令和6年7月juillet.2024

le 31 mercredi 水曜日
//新窯搬入//大小の電気窯。共に還元対応なので釉薬の世界が倍に広がりました。美しい青磁のテクニックは獲得したい。辰砂の赤色も表現したい。
ただ還元は電熱線を痛めるので、還元に関しては無限の実験は控えて、確実な技術を3-4、我がものにしたいです。

今朝方、妙な夢を見た。若い女性が二人、顔だけ。見知らぬ人。だけど話す方は決まっていて、彼女は黙っている人より4歳年上で94歳とか言っている。なんとなく曽祖母の若い頃なのかしら??と思ったり。


le 30 mardi 火曜日
//新工房へ//明日は午前中に受け入れがあるので万が一に備える意味でも前日入り。
毎日一度のエレガント・ウォーキングは朝に行ったのですが、夕方の方が心地良いと判明。13:30に自宅を出る。3か所ほどで予想外の渋滞。


le 29 lundi 月曜日
//美しい//暑いはずなのに乾いた風が強く吹いて心地良い。夕方、大きな公園をエレガント・ウォーキング。空は青くて太陽は燦燦と輝く。35度を遥かに超えるのだが、暑いと大気が膨張し結果として乾燥すると思うのだが、32-3度とかにありがちな湿気を全く感じない。それで風が強く吹く。カリフォルニアの大気構成に似ていると思う。

本日は久々に本焼き。窯出しは31日になります。


le 28 dimanche 日曜日
//暑いけど//涼しい風。本日は午後から乾いた風が吹き流れる。気温も35度を越えてくると空気の体積も膨張するのか、湿度が下がってきます。南風でも乾いた風。よって日陰に居ると風に勢いがあるので案外涼しいのだ。

本日は暑い街、多治見へ。展示を二軒見て回りました。
あまりに暑いので本焼きを見合わせていましたが、頑張る人の多きことを知ると、じっとするわけにもいかないので明日は朝から施釉とします。


le 27 samedi 土曜日
//相生山から//夜、つま先ウォーキングに出掛けました。池の向こうは山でして相生山。この相生山の範囲が大きくて、昭和の始めとかもっと細かな呼び名もあったのでしょう。豊田工大から西に500mほど、相生山団地と呼ばれる区画の公園から盆踊りの音が聞こえる。普段は全くご縁の無い方角ですが、祭囃子に誘われて山を登ると人混みでした。今では珍しい子供もたくさん。

本日は昨日購入した古書の中から一つを選びました。この本が圧倒的で大正4年の御大典記念。つまり大正天皇即位を記念した豪華本(二冊組) 天皇陛下を圧倒的な存在として、その即位を奉祝したのは大正天皇と昭和天皇のみだと考えます。明治天皇も存在は偉大でしたが即位の頃は政権の移行期であって、国民こぞっての奉祝は無かったと考えています。平成や令和に至っては新憲法下で質素に移行せざるを得ない。

この二冊の本は明治期に活躍した偉人の伝記。19名が収録されており上巻の最後には福沢諭吉、下巻の最後には渋沢栄一。後年、共に一万円札に登場ですから、やはり相応しい偉業の持ち主なのでしょう。登場人物の全てが人生の途中まで江戸時代。この変化も面白いです。島崎藤村の『夜明け前』が市井の記述とするのなら、この二冊はその時代を動かしていた人の記録。



le 26 vendredi 金曜日
//ヤルキー学園//本日は都市生活者。地下鉄を利用して文化的な一日。瀬戸で頑張っている人たちの作品展を見に行きました。懐かしい再会もあって、ずっと話していました。大成功を納める人というのは、純粋さと情熱があって、なおかつ驕り高ぶらず大言壮語もしない人。結果的に周囲が成功者と賛辞を送るのであって、当の本人は全くそのそぶりもないし、きっと一人でいる時も同じでありましょう。

付き合いとはいえ、今年もたくさん買いましたが、その帰りも恒例行事で古書店巡り。消費者の一日でした。私にとっては活き活きとしたお金の使い方。こういう行動がもっと大胆にできるよう、頑張る同志の姿の一団に加われるよう、私も純粋な心を忘れず邁進しましょう。


le 25 jeudi 木曜日
//本当に作りたい形//それが全く変わっていない。陶芸歴は13年を経過しました。2011年2月の終わりの日記から今に至るまで、人生の全てを陶芸に傾注。陶芸開始から2か月くらい経過したころに重箱みたいなものを作っています。この感覚が今でも脈々と流れている。

13年経過し、この間、自宅に工房を構え、退職し、専門教育を受け、陶芸作品を売りだし、さらに大きな工房を構えようとしているのですが、作りたい形が一貫している。この感覚こそ、私に宿る陶芸家の魂そのものだと信じています。彼と対立することもなければ違和感も感じない、信頼できる
存在が内にあって楽しく過ごし、今度は私の肉体でもって更なる高みへと邁進しています。

その彼ですが、一人なのか複数なのか、その辺りは分かりませんし気にもしていませんが、同志というのか、いやいや私は私の肉体を使って陶芸をしていますが、この才覚は天啓であって大いなる何かによって、ただ私は動いているだけというのが正直なところです。


le 24 mercredi 水曜日 
//ズレとる!!!//何か不調和を感じる。陶芸への思いが、邪になったのか?? なにかその思いと行動が一致しない。

こういう感覚はたまにあります。ただ陶芸に関して邪な思いを抱くことは無いので、先程の表現は的が外れていますが、思いが散漫になっているのかもしれません。それか、何かしら大きく変わっていくだろう前段階のソワソワ。

造形に関しては計画というものはありません。最善は導かれるようにと思っています。その導きで作り出した造形には大いなる意味があると信じています。今回、それが顕著に表れ今までには無い作品群。誰かに求められて作ったわけでもなく、ただただ導かれるように。

心しなければならないのは、違和感や不調和を感じることが怠惰の理由であってはならない。この世に命を頂き、50を前に陶芸で生きる道が与えられ、それに邁進できる喜びを日々実感しています。暑いからと言って、怠惰になってはならない。しっくりこないからと言って怠惰が許されることもない。そもそも私にとって、怠惰になるという選択は消滅したのだから、不調和を感じても凸凹道であっても私は前進しなければならない。

その前進に瞑想は含まれますので、適宜取り入れ脳の安息と再生を促しましょう。することないからスマホゲームとか、そんな行動に出ようものなら切腹ものです。


le 23 mardi 火曜日
//名古屋一号窯集大成//まもなく素焼です。今回は香炉や飾筥など美術工芸品に集中しました。これが名古屋でする最後の本焼きになるのかもしれません。

//色、もしくは濃淡//暑い中の作陶で頭に思い浮かんだことを記します。点を一次元、線を二次元、高さを三次元と言いますが、こういう考えがあるのではと。

三次元の世界でも、まったく色の変化がなく、例えば白だけで、濃淡さえない。立体構造なのに白ののっぺらぼう。これは1次元ではないのかと!!!
 次に、この白の世界に濃淡、もしくは陰がある場合、これが二次元。三次元は、一気に他の色彩の入る世界。

どんなに複雑でも、全てが一つの色であって濃淡もなければ陰もない。結局、これは暗いトンネルを出た直後に、眩しくて何も把握できない一瞬の光景と同じで、そこには濃淡もなければ影もなく、次元の最も低き世界の姿。


le 22 lundi 月曜日
//宝石のようなスモモちゃん//これがまた甘くて瑞々しい。ありがとうございます!!

連日の猛暑。人間の自然的対応なのか、昼食後、睡魔に襲われる。この最も非人間的気温の時間には寝てやり過ごせとのサインだと思うのです。ただ冷房の中なのでイマイチ説得力が無いのですが。

明日は朝から工房の掃除をしまして磁器土の替えての作業です。


le 21 dimanche 日曜日
//信州お野菜特別便//今日も暑い一日でした。夜、今夏初の信州お野菜特別便が!!!お花も果物も。明日、味わってみますね。いつもありがとうございます。スモモ楽しみ!!

毎回、沢山お喋りをするのですが、教養番組のようで帰宅する時には2-3頭が良くなっているのです。寄生虫の知識など、三重県でも活かさなくては。


le 20 samedi 土曜日
//体幹を鍛えよ//島根帰り以降、毎日行っているのは、つま先1kmウォーキング。それもヒールの高い靴を履いているかのように、角度の高いつま先歩き。

長々と歩く時間もジムに行く時間もないので、この方法に行き着いたのですが、これが体幹を鍛えるには素晴らしいと実感しています。1k歩くに地面に設置している箇所が足全体ではなく5本指の面積だけ。これで移動しているのでバランスを取るために丹田当たりに力を無意識に入れています。
もちろん第二の脳と言われる脹脛にも筋肉が付きます。

ただ陶芸家は何時間も座る職業なので下半身の劣化、が付きまとう。人間の寿命は下半身の筋肉量に比例すると思っているので、つま先1kmでは、まだまだ心もとないのが正直なところ。


le 19 vendredi 金曜日
//任せる方向性//この前の旅行が終わってから、美術工芸の作品ばかり作っています。このようなものを連日作る気持ちで名古屋に戻ったわけでもなく、頭にあったのは天目茶碗。

ところが前はスラスラ作れたものの、ちっとも捗りません。こうなると何を作って良いのか霧の中に居るような。。。ただ、天目茶碗ではない別なるものであると、これは確かです。冴えない気持ちで、飾り筥を一個作りましたが、翌日からこの方向性に火が付き本日も。

それは今作るべきだと思いまして、ただただ作っているのです。

最近柔軟性が増したというのか、「するべきでない」時は失敗するものであって、「するべき」時はスラスラ進むものと、波に乗っていると実感する場合、それに素直に従っています。行動も体験も閃きであっても、それが出現する理由があってのことで、流れを感じ始めたら逆らうことは止めました。


le 18 jeudi 木曜日
//大なるものの果ての姿は、小さきもの//だいぶと前、夢の中か思い付きか、広大な宇宙も行きつくと小さくなる!!と、何か説明できる閃きがあったのですが、ものの見事に忘れる。思い出そうとしても全く叶わず。ところが、本日、また閃きがありましたので書き残します。ただし、これが忘れた内容と同じなのか判断できません。

光速で宇宙の果てに行けば行くほど、益々大きくなる。光速で進む限り宇宙は果てしなく大きいと実感せざるを得ない。

ところが光速以上の速さを獲得した時、加速して光速と同じ速さまでは、大きさも進み具合も実感も光速と同じ。さて、どんどん加速して光速以上で移動したとなると、我々光速観測者にとっては、光速以上の宇宙は広大さが広がるというより、速くなれば速くなるほど縮小して引き寄せられて光速観測者に認識される。
つまり、光速で進めば宇宙は果てしなく広大だけど、光速限界点を突破したら、それより先の領域は速ければ速いほど縮小して我々に認識される。

量子力学で、一方に刺激を与えれば他方は宇宙の果てにあっても瞬時に反応すると言われていますが、もちろん光速以上です。では、縮小された宇宙の全体図はどこまで縮小されたかというと、それは観測者の脳内。神経の繋がりが宇宙に似ているといわれますが、ここに帰結するのではなかろうか!??と思ったわけです。

もし、人類が
瞬時に
宇宙の最果てに到達できたとするなら、宇宙の全ては観測者個人の脳内にあるのかと。そして全てを認識する存在となる。


le 17 mercredi 水曜日
//後妻さん//メダカちゃん。奥さん亡くなってお父さんが一匹残される。人が変わったかのように、まるでバイデン大統領みたいに動かなくなる。余りに可哀そうだから三匹購入したら元気を取り戻す。ところが早々に一匹がお亡くなり。残る二匹のうち一匹も亡くなる。今、お父さんは後妻さんと二人だけで仲良く過ごしています。と、申しますのは後妻さん、お腹に卵を抱えています。

さて、お父さんに数々の疑惑があるのです、前回も一匹亡くなりまた一匹と最終的には前妻と二人だけ。このお父さん、奥さん以外は目ざわりで、殺メダカ容疑があるのですよ。追いかけまわす光景を何度も目撃しました。

一方、子供の国は午前も午後も出席取りました七匹全員元気です。

本日は午前中にファッションセンターに行きました。ここ何年も衣料品はワークウーマンかファッションセンターだけです。


le 16 mardi 火曜日
//明日は//本日の作陶は冴えませんでした。まだ作る上で迷いがあります。次の窯は美術工芸に特化すると決断して、散漫にならず作陶に邁進しましょう。

今日も子供の国を観察しました。7匹元気に泳いでいます。

さて、円安が進むと私の中で流れるテーマソングがあります。

アメリカが憧れの国になる。
今日は何が言いたいかというと美術工芸に欠かせない金の価格。暴騰です。
金を使うから豪華になるのに、高過ぎて手が出ない。仮に使えたとしても細く薄く寒々としたものに。ですが、このような時代は何処かで予見していて、だからこそ飽きもせず金結晶の釉薬を開発していました。幸いにこの領域は完成したと思ったのですが、さらに研究を進めます。金は使えないけれど、金と見紛うほどの輝きを贅沢に表現するために、数種の金表現が出来るように。


le 15 lundi 月曜日
//7匹//本日も子供の国を観察。何度数えても7匹なのです。最も幼い一匹がお陀仏になったみたい。 残る七匹は線香花火の先端のように太くなり元気で泳いでいます。

//農業と芸術//
根から水分や養分、葉から太陽を浴びて、立派な作物を産み出す。
粘土や鉱物を調合して熱の力を借りて、立派な作品を生み出す。

本日も作陶に専念。インスタには沢山写真を挙げていますが、私が作ったのではなく、私は寄せ集めたに過ぎないと思うことが多くなりました。粘土の粒子や鉱物や金属の、どういう配合で寄せ集めるのかが人間の役割で、窯出しして見事な作品を見る時に、この工程に私は関与していない。

立派な作物を作る農民と私に共に求められることは、限られた関与の枠内で如何に真心を込めるかなのだろう。「することをすれば」あとは立派な姿形にしてくれる。

そして更に不思議なのは、立派な作物や造形でも、それは前の物質が組み替えられて別物になっただけ。私は創造するが、神様のように天地創造をするのではなく、現実に存在する物質を組み替えるだけ。この新たな物質も、いづれ砕けて粉状になって、または強い圧力や熱、紫外線で分解されて別の存在になっていく。

//水と命//水の循環を考えると、絶えず移り変わり姿を変えたりもしながら、また空から雨として降って来る。水に命があるとするのなら、輪廻転生は目の前で繰り広げられている。ですが死後の世界は存在せず、瞬時に姿を変えて、新しく動き回る。

つまり、この世に存在する全ての物は、何かしらの物質が集って新しい姿になっただけで、これさえも別なる形状に時間差はあるにせよ例外なく変化している。人の命など、流れる川から救い上げる水のようなもので、仮に私が死んだとしても、魂は休む暇なく別なる姿形になるのだろう。

//求められることは、変わること//世の常が変わることであるとするなら、それに恐れていても意味がない。変遷を楽しむ心意気、存分に変遷し良き姿へと変わっていく。夢や目標は【どう変わるか】であるべきなのだろう。生きるということは変わること。命果てるまで変わっていくこと。

こう考えると、例えば月の表面は変化もない動き無き世界ですが、地球に産まれたという事は、全ての存在が慌ただしく縦横無尽に動いていて、留まることが不自然で、その選択肢は与えられていない。動き回ることが宿命で、どう動き回るかを選べ!!ということなのでしょう。変遷の質。これが命の質とするのなら、私は人生の前半で溜め込んでいました。

//今思ったこと//例えば地球に隕石が衝突して大爆発。この音響がすさまじく、人間全てが例外なく難聴になる。全く聞こえなくなる。全ての人が筆談の世界になるのでしょうか??
私は思う。この時に人類は念で意思の疎通が可能になると。テレパシーですね。

ある時を境に全ての人の聴力が無くなったら、テレパシーは案外早く人間の能力になるのではないでしょうか?? 文字や言葉があるから、それに頼るのであって、この二つが無ければ人間は新たな交信の手段を探すでしょう。これが【念力】になると、今思ったわけです。



le 14 dimanche 日曜日
//昔の話じゃない!!//世の中三連休。前職の頃は何してこの三連休を過ごしていたかと2021年の7月の日記を読んだのですが、あれま!!!2020年に遡らないと前職時代に到達できません。ずいぶん昔の話になりました。

本日は香炉を二つ作りましたが、制作は鈍化していて、なにかその湧いてくる創作の衝動が無いのです。全てに関してやる気がないかと言ったらウソでありまして、子供の国の観察は昨日にも増して。


le 13 samedi 土曜日
//新工房往復//帰宅後、真っ先に子供ランドの様子を見る。それから何度もメダカちゃんの観察。何でこんなに飽きないのでしょうか??昨日に引き続き8匹泳いでいました。成長と共に泳ぎも早くて、8匹数えるのが難易度高くなる。

今年はまた不思議なことが起きるでしょう。
今は陶芸と言えば名古屋で作るものと身体に染みついていますが、今年のどこかで三重県で作っている自分の不思議さを実感するはず。でも、それを始めない限りは名古屋100%なので、今は不思議さの片鱗もない。オセロのようで、変化するまでは変化しない。

因みに津市街で久居方面に分岐する交差点は【大倉】になります。


le 12 vendredi 金曜日
//8匹目//毎日何度もメダカちゃんを観察しています。子供ランドの方ですが、一匹孵化したみたいで、殆ど透明な小さな赤ちゃんを発見。考えてみたら、孵化しても誰の保護下でもなく、赤ちゃんなのに一人で生きている。メダカちゃん、立派です。

本日は夕方から雨が上がる。続く湿気のため轆轤の上の作品を動かすことが出来ず、全く土に触れない一日でした。こういう時は意匠でも考えるのですが、今回は考えるというより頭に浮かぶ、そういう使い方で挑みました。  ああ、成程、これを作りたかったのね!!と新工房での制作が楽しみになります。


le 11 jeudi 木曜日
//収支合う//今日から制作開始です。つま先歩きも再開。お通じは全開。

旅の途上、私の身に変わったことと言ったら、某美術展に入選の知らせ。某クラフトフェアに当選の知らせ。

久しく朝の瞑想も途絶えていたから再開しましょう。起きる時間も早くして。メダカちゃんは三匹が二匹になっていました。生き残りと、妻に迎えた一匹です。孵化した赤ちゃんは、7匹しか生き残れませんでした。待てばさらに孵化するのであれば良いのですが、見込みは薄いので、7匹は何としてでも大人になって欲しい。


le 10 mercredi 水曜日
//阪神巨人の阪神//旅も最後の朝を迎えます。宿の朝食は素晴らしかったです。なかなか秀逸な宿選び。今までは、この三泊目が無く湯抱から名古屋に戻ったのでしたから、夫妻には本当にご負担をおかけしていました。

帰りの道の駅で、家族旅行と思われる阪神さんに会いました。握手して頂けました。この道の駅も、以前、お得な農産物に感動したのを覚えていてくれて、寄って下さる心の使いよう。ありがとうございます。聞けば、この三日目があるから、移動時間にして4時間短縮できたそうです。

16時30分過ぎに帰宅。うむ、これからは旅の基本単位は三泊四日ですね!!

毎回、素晴らしい旅行をありがとうございます。年に一度の事とは言え、別なる時間軸に身を任せ、平素の疲れを癒すことが出来ました。私の人生の味わいの相当部分が交通社夫妻のご旅行が由来になります。

山のように買ったお土産など家の中に入れたとたん、お通じが。それでも収支が合いません、


le 9 mardi 火曜日
//かつ江さん//本日は隣の県ではありますが、鳥取県も東端の鳥取市。懸念した大雨は、道中、所々で。鳥取市に着いた時には地方都市散策も出来ました。地図で見る鳥取城は市街にあって、平山城だと思っていましたが岐阜城みたいな山城でした。その鳥取城での史実を元に作成された「かつ江さん」のゆるキャラ商品を百貨店や物産館にまで足を延ばして探したのですが、見つからず。それもそのはずで、鳥取市としては隠したい史実であるのでしょう。発禁処分扱いなのですね!

夕食は市内の小料理屋で頂く粋な計らい。ただ続く暴飲暴食で、あまり食べれなかったのが残念でした。大火あった鳥取でしたが、なんか京都みたいな感じの街を歩く。


le 8 lundi 月曜日
//U子ママから湯抱//朝、宿代を払う。U子ママ、「お酒代はサービスしとくわね」と、これも正直気に書かないとね。

本日は、粋な計らいで大田の和菓子屋さんにも。前回の島根で偶然食した和菓子の感動を覚えてくれてコースに組み込んでくれるという、交通社夫妻だからこそ可能な旅路。

夏の湯抱。何度も泊まる宿ですが新鮮でした。この宿は湯の素晴らしさと並んで食事も立派。刺身が新鮮な輝きで眩しかったです。昨日も今日も暑かったのですが、明日は梅雨前線が南下するとの予報。気分よくダラダラして夜を過ごす。


le 7 dimanche 日曜日
//U子ママ//日曜日の朝から出発する交通社夫妻との温泉旅行。今回は一泊多い三泊四日。初日は岡山の某宿泊施設に泊ったのですが、これが心に響く宿で、宿泊業の心得がまるで皆無な場末のスナックの元ママが一人で経営するお宿。推定年齢は70代で、白髪が一本もない油じみた黒髪は長い長い聖子ちゃんカットでミニスカート、そして、だらしない上着。挨拶とかの教養が払底している彼女の日本語は、部屋に入ってきた最初の挨拶が、「U子ママです」 そんなけ。

ご本人は5月の連休から身体を壊して、何も出来ないの、と何度か言う。それは正直な発言で案内された部屋は埃っぽかったりカビ臭かったり、ガラス扉の向こうにはゴミが大きな透明ビニール袋に押し込まれていて、久しくそのままの雰囲気。

怪しいなと思ったのです。15時にチェックインする予約で15:01には、「今どこにいる」との電話。

温泉宿なのに、タオルが無くて、どこにありますか??と聞けば、お風呂場にあるとの返事。それは宿名が印刷されたタオルでもなく、どこの家庭にでもあるタオルを無造作に置いただけで、そのかわり彩は多様でした。一方、無色透明で掛流しの温泉。ところが湯の華が広がっていて、不思議だわ!?と感想を述べあう。プラスチック製の浴槽も珍しく、色々と珍しい宿に来たものだと、旅の疲れを癒す。

夕食は、U子ママの手作り。この人は、その手料理でスナックの客をもてなしていたのかと思う、多彩な食卓。ですが刺身は新鮮ではなく、私のではありませんが、煮魚には、髪の毛が二本入っていたそうです。

では、どうして、この宿にしたかというと、いつも混み合う源泉掛け流しの共同浴場があって、空いた時間を狙うなら、温泉街で唯一経営しているこの宿に泊まる必要があったからです。
その共同温泉の湯は、足元湧出で素晴らしいの一言。宿の湯にはあった湯の華はなく、噂通り、この湯目当てのお客も多い。ぬるい湯で無色透明なのに不思議と体が温まる力のある、お湯。昔の殿様も浸かったという由緒ある温泉。こういう辿り着くのに難易度の高い温泉に色々と案内してくれる交通社夫妻の知識の深さには、いつも感謝しています。

さて共同浴場から宿は近くて下駄を鳴らしながらと言いたいのですが、そういうものではないビニール製。そこに宿の名前が黒マジックで、細いインクを何度もなぞらせ太文字にしたのですが、書いてある。線をずらし乍ら太字にしたのではなく、Zを重ねる感じで作った太文字。こういう感覚が宿に溢れていると書けば、本日の日記も短く済んだのでしょうが、この初日の衝撃は、きっとこれからも続く温泉宿巡りであっても最上位かと思われるので詳述するところであります。

いつでもお風呂に入れますからと聞いたものの、外湯から帰ってきた私たちを見て、もうお風呂に入らないわね、電源落しましたから。と、その事実を告げる。そしてママは、今日は疲れたでしょ、早く寝るに限ると、何度も就寝を進める。まだ20時過ぎですよ!!


le 6 samedi 土曜日
//素敵な笑顔//某施設の所長さんになっている大学時代の友人の写真をみました。卒業後から転職することなくその道を極めた彼。白髪頭のその人は、最初、同姓同名の別人かと思いましたが、ややや、別人ではなかった。素敵な笑顔。本当に素敵でした。
 私もいつか、写真付きで紹介される頃、果たして旧知の方々は、どう思われるのでしょうか??年相応になったとしても、笑顔の素敵な人物でありたい。

本日は午前中に多治見へ。今日はノンビリ過ごしたかったのですが、急ぎ名古屋に戻って緑郵便局で手続きを。

いつものことですが毎日何度もメダカちゃんを見ています。特に孵化したメダカちゃんは10日もしたら、目に見えるくらいの大きさになるのかしら??楽しみで仕方ない。


le 5 vendredi 金曜日
//猛暑日になると//少し前、雨の降り続くころ、気温は30度くらいで、【ここ●え】を使用。気化熱を利用する冷風扇なのですが、全くダメで、更に湿度が上昇するだけ。冷たい風も感じられない。
ところが猛暑日になると、気化熱も盛んになり7度くらい冷たい風を送風する。部屋全体の冷房は無理なので、窓を開けての使用ですが、【ここひ●】を体に当て、さらに扇風機も当てる使用にすると、動かなければ、なんとか使えそう。

メダカちゃん。四匹だったのが3匹に。生き残りのバイデンが復活して、お気に入りを見つける。で、それ以外を追いかけたりしているのね。今日も飽きもせずメダカの観察。

この前の三重県ではキンメダイの干物を格安で購入。それも三重県産のキンメダイ。この魚を見て、今は社長になっている彼の好物だと思い出しました。このお得情報をメールしようかと思いましたが、彼も一生懸命働いている中で、趣味の道を選んだ私のメールは、ひょっとして嫌がらせ?かもと思い躊躇する。使用する側される側の関係から脱した今の方が、良好になれるかもと思ったりもするのですが。私が有名になって、何かの展示会とかで遭遇した時にでも、干物の話は致しましょう。


le 4 jeudi 木曜日
//300kg//本日は新工房往復。昨日購入した粘土300kgも、そのまま三重県へ。

死んでしまった母親メダカちゃんの置き土産、卵。先日、これを別の水槽に移し替えました。というのも、成魚は稚魚を食べると聞いたので緊急避難です。新工房から帰って新しい水槽を見ると、透明な小さな稚魚が10匹ほど泳いでいます。人口爆発ではありませんが賑やかになったら、新工房にもお引越しかな。

私は昔から庭の動き回る蟻を飽きもせず眺める子供でした。その癖は今でもメダカを見る目に継がれています。全く飽きません。眺めれば眺める程、法則というかルールみたいなもの、習性みたいなものが読み取れる。


le 3 mercredi 水曜日
//変化//相撲の技に一つ。変化には思い出があって、前職の頃、仲の良い先輩と喫茶店から会社に戻る途中、まっ直ぐ歩いていた私が急に変な方向に歩いて、「変化!!」と笑いながら午後の仕事へ。あの頃の日記を読み返すと、変化とは名ばかりで変化しない日常の継続を強く願っていました。詳しく書くと、陶芸以前の若い頃に、この思いは顕著でありました。それから陶芸を始めてからは、心のどこかに、今みたいな生活を願っていた半面、現実としての日常もこれまた強く願っていました。そして今の私が居るのです。

7/1の日記にも書きましたが、これから私は命尽きるまで大いに変化を受け入れようと思います。人生の前半は、何かに怯えていて、安心は今の継続と、変わらないことに執心していたのですが、この空白の時代を埋めるべく、果敢に若者もビックリなくらいに変わっていきます。

本日は原料調達東農ドライブ。道中、7/1の、変換は責務なる内容を一人考えていました。
例えば月は生命が存在しないので、変換量は0か微小域。
その対極に地球があるのですが、人間以外は、変換作業は命ある限りパターンが決まっている。動物は生命を維持するために捕食して排泄。それと生殖。植物も種子を残す一連の作業以外はなにもやらない。
そして前半の私は、動物とほぼ同じで(生殖もなく)食べて排泄するだけの存在でした。それを末永く願っていたのも事実でありました。

ようやく命の使い道というか、人間として産まれた意味というのか、私の命の在り方を知ることが出来まして、遅れた半面、これからは、新工房が出来たとしても「仮の姿」と思って、飛躍のためには変化を選んでいきます。

この世に存在するというのは、この肉体(頭脳)を使って、命許される期間の内に、如何に多くの物質を別なるものに変えていくか。万物流転の共同作業者に、どれだけ積極的に関与できるかであると思う。

地球に存在する意味は、変換作業。人間として生きる意味は、動植物には無い、高次なる変換の実践者。命尽きるまで、この作業はあり続けて自然であると思う。砂漠を緑化する変換も温暖化ガスを回収する活動も、虐待された子供たちの心を復活させる福祉活動も、高次なる変換。竹細工でも農林水産業でも、海洋ゴミの回収でも、人間は万物流転の共同作業者なのだ。それは定年でもって終わるのではなく、命あるかぎり、万物流転の作業者であるからこそ、別の意味で言うなら生きていて不自然ではない。

次に、この資本主義社会で生きていくと、変換の結果、それが金銭に生まれ変わる。(私を例にするなら、粘土から素焼。各種鉱物と金属からは釉薬。これを用いて作品に変換) 貯蓄とは、借金してまで買うことを避けるための、金銭ダムで目標額に達したら放出するのが、金銭を別なる姿に変換させる、これまた本来の姿だと思う。 貯蓄が最終目標になってしまうと、万物流転の共同作業者ではない。片や素晴らしい創造をしているのに、一方では最終貯蓄者。これでは全体が沈下していくと思う。

当り前だと言えば当り前で、既に実践している人も多いのでしょうが、私は最近、頭に湧いてきて認識できたことなのです。


le 2 mardi 火曜日
//感情あるメダカちゃん//以前は5匹いたメダカが2匹になる。これが仲の良い夫婦でいつも一緒に泳ぎ回る。二匹でも仲が良いならこのままにしようかと。産卵も度々。ところが数日前からお母ちゃんが居なくなりました。父ちゃん一匹。前は仲良くすいすい泳いでいたのに、急にバイデン大統領のように動かなくなったり、ボーーとしていたり。余りの変わりように可哀そうになってきます。待てども待てどもバイデン大統領で、本日、新たに三匹購入して放流しました。すると、劇的な変化が。悲しい気持ちが消えたのでしょうね。みんなで仲良く泳ぎ回るのです。活動量も以前と同じ水準に。


le 1er lundi 月曜日
//万物は流転する//全くその通りだと思います。釉薬の実験を繰り返すと、時に新しい調合を発見するわけですが、ここに世の中の理が隠されています。

無から有が生まれるわけでもなく、有の組み換えによって新しき何かが誕生する。全く宝飾品のような釉薬を発見したとしても、何かの組み合わせの頃合いの変化で生まれたもの。念仏を唱えて、新しきモノを突然生み出したわけでもない。

何かが朽ちて土に還ったとしても、それは物質の変化。別なる何かに変わっただけ。全ては別なる何かから今の姿形になり、命ある限り地球上の物質を別なる何かに変え続け、最終的には自らの存在も別なる何かに変えて、この肉体の終焉を宣言する。つまり、この世に存在するというのは、この肉体(頭脳)を使って、命許される期間の内に、如何に多くの物質を別なるものに変えていくか。万物流転の共同作業者に、どれだけ積極的に関与できるかであると思う。

生きているということは、変換の作業量。地球は生命の星でありますが、まさに地球上で行われている変換量は膨大で、それは月を考えるなら一目瞭然。地球に存在するということは、変換は責務である。

教師は、その教えでもって子供たちを成長させ、より良い変換者に。画家は絵筆と絵具から絵画を生み出し、更には見る者の心に訴えかけることさえ可能です。声楽家やアスリートは、発せられる音波や身体能力の披露でもって人の心に感動を呼び起こす。

こう書いていますと以前の私を思ってしまいます。あの頃、常に何かに怯えていて変わらないことが最上の喜びと、この日記にも度々書いていました。あの頃の私は摂取した食物を排せつ物に変換する程度の微々たる作業量。人間として存在できたのに最下層の変換者でした。その時間があまりにも長く流れていたのも事実でありますし、その土台の上で今の私が存在しています。この前時代の事実を善きに変換させるなら、これより同じ轍は踏まないと高らかに宣言することです。

今後、私の作品は、お金に変換されます。心することは、変換を断ち切って仕舞わぬように。将来の不安から、せっかく変換できたのに、お金をお金のままにしていたなら、あの轍を踏んだことになります。私はこれからも作り続ける。それはお金に変わるのだが、そのお金は有難い思いと共に別なる何かに変換させていきます。この流れを断ち切ったなら、私は泡沫陶芸家で終わるのだろう。命ある限り、流転の、変換量の大なる存在として生きていくのだ。


 
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