juillet.2007 le 31 mardi //何もない世界へ// やがてテレビの地上波が消滅します。テレビは地上デジタルのみの受信。そんな時代がやってきて、従来のテレビを操作してみる。まるで遭難したとか、最後の人類のような焦燥感に襲われるのでしょうか? はるか昔、テレビ愛知の昼の時間の消化番組である下らないアメリカ映画の時間。E-F級の低予算映画を毎日放映していました。驚くべきことに、CMの当てもなく、東京のCMを流す始末の消化番組。 ある低予算SFスリル映画の記憶があります。 人類は、何故か次々と消え去り、山奥のログハウスの主人公は、アマチュア無線で、人とのつながりを必死で探すのですが、コンタクトは日ごとに細くなる。 このSFであり恐怖・スリルな内容! ある日の日本。旧式の受信方法でテレビを操作しても、全く反応のない電波世界がそこには広がっているのでしょうか? それとも、静寂の向こうから届く、韓国やロシア・中国の電波をキャッチできるのでしょうか? le 30 lundi //寒い夏// と思い始めたのは梅雨のころ。 梅雨前線が名古屋の南にあれば冷たい雨。北にあればムシーっとしたあったかい雨。今年の梅雨は、後者がほとんどなかった。 本来は冷たい雨からムシーッとした雨。そして、それさえも太平洋高気圧が北の空に追いやって夏。 ところが、この前の台風でも分かるように、太平洋高気圧は弱く、梅雨前線を北に押しやったというより、自然消滅して夏になったという感じ。 だから弱々しくて、寒気の流入に伴う雷雨も各所で。 名古屋も、夕方から、とても涼しい風が吹いています。 どんなに暑い夏でも、お盆過ぎれば庭から虫の音が聞こえ始める。今年は、夏という夏を体感せず、「秋だ〜」というヒンヤリとした風を早々に感じると思います。 //もっと具体的に// 共産党と社民党は選挙のたびに9条を守る!と言います。別に言わなくても護憲の政党なのは強く伝わります。これでは支持は広がりません。共産党が、少し言及していましたが、もっと的を絞って言い続ければ党勢は保てたか躍進したかもしれません。社民党でも良い。国民新党でも良い。 的を絞って「労働者派遣制度を見直します。派遣労働者を救います」と、テレビに出演する度に、最も多くの時間を割いて言うべきでした。 敵失の年金問題を共産党や社民党に解決を期待する国民はいません。民主党が、あまり言わないことを見つけ出して特化するべきでした。 le 29 dimanche //あ〜 怖かった// 夜会は、平谷峠。峠の小さな展望台。近くに人も住まなければ、車も全然通らない。満月に近く、それで星が見えにくなるほどの月明かり。 皆さん、それぞれに料理やお茶の準備をして、何を話しても誰にも迷惑がかからない環境で、第一回の夜会を執り行う。とても楽しくて、知恵の光った一時でした。 さて、帰りは僕の運転でしたが、睡魔のあまり、本当に怖かったです。 グリーンロードのpaで白旗を揚げ、しばらく運転を交替。 次回は、しっかり昼寝をして参加します。 //とりあえず、、// 今回の選挙で思うところは実に多い。しかし、思うところを全て書けるわけでもないので、今夜は一つ。 //そんな類の自民党// 選挙前、ネットでは民主党に対する誹謗が激しく、なにかしらの組織的な勢いを感じざるを得ませんでした。 それを施工とか、変な信徒の一斉な書き込みと犯人探しする人もいました。 その誹謗は、明らかに国民感覚からズレている。ズレているのに大量の書き込みだから、否が応でも組織的なものを感じざるを得ません。 この下品な誹謗文は当初の目的を達成せず、自民支持者は、このような悪口雑言で他を罵倒する【そんな類の自民党】と、ネットユーザーに広まっただけと僕は見ています。 この下品な書き込みが勝手連なら一部の暴徒の不始末で終わりですが、組織として誘導したのであれば、完全な戦略の失敗であり、関係者は相当の処分を受けるべきでしょうね。 それにしても、社民党の党首はテレビのインタビューの受け答えは出来るのに、演説になると、どうしてあそこまで下手なのでしょうか? とても下手さが際立っていたのが印象的でした。 le 28 samedi //名古屋控訴院// 朝一番にヘア・サロンに自転車で行く。それから名古屋をぐるりと自転車散歩。 現・市政資料館でもある名古屋控訴院に寄る。 素敵な写真が撮れましたので、いづれ特別頁にします。 //夜会// 夜に車を飛ばして、長野県の平谷村に。着いた頃は日付も回って日曜日。 今日の日記は、これにておしまい。 le 27 vendredi //水遣り// 水遣り当番ってのがあって、秋ごろ、一つの甘〜〜〜い果実がなる。たった一つ。 当然、僕のものになるのであろうと思ったのに、水遣りは輪番制。誰に食べてもらうかは樹木の意思一つ。 le 26 jeudi //あなたに会えてよかった// ● 良い曲ですね。 でも、方や「薄汚ねぇシンデレラ」 ● お酒入っているし明日も仕事だけれど、今一番したいのが、中央道を走りたい。そして、どこかで夜明けを迎えたい。 蒸し暑い夏になっても、夜の中央道は窓を開けて風を取り入れるのが好き。 前に、蓼科山に行ったときは、延々と真夜中の中央道を北上したものでした。好きな曲をリピートして、たまに寄るSAも時間帯が真夜中なので閑散としていて。 ほかにもしたいことと言えば、街角のbarでカクテルを飲みお話に興じる。 う〜〜ん、お酒入っていると変だ。 結婚できたら、それは最大の親孝行だと分かっている。そんな自分に修正できれば良いなと禁欲に徹したりもした。 でも、何回か見る赤裸々な夢は例外なくそれとは違うんだよね。 僕は、親が最も望むことを叶えることが出来ないって断定されたようで考えるたびに気が変になりそう。 正直に生きたいけれど、脅迫的な道徳観も押し寄せる。いっそ坊さんにでもなれば、全ての憂いから解放されるのだろうか。危ない危ないと、何年も押さえ込んでいた恋慕。 le 25 mercredi //母なる党// 社会主義国では、独裁の政治指導者を国の父として表現し、一党独裁の党を「母なる党」とよく言い表したものでした。 こんな完璧な党があれば苦労もしないのに。 参議院選挙。主だった二つの政党を見比べると、一方は外交に信頼感が持てるものの内政がてんでダメ。他方は外交は怪しいものの、内政をおおいに軌道修正してくれる期待感が膨らむ。 こんなジレンマを抱える国民は多いと思う。 しかし、外交>内政(生活)ってことはないので、各社が予測する結果に落ち着くのでしょうか? //すばらしい世界旅行// ● ● le 24 mardi //恐ろしい扇風機// ヤマダ電機で二つ扇風機を買った。 ともにmade in chinaだとしても、日本企業の中国工場なのと、100%人民製なのでは安心感が全然違う。 二つのうち一つが後者でした。 自然発火とかしたら恐ろしい限り。 今、捨てるには忍びない扇風機の利用法を考えています。 我が母上は家庭菜園が好きで、この季節、蚊の襲来と戦っています。 いっそ、扇風機を庭専用にして強風にて蚊を撃退しましょうか? 庭なら、火が吹いても丈夫だし。 //楽しいのだ// この前は、名古屋にいて地方都市の風情が味わえたbar 今日はジャズ喫茶でカレー。その前段階を含めて楽しいひと時。 遠出しなくても、行動パターンが違うだけで、知らない地元が広がります。 le 23 lundi //期日前投票50%増// だそうです。さて、思うのが某宗教政党。彼らは前回も今回も期日前投票に専念し、残る期間を選挙活動に専念すると思うのです。つまり、彼らの投票数は変わらずして、割合が減るということでしょうか? 投票日を一週間遅らせた政府。 22日投票なら支持率も30%台にての戦いだったのに、どうやら各種世論調査を勘案すると、この一週間で20%台に突入しているような気がするのです。 2のチャンネルを見ると、民主党への誹謗と自民党への支持を促す書き込みが多いのですが、それは一抹真実を指していても、その内容の下品さには閉口してしまいます。 かつての自民党は、批難されども他を攻撃せず、未来への提言に徹していましたが、ネットの世界では、以前の偏狭な野党のような度量の狭さで繰り返し誹謗しています。 それは一種のネガティブキャンペーンなのでしょうが、多くの国民に自民支持層の質が変わったと、落胆させているに違いありません。ネガティブキャンペーンもブーメランだったというわけです。 le 22 dimanche //充電という名の充足// 特に動き回ることなく満たされる。 土曜の23時から日曜の1時に、素敵な時間がありました。 自転車を走らせ、そういうお誘いがなければ一生縁もなかっただろう、某駅近くのbar。 僕はここ数年、地方都市の風情が好きで、そんな旅もするのですが、まさに名古屋に居てその味わい。 繁華街でもなく郊外の住宅地の駅の近くの一軒のbar。 お相手様が仕事帰りのお疲れのところで、なんか無理させた気もしてしまいました。その気まずさはお相手様も感じているようですが、僕にいたってはとても新鮮な「擬似地方都市で過ごす夜」だったので大満足。 是非とも、またお誘い下さい!ってのが本音です。 目が覚めて外を見ると青空。来月からガソリン価格が大幅に値上がりするというので、どこかに行こうかと考える。 とりあえず洗車。 凄い汚れ。 それを取り除いて、部屋で少しウダウダ。 ところがこの間、待ちに待ったロシアの時計の配達があったのですが、気づかずに夜にもう一度の配達。 なんか調子が狂ってドライブ欲も消失。 部屋の掃除に切り替えました。本を読んだり昼寝もして、やっと配達が来る。 思っていた日より2ヶ月ほど遅く到着。 ベルトの調整を頼みに、洗車した車にやっと乗る。そんな日曜日。 土曜も日曜も遠出することなく全体として内向的。でも、それが一ヶ月とかの単位でする体調の管理にとても大切なのは、なんとなくですが分かるのです。 le 21 samedi //5時間時計// ムーンライトながら、名古屋-東京。今日は、それを再生して寝たり起きたり本を読んだり。名古屋-金山-大府-刈谷-安城-蒲郡-豊橋までは車内アナウンスがあるのですが、それ以降の停車駅は深夜時間帯なので無音状態。ただひたすら線路の定期的な音と時に明瞭な鉄橋の音。そして減速して無音の駅。 沼津でちょっとしたアナウンスがあるものの、また静寂の世界に入り、品川をでて、ようやく「あと七分ほどで東京〜」と。 //さてと、不在者投票でも行くか// 愛知選挙区改選数3 いろいろと投票基準はあります。僕が一番重要視しているのは、この行き過ぎた下賎な新自由主義を改める政治勢力で、実際の実践力も期待できる力量を兼ね備えている政党。 le 20 vendredi //日曜日には手に入る模様// 待ちに待ちました。ロシア製の時計。その注文二台目が日曜日には手に届きそう。 //勝敗ラインは2/3// 次の参議院選挙で与党の敗北は濃厚ですが、問題はどこまで落ち込むのか。 国民新党のはかなき夢も新党日本から飛び出した二人の議員の思惑も打ち砕く大敗をするなら、自民党政治も終焉へと進むのか? と、申しますのは、参議院で民主党が第一党になり野党が過半数になったとして、それを無力化できるのは郵政選挙で大勝した衆議院があるから。2/3以上の議席を占め、参議院の決定を一蹴できる。 さて、解散のない参議院の存在は不気味。この先、三年間は無風。 何かの調子で衆議院が解散になり総選挙。自公が過半数を占めたからといって、それは勝利を意味するものではなく敗北。 だからといって、もはや次の選挙でも2/3を占めれる体力も無いでしょう。例え、自民党が衆議院で第一党になったからといって、発言力は無い。公明党の力添えも意味を成さない。右往左往しても民主党の協力がなければ政権は運営できない。 郵政選挙で改憲も視野にできるほど大勝した自民ですが、我が世の春も過ぎ去るのは早いようです。 le 19 jeudi //目論見は、、、、// 本来なら次の週末は投票日。一週間遅らせた諸々の期待は、いかに反映されるのでしょうか? //宮本顕治//強持ての名誉議長。と、思っていたら、今は名誉役員になっていました。お亡くなりになりました。 たまに共産党のビラを読むと、「私は共産党を支持します」と各界の人士が名を連ねる。そのなかに坊さんの姿も。 しかし、こと宮本氏に関して言えば、宗教は阿片と思っているほどの共産党保守強硬派のイメージが。 僕が関心を寄せるのは、どんな葬儀を執り行うか? まさか、毛沢東やスターリンのような死体処理はしないと思いますが。 それにしても、死の直前、同志密告の告発記事から党を除名処分となった野坂参三氏も、長寿だったはず。 日本共産党には、長生きの秘密があるのか? le 18 mercredi //一体&全体// どーなっているのでしょう。来月はガソリン価格も6円ほど大幅に値上げするとのこと。 自分の予想では、投機筋の利益確保のため、夏のドライブシーズンが終わる頃には下がると思うのですが、なんだか不安になってきた。 そもそも、ガソリンの需要はあるものの、代替燃料の開発が何度も新聞に出ると、それだけで値下げ要因になると思うのですが・・・ //消費茶// 気になる茶葉を見つけては買い、ホテルで一人泊るときは、ティーバックを買ったりするものだから、部屋に茶葉が散乱している。 意中のお茶を美味しく飲むために、まずは消費するべきお茶を大量に消費しなければ。 //チベットの死者の書// 他にもいろいろとやりたいことがあるのですが、まずはこの本を読破しなければ。難解極まる内容ですが僕にとってはとても大切。 この世界で生きていくと決めたからには、それは、この世界で死ぬこと。 隣の世界よりも孤独でいる場合が圧倒的に高い。 死者の書では臨終に際し、周囲の人が唱えるべき言葉などかかれています。(呪文ではなく意味ある内容) しかし、死に際する本人が、一連の現象を把握していれば、その必要もないようです。 この書では、死というものが、本人ですら把握できないと書いてあります。 しかし、その現象は死の過程の第一歩・第二歩で周囲の者は、「死に行くことを理解させる」言葉を唱える。 死という様々の行程を迷うことなく進むためには、生前に知識を備えることが大切だそうです。 この知識が無用の長物になるかもしれません。いやいや、知っていて、その時、大助かりかもしれません。 年金を掛けているのに、それまで生きているだろうか?と疑問に思っても、そのときに備え掛けている。 それと同じことだと思っているので、僕はこの本を精読しなければと思っている。 le 17 mardi //かなり音が良いので// そう遠くないうちに東京、再訪です。 山手線って一周何分なのでしょう。 60分としたら、音の風景として最適。 何かをするのにBGMとして流せば、粋な音の時計になります。 今回は、東京-池袋間の録音でしたが、次回は一周しましょう。ついでに都電全線のレトロな音の風景も。 //ムーライトながら// そうすると、やはり次回もムーンライトながら。 音の風景は、始発など、人のいない時間を狙います。新幹線で行くようではダメ。とにかく、録音の音質が予想以上に良く、こりゃ是が非でも音の60分計を作らないと。 le 16 lundi //台風一過だけはやってきた// 夢、幻のような大東京も最終日。この日も都電に乗り、下町風情満点の荒川区三ノ輪まで。 都電に乗ろうと待っていたとき、前日のアルコールが残っているのかな?という揺れを感じた。その揺れは、そのまま終わってしまった。遠くで大地震が起きたとすぐに分かる。 それが、また新潟だとは。不気味ですね。 地下鉄に乗り継いで、築地にて寿司。 正直言えば、焼津の完勝。確かに美味しいのですが、焼津にはかないません。 って、ことで、そう遠くないうちに焼津まで行き寿司を食べる休日を設けましょうか。 前回も全く同じことを思っていました。久々に東京に来た愚かさを。 やはり、この街は、日本国の首都で世界に冠たる規模。 ある意味、奇跡の存在かもしれません。 ここまで人口が集中しているのに、「整然」と機能している都市・東京。 ガソリンも値上げ一直線だし、こんなときだからこそ、東京とか大阪に旅立つ休日のスタイルを選択していきましょう。 初日は早朝から。 そして二晩も泊めさせてくれまして、心から感謝いたします。 どうもありがとうございました。 今回、録音したムーンライトながらの旅も、録音レベルを上げてMDにダビング中。熱海近くまで来たのかしら? le 15 dimanche //まもなく台風が来るから、、//と思って、それまでは外出しようと、10:30頃から動き出す。外は雨。 まずは東京駅の地下にある食堂でランチなのに僕らにとっては朝ごはん。 昨日の雨は梅雨の雨で途切れることの無い雨。ところが本日は台風の影響も出てきて、降ったり止んだり。梅雨のそれとは違う。 まずは丸の内から東京駅の威容を堪能して、明治生命ビルに寄る。昭和の建築で唯一の重要文化財。 雨も小康状態になり、皇居を一周歩くことに。 まるで東洋系の外国人のように定番中の定番スポットで血圧も上昇。 イギリス大使館の敷地は広いとは知識では知っていたものの、本当に長く皇居に面しているのは、一方的かもしれないけれど日英の特別な関係を思わざるを得ません。 旧近衛部隊の庁舎を見て、ぐるりと回り、大手町へ。呪いの首塚にも顔を出す。 東京駅からは上野へ。日本最大といわれる帝冠様式の国立博物館を眺めたり。国際子供図書館に入ってみたり。 上野公園では骨董市を開催していました。僕は中国のお香を50円まけてもらい購入。安く手に入れましたが、東京土産ではありません。 ひとつ、とても心に痛んだのが、石仏が売りに出されていたのです。 僕は、方々の山の中にドライブしますが、田舎にある石仏を売買の為に盗難する輩が実に多いのです。まさしくソレが売りに出されていたのです。骨董屋も、そのくらいの知識があるのなら買いを拒否するべきだと思うのですが。 上野では東照宮など、閉門したので柵の向こうから見て、昭和30年代の風情が味わえる大衆食堂の聚楽第レストランに入る。(なぜか表記は聚楽台) さて、公園を出てからレストランに入るまで、凄いものを見てしまいました。 女装子。おそらくヤク中の末期。 上野に足を踏み入れてから、それまでは見たこともない、下層民もおり、それはそれで、一つの街の魅力を構成しているのだと思っていました、そんな中、破れたストッキングを履いて、肌はどす黒い。大通りを、危険回避など眼中にもなく斜めに横断する「女」 それが「男」であると痛いほど分からせるのは骨格のほかにも、彼女が男物の草履を履いて、呆然と斜め横断するその姿。 大阪でもそうですが東京の僕を魅了するもう一つの魅力を[醜悪]と名づけるのなら、道徳とは正反対の生き方をした人間の末路を見れる戒めと快感。 できることなら、彼女がどこから這い出て、どこに行くのか追跡したいものでした。 大都会は、「○○はしてはダメです」という全国共通スローガンの、禁を犯した者の末路を見れる人生劇場。 公に晒して抑止力を期待するには、やはりあまりにも痛々しい。しかし、現実には禁を犯し廃人となるものの、未だ血流はある者たちの姿。 そんな上野公園を後にして、もう一つの「つけ麺」の有名店へ。 昨日も同様でしたが、つけ麺というジャンルがそうさせるのか、東京の過剰な競争の結果なのか、量が多い。普通なるサイズが名古屋の特大。 このころになると、雨もやみ、涼しい風も吹いてきました。 台風は来るぞ!来るぞ!といわれ続け、来る前に消滅の方向へ。まるで東京の街から「台風のフー子さん」が活躍したかのよう。 満腹の腹を抱えて、再び、車の音が聞こえない、モータリゼーション以前の住宅街へ。 夜、23時ごろから、一キロほど歩いて銭湯へ。帰りもまた涼しい風。コンビニでチューハイを買い、路地を歩く二日目の晩の、なんと有難く充足したことでしょう。 東京はどこを案内するべきか、頭を悩ましていたようですが、僕にとっては、東京の通り一本ですら、新鮮で味わいたい空間。 le 14 samedi //台風が来るから、、//と思って、近づく前が一番条件が良いと確信し、雨の中歩き回る。それが一番条件が悪かったとは、日曜の午後に知るのですが。 朝の、5:05に東京駅に着く。池袋なのに、渋谷方面の山手線に乗ってみる。渋谷では六時前というのに大挙して人が乗り、満員に近い。 三人組の娼婦のような奇抜な女性が乗り込む。韓国人でした。とても目立つのですが、東京では日常の光景なのでしょうか?皆さん何事も無いように冷静。 早朝の珍客の為に、仮眠を許してくれたご友人に感謝。 まずは巣鴨の刺抜き地蔵。その界隈の食堂で昼食?朝食??を。 安くて旨い大衆食堂。今回は洒落気とかはなく、普通の東京人の生活にどっふり浸かる二泊三日。大満足。 それから都電に乗り早稲田まで。この時あたりから雨が激しくなるものの、明日は終日家から出られないはずと思い、歩きに歩く。お互いに近代建築とかに興味もあって帝冠様式の九段会館と何かと話題の靖国神社に行きました。ちょうど「みたままつり」で、例の提灯がたくさん奉納されていました。屋台も出ていて何か食べようかと思ったのですが、雨も激しく断念。 しかし、明日はもっと条件が悪いはずと、歩きに歩く。 次に行ったのは秋葉原。東京でしか売っていない、新型録音機にピッタリサイズの風防も購入が出来大満足。そもそも、その店はなんとなく覚えていただけなのですが、たまたま目の前にあったという幸運。 遅めの朝ごはんの狂いは、早い夕食という形の昼ごはんに。 とりあえず新宿でそれを探すと決めたのですが、途中、四谷で下車して迎賓館を見学。 ところが、もしやもしやの大改修。何にも見えません。 栄養素をどこで摂取しようかと、まずは新宿を歩く。高層ビルの中でも初期の建築であるセンタービルなどによるものの、ランチとディナーの閉鎖時間のため断念。 高島屋をブラブラ見学したあと、品物が飛ぶように売れるユニクロによる。僕はユニクロには何年もよったことはないのですが、シャツが欲しくて買ったのです。これがまた素晴らしい速乾作用で、汗っかきの僕なのに快適な肌着。(名古屋に戻って最初にしたことは、ユニクロで買い物) それから板橋の「つけ麺」屋に行き、夕食にもなった遅めの昼食を。この店は面白く、麺が200gでも300g、400gでも価格は同じ650円。格安で、しかも美味しい。本当に美味しい店なんです。 相変わらず、雨は止みません。明日は外出もままならないとスーパーで食料品を買いだめ。 東京と言えば大東京で、それが全てだと思ったら、車の進入さえ許さない、戦災も免れたと思われる住宅街も残っていて、その中に入り込むと、東京なのにとても静か。 12時間の眠りにつきました。 le 13 vendredi //16日に書くのだけれど// 金曜日になりきった時制で。 23:55の「ムーンライトながら」にして、本当に助かった。下手に、金曜の新幹線にしたら、絶対に間に合っていないはず。最後の最後に二つも急ぎの仕事が入り、目も釣りあがる。 家に戻り、風呂に入って、名古屋土産を買うことすら忘れていたことに気がつき、右往左往。 10:50頃、千種のイオンに望みを託す。 なんとか買うことが出来、名古屋駅のホームへ。 静かなホームと思いきや、全席満席。需要があるのですね。 僕は、新型録音機で、名古屋から東京、そして池袋までの音の風景を録音しました。今、それを聞きながら書いています。今のところ合格点。問題は、熱海近くで、酷くなり始めた隣の人のイビキ。まだ、そこまで聞けていません。 豊橋からは車内アナウンスもなくなり、ただ線路の音だけ。 することのない休日に、これを再生して本を読んだり、部屋を掃除したり、昼寝するのは、とても楽しいものだと想像がつきます。 le 12 jeudi //もう一つの目的// 東京行きのもう一つの目的は、「刺激」 それは高いビルとか地下鉄網ではなく、頑張る人たちの姿。 人的な刺激は、やはり適宜取り入れるべきだと思う。僕は、ついつい内向的になり、一人でそれなりの休日を過ごすのだけれど、そういう大自然からではない、人の生き方や努力から大いに学び取りたい三連休。 le 11 mercredi //段ボール肉まん// 結局、「歯ごたえ」が似ていれば何にでも代用できるのでしょうか? そもそも段ボールも、先祖返りすれば木なので、百万歩譲って唯一の救いは天然素材。 これが、合成ゴムとか廃プラスチックなら、毒です。 でも、「歯ごたえ」が似ていたら、ためらいもなく用いそうで恐いのですが。 //期待する時間// 旅に出るとき、他人には下らない期待をする。そんな小さな時間を実行できれば、それで僕の旅は、目的地に着かずとも、少し満たされる。 今回の大東京。 新幹線を利用して2時間で行けば良いものの、日付が変わる頃の閑散とした名古屋駅のホームに、小一時間ほど早く到着して、NHKのラジオ深夜便を聞きながら、その電車が到着するのを待つ。そんな時間にも期待が持てます。 夜行だから、車内は静かなはず。 一つすることは、新型録音機で、ただひたすら東京までの音を録音するつもり。こういう特徴のない長時間の録音は、静かに過ごすと決めた休日に日長かけ流すと不思議な雰囲気に満たされます。 これと似たようなことは、朝一番の高山線でも実行しましたが、起動車だっため、エンジン音が大きく、カランカラント過ぎては聞こえる線路の音は聞こえませんでした。 こうかくと盗聴!と言われそうですが、この手の録音は、人の声が入ってしまうと全て台無しになるのです。できれば、誰もいない車内に一人が理想。 le 10 mardi //挿絵では見た程度// それを本日、BS2で放映。 「ざくろの色」とか、このアニメといい、不思議な映像の世界は好きです。 そういえば、マドリッドのゲルニカを展示している美術館、なんでしたっけ? その美術館の一室で短編映画を上映していました。映画というより不思議映像世界。多くの観客は、その部屋に入ることなく通り過ぎるのに、僕だけ見入っていました。 その映像も「ざくろの色」系統の不思議実写系。 //生涯学習の新しい解釈// 今日も読みます。チベットの死者の書。注釈の連続で難解極まる内容ですが、僕は読む価値があると思っています。 そもそも、ある広大なエリアで何千年と信じられる書物。ここまでくると経典になりますが、それは人間の膨大な心理作用の試験を済ませ、結果、信じるに値すると認定されたもの、と、僕は思っています。 世界中には時を越えて熱心に聖書を読む人たちが居ます。もし、読んでも全く実生活に益もなく役立たずな内容なら、とっくの昔に淘汰されているはずです。そこを生き抜いたところに読む価値があると思うのです。 前置きが長くなりましたが、チベットの死者の書。 生と生の中間状態(死)は49日しか存在しない。この短さには衝撃を覚えましたが、この短さだからこそ、現世での知識の集約や善行は持ち越すことも可能なのかと思ったりします。 生前、するべきことは多く(死者の書を理解すること)、それで死の様々な現象に挑むべきであると解説しています。 まるで死んでも、実は生きていて、知識を生かしなさいと述べている感覚には腰を抜かします。 そう考えると、死後の世界の為に善行を積むのではなく、早々に生まれ変わる工程をスムーズにするための知識の修得が必要なんでしょうか。 この本は実に面白い。その内容が正しいのかは、その時にならないと分かりませんが、死後の世界は49日しかなく、人間は生き続けるものだと思うと、どうして、労働をし勉強をし善行に励むべきなのか、言葉にはなりませんが、それはそれで一つの一貫した大義を見出すのです。 le 9 lundi //明日(あした)僕らは//旅に出ようぜ。 じゃないのね。 【正解】安心な僕らは、旅に出ようぜ。 こりゃ驚いた。 //死者の書// 死者の書と言えばエジプトが有名。でも、この手の書は世界各地にある。そのチベット版を昨日、鶴舞の古本屋で購入したのである。 少し読んでみて驚きの連続。 日本人も輪廻転生は信じる向きは多いけれど、死後の世界は長く、末永い先に生まれ変わりがあると思っていました。 ところが、この書では、死後の世界は49日で、ただちに生まれ変わるとのこと。よって、生と死を分けて考えるのではなく、それらは連綿と続く一つの物語だそうです。 次に驚いたのは日本人にとって死は安らかに迎えたいもの。 ところがチベットでは、死という過程は鋭敏な精神で臨むべきであり、呼吸が弱くなり死の直前、体を右に横たわらせ、動脈を圧迫させて、生命エネルギーを対外に放出させるのではなく、人間の中枢神経の奥深くに留まらせることが重要だそうです。 さらに、死とは、その直後が恍惚であり、だんだんと恐ろしくなり、あまりの恐ろしさに49日目に、誰かの子宮に逃げ込むのだそうです。 全く日本人のそれとは違う死後の世界。 この紹介する、チベットの死者の書は、なんと49日の工程が載っているのです。 生と生の間にある49日の中間世界で行われるであろう霊魂の旅。 死後の世界は、広大無辺と思っていたら、小学生の夏休みを少し長くした程度。僕の従前の死生観は、生と死は輪廻転生で繰り返されるのであろうが、それは圧倒的に死が長いと信じていたのですが、チベットの思想では、人間は常に生きつづけ、たまの休みに死があるという感覚でしょうか? le 8 dimanche //車に乗らなくても、楽しく充実した日曜日// 結局、この週末は車に乗りませんでした。良いことです。 まず、少しだけ早起きして、4キロほど歩いて、ご友人をお迎えに上がる。 それから名古屋は上前津の(中古)オーディオ巡りをし、宝の山にうっとりする。 僕は前日の肉だけの夕食から、今朝は野菜ジュースを二杯だけ。昼ごはんは食い意地が張りました。 評判の店だけはあり美味しい。 それから美味しい中国茶とケーキ各種を戴く。諸々の皆様方、ありがとうございました。 僕は、三連休に東京に行くのですが、その日の為にダイエットしようかと考えています。鰻食べてこの発言ですが、僕の意気込みは、ホンモノです。 なんと、上前津から家まで歩いて帰りました。 途中、鶴舞の古本屋に行き、目に飛び込んだ一冊を購入。 それから、邸宅街を縫うように歩き、名古屋にあって原生林に入る。 まったく名古屋の外れにこの原生林なら理解も出来ますが、 広がる住宅街にデンと島のように存在する広大な原始林。 この驚きは、先日の夜の蛍探しで数年分の恐怖を一度に味わいましたが、昼に行っても信じられない光景。 耳を澄ませど車の音が入らないって、一体&全体どういうことでしょうか。 そして、この未開の地から脱出し、我が家に辿り着く。3万歩ほど歩いた日曜日になりました。今晩の夕食は、野菜のみ。 それでも、体重は全然減っていないのは何故????? //旅情を味わいたいから// 大東京行き。旅情を味わいたいから、金曜深夜のムーンライトながらで行こうかと考えています。そうすると、東京着は早朝ですが、朝早い珍客の到来を嫌ともせず受け入れてくれるとのこと。僕の我侭を聞いてくださり、大歓迎。 もう、なんでお礼いたしましょうか。アナタの奴隷になりましょうか!? 土曜の朝と金曜の夜では旅立ちの雰囲気が全然違いますからね。 le 7 samedi //肉だけ// 大衆の風情と命名した炭火焼の焼肉屋。最後の締めに梅茶漬けは頼んだものの、あとは酒と肉だけ。 本来なら、この次にお洒落にお酒でも飲むのでしたが、そのまま解散というか送迎。 一人、下戸な人がいてルノー号で家まで。楽チンチン。 と、土曜日の夜の話を書きましたが、それまでに何をしたかと言えば、何もしていない。 家でゴロゴロ、気がつけば集合時間の一時間前。 le 6 vendredi //触れた// 琴線に触れた音楽。バラの花:くるり。 mixiでその存在を知ったのですが、実に素晴らしい旋律。 この曲を聴いて、金曜の夜に電車に乗って東京とか、早朝の中央道とか、想像は尽きない。 ヘビーローテして聞いているのは、僕です。 //かなり挑戦的な試み// ● 名古屋の百貨店で言えば、名古屋駅前と栄に店舗が集中している。 しかし、星が丘に三越(旧・オリエンタル中村)がポツリと。 中心市街地でなく、高級住宅街の需要にあわせる異色の百貨店。 これと同じような発想のホテルが八事にあります。 以前は、マルベリーホテルでしたが、別が買い取り改装。 約半分の客室をスィート仕様に。 挑戦的な試みですね。 しかし、どうなんでしょうか? ここらへんの邸宅街は自宅内に客室のある家なんてゴロゴロ存在しているはずです。 それと、各種あるスィートには、愛情旅館(中国におけるラブホ)のような感じのものも。 ただ、保守的な名古屋にしては挑戦的な試み。拍手を送りたいです。 le 5 jeudi //アハハ すっかり忘れていました// 今週の土曜日は、夜に肉と酒の会があったこと、すっかり忘れていました。夜のそれまでの時間に、何かするなら何かして。 それと、三連休、4年ぶりくらいの東京。何で行くべきか、じっくり考えましょう。 今回の東京は「現地指導スタイル」ではないので、前回の東京のように、何人もの懐かしい顔に会いに行くスタイルではありません。そのような機会は、別に持たなくては。 ちょっと本気でダイエットします。 土曜日は、雨さえ降らなければ、mtbを取り出して時間まで体を動かしましょう。 それと次の日曜日はお誘いのオーディオ巡り。お互いに趣味が一致するので、じっと眺めているのかな。 //宇宙家族ジェットソン// ハンナ・バーベラの作品の中では上位のお気に入り。絵も可愛ければ、宇宙生活の発想も好き。あと異色極まるjonny questもハラハラ&ドキドキで好き。 日本のアニメが世界を席巻していると言うけれど、この分野、ハンナ・バーベラを凌駕しているとは思えません。 //ヒッピーが見るものは共通か!?//当然にして麻薬など摂取したことがないので、あくまでも想像です。 アメリカのヒッピー文化を紹介する番組が7/14ヒストリーチャンネルで放映します。 僕が特に注目しているのは、彼らが描く絵。もしくは映像。サイケディリックというのか、どぎついピンクやら紫を使い、クネクネとしたデザイン。 この奇妙なる絵画は、誰彼となく似たり寄ったりの作品。 そこで激しい疑問なのは、麻薬を摂取すると、誰彼となくそのような幻覚を見るのでしょうか??? この共通性は、物凄く想像力を掻き立てられます。もちろん不法なルートで摂取すれば答えは明瞭ですが、僕が誰よりも薬物を嫌悪しているのは日記を読む人には周知のこと。だから、それとは別に、この奇妙なる絵の共通性について知りたいのです。 もし、共通性だとすれば、とても面白いことです。 人間のある種の快楽は、共通の色彩デザインが付帯していることになるからです。 さらに考えを拡散させれば、 そのような絵画の部屋に人を閉じ込めれば、薬物を摂取せずとも、そのような境地に入り込むのでしょうか???? ++++++++++ 僕は快楽は脳細胞の死と比例すると思っています。 この説は、高名な学者の本にもあったので、正しいのでしょう。 人が溺死するとき、窒息の恐怖を緩和するため、人間は大量の脳内麻薬物質を放出し安楽死させる自己防衛策に出ます。これは命からがら救い出された人に共通するエピソードだそうです。 ボクサーがパンチを浴びる状況に、人間が発動する自己防衛策は、やはりパンチドランカーというか酩酊状態にさせ痛みからの解放を図る。 しかし、ボクサーが誰よりも早く痴呆になる傾向から察してみて、 自己防衛策、つまり痛みからの解放、それはより強い快感なのですが、現実は、快感とは脳細胞の死滅に起因するのでは?という考え方です。 アルコール中毒。薬物中毒。やはり快感という名の脳細胞の大量死の繰り返しにより、ゆくゆく痴呆に似た症状を発する。 快感は、恍惚。そのボ〜〜〜っとした何ともいえぬ感覚に身を委ねている間、人間は蒸気機関車の石炭に例えるなら、脳細胞を死滅させてエネルギー源にしていると思うのです。 ただ、SEXや自慰など、その程度では痴呆にならない。薬物により、それらの快楽レベルを長時間脳に与える代償。それは、前述の比ではない大量死の繰り返し。 ++++++++++ シンナー中毒患者の脳が、痴呆老人のそれと同じほど退化している恐怖。 ただ、シンナー中毒は歯がボロボロになり、見た目に恐怖を伝達し、 その形相から、多くの市民にとって抑止力にもなっています。あーなってはダメだ! 問題は諸々の禁止薬物。 手軽に摂取でき、歯はボロボロにならなくても 脳内で行われている過程は同じ。 日本人にとって、薬物の起承転結はあまり知られていない。 警告文としての廃人になるとかはあっても、それは重度中毒患者の末期の姿。 その手前で留まる者の人生の損失は、全く知られていない。 薬物は摂取する。お洒落に用いたりSEXに用いたり。 しかし、コントロールできて廃人にはならず、日常生活も出来、仕事もはかどる者たちの損失。それを僕も知らないし日本人はほとんど知らない。 ひょっとしたら損失はないかもしれないし、 次のような損失があるかもしれない。 老後に備えて備蓄した金品。それを取り崩す頃に必ず訪れる痴呆。 le 4 mercredi //小説// ごく短い小説らしきものは、この日記に書いたりもします。たまに。 と、言いつつ、僕は小説なんて35年の人生で10冊も読んでいない。恋愛小説に至っては、未だ未読の境地。 とても冷めた自分がいて、架空の話に没頭するのは実に馬鹿馬鹿しくて、そんな読む時間があるのなら、誰かの研究紀要でも目を通したほうが1000万倍のお得!と久しく確信していました。 +++++++ 例えば、両親に打ち明けるのには負担があったり、そもそもそんな理解もなかったり。誰にも言いたくないけれど、誰かのアドバイスが欲しい。 そんな時、多くの小説に接した人は、本の中に頼れる相談相手やモデル・コースを見出すのかもしれません。 その時の苦悶や悔しさを、小説は別な何かで救ったかもしれないのに、 そんな出会いのない僕は、ソンナモンナンダと内に篭ったり。 +++++++ 唯一の救いは、聖書と仏典とコーランを読んでいることでしょう。 この断言的な内容は、あらゆる事態に対処できるのですが、 人生は醜悪な例えや醜悪な前進や勧めの方がリアリティに富んでいて親身になれることも間々あり。 実生活に即した小説の勧めは、ものによっては経典級。 美味しいお茶を飲んで、戴いたnoonのCDを聞いて、 なんとか涼しい外の風。(CD、どうもありがとうございました♪) +++++++++++++ 一つの理想の時代を言うなら、70年代、80年代初期のアメリカ。 あの頃の映画で見る、アメリカ(白)人の生活は、何故か心に残る。 土曜日は何しよう。天気によってガラリと変わるはず。 雨がやんで、雲が早く動いて、その向こうに空の色が見える、 そんな海辺の光景も好きなんです。 le 3 mardi //大都会の片隅で// 天井裏で。 長野に旅をする都度買う地方紙。今日もこれから通読の時間。とても楽しみです。 この地方紙は、地域性もあって老人の占める割合が名古屋よりも高い。 小さな日刊紙には、老後の幸せな日々や老いのこと、長生きや生き甲斐のことなど多種多様に綴られている。 誰にでも、人生には終焉がある。 この地方紙を読んでみると、老いは悲しいけれど楽しい。 相方の死は悲しいけれど生活は続く。 季節はそれでも巡り、どこかの老人の何かを伝える地域の日刊紙。 老後、毎日送られる新聞に目を通すだけで、老人の日常の何と大きな慰めでしょう。 歳をとり、孤老となるも、名古屋は大都会過ぎて滅入る。 孤老でも、山に囲まれ、自然の移り変わりを楽しみ、 日々送られる地方紙に目を通すことが出来るのなら、 やはり、それは将来の僕の一つの理想像。 le 2 lundi //歯医者大好き// 行くとしばらく続くのが面倒ですが、歯医者は好きです。Mっ子ですから。 多くの人はその痛さに恐怖を感じますが、僕の場合は、痒くても掻けない痒みに手が届いたって解釈しているので、歯医者さんは神様のような存在。 毎度、歯医者に行くと思うのは、歯医者に行けない人たちのこと。 子供たちの虐待の有無は歯科医なら見通せるそうです。 そんな子供たちだけでなく、路上生活者の歯の健康。 発展場を家代わりとしている、流れ者の歯の健康。 この痛みの解決策は自分にはなく、日々進行するだけ。 その行き着く先は何なのでしょうか? le 1er dimanche //緑のカーテンから風が吹き抜ける20時// 本日は終日家の中。何をしたかと言えば、先日行った諏訪旅行の行き帰りで買った長野の地方紙をテレビ欄以外は一言一句読んでいました。 長野は、県そのものも広大ですが、山で隔てられ、連邦共和制のような県。 他の地域では信じられないのですが、一つの自治体、一つの谷間をエリアとした日刊紙が発行されているのです。何紙も買いました。 例えば、下諏訪新聞なる下諏訪町の日刊紙。 種明かしをすれば、市民新聞グループってのがあり、それは七紙の連合体。 それ以外にも、例えば長野県南部の飯田市でも、飯田を拠点にする日刊紙が二紙もあるという驚き。 新聞はその日のうちに読まなければ意味がない!なんて言われそうですが、そういう鮮度が大切な情報は、全体の2-3割。 あとは多少遅れても問題がない。 田舎で過ごす人たちの日々の投稿や短歌などを読んでいると、自然や老いや子供たちのことが新鮮に語りかけてくれます。 例えば、市民タイムズ塩尻の6/23に、こんな俳句の投稿がありました。 寝る仕度 出来て落ち着く 蛙の夜 僕は名古屋市民で家の近くに田んぼなんてありません。しかし、その情景が浮かびます。寝る仕度を終え、落ち着いた頃に耳に入る、夜の田んぼから聞こえる蛙の声。 羨ましい生活環境です。 //日本は先進国だ!// 熱湯欲が、どこぞの掲示板に書き込むような文言ですが、ひしひしと感じます。 この地方紙を読んでいると、毎日、多種多様な文化教室や何かの集まりスポーツの試合など、驚く量で記載されているのです。 その昔、エコノミック・アニマルと揶揄された日本人でしたが、もうすっかり文化的風土も醸成されたのだと、何紙も買った地方紙から読み取りました。 人口構成が変化し、老人が増え続ける何十年と、この傾向は顕著でしょう。 生活・人の心を豊かにするための専念する時間や人たちの存在は、日本社会の一段と飛躍した姿だと思います。 //涼しい風// それにしても涼しい風が吹いてきます。 この緑のカーテン。南の窓は、緑の葉で覆われ、厚さにして30cmの新しい世界が誕生しています。 今年は、ぶどうの葉に毛虫が大量に発生。毛虫はぶどうの葉を食べ成長する。 ところがバランスが崩れて大飢饉。 ぶどうの葉を食いつくし、トケイソウの葉に挑戦するのですが、こちらは硬くて食べられないようです。 自然界は上手くできていますね。沢山の毛虫の全てを大人にさせない。あの毛虫に恐怖も感じましたが、大飢饉は毛虫界を襲い、今や取るに足らない少数派。 ぶどうちゃんは、とても可哀相なのですが。 ところが、次に厄介な相手がやってきました。カメムシです。 こちらは、そっとしておいて、涼しい風が大気汚染とならないように、そっとそっと。 |
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