令和6年6月juin.2024 le 30 dimanche 日曜日 //夏越の大祓//明日から一年の後半戦です。前半は本日で終了。 人生において良き転機は何回かありますが、今でもありがたいと実感するのは瀬戸を卒業してからご招待された熊の湯の温泉旅。時折、あれが一つの転機であると思い起こすのですが、去年の夏越の大祓の日記にも、その感動が書いてありました。人生は心一つの置き所。これは中村天風師の言でもありますが、全く同感であります。来月は、楽しみな温泉旅が控えています。 さて、今月は誕生月でもありました。52歳になったわけです。芸ではありますが、その方面の活動は9モソを見るのみ。今や性病検査も、何年か前の検査以降、事案が無いので不必要という状況。 芸である者が、どの世界で生きるのか?? 私は、その割合は低ければ低いほど良いと考えます。この考えは30年くらい一貫していて、今や全くの優等生になりました。理由も明確で、世界の素晴らしさ深さは、広い世界に属していて初めて会得できるもので、芸の世界で物事を見つめる、そんな生活が習性になると、井の中の蛙になると危惧するからです。もちろん、仕事以外は芸世界。仕事とも余暇も全て芸世界という人も居るのでしょう。彼等は理解してくれる安心領域にその価値を見出しているのでしょうね。それも理解できますので、それぞれの生き方というわけです。働き方に一人親方なるものがありますが、私は一人芸。この道を命尽きるまで進むことになります。 //振動//たまに焼き直しをして蓋を開けると真っ二つに割れるものがあります。特に平皿は見ていて思うところも沸々と。焼き直しなので、素焼⇒本焼きではなく縮小することはありません。ところが二つに割れた平皿には2-3cmの幅があるのです。割れてなお、2-3cm間を空ける。つまり窯の中では振動が発生しているのです。耐えうる限りは一体型を保ちますが、割れてしまうと、それぞれ離れようとする動きが顕著で2-3cm。 振動。周波数。共振。磁場。重力。結晶釉をやっていると、このような目に見えない作用も大きく左右するのだと思えてきます。 le 29 samedi 土曜日 //2525ペンダント//笑っている顔のペンダントを作っています。もし世界中の人が、このペンダントをしていたなら争いや犯罪は激減するでしょう。宗教的記号のアクセサリーは敵対勢力の殲滅に加担する恐れもありますが、2525笑うペンダントは、暴力的衝動を面的に抑制すると考えるのです。 2525ペンダントをしている人に上司の怒りは消滅するし、相手方の胸元に2525笑うペンダントを見れば悪口や嫌味も言う気力を消失します。これを見た相手方はアナタに微笑むだろうし、見知らぬ誰かも付けていたら、お互いに心通う瞬間が流れるはずです。 そんな2525笑う顔を機械的な印刷ではなく手書きで心を込めて描くことで神秘的な力も湧くと思うのです。 le 28 vendredi 金曜日 //釉薬実験から思うこと//これは人生の岐路に通じるものがある。実験で素晴らしい釉薬が出現しないと、そんな釉薬は存在しなかったと思うことが出来る。ところが誰よりも失敗を繰り返して分ったのだが、素晴らしい釉薬は、その扉を開く前は例え扉の前に立っていても、存在を明かさない。 素晴らしい世界は、その世界に入るまでは、全く存在しないのである。 ①この扉も、あの扉もダメの連続だけと、何番目かの開ける扉に素晴らしい世界がある。 ② ①と同じ世界が続くけど、気になるダメ扉の世界に入ってみて、その環境に根ざした実験を実施する。 ③ ①の世界が広がる。 もしくは ④ ②の行動をとる。 こうやって美しい釉薬を見つけるのです。 高層ビルの大都会があって、どこかのビルの何階かには確かに存在する。これを地上に降りては隣のビルの調査としらみつぶしに調べる方法と、この階は怪しいとそのフロアの部屋を一つづつ調べる。 でも、大都会の上空から眺める存在(A)があったなら、素晴らしい釉薬のありかは簡単に見つけることが出来るのだが、低い次元でいると登ったり降りたり、立ち止まって調べたりなのである。 幸いにして私は、素晴らしい釉薬を数多く発見できている。失敗は多いが、しらみつぶしの実験はしない。②とか④の行動を感覚的に採用する。そして閃きがあると、それをそのまま実行する。この閃き(もしくは衝動)はAであると信じるからだ。 le 27 jeudi 木曜日 //順序だった衝動//染付用の素地を作っています。前々から計画したあったとかではなく、騒動が湧いて取り掛かる。ですが、この衝動も表の意識ではそのものですが、実際のところは、その段階が来たのでゴーサインが出たと思っています。 特に、一人で生きていくことになってから、心に湧くすべての事柄は、成るべくして成る、その時期の到来の証拠なのだと、湧き上がってきたものに意味を感じるのです。 le 26 mercredi 水曜日 //教えてくれない、再生//瀬戸時代を過ぎて分ったことですが、あの二年間は有難く、粘土も実験も使いたい放題のような環境。再生とかに時間を割くより、未知成ることの探求を優先させてくれた二年間。 ところが、実際は卒業後の環境は湯水のごとく使えるわけでもなく、大切に無駄なく。この感覚は大切になりますが、そういう方面の教授は一切ありませんでした。私は入学前から工房のある環境なので、ある程度は身についていますが、それでも試行錯誤の結果の再生方法。 本日は粘土の再生をしました。石膏桶で泥水を粘土に。石膏を使う以前は本当に大変でしたので、こういう知恵は、もし講師に呼ばれることがあったら真っ先に伝えたいことです。 le 25 mardi 火曜日 //制作は明日から//調べもの一点と釉薬の調整。あとは非生産的な時間を過ごす。明日から製作再開ですが、窯出し⇒施釉⇒本焼き、のあとになるから午後からかな。 youtubeで見ることができますが、美輪明宏さんが芸能に入った幼少の出来事が運命的というか天の采配はあるものだと聞き入りました。 le 24 lundi 月曜日 //戦後処理//朝一番に片付け。それから釉薬の再生、窯出し、施釉⇒本焼き。棚板補修と午前中の生産性の高さにはビックリです。一転、午後はお休みなのですが、夕食後は何かしら仕事をしましょう。 新工房が完成したら一つ作ってみたいものが、素焼で気化熱を利用したクーラーみたいなもの。例えばチューブ状の素焼菅を立ての次は横に積み重ねて立方体にする。これを水の中に潜らせたのち扇風機の前に置く。隙間から風が流れますが気化熱で涼しくならないものかと。 それか素焼菅大の中に素焼菅小を配し底部は大小の間のみ繋げる。真ん中は空洞。。これによって素焼菅大小の間に水を入れ扇風機を菅の上部に配したら、素焼菅中央の空洞を通って風は下から抜ける。この間気化熱で温度も下がると考えるのです。 le 23 dimanche 日曜日 //二日目//以前、レンガ一個分の余白がもったいなくて、小さなアクセサリーを作ったのですが、これを試しで置いて見たら反応が良い。それは今回も。ちょっと新しい柱にこの分野を指定しようかと考えています。一方、今回はお皿関連が全くダメでした。反応は良かったと思っているのですが、高貴過ぎて遠慮気味になるのかしら??お値段も高いし。 これで上半期の出店は全て終了。まだ当面は名古屋ミニミニ工房での制作なので、手回し轆轤で表現できる世界の極みみたいなものを表現できればと考えています。 本日、52歳になりました。今を迎えられること、全てに感謝であります。前職を辞したのが48歳で、人生の流れを変えましたが、未だ安定した姿ではありません。発注した電気窯は完成の知らせなく、名古屋の狭小工房で日々頑張っています。瀬戸時代を終えて浜松での出店からスタート。数か月後、もっと多くの機会を得なくてはダメだと言われ、それから方々にエントリー。これは当面続けます。 一つ誇り高いのは、値段を自分で決められること。これぞ資本主義に生きる我々にとって、大いなる喜びの一つだと確信するのです。自分で作って自分で売る。この間に他者の介入が無くて自分で値段を決められる独立性は、日々の活動の誇りです。 le 22 samedi 土曜日 //初日//クリエーターズマーケット、初日。今回も学ぶところ大です。私のように無名作家だと、会場数時間は閑古鳥。それもそのはず、無名作家はグルグル回ったあとに、漸く購買候補に浮上する。ところが有名作家は、意の一番に、裏の作家さんなんて整理券を出すくらい。 今回は前回の半分の大きさ。2×2mなので圧迫感があります。展示の仕方も、改良の余地ありで、こういうことが今書けるのも経験故のことです。何回も何回も経て無名から有名になっていくのでしょうか? le 21 vendredi 金曜日 //天からの授かりもの//昨日の夕食後、なんだか急に気分が軽やかになり家の前の公園を久しぶりにつま先ウォーキング。可愛いムクちゃんと一緒に散歩している感覚で、全く満たされた時間となりました。池を囲んだ公園を一周するのですが、それも終わる頃、カラスの羽が一つ落ちていた。 それを拾い上げて歩いて気が付いたのです。手の振りと一緒にカラスの羽も前後に大きく動く。羽の軸みたいなところを持っていて微妙に動かし羽の角度を変える。すると、ある角度で羽が大きく空気を拾うのか振動し始める。全く僅かな角度でしか起きない現象ですが、確かにある角度において前後に振ると、空気を流すのではなく受け止める。この受け止め領域で浮力が発生するのだと。だから鳥類は大空を自由に飛べるのだと。 まもなく誕生日ですが、天から私に授かった大いなる恵み。天恵であり天啓。 陶芸の道を選んでから、毎日夢中で生きています。もっと良いものを、喜ばれる物を、世界が賞賛する美しさを、私がこの世に具現化する。その圧倒的な美を産み出す機微な頃合いは誰も教えてくれません。ですが、拾い上げた羽で分ったのです。世界的な美の創出、大いなる飛躍は、見当違いな方面に存在するものではなくて、今の夢中の少しだけ次元の違う領域にあるのだと。その領域に接続できる範囲は大胆や不遜であっては気が付かない。少しだけ操作した先にあって、その世界の住人になった時、浮力が発生し、大いに飛躍するのだと分ったのです。 見えないからといって全くこの世に存在しないと諦めてはならない。見つかる直前まで見えないのだから。天が私に教えてくれたことは、近いぞよ!と言うことであり、今の夢中を冷静に少しだけ操作しなさいとのことです。 さて、本日のことも書きましょう。車のカギが無くなり家の中で探しては見たものの、全く分からず。家の中で紛失したのは確かなので予備キーで日進と新瑞橋に行く。戻って探しても見つからない。とうとう困り果てて、可愛いムクちゃんに、どうしよう!?と泣き言を言ったら一分もしないうちに見つかる!! ムクちゃんありがとう。今でもムクちゃんが近くにくる感覚とかがあります。それが私の顔の周りで、170cmあたりなのですから、魂ですね。亡くなった時の悲しみは深いものがありましたが、ある時から、亡くなっても遠ざかるものではないと実感できるようになりました。生きていた頃と変わらない接し方を毎日しています。 le 20 jeudi 木曜日 //模擬展示//旅行でも通勤通学でも、私はいつも必要以上のものを持ち歩く。この比率がおかしくなってきて、最近は不必要なものの方が与党の議席。これでは駄目だと解散です。模擬展示をして、その分だけ持参することにしました。何という身軽さかな。 le 19 mercredi 水曜日 //回数を重ねて//久々に平碗を作ったら、その時は上手いと思ってみたものの、焼き上がると下手過ぎて閉口してします。久々にある形状に着手すると20個くらいは試運転の状態となる。 さて、平碗を作って思ったのだが、そろそろ形状を2-3種追加して豊かな構成に仕上げていこうかと思うのです。卒業後、一輪挿しから初めて平皿を。それからマグカップ。時期的に輪郭を変えていく頃なのでしょう。 le 18 mardi 火曜日 //早く寝よう!!//最近、日付変わってから寝ています。この弊害は顕著で起床が7:30とか。一度、仕切り直しをせねば。怠ける自由があって、それが知らない間に忍び寄っていた。。。 それにしても時間が無い。今月は出店を控えたのですが、やはり時間が無くなってしまいます。 le 17 lundi 月曜日 //threads//インスタ提供の別アプリ。私のインスタアカウントからも入れます。これがインスタ以上に面白いのではと思うのだ。と、言うのは作家は美しい作品を挙げますが、虚空の世界で制作しているわけでもなく美に対する哲学などを持ち合わせている。threadsが、そういう観念的な発露の場になっていて、読んでいてとても面白い。 やはり日々孤独になって作品を作る人の情熱は、理論武装というか思想というか、脳内に重い存在として構築されている。そのくらいの鬼気迫る思いが無くては美の創造を完遂させることも難しいのでしょうね。 私はこの場において日々陶芸の思いを綴っていますが、こういう思いは私に限ったことではなかったのだ。 le 16 dimanche 日曜日 //愚か//例えばロシア。愚かな政治指導者一人のために、国家国民が今後末永く没落の道を歩もうとしている。この例えを縮小していくと、愚かな党首のために政党が、愚かな経営者一人のために会社が、愚かな家長のために家庭が没落すると言えますが、究極的には愚かな心持ち一つで自らの人生を没落せしめるとも言えます。自分の心の置き所が愚かであれば、今のロシアの行く末が簡単に占えるように悪しき道が確定してしまう。 愚かな心の置き所とは何であろうか??? 怠惰 気弱 強情 狭量 怒り 高慢 。。。。。もろもろ言い続けられそうですが、終局的には【怠惰】に収まるのではなかろうか?? 気弱も強情も他全ても、もっと心を広げて観察すれば、他なる対応も出来ましょうが、それをしない。つまり怠惰である。自分は正しい!!!私は怒っている!!!許すことはできない!!この道しかない!!!!これら全ては自らの観察が足りないとおもうのだ。いやいや自らを冷静に見つめることを避けている恐れていると思うのだ。 難しく考える必要もなくて、基本的に怠惰になってはならぬのだ。怠惰とは本来するべき事を避けること。怯えたり避けたりするのは、いやいや、それを隠すための怒りも放蕩も全ては怠惰。何かが上手く行かないのは、何かしらするべき事を避けている。 怠惰を心の置き所にしてはならないと書きましたが、怠惰を意識して生きるのも次元が低いと思う。私は常に頑張っているのか!?と問い続けることも、狭量で愚かな心持ち。これも難しく考える必要もなくて、毎日を一生懸命に生きているか。今という瞬間に全力でいきているの??言い換えれば夢中で挑んでいるのか!?に尽きると思う。 前職で多くの人を見てきた。丹田に力が無いというのか「腑抜け」みたいな人が一定数存在する。ダラダラしながら時が過ぎるのを待つだけの生き方。一生懸命挑む気持ちが湧かないのでダラダラ過ごす。この世に生まれて一日は同じ24時間だけれども、怠惰でやり過ごす人と夢中で生きる人では全く違う人生の道が用意されるのだろうと思ってしまう。 こう考えると、怠惰という心の持ち様は破壊的なのですが、夢中になれない空間に身を置いている悲劇的な環境も、同じく破壊的な力を帯びている。 夢中の対義語は無関心ではなく怠惰なのかも。これらは対になっていて、夢中を手放した心には例外なく怠惰がその地位を占めると思うのだ。 le 15 samedi 土曜日 //理想の社会//なにやら栄方面で、こちらの権利拡大示威活動みたいなのがあるとのことです。この手のイベントには昔から否定的で、それは今でも変わっていません。理由は簡単で、権利拡大を訴えるのは良いのですが、それと公道において半裸に近い衣装で喚きたてることが一致しないからです。半裸とか女装とか、それを公道で披露することによって、どのくらいの人が救われるのでしょうか?? 大人しく過ごしている仲間たち。ある種、大人しく過ごしてようやく家庭や社会で得た均衡を、権利拡大の言う名において、再び居心地悪く仕向ける力学にも配慮してほしいものです。 目指すべきは、能力があっても芸だからという理由で正当な評価を受けられない、前時代的な悪弊の一掃であって、半裸で公道を練り歩き何かを叫ぶ事ではない。上記、一点のみが解決されたら、特段、示威活動をする必要もないと考えます。 黒人だから成績が悪くても一定数優先的に大学入学を認めてきたアメリカが、これは差別解消でもなんでもなく、新規の差別であると弾かれた学生の怒りの声が大きくなってきています。黒人が成績優秀でも黒人故に入試に落ちるのなら立ち上がるべき必要もありますが、これが解決したというのに、何を求めると言うべきか。それ以上の権利拡大は誰かの犠牲を強いるものである。 やはり正当な努力で競い合ったり評価されたり、こういう世界であるべきだと思います。 le 14 vendredi 金曜日 //明日のこと//明日は朝一に素焼の窯出し。それを直ちに施釉⇒本焼き。それからコインランドリーに行き自宅に戻る。この時刻がいかほどのものなのか??早ければ多治見に行き美術館巡り。 と明日の事を書いていますが、本日したことといえば本焼き窯出し⇒素焼き窯の窯詰。特筆することといったら、�テレビショッピングで気になっていた【ここひえ】なる冷風扇。これがガラクタ市で500円で売っていたので先日購入したのですが、本日稼動。3度位冷たい風が出るものの部屋を冷やす能力など全くありません。未だ梅雨入りならずのからりとした日であるから良いものの、湿度高い風は梅雨時など無理ですね。 le 13 jeudi 木曜日 //メダカちゃん//この春、メダカを3匹買ってくる。翌日、全員行方不明につき4匹購入。すると5匹確認できた。しばらく5人家族でありましたが、あるときから二匹に。雄と雌。この二匹がとても仲が良い。いつも一緒に泳いでいます。たまに稚魚が泳いだりもしますが食べられるのか、なかなか三人四人と家族が増えません。ただし、五匹の時には確認できなかった相思相愛なメダカちゃん。当面は、この二匹を愛でるとしましょう。 le 12 mercredi 水曜日 //まったく見事なB級品//底面に小さな亀裂ありけり。これさえ無ければマダム宝でしたのに、残念&無念。 急遽作り直しになるのですが残された時間はわずか。明後日の朝に素焼だから、でも、この間に乾燥もさせなくてはならない。 le 11 mardi 火曜日 //買物の付き添い//本日は母上の付き添い。明後日も。諸々のお買い物を一緒に行くのです。昨日と同じ内容ですが、私がこの道を選択せず勤め人のままだと、今頃、崩壊しているはず。芸で良かったと思っています。もし私も家庭を持っていたら、誰が面倒を見るで大事でしょう。そういう言い争いも、兄と私では背景が違うので議論以前に私が引き受ける。これがとても自然な流れ。 もし私に陶芸が無かったら、介護のために収入が減った人生が変わったと恨み辛みも言いそうなものですが、それを全く封印するのだから、陶芸家として生きるのは好き嫌いではなく運命なのだと思う。 le 10 lundi 月曜日 //付き添い//本日も父上の付き添い。水曜日も。病院に行くのですが、送ったらそれでokではなくて、呼ばれたら診察を受けられるようヨタヨタの父上を介助。もし、私が前職のままなら、そろそろ、構造的問題にぶつかり、誰が何をするのか喧々諤々の言い争いが発生しそうですが、御先祖様が予見したのか、そうなる前に私の生き方を変えて来るべき日の対応とした。 実家住まいで独身。相談するまでもなく介護一切は私が引き受けていますが、特に不平はありません。これ故、大好きな陶芸で生きていくご褒美を貰えたのだと思っています。 le 9 dimanche 日曜日 //一日遅れた//只今20時前。本日は陶芸関連を全く行っていません。窯出ししただけ。。 寝る前に若干の施釉だけでもしなければ。 まあ、たまにはこういう日があっても良いものかと。 本日はpcの調子が悪くて、そちらの対策に没頭というわけ。 le 8 samedi 土曜日 //未知は私だけのものではない//私はこの先どうなるのだろう??と思う時がある。芸であり、なおかつ同居人も友達もいない。孤独の先に見える光景は??と考えるのだ。 こういう内容を書いてしまうと、只今意気消沈しているのではと誤解を呼びそうですが、そんなことはないのです。 でも思うのだ。こういう思いは私に限ったことではない。私が退職を選ばず、今も引き続いて同じ日々を繰り返していたとしても、やはり、この先どうなるのだろう??と考える時はある。もし未だに名駅5丁目に通っていたとしても、退職年齢は何歳だろう??陶芸はいつまでたっても片手間なのかな??何とかして売ってみたいな??こっそり売ってバレてしまったら副業発覚でややこしくなりそう。。とか、やはり考えているはずだ。 つまり、どの選択をしたとしても未来の事など何も分からないのだから、命ある限り一秒先は全て未知なる世界。考えるだけ徒労に終わる。今を一生懸命生きる以外に選択肢は無いのだ。その中で道を変えるか、そのままでいるのかと選択をするのだが、どちらを選んでも一生懸命であるのが命の本来ある使い方なのだろう。 ただ、この先、近親者の数は減っていき天涯孤独に近い世界になろうかと思うのだが、それでも今この瞬間を一生懸命生きる、このことを忘れてはならない。いや、ますます重要性も増すだろう。 le 7 vendredi 金曜日 //私がやらなくて誰がする!!!//私が生み出す造形は私のみが成せること。故に、私がやらなくて誰がする!!誰もいない。となります。凄い世界に足を踏み入れたと感じます。私が怠けたり弱気になれば、本来、生み出されるものが世に現れない。こんな人類にとっての損失になるような選択をしてはならぬ。適度な安息も織り交ぜながら、生涯、創造の道を進みましょうぞ。 漸く、前職の夢を見ず新しい世界の夢を見るようになりました。ここに至るまで長かった。この春までは毎晩、前職の夢を見ていましたが、夢見る世界が新しいものに変わり私も一つ新しい段階に行くのでしょうか。 本日は15時ごろから爽やかな青空に。施釉していたのですが、陶芸と共に生きていくことに心の深いところから感謝の念が湧いてきました。2011年の2月の最終土曜日に陶芸に目覚めた私ですが、以来、仕事以外は全て陶芸に傾倒し、2021年3月には仕事も止めて陶芸に専念することにしました。時に味わい深く思い出が湧いてきます。2011年の衝撃はビックバンのようであり、時間があれば陶芸館に行き、それが叶わぬ時は瀬戸などの陶芸関連の展示とか史跡巡りとか。 本日は午前中に瀬戸の山奥の古窯痕に行く。前職時代、瀬戸に用事があって昼休憩にこの場所を選ぶこともありました。興味深く見て回り、心ではいつの日か陶芸の道に、陶芸家として生きていけるようにと願ながら見て回る。今も昔も陶芸に夢中だけれど、あの当時の夢中、あの当時のトキメキなどを思い返すと、味わい深い情景になるのです。 信州は飯田の北隣に、あるお地蔵さんがあります。この縁起を南信州新聞で読み、陶芸初期にはお参りに行ったものです。陶芸家になれますようにと思いを込めて祈る。それから自作の香炉を備えましたが、これは今でも使われています。以来、なんどかお参りしたのですが、先日の駒ヶ根へ行く道中にも。 私には2011年以来、陶芸にまつわる多くの情景がある。それは陶芸家になれますようにと祈りの旅でもありました。今では幸いなことに祈りの内容も変わりまして、陶芸家として大成出来ることへの祈りでありますが、こういう私の心の置き所は幾つかありまして、人生を豊かにしてくれる。 le 6 jeudi 木曜日 //奈良県日帰り//両親に新工房を案内。それから私のみ御杖村の道の駅に行き炭を買う。奈良県でも御杖村に日帰り。紀伊半島内では海から最も遠く標高も高い。4度ほど涼しいのですが、信州のように雪渓があるわけでもなく、山岳の勢いが全く違う。森林限界のある山岳に比べると、どうしても可愛らしいものになってしまう。 le 5 mercredi 水曜日 //メダカちゃん//毎日何度もメダカちゃんを眺めます。すると頭に新しい意匠が浮かび上がる。本日は、それを具現化しました。こういうことは度々ありまして、デザインを考えることなく素敵な造形をスラスラ勝手に手が動き、いつの間にか形になる。有難いことです。 本日は素焼き窯。多少余白があるのですが先を急ぎたいので点火。ケチな私としては珍しい決断。 //私を現す5本の柱//果たしてあるのだろうか?? ●平皿 ●一輪挿し ●結晶釉 ○香炉 ○急須 ○は現在、特段作っていません。それと結晶釉は確かに私を現わしますが特定の形状ではない。 le 4 mardi 火曜日 //まるでダメ//本日の作陶はまるでダメでした。昨日と同じ事なのに。昨日はスラスラと出来上がったのですが、本日は何回挑んでも上手く行かない。このような不思議なことは良くあるのです。 //梅干しみたいな顔の人//駒ヶ根での話ですが、私の所に梅干しみたいな顔の人が酸っぱい梅干しみたいな顔で作品を少し離れて凝視する。変な人だと思ったら、この梅干しさん、以前にも何処かの会場で同様な出会いが、何回かあります。笑ってしまうのですが、この梅干しさんはお客さんではなく同業の人。トイレに行くとき、彼のブースの前を歩いていたら器の向こうに梅干しさんがいました。 私とは全く違った作風。それなら、もっと親しく近づいてくれたら、彼是お話しするのに、まるで私の作品が、どの位の値段なのかとか調査員のように見る姿は、また何処かの会場でもあるのでしょう。 le 3 lundi 月曜日 //0:02//自宅に到着できたのは月曜日になって2分後。それから就寝して緊急地震速報で起きる。それから午前中は戦後処理と名付けた御片付け。午後からは作陶。次はクリエーターズマーケットなのですが、案外時間が無いと分りますので、本日は午後より作陶。 le 2 dimanche 日曜日 //冷たい雨//一日中冷たい雨が降る。本日は売上0だと覚悟していましたが、昨日と同水準。この企画の底力を知りました。心より感謝いたします。 撤収作業はノンビリ行う。大半が撤収を済ませた後に車を入れて積み込む。 それから名古屋に戻るのですが、本日中の帰宅は叶わず。 le 1er samedi 土曜日 //初日//朝、6時ごろに目を覚ます。7時過ぎには私の場所に行き、設営の最終仕上げ。気が付けば10時を過ぎて開始時間を経過。 明日は雨予報なので本日が全て。実は何年か前、お客さんとしてこのイベントに参加したことがあります。広大な敷地に多くの作家がタープを張りお店とします。実は出店して実感したのですが、この立場になると他の作家さんのお店に伺うことが出来ないのです。実に多くの陶芸作家さんの作品を見れる機会なのですが。お客さんは歩いて見て回り、意中の品を探します。私の近隣でも10店ほどの陶芸作家さんがいましたが、会場全体だと陶芸で50以上なのかしら?? その中から私の作品を選んでくださるお客様には感謝に尽きます。 本日の営業時間が終わりました。本日はホテルです。安堵したのか急激に体調悪化。それでも明日の食料や防寒具等を書い足しに行かねばなりません。悪寒もするのでコンビニで激辛のカップ麺を食べるのだが、これが益々気分を悪くする。 チェックインしてからビタミンcドリンクを飲んで2.5時間仮眠する。漸く背筋を伸ばせる。熟睡ですと言いたいのですが。。。 2.5時間後アラームで目覚める。すると熟睡していると思っても夢を見ていたのです。夢は浅い時の見るのではなく、寝ると言うことは覚えているかどうかは別として夢を見る行為なのだと。 この後、充電していた車を移動させ、熱いお風呂に浸かって再度寝るのですが、あれほどの体調不良がケロリと治る。私は風邪を引いたのではなく陰陽のバランスが崩れていただけなのだと。 |
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