコミュニティーfmをpcで聞いているからです。 長野県飯田市は、その熱き思い、僕の旅行記を読んでいただければ一目瞭然ですが、この熱、冷めるどころか進化系。こういう出会いがあると、もう毎日が新鮮で刺激的!!!!! もはやスカパーで世界のテレビを見る時間が存在しえなくなり、解約はますます濃厚。こうして僕は世界を捨てて地方を得ていくのです。 le 27 dimanche //流行なんて追わず、流行は消えてしまった// 昔から流行を追うことはない。それに面白味も魅力も何も感じないからである。小学生の頃からね。 流行りのテレビ番組をチェックすることもしなかった。僕がしたことと言えば、小学生の頃の記憶ですが、自作のアンテナをテレビの背面に取り付けノイズの向こうに三重テレビを見て、その味わいのある世界観に夢中になる。土曜日、大急ぎで家に戻り、NHKのテレビを見る。 天気予報の始まりの音楽が田舎の情緒があって、何が何でも見たくなりましてね、不思議な子供時代。 今や、流行りのテレビ番組もない時代。 個々人は、興味ある分野に深化していくのだろうか。 今、録音しておいた瀬戸市のコミュニティーFM局の番組を聞いていますが、驚くなかれ、小中学生の作文や読書感想文を自身の朗読で放送する番組。「がっこう大好き」 何で心を満たすかなのです。 人と違うことに面白味を覚え、逆に言うと流行には極めて懐疑的、そんな独創的な生活は40になっても同じでして、思うところもありまして、今後、多いに舵を切ろうと考えてもいるのです。 その一つが「がっこう大好き」 何で心を満たすか。 思うに、これを見つけ出す能力に欠ける人は、 これからの時代、生きづらくなるのは必然だと。 le 26 samedi //一個だけ// 大きめの中国茶用ポットが欲しくなりつくってみました。 夕方から雪が本降り。時間切り上げて個展会場に移動。 いつの日か、僕もそんな機会あればと思うのですが、いかんせん、 10個作っても良いと思うのは2-3個あれば。。。 もし、それで飯を食うのなら7-8個の葬儀代も込みで2-3個に頑張ってもらわなくてはなりません。週末陶芸からはみ出すと、価格は5倍にも6倍にも10倍にも跳ね上がるのです。 夢は作業場に隣接して店舗。 客が来るまでは作陶にいそしみ、そんな生活。 まあ、生きていくためには宝くじ6億当たって、その余裕でもって、、なんですが。 le 25 vendredi //豊さって何??// 若い頃、海外と言えば非アジア。それを不思議がる友人に、アジアは年取ってから行くべき場所。今は、遠く遠く。 良かったと思うのは、一通り遊び終えたこと。 まあ、そういう話題になったら参加できるアレコレは経験済み。 今、世界を捨てて地方を得ようと思うのです。 心の関心事は海の向こうではなく、山一つ向こうの町や村。 十数年来のスカパーも、殆ど見ていないので解約しようと思う。 家に戻ると、pcをチェックするのは国民の平均的な動き。 僕には日中、録り溜めた各地のラジオ番組がゾロリゾロリと。 便利な時代ですよ。その町のコミュニティーfm局とか録音できるのですから。 人は若さを取り去れば、老いを受け入れたら、世界は身の丈にあわせ急速に縮小していくものだと、これは年取ってから分かることですが、僕には昔から確信してしまうことなのです。 世界はどんどん狭くなり、死ぬ間際、起きて半畳寝て一畳。 豊さってのは、自分の世界を満たされた時間でもって過ごすと言うこと。 先日の日記にも書きましたが、地方紙に目を通す喜び。そして録音したラジオ番組を聞きながら、静かに過ごす情緒。 小さい事は退屈でもなければ敗北でもない。縮小する過程にはいったら奥行きを深めたら良い。小さな茶室で、圧倒的な世界観を造り出す茶道の世界観にも通じた感じかしらね。 le 24 jeudi //酷過ぎて、ご立派// 名画・【幻の湖】見終える。 ①観客を愚弄する作品 ②出資者、支援者の面子を潰す作品 ③監督の琵琶湖愛だけの作品 ④出演者の経歴を汚したであろう作品 ⑤全編にくまなく広がる酷い出来栄え ⑥これを最後まで見終える行為はマラソンを完走したに等しい ⑦よって今、深い充足感に満たされる le 23 mercredi //ケチい話も一休み// 三月末、もしくは九月末に決断せねばなりません。 陶芸を僕から取り除けば、オリジナリティーある視点や興味はどこに向かうのでしょうか。 斜面集落や郷土料理。もう一つ言えば地方都市。 長野県飯田市と愛知県瀬戸市には生い立ちに縁もゆかりもないけれど 激しいく関心を寄せてしまう数年来の魅惑の町。 一カ月2100円(送料込)の南信州新聞を契約しようかと思っている。 毎日郵送されますが、手元に届くのは一日前の新聞になってしまいます。 南信州新聞は100円払えばネット上で読む権利も取得できるのですが いかんせん新聞と言うのは紙でなくては。 それを捲る行為に情緒を覚えるのです。 年間25200円。どこかのホテルに泊まったら一泊の値段です。 それで年間の悦びが得られるのですから安いのですけれども、 問題は、実生活とは関係の無い新聞が毎日届けられる現実に、どう道理を見出すのか。 もっと高次元な目的がなければ、、、、年間契約ですからね。 まずは、読むと言う行為の鍛練。 短歌などの読者文芸に慣れ親しみ老いの友に出来るようにする。 忘れつつある漢字力の回復のために。 僕は昔から人とは違うことに関心を寄せ、そしてその面白さを表明し それはそれで評価も得てきた。 赤いアプリとも呼ばれる豆の木を見ていたら、それはもう皆さんの関心事と言ったら、そりゃそうで、、、僕の生活と言うのは、もはや芸からはみ出ている。かといってノンケでもないのですが 、なんというか性のアレコレ云々が、10年ほど冷めてしまったと言うか、どうでも良いのです。 気に入った誰それとアレコレしたいために費やす時間や労力が僕にはばかばかしいと言うか、割とどうでも良い。 覚悟できているということは、未来を見ている、予言しているし、実際に当たる。 僕は特定な誰かを特別に理解し、または理解される、そういう関係を生涯築くことはできないだろう。例外があるとすれば老人になりグループホームとかで、孤独が許されず、その優しさに負けた時、わんわん大泣きをするでしょう。そういう機会があるかないか分かりませんが、施設に入るまでの僕にとって、特別に近い距離に特定の人物を生活に存在させることはないので、人が誰かの優しさを求めて人生設計をし生活する行為は採用しない。 独特の価値観が強力に働き、面白そうだけれど、実際にやっているのね!!と不思議がられる、そんな個性的な日々を飽きもせず楽しみながら送るでしょう。 まとめると結局、僕はケチいのです。 年間25200円、確実に節約できる何かを見出した引き換えに契約しようかと。。。。 今、考えているのは毎日新聞が届くのならスカパーは解約しようかと。 le 22 mardi //基本からして、、、//アレコレ思う事柄の一切に、同伴者が存在していない。 会社でアナタは強い人だと言われました。男は弱いから結婚すると言うのに、アナタは強過ぎるでしょと。。。 まあ、芸であるけれど誰かと付き合おうなんて時間の無駄くらいにしか思えないので、確かに強靭な人間なのかもしれません。 と、言うのは、 週末の過ごし方を考えてみた。 基本は土日とも陶芸です。座禅のある日は多治見周辺と瀬戸の焼き物の見聞を広める。 問題は、それ以外にも、例えば都市生活者の週末なども実践していみたいのです。 ところがその全てが単独行動が前提。芸であるけれど、人恋しい気持ちが湧かないので出会いを求めようと動くことが考えられない。 楽しいけれど無味乾燥。そんな一年になると思います。 座禅以外の、もう一日。全く自由な日を週末に設けれるか。 これが今年の最大の課題になりそうです。 つまり月に二日だから、一つの週末がつぶれるボリューム。 4週8日が3週6日しか作陶が出来ないのも残念極まりないのですが。。。。 その6日、何やっても上手く行き無駄な試行錯誤がない、そんな域に達せるのなら自由度も増しますが、難しい、時間が足りないのが現状でしてね。 le 21 lundi //マダム黒// 久しぶりの雨の音。 こんな夜は静かに過ごしたいのですが、 それを理由にこれ以上スポーツ・サロンをサボるわけにもいかず いまから奮起、行って参ります。 戻って参りました。 そうそうに寝ることにしますが、先程、上記写真に似た他のマダム黒茶碗で一服点てました。 抹茶の緑は黒茶碗に栄えますね。 le 20 dimanche //侮辱された//とはジャイ子の名言。陶芸の常連世界において40の僕は下から数えて2-3番目の若さ。ある老人は、その物の言いようで一部から忌み嫌われている。僕は気にしないのですが、隣でそれを聞いていたご婦人が激怒。起こらないアナタがおかしいと言われました。 だって、会社にもいますもの、強迫神経症の人。 コレ、言ったらマズイけど、思いついたことだし言わなくては心が収まらないと、 上司や同僚に向かって失礼千万な物言いをする彼。 その老人に僕は、とても失礼なことを言われたのですが、 人間社会、心の中には好きな相手でも瞬時にして悪口を浴びせる時ってあります。 でも、それは言わないのがマナーだし処世術。 それを言わないと気が済まないのだから、しょうがないとご婦人に言ったら怒られました。。。 確かに、老人の発言内容は成り立たずして侮辱。 僕が、飛び鉋をしていたら 「アナタのは、ただ傷付けているだけ。止めときなさい。三年は下手のままだから。ここには上手い人がいないから教える人もいないけど」と。 僕は「でも、挑戦しないと三年が経過しないでしょ」と。 実は、本日は他にもありまして、 「あの外にある一輪ざし、あれアナタのでしょ」 「そうですよ」 「あんなデザインはお止めなさい。造っても無駄」 「え???」 「今は、捻りを加えたものとか、そういうものを造らないと」 つまり、自分の価値観を言わないと気が済まないのです。 会社組織でもないし自由な作陶空間なのに、コレですからね、 典型的な強迫神経症の持ち主だと見た。 土曜日、2625円。 日曜日、2040円。 週末の支出は4665円也。 土日ともフルで活動して5000円を切る。 5000円を切る週末なのにこの充足度ときたら、凄いわ!! 夜、NHKで老人漂流社会を見た。 僕らが老いる頃はもっと酷いだろう。 特に芸なんてのは保証人も身元引受人も絶える可能性が大なので、 その覚悟も必要だと思う。 貯蓄は働けるうちにしかできない。 その必要性を痛感するのは、たぶん定年間際だろう。 僕らが心がけるは身体の健康と 死をも視野に入れた心の健康。そして資金。 そして身動きが出来るうちに、身の丈に合った住まいの確保。 le 19 samedi //待ちに待った//週末ですぞよ。 朝から陶芸。 もうね、夢にまで出てくる。正気でも、つい考えている。 ただし年末にあれほどあった冴えがない。波に乗れるのも午後の遅い時間にようやく。 心の底では、少し陶芸と離れてもいたいと、だからといって何をするわけでもなく 実は家でボーーーーーーーッとしていたい欲求もある。 作陶のやりたいアレコレは次から次へと湧いて出てくるし、難しい作品を今日は作れるかと「同じ」ものに挑戦もするし、新しいアレコレの反省点も活かしたいし、結局、時間がない。 だから週末の全てをそれに専念するものの、少し寄り道干してみたい気持ちもある。 だが、僕は作陶が本業ではない。一週間の二日、14時間が僕に出来る最大の枠。 部屋でボーーーっとして、日の傾くさまを眺めているのは、とても強い憧れ。 さて、陶芸に行く車中、ロボットの話をラジオで聞く。 将来は、人間のサッカーチームと対戦しても負けないロボット作り。 瞬時にして頭に流れたのは、将棋でもコンピューターが勝つ時代。 いづれロボットがサッカーに勝利するでしょう。 自ら判断し勝利するロボットを人間が生産する。 それは人間にとって脅威にもなる。そこで人間が考えたのは、ロボットに寿命を持たせること。 一定限度活動したら壊れる仕組み。自ら判断するロボットは「子孫」を作りながら、あくまで人間を駆逐しない、活動と死の繰り返しの奉仕集団。 そして思ったのは、僕たち人間は、神と言う名の高等生物によって造られた生と死を繰り返す奉仕集団ではないのかと。 ハンドル握りながら考えてしまった。 かつて、この世に居た神は、人間と言う生産と死を繰り返す奉仕集団を作り、自分たちはどこかに隠遁生活をしているのではと。でも、神に何かの利益がないと、このシステムの意味がない。 つまるところ、人が生まれ生き死ぬ過程には、神に供える「何か」があると思うのです。その何かでもって天上人は生きながらえる仕組みがあると。 だから自殺なんてのはもっての他。 神から期待された役割を果たしていないことになるのです。 と、瞬時にして思い巡らしたのですが、それはそれで成り立つ話なので、僕って天才!? 世の中の道理を見出してしまったと。。。。。 まあ、生きた以上、真剣に生きることこそ意味があると思っている。 生きることに意味がなければ、道理として生まれてくるはずがない。 上記のひらめきで言えば、人は生きることに意味があり、その生きざまを神に捧げているのであると。 le 18 vendredi //おおおっっっ// 一年も1/24が過ぎてしまったのだ。0.5カ月を経過。 今年に入っての支出は、自動引き落としは別として、計算すると、、、、38800円ほど。 これに24を掛けると931200円。まさか、これで済むとは思っていませんが、、締めて締めての0.5カ月。 本日は、仕事で多治見。お昼は、ちょっと有名なカフェで。カフェ温度。 あああ、久しく落ち着いてお昼ご飯など食べていなかったよ。 le 17 jeudi //超保守派// sonyのtvは秀でていてyoutubeを再生できる。それも補正されていて、大画面で見ても劣化しない。 真実と言う名のソ連のニュース、ブレーミヤ。 これをtvで再生すると、まるでソビエト市民のような感覚に陥るのです。 ただし、僕は超保守派。ゴルバチョフ時代の軽い感じは嫌。 一番好きな指導者が停滞の時代を象徴するブレジネフ。 この重い感じの指導者が大好きで、彼にまつわる本は2-3冊持っています。 政治的には重いのですが、国民の生活は省みず不人気。 ですが、人間的には面白味溢れる漢なのです。 まあ、だからと言って代々木の政党に僕は投票したことはありませんのであしからず。 le 16 mercredi //明日・明後日//水曜日も終われば明日と明後日です。特に三連休明けですから、なんか時間の経過が早いのです。 //小さな美術館// 200円払って諏訪市美術館に入った思い出は実に深いものがある。 市民の力作が並び、ある意味、とても貴重な接点ではないのかと、200円の無限さに時の過ぎるのを忘れていた一人旅。 僕は緑区民であるが、名古屋市美術館だと大きすぎて、ローカルの味が薄過ぎる。 緑区美術館があり、地元の力作を眺められるのなら、きっと面白いのだろう。 老いれば動き回れる範囲は狭くなる。 小学校の頃、行けれる範囲が世界の全てであった。 それと同じで、いづれ世界の幅は小さくなる。 老いると言うことは味わいを深く楽しむことだと思う。 世界が小さくなるのなら、もっと奥行きを楽しもう。 le 15 mardi //自宅カフェ// 本日はようやくにして、家でじっくりと陶芸の本が読める。 机周りを綺麗にして寒中見舞いも書きました。 ホントは、夜の都市生活者でもしようかと考えましたが、家で出来ること、なぜ外に出てまでするって、引っ込み思案。。。。 ここ数日、心の中は何かソワソワ。 陰陽のバランスと言うか乱れています。 心穏やかに祈る時間を設けなくてはなりません。 精神を集中して自分と語り合う時間。それに納得すると、このソワソワ感は自然消滅します。 今日は、陶芸の本を読んでから精神統一です。 le 14 lundi //13時間//13時間寝ました。 今日も作陶。三連休が終わる。 初日の支出。 コンビニ210円。 ガス代640円。 陶芸代1600円(200+200+240+240+720) 二日目の支出。 座禅1000円。 ガス代+高速代2060円。 コンビニ440円。 喫茶店380円。 年間パスポート代1000円。 書籍代1500円。 昼ごはん710円。 陶芸代480円。 ジュース代120円。 三日目の支出。 陶芸代720円。 ジュース代120円。 ガス代640円。 三連休支出合計=11620円。 安すぎ!! 陶芸の何が素晴らしいかと言えば、無我夢中で楽しい。 そのあとは倒れ込むような疲れが襲ってくる。つまり寝る。 もうね、何かを買おうなんて気にもなれない。 家と瀬戸の往復ばかりだと、タイヤもオイル交換も少なくて済むし 車の痛みも軽減されるので車検代も安くなるかも。 昔は、ここまでケチじゃなかったのに、どういうことでしょう。。。 とにかく何かを見て回り欲しいものをアレコレ買う時間が確保できない。 これはデカイぞよ。 le 13 dimanche //座禅で自己嫌悪// 足の痺れ様が酷過ぎる。もはや麻酔の域で、切断されても痛さ感じません。。。。。 日曜日、少し変化ある行動を。 座禅のあと、多治見の町を朝の散歩。そして喫茶店でモーニング。 そのあと多治見の美濃焼ミュージアムで年間パスポートを購入しました。 多治見には現代陶芸に絞った宮殿のような美術館もありますが、 僕は、このこじんまりとした伝統の美濃焼ミュージアムの方が好き。 それから瀬戸の町に行き、瀬戸蔵ミュージアムと昼ごはん。そして陶芸に赴く。 毎月座禅はあるので、そんな日は、こういう目で養う陶芸。 今考えているのは、その日は作陶も見合わせても良いかと。 おそらく僕は特段の予定がなければ週末の全てを陶芸に費やすだろう。 こんな傾倒に、少しの待った。 座禅ある日は、二つの美術館と町歩き。そして町の喫茶店で陶芸の本を読む余裕。 le 12 samedi //飛び鉋//自作飛び鉋で初めての皿。焼きあがり楽しみ。 さてと名古屋城の天守閣を木造で再建築する費用が300億らしい。 意外と安くてビックリ!!!! これは是非とも建造するべきだと思う。 300億なんて2-3年で回収できると思う。 今の市長は、まず、その率いる政党が最悪で、品の無いものの言いようも嫌いですが、 名古屋を観光都市化しようとする情熱は支持できます。 詳細な図面が残っているのだから、是非とも名古屋城を再建してほしい。 le 11 vendredi //靴忘れた// スポーツ・サロンに行ったのにシューズ忘れた。シャワー浴びただけ。 三連休が始まりますね。毎年、正月明けの三連休は旅に出て、その街かどで寒中見舞いを書くのを年中行事としていました。 焼津で寿司を食って、寒中見舞いを出す。 今年は旅に出る予定もありません。 僕は穏やかな気持ちで40を迎えたつもりですが、 どうやら相当に動揺しているみたい。 あの糸の切れた凧のような生活も40までの話として、今や石橋を叩いても渡らない慎重さ。 自分の老いを認めているし、そういうスタイルの生活の導入と、この変わり様。。。 le 10 jeudi //凝り性// hp、また手直し。凝り性なんです。陶芸の本を読む時間は、これで消滅。 マダム博物院を作っていておかしいのは、 そもそも遊びですが真面目。真面目に編集。 陶工は僕なのですが、その分析者も僕で、 さらにはマダム焼に権威を与えたものの書きようも僕。 まあ、私的な序列で作品分けをするのは楽しいのですが 知らない人が見ればなんて自意識過剰なものの言いようなのだろうと思う。 只今、開催中は、【名碗の誉れ展】ですよ。アハハ。 le 9 mercredi //年の最初の三連休は、、、// もう何年も前から旅に出て、その街かどで寒中見舞いを書くのを年中行事としてきました。 ところが頭にあるは、三連休の陶芸。 なんとか時間を割いて寒中見舞いは書くのだけれども、この変わり様、凄いわ。 ボーーっとする時間が好きだ。帰宅してから何時間もボーっとしているのだが、足りない。 僕は、ボーーーっとした先にやりたいことをするのが、本来あるべき取り組み方だと思っている節があって、こんなスタイルだから平日に思いを成し遂げることは時間切れ。 le 8 mardi //臨時ニュースを申し上げます// ●01/24(木)14:50~17:40●01/27(日) 04:00~07:00●01/29(火)11:30~14:20 スカパー日本映画専門チャンネル(BS255)で、映画【幻の湖】が上映されます。 //厄落とし// マンガみたいな話をしますね。 会社の地下室。小さなマンホールが開いていて、僕はいきなり左足が奈落の底に落ちた。 あとで見て空恐ろしいのは、ビルの基礎らしく、深い底には地下水らしきものが地底湖のように。 テクテクと歩いていたら、いきなり左足がまたの下まで地の底、宙ぶらりん。 ところが僕は楽天的なのか、これぞ厄落としなのだと良きことのように思っています。 僕は左半身に劣化の症状がみられる。耳も目も左が調子悪く、腰も肩も左が凝る。 靴の底も左が減って、つまり僕は芯柱が左に傾いているのです。 その歪みをスコン!!と治してくれたのが半身落下運動だと思っています。 le 7 lundi //実験はつづく// 茶碗の淵について、毎週末実験を執り行う。 しかし、実用に耐えうるものかを知るためには、その答えは二ヶ月後でしょう。 あらゆる実験をして二ヶ月後に、ふるいに掛ける。 正月休み何やっていた?? と聞いて、パチンコで給料以上に儲かったと話す人ありけり。 確かに、そんな札束が財布にあると思うと、底知れる余裕も感じられますが、 いやいや、それ以上に損をしているから商売として成り立っている。 彼が、それを定期貯金に預け、そういう遊びを小遣いから捻出したとするなら 頭良いと思うのだけれど、きっとそんな選択はしない浮かれよう。 le 6 dimanche //特別な祈り//の時間。 さて長い休みも今日でおしまい。あすは仕事始めです。 仕事を取り巻く諸々の、そう思い浮かべる仕事の一切が須らく平安で安寧であるように。 不思議なことを申しましょう。今年の初詣。 こんなところに神社があるのだ!!と立ち寄ったそこは、以前、夢の中で見たそれとそっくり。 今日の陶芸も冴えなかった。三連休に勘を取り戻しましょう。 le 5 samedi //ロクロ初め// 手ロクロですが。なかなか上手くいきません。 夜、ようやく心ゆくままに日本陶磁大辞典を読む。 長い休みも今日と明日。仕事のことを考えざるを得ない。 働くことは喜び。 しかし、時代は残酷かな。 今や、働けれることは喜び。 よって労働は勤労でなければならず、 勤労者はその本分を忘れてはならないし脱してもならない。 捧げた勤労の全てが俸給として手元に戻るわけではない。 これに怒りを感じるのなら勤労の枠を飛び出し独立するべきである。 その勇気がなくて、これを理不尽と言うのなら、世の中の仕組みを知らなさすぎる。 闘争は俸給を如何に増やすかでもあるが、決して捧げた勤労以上にはならない。 年に何度も言い聞かす。 【仕事は、その内容でもって人を生かすも殺すもする】 【仕事を甘く見る者に、その者は、その仕事によって報復される】 【仕事に真面目な者は、その仕事でもって救われる】 堅苦しいお話はここまで。 年末の10大ニュースに入れても良かったのが 昨年、外でラーメンもカレーライスも食べなかった。 これってかなり珍しい人間だと思う。 数あるラーメン屋に入ったことのない一年。カレーも。 le 4 vendredi //ようやく完成// 去年は二年分の旅行記。今年はマダム博物院。ようやく完成しました。 ここ数年、日記しか更新していませんでしたが、時代に合った内容になりました!? 実は、嬉しいのです。こういう構想は昔からあったのですが、なにせ世に顔見せ出来る作品がなかった。一年と10カ月の歴史でようやく博物院を開館できたこと、無上の喜び。 昨日今日と少しは外出しようかと考えていましたが、昼寝を優先させて断念。 ややや。今年に入ってまだ300円しか使っていない!?? le 3 jeudi //300円//一歩も出ていないのに300円だけ使いました。ネットショッピングとい言うやつですが、その300円、ガボーーーっと楽しめる。 南信州新聞の12/30号と1/1号をネットで読めれる権利を購入。 では、他の時間は何していたかと言うと、それは去年から言えることですが、このHPをマダム焼に対応するためいろいろとリニューアル。これが凝り性なんでマダム焼の歴史なんて僕しか知らないのですが、作品の前後が間違っていないかとか調べたりするのですよ。 将来、僕が陶芸の大家になってウーマン研究の学者が現れたとしても、仕事は簡単。マダム博物院を読めば答えは出るのです。。。 le 2 mercredi //ごあいさつ//新年のあいさつに三重県へ。日帰りでしたがね。長い休みのど真ん中に、一族のアレコレが組み込まれるのも正月ならでは。 僕はといえば車の運転と旨い肉食っただけですが。 さてと、残るは3-4-5-6の四日間。5-6は陶芸なので自由な時間は3-4です。 明日は自宅湯治を考えています。 自宅にて終日のんびりに徹する。 日長、薬湯に入り灸を据え、香も焚きましょう。 今年はエレガンス廉価版を極めます。 今までは、散財した反省として迫られてきましたが、今年は通年の自己課題。 ところが、廉価版を成し遂げても既に物価は円安で上昇に転じています。 だから、その努力の相当部分は消えてなくなってしまうのですが、 それでも僕は極めます。 人は、何に心を満たすのか。 この問いかけや達成のアレコレが人生だと思うのです。 心の充足で道を誤る人は実に多い。逆にいえば、心の充足、つまり心を修める術を知っていると、その人は大成すると信じている。 ところが人間には欲がついて回る。 そして経済は、人の欲に期待して構成されている。 だから、甘い話は多い。そして、その話を考えもなくok! ok!していれば、その人は心の充足で道を誤るだろう。ところが世の中は、そういう人に対して自己責任でもって処断する。 甘い話をさせておいて、なれの果ては自己責任です。 たぶん、3-4と努めて支出を抑制するものの、心の充足は満足できる、そういう時間を過ごします。 何故、僕が数年前からエレガンス廉価版を説いているのか!? たぶん直感的に必要なのでしょう。そして今からしなくてはならないと思っています。 つきつめれば将来の不安。 将来を考えると、やはり無分別な支出は成り立たない。 でも、どうして、こうも戒めるかと言えば、、、、、、 本題です。 いつの日か、時間だけが広大無辺に広がり、孤独や空虚にさいなまれる、そんな時がやってくると思うのです。寂しさっていうやつです。それは僕だけに限らず、芸であるなら、万人に平等に。。。。。。 その時、耐える方法を知らないと、支出でもって紛らわそうとするはず。 お金ってのは、怠け者の心の隙間を確実に塞いでくれますから。 ところが、それって長続きしないと思うのよね。 麻薬でもそう。次はより多くとなる。 心の充足を、何かの支払いで求めるなら、いつの日か、金を借りてまで、そうすると思う。 僕らの気ままな生き方の先には、一人の時間が待ち受けている。 一人上手で定評のある?!僕ですら、危機感を覚えています。 人生の黄昏の、一日は長い。 足腰がままならなくなった日に、日没は恨めしく先にある。そんな毎日が来るのだ。 それでも僕らは生涯を全うしなくてはならない。 今、僕がやろうとしていることは、支出に頼らず心を満たす術。その確立。 これは難しいですよ。絶対に資本主義の世の中では、すすんで教えるものではありませんから。 Nouvel An //あけまして、おめでとうございます// 思いを巡らす全ての人に、平安がありますやうに。 大晦日の23時。僕はテクテク家を出る。その年最後のエレガント・ウォーキング。 365日待って、ようやく成し遂げられるチャンスの到来なのです。 あはは。僕はある種、職人肌のところがあって、とても拘るわけですよ。 youtubeにupする前に全編聞いて、次に人の会話など一定以上明瞭で成り立つ箇所は前後に違和感なく削除したり、そしてまた全編聞く。 そうしたところ、親が、今日は昼も鐘をつかしてくれるみたいだと、家から出ていくつもりだったそうです。 暫くは寝る前に再生です。 こういう情緒的な音源を取りそろえていると、毎日がとても贅沢になりますよ。 普通では味わえない気分のリセットが家にいて可能ですもの。 |
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