juin.2008 le 30 lundi //奴さえいなければ、、、、// まったく同じ発想の持ち主が二人いて笑ってしまった。そんな二人も互いは仲良くない。今は冷や飯を食っているけれど奴さえいなければ返り咲く!と信じているようですが、そんな二人を煙たく思うのは「奴」だけではない。奴が居なくなっても、奴に代わるものが二人を依然として煙たく思うのは必定。二人して、それに気づいていないので、なんだか可笑しくて笑えてしまう。 制裁を蒙るほど嫌われるという事実は、一対一の問題ではなく、須らく対人関係の全般に及ぶと思う。強烈な嫌悪があるとするなら、中小の嫌悪は散在していると思っても間違いは無いのだろうか?? 八方美人という言葉は、時として嫌な性格に例えられたりもしますが、組織で生きる場合、それは必要だと思うし、組織で生きているのに、未だ八方美人を問題視するのは術として難があると思う。 le 29 dimanche //雨の伊那路// 雨の153号線を利用して名古屋まで。 毒沢で泊まるときも、伊那から帰る時も、日曜の10時ごろは車を名古屋に向けて走らせているころ。日曜午前、1098khzの信越放送を聴くのが好きです。 今年は、ヒグラシの音と、トンビの音をデジタル録音機に収録したいです。 多チャンネル時代ですが、時として何も選択したくない場合があります。それは興味が湧かないのでしょうが、おそらくは脳の疲労が原因かもしれません。そういう時、名古屋にいてすばらしい自然の音をボーっと聞くのは、何と贅沢な選択肢でしょう。 旅の行き先を色々と取り揃え、そのときの需要にこたえる。それが旅先ではなく、あらゆることに対応できる深さや豊かさを身につけたいものです。 le 28 samedi //皆様のウーマン旅行社// 木曽路を巡って権兵衛トンネル、伊那に抜けます。 柿其渓谷と、そこで食べた岩魚ラーメン。 木曽福島では地蔵峠と唐沢の滝。そして二本木温泉。 伊那で過ごす週末。いづれ特別頁です。 le 27 vendredi //甘み// 我が家は母上が命をかけて家庭菜園に精を出している。毎日の食卓に上る野菜のほとんどが自家製。 穀物はイモ類の収穫があります。もちろんそれで生き抜くほどのカロリーはありませんが、何かの足しです。 さて、世の中の食料がもっと逼迫したら家庭菜園も趣味の域ではなく家計防衛に転じるでしょう。 ところで考えるのは、糖分。乳製品が無くなると洋菓子はダメでも、和菓子は作れる。ところが砂糖が無くなれば菓子の全てが頓挫する。 家庭菜園レベルで糖分の摂取を考えるのですが、頭の体操で楽しい。 その糖分は、人に甘美なるひと時を与えるのであって、胃袋で分解されて糖分を摂取するのでは意味が無い。舌で転がしたとたん甘い。 そんな甘み探訪。サトウキビは名古屋でできるのか?? 砂糖大根は?? もし、両方とも無理なら、養蜂???? 都会では無理だ。 結局のところ果物を育てて舌への甘美となすほかない。 世の中で砂糖が欠乏して、人は甘みを求める。 どの果物が適切でしょう??? 干し柿だと保存も利くし、渋柿かしら?? メロンなんてのは無農薬を旨とする我が家では無理だし。 こんなサバイバルを考えるのは、夢想だと思っていましたが、バターが消える世の中です。生きる知識として備えておくべきことでしょうか。 le 26 jeudi //交通安全// 例えば、交通安全に取り組む団体がありました。高らかに交通の安全を叫びます。そして世の中も交通安全の分野なら彼らの活動に一目を置き、支持もする。ところが身内の不祥事に、甘い態度を示したことが世に知れ渡ったら、もうスローガンに生命力はありません。 社民党が北朝鮮の拉致や核実験。麻薬や偽札などの問題に与党を非難する同レベルのトーンを持ち合わせなかった事実は激しく非難されるべきだと思う。 もう何年も前から同じことは言っていますが、9条が瀕死の危機に陥ったのは、九条の精神に基づき、すべからく公平に悪は非難する態度を忘れた社民党の姿にあると思う。彼らの一方の悪は見て見ぬ振りをした事実に、もう一方の生命力は無くなったのでした。 最近、九条保護の動きは社民党より共産党の方に勢いがあるし何となく説得力もあると思う。 le 25 mercredi //貧乏を楽しもう!!// 値上げの嵐も、このくらいで収束すると考えていたら甘かったようです。100円のパンが120円で売り出し、千秋楽になると思ったのに、どうやら150円に到達するかもしれません。 食うに困らない給料を貰ったとしても、この程度の値上がりで貧困層にはならないとしても、よほどの鈍感でない限り、自由に使えるお金が目減りしたとは思うはず。 貰った給料を全額使い切る勇者であっても、以前に比べ買える商品の少なさ、言い換えれば遊べる量の少なさに困惑するかもしれません。 それであっても貧乏を楽しもう!! 僕としては、今まで単独でフラフラ旅をしていましたが、 日帰りのドライブに誰かをお誘いしてガス代の圧力を緩和する。 もちろん自分の利益のために強引に誘うのは人間として問題。 そこはウーマン旅行社、楽しいプランを提示してあくまで相手方の同意があってから。 いつも勝手気ままに家を飛び出し、また戻る繰り返しをしたけれど、誰かと相談したり打ち合わせしたり、そうやって作り上げていく喜びを得ることができる良い機会だと思うし、妙な独善が治るかもしれません。 le 24 mardi //肺炎で死ぬ// 肺の弁の機能が不調なのか、肺の中に異物が入り咽返る。そういう不調は、年に一回あるかないか。健康体ですが、何か弱い側面を挙げるとすれば肺の弁の機能。 おそらく老人になれば客痰能力に欠け肺炎を併発し、死に至るでしょう。肺炎が死の病ではなく、人間は結局のところ何かの理由で死ぬと考えているので、死期迫った頃、やはり噎せ返っていると思います。 aidsは、それで死ぬのではなく、抵抗力が弱まり、他の何かで死ぬそうです。そう考えると、老衰とは別の勢い迫る死期。 例え、肺の機能が丈夫になったとしても、死ぬときは何かの理由。最悪をとったところで第二候補が最悪になるだけ。ただ、最悪潰しは放置するより果敢に実践したほうが良いはずだし、それによって死期は延びるはず。 le 23 lundi //輝く!第36回・世界ウーマン節// 今年はmixiで宣伝することもなく。HPでこっそりと。 それでもお祝いメールなりしていただいた方、心より御礼申し上げます。 //ローソクに泊まりたい// 一度してみたいのは、ローソクでの宿泊。幸いといってよいのかマイコプラズマ肺炎もどきなので、ローソクで治せるのか試してみたいです。 泊まるとしても、そうきれいではなさそうですが、それでも一度、どっぷりと高濃度ラジウム泉を楽しみたいです。 le 22 dimanche //治りました// ローソクに行く必要はなくなりました。ただ本日もゴロゴロ養生です。 妙に出歩くと、その中途半端さで嫌気が刺すと思うので、ゴロゴロに徹しましょう。 //雨に濡れし花// 唯一の外出は6/22の花を写真に撮るため庭に出ただけ。 それにしても花の知識が全然ない。植物を見分ける知識が全般的に欠ける。 好きといえば快晴の青空。とくに見通しの効く冬が好き。でも、天気のあらゆる風情が好き。曇天や雨が続く日も好き。 //朝鮮冷麺//が食べたい。そば粉が入っている、灰色のゴムのような食感の冷麺。 実は大好きです。 キムチを漬けた壺の表面に出てくる乳酸発酵した水分をスープにするそうです。 気楽に、朝鮮冷麺のみ食べれる食堂ってのが知りたいです。 また焼津に行って、旨い寿司をたらふく食べたいし。毒沢の食事も楽しみたい。やりたいことは沢山あるけれど、どれから手をつけていきましょうか。 le 21 samedi //マイコプラズマ肺炎??// 小学二年生の頃、肺炎で一ヶ月ほど入院した。おそらく老いて死ぬとするなら、僕は肺炎で死ぬと思っている。それから大病も怪我もなく、高校の頃、マイコプラズマ肺炎と診断され、入院はしませんでしたが薬で治療。あの時、先生が、この病気はオリンピックの年に流行ると言ったのを今でも鮮明に覚えています。 そしてまた大病もなく怪我もなく時は過ぎ、おそらく4年の前の日記にも書いてあるでしょう、咳き込むのが止まらないと。あの時も風邪は自分で治すと言っているはず。そして、どうにもならなくなって、ローソク温泉でラジウムの蒸気を何度も深呼吸して、アララ不思議、その日のうちに治ってしまったと書いてあるはず。 保温性抜群な入浴剤を入れ、熱い湯に入っては寝て多量の汗を流し、普通なら風邪は治っているのに、咳き込むし痰が止まらない。 明日目覚めても治らないならローソクに行きます。肺の中が炎症をきたしているなら、もう高濃度のラジウムの蒸気を取り込む放射線治療しかないと思うのね。 さて、本日したことといえば、自宅にて湯治。BGMはノイズと闘う岐阜ラジオ。地方風情満点で、ゴロゴロしながら、ちょっとした旅先の気分。 で、先ほど着替えて外出。高級なスーパーの閉店間際に寄ったのですが、寿司を安く買いました。ワインも買ったのですが、コルクがフニャフニャで、もう、外せないから入れ込みましたよ。トホホ。 まっ、行く目的はお使いで不祝儀袋。 衝動買いをしてしまいました。 親戚で不幸がありました。冥福を祈ります。 人は老いて、必ず死ぬ。そんな日の到来は、来てしまえばあっという間。 定年する人に、40年働いても、辞めるときに聞けば例外なく「あっという間」だと言います。これは人生の摂理というか、なんでしょう。 僕らも何かの形で死にます。ベッドの中で死ぬとき、その瞬間思うのは、人生の長さではなく、瞬く間に訪れたひとつの物語の終焉でしょうか。 長い孤独とか、長い悲しみもないのかもしれない。それが終わるとき、あまりの速さで、当の本人が困惑するのかも。そう、困惑して死ぬのかもしれません。 le 20 vendredi //明日から湯治// 自宅にて湯治。熱いお風呂に入っては寝る繰り返し。これで何とか風邪の症状を治さないと。 結局は篭る週末で終わってしまいますが、それを徹底して成し遂げると、篭るという方面において中途半端でなく満足するのです。 人によれば、週末は勿体無いから無理しても出歩くという人も居ます。僕にはそういう感覚がないので、聞くたびに不思議。 //その老人を10年は見続けているのだが// 会社は名駅○丁目にありますが、近くには市場があって、そこでの職があるのでしょうか、独特な雰囲気も見られる。 彼らからすれば仕事は夜中や早朝で、僕らが出社する頃には仕事が終わっての酒の時間なのかもしれない。 その老人は、すっかり町に溶け込んでいる。その町に老人の姿はあっても、その老人がどこに住んでいるのか分からない。 おそらく、その老人は、この「町」に住んでいると思われる。 することがないのか、する場所がないのか、コンビニの前で座って競馬新聞を読む姿を何度も見る。 ただ路上生活者ではあっても、浮浪者ではなく仕事はあるようで、汚くもないし匂うこともない。ただ、この町に住んでいるというだけ。そして酒を飲む時間が僕らとは全く逆で奇異に映る。 前置きが長くなりました。10年前、それは日本中が不況でした。そんな寒い冬。ダウンをまとっては三人一組で歩く男が、この町にありました。 先頭を切る男と、後部に従う二人のダウンの色は違っていた。1:2。 毎回、見るたびに三人一組で、そして先頭を切る男と従う男が二人。 この二人も路上生活者であろう。しかし、この先頭を切る男から仕事を紹介しているのか、いつも離れることなく従っている。 ただ見た目から判断すると、先頭を行く男にはない「だらしなさ」が彼らにはあった。 そして、この二人を比較しても、だらしなさには強弱があり、それは戦線離脱の長短を見事に予見していた。 もっともだらしない男が、その戦線から離脱し消えた。 ダウンを着ては、三人時代と同じく無言で歩く二人の男。 やがて二人目も離脱。 久しい以前から、先頭を切る老人は従える男もなく一人。 10年は長く、すっかり老人になってしまった男が、今日もこの町の姿として見ることができる。 仕事があるからこそ、競馬新聞を読み、たまにコップ酒を路上で飲む姿も続くのであろう。 しかし、我々は一応に老いる。その老いの局面がある一定の線を越えたとき、この老人は、この町で別な姿を現すのか、それとも三人目の戦線離脱者となるのだろうか。 le 19 jeudi //おかしい・・・// 風邪が治らない。痰が引かない。咽こむ。 なのに本日も飲みに行ってしまった。 犬の毛が肺に入ったのかしら??? 週末は養生に徹しますわ。自宅にて湯治。 le 18 mercredi //ペットボトルロケット// 特に炭酸飲料系のペットボトルは丈夫。それに水を圧縮して入れる。栓を抜いたら宙を飛ぶ。ロケットの先端に携帯カメラで動画を撮影したいものです。 圧縮って素敵です。 聞くところによればインドの自動車メーカーが圧縮空気を利用して動力とする自動車を開発したとか。 確かに、自動車は止まる。止る時、シリンダーに空気を圧縮させることは簡単な原理。それを動かすときに解き放てば、ハイブリッドと同じことで、駆動初期のガソリンの消費が必要ない。 ただ、この圧縮空気がどれほどの反発力を有するかは定かではありません。 エレベータが下降するときに空気を圧縮して、それを放つときに、風力発電のようなことができたりして。 当たり前のことですが、飛行機でも電車でも、極端に言えば徒歩でも、動くものの最終の姿は止ること。転がるボールのエネルギーがなくなり自然に止まるのなら関係ありませんが、それとは関係なく意図するところに止まる。 回転が弱まり自然に止まるボールならエネルギーの無駄はない。 例えば地下鉄なら、ホームでブレーキをかけ停車する。計算に基づき、回転が自然になくなったところをホームとするなら、エネルギーの無駄はないけれど時間は大幅にかかる。 飛ばして急停車。現実にはこんな感じだけれど、止まるときに発条を捲くなり空気を圧縮すればエネルギーの無駄はなくなると思うのね。 それとよく分からないのだけれど、例えば圧縮した空気を保存している鉄製の筒。その中の空気を放出すると、筒って冷えますか???? スプレー缶を捨てるとき、穴を開けてガスを出すとき、相当に缶は冷えますよね。 空気で、それが可能なら、エコ冷房とかできたりして・・・・ le 17 mardi //エヘン虫// のどがイガイガする。咳き込む。 大平で何か変な花粉でも吸い込んだのでしょうか。それとも煙??? でも、痰が絡むのは煙とは思えない。風邪引いたかな??? まっ、今回も風邪は自力で治します。 抗生物質に頼れば時間も労力も削減できますが、治癒の根本は養生と食事と体温調節だと思っています。そういう組み合わせで風邪を治すのは、パズルをしているようなもので実に楽しい。 ただ熱があるわけでもなく、月曜の夜は飲みに出歩いたし、養生し忘れました。ただ痰が絡むだけ。 le 16 lundi //残り香// 土曜日、大平の家に入ったとき、幼少の頃、嗅いでいた懐かしい香りを覚えました。 燻された匂いでしょうか、田舎の残り香です。 それにしても今日は忙しかった。田舎暮らしの後は、昼ごはんを食べるのも勿体無いほど仕事に忙殺。 土曜日、峠の茶屋で何気に読んだ一冊の本が忘れられません。 【消えた峠の村】 これまた更級日記のように捜し求める日々が始まるのでしょうか。 le 15 dimanche //知的文化生活// 先日のNHKラジオで、お洒落専門家の講演を聞きました。お洒落を追求していくと、日本人の場合、やはり行き着くのは日本の伝統文化に即した生活になるそうです。そういう側面を現代生活に取り入れ、心的な充足感と上質感を味わうそうです。 彼女は言う。知的文化生活だと。 自我自賛になりますが、大平の田舎暮らしも、そんな知的な遊び心は大いに含まれていると思います。 今年は紙容器を排し、重いけど各自陶器の杯や碗などを持参。これも、あえていたす文化的な遊び心でしょうか。 le 14 samedi //三回目の大平宿// 江戸時代の家に泊まる田舎暮らしです。 今年は空梅雨かしらね。すがすがしい天気に恵まれました。風は冷涼で、なんとも心地よい大平。 いづれ特別頁を作ります。 le 13 vendredi //平日の準備// 旅慣れてしまうと、ついつい当日の朝に準備したり、なんかエンジンがかからずウダウダすることがあります。 特に後者が曲者で、行くことはわかっていても、ウダウダを優先する変な自分がいる。 明日の大平で、そんな事態は致命傷。なかなかエンジンのかからなかった大平でしたが、提灯を買ってからパパパッと揃えて、あとは土曜の朝を待つのみとなりました。 そういや、今年は一度も毒沢に行っていない。これもガソリン価格暴騰の影響です。 そう考えると、都市部の観光客を当て込んだ地域や温泉や商店は体感として下降線を実感しているのでしょうか。 le 12 jeudi //今度こそはと、言いながら// ネットでは、韓国経済は崩壊すると、何かの指標が出るたびに、もう何年も前から「今度こそは・・・」と期待をこめて言われ続けている。 ところが、崩壊になんてのは全然やってこない。昨今、「今度こそは・・・・」とまさ騒ぎ始められていますが、実際のところどうなんでしょうか。 韓国がIMFに突入した一ヶ月ほど前、フランクフルトの空港にいました。あの頃は、度々、海外に出かけ、日本人と知ると、あからさまに侮辱的な集団行動をとる韓国人とよくであったものでした。 あの頃の韓国は、個人旅行というレベルではなく集団での旅行。その集団の力を利用しては、日本人の個人旅行客に、ほとんど言いがかりに等しい難癖をつけてきたものでした。 フランクフルトでは、韓国人青年が口いっぱいに溜め込んだ唾液を、僕自身にはふりかけはしなかったものの、僕の目の前でボトッと落とすのですよ。もう、開いた口がふさがらないというか、韓国人なんか眼中にないのに、どうして韓国人は日本人を見つけ出しては、嫌がらせをして意気揚々とするのか理解に苦しみました。 その空港のロビーで、日本の小説を呼んでいた、一人の男性と話すことができました。彼は札幌に帰るとのこと。僕は彼に、韓国人の集団を海外でここまで見るとは思いませんでしたと、「韓国も豊かになったものですね〜〜」と話す。 どうやら政府関連の研究員のような彼は、「そう見えても、あの国は、とても大変なことになっているんだよ」と教えてくれる。その窮状の説明はありませんでしたが、一ヵ月後、韓国はIMFの管理下に。 この話は、今でも鮮明に残っています。そして唾液の青年は一ヵ月後に何を感じたのでしょうか。 le 11 mercredi //漫然と過ごしていたなら// あらっ、もう一ヶ月過ぎたのね!と時の速さに驚くことがある。ところが同じ一ヶ月でも、例えば7/11にお楽しみがあるとするなら、これから始まる一ヶ月はなんて長いのでしょうか!! 時間の長さは変わらないけれど、将来に楽しみがあるかないかで、それは体感気温のようで、正確な時計とは別な時間の表記。 le 10 mardi //面白味にあふれる長野県// 今月と来月。皆様のウーマン旅行社が動きます。 今日は、伊那のことを書きましょう。あの絶品ソースカツ丼を紹介できるなんて、なんて幸せなのでしょうか。 そんな目的地に行くのに、木曽路を北上するべきか、伊奈平かと考えるのも楽しい。道中どこに寄ろうかと、地図を見ても、コースは増えるだけで絞り込まれません。 木曽路には、渓谷と温泉と素朴さがあります。 伊那路は、地方都市と、広大な風景が広がります。 雨が降れば、何して過ごすか。 どこを訪ねて、風情を味わうか。 岐阜県は中津川。そして飯田。駒ヶ根と地方都市をブラブラ歩いて伊那に行くのも発見の連続で面白いかも。 大平が終わってから、そろそろと絞り込まないと。 le 9 lundi //衣食足りて→//礼節を知る。 最近の凶悪犯罪。目立つのは派遣社員の男性。 契約が更新されるのだろうか?という見えない不安は、積もり積もって精神に変調を来たすのでしょうか。 だからといって殺人を黙認するわけでもありません。やはり彼の弱さや独善は死を持って償っても、また足りないと思います。 こういう側面があると、その時点で議論を終了させようという動きもある。まじめに働いている派遣労働者が大多数なのだから、それは個人の問題でリンクさせるのは不適当だと。 しかし、不安定な雇用は、健全な精神に良い影響を与えるものではないと確信しています。若き頃のバイトと違って、この不安定は続く。そして歳は思ったよりも早く重ねてしまう。将来への不安が大きくならないほうが、どうかしていますよ。 人材派遣は、バブル崩壊後の緊急避難措置として、もう、その役割を終えるべきです。 le 8 dimanche //台湾人と韓国人// この微妙な関係を端的に表す動画。そんな政治的な意味は別として、素直に笑えます。● なんか悪いこと言ってしまった??って感じの白人のおじさんが面白すぎる。 //旅のスタイルあれこれ// 地方都市をブラブラ歩くのは好き。その究極は、天龍村の平岡地区に辿り付くと思うのです。もう都市という規模ではないのですが、天龍村最大の集落。それは大昔から交通の要衝で、周辺では栄えていたところ。 そもそも地方都市で泊るスタイルは、ビジネスホテルが存在するかどうか。民宿になると、夜は半ば拘束されてしまう。それでは風情も何もない。 そんな天龍村に、気になる宿が。 ● 山の頂上にあるわけでもなく、温泉もない。どこかの高原か森の中でもない。村一番の繁華街である駅に併設した宿泊施設。この位置関係が、平岡の風情を堪能するのには都合が良いと思うのです。 でも、この旅のスタイルは、かなり趣味的なので一人用かな? それ以外にいろいろと思い浮かべるのは、静岡あたりの温泉宿で旨いものを食う。こちらは二人用。 そんな二人用を考えると、山奥の温泉宿。山奥のコテージ。諏訪辺りの壁の厚い旅館。 それか日中はグルグル見て回って、夜は静岡や浜松のシティーホテルとか。 いろいろなスタイルを想像するのは楽しいです。 話は全然関係ないのですが、何ですか秋葉原の事件は。 犯人にどういう事情があるのか分かりませんが、亡くなった多くの方を考えれば、徹底的に洗い直して、刑法の強化に繋げるのならそれも考えるべきだと思います。 le 7 samedi //ちゃうちん// 提灯を六張り買いました。本日、二つに灯をともしましたが、なんと風情ある灯りでしょう。 この灯りが六つ。この灯りのもとで過ごす時間を想像するだけで とても楽しいです。 そうそう、本日は六時に目が覚めたのに、さらに六時間も寝てしまいました。 眠気は取れても血流が滞り、なかなか疲れが取れませんでしたよ。 旅の準備を進めようか考えましたが、優先したのは提灯の購入。 それで正解だったと思います。 半ば諦めていた提灯でしたが、 この光はきっと皆の心にも残るでしょう。 //持ち物リスト// ワイヤー ペンチ 紐 中国茶 七輪 網 //買い物リスト// 米 餅 海苔 バター 出汁の素 塩コショウ 焼肉のタレ 出汁醤油 うどん 山葵 葱 冥加 (出汁入り味噌) 田舎汁の根菜類 ホタテ貝柱 卵 (鶏肉) プチトマト シシトウ 玉葱 茶 酒 ジュース コーヒー ローソク (網) 金鋏 豆腐? スルメ 最悪に備えて、スガキヤの袋入り味噌煮込み(余ったら名古屋土産) 【夕食】 飯(失敗に備えて餅) 田舎汁 taro師持参の最高級松阪肉を中心とした焼き物。飯田名物の小鉢なんぞ。信州サーモン?? 【酒の席】 酒と共にスルメなどの焼き物。もしくは烏賊。 【朝食】 冷たいうどんで迎える朝 卵入りの赤出汁 【昼食】 餅のバター醤油焼き。 焼き物。 le 6 vendredi //今週は、、、// 珍しく一度も焼肉にもカクテルにも行きませんでした。 支出を抑制するとしたら、やはり週に二度はある焼肉ですよ。これで一回分の給油に当てられるし。 寝る前の妄想で、自給自足の生活をシュミレーションしたりするのが実に楽しい。それは擬似貧乏体験なのかもしれない。 ところが妄想の中で養ってきた、諸々の知恵を活かすようになるとは変な時代です。 理想の地形を与えられたとするなら、目の前は海。そして背後には山と川。住む場所は、それなりに高台。 海の幸を採り、塩田を作る。 家の周りには茶の木を栽培し、例え冬であってもビタミンCは摂取できるように緑茶を生産したい。 米と小麦と芋を栽培して体力の源とし、乳牛を飼ってチーズやバターも造りたい。水車も稼動させたいし、水車の動力でちょっとした発電もしたい。 近くで粘土も取れたら陶器を作りたいし。磁石で砂鉄を集めては鉄作りにも挑戦したい。 でも、不思議と、こういう想像をするとき、それは僕一人。 夢の中で、僕一人か、もしくは小さな村があったとしても、この家には僕一人。 それは昔から変わらない傾向であって、おそらく最も心地良い時空なのでしょう。 どうして、そんな偏向をきたすのか自問自答もしてみましたが、答えが分かったとしても、それで治るわけでもないと悟りました。 le 5 jeudi //飛び込み営業マンの売るモノは?// ヒト ひと 人。 異動になってから、ビルの一階に居ることになりまして、何かと飛び込みの営業マンと接する機会が多い。 その大半が、人材派遣業。 彼らが売り込みに来た商品は、ヒト。 しかも、安上がりのヒトなので、御社の利益になるとか・・・・ 幸い、勤めている会社は工場のパートのご夫人を除いて正社員のみ。 続く採用も正社員のみ。 つまり、社員の身分として、正社員一種類だけ。 世の中に人材派遣業がこれほどまでに多いのも驚くし、 売り込みに来るほど、在庫を抱えているのか、飛び込みの多さにも閉口。 昔は体よく、断っていましたが、最近は、断りも正直にしました。 「そのような営業さんは多いのですが、我が社は正社員のみの採用なので申し訳ございません」と。 ところで、疑問なのは、人材派遣の営業マンは、一体どういう身分なのでしょうか???? 人材派遣業を得意としている当社なので、実は私も派遣です。ご覧のとおり優秀でしょ!! っんん?? 働き方が多様になった、と良い風に解釈する文句もありますが、 果たして労働者の利益につながったのでしょうか。 人材派遣の営業の多さに、この歪は、ますます大きな反動へつながるのだろうと危惧します。 le 4 mercredi //今回もまた、//須らく最善の形で解決します。その絶対的な確信があるからこそ、何の恐れもなく、躊躇なく、動いたのです。 須らく最善の形で解決する。 信じ、恐れない気持ちを養う。 傍観してはダメ。 その勇気がわかないものは祈るべきだし、 勇気あるものは、祈りそして信じ動く。 未来を不安に思えば、全く尽きない。 それを多くの人間は、確率論的に明日も大丈夫だと考えてしまう。 それは一種の経験則で意味はあるかもしれません。 ただ、もっと広い意味というか深いところで、心の支えとなるもの。 須らく最善の形で解決してくれて、度量が広く、疑いの余地もなく、そして身近にあることが楽しく感謝できる。 なんて幸せなのでしょう。 祈る時間を持てることは幸せだとおもいます。 le 3 mercredi //絶対当たらない想像// どんなに念じても、絶対に外れる。どんなに思いを巡らしても外れる。当たったためしがない。 それは、アナタの書く字。字体。 しかし、その字を見ると、あ〜なるほど、性格が良く現れているわ!と感心するのだから、こちらも毎回不思議な出来事。 //それは心に焼きついた風景// まさか、35歳にして心に焼き付ける衝撃を受けるとは。。。。 今年の冬。知多半島は河和から師崎-内海まで歩きました。素晴らしい写真ばかりを撮ったのですが、写真にはない心に残る光景を、一つ。 素晴らしい青空とは対照的で、大きな工場から黒煙が噴火のように。それは石炭の煙を微粒なシャワーで浄化することもなく、そのまま放出したのでしょう。見事なまでの巨大黒煙。 考えてみると、煙突の煙を黒く描写することは多い煙れど、実際目にするのは、圧倒的に白。 僕が幼少の頃でさえ、黒煙モクモクなんて見たことがありませんでした。 全く、近づくのが恐ろしいと思えるほどの勢いさ。35にして、未だ時々、思い出す光景です。 le 2 lundi //静かな雨の夜// それも寒い雨がシトシトシト。こういう夜って好きです。 理想としては、8−9時ごろにベッドに入って雨の音を聞き、眠り、そして、その日の疲れはその日の睡眠で癒す。 ある種の理想としては、週末、冷たい雨がシトシト。もしくは梅雨末期の激しい雨がザーと終日。そんな一日をベッドの中で過ごす。 ラジオを聞いたり、本を読んだり、旅先で購入した地方紙に目を通したりと。 もっと理想を言えば、山奥の新緑が綺麗なころの雨の宿。早々に入り、雨音を聞きながら、ボーっとするのも憧れます。 快晴の空も好き。雷鳴も好き。地震と、家が倒壊するレベルの台風は嫌いだけど、あとは何でも好きになれる。 le 1er dimanche //完全なるジェネラシスィオンギゥップ// 世代間の断絶。 つまり若者が理解できない。 本日は、先日の採血の結果を聞きに栄にウーマン号を走らせる。まずもって驚いたのは、車の数。その激減ぶり。 やや、その前の話から書きましょうか。 まず、朝一番に洗車。そして区役所へ。 役所の仕事だから半日かかると思っていたら、あれよあれよの15分ほど。 それから名古屋では有名な和菓子屋へ。 あらららら。中学の同級生だったN脇くんじゃん! まずは僕がチラッ。彼もチラチラ。だからチラ。そしてまたチラ。チラチラのチラッ。 お互い話はしませんでしたが分かるものですね。 一旦家に戻り、今度は栄。 池田公園で生演奏を楽しんだ後、結果を聞きに行く。 さて題名の世代間の断絶ですが、現代の若者の服装! まったく上品さというか小奇麗さが無く驚いてしまいました。 嫌味な言い方をすれば、貧相で貧乏くさい。あのような服装では、 入れる店舗も限られ、何を食べて生きているのか察してしまいます。 ストリートファッションが流行ったころ、 米国の下層民の着こなしを、ただただお洒落と思い真似する程度でした。 ところが今日見た若者の服装は、明らかに可処分所得の少ない 下層民として滲み出る何かを十分に伝えるもの。 平素、コンクリートとの接地が多いのか、その独特なくすみ。 金持ちなんてのは、世の中の一部。 だから、金持ちのように振舞わなくても良い。 しかし、上品さは金持ちの専売特許ではない。小奇麗さもしかり。 流行に踊らされているのかもしれませんが、 あまりに気の毒な着こなしに目を奪われた池田公園。 話を続ければ、その最たるものがタトゥーだと思っている。 昔、市民と奴隷を区別するため、奴隷の証としてタトゥーを入れた歴史になぞらえるなら、あの安易な選択をする若者達は、一生の呪縛を、既に手に入れたということか。 馬鹿すぎて哀れみさえ沸きませんが、この馬鹿さが貧困から起因するものなら深刻に思います。 |
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