janvier.2014 le 31 vendredi //天龍村史//あの分厚い二冊を読んで、僕の知識は格段に増えたのですが、今もなお鮮烈な一つに、古老が語る正月の風景。それは江戸時代の時間区分。つまり、12/31の日中に、風呂に入り身を清め家族が揃い一年で一番のご馳走「年とり」を食す夕餉。この夕餉を囲む時間に新年になるのです!!!!!!! つまり新年は各家庭で若干のズレもある。 年とりを頂いて酒を飲み、寝るみる夢が初夢!!! 信念が12/31の夕食にやってくるのには衝撃を覚えた。 もちろん、江戸時代の正月は旧正月ですから一カ月の遅れがありますが、新正月に移行しても儀式の式次第は江戸の時間配分だったそうです。 毎年、旧正月を前に思うのは、いつの日か、古式にのっとってその時間割で新年を迎えたいものだと。今、春の芽生えを少しづつ感じ始めていますよね。新春は旧正月にあってはじめてしっくりくる言葉。 le 30 jeudi //マダムラマダンの日であり、早く寝る寝る運動の日でもある// この日記は金曜日に書いています。なぜなら、30日は17:45にベッドに入ったから。11時間も寝ました!!!途中、2-3回目が覚めましたがベッドから出たら負けだと思い、そのまま横になってグーグーグー。 le 29 mercredi //プチ早く寝る寝る// 今晩は、まもなく寝るであろう。。。大人って楽ですよ。申し訳ないくらい。勉強することもないし、慣れた仕事をこなすだけ。と、言うと語弊があるかもしれませんが、これも転職せず足場を固めた結果なのかもしれませんし、そもそも慣れたその仕事内容は、他の人には難しいかもしれない。ただ現実として、何かしらのストレスを感じるわけでもなく日々が過ぎていくのは有難い極みです。 le 28 mardi //冷静に考えて!!// 次の週末は二月です。二月に何回休めるかというと、9日。おそらく特段の理由がない限り作陶に行くのも9回でしょう。 この9回は僕が心底やりたいと思う時間の過ごし方。何かに妥協してという行動パターンではないので、幸せの極みです。何を作って、どれだけ満足のいく作品を手に出来るか。毎月この繰り返しになりそうです。 と、冷静に考えて、僕は消費税の増税をどれだけ受けるのかと!!! 大雑把に計算して、作陶全てコミコミで一日につき50円程余分に支払う。二月で言うなら450円の増税です。一年で言うと6000円くらいの支払いです。陶芸に関して、一年で6000円倹約するのは、もはや限界を越えている。と、なると僕は最低でも年間に6000円は売りたいのだ。それは果たして可能なのだろうか!? le 27 lundi //賞翫//手にとってはしげしげと眺め愛す、マダム香炉。茶をすすり、手にとって感触を楽しみ、しげしげと眺めては愛すマダム香炉。こういう賞翫行為で時が過ぎるのも、なんと贅沢な大人の時間でしょう。 良い時間を過ごしているなと、平日なのに思うことしばし。 le 26 dimanche //劇的な幸せを呼ぶマダム香炉// 焼き上がり第一陣。今後、週末ごとにゴロゴロ手元にするのです。 去年は急須ばかり作っていましたが、当面は香炉に集中します。香炉屋さん。 あらあら、正月休みが終わってからの休日は本日を含めて7日あり、7日とも作陶。一年の1/12の週末の過ごし方を僕は作陶に専念したことになる。二月も、この勢いだと1/6の過ごし方が作陶に専念。 le 25 samedi //楽しい夜でした//おそらく、この機会がなければ、僕が誰かとお会いするなんて春も終りの初夏の陽気を感じる頃なのかもしれません。美味しい小料理屋でお話しの花が咲きました。名古屋の夜ですが、行動パターンが全く違うので、まるでどこかの街を旅した感覚。 またお会いしたく思うのです。もっといろいろと深くお話ししたいと。 楽しい時間を過ごせまして、ありがとうございました。 le 24 vendredi //いや---//昨日は、10.5時間寝ました。さすがに疲れ知らず。帰りの地下鉄でも全然眠たくない。元気余りまして、夜に都市生活者。南信州新聞を三日分読み戻る。 さてと、今から20年前のことですがフランスの国民戦線など移民排斥の極右勢力が台頭し、ドイツでもネオナチなどの同様の団体が活発化する。ロシアはそれより遅れて右翼の若者が過激化する。さて、これら移民排斥右翼団体は、国民の潜在的不満を見事に代弁したこともあり、急速に拡大するのですが、その衰退も同じような理由で数年後に一様に押し寄せる。それは彼らのする品の無さ。下品な主張に違和感を覚えた国民が、彼らを見放す。保守的な国民も、彼らは異質だと見切りをつける。 移民排斥や移民の規制は今もなお一定の支持を得るものですが、極右暴力集団の専売特許ではなく、それらの願いを右派政党の一つに託す。 極右暴力集団があるとするなら、彼らは保守政党に国民の潜在的不満を提示させることで蜻蛉のような命を終える気がするのですよ。拍手はするけれど第二幕には期待していない。 le 23 jeudi //早く寝る寝る運動//18時にベッドに入る、超強力版!早く寝る寝る運動。と、申しますには、本日はマダム・ラマダンの日でもあり、夜に遅く起きて動き回る気力もないというわけ。おやすみんみん。 le 22 mercredi //11/6//ええええ。この前、ヘアサロンに行ったのって11/6ですと言われた。冬だからこそ長期放置でも問題なかったのでしょう。数えていませんが僕は年間何回髪を切っているのだろうか。月に一度ではないが40日で一回くらいかな。年に9回!? le 21 mardi //責任// 彼を観察すると、責任を誰かが取ってくれる枠組みでは、物凄くおちょうし者なのですが、いざ彼に責任を持たす仕事をさせると、一変し委縮する。そしてその枠組みの再変更を願い出るかのように、仕事を成立させない。独り立ちすることに極度のストレスがあるので、そもそもそういう試みを粉砕すべく独り立ちできない様なお粗末な仕事ぶりになる。恐怖が極大し、そもそも仕事を覚える思考が機能していないのだ。 彼を観察すると、2-3年までは人気者なのに、そろそろ仕事の一つを任せようかと会社が判断し行動に移すと、発案者の顔を潰す行為に出る。だからその位のサイクルで転職を繰り返すのだろう。 不思議なもので、いつまでも新人の過保護・過干渉の枠組みを求めている。だから独り立ちの機運を察知すると、転属を願い出たり転職に打って出る。その恐怖心から来る行動は、周りで仕事する人たちの配慮など微塵もない。突き詰めれば、心に何かの欠損がある故の防衛行動なのでしょうが、思うに気の毒でならない。 いづれまた転職するでしょう。 彼を観察すると、そんな求める過干渉・過保護な枠組みは、年長者からの親の代償行動みたいなもので、こと年下から同様な振舞い指図など受ける構図になると、急に不機嫌になる。 つまり、彼の心の欠損は親の愛なのだ。不足した親の愛を会社で求めている。親と子の間柄を継続させたいものの、2-3年も経てば巣立ちの時期も来るでしょう。それを回避する生き方でしたが、繰り返す転職はいづれ年下の上司との出会いになってしまう。 子供のまま振舞っても、いづれ大人になってしまう。ところが心の渇きは代理の親を求める子供であって、彼を観察すると、その生き方の破たんが見えてくるようで、気がかりでもある。 彼はまた転職し、代理の親を求めるでしょうが、確率として上司が年下の割合は年毎に増加する。転職しても親の見つからない図式に、まもなく片足を入れてしまうでしょうか。 人の、独得な行為の根本は、心の欠損の求償行為であると思う。個性個性というけれど、そういう個性的な行動に、つい出てしまうのは、個性的な心の渇きがあって、彼のオアシスは、やはり彼独特の場所にある。こんなところで水を飲むの!?といぶかしんでも、ようやく見つけた心の泉なのですから、三つ子の魂百まで。 le 20 lundi //怒らない自分//最近、本当に怒らない自分であることに気がつく。急ぎ老人の心境になってしまったかのような。。。。 快くない事象はたまに現れますが、怒って解決するものでもないと心のどこかで理解したのでしょう。解決のためには怒りではなく精神の統一。ここに成し遂げられる絶対の確信を感じているので、劇的に怒りという感覚がなくなったのだと思う。 根も葉もない話が独り歩きしたなら、怒って消えるわけでもないのだし、精神を統一して、根も葉もない出鱈目な事実こそ嘘八百であると白日のもとにさらされるようにと。 心をこめて毎日を正しく、人の困り事には親身になって解決し、足を引っ張ることをせず生きていたら、それに相対する独り歩きには怒りではなく冷静な心でもって全力で否定できる。人の頭数だけ正義はありますが、自分に負い目ないのなら、穿った見方に心を寄せる必要もない。ここに精神も統一できるのだ。 思うに、祈りとはテクニックです。 支離滅裂な祈りは方向も霧散して届かない。届くための祈りは、滝に打たれて、、、をしなくとも、世の中の道理というか、そういうものに照らし合わせ支離滅裂ではない文言を心をこめて絶対の確信で祈る(委ねる)べきなのだと。 le 19 dimanche //今日も作陶// 昨日-一昨日のことはやはり不思議で、轆轤を回していても度々に思い出してしまう。 僕が心すべきは、そういう微弱な信号を、勢いで否定してしまうこと。これを無くすこと。 実際に、そういう虫の知らせみたいなものはありまして、否定的な事象が避けられないと感ずいた場合は、緊急に打開策を祈ります。精神を統一して最善の形に祈るとき、不安は消え去り、実際に不安は現実として現れない。その虫の知らせを勢いで否定しないことが大前提で、否定して不安が形のなり始めたら全力で祈り解決に導く。なんか、その繰り返しなのよね。 その解決への祈りは、祈って解決するのではなくて、自分の解決法が間違いなく成功するものであることを祈るのです。まかない種は芽が出ないように、何もしないというわけではありません。 le 18 samedi //予感は当たる!!//本日、午後に電話があり仕事上のトラブルが発生とのこと。昨日、もしや、コレコレでこうなるかも!?と思っていた何気ない予感が、ものの見事に。夜、会社に行き、応急の組み直し。自分でも、身ぶるいする。 それは事後に言葉に文字に言い表すことが出来るのですが、そういう良くない微弱な警告は実際に僕に発生するとき、現実としても現れてしまう。 le 17 vendredi //金曜日ですよ!!!// 皆口をそろえて言うには、もう金曜日。と、言いつつ金曜日の晩は解放感から眠たくなるのよね。なんか寝てばかりなのです、最近。 le 16 jeudi //早く寝る寝る運動// まもなく寝ます。僕はベッドに入って寝着くまでの時間が大好き。今晩は何を考えようかと思いつつ、寝つきが良いので、1-2分ではまとめられません。今、眠たいし、今晩も何も考えることなくグーグー。 le 15 mercredi //もう水曜日// 三連休の偉大さを噛みしめています。水曜日ということは明日は木曜日でしょ。なんて一週間が早いのでしょうか。今週末が日一日と近づいてきます。たぶん香炉がたくさん焼き上がっているはずなので、もう待ち遠しくて待ち遠しくて。 作って楽しくて、褒められて楽しくて、焼き上がって楽しくて、それをまた褒められて楽しくて。 le 14 mardi //只今、//マダムラマダン実施中!!! 明日の朝食は味覚が鋭敏になっているので、お米の甘みもしっかりと感じ入ることでしょう。 ああああ、ふと気付くと食べることばかり考えている。もう、寝ましょう。 そうそう、断食すると諸々の感覚が敏感になります。 le 13 lundi //ありがたやありがたや//三連休、朝から晩まで好きなことをして過ごす。なんて有難いことでしょう。本当に有難いことです。 昨日はつくれなかった、鳳凰を、本日は香炉に乗せる。マダム鳳凰蓋香炉。 こちらは、マダム・オパール風味皿。 今月の末には、焼き上がりで大興奮のはず!! 最近、人生の黄昏を想像する。両親も他界し、とうとう一人になった時の、時の寂しさとか。過ごし方とか。それを良く考えるのです。その一方で、現実として僕は好きなことに打ち込むこともできまして幸せをかみしめてもいる。 さて、僕には黄昏対策があります。それは今も実行しています。 僕は両親の面倒は見ます。今は見る段階ではありませんが、いづれ親孝行を上回るストレスも感じるでしょう。それでも面倒は見ます。両親が他界して僕は一人になる。大いなる孤独の淵に絶望するのではなく、全く自由な新生活を喜べれるようにと、両親との関わりを持ち続けています。全くの自由は後回しにしてこそ、黄昏時の生きがいにもなると今から思うのです。何の制約の無くなったら、何しようかと。 明日から4日働いて、二日休む。また陶芸ですがね。 この三連休、全て込み込みの支出が4750円ですよ!!!!!! 僕は朝から晩まで好きなことをして、この価格。ありがたやありがたや。 le 12 dimanche //三連休中日//本日も朝から作陶。 アメリカの連邦議事堂に似ていると、和風で作っているのに途中で思うことしきり。 側面の彫り込みは前回の前々回の踏襲なので時間も短い。それから三つ小物を作り二時間近く時間が残りましたが、新たに隣に来たファミリーのお父上に、まあ見てくる見てくるで集中力も欠けてしまい退散しました。帰ってから都市生活者でもしようかと思いましたが、最近、夕食後に1-2時間寝る癖がついて、それで外出する気力も失せてしまい今に至る。 今年は香炉をたくさん作ろうと思うのです。 【劇的な幸せを呼ぶマダム香炉】 でね、誰かに幸せモニターになってもらおうかと。まあ、一つプレゼントして、それから何か良い事ありました??と。 僕が陶芸をしてから、一つやりたいことがありました。それは【今月のプレゼント】 でね、昨日、mixiで募ったわけです。どしどしご応募を!って。 今年は毎月マダム焼をふるまうつもりです。 皆様に幸せアレ!! le 11 samedi //三連休初日//この三連休は作陶に没頭すると決めていたのですが、出来としては釉薬に時間がかかり轆轤の回転に悦を覚える時間は言うほど多くなかった。 と、言うのは先週の香炉の釉薬がけで失敗し洗っていたら破損したんですよ!!!! なんとか釉薬でくっついたものの、焼きで歪まなければと思うのですが。 le 10 vendredi //この人は//昨日の続きなんだけれど、この人は、こういう面で挫折して今まで苦労してきたと分かっているものの、今回もその理由で通告するのが、辛い極みです。彼の今後に、時間をかけて祈りましょう。それしかできません、僕には。 明日から三連休。年末から、休んでばかりの感覚だ。 le 9 jeudi //引っ込み思案// 世の中の懐、社会の寛容性が少なくなっている今、引っ込み思案の人は、いづれ大輪の花を咲かすにせよ、発芽しない種とみなされ捨てられてしまう。慣れてから、進歩の兆しが見えても、時すでに遅しなのです。昔は、そうではなかったのかもしれない。次に出会うところでは初日から我武者羅に習得してほしい。 周りの眼なんて関係ない時代なのかもしれない。我武者羅に覚える。その次に周りの目なりを気にすれば良い。 le 8 mercredi //口パクじゃないよ//0:06-0:09の仕草に脳天くらり! お風呂に入って歌っています。特に都々逸のところが素晴らしいです。あのような歌い方はダイエットにも通じますぞよ。あーーー、三味線弾けたら。 le 7 mardi //珠玉の名曲//紅白では、こちらを歌ってほしかったです。 とにかく、ゴージャス!! 歌詞とメロディーの秀逸さは言うに及ばず、コーラスの豪華さは大劇場の臨場感も手伝って見事この上ない。エンドロールも大劇場のそれ!! le 6 lundi //仕事始め//作陶始めの翌日は仕事始め。こうでなくっちゃ!! 明日も仕事だけれど、そういう時間の流れが体にも適度な緊張感が流れ心地良い。休みばかりも問題なのだ。ですが、あと四日働いたら三日休みなのは本当に嬉しい。 こういう心地良い長さの連休が沢山ある方が、メリハリもあって良いのですがね。。 le 5 dimanche //長いお休みでした// このお休みであることを意図的に後回しにしました。平日に出来る時に一つづつ。 //作陶初め// いやー、久しぶりに轆轤の回転に悦しました。次の三連休も陶芸が楽しみ。昔は決まって正月明けの三連休は豪華一人旅に出かけて旅先で寒中見舞いを書いたものでしたが、そんなことは家でも出来る。やはり次の三連休は作陶に没頭なのだ。 さて、とても悲しいお話し。僕が今あるのは、一つ年上のS指導員の賜物なのです。彼は三月末で去るとのこと。技量さえあれば、どこでも出来る陶芸家。窯元でなければ渡り歩く生き方もありだと思うし、きっと彼はそうするだろう。 僕は保守的な人間で変化を嫌う。日記に平安や安寧をことさら書くのは保守的な性格であり、それは自分の弱さの裏返しでしょう。でも、どんなに変わらぬ日々を望んでも、周りが変われば変わった事になる。 この一年、本当に僕は寡黙なのだと実感する。レール上の人とは仲良く話すのだが、彼らが去ったり環境が変われば、僕には話す人など数知れている。変わらず生きてきた者の弱さの核心だと思う。 では、今年は何か対策をたてるかと言えば、やはり安寧無事が最優先にあり、ことさらにそれを祈るものだから、達成すれども城だけ残り領土は縮小していると見ることもできる。そうであっても、やはり新しい出会いを祈る気は全く湧いてこないのに、安寧無事を祈る気持ちは毎日のこと。 去年の日記でも書いたけれど、もっと欲を出しても良いと思う。祈りのことさえ欲がないのです。そりゃ実生活も質素になりますわな。 指導員は去る。夏の暑さを語ることはもうない。彼は進んでその道を選ぶ。そこに僕のバリケードなんて全く無いに等しい。僕がどんなに現状を望んだとて、彼の行動に何の影響もないのだ。現実は、僕は黙して埋もれる道端の石なのだ。 le 4 samedi //つぶやきの補足//mixiのつぶやきの補足。と、これはかなり極端で鮮明な事例なのですが、そうでなくとも、これらには満たない多くのことに関して、けっこう似たような経験はあります。怖いとか驚きなどの感覚は昔の話で、今は、すっかり忘れていたと、あとになって思い出すこともあります。当たり前過ぎるというか。。。実生活で良くあることなのです。 分かりやすく言うと、悪い事ばかりしてきた人の顔を見て、その人の先に幸運があるとは感じにくい。ソレ!なんです。 人の顔、いやいや人全体から、どういう人なのかって何となく分かるでしょ。その何となくは正しいと思ってください。 この不思議な感覚は、いつか理路整然とした文章として残したいものですが、なかなかに難しいのは確か。 ただ、見える世界が全てではない。見える世界のみの取り計らいで生きていたら、スムーズには事運ばないでしょう。僕はこんなに完璧なのに!!と周囲を必要以上に責めたてるのかもしれませんが、彼は見えない世界に全く無頓着であり、当然と言えば当然。 le 3 vendredi //瑞浪⇒土岐⇒多治見⇒瀬戸//31kmを5時間。エレガント・ウォーキングという名の 【緊急デブ対策】 久しぶりに歩きました。実に爽快。去年は一回もなかったようなエレガント・ウォーキングですが、今年は陶芸の合間を見て、なんとか入れ込みたいものです。 と、すると僕の一年ってのは、週末に関してだけれど、 基軸となる大型の旅の企画が2-3本あり、それ以外は作陶。去年は、その作陶の時間が足りなかったのでエレガント・ウォーキングが出来ませんでした。 今年は、作陶の質を高めて時間を確保するかし方法はないようです。 明日は都市生活者か家にいて優雅な時間か、起きて体の調子で判断しましょう。 le 2 jeudi //休み長すぎ// 特に遠出もしていないので9連休ももったいない。。。。食べて寝るばかりですから。ってことで明日は緊急デブ対策。2014年第一回エレガント・ウォーキングです。25キロ。 1/3 エレガントウォーキング 1/4 都市生活者 もしくはエレガント・ウォーキング 1/5 作陶初め&マダムラマダン日 Nouvel An mercredi //本年も宜しくお願い致します// 今年も皆々様に幸多からんことを。 元旦ですが、2014も終わってしまえばあっという間。そして試練の2-3つは降りかかると思いますが、日々、正しき道を歩んでいれば、心穏やかに正しいところに位置していれば、それらは、遭遇したことさえ気がつかなかったり、特に労せず対処できる範囲に収まることなので、やはり最も礎とすべきことは、正しき所に位置する私。 そして最も思うところは、私は現実に生きているのだから、それには意味があると思うのです。おそらく、それは私としての表現なのでしょう。私として出来る表現に価値がある。それが何なのかは分かっているようで、まだ狙いも定まっていないところもありますが、そうであっても生きている限りにおいて私には意味がある。それを忘れず大切にいていきます。難しく言いましたが、生きている上においては、もはや意味するところは価値、つまり肯定的意味合いしかないというわけ。 10年を超してこんなことばかり日記に並びたてていますが、ひょっとしたら万が一にもこれが誰かの支えになる場合もあるのかもしれません。僕もアナタも現実として生きているのだから、その意味するところは価値。やはり肯定的意味合いしかないと思います。 もう少し深く言うと、【死とは生きてきた記録の献上】だと。 僕らは生きてきた記録の集大成を死と言う時点で完結させ、それをどこかに運ぶ(献上)すると思う。だから現実として生きている限りにおいて、意味無きことも価値無きこともあり得ない。例え漫然と生きていても意味があるというのに、そこに自分なりのさらに突き詰めた表現を添えるのなら、なんと素晴らしいのでしょうか。人生とは加点しかあり得ないのだと。 |
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