令和4年5月mai.2022


le 31 mardi 火曜日
//整理できませぬ//今日は午後からA指導員先生の講義。座ってばかりの4時間でしたが、アッという間に終わってしまいました。インプットが多過ぎて整理できない私です。帰宅後、轆轤を回しましたが、これという造形が出来ず収穫ゼロ。焦りだしたら、これぞスランプだと認識するのでしょうが、何にせよ越えなくてはなりません。不作が続いても良いのだ。挑み続けたら、その先は近づくのだから。

詰まるところは、心意気。心の持ちよう。美に対する、自分自身の造形に対する敬意が希薄なら、断念も早いだろう。私の憧れる人たちは、その辺りは突破している。突き抜けているから突破したのだ。スランプなどは、この程度だと瞬く間に駆逐していったと思う。


le 30 lundi 月曜日
//越えてから花開く//免許を更新しました。あんな不細工な顔を今後5年も携行するなんて。何かの罰則だわ。

良きも悪しきも、努力も怠惰も、ある一線を越えてから花が咲くと考えています。例えば「死ね!」という言葉。一言二言口にしたからと言って何かの天罰が来るわけでもない。ただ、死ね!が口癖の人や心で叫びまくる人はある一線を越えた時から人生は音を立てて崩れ去るだろう。それがどの辺りなのか誰にも分からない。と戒めみたいな発想は努力や善行でも言えると考える。数回の善行で、その人に福が来るわけではない。ちょっとした努力が報われるわけでもない。やはり努力や善行もある一線を越えてから花が咲くと思う。もちろん、その線がどこにあるのかは誰にもわからない。と言うことは、努力と同時に死ね!が口癖なら、きっと同じところをグルグル回ってばかりなのかもしれません。

悪しきことは避け良きことに励む。怠惰を放逐し努力する。背反しない生き方こそ忘れてはならないのだと。これは作家活動でも言えると思う。売れないからと弱気になって作らなければ、それでおしまい。兎に角、作り活動する。ある一線を越える方法は、ただただ前も向いて進むだけなのだ。


le 29 dimanche 日曜日
//爆発的な何か//本日は11時から20時まで休憩を挟みながら作陶でした。それはそれで充実した時間なのですが、コレだ!!!という爆発的な対象が無い。陶磁資料館に通っていた時の急須とか香炉の圧倒的傾倒が今の私には無い。
 それは狂気であると思う。狂う程度の傾倒があっての美よ。いづれ、狂気の対象に出会うと思いますが、そういう出会いは早い方が良い。狂うほどの美。どこにあるのか?

ふと思った。結晶釉は確かに美しいのだが、陶芸において最上位かというと青磁に比べて明らかに格下である。ある意味、現代的で歴史の厚みが無いので格の形成が未発達なのだ。では安直な技術かというと最高に類する難易度である。私は難しい技術を得ているのに、それが作り出す凄味は青磁や染付などに劣る。結晶釉を用いることは正しいのだが、造形が安っぽいのだ。ここは必ず越えねばならない。釉薬の高貴さだけでなく造形の緊張感。
これを結晶釉で表現するのか!!!と思われる作陶。


le 28 samedi 土曜日
//腹が減らん//朝洗車して、それから多治見、土岐、瑞浪、瀬戸と陶磁関連の美術館巡り。どこかで昼食をと考えていましたが、空腹を覚える時間が展示品に魅了されていて、全く食欲がわかない。15時に帰宅したのですが、このまま断食を続行できると思いましたが、急変も怖いので、とりあえず昼食として少量食べました。

久しぶりの美術館、良かったです。そのうちの一つが私の展示もあるのですが、嬉しいことに、私の作品の前で今回も人が立ち止まってくれていました。それと瑞浪の陶磁資料館がなかなか良かったです。美術館というより博物館の展示で、生産とか技術の紹介が他にはない特色。また行かねば。

明けても暮れても陶芸の事ばかり。もっと時間が欲しい。


le 27 vendredi 金曜日
//一か月//朝食を抜く一日二食運動を始めてから一か月が経過しました。一日のうち16時間空腹の時間があって、余分な脂肪を燃焼させてエネルギーにしているのが分かります。これからも続けます。

私はスマホなどでゲームをすることはない。どんなに興じたところで空虚な存在であり、実態が無い。よって雲を掴むような行為に時間は割けない。今は実態である粘土の塊から美と価値を見出すべく修行の身。割ける時間があるなら、全てはここになります。誰かと会いたいとか、全くその手の感情が湧かないのも、これ故でしょう。
 万人に等しく平等なのは一日が24時間。これを何して過ごすのか? 明日は土曜日。久しぶりに美術館巡り。4館全てが陶磁関連になります。


le 26 jeudi 木曜日
//美しさ、優しさ、厳しさ//梅雨の走りでしょうか。雨音が心地良い夜です。

陶芸家として生きるにあたって、常に美しきものを感ずる心は持ちたいし、それは感度高いものであるべし。
 同じく、優しき心も忘れてはならない。これから人と会う機会も減るでしょう。ともすれば誰とも会わない日が、特定の人のみしか会話しない日が散見されるかもしれない。都会で住んでいたら地下鉄で老人に席を譲ったのに、久しく誰にも優しくしていない自分に気が付くのかしれない。釉薬の蓋をとったら、たまに小さな虫が助けてと泳いでいる時がある。今でも私は、気が付けば必ず救い出していますが、やさしさと言ったらそれくらいしか出来ない日々が来るのかもしれませんが、小さな命をも慈しむ心は忘れないように。
 最後は厳しさですが怠ける自由は両の手にあふれるほどあります。そんな自由は遠ざけて、もちろん堕落を誘う話も。


le 25 mercredi 水曜日
//50の重み//人生100年と言われますが、では50歳が折り返しかというと、圧倒的多数は100歳の数十年前には亡くなる。だから人生折り返しというと気は若いのだが、実際は生きていても数十年、健康であっても数十年。決して50年あると思ってはならない。
 残された時間は言うほど長くない。健康でいられる時間はもっと短い。だからこそ50歳からの選択は、我が人生は何ぞや!?と色づける相当に重みのある大型企画になる。そんな大型企画は生涯何度もあるわけでもなく、ともすれば希少な機会となろう。

我が人生は何ぞや!?私のした風変わりな選択も、そのような問答は底流にあって最近は言語化できるようになりました。これを書くと死生観が大半を占め長大になるので割愛しますが、確固とした信念があるのは何より心強い。我が身が我が身を応援してくれる。


le 24 mardi 火曜日
//釉薬浚い//前回の焼成はいまいちでした。観察すると溶け残った粒子がぼつぼつと。対策として80目の篩に濾して、堰き止められた粒子は、まとめて乳鉢へ。終わるのに三日要しました。

明日以降成形に入ります。


le 23 lundi 月曜日
//一か月後//50になります。50のうち21年この日記を書いている。半生記だ。これからも続けますが、もはや語る相手が私自身になっている。大きな木の枝だとすると、私は下の方で枝分れする枝である。あと10年とか15年働いていれば、老後の時間が幕を開けるが、私にはそれがない。働き続かなければ飢え死にするのである。不慮の事故も恐ろしい限りである。何事も慎重に動かねばと思う。

孤高の独を織りなすべきだと考えている。寂しいから誰かに居てほしいという感覚は生涯湧かないからこの過ごし方は必定です。だからこそ、上質の時間であるように凛としていたい。
これからの日本は一人で老いていく人が溢れかえるであろう。弾き飛ばされたわけでもなく好き好んでの孤独であるのだから、先頭を走る意気込みで良き孤独を堪能していきたい。


le 22 dimanche 日曜日
//忘れていた//志が低下していた。なにか無難なものを、手慣れたものをと手に届く範囲でしか物事を見ていなかった。あっと驚く工芸品という感覚をすっかり忘れていた。
床の間に相応な物。下駄箱の上では駄目なのだ。結晶釉の研究はこれからも続けるけれど、金化結晶を表現できるのなら、造形にもっと高い志が無ければと思う。

youtubeでも良い、第一級と呼ばれる文物に接しなければと痛感する。
格好良いとか流行とか全く関係ない。第一級なのだ。
身震いする。すっかり忘れていた我が身の愚かさよ。陶磁美術館に通っていた時の方が、はるかに志が高かった。無難とか格好良いは暫く忘れます。より良きものを創造できる手技を得たら、必然的になんでも出来るようになる。

第一級の文物に接して我が手にしたいと渇望する心で挑め。


le 21 samedi 土曜日
//時間が無いので//例えば、ノンホモ牛乳からバターを作りたい。パンも作って塗って食べたい。その時間が無い。
陶芸家としての日々を思うとき、バターつくりの時間が無い。三食を二食にして時間の確保を目指すくらいですから。だから、どうしても作りたい場合は、陶芸家の休日を利用するほかはない。それが月に何日あるのかは定かではありませんが、休日をそんな活動に充てたら、都市生活者がする購買活動とも全く無縁。
その、そんな活動が他にも多いので、私は工房と家に籠りきるのでしょう。

今日、変なおばさんを見た。なにかその質問された内容が自身を中傷しているのかと勝手に解釈して怒っているらしい。避けたい人ですが、しばらく近くに居なくてはならないので人間観察が始まる。他の人と話している内容も品が無い。典型的な、貧すれば鈍すのような生活者なのだろう。70代でこの醜さ。今に始まったことではなく、きっとまっすぐな道を進まれたのだろう。人に醜き悪態を数十年。そりゃ貧すると思いました。


le 20 vendredi 金曜日
//健全か?//と問われれば、私は健全ではない。かといって不健全かというと、そうでもない。ギャンブルもタバコも致しません。選挙は毎回行きます。食事も睡眠も規則正しい。遅刻などしたためしがない。健全かと問われれば、変態であると答える。

普通でないのは確かだ。普通でない世界で平然としているので、そういう意味で変態です。
たぶん人の目を気にしないのだろう。つまり生きていくことは好かれるも嫌われるもツタの如し。絡まりあって、仲の良い人に囲まれていても、それと同規模に眉を顰める人もいて当たり前。
これから私は陶芸家として生きていくのだろうが、その声と同じだけの別の声も存在すると思っている。ただ、その声は聞こえるけれど、別の声は陰で言われる性質。だから陰口なのだ。陰口は、決して小規模でもなく、賞賛を浴びるのと比例して大きくもなろう。
 黙することはしないので、そういう意味では話題性の溢れる人物です。


le 19 jeudi 木曜日
//意外と行かないもので//何事も同心円状で考えれば北に行くのも南に行くのも100mなら同じこと。ただ、家があって北に100mの駅を利用する生活だと、南に行くことなどまずもって無い。近所なのに行ったこともない未知の世界が足元にあるってことは、案外と存在する。

瀬戸の街をくまなく散策できる環境を手にしたと思っていましたが、駅より向こうは、まずもって行かない。
未知の世界や意外性は遠くの世界に存在するのではなく、まさしく灯台下暗しで身近にあるもの。お隣の間取りや台所など覗いたとするのなら、もう海外以上の体験だと思う。

今と違う環境とか人生の再構築とか、言うほど大それたことではなく、慣れたリズムを変えるだけで、手にするものなのだろう。
小さなイベントがあります。月に一回の飯田の朝市。それに参加する生活を思っていました。なんて素敵なのだろうと。例え工房に籠る生活をしたとしても、慣れた頃にはリズムを変える鋭敏さは持ちたいと思います。

//サルの疱瘡//サル痘。1年位で日本でも症例の報告があるかも。このインパクトは破壊的だと思う。多くの性病は外見的に見えないので注意喚起もされたし、また無防備であった。サル痘は違う。恐怖を巻き起こす。ライ病のような嫌悪的衛生概念が生まれるかと、それくらい目を覆いたくなる。


le 18 mercredi 水曜日
//釉薬精製//今回の窯は、些か調子が良くなかった。一度、全ての釉薬の濃度を再調整して、100目の篩にも濾してトラブルの素を除去しなければ。

来月には50になります。大都会の芸は、50でも集うところがありましょう。都市の魅力は、別に独り立ちする必要もなく、肩身が狭いと感じたら、同じ者が集い、狭さを忘却させる。空気は澱み狭い狭い飲み屋でも、心は広くなるのだから面白い。行きつくところまで寄り添いあうのも人生の選択。ただ、それは都会の雑居ビルに濃縮される寄り添い。それが老いていく者の知恵であったとは思う。老いた芸の救済は都会の雑踏、人口集積。

それとは別に道を歩むとしたら、芸なのに、そういう枠組みは若き者に少しある程度で、老いた芸には仙人のような生き方を強制されるのかもしれない。性癖は終生絡まるツタの様な物であっても、それが潤うこともなく満たされることもなく、別な何かでもって時間を費やさなくてはならない。

私は後者である。心の隙間は扱い方を間違えば人生は破断する。癒すべき雑居ビルもない。でも、そうなることを十数年も前から予見していて、今、私は人口の集積から離れる選択をしようとしている。都会の芸が、旅先で見るような景色の中で私は生きる。都落ちを若き頃から覚悟して、進んで選択するのだから、これは私の定めです。
 何をもって人生の充足かと考えると、私は好き好んで人生後半の道を選んでいるのだから、不足を言っては罰が当たります。


le 17 mardi 火曜日
//怠け者//20になったというその男はデブで歩く姿も精気がなく、そして座って挑むべき時にも、トイレの個室に携帯ゲーム機を持参して一時間でも二時間でも籠る。なのに口を開けば第一人者足らんみたいな物の言いよう。技量などお寒い限りで、よほどの頭でもない限り恥ずかしいと思うはずですが、よほど以上の頭なのでしょう。

そんなに居心地悪いなら新天地に行けば良いのに、卒業だけはしたいそうです。誰もが閉口して、その見苦しさが視界に入る気分の悪さを語るのですが、私も反省しなければ。彼は彼の人生を歩めば良い。今は否が応でも顔を合わせるのですが、期限が来たら会うべき人と会うことを楽しみにすれば良い。束縛ない環境において見向きの有無は心に深くしみわたる。


le 16 lundi 月曜日
//湧き上がる思い//その人の計画は白紙となり、ご近所さんの陶芸家は居なくなりました。そういう意味では寂しくもなりますが、私は陶芸の道を歩む。景色が変わろうが、私のすることは変わらない。脇道が無いのは、なんて心強い事かな。

十年ぶりくらいかな。日記を日々更新しています。これは私の変化です。語る相手の第一人者が自分自身になったというわけ。


le 15 dimanche 日曜日
//釈迦様は//妄想などもってのほか。今するべき事を一生懸命せよと。そうと分かっていても妄想癖はなかなか収まらず。でも、言わんとすること痛感です。

アレコレの費用とか、そんなことを考えるのは、その段になってからで、今するべき事は技量の向上。将来の子細に頭悩ます無駄よりも、そんな時間があったら新しい釉薬でも開発して、それが富をもたらす術とするべきです。そのための二年間でしたが、もう折り返しは過ぎてしまいました。
理想な姿を勝ち得たとしても、それから先、鳴かず飛ばずでは全く意味がない。職を捨ててまで選んだ道なのだから、今ある時間の全ては妄想ではなく技量の向上に努めるべき。

窓の外が、どんな景色なのかはいづれ分かること。下らない妄想はやめて、今できることを、もっと極めて行く。


le 14samedi 土曜日
//本当に良いの?//何か物事に躓いたとき、それは災難ではなくて、本当にこのまま突き進んでも良いのか!?と再考させるある種の救済措置なのかもしれない。今一度考えよと。つまり希望としては、まっすぐ進むことだけど、希望が叶うのと幸せは同一ではないのかもしれない。思い描いたようになったけど居心地が悪くて、こんなはずではなかったと、神様辺りは知っていたので、あの時、考える時間をくれたのかと。

でも、どうしたら良いのか分からない場合は、描く理想像はいったん棚上げにして、最善を委ねる形で祈ることだと思う。


le 13 vendredi 金曜日
//二週間//一日二食運動を始めてから二週間が経過しました。主たる目的は空腹時間を長くして、身体の内から生きようとするエネルギーの補給を飢餓対応にすること。要は貯えた脂肪を消費して、同じく内臓を休め損傷個所を自己修復。その時間に当てる行為。

体調はすこぶる良好。若干の空腹を覚える時間もありますが、この辺りを日々の活動時間に当てているので、たちまち忘却。

陶芸を生業としたら、一日二食は、食とその準備の忙殺を2/3に減らしてくれる。一人で生きていくためには、この位の覚悟は必要でしょう。時間と健康の確保のために、日々、若干の空腹を受け入れる生活。どこを割愛するかは思案のしどころでしたが、長続きするために、人の誘いの最も無い朝食を選びました。

今後、昼食と夕食の生活ですが、断食明けの昼食は煮物野菜とおかゆさんからはじめて、胃袋を慣らし、ヨーグルトや甘酒なども摂取して、それから食後に茶菓も。それから夕方の買い出し前に茶菓の時間を設けて、夕食は準備から食べ終えるまで2.5時間は確保したい。夕食後、2時間程度は工房に籠りたいものです。朝は、5:00-11:30まで作陶し、昼食後には2時間程度の作陶。

理想を書きますね。
4:00起床 昼食の準備 洗濯など 5:00-11:30工房 11:30-11:50仮眠 11:50-13:00昼食と茶菓
13:00-15:00工房 15:00-15:20午睡 15:20-15:30茶菓 15:30-16:30買い物or掃除など 16:30-19:00夕食の一切 19:00-21:00工房 21:00-22:00自由時間 22:00就寝


le 12 jeudi
//雨音//まもなく嵐が来るらしいですが、只今のところしとしと雨。心地良い雨音です。雨音を聞くと、昔は全くの憧れの世界を想像していた。一人工房に籠り雨音を聞いて作陶に励む喜び。そして今も夢想するのですが、全く同じ光景です。ただそれが、何の根拠もない憧れの世界から、これから私が進む先の光景に変わった。人生は不思議だ。

布団に入ってからの想像はもっと楽しい。ちょっと先の光景に想いを馳せて雨音を楽しみましょう。


le 11 mercredi 水曜日
//銀閣の銀は//銀色を釉薬で再現するのは、最高難度だと思っています。そもそも無理なのではと。。。 でも、憧れの存在。銀に近しい落としどころを探しているのですが、人が銀と認識する領域、そこに辿り着けばよいのだ。

それは色ではなく乱反射なのかもしれない。

le 10 mardi 火曜日
//一割です//帰宅後窯出し。テストピースのうち、今後も要研究なのは一割でした。この一割を足掛かりに、素晴らしい風合いを探してまいります。

今回はマグネサイトがどの様に作用するかを網羅的に調べました。結果的には、少量を網羅的に施し、そこから発展するべきでした。

明日は今一度、結果を凝視して、見出すべきものを見出していこうかと思います。


le 9 lundi 月曜日
//解毒//お腹は痛くないものの、毒素を洗い流すような、宿便を流すような、そんなデリケートタイム。続いていますよ、オートファジー。

窯出しは明日の朝かな。ちらっと最上段を見ましたが、もう少し厚めに施釉するべきでした。


le 8 dimanche 日曜日
//168個//本日は施釉⇒窯詰め。  テストピースも168個作りまして楽しみな本焼きです。今日でGWも終わりますが、唯一の外出も土岐美濃焼祭りで残りは作陶。こんな過ごし方は数年来続いています。

//赤福も値上げ//何でも値上げです。この日記には、それこそ数年来、節約アレコレを書いていましたが、先ほど気が付いたのです。それは収入があっての節約で、今の私の最大の対処法は、販売すること。そう考えると人生バラ色というか、減りようのないところまで生活を後退させたので、あとは前進あるのみです。

//裏//表の造形は、まあ良いのですが、裏面の工夫なのですよ。高台を作る行為は、あると無しでは所用時間が全く違う。今考えているのは大型プレートで高台の無い底面を、如何に清潔感を持たせて短時間に仕上げるか。


le 7 samedi 土曜日
//大いに反省//素焼き窯開けてビックリ。最上段のプレートが全滅。重ね過ぎて、しかも蓋に当たって圧で全てに亀裂が入る。危ないと思っていたのですが、慢心が大事故の原因となってしまった。粘土にして5kgの損失。

本日は朝からテストピースを。独自の調合方法で、世間のそれと比べて高速のはずですが、色んな割合も調べますので、とにかく膨大な量です。


明日は、残りの調合をして、それから無難な施釉もして点火。作陶も出来たらよいのですが。


le 6 vendredi 金曜日
//そうそう//これはかなり強い印象だったので書き残します。先日の唯一の気晴らしでもあった土岐美濃焼祭り。三年ぶりの開催でしたが、三年ぶりに見る作家は、皆、三年の年を刻んでいました。老いですね。
 久しぶりに見る顔は、青年から中年に。

//硬いパン//これを焼けるようにしたい。三重県に行ったら日々の会話も激減する。顎の筋肉を維持するために、硬いパンをゆっくりよく噛んで、それでもって対応策としたい。一日二食のうち一食がパン。割合が高くなるのが気に入りませんが、仕方ありません。


le 5 jeudi 木曜日
//朝から晩まで//午前中は作陶と窯詰。午後は釉薬の調整。それから新釉薬の開発でもと思いましたが、時間切れ。

さて、2009年10月20日の日記は、陶芸を始める前です。なにかその、この時には魂の奥底で動き始めていたのでしょうか。20年長の日記ですから、いろいろと発見もある。いづれ一人になったとき、自分の日記が自分の慰めになると思う。読むには膨大で、しかも飽きない。


プチ断食は続いています。変化がありました。これは大きな変化。おならが臭くない。おならそのものも激減。腸に良いことをしているのは確かなようです。


le 4 mercredi 水曜日
//どうやら//GWらしい過ごし方は昨日の一日のみになりそうです。今日は朝から作陶で明日も同じです。そろそろ新しい釉薬の研究もしたいところ。

プチ断食は続けています。これほど気軽に続けられるとは、本当に驚き。毎日、昼食が断食明けになりますが、だからといってガツガツ食べることはありません。胃袋が小さくなっているので徐々に慣らす感じで食べますので、総摂取カロリーはかなり減少しているのではないでしょうか。


le 3 mardi 火曜日
//渋滞二時間//土岐美濃焼祭りに行ってきました。三年ぶりの開催です。早起きして動き出したのですが、流石に早過ぎと判断して、途中、瀬戸の岩屋堂で青紅葉を散策して、再び動き出す。この判断が致命的で二時間の大渋滞に巻き込まれました。その大渋滞は、土岐美濃焼祭りの渋滞です。

これは企画に根本的な誤りがあると思う。一つのイベントで地域交通が完全にマヒしている。何も知らず、その向こうに行く人にとっては大惨事です。進むことも退くこともできない。周辺に一切の駐車場は認めず、郊外の大型駐車場からシャトルバスのピストン、このようにしないと。


le 2 lundi 月曜日
//悪性の睡魔//かれこれ四日連続でプチ断食をしています。昼夜食べたら、次は昼。朝ごはんは欠かしたことが無かったので、とても不安に思いましたが、気だるくもなく至って健康的に過ごせることが判明。

お腹周りも顔も少し引き締まってきましたが、一番の変化は日に何度かあった睡魔が激減。つまり爽快なのです。

明日は土岐美濃焼祭りに出掛けようと思います。連休中、唯一の非日常。あとは作陶してばかりかな。

愛知県陶磁美術館も長期閉鎖となる。お隣はいつ解体されるのか分からず自宅陶芸の今後は見通せない。私は舵を切ったから良いものの、あの決断が無かったとしても、結局、迫られる形で追いやられるのだと。後手に回る陶芸難民になったとしたら私の人生は上質ではなかったと思う。実に不思議だし、昨晩は不思議なことが頭をよぎった。

私が生まれるにあたり、それは両親の性行為で誕生したという単純なものではないと。私に宿る実に不思議な面々は個性ある魂の数々。なのに体内では見事に調和し私を形作る。私が誕生するはるか以前から、私を構成する魂の自然な集合や会合が、どこかで行われていたと確信する。そして調和を持った集合体を形成し一つの組織となって私に宿り私はこの世に誕生した。

何の根拠も無いことですが、私は今後も生命観として確信します。証明も出来ませんが、存在を感じ取り、その内なる面々と表層の私も参加して一つの集合体として命の道を歩む感覚があるのは、とても心強いし、全く無駄もない。

だから成るべくして成ることは存在するのだ。信じよ。そう用意してくれているのだから。


le 1er dimanche 日曜日
//冷たい雨//は好きだ。昨日の快晴も好きだ。天気はどんな表情でも好きです。嵐の日も暑い日も。 新緑の頃の季節が戻ったような冷たい雨の日に、作陶するのも良し、熱いお茶を飲んで窓の外を眺めるのも良し。雨音を聞きながら午睡するのはもっと良し。

健康だと思うのですよ。全ての根本は。健康の上に彼是出来る。私は陶芸を生業としますが、それには工夫が織物のように縦にも横にも。同じ動きを長く続けないように、作陶は手回しと蹴ロクロの使い分け。あと石膏型も用いて指先に過度の負担がかからないように工夫も。筋力の維持と向上も。手回しロクロと蹴ロクロはその一助となりましょう。特に蹴ロクロは座ってばかりの陶芸家にとっては良い運動にもなります。それから日々、健康運動の一環として縄跳びをしたいと考えています。都会で生活していれば地下鉄に乗ったり降りたり階段を上ったり下ったり。必要に迫られる移動が結構な運動になるのですが、職住一体型の生活になると、身体に振動が無い生活になってしまう。かかと落し健康法の一環として縄跳びは欠かさないようにします。

それから最も大切なことは食生活。バランスもそうですが食べ過ぎないように。やはり一日二食生活で、それでもって作陶時間の確保にも勤めます。戒めるべきは、移動の無い生活になりますが、同じ敷地内であっても、常に身体を動かさなければ。廃用性萎縮にならないように。あと、これも大切ですが塵肺にならないように粉塵の排出と吸収の工夫も欠かしません。

工夫ができる生活は有難い。工夫は楽しいからだ。




 
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