juin.2009 le 30 mardi //mixiもない頃// 昔は、ここの日記に全身全霊を傾けてきた。 今から思うと、あまりに馬鹿馬鹿しい内容を真剣に書いたり。 でも、それはありのままの自分の記録。 mixiが世の中の共通の伝達手段になりつつある今、 このHPを訪れる人は少ない。 極少数だが、見てくれているかもしれない緊張感と、 ゼロの反響から、踏み込んで書けるはず。 将来がどうなるのか??? 分かることは、その時は恐ろしく早く到来する。 たぶん、死ぬ感覚を味わう頃、 振り返る余裕があるのなら、その早さを思うのでしょうか。 過ぎたことは許せるし、忘れるし、五感の覚えも薄まる。 さて、分かることは、書き続けることに意味があると思うのです。 いづれ、本当の一人の世界が到来すると思っています。 両親は他界し定年を迎える。 そのときの慰めが、このHPだと確信しているのです。 40年50年60年続く。 創業・55年のHPです。なんて。 価値が出てくると思っています。 そのとき、初めて、アクセス数も増加に転じるでしょう。 le 29 lundi //お土産// 地方都市行脚は続く。お土産には、一度フィルターを通します。当地の名を大々的に冠しても、実はまったく遠方で作られるものは論外。 このフィルターを通ったものから 毎回買う物は、地酒 次に頻度が高いものは和菓子。 続いて野菜・味噌・しょうゆ・地元のベーカーリーやケーキ屋さん。 伊那での過ごし方。 なぜか伊那では、雨の日が多い。 素晴らしい情報提供に感謝。 ● ただ僕としてはロー麺はダメ。 二回食べましたが二回ともダメ。 伊那の人たちも、本当に美味しいと食べているのだろうか。 le 28 dimanche //歩行者天国にするため// 車道を通行止めにする。 スペース的にそんな必要は全く無いのに、車を止めて歩行者天国にしているところは素敵です。非日常を簡単に作り出す一つの術です。 いつの日か飯田で二連泊しましょう。 そこに初めて時間的余裕も生まれるはず。 退屈して、さて、何しようか? ここから面白いものが生まれると思うのです。 le 27 samedi //飯田で過ごす地方都市の夜// 長野県飯田市に転地療法。良い気分転換になりました。 ただ、有り余る暇な時間はありませんでした。 例えば、飯田に5日間いたとしたなら、 きっと暇すぎて、ミニノートに小説の一本でも書けたことでしょう。 暇すぎて行き着く境地はあるのです。 le 26 vendredi //題名に出来ない// 突然の訃報に世界が驚きました。彼は偉大なポップスターと紹介されていますが、訃報に驚いた相当数は、一種のコメディアンの死と認識しているかと思うのです。 ここ10年ほど、彼はゴシップのネタを豊富に提供してきました。 尽きない話題の背景には、 金持ちの黒人に対する嫉妬はあるでしょう。 そこを、金持ちの黒人の馬鹿な金の使い方として不満を解消する。 つまり裏目に出てしまう整形とかを馬鹿な黒人の金持ちの金の使い方として冷笑している白人は内心いると思うのです。 彼は才能に恵まれて富を気づいたが、やはり馬鹿で全てを失うと。 でも、そんな側面はニュースには出てきません。 確かに、鼻は高くても肌がまだ黒い頃は良い曲を提供していました。 そんな芸術の域を打ち消すかのような整形癖。 一体何になりたいのかサッパリ分からず、しまいには改宗して ムスリムになったとか。 le 25 jeudi //ある日突然// ある日突然湧いて出てきた政党。 その一週間後、街角で大量動員の流布。 この整然とした組織力。 つまり、信者がそのまま右から左に動いたから可能なわけです。 この異質さ不気味さを強烈に受け止めている国民は多いと思う。 さて、自分たちがどうして理解されないのか。 後者の強烈な違和感は、先達の構成員も少なからず感じたはず。 この違和感、忘れてほしくないです。 後者も前者も関係ない多くの国民は、両者とも同じ枠で見ています。 枠内にして、枠外からの感覚を知るまたとない機会。 le 24 mercredi //経済学// 文系の僕ですが経済学には、ほとんど興味がありませんでした 。政治学のほうが好き。ところが、そんな色分けが愚かしいものだと思うようになりまして。。。 国家の生命力の維持。 統治の術などありますが、やはり国家の経営。これに尽きると思うのです。どの経済学を採用するかで国家の盛衰も決まると思うのです。 自己責任を強調すれば、小泉の改革でこの有様。 と、言って国家の救済を宣伝すれば、制度以上の恩恵を受けようと怠惰になる者が基礎を腐らす。 さらに考えるところがありまして、 住む場所と飢えからの開放。これさえ解決されれば、人民は幸せなのかと頭の中でシュミレーションする。 国際分業が過ぎてしまい、富は工業製品から生まれる。 工業製品の作れない国は、総じて国民の飢えも解決できない。 工業こそ富の源泉だと、真似事をするからだろうか。 貧しきものは農業に専念する。 靴やおもちゃの工場を放棄して、とにかく多様な農産物を不足することなく満たせる国とする。 ところが、国家が人民を強制して農業につかせるとポルポトのようになるでしょう。自由にして、かつ、豊かに生きるのは農業であると信じ込ませる。 もちろん大農園とかの弊害は規制します。 家族が飢えるには全く心配にも及ばない豊かで多様な農業を経営する。 もし日本が、国家として農業技術-工作機械を世界最高水準にして、主たる産業は農林水産業にする。人口の集中が緩和されるでしょう。 世界第二位とかの経済大国からは没落するでしょうが、 飢えと失業の心配はなくなる。 あまりにくだらない妄想だから 例えば大洋の孤島で島を経営するとして どうすれば豊かに暮らせるか考えるのですが、 一貫して言えるのは、指導者からの立場で 働く者からの視点が一切無い。 現実は労働者なのに頭の中では王様なのです。 だから、島に一人になって否が応でも労働者になるのですが、 この時になって初めて、僕は妄想の中でも必死に働く。 le 23 mardi //第37回 世界ウーマン節// レスを書くのに疲労困憊で後日に回すことの嬉しさ。 どうも、ありがとう。 ただただ、第37回 世界ウーマン節 という日記というか題名を 書きたかったのに、ありがたいことです。 le 22 lundi //ソ連共産党第26回大会資料集// 届きました。36歳最終日に手にした本がコレ。 ソ連大使館広報部が訳したこの本には、 (長く続く拍手)(嵐のように長く続く拍手)の記載がなくてチト残念。 天龍村史読破が最優先なのに、また滞るの必至。 何が面白いかって? ソビエトは滅び、そしてブレジネフの時代は停滞、 しかも死亡一年前の党大会。 そうであっても当時は一方の雄。 その最高位に位置する意思決定の党大会。 経済は破綻しているのに、 どう美しく表現しているか。 また、批判を受け入れる寛容性を いかに文言としてあらわしているのか? 滅びた巨体を知るのには良い機会です。 先日の日記にも書きましたが、僕は保守派。 イランで言ったらハメネイ師。保守派の権威主義者。 趣味的に読む楽しい読み物になりそうです。 敗者ではあるが巨大な敗者の最高指導部。 破綻経済学をたぶん美しく表現しているはずです。 le 21 dimanche //出先日記// 2009年6/21 日曜日 36歳最後の週末。 まず、土曜日は夕方まで寝ている。 そもそも金曜日の晩、疲れが堰を切ったように溢れ出す。 それから大須の糧に行き中国茶と遅めの夕食に付き合う。 今、しとしと細かい雨の降る日曜にして昼。 前も、することのない雨の週末、瀬戸に行きブラブラしていました。 本日もしかり。 雨のなか、若干客の出足が良い。 何かのお祭りが開かれているのか良く分からないが 前回よりは賑わっている。 前回、昼の営業も過ぎ閉まっていた鰻屋。 今回は順番待ち。 やはり、見た目は正解で旨そうである。 30分は待つとのことで、 今、コーヒーショップでくつろいでいます。 瀬戸市の風情は旧市街。 旧市街の風情は、悠長に構えている個人経営の店。 一部だけ営業のほとんど閉館したビルの一階は 鮮魚店と惣菜屋が、そして丼ものの店が なぜが公設市場のような雰囲気を醸し出し、 思いのほか、賑わっているから驚きである。 今回は、この丼もの屋は割愛するが、 こちらも賑わっているところを見ると、旨いはずである。 このような地方都市の風情は、もしや斜面集落後の集中研究対象かもしれない。 まもなく七月。 天龍村史読破の暁には、天龍村で過ごす週末。 +++++++++++++++++++++++++ 瀬戸市、風情あって面白い。 瀬戸市で過ごす週末って、最も近い地方都市の夜。 近すぎて泊まるには不自然ですが、不自然に身を置くから価値がある。 近いのに衛星都市以外の顔がある瀬戸。 窯業の町は芸術を語る人が多くて笑ってしまった。 そこを芸術というのなら、世の中全てがアートだろ!と言いたいのだが、 ひょっとして、彼女から言わせると 世の中の全てがアートなのかもしれない。 降参!! le 20 samedi //旨いコーヒー// スタバにあり。 もともとスタバはコーヒーを温かいジュースに変える許せれない存在でしたが、この前、手を加えていないコーヒーを飲んだら大変に美味しくお安く大満足。 基本の無添加コーヒーがこれだから、味付けコーヒーも支持されるわけか。そちらは飲まないけど。 なにが感動したかといえば名古屋を中心とした某喫茶店のブレンドよりはるかに旨く安いという事実。 本日は寝てばかりの土曜日。 夜にお茶して食事する程度。 le 19 vendredi //疲れが堰を切る// 仕事が終わると同時に 疲れが堰を切るように襲い掛かる。 週末がどうこうというレベルではなく、とにかく休養したいと。 ↓の出先日記と、今、ここに書く日記。 打つ瞬間に、見ている人がいるという思いの有無で こうも文体が変わるのかと、我ながら面白い。 le 18 jeudi //出先日記// 2009年6/18 出先日記。 //駅裏扇状地// 五時までコーヒーを飲みながら、どこまで書けるか。 年に一度の豊國神社参拝。太閤殿下の中村。 扇状地の極を駅裏の大型電光掲示板とするなら ここはもう、扇の淵。 距離も離れ、地下鉄にして五駅ほど。 それなのに一つの繋がりとして捉えるのは、 駅裏の風情が、薄まりつつはあっても 東とは対極の世界。 仕事を済ませた姿、すくこともなく佇む姿。 図書館の階段に腰をおろしては 何かの書類が金銭に化けるのだろう。 得意げに語る先達に聞き入る相手も黒い顔。 藤吉郎が、幼少の頃、そのやり場のない憤りを感じていたとするのが中村だとするなら、地味・地力・地勢というものは +++++++++++++++++ 地下街を出るころ、東海豪雨の再来でありました。 することのない私は、二軒目のコーヒーショップに腰を下ろし 何かを書こうとするのだが、ゲリラ豪雨は一瞬の止みもある。 結局、窓の外を眺め伺うだけであった。 それなりに濡れて会社に戻る。 一日外に出ていたので何が何だか分からない。 そういう処理を、僕は昔から【戦後処理】と呼んでいる。 まさに敗戦の荒涼とした風景。 今、帰りの地下鉄で書いているのだが、 充分な昼寝があると帰りの車中で眠くならないのが大変によろしい。 明日は金曜日。36歳最後の週末。 散財の戒めは必要であるが、何して過ごしましょうか。 一つ確定している贅沢は、天龍村史読破の暁としての 天龍村で過ごす週末。 来月のどこかで購入一年になる。のこり300頁ほどか。 決断力は、無きにしも非ずで匂わせた大川入山への登山。 実行に移しました。五年以上は経つでしょう。再訪です。 さて、一人登って思ったことは、 解説です。 もし、面倒に思い惰眠を貪る日曜になったとしても その手の逃げは、hpを書き続けて極めました。 何事も良い様に解釈するのなら、 労苦さえ、良い様に解釈できるのだから。 つまり修める時間を持つということ。 le 6 samedi //出先日記// 結局この日も昼過ぎまで家の中。 美濃の白川では、大阪組の恒例のコテージ。 女子大では、検査こそインフルエンザの影響で中止になったが、 今、久屋で眼鏡を新調し、コーヒーショップでしばし待つ。 車検の支払いで、出費を抑えた日常。 ただ内向的なのは、それだけが理由ではない。 地元で誰かと会うという大義名分がない。 旅先ならば、せっかくの機会ということで理由も付くが 名古屋にいて、遊びましょうなんて、不思議すぎて言えない。 この「遊び」というのが、訳の分からない用語で この歳で何して遊ぶというのか。 まもなくメガネが仕上がる。 誰に見せようというのか。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 間もなく梅雨入りというのに、雨のない週末。土曜日。 金曜日は、寄り道もせず帰宅したのに目覚めたのは正午近く。 某マイミクさんは、朝帰り、3.5時間の睡眠。快活な土曜日。 そんな日記を見て驚愕してしまった。 三時近くまで、家でウダウダ。 それから女子大のイベントを少し垣間見るのだが、 そのまま路駐して出てきた姿は、女子風味。 モラルのなさに、もしや、斜陽気味になっている??と詮索も。 立ち寄るというよりは、通り過ぎて、八事のスーパーマーケット。 適当に買い物も済ませて帰宅。 MIXIに時限日記【決断力は、無きにしも非ず】と意味不明瞭な題名にて日曜の決意を自分自身に。そこには逃げ道があり、行くのだが、行き先未定と紹介。 最近、そういう、その次が未定のまま週末に突入することとが多々あり、自分では嫌なのだが、今回もまた同じ繰り返し。 le 5 vendredi //決断力は、無きにしも非ず// 動く! でも、どこへ行けばよいか分からない。 悶々と時間だけが過ぎ去る。 決断力は、無きにしも非ず。 どうせ自分だけなのだから、少しは冒険心溢れる何かをすれば良いのですが、それさえも構えてしまう。 失敗はしたくない。 でも、誰も見ていないじゃん!! le 4 jeudi //コッソリ言いますが、、、// 東京の人とはウマが合う。何故だか分からないけれど、東京人の方が接していて楽しい。 //時間をかけたい// 文を書くにも写真を撮るにも、たっぷりとした時間が欲しい。お風呂も睡眠も。 価値があると思うのは、そのダラダラとした先に、見えるものもあるのです。 そのためにも、やはり時間が欲しい。 le 3 mercredi //誰が責任取るの!!// 最近、肩に保冷バッグを下げ、和菓子なりの訪問販売を見かける。 まず、このような商売の形態は合法なのか!? 仮に食中毒にでもなったら、訴えれることが可能な相手なのか。 疑い深い性分なのか、どうも背後に、邪教団体の金儲けとか、 その手の類を見てしまう。 le 2 mardi //集約の物語性// 香港。迫る山と迫る共産主義。イギリスの植民地だった頃の香港、その狭い土地は上へ上へと成長し、物語性のある町並みに。 東京も大東京だからこそ、物語れる街。ニューヨークもしかり。 狭い土地という制約が、街の風景に風味を添える。 一方、モスクワや北京といった内陸の大都会は、シンボリックな大建造物があったとしても、何気ない街の風景をカレンダーにするかといえば、採用されないかも。 さて、地方都市シリーズ。岐阜県は瑞浪市。 地図を見てください⇒● 駅名前の一等地は奥行きに欠ける。 すぐに土岐川が賑わいを切断する。 この、狭い土地に、集約の美があるのです。 瑞浪市は、近々、地方都市で過ごす夜の上位候補地です。 le 1er lundi //串団子のような地方都市の串が違う// 岐阜県は多治見から東へ、 土岐-瑞浪-恵那-中津川と味のある地方都市が連なっています。 ところがである、多治見-瑞浪間は庄内川(土岐川)水系なのにたいして、恵那-中津川は木曽川水系。 多治見から中津川まで、直線的に中央線-中央道-国道19号線が走っていて、つまり水系も同じであると、簡単に思えてしまうのだが、実のところは、そうでもない。 ● 天安門事件から三日後のニュース。 僕には保守的なところがあり、世間一般の天安門事件に対する評価と僕の思いには相当の開きがある。 改革派趙紫陽総書記に対する党内のバランスを確保するため保守派の李鵬首相。そしてケ小平という老人が最高位に君臨していた頃の中国。 この三人で、もっとも好きなのが李鵬首相です。 弾圧を指揮したとして嫌悪の対象になっていますが、 僕は嫌われ役をものともせず信念に基づき中国の統一を守り抜いたのは、 指導部として責任ある行為だと今でも思っています。 学生闘争の激しい日本も、革命的青春の浪漫が満ち溢れていたのでしょうが、弾圧してこその、その後の日本の繁栄。 革命的浪漫は、その後の舵取りにたいてい頓挫している。浪漫は、長く続く平凡な毎日にかんしては、ことに苦手な様であり、例外なく権力闘争に。 そういう意味のない寄り道を許さず、浪漫的な刺激はないものの、長く続く平凡な毎日に責任を持とうとした指導部の成否は、後日、世界の認めるところになりました。 あの反革命騒乱を許していたら、中国は、今ほどのダイナミズムは持ち合わせていなかったはず。それを世界は「悔しい」と思うのかもしれませんが、自国に当てはめてみれば、やはり戒厳令以降の措置は正解だと思うのでしょうか。僕は、保守派の措置は賢明であったと思います。 |
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