juin.2014



le 30 lundi
//早い!!!// 一年の半分が終了。夏越の大祓。



昨日は、新宿で焼身自殺未遂。集団的自衛権に抗議だそうです。
以前にも書きましたが、僕としては憲法改正をしての行使だと思います。
扇動政治家かが権力を握ったら、それこそ解釈改憲は万々歳でしょう。
そういう意味からも、やはり手順は踏むべきです。法は独裁を戒める意味もあるのに、解釈で内容を拡大するなら法の意味がない。それは人治に近い政治手法だと思う。

ただし、日本が右に舵を切る、その要因を平和主義者は一貫して不問に付してきた。
迫り来る脅威があってこその措置なのに、そちらに関しては人権と民主主義の教師でもあろうかと、悪いのは日本の与党であると終始攻撃の対象に。ここに平和主義者の偽善が見て取れる。要はアメリカが嫌いなだけかと。米国に迎合する一切は平和主義者にとっては反人権で反自由で反民主。この思考を停止した平和主義者のステレオタイプこそ、日本の平和を侵食した最大の要因だと思う。

誰よりも護憲と叫び、選挙の度に議席を減らし、今や国会で意見さえ述べる機会もない泡沫政党。改憲の流れは改憲勢力にあるのではなく、自身の護憲運動の体たらくに起因するものだと、なぜ思えないのか。

自由投票の秘密投票の制度があるのに、何故、権力を手に出来ないのか。
そこに、居心地の悪い政治を許す最大の要因がある。

競合他社の悪口ばかり言い、自身の製品に何の改良も見出さないのでは、そりゃ消費者も見捨てるでしょう。 
例えば、ある野党が、一切の政権批判をせず、その代り自信の信じる政策や改良を発信することに徹したら、党勢は反転するかもしれません。

日本の平和主義者は、誰よりも悪口が好きだったようです。


le 29 dimanche
//願いましては// 週末、僕は3000円しか使っていない。たいていの場合、病で寝込んでいたとか、給料入るまでの耐乏生活という意味でリアリティーのある週末3000円。
ところが僕は好きな趣味に終日没頭すること二日間で3000円。何の後悔も不満もない。

ずっとこの繰り返し。土日と全力で作陶し、平日は淡々と一日一日仕事をこなす。

没頭できる生涯の趣味って大切だと思います。寂しいとか退屈という感覚が無いので、それを紛らわす散財もあり得ない。これからも、そんな感覚はないのでしょう。


le 28 samedi
//だから止められない//


出来不出来は別として、毎週末、作品を持ち帰る喜びは、パチンコ中毒みたいなもので、もう止められません。

陶芸も、常連の多くは電動ロクロに移行する。僕は手ロクロに拘る異端児。
手ロクロを高速回転させ造る姿は、一つのパフォーマンスのようで、たぶん見られているはずなんです。それが嫌なんで、僕は皆に背中を向けた位置に座る。

今日は、老人が、僕をずっと見る。僕のそばに立ってジッと見る。
見られることは慣れっこになって、威圧感とかは今回も感じなかったのですが、そのジッと見る姿が、かなり長時間。これからは、こういう新しい要因との戦いにもなります。


le 27 vendredi
//浮いた話、無し!!// 風邪引きました。一晩で治します。
夜の都市生活者でもしようかと思ったのですが、控えます。
目が覚めて、働いて、気晴らしと言えば昼休みで、帰宅して寝る。週末は陶芸。
週末の陶芸は最優先されるべきだから、やはり僕が自由に動ける時間帯というものは、平日の夜。金曜かと土曜の夜なら、解放感も手伝います。


le 26 jeudi
//冷たい夜風// 夕食後、2時間近くうとうとと寝たことが数日間。冷たい夜風で肺の中に、なにか雑菌が入ったような違和感がある。弁機能の誤作動で唾液が肺に入り込み、何とも言えないゼーゼー感。
異物が、雑菌となり抗体反応を起こすこともありうるので、これは風邪の予兆かもしれないけれど、この手のゼーゼー感はなかなか治しづらくもある。


le 25 mercredi
//なんじゃこりゃ// と、言うわけで今朝は4時に起きて、昨日の思うことを実行に移したわけです。そうしたところ、僕の肉体的な輪郭は変わらないにしても、輪郭の内側が全てリセットされまして、生まれ変わりというと大げさですが、そんな感じ。もっと早くそうしてあげるべきでしたが、そうしてあげることが正解だったのは、ソワソワ感の自然消滅が物語っています。


とても近くの、でも近寄らない所は、皆が良く歩くホンノ5mも離れていないところ。
昨日、仕事帰り其れに沿って歩きました。前々から、どこにしようと思っていたのですが、歩いてみて、ここしかないと。だから、その先を歩く必要もないくらい、そう実感したわけです。


祈ることも大切だけれど、少しづつでも実行できるのなら、そうするべきだし、そうするべき立場に感謝している。共感も大切だけれど、寄り添うことで一体感となれば、僕はどんなに幸せだろうか。見向きもされないことに寄り添って、一体感と成す。それで別人格になるわけでもない。全く桁違いの深い度量というべきか、そういうものだから、そういう恐れはない。
そういう使命感というか生きている証が寄り添いの一体感としてその都度成就するなら、ますます心強くも力強くもなる。

読んでいる人には全く何の事だか分からないでしょうが、それで良いのです。
数日前から、聖書を最初から読んでいるのですが、まあ、聖書ですよ、驚きの連続。

噛み砕いて書くと、人前で祈る人は、目立つところで祈る人は、結局は目立ちたがりで称賛を浴びたい。そういう意味では、祈りは既に成就している。
つまり、程度の低い祈りはなされるな!ということ。

僕はこんなことをしたんだよ!と書くと、その行為の本来ある高尚な達成感以前に、自慢の成就が成され、前段階で完結という、本末転倒。本来ある高尚な達成感からひしひしと伝わる人生の豊かさを読み解く前に満足してしまうのです。


le 24 mardi
//ある決心// このところ続くソワソワ感は、ある使命の実行だと内々気がついてもいた。
ただ、あとまわしあとまわしとしていましたが、仕事帰り、ようやく決心も付き、あとは実行に移すのみ。一度だけ日記に言及しましたが、僕が陶芸をやるにあたる真の理由みたいなもの。


le 23 lundi
//輝く!第42回・世界ウーマン節// 前厄・本厄・後厄も最終年。
ここしばらく体調というか精神的な調和の乱れを激しく感じていました。
理由は定かではありません。長くつづく乱れは過去にない。なかなかおさまらない。
これぞ、the 厄年って感じのソワソワ感。

祓・大祓しなくてはなりません。


le 22 dimanche
//そろそろ// 中国茶の急須も造るべきかな。二週間後、また5-6個焼き上がる。今回は、相当小さな急須も造りまして、実質は中国茶器なんでしょうが、今、取っ手が思うように作れて、ついつい横手の急須にしてしまう。それだけ、アレには苦しめられたと。


le 21 samedi
//ガソリン・マジノ線//陶芸一往復が37kmなんですが、僕は昔から600円に抑える絶対のライン、マジノ線を設けています。
以前、ハイオクを165円で設定していた頃は、リッター10.2km以上で走らなければなりませんでした。それは全く問題ない。そして、少し前、170円に改定し、僕は10.5kmと経済的に走りを改めなくてはなりませんでした。これも問題ない。そして本日から175円と再改定。こうなると、リッター10.8km。このラインになると、全体として気を使って運転しないと達成できなくなる。
ところが、期間短く180円と再々改定も必要になりそうです。そうなると、11..1km/l
185円だと11.5km/l      190円で11.8km/l
195円で12.1km/l      200円で12.4km/l

実際、200円を突破すると、マジノ線も崩壊の可能性もあり、この場合は、陶芸の回数自体を減らし調整します。

ドゲチなのです!!!


le 20 vendredi
//ってことで//金曜日の晩もどこにも寄らず家に戻る。
どんなにケチってもガソリンはこれから上昇の一途だし、どうしましょう。。。。

エレガンス廉価版の党中央思想建設局をやるべきか。つまり、実践の前に理論武装ってこと。


le 19 jeudi
//2ちゃん// 腸久しぶりに速報ヘッドライン以外を見る。「借金生活」と「ドケチ」が書き込みの内容も対照的で面白かったです。共に生活は楽ではないのですが、ドケチ版の住人は、ケチの先に未来があると、ケチこそ前向きな人生として皆邁進。大いに参考!
借金生活は開き直りや悲壮感が漂っていますが、ドケチは明るいし笑える。


le 18 mercredi
//本日はマダムラマダンの日// そして本日は、大リセット日。祓。大祓の日。
精神統一しましょう。

そう感じるのは、実は、「そうであるから」
だから素直に恐怖して、次の行動に出る。


le 17 mardi
//こりゃ分からんわ。//土岐市の山奥にある謎のカフェ。こりゃ分からんわ。
土日の営業。行くとなると座禅明けの日曜日なのでしょうが、なにせガソリンが馬鹿高い。
高いのですが、さらに高くなるので今が底値というわけで、、、、どうしましょう。
行くべきか行かざるべきか。

いかんいかん。使うことばかり考えていては。。。。


le 16 lundi
//予想以上//の過去最低。過去最低の評価。過ぎたことは仕方ない。仕方ないけれど、なぜが胸騒ぎがする。リセットが必要なのです。
こういうリセット信号を感じる時は、素直に怯えて恐怖して、心をこめて祈るのです。

ただし、祈りは科学。文脈に理路整然としたものが無くてはならない。これが神の加護や大慈悲の賜物で須らく最善の形で解決したにせよ、この偉大性なくして帰依することなく祈るのでは、意味のない独り言になってしまう。祈りには意味を持たせなくてはならないし、そこには理路整然とした後押しがなくてはならない。つまり、自己を冷静に見つめ考えなくては良い文言はうまれないのだ。

臆することはないけれど、根拠のない自身で突き進んでは負ける。
その根拠が世間一般からして大それていても良いのだ。祈る先の根拠は凡人が考える世界の比ではない。常しえに偉大なのだ。


le 15 dimanche
//来年の楽しみ// 急須を造る僕としては茶にも拘りたい。梅とりをしましたが、実はほったらかしの茶の木が何十本とあることに気がつき、来年は手摘みしますよ!新茶の時期に。


le 14 samedi
//命の梅// 毎年恒例の梅とり。とにかく梅肉エキスが僕の血液をサラサラにして、そして痛風の恐怖を遠ざけてくれるのだ。命ある限り、この時期には梅を取り、梅肉エキスを造るのです。集中工事も終わって、はやいはやい、75-80分で着きました!!


le 13 vendredi
//福島の被爆// ここにきて、にわかに顕在化してきた子供たちの甲状腺がん。
いづれ、政権の一つや二つが転覆する大問題となるのかもしれない。

ありとあらゆる歯車が狂っている。

安全と言いつつ、終息と言いつつ、統制下に置かれていると言いつつ、ジワリジワリと現れてくる悪性の腫瘍。

戦争反対と言いつつ、憲法九条守れと言いつつ、自由と民主主義を守れと言いつつ、それを脅かしているのは、明らかに隣国であって、彼らに対しては全く何も言わない欺瞞。

それぞれの存在意義は、偽証の永続性にあるとさえ思えてしまう。得意分野の向こうに隠したい事実があり、もはや隠すことが組織の使命であるような。


le 12 jeudi
//部屋が汚いと//読書も進まず、心も落ち着かず。寝るだけの部屋ではダメなのだ。
最近、財布の紐が緩い。一度、締め直し、質素倹約闘争を実行せねば。
ガソリンが200円近くになったら、例え作陶であっても一回は見合わせ。


le 11 mercredi
//頼まれて不利益を被る、その二回目// こんな役回り!!!!んっっっもう!!
人を助けて自らの評定を下げるのですから笑ってしまいますよ。アホらし。

こんな程度の低い次元から超越した世界で時を過ごしたいものだ。


le 10 mardi
//日本茶カフェ// この手のカフェが増えればと思う。僕は親戚に茶農家もありまして、旨いお茶には恵まれて育ったこともあり、味にはうるさいです。
確かに旨いのですが、もっと旨い茶葉を求めるのです。

昔、それこそ手摘みの新茶を頂いた時は、幼き頃にも絶品を褒めたたえたものでした。あれに匹敵する茶は霜の害のない年の中井侍くらいかも。


le 9 lundi
//緑川夫人//



le 8 dimanche
//頭から離れない//一つの懸案を処理するため、今回もまた静かに祈ります。

昨日今日と味のある作陶が出来、今日はまた程度の良い物が焼き上がる。
来週は、土曜日に二時間だけ。釉薬掛けだけしかできませんが、それは再来週に手にする楽しみのため。


le 7 samedi
//ユノネホウボウ//瀬戸市で小さいながらもレベルの高い作家市。いつもの作陶仲間4人で、馳せ参じました。いろんな人とお話もでき、楽しいひと時を過ごす。

せともの祭も、目当ては新進気鋭の若手作家さんたち。彼らは企業的なメイン会場から離れ、作家市を開くのですが、それを一回り大きくした感じ。


le 6 vendredi
//肝臓休めよ!!//今日も、あの秀逸な居酒屋に行きました。会社の人を三人連れて。皆、口ぐちに旨いと言う。

私の見立てに間違いはないのだ!!


le 5 jeudi
//11万円也// 車のドアの調子が一つ悪くて見積もり出したら11万円也。
陶芸ばかりなんで、見て見ぬふりもできますが、
陶芸ばかりしていると、こういう不意の修理代も痛くないのが嬉しい。

偉そうなことを書いていますが、僕も、如何に心を満たすかで日々動いている。
平日は極めて抑制的ですが、それは週末に担保されている余裕から。
では、その週末に何しているかというと、ここ3年ほどは陶芸なんで、以前の生活に比べたら雲泥の差。

昔はシティーホテル行脚をしていました。今から思うと、これも心の隙間を埋める動きなのでしょう。そしてドライブ三昧。たまに地方都市で過ごす夜も企画し、でも、振り返ると何で心を満たすかなんです。たまたま酒やギャンブルに走らなかっただけ。そういう依存の恐怖からは一線を画していましたが、それでも心を満たそうと動きまくる週末。

同一線上に轆轤の回転があります。心を満たそうと毎週末の瀬戸通い。

人間は案外単純で、誰かれなく各々の心を満たそうとして個性的な行動に出る。

親の愛を知らず育ったものは、たぶん生涯、代わりの愛を求め彷徨うでしょう。
物質的に苦労した者は、物質的な充足感を何よりも大切にするはず。
干渉や騒音で悩んでいたものは、孤独な行動を喜んで楽しむでしょう。

そういう単純さは内容は違えども万人に共通だと思う。何で心を満たすのか。
その満たし方に、賢さや知恵があるかどうか。

最もアホなのは、頼ること。買い物依存やギャンブル依存。薬物依存。
そういう単純スイッチで満たされる脳にしてしまうこと。

本来、充足感は簡単に手に入ってはならないのだ。努力や思慮の先にあって正常。
たまに分泌されて正常。高なる昂揚感を週末の地下の社交場で毎回得るのなら、脳は劣化も激しいと思う。それを薬物などで得るとしたなら、やはり行きつく先は廃人なのかしらね。

心を満たそうと、人間は死ぬまで試行錯誤すると思う。
それが正常だと確信する。そこに人間の進歩があるのだから。
お酒で解決する人は、労働の先に飲む酒なら合格ですが、その労働でさえ割愛して飲むのなら、思慮や努力が皆無なので、満たすことの連続状態であり脳は疲弊し、そして麻痺する。
快感は、努力などの非快感の先にあって、丁度良いのだ。

睡眠が脳を再生するように、非快感の日常生活もまた、起きてする脳の再生。日常の生活は、すること自体が睡眠と同義で、脳の再生につながるのだと。


そうそう、人は歩く姿で9割分かる気がする。ダメな人っているもので、観察すると歩き方がダメ。歩きながら体の下半身から生命エネルギーというと大げさですが気力を垂れ流している。
20人に一人いるかどうかだけど、気だるくしゃがみこむ素行の悪い若者なんてのは、若くても既に歩き方がダメ。気力を垂れ流して行動している。
野生の動物にとって、無駄な行動とかはないと思う。摂取したカロリーを最大限効果的に使う筋肉のあり方や動き方。人間も同じだと思う。ところがダメな歩き方をする人たちは、カロリーも運気も気だるい体から大地に排出するようで、まあ、転職を極端に繰り返す人たちなどに見受けられます。

体から湧きだすエネルギーは、内に蓄えてこそ、その人のオーラというか凄みで、
会うたびに凄みを感じる人は無駄に排出していない。そういう人は狙いを定めたことは成し遂げる能力もあるけれど、当たり前と言えば当たり前。目的を絞って排出するのだから、野生の動物が獲物をしとめるのと同じこと。成し遂げる。

文句ばかり言う人。トラブルばかり起こす人。何をやらせてもダメな人。
負を抱える人がいたとしたら、一度、歩き方を見てください。
次の目的の場所に向かうまで、彼は目的なく歩きます。目的なんて達成しようとは端から思っていないのですから。


le 4 mercredi
//楽しい飲み屋// 正直申しますと、何年かぶりに飲みに出て楽しいお店と出会うことが出来ました。

本日は、フランス料理に居酒屋に芸者バー。どれも秀逸なお店で大満足。

評価の高い店は、やはり基礎基本に秀でていると思う。
お食事なら、旨い料理が出せれるか。
居酒屋なら、お酒が美味しい脇役が取り揃えてあるか。

若いとかそういうのは関係ない。
行けば必ず会えるとか、行けば必ず営業しているとか、そういう基礎基本があるかどうか。
ここを疎かにすると、敢えて行く意味がない。賭けみたいになってしまうから。


le 3 mardi
//リセット睡眠//どうも体内時計が狂っている。時計というより体が夏モードに切り替わる途中のアンバランス。前の季節の感覚を引きづって新しい季節に対応しようとするから、不整脈というか、乱れるのです。僕は季節の変わり目には、思いっきり早く寝て体を新しいものに慣らす、そんな調節をするのですが、今、それを必要としているのでしょうね。


le 2 lundi
//なんて新鮮!//月曜日だと言うのに、帰宅後再び出歩く。実に実に素晴らしい居酒屋を発見。何の知識もないのですが、この店は旨い!とピンとくる。とても古い店。戸を開けると通で満席。我ながら、この分野の嗅覚には自分でも驚くことがしばしば。

はじめて会う人だと言うのに、来訪の記念にマダム焼を一つ。
ふだん、あまり会うこともないので、こういう機会には、大盤振る舞いです。


le 1er dimanche
//街に出るのは//検査会の結果を聞くため。陶芸は4時間で押さえ、栄に馳せ参じました。今日もまた街に溢れているわ!

週末の都心なんて、実に実に珍しいのですが、増税後の景気の落ち込みは、この活況を見るに感じられません。
ただし!!!それには注意も必要。
街に繰り出す人たちが、家を車を大学進学を既に諦めている人たちも相当数いるはず。
昔は出来た贅沢を今は出来ない。そういう人たちは層を成して存在するはず。

庶民の生活から「安定」が去った今、手元の贅沢で憂さを晴らすしか方法がないのではなかろうかと。街の活況は、それ以外の選択肢がない人たちに寄っても構成されていることを忘れてはならないし危惧しなければならない。



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