juillet.2011 le 31 dimanche //衝動とか衝撃// 何気に座っていても何も生まれない。この器、なんて素敵なのか!!!とガラス越しに見いる気持ちを抱きつつ挑むるとなると設計図は脳が勝手に描いてくれるので早い早い。 木瓜紋。 落款も欲しくなりました le 30 samedi //ヒグラシ// 陶磁資料館のある上ノ山にはヒグラシが鳴く。このヒグラシ、本当に好きであり夏の情緒そのもの。 幼少の頃、祖母の家で夏の日、青い畳を抜ける風の向こうは山の緑。ヒグラシが延々に聞こえ、心穏やか。今でもその時の充足感を引きづっています。 人間犬が終わって、やはり足を向ける先は、そこなのだ。 le 29 vendredi //相当早く受け入れる// 僕は只今39だけれど、心の半分は40になった心地である。これは今年に限らず来るべき新しい年齢を10か月前くらいから感じているのだ。 40になったらと言って、特段の変更点はないけれど、あっという間に定年で、この間、家族の構成も変わり、今まで享受してきた変わらぬ平穏というのも荒波にさらされることでしょう。 老いて、いかに死ぬであろうかという自主映画は最近脳内で上映中。 僕は自由時間であっても一人でいることを好むし、恋愛とはたぶん縁もなく、 孤独死は覚悟しています。それは一輪の萎れる花の物語で寂しい雰囲気もありますが 死の手前、5年ほどの体力低下の不都合を選ぶか、誰かと末長くいると言う事を選ぶかと言えば、必然的に前者になる。だって恋愛できないもの。 le 28 jeudi //夏の、裏の顔// 思うのは暑い暑い、死んでしまうと注意喚起も盛んな夏の暑さは10-15年ほどであって、昔の夏は確かに冷房の普及率も低いけれど、暑いのは日中であり、夜にはひんやりした風も吹き始め、特にお盆も過ぎたら夜に扇風機なんて回してもいなかった。 どうしようもなく暑いのは一週間ほどで、あとは今から思えば日射症は高校野球をする人たちがかかるもの程度でした。 まさかクーラーが国民の生命を維持する装置になるなんて、夢にも思いませんでした。 ここしばらくは涼しい日が続きますが、死を呼ぶ夏の暑さなんてのは、来年か再来年には必ずやってくる。 le 27 mercredi //マリリンモンロー//が映画の中で「コレ、クラシックね。だって歌詞が無いもの」と言ったのは僕には名言で、僕のレベルを見事申し述べてくれましたと。 その旋律は好きで、聴きおぼえがあったり、cdとか欲しいと思っても 取り付く島が無い。 僕にとってクラシックはモンローのおとぼけと同じレベルで、一歩の前進もなし。 le 26 mardi //おーーーい、青空!!//どこに行った!?? 梅雨が終わって、早すぎる夏の日差しの良いとこ探しは、湿度の低下でしょう。暑くはあるけれど空は青くて湿度も幾分低下している。なのに台風六号が通過したとたん、なんですか???週間天気予報見ても梅雨と同じ空模様。 le 25 lundi //そりゃ、、、// テレビも見ないわな。日曜日、アナログ放送が終了しました。僕は地デジというものが好きになれなく、その最たる理由は、現代社会において国民に等しく正確な時報すら提供できない今の技術力でどうして導入を強行するのかと。それは4-5秒の処理時間ですが、仮に元号が変わる決定的な瞬間というものは、国民はNHKの前で正座して注視するものだと解するのだが、これに4-5秒の遅れがあるなんてのは、決定的な技術的欠損だと思うのです。 緊急地震速報とかも、アナログを見ていた方が救われるという問題は、最後まで解決されなかったし、そもそも事前に伏せられていた節もある。 //つづき// びわ町スポーツの森という施設も、必ず寄る休憩所で、ベンチに座り130円の自販機のアイスクリームも、しかもプリンの味のナンタラ、、というものを僕は毎回選ぶ。ベンチに座って、この頃には北の空は青くなり、一際緑も美しく映える。自転車に乗った老婦人が近くに座り、いろいろと話すのだが、彦根から歩いてきて、これより先は木之本まで行くと申したところ、手を合わせて「感心な若者じゃ!」みたいな反応をするのだが、照れくさいというよりかは、確かに歩き過ぎなコースだし人を驚かすにはボリュームもある話かなと内心納得もしたり。その老婦人は朝のゲートボールの待ち合わせ一番乗りらしく、次から次へとやってくるではないか。4-5人ほどに成長し始めた頃、質問攻めの予感を感じ僕は先を急ぐ旨を申し失礼した。 この辺りも直線の道は続くのだが、琵琶湖の見れる切れ間というものが多くなり、はるか前方に見えていた竹生島も今や過ぎ去ろうとしているし、港と言うには荒れない琵琶湖だからかとても簡易な作りのかわいらしい漁港があったり。 長浜からの直線の道というのは、毎回、日の出から数時間は過ぎた頃で夏の太陽はほとんど真南から射してくる。道の両側には立派な松や樹林帯があるのに、全く木陰の恩恵に浴せないエリアであって、これより先、木之本までは炎天下の行軍だが、今回に至っては北の空は青いのに南は曇っていて、間接照明なのである。これは楽だ。今やダイエット・フワフワ靴。つまり靴底にエアの山があって歩くのにフアフアする、があるのだが、右の山だけ空気が抜けてバランスも崩れるは、条件は悪化しているのに、直射日光の体力消耗が計算に入っていないので、ペーストしては過去最高である。速い速い。 この先にある道の駅も、休憩所ではあるが、ここまで歩いても疲れ知らず。靴底を確かめて叩いたり捻ったりしても空気は戻らないことを確認したら、再び歩きだす。琵琶湖沿いのコースも残すところ3-4キロ、片山隧道までである。 この間の、つまり道の駅から隧道までのコースは本当に好きだ。 大きな木があって、その下に祠や石碑もあるから、何かの意思表示ではあると思うのだが、どうやら追分の注意喚起である。と、確信をもって言うのは、以前のウォーキングで、僕はこの木に救われたからである。今回とは違い北の空から黒い雲がやってくる。田舎での肉眼レーダーははるか遠くまで見ることができ、これは寒冷前線が南下しているのだと読んでいたのだが、読みは半分ハズレて木之本まで持つかと思ったら道の駅を過ぎてから風が強くなり冷たい雨が激しく降ってきた。山本という集落の、大きな屋根はお寺だろう。軒先を借りるか、歩みも速めたが、雨が叩きつける様になり、傘も何もない状態で、とにかく集落の入り口にある、この木の下に逃げ込んだのだ。何の広葉樹かは知らないのだが、アスファルトは水も溜まると言うのに雨だけはしのげている。 することが無いので祠に手を合わせ、コミュニティーバスの時間を眺めていたら、とてもそんな時間でもないのにやって来て、「駅まで行ける??」とどこの駅かも知らず回答だけは引き出し乗り込んだ。 追分の、僕の知らないもう一方の道は、コミュニティーバスだけあり、古い集落を縫うようにして、昔の街道沿いだろう、僕は高月駅まで外を眺めていた。 物置のようなかろうじて屋根だけはあるバス停に自転車乗りが避難して、僕は乗らないよ、と運転手に手を振っていたのが今もとても心に残る。 思い出話は長くなりましたが、それはここで終わるとして、毎回、通り過ぎては願望だけは強まる箇所があって、それは湖国の料理を供する宿の前を過ぎるときに、鮒を食べては興々とする変わり者もなかなか見つからないだろうし、ましてや泊まるという強制力を働かせるには、近江の食文化にぞっこん惚れ込む者か、もしくは恋の力が必要なのかと、思っては計算が成り立たないと諦め通り過ぎるだけである。そうは分かっていても、どうしても思ってしまう理想の宿があるのも、この区間であるし、視界を阻む樹林帯はもはやなくなり、琵琶湖の最北部というものは湖なのにリアス式なのですよ。山がそのまま琵琶湖になる。だから、リアスの手前までは人の生活もあり、こうやって道もあるのだが、とうとう住める土地もなくなり、片山隧道が新境地の入り口になる。 隧道の手前、山本という集落は、玩具のような灯台のある小さな小さな漁港のある「港町」 山を背にして集落があり、ひときわ大きな屋根は神社仏閣。 今回は、大きな木のある集落の入り口から、外から見るだけだった山本を旧街道を使ってじっくりと歩く。観光地でもなく、なのに観光地として売り出している宿場町より、はるかに趣きがあって、昔はこの道を行き来していたのだろうと、家々の作りが何かしら訴えかけるし、急こう配の石段を登った先の神社は、振り向けば日本海や志摩にある港町そのものの水面の青さと日本家屋の黒い瓦屋根。 社務所もなければ土産物屋も案内所もなにもない。住む者だけが自分たちの尺度と時間で過ごしている山本。集落を過ぎ、再び片山隧道に通じる本来の道に戻る。500mもない。 片山隧道を潜ると、向こう側の土地が高いのを実感する。近江の最低部は琵琶湖周辺であり、全ての川は琵琶湖に注ぐ。片山隧道を越えると余呉川が流れていて、これまた大きく迂回して琵琶湖に注ぐ。 川ついでに申せば、一つ解せないのが滋賀の一級河川の区分。彦根から何度も橋を越えたが、名古屋で言えば堀川にも満たない川幅と水量で一級河川○○川の看板があちこちにあって、科学的区分というよりかは、なにかその琵琶湖に託けてふんぞり返っているような気もします。最も恰幅の良い川は姉川であるのだが、これまた名古屋で例えるなら天白川程度。名は高いにしてもやはり解せない。 片山隧道を越えると、いかにも美味しそうなお米のとれそうな広大な田園地帯。小高い山の近くには集落が点在していて、あとは田圃。青々としていて風に揺れる。琵琶湖一周の自転車乗りも僕と同じコースで颯爽と通り過ぎては、先ほどとは違ったこの美しさに心奪われているのかもしれない。 ようやく天気予報通りに太陽の直接の光線を感じる。真後ろからだ。毎度のことだが、ここから木之本まではいつも疲労困憊している。久しい以前から受ける直射日光と、夏の田圃の中をひたすら歩くある種の絶望と、体を休めるべき適当な場所が無いのと、指先が激しく痛み出す靴の限界。今回は、トラブルが発生したにせよダイエット・フアフア靴の高機能にも助けられている。後半、最も苦しめる指先の痛みを未だに感じないのは、やはり最も速いペースのウォーキングを引き続き継続できそうな安心感を溢れるほどに感じさせる。 木之本までは8kmほど。緑に揺れる美しい田んぼの中をひたすら歩くだけで、毎回、ここで一休みという場所さえ見つけられない単調さはあるのだが、僕が勝手に思い込んでいるパワースポットもあり、そこでは少しだけ祈りめいたものをする。 そもそもおかしいのだ。ありえないのだ。その場所は、東西に山が走っていてる。なのに南北に川が流れている。おそらく最初に東西の山並みがあり、後日の地殻変動で南北に川が流れたのでしょうか。川の両側の山の切り口は一致すると僕は見ている。この接点は、通り過ぎれば100m程だろうが、僕は勝手に陰と陽の地殻の力が働く場所と勝手に思っていて、もしや名高き分杭峠に通じるものがあるのではと、期待して立ち止まるのだ。 快適に歩けるというのは、以前の最も苦しい区間を再認識もする余裕も持ち合わせる。例のパワースポットから木之本駅までは、さほど遠くなのを今回初めて知るのだが、前は歩いては止まり足が痛いと恨めしく思っていたのだ。 途中、コンビニで小さなボディーシャンプーを買う。 木之本駅に無事に到着し、障害者用のトイレを拝借し、両腕と顔を洗い、石鹸成分をしみ込ませたタオルで体を拭いてシャツだけは着替える。疑似風呂上がりのあと、地元産の物販所での買い物の楽しみは、達成感も手伝って感覚を狂わせる。薬草風呂の元が売られているのだが、家にまだ十分にあるというのに、ご祝儀で買ってしまう。 来た道はJRを利用して彦根まで。途中、米原での連結で時間も要し45分も乗るのだが、乗り過ごしの恐怖は、快適に歩いたと言う割には前に代わることなく感じるものなのだ。 le 24 dimanche //土曜日について少し// このあと、「つづき」のつづきを書きますが、土曜日は案外早く家に戻りましたが、ごろんと横になったとたんグググーーーと寝てしまい、別にアレコレする予定も夢の中。 日曜日はというと、一日陶芸に没頭。 //つづき// そういえば前日は名古屋市は中村公園に用があり、そこにある豊国神社に参拝したものだが、今、長浜城のある豊公園に入ろうとするとき、まるで秀吉の出世街道を歩いているような、ご利益を感じるのである。中村の藤吉郎は貧農の子で泥にまみれて、鮒や泥鰌などを食べていたのは想像に難くないが、はたして長浜城主となったとき鮒ずしは口にあったのか??と、ようやくここにきて風景と思考の連鎖が現れる。 38kmものコースを何度も歩いていると、休憩に適した場所、折々の限界で倒れこむように入る場所、と自然発生的に産まれるものであって、先ほどの豊公園もその一つではあるが、一つの通過儀礼として近くにある英霊を祭る神社には麦わらも脱帽して深く祈る。そのあと豊公園でおにぎりを食べるのだが、前回も見た自転車おじさんはやはり太った猫を10匹ほど引き寄せている。広い公園で人との距離感は皆、疎なのだが、このおじさんは二倍以上もの疎を放っており、まっすぐ歩く健康人も手前からかなり大きく迂回している。 彦根から豊公園までは琵琶湖岸の道で、雄大な琵琶湖は左手の先に必ず存在している。湾曲する浜辺に沿って道もまた弧を描くので、歴史ある道なのでしょう。と、申しますのは豊公園から先は、地図の上では琵琶湖岸沿いを歩くのだが、左手の先に琵琶湖はなく豊な樹林なのである。それは開拓地を思わせる真っ直ぐな道からも想像がつくように、戦後の干拓の上に整備されたものである。それを物語るものとして右手の先には何箇所か○○内湖というものが存在している。琵琶湖の飛び地のような存在となってしまった、元琵琶湖の姿でもある。 話を左手に戻して、その先、50-100mには琵琶湖はあるのですが、干拓地と湖の緩衝地帯は開発の手から逃れ、葦が茂りそして土壌が豊かになるにつれ木々が茂り、もちろん、公園として整備されている個所も相当な割合なのだが、折り重なる木々の向こうに見る琵琶湖は明媚の主役をまるで北海道のような広大で美しい一直線の道に変えるのである。これから進む真っ直ぐな道もそうだが、東を見ると、これまた真っ直ぐな道が緑の中に伸びている。北海道との違いを言えば、かつては、あの辺りが浜辺であっただろうと思われるラインに見る古く堂々とした日本家屋の群れであろうか。 le 23 samedi //涼しい夏の日に// 台風六号が東にそれた途端、西高東低なのか寒気が大量に流れ込み、つい先日まで今年の酷暑は何日ぞ、、、と恨めしく先を想像していたのですが、どういうことでしょう、まるで冷夏のような涼しさです。 それは北からの向かい風なのに確かに後押ししてくれた。僕は今年二度目の彦根⇒木之本38kmエレガントウォーキングに、土曜日の4:20分、冷涼な琵琶湖岸の大気をまとい北へ向けて歩きだす。もう何度となく歩いたコース。地図を片手に昔でいえば「追分」にあたる分岐の箇所を不安に思うことなく立ち止まる必要もないのは、歩みを普段に増して軽やかにし、とても快適。 時折、パラパラと小雨を感じ、日の出前の朝というものは濃い雲の下にあるのは東の空が明瞭に物語る。でも、それは夏のウォーキングには幸いでもある。なにせ直射日光がもたらす体力消耗というのは、ウォーキングの充足感を達成したときにようやく味わえるだけであって、歩いている最中というのは、よほど明媚なところでもない限り苦行に近いものがある。 知恵は付くもので、日の出前にいかに距離を稼ぐかも、いわば反作用から生み出されたものであるのだ。 確かに日の出の時刻は過ぎたのだけれど、東から射す夏の太陽は濃い雲の中にあって、冴えない写真は仕方ないにしても、やはり体には心地良い。歩いている楽しさを、疲れないというのは心底感じ入るものなのだ。 何かを考える余裕というものが当然に産まれ、陶芸のデザイン。北ベトナム防衛網の対空ミサイル。色欲なこと、法外な欲に基づく贅沢な生活への妄想などなど、琵琶湖岸を歩いているのに、往時を偲んだり、見る地理に興味を覚えたり、やはりこれも何度目か故でしょう、全く頭に湧いてこないのです。六時五分前まではラジオも聞かず、波の音は聞こえるのに、これまた聞き流しているようである。ヒグラシは聞こえたのだが。 朝のNHKラジオというものはニュースや天気予報に接する第一義的な価値より、健全な朝を認証してくれているかのようで僕は好きなのだが、どうしたことか6:30からラジオを一時的に消すのは何年も前から自然とすることであり、僕はあのラジオ体操のケタタマシさは、健全な朝の情緒に反するものであると感覚的に拒否しているのです。 やはり、その間、波の音は聞こえるのに、聴き流している。 (つづく) le 22 vendredi //血の巡り// 灸をして思うのは、悪いところは熱さや痛みをなかなか感じない。 血の滞っているところ。そこを探し出し、灸をすえる。 爪楊枝で肩や腰の痛いところの【痛くないところ】を探し出し刺激を与えてください。 コリは解消しますよ。 もし脳内の血の巡りが悪くなっていたら、考えるだけでも恐ろしい。 頭に鍼や灸は無理でしょ。さてさてどうしますか。 まずは適度な運動。これで血の巡りを良くする。 ところが腹が減っては体も動かせぬ。 鬱な人には流し込ませてでも食べさせろと言います。 脳に栄養がいかないと活動が滞り、建設的なことが全く考えられないそうです。 le 21 jeudi //ネトウヨ遊び// 北朝鮮がアメリカや韓国に警告するとき、明日にでも戦争をするかのような大げさな表現を使う。ところが、待てど暮らせど何もしないところを彼等は突き、 誰かさんは、以下のようにまとめています。 一方の首に筋をつけた叫びが日本のネットでは笑い話に転化しているのが実に面白い。 無慈悲な鉄槌 無慈悲な懲罰 無慈悲に撃滅 無慈悲に粉砕 無慈悲な報復 無慈悲な報復打撃 無慈悲な対応措置 無慈悲な軍事的措置 無慈悲な軍事的打撃 全般的な戦線で無慈悲に対応 容赦ない攻撃 容赦なく撃墜 容赦なく処罰 容赦ない軍事的措置 全般的前線での容赦ない粉砕 際限の無い報復打撃 より恐ろしい懲罰 全戦線での全面的軍事打撃行動 再侵略戦争の砲声 報復聖戦 壊滅的な打撃 物理的打撃で鎮圧 予想を超える打撃 強力な物理的報復 戦争挑発の前奏曲 本当の戦争の味 未公開で最先端の世界的な打撃力量と安全保衛手段がある この世の誰も体験したことのない最も厳しい懲罰 先軍の銃でことごとく一掃 本当の戦争を見せる 絶対に無事ではなくなる 無慈悲な打撃で断固懲罰 物理的打撃は避けられない 無慈悲な電撃作戦 無慈悲な軍事攻撃 2次、3次の強力な物理的報復打撃 元首らの牙城を火の海に 無慈悲で激しい叱責によって裁く 容赦ない無慈悲な打撃 深刻な打撃を再現する事になる 第2、第3の、予想もつかない軍事的な打撃を加える 手段と方法を選ばず無慈悲に断行 le 20 mercredi //血の巡り// 久々のスポーツサロン。たっぷり汗をかくと、血流の流れは改善されるし、 酸素は脳に行く。するとモヤモヤしていたりなかなか決められなかったことに関しても 本能的な決断の可否をしてしまうのです。 瀬戸に行く。この週末、瀬戸に行き、瀬戸に泊まる。 朝一番で陶磁資料館。あるデザインが僕の脳裏に湧きだし、 たぶん取り付かれた様に作り出すのでしょう。 その後、瀬戸市内のホテルにチェックイン。 この週末にあることといえば、、、、 せとなつ。 赤津の集落では、夏まつりも。 le 19 mardi //無我夢中// 仕事。。。。 昼ごはん食べる時間もありませんでした。空腹を感じる暇もありませんでした。 ところが振り返ってみると、5年くらい前は、そんな日は珍しくなかった。 あのような無茶な働きはしなくなりましたが、 あの時は自分のことだけを考えていれば良かった。 そういう気楽さは今はない。 le 18 lundi //家でゴロゴロ&グースカ// ゴロゴロしているのに不意に襲う睡魔には勝てず 何時間も昼寝をする。 さてと三連休は総じて内向的だったので 次の週末は瀬戸で泊まりましょう。 土曜の陶芸のあと瀬戸に泊まり、なにかその瀬戸蔵でビアガーデンをやっているとか。 顔を出すのも良いでしょう。 狙っていたホテルが夏の一カ月ほど値引きなので、それも後押ししてくれます。 le 17 dimanche //今日も一日、、// NHK-FMではありませんよ、陶芸三昧。 どうやら鬼気迫る集中力でセコセコ作っているらしい。。。。。 そう言われましたが、アナタ?? 学生さん????とも言われたので さすがに見る目なしと判断せざるを得ないか。。。 家に戻ってからは自宅湯治。 濃い目の薬湯に棒灸も楽しむ。 le 16 samedi //立会// 工事の立ち合いで午前中がつぶれる。青空なのに。 陶芸で時間をつぶし、夜に飲みのお誘い。これは活き活きとした外出。 一般の赤提灯と女子大。 なんかこういう外出って良いです。 僕は年間を通して自分から誰かを誘うことはまずありません。 それが10年は続いているので、昨日の日記ではありませんが ほとんど単独行動。 たまには飲みに出かけないと、と思いを新たに。 le 15 vendredi //8月の第一週末を定点観測// 2002年 祖母と奈良県へドライブをしています。室生寺。 2003年 焼岳に登っています。 2004年 ウェスティン・ナゴヤキャッスルに泊まっています。7/31(土曜)-8/1(日曜) 2005年 また焼岳に登っています。 2006年 御岳山に登っています。 2007年 両日とも一歩も外に出ていないロシアの時計が二本届く。 2008年 御岳山に登っている。 2009年 両日とも一歩も外に出ず一円も使っていない。 2010年 御岳山に登っていた。7/31(土曜)-8/1(日曜) どうやら八月の第一週末はお盆の登山に備えて訓練山行しているみたい。 さて、今晩は二軒梯子して二軒とも立て替えている。 こういうこと日記に書きとめておくのだから 三連休を前にして忘れない決意、どケチだわ。。。 le 14 jeudi //小市民的どケチ発言// やはり陶芸の節約効果はあるのだと思う。 かなりどケチな発言ですが、今年は車検でガボーーーっと引き落とし。 ところが、そうであったはずなのに、あまり感じない。アレ?? そうだったの??って。 車検分の宝くじは当たっていませんので、 これは日々の倹約がクッション材になったと言うことができます。 では何が緩衝材だったかと言えば、やはり週末の楽しみを陶芸にして 出費が大幅に抑制された以外に見当たりません。 次の三連休、過去をさかのぼると、、、、 2010年は彦根⇒木之本間でエレガント・ウォーキングをしています。 どうやら日帰りですが、高速が当時は往復で2000円でも、ガソリン代が5000円だとして、 いろいろと買っています、10000円ほど。これで17000円。 陶芸に勤しんでいたら、どんなに高い粘土を買っても一日頑張ったとしても2500円もしません。高速を往復使ったとしても1000円でしょ。ガソリン代は300-400円。高く見積もっても4000円弱。 2009年は、、、ドライブしてアウトレットとかいろいろ。たぶん三日で20000円。 うーむ、09年も10年もパットしていないぞ!!! 2008年は、、、大白川。格安キャンプ場。。。 うむうむうむうむ。僕は三連休は毎年安価に過ごしているみたい。 たぶん、そういう緊張感が解ける普段の土日に散在するのだろうか??? それを陶芸がストップをかけるから、散財が抑制されているのか。 明日の日記は、もう少し過去の自分を分析しよう。。 le 13 mercredi //苦労を吐くな!!//と思うのは歳のせいでしょうか。 思うに、生きる折々に関して苦労や苦痛は降りかかるもの。 それを例えば不良行為で発散するとか暴力行為で吐くとか、アルコール、 ギャンブルで発散したとすれば、そのレベルの苦労は紛らわしただけで凌駕していません。 再びやってきたとき、また苦痛を感じて逃げに転じます。 苦労や苦痛の初期段階で忌避していれば、世の中は苦痛に満ち満ちることでしょう。 やはり一つづ自分で処理する能力は持つべきだと思う。 このレベルを処理できれば、再び襲ってももはや心的なストレスはない。 少しのことで病的な予防線を張り自己防衛するのは、避けることが最善の手段と彼は選択したのでしょう。それは一つの立派な答えですが、 問題処理能力の低い男として評価は付きまとう。 自分は守りたいものだが、その感覚が病的に鋭敏だと、本来は自分も一肌脱ぐべき立場でも何かと言い訳をしその場から逃げる。 そういう人間って、最後まで逃げきれるものなのかしら???? le 12 mardi //漠然とした不安は、確かな不安// たぶん何かを疎かにしているとか見落としているとか。 漠然とした不安を取り除くには、やはり心静かに思う時間を設けるべきなのです。 それを疲れたとか眠たいとか、言い訳ばかりしている。 その昔、地下鉄では毎日、その日の無事を願って祈りながら通ったものです。 いつしか慢心になり、それもなし。 ここのところ漠然とした不安を感じる。 それをも凌駕する精神的な統一や確信を持てていないから いつまでたっても消えないのです。 落ち着いた時間を持たなきゃ。 le 11 lundi //次は三連休// なんか特別な予定もなくその日を迎えそう。 と、申しますのは、大平で作陶できなかったでしょ、、、だから三連休に行くとしたら ダイナミックな行動に出れない。。。 それなら素直にあきらめてって言う路線になりそうで、、 le 9 samedi et 10 dimanche //夏の空// 2011年の大平も無事に終了。 今年は12名。とても楽しい時間を共有でき、子供の頃の夏休みではないけれど まるで新学期を前に休みの入りをつい今しがた踏んだと思う、その錯覚にとらわれています。 心の底から楽しく過ごせました。土曜日の11時の飯田イオンが今しがたのことに思えてなりません。 夏の空がとても印象的です。大平は六回目ですが、見事なの夏空の色は何回目でしょうか。 失敗や挫折は根拠のない自信や盲信によって引き起こされる。
日々傲慢が故、それがもとで挫折する。 そこに心静かな祈りが私を救うのですが これには根拠はあるのです。 |
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