juillet.2008


le 31 jeudi
//小さなサイズは戻らない// 来月もガソリンが値上がりします。しかし9月は値下がりに転じるでしょう。昔のままの安値の時代は無理かもしれませんが、ハイオクが150円前後で落ち着く時代も、ひょっとしたら来るかもしれません。

さて、お値段そのままでサイズは小さく。
そういう手段で原材料高騰に対処してきたメーカー。
しかし、原材料が値下がっても、小さなサイズを大きくする動きにはならないでしょう。  我々は、この原材料暴騰の時代で、大切な何かも失ったようです。


ガソリン価格で言うと、来月は5-6年前の二倍になります。
この間、給料(手取り)が二倍になったかといえば、程遠く、可処分所得は従前の生活スタイルを押し通せば激減です。

毎月の貯蓄分を減らして消費生活そのままなら、幻影としての豊かさは継続するでしょう。

この問題は大きいです。そもそも従前から貯蓄に手も回らない人々も多いと思うのです。彼らの辛苦は、怠惰から派生するものならともかく、真面目に生きていても、この状況なら、もはや国家的な救済策が必要かと思われます。

//新しい幸せの模索// 豊かさを実感する方法が「消費」なり「投資金額云々」では、この時代、貧しさ一直線です。幻影の豊かさを享受しても、将来は必ず自分に降りかかる。やはり貧しさ一直線。

新しい幸せの実感が必要だと思います。そこには投資金額の存在など皆無か少なければ、我々は物価高でも豊かさは目減りしないと思うのです。

例えば、自分で麦を育てる喜びを持つ。そして収穫。深く焙煎して自家製の麦茶を愉しむ。会社に持っていけばコーヒー代が浮く。 週末、部屋をきれいにして、自家製の麦茶をいれ、好きな音楽を流し、絵を描くなり本を読めば、それはゼロ円の偉大な楽しみ。

将来を考えると、物価高を甘受すれば、必ず予想もしない困窮が近づくと思う。 大不況が到来しても、3年は食べていける蓄えは必要だと思う。
前の大不況、失業に苦しんだ人をニュースなりたくさん見ましたが、蓄えがあれば、やがて好況にも接する。  あの焦燥感を歳をとってから味わうと考えると空恐ろしいものを覚えます。 

物価高でも貯蓄にいそしむ。これが生きる道なのね。

le 30 mercredi
//お洒落汚れた浮浪者の淵// 名古屋高速名駅入り口を利用しようとする10秒ほど前に彼を見た。路上で生活する独特のくすみと汚れに覆われた青年は、従前型の路地生活者の顛末には累計されない新しい何かがあった。

その髪形を見るに、低所得若者層で流行ったと思われる髪形で、着こなしもそうだ。もともと清潔感にも乏しい階層だが、彼が際立って目立ったのは、全身に粉を振りかけたようなくすみというか灰色の汚れ。

そのヴェールは一様に路上生活者に垣間見られる。彼の日常を察するに参考になる手がかりだ。

そんな彼の一瞬が今にも残るのは、奇異ないでたちに奇異な姿。
彼は、大通りの中央分離帯の脇を沿うように歩き、その中に何かあるのだろうという頭の角度。そして、低木で覆われた中央分離帯の中に立ち入ってしまった。 それ以後の彼の姿は分からない。

僕は名古屋高速を飛ばし、明日から始まる大きな旅の入口へと向かった。

その階層の中ではお洒落だったのかもしれない。
しかし、ここまで転落するとお洒落の名残は奇抜な髪型で、全身風呂にも入らない夏の臭気が彼を多い、今や、その階層からも転落したのだろう。

彼の末路を説明するに、もはや薬物中毒の果ての姿としか言いようがない。

労働の継続性という観念が希薄で、お洒落の意味を誤り薬物にも手を染める。禁じられた物質への好奇心と警戒感。しかし元来から我慢強さを学んでこなかった育ちにも由来して、どっぷりと浸かり、瞬く間に転落してしまった。

小金を手に入れては吸引し、ともすれば男娼行為をするのかもしれない。

薬物に手を染め青年の域で路上生活者。そんな彼の姿は名古屋という都市の規模では抱擁すら無理だ。この街で末永くは暮らせないだろう。

le 29 mardi
//窓// 大都会の雑踏に身を寄せると、答えにならない疑問が湧いてくる。その全てが知りたいのだけれど、どんなに念力を絞っても、意中の人さえ言い当てるのは無理。
 彼らに帰るべき家が例外なしに存在することが不思議すぎて、説明できない。
そして、彼の窓から何が見えるのだろうか。全く説明できない。

彼が書く肉筆を、年賀状ではじめて知るように、
どんなに思い巡らしても、窓の外の景色を言い当てることは無理だろう。

田舎へドライブするとき、坂道を力いっぱい自転車をこぐ高校生。
その一瞬の景色に、懐かしいものを感じても、やはり彼の部屋から見える景色や聞こえてくる音などは、僕の思考の範囲外に存在する。
だが、確かに存在する。彼の生活する場としての部屋。そして外部の自然信号を中に取り入れる窓。


お盆も過ぎれば、虫の音が庭から聞こえる。酷暑が続いても、虫の音は聞こえる。名古屋にいても、そのような変化が味わえる。

きっと、田圃の色は緑が少しづつ失せ始め、聞こえてくる虫や小動物の音色にも変化があるのだろう。風は、明らかに夏のそれとは違う。

羨ましいと思う人がいる。

人それぞれ、全く違う日常だけれど、そのありふれた景色の存在を垣間見るというのは、まずもって無理な話だ。



田舎道をドライブする夕方。
里山の手前に広がる平地に、立派な構えの農家が点在し、
窓も開けっ放しの、子供たちの部屋だろう、蛍光灯がついて、本棚とかポスターが一瞬見えたりする。
それが、僕の感じることのできる、この田舎の全てであり、
あの窓から、夜に吹いてくるたろう涼やかな風の存在などは、
幼少の頃の祖母の田舎の体験があるからこそ、想像がつくのだな。


mixiとかの存在により、一昔前までは、一生かかっても知りうることのできない交友関係の爆発的な拡大。

それをとても楽しみに思っている反面、彼が見ているだろう窓の外の光景は、僕にとっては一生知りうることもできないのだと。

le 28 lundi

//今回もまた、// 須らく最善の形で解決されることに深く感謝します。ありがとうございました。

祈り足りないと思うなら、今晩もまた深く祈る。おそらく、それが最善の答え。

祈る祈ると簡単に書くけど、念力を送るような祈りは、恨みに近い波長だと思う。

息をして、姿勢を正している自分が、落ち着いて、深く落ち着いて、静かに祈る。いづれ心地は、起きているのか寝ているのか、よく分からなくなる。

しかし、祈ることはあって静かに祈る。そして全てを委ね、寝る。

信じ祈り寝て起きる。

その信じるですが、これが科学的というか自分で論理的に説明できる世界観。だから祈るという行動に移せる。

le 27 dimanche
//アメダスレーダーは凄い!!// この週末も家でじっくりと休養しました。貯蓄に専念したとでも言い換えましょうか。。。。

暑い暑いと思っても、アメダスの画面を見ると寒冷前線が南下している。
このアメダスは優れもので、近い未来の予測図も提供している。

それから判断して15時から本降りになると呼んでいたら、どんぴしゃり。そして止む時もはっきり止むと見ていたら、見事その通り。
お陰で一時的な激しいシャワーを利用しまして洗車しました。



今日、テレビで蟹工船が46万部も売れたと知り、空恐ろしいものを感じる。
日本プロレタリア文学を代表する作品。今の時代になって46万部。若い世代が買うそうです。

時代の変遷は、僕らが考えるより早いのかもしれない。

ソビエトが崩壊して、マルクス主義経済学が総スカンを喰らい、その後、バブルが崩壊して寛容な保守主義も瓦解。取って代わったのは新自由主義。それも終焉の兆しが少しづつ見えてきたということか。

労働者の三割以上が非正規雇用らしい。瀕死の左派政党が彼らの声を効率的に吸収したなら、日本の社会制度に、社会民主主義的な寛容さが返り咲く予感もする。

自分としては寛容な保守主義の時代が一番良かった。この寛容という言葉の中には社会民主主義的な側面があり、政権交代こそ現実味もなかったけれど、今よりも労働者は手厚く守られていた。

ただ誰もが寛容の中に胡坐をかき、恐ろしく不経済な公共事業がまかり通っていた弊害もある。



一度手にした安価な労働力は、一種の麻薬のようなもので、
彼らを放置すれば日本の秩序や伝統、国際競争力が低下すると分かっていても手放せない。 そういう政府や財界の牛歩戦術に業を煮やしたとき、握っている側は手放す側に移るような気がする。  労働者の1/3以上が非正規なのは、看過できない数字だと思う。

le 26 samedi
//何じゃこの暑さは!?// 19時まで、扇風機で対処していましたが、とうとう降参。今年初めて部屋のクーラーを稼動させました。

この前の三連休に続き、貯蓄に励む週末になりそうです。つまり、どこにも出歩かない。そもそも山の準備が面倒。去年に比べ、明らかに足腰が重いです。

暑い暑い。 出歩かないと、PCの前に居るでしょ。pcが電気ストーブ。
扇風機一台を、pcに向けて風を送っています。機械も熱中症になりそうだし。


この前、NHKラジオで那覇は35度以上いったことがないと聞き驚きました。南の暑い島というイメージも夏の名古屋の方に軍配が。
理由は涼しい海風が入り気温の上昇を防ぐそうです。

アメダスを見ると温暖な静岡のほうが涼しい。やはり海風が入ると相当に上昇が抑制されるみたい。

le 25 vendredi
//不安は一つの信号// 漠然とした不安。例えば日曜の夕方から感じる明日からの不安。  そんな不安に根拠は全くないのか???

僕が思うに、人の思考は「自分が考えている」と思っている時間以外にも【考えてくれている】  その後者の答えが、マイナスなものの場合、不安信号として顕在化される。(人間の第一の本能は自己防衛なので、自己にマイナスな場合は、潜在意識は積極的に信号を送り「気づいて遅れよ」と叫ぶ⇒それが不安)


これを信じる場合、もう答えは出ているので、座して何もしなければ困難に直面する。   漠然な不安の「漠然」も、実は知っているので、そこは勇気を持って認め、対策を練らねば。



では、どうするべきか。マイナスと認識できる未来に、以下に対処するべきか。

例えば、その分野を認め、図書館に行ったりして積極的な具体的な対処をすれば、変える頃には不安は消えていると思う。その努力が不安を凌駕したので、当面の困難はこれで対処できる。

それ以外にも方法があって、それは心静かな時間。どうして心静かにすれば全てが須らく最善の形で回るのかといえば、なかなか説明しづらいです。  昔の日記には、そんな自己流分析を積極的に書いていたので、どこかには載っています。  ただ、簡単に言うのなら【信ずるものは救われる】です。

そんな静かな時間も終わる頃、不安は消えているはず。それは信じるレベルが一定の線を越えたから。

図書館でも静かな時間でも、一定のレベル以下なら、相変わらず不安は消えないし、その不安は顕在化すると心は言い当てています。


不安なことがあり、酒を飲み、忘れるのは一時的な逃避で効果はあっても、根本の解決にはならない。不安があるなら、果敢に対処するべきか、全てを静かにゆだねるか。

le 24 jeudi
//忙しすぎて、、、、// もっとも大切にするべき、心を静める時間の確保さえままならない。  困難や試練などがあったとき、何が一番の支えになったかといえば、例外なく心静かな時間。心静かに祈れば、やがて充足的な自信というか力強さというか後押しを感じざるを得ません。  そういう心理的な境地に至るためにも、忙中閑ありで、だからこそ何かを犠牲にしてでもその時間を見つけなくては。

le 23 mercredi
//暑い// 暑い日が続きますね〜〜〜 
お盆は富士山だから、それ以前に山登りしたいのだけれど、とにかく暑くて疲れる。なんだか事前の準備をする気持ちが全然湧かない。

最近、休日の使い方がてんでダメ。絶好の三連休も二日は家に篭る。
仕事が忙しすぎて第一日目の休みが休養になってしまうのも原因。
それに暑くてガソリンも高い。

無性に朝鮮冷麺が食べたい。そば粉の入った灰色のゴムのような触感の、酸味と旨味の利いたスープ。  それだけが食べたいので、袋麺とかないかしらね。専門料理屋に行くと、冷麺一杯で帰るのも変だし。

le 22 mardi
//簡単な涙// その涙姿を見たのは私だけではない。 後日、酒の席で話すに、笑い話で、最低と烙印の押された男の下らない一人芝居と、話は尽きなかった。  そんな簡単に溢れ出た涙が、今から思うと、本物であったと、よく分かる。

40年以上会社一筋の課長さんのお別れ会。人徳から大勢の人が集まる。
別れを惜しむ人もいれば、葬式で久々に会い話も弾むような賑やかさも。

彼の酒癖は悪く、飲み、強引に進め、酔いつぶれ、暴れる。
左手の火傷の痕も、大酒の果ての転倒で、夏のバーベキューも台無し。

ところが本人は何年経っても反省するそぶりもなく、嫌がる後輩を潰すほど酒を強引に勧めるのが、酒席での唯一の作法だと思っているのだろう。

我侭で身勝手。彼をイメージする最良な言葉。

大酒を飲み、とうとう宴会場で大の字でなって寝てしまった。
その奇異な姿を、あちこちの話題の山が指摘し、嘲笑し非難する。


大送別会も終了し、皆が課長さんに別れの挨拶をする。
暑い握手をし、深々と頭を下げる人。肩をたたき、また飲む約束をする人。
抱きつく若い娘たち。  そんな、惜別の輪の中に、眠りから覚めた奴が入り込み、「俺にとっても父親のような存在だったんだよ〜」 と周りが驚くほどの男泣きをするではないか。

それを見た者は多い。後日の酒の席で、その安い芝居を、再現しては、愉しむ。



そういう統一見解も、ある突然に瓦解してしまった。



我侭で身勝手な彼は、更衣室でハンガーが足りなければ
平然と他人の未使用のハンガーを断りもなく使う。
突然の雨の日には、今から思うと、傘の紛失も彼の仕業であったろうと思う。

規範とかの束縛には、全く忍耐のない男で、絶えられないと、顔を赤くして怒鳴り狂う。
恐ろしい男と思ったのも昔の話で、今や、予測のできる不快を楽しむべく、
皆の関心も相変わらず高い男だ。



あの涙が本物だったとは、彼の身の拘束を伝える警察からの電話だった。

勤務中の飲酒運転。夏の暑い日に、500の缶を二本飲み、缶だけ捨てて証拠隠滅。そういう日常だったのだろう。
確率から、とうとう事故を呼んでしまった。


私生活も久しい以前から破綻気味で、とうとう唯一の収入の手段も絶たれる段階に身をおいてしまった。

忍耐のない男だった。
飲みたいから飲む。金が欲しいから借りる。
返したくないから返さない。
悲しいから泣く。


あの涙が本物だったと判別できる同一線上で、彼の人生は破綻してしまった。もはや最低の男に、我々は誤解への謝罪もなく、ただひたすらに彼を非難するだけだった。

le 21 lundi
//高慢と傲慢と膨満//は、簡単に成れる。そこが恐ろしいところ。
十人十色で、人それぞれ癖がある。個性とでも言いましょうか。
一律の基準を人間に当てはめるのは非人間的なのかもしれない。

ただ、僕が大切にしたい視点は、辛抱のできる人間かどうか?(言い換えれば、すぐに怒る人間かどうか?) 改善点を言うことのできる人間かどうか?(もしくは問題点を提起できるかどうか?)

それと忘れてはならないのは、好き嫌いで判断しない。嫌いな人間に、全く関連のない懲罰的なことを指示するのは、失格だと思う。

人間なんぞ、つい感情的になって判断を誤る。 とにかく我慢することだと思う。我慢は人に時間をくれる。その時間で、実は自分の思い込みだったと判明するかもしれない。

その我慢が苦痛を伴うのではなく、人間的に度量が広ければ、我慢というか見守る程度の感覚にもなろう。

器の狭い人間にも、常に広く深く。



難しいのは、仕事の公平さ。
真面目に働くものと、そうでない者を一律に扱うのも良くない。
そこに一方への制裁なり懲罰が含まれるのだが、
僕としては、そういう手段は最後にしたい。

ただ、後回しにすればするほど、不平等が拡大するのも事実。


例えば、神様がいるとするのなら、どの時点で、見切りをつけるのでしょうか??


一つ面白いのは動物の世界。
それは山を越える鳥を研究している学者の発見ですが、
一つの方法で失敗したら、翌日も、さらに翌日も同じ挑戦をするのですが、その次は別の方法を試みる。  それがどの鳥でも同じであったと。

確か、三回目か四回目でした。

仏の顔も三度までというから、四回目は別の手段を選ぶのが自然界では普通の事としましょうか。

le 20 dimanche
//ヒートポンプ// よく分からないのだけれど、その方面の知識は手に入れたい。そのような知識があると、寝る前の勝手な脳内劇場が面白くなる。

自分の頭の限界は、外気温まで。
例えば、巨大な魔法瓶に水があり、中にホースがグルグル走っていて、その中は外の暑い空気が流れる。

外気が40度なら、魔法瓶も40度までは上昇できると思うのですが。

外気が40度なのに、熱交換のシステムで、蓄熱財が80度とかにはならないのでしょうか? そういうのは物理的には無理なの????

le 19 samedi
//残り2.5日// 12時間寝ました。三連休も残り2.5日。毎年この休みには大白川で野営していますが、そういう発想も湧かない。一歩も家を出ず、mixiに旅日記を書いただけ。

le 18 vendredi
//地獄の金曜日// 23時まで仕事。疲れが取れるどころか新規の疲れが。
こう、過酷な日々が続くと、一日を無事に終わらせることだけしか頭に入らず、他の事は考える暇もない。言い方を変えれば、少しでも休養にまわしたい。
夏焼で生活したい。おやすみ。

le 17 jeudi
//暴言の果てに// 疲れる。とにかく疲れる。疲れが取れない。

暴言を吐いたりする者は、まず辛抱が足りない。それは我侭に育った生い立ちも大きな要因でしょう。次に、暴言を吐くという怒りの防弾幕を張ることによる自己防衛。

つまり、辛抱が足りないので、自己防衛手段が他と比べて、非常に浅墓な水準で行使される。もっと深く見れば臆病者なのでしょう。

ただ、世の中は、生い立ちとか、内面に潜む臆病さなどは考慮に入れない。
職場の秩序に照らし合わせ、逸脱するかどうか。
相当に黙認しましたが、寛大な精神で接しましたが、それも本日で終了。

以前の日記の独り言で、彼は忘れた頃にその災禍を知るであろうと書きましたが、そういう手段が行使されたことは残念ですが自ら撒いた種、仕方ありません。

怒りの防弾幕を張る必要がなくなった頃、当人は、どうにもならない不安に襲われるはず。  その短絡的な怒りは、今に思えば自己防衛でもあり甘えでもあったはず。  そういう感情の吐け口(受け止める相手)がなくなった頃、吐いてばかりいた人間に試練が訪れるはず。

怒りは最後に持ち合わせる感情であると何かで読みましたが、最初に持ち合わせてばかりの人間に、住むべき場所は無いということです。

le 16 mercredi
//地獄の水曜日// 朝の三時から仕事。起きたのは一時間前。
だからといって早退は無く、通常勤務に突入。

レポートの余波は、業務の見直しに通じ、新たな仕事(というか調整)が産まれる。この機に乗じて、新しい人間(問題児)も加わり、子沢山の母親のような心境です。  しかも経済事情は暗く必死に働き生活を守る母の役割。
こういう時、できる長女が子育ての代わりもしてくれたらと思うのですが、全てを母親任せ。もう大変。

le 15 mardi
//地獄の火曜日// 今日のことを考えると時間が足りない。朝の六時から仕事を始めました。本日もまた別室に呼び出され、講習に遅刻しそうになる。こればっかりは法令に基づいた講習なので、さぼったら免許の更新に繋がらない。講習から戻り、仕事の遅れを。またしても疲れの溜まる火曜日でした。

明日は、実に下らない特務事項がありまして、朝の二時起きなんです。

le 14 lundi
//レポート一冊弐万円也// 提出したレポートは好評を得て二万円という一時金に化けましたが、午前中は別室に呼び出され仕事が大幅に狂う。明日は一日講習に出るので、致命的な遅れ。どうしましょう。
今週は、なんだか恐ろしい予感がする。

le 13 dimanche
//ウーマン旅行社の翌日は早い// 私情があって翌日は立ち寄りもせず名古屋へ向かう。13時過ぎに名古屋駅前で解散。
そもそも金曜日の16-17時にかけて呼び出しがあり、諸々の対策を命じられ、月曜朝一番に報告せよとの命令が。



翌日も下栗の斜面集落を見て下山。

家に戻ってから、昼寝して、5-6時間掛けてレポートを作成。

le 12 samedi
//偉大なる秘境ルート// とにかく一人で先を進むには心理的な負担のありすぎる道。  今回はウーマン旅行社。力強い味方がいます!

JR飯田線。

佐久間ダム堤です。

見てのとおり、車一台分。トンネルは長く、待避場所もほとんど無かったり、全く無い。それにトンネル内でカーブしていて、見通しが悪い。

恐ろしいのは、北上するのはウーマン号だけ。南下するのは浚渫した土砂を多量に運ぶ何台ものダンプ。

このようなトンネルを入るには特別に神経を要します。
まず、聴覚でもって南下する車が無いか確認。
無いと確認できたなら、入る直前に思いっきりクラクションを鳴らします。
入れば、クラクションを連打し、相手に入らせないようにします。

全く恐ろしい道が続きます。最初に人の生活があるのは24キロ先。
全てがダム湖に沈み、新たに作った道は、ただ長く恐ろしいだけ。



対岸に、今回の旅の目玉でもある、秘境!夏焼集落が見えます。
その存在に気づいてからは、どのような生活をしているのか気になって気になって。


大嵐駅から汽車に乗って小和田→中井侍へ。


茶の緑が美しい斜面集落・中井侍です。

中井侍での滞在時間は45分。散策するにはちょうど良い時間でした。

大嵐駅に着いてからは、目玉企画の夏焼探訪。

旧飯田線のトンネルを利用しているのが形状から一目瞭然です。

巨大天然クーラーにもなるトンネル。それはトンネルを出て振り返ると、もうもうと白い冷気が気流となって放出されていました。

トンネルを出ると左右に分かれます。左は、ほどなく通行閉鎖に。右は夏焼集落へ。



夏焼への道は、車両の進入を拒否しています。


やがて車輪すら否定する「道」へと変わる。


日本の集落を語る上で、大変に貴重な存在だと思う。
もともと、夏焼集落も天竜川に通じる生活の道はあったのですが、全てが水没し、孤立を免れる選択肢として、旧飯田線のトンネルを利用しました。
注目すべきは、ダム完成時おける水没の瞬間、この夏焼集落にはモータリゼーションの波が届いておらず、時の進歩はその時点で止まっている。

その時点での生活において、道の幅は、この程度あれば用は済み、決して平らでなくても良かったのだと。中井侍でも、下栗でも、モータリゼーションの波が到達する前は、きっとこのような「道」があったのでしょう。


人の住む所に、信仰の場あり。
集落最上段に手入れの行き届いた祠がありました。
ここでの生活の無事を願うとき、神への帰依は我ら都会人以上に切実なものがあるのでしょう。

一キロはゆうに超える夏焼隧道を海に例えるなら、孤島に浮かぶ小さな島です。


再び、涼しいトンネルを戻り、天龍村平岡で中井侍銘茶を買い、
南信濃和田集落では山肉料理と温泉。
そして下栗の里に向かいます。

南アルプスに残雪はほとんどありません。夏の写真に仕上がりました。

下栗から先に進むこと13キロ。本日のお宿「」ハイランドしらびそ」です。



第一級の旅日記に仕上がるはずです。特別頁作りますね。

le 11 vendredi
//豊川で過ごす金曜日// 夜は早く、結局、駅前で食にありつけれるのは中華料理だけ。  何気に入った店が美味しかった!という話はありますが、唯一の選択肢が、とても美味なる食堂でした。

風情ある商店街では、若者の有志が手筒花火の筒を締めていました。なかなか面白そうな町だと思う。また日を改めて訪ねてみたいです。

le 10 jeudi
//特別な休日// 今週末はウーマン旅行社。そろそろどこかの週末を旅行記編纂集中日にしなければ。  夏焼集落ではどんな写真が撮れるのでしょうか。  その方面においては世界一情報量が豊富で美しい写真の撮れる特別頁を仕上げるのが夢です。同じことは中井侍にも言えますが。 今日は早く寝ないと。おやすみんみん。

le 9 mercredi
//そういえば、豊川// まるで演歌の題名のようですが、そういえば、愛知県民なのに豊川って行ったことがありません。豊川稲荷と日本車両と防衛産業の街だという認識はありますが、はたしてどのような地方都市の風情があるのでしょうか。  この金曜日は、豊川にての宿泊です。

le 8 mardi
//なんて美味しいコーヒーなのだろう// その喫茶店の、あのあたりの席に座ると、少しだけ前の会社が見える。 今も続く昔の友達から、最新の話を聞くのだけれど、新しい生活が続くと、それも無意味にさえ思うときがあった。
それがここに来て全く違う。それを思い、俺はアイスコーヒーをまたお代わりしてしまった。三杯目は、少し飽きるけれど、こうでもして、あの会社を眺める心地は何とも楽しい。

あの粗暴さと我侭勝手な身の振る舞いは以前と同じようだが、会社での立場は全く逆になり、もうゴミのような存在らしい。

その兆候は既にあって、俺はとばっちりを受けたわけだし、入社して程なく転職も迫られた。あの時のロスを思うと悔しさは今でも込み上げけるが、それを中和するのが奴の没落記だ。

どうやら、街中に自販機があるように、奴は金に困れば無人契約所に行き、「使える金」として酒や女に費やすらしい。その我慢できない我侭な性分は、良く知っているつもりだ。

奴の没落は一気に始まったわけでもなく、少しづつ地位を低下させていった。その都度、面白くなく、身近な配下の者に当り散らしては、憂さを晴らす連続。特に俺に対しては酷かったらしい。今でも同情の声は良く聞く。
大胆な下落はないけれど、確実に下落を続け、今や、どの場所に配属させようか、たらい回しの状態らしい。そんな最下層に没落しても、我侭で好き勝手な性格は直らず、周りに当り散らしているとのことだ。

我慢や辛抱がまるでできないのは、生い立ちに原因があったと思うし、それを考えれば不幸でもあるが、今となっては、予測できる彼の怒りの表情は、社員にとってそれなりの楽しみになっているらしい。

それがどうしても見たい。外からその席が空いているのを見たら、きっとまた、ここのコーヒーを美味しい美味しいとお代わりするだろう。

顔を真っ赤にして、怒る彼の表情が見たい。今や生活が崩壊し、朝から酒臭いようだが、もう一度、彼のアホな表情を、蛸のように真っ赤な顔して身勝手な発言を繰り返す馬鹿面を見たい。

わざと金かして、取立てに行こうか。

le 7 lundi
//なんて美味しいコーヒーなのかしら// 窓際のカウンターに座り、外を眺めては、もう何年も前のことを、これでもかと味わい、女としてはすでに三杯目である。きっと奇異に映っていると思われても、彼女にとってはどうでもよいことだ。
「美味しいコーヒーだわね。また、お代わり頂くわ」

酷い上司の理不尽に何年か耐え、その挙句には左遷。
まさか借金漬けだったとはね。まったく笑っちゃうわよ。

何度も頭を過ぎる光景は、そんな理不尽から数年後、
普通に会話できる日々に、私の趣味を聞かれたこと。

その場にとって私はどうでもよく、可愛い娘との会話に窮して話題を私に振ったのは明らかだった。そんな不愉快はあの時の理不尽に比べれば問題にもならない。それに私も歳をとったわ。

その時の答えが彼には印象深く、以後、何度も聞き出しては、
「貸してくれないかね〜」と冗談に言う。

もちろん何かの冗談と思って、「ご冗談を」と交わしたのだけれど、
それが切羽詰ったものだと今になって知るのだから、
このコーヒーがますます美味しくなるの。

その昔の理不尽に、私は耐えるしかなかった。
耐えた甲斐もあったというわけ。

何度も聞き出しては、その都度返す言葉は決まっていて、
「貯蓄が趣味です」


突然に訪れた災難でもない。一過性の災いでもない。
根からのギャンブラーであり、その末路。

部下に、そして妻子にきつく当たっても残高が消えるわけでもない。
そんな妻子とも離れたようで、聞けば同じく素行の悪い後妻と
残高の増える日々を送っているらしい。

コーヒーが美味しいわ。

これから起きるだろう珍問答を想定しては楽しさが尽きないし、
今や、完全に立場も逆よ。
せいぜい苦しむがいいわ。

le 6 dimanche
//雷ゴロゴロ// 今日も暑い。 夕方前から雷ゴロゴロ。天気が夏のようで、なんだか懐かしい。

//一瞬で見分ける韓国人// おそらく日本人なら、コンマ何秒の世界で判別できるのではないだろうか???   それを言葉で現すは難しいのだけれど正答率100%    言い換えれば、韓国人も瞬時に日本人の顔を識別できるのでしょう。西洋人からすれば分からないと思いますが、さすがは隣国。識別できます。

何が言いたいのかというと、CSでチャンネルを切り替える。コンマ何秒。その顔を見ただけで韓国ドラマだと変わる。先ほどなんて、ベッドで寝ている女性の顔。案の定、韓国ドラマでした。皆さんも、同じ感覚は持っていると思います。言葉にならないけれど見分けれる術。

//韓国という存在// 僕が持っている韓国に関する古い記憶は、軍政の韓国。戒厳令の韓国。民主化デモがソウルで発生し軍部が鎮圧に向かう。野党指導者は教会に避難して立て篭もる。おそらくソウル五輪以前の記憶でしょう。
ニュースで金大中事件とかも見ていたはずですが、鮮明な記憶は無い。

僕らが、幼少の頃、ヤッターマンとか見てゲラゲラ笑っていた頃、韓国は戒厳令か敷かれていたはず。  これは台湾も同様で、生まれ育ってから民主主義で生きるのが当たり前の僕たちですが、その存在はアジアでは誠に奇異な極一部。

今の若い子達といえば、どっぷりオジサン発言ですが、僕らの若い頃のアジアは混沌としていました。カンボジア方面なんてのは、危険極まりなく渡航不能。南シナ海や東シナ海ではベトナム難民を山のように乗せた木造船がボートピープルとしてニュースに出る。香港にもベトナム難民が溢れかえる。

中国人は皆人民服。そして北朝鮮は一部勢力に成功した政治モデルとして注目される。

米ソが対立するなか、成熟した民主主義などは、とにかく後回し。共産ブロックに属さないなら不正腐敗がはびこっても開発独裁は許されるとしたアメリカの方針。

今でこそ、民主主義のためだと他国に介入するアメリカですが、当時の西側アジアでは思想の自由も無く政治犯収容所が存在していました。もちろん、それよりも劣悪で改善の見込みが今もって無いのは共産陣営ですが。

//怒りという一つの精神防衛// 何かあると過剰に怒る。全く付き合いにくい相手ですが、それにも理由があるはず。やはり怒りという防弾幕を張ることによる一つの精神防衛なのでしょう。  そんな怒りに萎縮して言うことも言わなければ、仕事の公平さが崩れてしまう。しかし、誰もが恐れて言うことさえ言わない。少しでも何か言えば過剰に怒ってみせる。

結局はジャイアンなんですよね。道理も何も無い。自分の損得に照らし合わせて怒ったり言い掛かりを付けたり。それで成功した経験があるからこそ、そのモデルを放棄できない彼がいる。

彼は日々、ジャイアニズムによる不快の種を周囲に撒き散らしているので、いづれ八方塞になると思う。しかし、それを待っているだけでは、近々の仕事の公平性に欠けてしまう。不公平と思われる事象は、やはり看過しては成らない。   

軍隊で言えば、元上官が左遷し下の身分となる。しかし、プライドが許さず何かと反抗的。 軍事裁判なんてのがあれば簡単なんですが、イヤハヤ。

もともとはジャイアンの直属の上司が口を閉じるから、こうなる。その我侭がこちらに飛び火しているので文句も言いたくなるのです。閉じた貝の上司に言っても音沙汰なしなら、こちらが言うべきですが、問題は、あちら側。やはり部署間の対立になるので、最後の段階で妙な擁護に回るかもしれません。事前に話を付けて、一つの方向に持っていかなければ。


ただ観察すると、負のスパイラル。自分の撒いた不愉快の種が開花し、さらに彼を追い落とし、また不愉快となる。そして憂さを晴らす態度に出るから、またもう一段の下降局面に。これが何回繰り返されたことでしょう。

どうやら私生活でも破綻気味なので、さらに毎日が面白くない。

流れを逆流させるとなると、よほどの悔恨が無い限り難しそうですが、面白くない日々は続けど本人に反省する余地はなさそうなので、最下層に転落していくことでしょう。

欲を言えば、早く出世したい。この身分で、この根回しや仕事は大変。毎日、ン人の人間が不自由なく最も効率的で最善の形で、お客様と会社の要望に沿える働きをしてくれるのが僕の役目であり、それを妨害する線路の石は、職務として取り除かなくてはならない。いっそのことジャイアンもこちらの部署に入ってくれれば良いのですが、他部署の人間だから話がややこしい。



不遜な態度に出てはならないし、何よりも皆さんの協力があって初めて回る仕組み。それを忘れてはならない。感謝の気持ちは常に持ち合わせ、須らく無事平穏に日々が過ぎていくことを真剣に祈る。そして不公正がまかり通る素地は果敢に取り除かなくてはならないと。
真面目に働いてくれる人たちが、アホらしく思ったとたん、組織は頓挫すると思っています。それは、歯車が狂えば、扉一枚向こうの世界に、瞬く間に接近するはず。例え出世しても、良い評価を得たとしても、不遜になってはならない。 不遜もまた、周囲に撒く不快の種。

le 5 samedi
//早朝4:40に出社// 愛知県は津島に会社の工場があって、本日は、早朝の4:40に一番乗り。  仕事ですよ!!!!!!!!!!!!!!!


九時前に終了したから、何となく週末は確保された感じはあるのですが、
疲れるの何の。体のリズムは壊れました。


それにしても暑い!   僕はクーラーを付けるのは知恵が足りないと信じているので、扇風機を何台も持ち出し、あとは汗の気化熱で生理クーラーを促すしか方法が無い。


実際、クーラーを付けるなんてのは、台風が到来して窓も開けれない夜とか、その程度。

le 4 vendredi
//根に持つ人たち・・// と、書けば怖っっっっ!と思うでしょう。根に持つ人たち。  実際はどうでしょう。暴言や失礼を受けたものに、忘れたり許せたりする人格者の割合がどれほどかは知りません。多数は、その事実を覚えているはず。  言う人間は短気で、ムカッと来たら熟慮もせずに言うことは言う。たぶん、その性格だから言ったことも早々忘れるのでしょう。

後々、まだそんな事を覚えているのか!と、呆れて「根に持つ人だ」と言うかも知れませんが、元を正せば熟慮せず言い放つ彼に起因する。


元来の短気とか酒の席とか、色々と要因はあるけれど、
その人に備わる相手への思い。そういう感覚が欠如する者に失態は多いと思う。


//短い川// 渥美半島、太平洋岸。もちろん海岸線があるのだけれど、背後はすぐに山。ところどころ、短い川が存在する。一度、遡上してみたいものです。

愛知県西部は、広大な海抜ゼロメートル地帯。
一つ疑問なのは、堤防に守られた広大な-20mの土地があるとする。
しかし起伏があって、高いところでは-5mとか「山」も存在する。

そんな山地の上では、土地は乾いているのだろうか????

それとも-5mとか-7mとかを水源として-20m流れる川はありえるのか??


僕の住んでいるところは丘陵地なので、川は、最も低いところに存在するのであって、生活の場とは離れた感覚がある。

ところが近鉄で大阪に行けば愛知県西部に全く異なる河の表情がある。

川の水面と、家の敷地にその差がほとんど無い。家の横を流れる川。


土地の表情は、実際に足を運ぶと驚き連続なのかもしれませんね。

le 3 jeudi
//体育会の飲み// これほど嫌なものはない。新人を歓迎する意味合いとして飲み潰すまで飲ませる。  大学の頃のお遊びなら分かりますが、飲み方といえばそれしか知らず、歓迎の意もそれしか知らず、飲み潰そうとする体育会出身の面々。本当に嫌です。

酒の席なら大声を出し、極端に振舞うのが男の粋だと思っているのか、マナーも何も相手を思いやる気持ちがまるで無い。

やはり酒を飲むなら、旨い酒を楽しい会話で飲みたいです。
それで飲み過ぎたなら分かりますが、嫌がる相手の顔色も察知せず強引に進める体育会の面々。もう、アホかと。



さて、酒で思い出しましたが、皆さんのナイトライフって、どうなんでしょう。
僕が最近不思議なのは、こちらの世界のナイトライフ。

もう久しい以前から卒業していますが、mixiなり色々と拝見するに、依然として楽しんでいる人たちも多そうです。

歳をとったといえばそれまでですが、こちらの世界として同じ川の流れを漂っていると思ったら枝分かれしたようです。


これからの時代、自由に使えるお金は目減りします。
それでもなお投資する分野こそ、本人にとっては大切にしたい分野なのでしょう。


ここで、もう一つ疑問なのは、皆さんの豊かさ。
mixiなりブログなり、それは自己表現の場。
ところが高度に成長した消費社会の日本。自己表現が自己消費報告の場であることは確かでしょう。

そんな媒体が無い頃、旨い肉を食べても、知る人はかぎられていた。

何を買い、どこに泊まり、どこに旅行した。
美味しいものを食べ、ライブに行ったり・・・・と。

こういう記述を浴びるように見ると日本人は豊かになったと思う。

ここにはトリックがあり、以前も同じレベルの豊かさでしたが
表現の場が無かっただけなのか・・・
それとも触発され、書く者が雨後の竹の子のように現れるのか。

実態はよく分かりません。


知りたいのは、その豊かさの表現のために全力投球しているかどうか??

着実に貯蓄をし、使える範囲内で贅沢をするのなら安心します。
まさか年金は掛けない、貯蓄もしなくて海外旅行に行ったと報告するのかしら????

人の豊かさの厚みを知ることはできませんが、
表面的に見れば総じて豊かなのが伝わる。

その表面のみが全てだとするのなら、その後に控える困難を感じざるを得ません。

le 2 mercredi
//重い荷// 2のちゃんねるがずいぶん前から重いです。特に速報ヘッドラインの素早さには脱帽しているので、サーバーが重くて表示されないと全く意味がありません。

//この前の不景気は幸せだった// 今から10年ほど前、日本は不景気でした。それは長く続き、就職氷河期-超氷河期-超々氷河期と表現され、それ以降はたいした回復も無く特別な名称も無いまま落ち込みが続く。

企業の倒産は相次ぎ、就職できない学生、失業に苦しむ人々。

物は売れず閉塞感が漂う。

買ってくれるためにも、物価が一斉に下落。

あの当時、職があり、例え昇給が凍結されたとしても、実質の購買力は向上するという変な現象がありました。

減税と、昇給と、職があり、物価が下がる。
端的な例は、ホテル価格。超一流と呼ばれるホテルでさえ、お手ごろ価格で泊まれました。

あの当時、職さえあれば「不景気の恩恵」に授かれた人は多かったと思う。



ところが今は、まもなく訪れるであろう昇給の伸び悩みor凍結。これに致命的なのは物価の高騰。不景気でボーナスは減って、弱々しい消費者が増えても、小売価格は彼らを無視する。   全く、不気味な時代に突入すると思います。


天井がそのまま、もしくは下がり始め、そして床下が急激に上がる。
前回の不景気はそれ以上の床下の急激な低下により、空間の確保が成立し、不景気を楽しんでいたのに、今回は必ず空間は減少する。

つまり、実感としての景況感も個々人レベルで相当に悪化する。

前回の不景気は、大型倒産など不気味なニュースは流れましたが、被害者は該当した人間-地域でした。今回は全国民が蒙る不景気のはず。


そもそも前回の不景気が収束し、あの頃、日記に書いたのは、「定年するまでに2−3回の不景気は経験するはず」と景気循環論に則り戒めとしていました。
ところが、こんなにも早く不気味な時代が到来するとは。それが日本というシステムの欠陥なら、自助努力で直すことも可能ですが、まもなく訪れる不景気は国家間の消耗戦のような気がする。


この消耗戦。近々に訪れる衝撃的な事象として韓国の総合的な頓挫が予想されます。

中国は予見不能の不気味さを備えていますね。



不景気の頃、某シティーホテルのディナーブッフェを週に2−3回は楽しんでいました。この前、食べたのですが食材の質の低下にビックリ。


世界が資源の争奪戦となす場合、逃げ道はあるのでしょうか。
日本は不景気でも中国は景気が良いので・・・・という逃げ道がなくなりつつあるような。

高い金を払えば、質は確保できるかもしれない。しかし、前時代同様の美食を維持しようものならば、空間の目減りは激しいのでしょう。

変な時代です。

古い頭の持ち主は、不景気は生活の停滞であって、戦後の日本は生活の低下はないと信じてきました。そんな生活の低下は炭鉱が閉山したり、転職に失敗したりと一部の人間だと。

せめて家族が食べていけれる食料が自前で賄えれたなら・・・

全く経験したことも無い新しい不況が目前に迫ってきているような気がしてならないのです。

le 1er mardi
//防空壕を作ろう!!// 「まもなくミサイルが着弾します。ご注意ください」と言われても、どう注意するべきでしょうか???? やはり家庭や地区に防空壕は備えるべきだと。

そんな戦時体制みたいなことを書いていますが、言いたいのは環境対策。
洞窟は涼しい。聞くところによると1mも掘り下げれば土中の温度は年中一定だそうです。井戸水と同じ感覚ですね。

そんな涼しい防空壕と熱い家を結ぶホース。空気を循環させれば天然のクーラーにもなるのではないかと???

そして、まもなくミサイルが着弾しますといわれても右往左往することなく地下へ逃げこめれます。



部屋にクーラーはあっても、年に運転するのは4-5回も無い。気温が40度になってもなんとかして逃げ切る工夫を考える。

風邪は食事と睡眠と温熱療法(熱いお風呂)で治すものであって抗生物質には頼らない。

それと同じで安易なクーラーも知恵が足りない。

南の窓には緑のカーテン。
東の窓には、窓から1m先の庇に簾を。

扇風機は何台か連動させる。部屋の廃熱用。外気取り込み用など。
それでも限度は外気温。

あとは汗の蒸発を促し気化熱を最大限に利用するために体直撃用の扇風機。

扇風機三台。場合によっては、一階の吹き抜けから二階へ涼しい空気を上昇させるための四台目の扇風機もありますが、電気代はどちらがお得でしょうかね。


でも、夏に窓を閉める閉塞感が嫌なんで、限界までクーラーはつけないでしょう。

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