mars.2007 le 31 samedi //地方紙の底力// 朝から、諏訪の毒沢に向けて車を走らす。 地方都市で過ごす週末をはじめてから、関心事のキーワードに「ローカル」がある。ローカルな情報を収集する楽しさ。 世の中、FTAなど際限なくグローバル化していますが、情報や知識は、ローカルにも深く存在します。 さて、その地方紙購入に当たり、どこに行けば手に入れれるのか調べもせず車を走らす。販売店まで行かなければ無理だと思っていた。 ところが、東京資本のコンビニの新聞コーナーに、地方紙が売られているではないか!!!!!! コンビニは新規な存在ですが、変な意味で旧態的。 つまり中央集権的。何が売れるかの指示は山間僻地でも東京の判断。 ところが、東京人などその存在は知る由もない、ローカルすぎる地方紙が売られていたのには腰を抜かしました。 この明るい店内で唯一の地元産。 大学の頃、後輩が、日経新聞と地元巨大紙は一言一句もらさず毎日何時間もかけて読むという彼がいた。 今から思うと、学生の頃にするべき大切な一つであった気がする。 今では、新聞なんか目を通す程度。 そんな後輩の発言を思い出し、今日の宿は「のんびりに徹する」が目的だから、たっぷり時間をかけて地方紙を読みましょうと心を決める。 市民タイムス塩尻を一言一句もらさず読破しました。 その情報は実生活にほとんど影響を与えませんが、字句の奥にある読むという行為の大切さを教えてくれました。 高齢化の進む地方の新聞にとり、その役割の一つは「おくやみ欄」 もう、都会人では想像を絶する詳述さです。 全く一介の農業をしていた老人が90で亡くなる。彼の死亡事実を述べるのは当然ですが、地方紙は凄い! 彼の生い立ちを書いているではないか!!! 昔から手先が器用で・・・ そして三男一女に恵まれ、孫は5人。ひ孫は3人。 長男は他界し、次男は○○で、○○町3に住み、○○に勤め・・・長女は○○町の○○に嫁ぎ・・・・ と、コレを読めば、彼の一生と子供達の現在まで分かってしまう。 こんな詳述が、亡くなった人、もらさず記載しているのだから驚愕です。 それと、それぞれの単位で地域を良くしようと活動する人達、趣味の集まりなど詳しく記載されていました。 僕らの世代で、特に大都市圏に住んでいれば地域コミュニティーに対する関心は稀薄の極み。これまた新鮮な印象を受けました。 あと、松本には井上百貨店という地元資本のデパートがあるのですね。 le 30 vendredi //これも慣れてこその余裕// 右往左往ありましたが、明日は朝から諏訪に行けれます。只今、22:40 全然、旅の準備をしていません。諏訪エリアの訪問先の情報収集もしていません。 どこに寄ろうかリストアップもしていません。 まだ風呂にも入っていないので、これからお風呂で、あとは寝るだけ。 もう、何度目の毒沢でしょう。 良い所は何度でも訪れるというのが僕の旅のスタイル。 最大の魅力と言えば、慣れているからこそ味わえる余裕と深み。 //飯田に宿が無し// 4/28は長野県の飯田に泊まる予定でしたが、目ぼしいホテルは満室。 飯田は南信最大の拠点都市。 夜のブラリ歩きを楽しみにしていたのですが、満室なら仕方が無い。 次なる候補は二つ。駒ヶ根か伊那。どちらにしましょう。 下栗の里→しらびそ高原→大鹿村 と秘境ルートを探訪したら、飯田か駒ヶ根が麓の都市。 この場合、駒ヶ根が自然なのですが、それより北に伊那がある。 伊那の魅力は駒ヶ根よりは町も大きく、そして独自の食文化。 //心の釣堀// 過去の一切合財を全て心の釣堀にしまい、そこに糸をたらす。まだ生きている記憶の人間が針にかかる。 心に残る人達A 福祉と非福祉の境界にあって非福祉。彼と出会って三年がたつ。 その男子高校生は普通の過程を進んでいても、拘りが福祉と非福祉の境界に彼を置いてしまう。その目付き、その腕の置き方。 名古屋市営バスは前乗り後ろ降り。彼は後から客が入ろうとしても後ろにつめることなく、まるで運転手の背後霊のように、飽きもせず定位置に陣取り、前方の風景ばかり見る。毎日毎日。 そのトロンとした目は通常の粋ではなく、故に飽きもせず見ることができるのだと思うのだが。 しかし、彼は今風の高校生のように風紀に乱れることも無く恐ろしいまでに純真無垢である。 純真無垢すぎて今日もまた周りの迷惑を顧みずトロンとした目で前を凝視する。 le 29 jeudi //心の釣堀// 過去の一切合財を全て心の釣堀にしまい、そこに糸をたらす。まだ生きている記憶の人間が針にかかる。 心に残る人達@ それは、地下鉄の車内。息子は40過ぎ、母は年老いて、息子を愛おしそうに見る。 息子は地下鉄の車内だというのに、母親に謝りながらビールを飲む。苦労をかけてゴメン。でも、止められない。そんな謝罪と言い訳をしビールを飲む依存者。母は、そんな息子を世界の誰よりも理解していると、深い愛の眼差しで包み込んでいる。 le 28 mercredi //実質、風邪// 風邪の兆候は早期撃退し風邪というものを引かない僕にとり、花粉症の症状は実質手ごわい風邪と同じ。ウィルスに変わるものが花粉。免疫系等が異物を攻撃しています。咳は出るは痰はからむは。肺の中まで入り込み、炎症に発展しなければ良いのですが。 普段の風邪なら温熱療法とビタミンCと睡眠で撃破できるのに、花粉症は同じことをしても効果なし。 それでも何か方法があるのでは?と西洋医薬品には手もつけない。今のところ漢方もですが。 le 27 mardi //今週末も雨// 週間天気予報を見ると今週末も雨。 雨の日に何しようか? と、考え、行きつけの旅館に予約しました。 そこは大変に効能のある温泉宿。外は雨だし、一人ボーっと湯に浸かりましょう。 って、何度も泊まりに行く宿なんですけれど。とにかく理由が欲しかったわけ。 雪の心配もなくなったし、今シーズンの毒沢が解禁です。 さて、行くと決めたら、道中の寄り道も充実させたい。 まずは二本木温泉。 それから牛伏寺の山門近くにある蕎麦屋にも行きましょう。 もし晴れていれば越前大野にしたはずですが、雨の音を聞きながら毒沢の湯に浸かる心地を想像するだけで、心もときめくというものです。 le 26 lundi //狭くなって渋滞解消// 名古屋は伏見通り。名古屋の道は広いといいます。この伏見通りも以前は片側4-5車線ありました。しかし、広いが故、違法駐車も多い。よって最も歩道側の車線の車が駐車車両に邪魔されウィンカーを右に点灯。そうすると外から二番目の車線の車も減速し、こちらも通行が滞る。 おそらく試験的な車線変更なのでしょうが、昔はあった一番外側の車線を、車道でなくして、黙認の駐車領域。 伏見通りは幅は狭くなったものの、車の走行が劇的に改善されました。狭くなって渋滞解消。こんな逆説的なことが可となる場合もあるのですね。 le 25 dimanche //こんな朝も好き// 酒の効用で最も顕著な事例を挙げるとするならば、翌朝の目覚めの良さ。 目を覚ましたら、外は暗い。目覚めが爽快で、こりゃ日曜の夜まで寝たのか!!!??と慌てましたが5:30でした。 外は雨。こんな朝も好き。 それから二度寝に挑戦しましたが、こちらも目覚めは爽快。8:00には、もうこれ以上は寝れない境地に至る。 そんな朝に地震が。 揺れが妙に長く、こりゃ震源は遠いと直感。気象庁のHPをみたら瞬時に津波注意報の赤い表示が。迅速な動きに安心感。それからNHKを見て驚きました。結構大きな地震だったんですね。 //これは作戦?// 六カ国協議で米国が北朝鮮に大幅譲歩。選挙で民主党に負け宥和路線か!?と思った。 ところが事態は急展開。政治の場ではなく資本主義システムにBDA問題を付託。 返還を約束した北朝鮮の2500万ドル。BDA→中国銀行→北朝鮮。 このような流れで返還するはずだったが、中国銀行が北朝鮮の汚い金は取り扱わない!と拒否宣言。 中国銀行は中国政府の息のかかった大銀行ですが、それでも市場経済のルールを無視してまで北朝鮮への便宜を提供するつもりはないと。(汚い金に便宜を図った時点で、中国銀行が辿る末路はBDAになると考えたから) 問題が、政治決着の場から離れているので、北朝鮮は慌てふためいているのではないだろうか? 得意の恫喝外交も資本主義市場経済システムを相手にはできない。 まぁ、汚い金を産み出した北朝鮮の自業自得なので世界は誰も同情しないでしょう。 面白いのは、これからの話。 この2500万ドルは何れ中国政府の特別な計らいで送金されるでしょうが、今後、世界の銀行は北朝鮮と取引しないと分かるはずです。 既に国家としてのブランドが「ならず者」なので、例え正常な貿易での資金でも、リスクを恐れて誰も相手にはしない。 これは北朝鮮の正常な取引を衰退させるでしょう。 そして稼げるものがなくなったからといって従前のごとく偽札や麻薬など販売しようものなら、おそらく米国との間で取り交わされた「決別宣言」を破棄するものであって、その次にあるのは妥協のない米国の制裁・経済制裁。 米国は、北朝鮮の核を実質的に運用不可能にするため、兵糧攻めに出たと思う。 六カ国協議で米国の大幅な譲歩。将軍様の威光がいつになく高まったと報道されました。しかし、裏があったのですね。 政治的に米国は大幅譲歩。北朝鮮は核兵器は拡散しないが保有する権利は留保した状態。米国はそこで手を打ち、北朝鮮に核兵器があることは黙認するのだが、未曾有の資金難を資本主義市場経済システムに代行させ、ロシアの錆びてしまった北洋艦隊のごとく、兵器の維持管理もできない状況に追い込むと僕は見ています。 と、申しますのは、核汚染に関して、核兵器は原発よりも「安全」だと思うのです。錆びてしまって使い物にならなくても、安全。北朝鮮が崩壊したとき回収しても間に合うと読んでいるのではないだろうか。 これには米国が北朝鮮の核技術では弾道弾に搭載できないと判断を下しているのも前提だと思います。 北朝鮮は核保有で大国になったと宣伝していますが、使い物にならない核兵器を、資金難で核兵器システムも錆付かせ、無用の長物化、言い換えれば5-10年以内に北朝鮮自身のお荷物になるように誘導していると思う。 米国は大幅譲歩した、跪いたと北朝鮮は将軍様の威光を高らかに宣伝。しかし、答えは実質何も得るものはない。 核兵器らしきものは国内に保有の権利を認められたにせよ、維持管理にまわす資金がない!!! この大きな塊に拘って、もっと大きな塊を失ったと早々気がつくでしょう。 北朝鮮の教育では米国は狡猾だと描かれていますが、実に見事な狡猾ぶり。 le 24 samedi //いつしか、流す涙も酒の味// って悲しいことはないのですが、昨日今日と酒びたり。金曜の夜は、大衆の居酒屋で飲みまくったあと、久しぶりに飲み屋の松坂屋本店に行く。お母様がお元気でなによりでした。 土曜日はというと、火曜の夜に行った七輪の炭火焼に行き、大衆の香りを体に吸着してから某ビルの26階にあるバーに行きカクティールを。 久しぶりに、名古屋駅前で待ち合わせ。ナナ夫人も戻ってきて、名鉄の各種ビルも綺麗になっていました。大阪から来ていた若いパフォーマーがあられもない姿で何かを表現していました。 普段とは違う週末の過ごし方。天気も悪く、これはこれでちょうど良かったのかも。 le 23 vendredi //男の顔は履歴書// 日経新聞の連載でしたっけ? この題名。これは当たっていると思う。 日頃、笑いの絶えない過ごし方をしていたら、歳をとれば徳も顔に現れと思う。 一方、アウトローで何かに追われ続ける日々を過ごした者に先ほどの徳は顔にない。 もう、断定形で当たっていると思う。 虐待を受け続けた子供の顔と大家族の愛を浴び続けた子供の顔。 辛酸の日々だけの顔。 この感覚は皆様もお分かりになられると思う。 そのような蓄積は歳をとれば顕著。 見るからに七福神にいそうな徳のある老人は、やはり幸せな人生を歩んでこられたのだと。 そこで思うのです。 苦労や愛が蓄積されて顔に出るというなら、薬物常用者はさらに顕著で然るべきかと。いやいや、癌や糖尿病など病も同じこと。 昔の医者が顔を見てある程度の診断を進めたのは、それはそれで一理あると。 故に、分かる者には分かる。 le 22 jeudi //モノに魂はあるか!?// 今日は仕事の途中、ジェームスに寄りタイヤを交換する。溝の浅くなったタイヤを新品に。 合成ゴムの塊なのに、その浅い溝を見ながら、手で触ったりして「今まで無事にありがとうございました。また再生して新品になってくださいな」みたいなことを心の中で唱える。 似たようなことは、会社の車や家の車、他にも何か愛着のあるもの世話になったものと、人間の都合により手放すとき(廃棄するとき)、やはり同様の唱えみたいなことを自然とする。 //ラジオ深夜便とドライブ// NHKラジオ深夜便を聞きながらどこか遠くの目的地にたどり着くためのドライブが好き。 神乃湯に泊まりに行きたいし、金曜の夜、深夜便ドライブをして、蓼科山に登って、それから神乃湯も良いかも。 あ〜 今日は何でもない日で終わります。もう少し早く帰れたらジョギングしたのに。ぶつぶつ。明日は会社の飲み会で、無理だしな〜 le 21 mercredi //昨晩のお酒も祟って、、//早起きできなかった。早く起きれたなら神島に行き波の音を録音していたのですが、本日は出鼻をくじかれ家から一歩も出ていません。庭で犬と遊んだ程度。 午前から夕方にかけては、ノイズは入るものの岐阜ラジオを聞いてローカルな雰囲気に浸る。家にいて異国情緒。 しかし、何でもない日を特別な日にする圧迫症もあって、少しは別なことをと思い、机の上の一切のものを片付け何もないようにした。 //人生の終わりに// 別に深刻とか悲壮感に溢れてとか、そういう感覚ではありません。 結婚もせず生きていく先を最近考えている。 昔と違って兄弟も少ない。 一人年老いていく孤老を親族が温かく見守る期待もしていない。 身にあったサイズの小さなアパートに住むのが一人で生きていくには助かるのかもしれない。 いやいや何となく思っているのが、お気に入りの田舎を探し出し、そこの古民家で農作業でもしながら定年後を過ごす。 そのためには、若いうちから足繁く通って、その土地の人々と風通しも良くしておくべきかとも考えている。 今は、方々にドライブをしていますが、定年を10年以内に迎える頃からは、古民家を見定め、週末は住むくらいの意気込みは必要だと思っている。 と、書いていて思うのは、僕って孤独が好きなのは以前にも書きましたが、誰かに頼ろうという発想がまるでない。 こんな人生の終わりにっていう文を書けば100人中98-9人は、それまでに頼れる相方とか・・こちらの老人ホームでもあれば・・とか、皆で仲良く一つのアパートを借り切る・・とか書くのでしょうが、僕は最期の最期まで誰かを避けて、一人で解決しようとしている姿に、こりゃ治らん性分だわ、と諦めも認めざるを得ないのです。 でも、正直言えばコレとは別の解決策も期待している。それはコチラの世界に何かの別な期待をしているのではなく、答えは結婚。 ここ5年ほど顕著なのは、こっちの人間であって、こっちの活動は全然していない。従前の友達とは、自然を通した健全な交友は楽しんでいますが、性的なものとは全くの無縁。それで良いと思っている。 いつの日か何かの拍子で川の流れが変わるときに、自然に運命を受け止めれる素地を養っているのだと、心の底で確信しているからです。 le 20 mardi //水曜休みは偉大です// 二日働いたら金曜のような感覚。 祝日法の改正で三連休が多くなりましたが、週の中日に休みも良いものですね。 今日は、仕事帰り久しぶりに素敵な先輩とご一緒。まずは七輪と炭火の焼肉屋。煙モクモク、大衆の風情。これはこれで居心地が良かった。 臭いが体に染み付いて気弱にもなりましたが、その後、カルテルを飲みに行く。どうも名古屋でも有名店らしい。カクテイールの知識は全然ないのですが、なんか美味しくてよい雰囲気。 この手のお店は女性人ばかりと思いきや、男性の単身、男性の二人組みも多く、僕もその知識があれば通うのに・・・と思った。 le 19 lundi //何でもない日を特別な日にする// グランド・ファッションのワ〜ルドがお贈りする 【ワ〜ルド・オブ・エレガンス】から。 1975年?頃の作品。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 古い日記の中に愛を探すアナタ。 遠い電話の声の中に愛を探すアナタ。 帰らない日々に背を向けて歩くとき、アナタはまた少し大人になる。 細川俊之です。 【女性の声で】 何が人生の宝物かといって、宝石よりも、車よりも、 思い出だってお思いになりません? だけど思い出は記念写真のように、 特別な日にばかり付いて回るわけではありません。 と、思って、この前の日曜日、 突然、フルコースクッキングに挑戦してみました。 テーブルデコレーションも花・ワイン・キャンドルと徹底的に気取ってみて、 一番お気に入りのドレスを着て、 レコードもドビッシーに決めて、 お客様は、彼、一人。 何でもない日を特別な日にするって、 キラキラ 魔法みたい。 ファションも自分の決めたやり方で 自分自身を作り上げていくために。 ワールド・コーディネート。 僕は何でもない日をついつい絶対視してしまう傾向がある。安寧至上主義。それはそれで無事平穏ということで感謝するべきですが、僕が心がけるべきことは安寧の枠内で特別な日にするための何かに挑戦。 それは30分のジョギングでも良いし、新しい本でも良い。 毎日、少しづつ何かに挑む。 安寧の中の最大限の前進。 le 18 dimanche //南信州秘境巡り// ● //神様仏様// 斜面集落・中井侍の上端の外れに神仏混合の信仰の場所がありました。大きな岩に切込みがあり33体の石仏が。そして岩の上には山の神様が。実は、我が父上も育ちは山奥の山奥で、あまりに山奥で廃村になりました。そんな集落にも山の神様が祀られていたとのことです。 そこで思うのは、日本人の宗教観。仏教は魂の慰めや鎮めを目的として、広がりも個人から、せいぜい一族の血統。 一方、神道は自然への畏敬。農林業と集落の安寧・発展。神道は個人よりも共同体の守り神。 le 17 samedi //気を取り直して// そりゃ、12時間以上も働いたら12時間は寝させてよ。ね〜 さて、明日も寒いらしいが晴れるとのこと。 明日、どこかに行こうと思うのだが、どこにしよう。 富士山を写真に撮りたいけれど焼津まで゜日帰りはきついし。 おそらく、無難な南信州。 早くから車を出しも中井侍を探索しようか!? le 16 vendredi //復活したとたんに浮気// ウーマンカメラも復活し、今や写真に黒いゴミは反映されません。しかし、彼のHPを見ると、撮影技術はもとよりカメラの性能にうっとりします。 彼は韓国人で何が書いてあるのか日本人にはサッパリ理解できませんが、彼の純真な心の目から撮影された数々の日本の風景は見ていてうっとりしてしまいます。腕もさることながら、そのカメラの性能。1000万画素が欲しくなりました。 //前方後円墳の自己的解釈// なぜ、このような名称になったのか、会社帰りの地下鉄の車内でふと思いつきました。 天皇陵の前方後円墳は立ち入りが規制されています。 そもそも、そこは神域で鳥居が設置されています。この鳥居の位置で謎が解けました。前方後円墳で天皇陵。この場合の鳥居の場所は、方墳部分の手前。つまり鍵穴の一番下。 そこから人間が遥拝し、神官などが入るとしたら、文字通り、入り口から見て前方後円墳。 le 15 jeudi //前方後円墳// 岡山で未盗掘の石室が発見されたとのこと。古代史はロマンがあります。 さて、一億総錯覚。 前方後円墳。 その代表例は仁徳天皇陵。 思い浮かべてください。前方後円墳を。 おそらく一億人の全てが上に円墳。下に方墳をイメージしたはず。鍵穴のように。 名前は前方後円墳と名乗るのに、実質、写真の撮り方など申し合わせたように、前円後方墳。 なぜ前方後円墳と名乗るのでしょうか???? 日記と称して、僕はその日のことはほとんど書かない。後日、振り返って読んでみても、自分の足跡はたどれない。この日何をしていたのかサッパリ見当も付かない。 ただ、この頃の自分は何について、とんなことを考えていたのかはよく分かる。 ここに2003年の3/14の日記というかウーマン評を掲載します。この文は、ある西国に住む友人のサイトに投稿したものです。我ながら、将来を言い当てていたと思う。まもなく会戦が予想されるイラク戦争と今後アメリカが遭遇するだろう未来の姿。 le 14 vendredi //論文もどきです// 求められて、20分で書き上げた特急仕上げ。 アメリカは二重基準で外交を展開しています。一方は無罪放免で一方は断罪されています。イラクに関して大量破壊兵器の廃棄や国連の決議遵守云々で戦争を仕掛けようとしているけれど、だったらイスラエルは、どぉなのよ。あの国こそ、限りなく核兵器を所有していると推定されているし、パレスチナ問題に関する国連決議は無視の連続。大量破壊兵器云々と言うなら、イスラエルにしてもパキスタン・インド・北朝鮮に関しても、同様の強硬手段に出てこそ、アメリカの考える正義が不動の精神だと理解できます。しかし、現実には同様の問題であっても、二重基準での対応。この考えは中東・イスラム圏で幅広く言及されていますが、アメリカは二重基準に関する指摘に対して、明確な返答を出していません。イラクに関して、戦争をするのなら、イラク後には、例外なく、次ぎの怪しい国を叩くと明言するべきです。そういう態度なら、9.11の悲劇から、アメリカは心底、大量破壊兵器の拡散を憎んでいるのだと世界は理解するでしょう。なのに、イラクのみに偏執するところに世界の人々は、アメリカの大義は、実は、そんなに程度の高いものでもないと見てしまうのです。
アメリカは、戦争をすれば、フセイン政権を潰せれるでしょう。アメリカは、この戦争では勝利するでしょうが、アメリカは戦後に敗北すると思う。アメリカはフセインという見える敵を消したとしても、その何倍もの見えない敵を作ってしまうのでしょう。イスラエル国民が、国内でも外国旅行先でも、テロ組織から執拗に狙われてしまうのと同様に、アメリカ国民もまた同じ扱いを受けると思う。ブッシュ政権は、戦争に勝利したら、米国民の安全度が今よりも向上すると考えているのでしょうか?。テロとの闘いと豪語しても、未だ、ビン・ラディンやオマル師の所在さえ掴めない。テロ組織というものが、実に深く潜り見つけ出すのが困難だと理解するべきです。そして、正当性を未だ見出す事の出来ないイラクとの問題で、戦争でもやろうものなら、将来のビン・ラディンを無数に作り出すのは確実です。もちろん、将来のビン・ラディンはイギリスも標的にするはずです。日本も東南アジアのイスラム圏で敵意の対象になるかもしれませんね。
ブッシュ政権の強行方針は、10年以内には、愚策であったと評されるかもしれません。いや、もっと近い将来に、米国民から拒否されるかもしれません。あの時に必要なのは経済対策で戦争ではなかったと。選挙によってブッシュ政権は敗北するであろう可能性を見出すべきです。つまり、世界のアメリカ大統領であっても、その政権は、そんなに長くない。そうと予想つくのなら、彼と一緒に心中は避けるべきです。
また、ブッシュ政権は各国政府に意見の同意を求め過ぎないようにすべきです。ベトナム並の汚い戦争にNOと言えなかったのは、自国の国防力が脆弱だったからだと、各国が判断してしまったら、同盟国の追従性を追及するアメリカの世界戦略にも反すると思います。もし、日本国民が、自分でも核兵器や弾道ミサイルを所持していれば、自力で北朝鮮を殲滅できる戦力を保持できるのなら、過剰な米国追従策以外にも選択肢があったのにと考えるかもしれません。
アメリカは歴史的僅差で就任した大統領の歴史的独善主義により、将来に長く続く不安と危険を身近に感じるのでしょう。大義なき戦争は100年戦争の始まりと解釈すべきです。9.11は明らかに悲劇でしたが、政府というのは国民の安全を守るもの。今のままではアメリカもイギリスも国民の安全度は確実に低下すると思う。フセインという見える対象がなくなってさえ、危険は増大するところに、この戦争が果てしない闘争の日々に変化する悲劇を考えるべきです。
名古屋市 ワンダー・ウーマン 会社員
この頃、既にワンダー・ウーマン!! le 14 mercredi //失言は放ちたる矢の如し// 会社にある日捲りの格言を後輩と読み、この「失言は放ちたる矢の如し」を唱え、おー怖っっっ。 と笑う。 //それに意味を見出すから、充実している// どこに価値観の基礎を置くかで、毎日はだいぶと変わる。 週末は誰かと会うべきであり、遊ぶべきであり、出会いを探すものであると考える人にとって、そういかない日の空虚なる時の流れ。 僕は全くの逆で、一人ボーっとするのが好きなので(それが必要と思うときは誘いは断る)空虚なる時の流れは感じない。 しかし、そんな僕でもあるのです。空虚なる時。 例えば週末なのに会社の同僚と親睦を深めたりする空虚。 そんな時を過ごすと、無駄無駄無駄・・・ 頭の中で連発する。 会いたい人に会いたい。 一人でいたいから一人でいる。 前者の難しさは万人が語れると思いますが、後者はその気になれば誰でもできる。僕はつい簡単な方を選んで、手身近な充足感を味わっています。 le 13 mardi //GWまでに行くべき場所// まずは毒沢鉱泉神乃湯。年に何回か、ここで静かにのんびりと過ごし、当面の進路を考える。ただ、三月になって寒波到来。もう雪の心配は無いと思ったのに・・ 地方都市で過ごす週末を二つほどしてみたい。 JR飯田線中井侍駅上にある斜面集落を探索したい。 そんなことをぼんやり考えたりネットであれこれ見たりしている時間が好き。 //好きな時間に好きな場所// 僕は四季を問わず寒さを実感する瞬間が好き。その時、空は晴れていて濃い青色なら、至福の時間が始まります。夏に寒さ!?と言われそうですが、この場合は夏の早朝の涼やかな空気。 晩夏なら、夕暮れに秋の気配。 こと気温で言えば、陰か陽かといえば、僕は陰に向かう道程が好き。春の気配、夏の気配、そういうものを感じるのは、秋の気配、冬の気配よりは好きではありません。 まぁ、四季折々にそれなりの表情があって、僕は楽しんでいますが。 四季折々、年中行事だと称しては行くべきところが数珠繋ぎ。そして新規開拓もある。mixiやHPに写真を載せて日記にし、あとで振り返ると僕はとても充実していて素敵で人も羨む時間を過ごしているように思われそうですが、裏があるのです。 つまり、それ以外は全く無い。何も語れない。 この間、学問的な何かに挑戦していたりすれば、話は違うのでしょうが・・・・ le 12 lundi //ウーマン。音のコレクシィオン// 寒の戻りというか、やっと冬が来たような感じのする名古屋。 しかし、部屋には鳥の声、鶯の鳴き声が聞こえる。 去年の春か初夏、南木曽町の柿其渓谷で鳥の声を4時間ほど録音。それを聞いています。 そんな音のコレクションを挙げてみましょう。 ●只今の柿其渓谷、春の鶯。 ●夏の焼岳、森の声。 ●GW、しらびそ高原の残雪も残る小さな春 ●朝一番の高山本線。岐阜-高山 ★誰もいない車内なので盗聴ではありません! 今年、録音したいのは、何時間もただ寄せては引く波の音。 夏のヒグラシ。 大げさかもしれないけれど、音楽の類は一曲一回と規定しても、一生を捧げてもなお聞き終えることもできない膨大な量。 こんなに選択肢があって、人はその中から落ち着きたい時に好む曲などを有している。 僕はそれを自然の音に求めているのですがCDのmax74分は、あまりに非自然的。聴きながら昼寝をして、なおかつ目が覚めても聞こえる、長時間の自然の音を求めているのです。 //隠してはならぬ// 韓国に対する僕の見方は、俗に言う嫌韓に属しています。日記を読んでいただければ、友好より疎遠を求める立場だとお分かりになられると思う。 その訳は、書けば長くなるので割愛。しかし、声を大にしていいたいのは、日本において憲法九条を守る勢力などハト派は、韓国に何かのモデルや価値観の連携を期待しているようですが、ハッキリ言って韓国はもちろん中国や北朝鮮は日本国の民主主義のモデルでもなければ、彼らに高度な人権や平和・環境の意識も無ければ他国に云々する資格も無い。彼らは自らの反平和・反環境・反自由・反人権の法体系や社会政治風土など改めることなく日本に平和の講師として論じようとする。そこは断じるべきだと思うのです。 しかし、私は書く。母の話を。 母も聞いたとのことだが、母の実家は村長をしていて村の名士であった。当時、国鉄の某線の建設工事で多数の朝鮮人労働者が居たとのこと。彼らに対する扱いは粗末で、母の実家は彼らに土間を提供したとのこと。その土間とは馬小屋のような納屋で、土間に筵を敷いて寝起きさせていた。彼らにも飯は提供するのだが、何かの大きな葉っぱの上に飯を載せ与えていたとのこと。見るにみかねた、母からして祖母は、彼らに欠けてその用をたさない茶碗を取り出して、そこにご飯をよそった。 しかし、村長をしていた祖父は朝鮮人にそんな扱いは必要ないと祖母を激しく叱責し、茶碗を取り上げたとのこと。そんな話を母から「祖母の優しさ」として聞きました。 昭和47年産まれの僕ですが、この話に何かを足したり何かを引いたりせず、それはそれで大切に記憶に残すべきものだと思っている。国家間の戦後保障などは日韓基本条約で完全かつ最終的に解決されました。だからといって朝鮮人労働者に対する扱いを消し去って良いのかと言えば別問題。これに関する保障は解決済みでも、その話は大切に後世に語り継ぐべきだと思っている。 朝鮮人労働者がいかにして日本に来たのかは諸説あります。何を持って絶対的に正しいとはいえません。 しかし、例え自主的に来たと仮定しても、その扱いは日本に非はある。欠けた茶碗ですら取り上げられた彼らの怒りや悲しみは、知っている者は、何も足さず何も引かず語り継ぐべきだと思うのです。 その箇所を不都合が故に隠蔽したり歪曲するものなら、今の中国や韓国・北朝鮮の都合の良い歴史教育の亜流を行っているようなものになります。 昔、この畑の中に防空壕があった。あのコンクリートの土台は実は高射砲の陣地だった。ありのままを語り継ぎ、戦争の記憶を風化させないのと同じことだと思うのです。 le 11 dimanche //関// 関ジャニ。 最近までセキジャニって呼ぶものだと・・・ 関。マイミクのなお#師の日記を読んで早速に感化される。一キロ以上続く町並みってのが宜しい。 「関の山」という諺は、昔、関の宿場町において、お祭りの日に山車が勢揃いするのですが、それは関の町にずらりと並ぶ壮観・圧巻な規模だったらしい。山車は山と略される場合もあります。関の山とは、関の町に入りきれないほどの山車の数。 本来の意味はそういうものらしい。 le 10 samedi //2007年も順調に増えていく// 今週はコレ。 le 9 vendredi //埃の正体は何??// 少し掃除をしないと床の隅に埃が溜まる。当たり前の現象ですが、その実、埃の正体が何なのか分からない。それらは複合して一つの埃の塊を形成するのですが、毎回登場する主成分で、あの綿のような繊維状の物質は何なんでしょう!? //樹脂って何!?// 漢字からすれば木から採取される脂分!?? 戦時中、松の根から戦闘機の燃料を集めた話は聞いたことがあります。脂分。それは理解できますが・・・・ 樹脂で固めるとか、他にもいろいろと聞きます。今でも、そんな非効率でのんびりとした脂の収集を木からしているのでしょうか!??? 樹脂の正体って何!? //防腐剤って何なの!?// 自然の摂理からいって、食材は早々に腐る。カビが生える。昔の醤油は、放っておけばすぐにカビが生えたそうです。まぁ、世の中のカビが全て悪だとは限りませんが。 この摂理を覆す防腐剤って何なの!? 不老不死の薬!!!!????? 当たり前のように見聞きするものなのに、34年生きていても、未だまともに答えられないものが世の中には多く存在する。 le 8 jeudi //斜面集落// ここ最近、脳裏によぎるのは斜面集落の光景。初めてそれを見たのは、4年ほど前、富山村の温泉に行ったとき。 急角度の山に斜めに住む人たち。 我が目を疑う。 それが現実だとしても、遠巻きにしてみる分、現実なのに夢か幻か。 しかし、場所は変われど、その斜面集落の中に達したとき、これは現実で、そして異文化であると感動したのです。 南信州は足繁く通います。しかし、そのほとんどが快走路の153号線。そして時間に余裕がある場合、山を一つ越え151号線へ。 153 名古屋-飯田 151 豊橋-飯田 ところがさらに山を越え東に行けば天竜川沿いにでます。そこに秘境が広がるのです。 飯田-浜松ライン。 今、一番関心の湧くエリア。 今年は斜面集落を探訪します。 この前見た中井侍の集落も遠くから見るのではなく、歩いてみましょう。 le 7 mercredi //社会的制裁// この言葉を最も聞くのは、裁判において減刑の理由になるとき。被告は既に社会的制裁を十分に受けており、本来なら実刑に相当なところを執行猶予とする。 社会的制裁。この言葉を裁判長が言い放ち、刑が減刑されるという魔力を秘める。 考えてみると面白い言葉です。 甲が乙の財布から10万円を盗み出す。この犯罪行為を知った丙は、本来はなんの実害もないのですが、以前はあった甲との友好関係を断絶する。 この丙の行動は、犯罪に対する正義の憤怒とでもいいましょうか、自然な反応であり、甲に対する制裁は、裁判長曰く社会的制裁として容認される。 甲は何の関係もない丙が、そのような対応をとることを、仲間ハズレ、イジメ、不当行為、差別・・・と色々考えますが、社会的制裁は時として国家が下す刑罰の代行であり、それをもって国家の負担を軽減する場合もある。 もし、自らの周りに不法行為を働くものが居たとして、それが自己の直接の不利益に該当しなくても、彼を排除するのは、正義の憤怒であって社会的制裁として容認されるのでしょう。 もし、社会的制裁が容認されなければ社会は犯罪で蔓延します。社会的制裁は治安を維持する庶民の装置。 理由もなく、いやいや思想信条、身体的特徴などをもって村八分とするのは容認されませんが、犯罪の類を犯したものを村八分とするのは当然のことなのです。 例えば奴が禁止薬物の売買で利益を上げている場合、それが自己の直接な不利益でないにしても、奴の行動が反社会的である場合、それは排除して相当なのです。 しかし、現在、この社会的連帯というか社会的制裁の機能が低下している。新旧混合でも良い。そこに村八分にしないものの不利益がある。犯罪を犯す甲に関して、それは自分とは関係がないと傍観する乙。ところが、保守的な丙は乙を犯罪予備軍として見てしまう場合、彼も含めて社会的制裁の該当者になってしまう。 凄く嫌な言い方をすれば、犯罪の類をする者を自己の周りに置く場合、それは自分の不利益にも繋がるということです。お釈迦様が言う「友人は選べ」とは法学的に言って、このような事を指すのでしょうか?? le 6 mardi //今日も5キロ// 内訳は4.5キロのジョギングと0.5キロのウォーキング。何もせず今日もダラダラと過ごしてしまったという悔恨の念を30分のジョギングは見事粉砕してくれるので精神衛生的にも良い傾向。 最近の週間天気予報はよく当たる。週末は雨で確定かしら? 大学の頃は記録的な円高も後押ししましたが、楽しみといえば海外旅行しか知らず何度も海の向こうに行ったものでした。それを今再開したら、それはそれで楽しいのでしょうが、上村や南信濃村の斜面集落などの秘境を探訪するのも充分に楽しくて充実します。 シティーホテル一泊の旅も、今では地方都市で過ごす週末、そしてテント張ったりもします。 結果的に安価ですが、安価を追求したのではなく、楽しみのスタイルが結果として安価。それで充分に楽しくて充実しているのだから、人生の過ごし方が少しだけ上手くなったのでしょうか? le 5 lundi //秘境ライン// この人のHPは凄いに尽きる。飯田線の駅も多いし。。 そもそも大鹿村→上村→南信濃村→泰阜村→天龍村→富山村・水窪町→佐久間ダム このラインを極めたいです。 断層にフォッサマグナとかあるように、このラインは日本の秘境断層です。 //高麗人参// 薬用人参とでも言いましょうか日本でも栽培できます。去年、群馬か長野の道の駅で一袋800円で購入して以来、高麗人参に興味は尽きない。 僕にとり価値あるものは「有用かどうか」 つまり「薬効があるかどうか」 その後、道の駅や田舎の直売所を訪れては探すのですが、なかなか見つからず。 伊吹山は薬草の産地として有名なので、久しぶりに西濃・東近江を探訪しようかしら? le 4 dimanche //年中行事としての扱い// 今年も行きました。新城市鳳来町は川売(かおれ)地区の梅の花。 良い所は、その年のその季節には必ず行く。それが僕の年中行事。 次回はGW前後の「しらびそ高原と下栗の里」 それから足を伸ばして、旧富山村まで行った。その時点で時間があれば、つまり梅の花がなくダイレクトで行ったとしたら、旧南信濃町まで行っていたはず。 時期を改め行きましょう。 それにしても、ドライブはしたいしmtbは乗りたいし。土曜のように寝ていてはダメということです。 le 3 samedi //生きた屍// 本日したことといえば、午前中に二時間洗車したのと。夜に30分、5キロのジョギング&ウォーキング。 あとはベッドの中で寝たり本を読んだだけ。 ベッドサイドには20冊はあると思う。読みたい本の読みかけ。既に読んだ本でも、何回もつまみ読み。そんなのを気まぐれに手にとっては読み、そして寝る。それはそれで心地よいのですが、どうにも血の巡りが悪く夜に走ったというわけ。 le 2 vendredi //脂のしたたる上質な肉// を食べたい。 最近は、脂抜きダイエットをしていて食生活から油脂を排除する方向であります。でも、禁煙と同じで、禁じると欲する。 今日は5キロもジョギングしました。その程度の体力はなんとかあったことが証明されました。 太るのは簡単だけれど、なぜ痩せるのにこうも苦労するのか!? le 1er jeudi //悪戯なお話// ロッカーキーを机の上に置きっぱなし。本人はしばらく帰ってこない。少し悪戯しましょう。 彼が戻ってきてロッカーを開けたら、ビックリ。コートだけが見当たらない。その驚く様は周りから見れば愉快そのもの。そのコートは社内の別なところにあって、大事には至らず。 この様なロッカーの不思議事件が二度三度起きた。 半年も過ぎて会社の忘年会の席。酔いに任せて大の友達が種明かしをした。アレは俺だよと。 もう、お分かりになられるとは思いますが、彼は友達を再び信用することはなかった。もちろん社内の人間関係、穏便に済ませますが、ゴルフの誘いや他でもそうですが、ことごとく誘いは断る。 週末に会うに値する人間ではなくなった。 少しの悪戯な気持ちでも、それが社会通念上、規範を逸脱する場合、後の話はややこしい。 悪事は必ず露呈するといいますが、悪事する者の感覚の麻痺によって、時として自ら露呈してしまう。コンビニで万引きを繰り返したと告白した下らないアイドルのように。しかし、話はそれで済まなかった。 好きとか嫌いの問題ではなく、奴は規範を逸脱する下らない人間。そういう見方が成立すると扱いも粗末なものです。例えるなら万引き癖のある者を身近に置くかどうかの話にも通じる。好き嫌いではない。 万引きの話で思い出しましたが、中学の頃の話。「奴を家に入れるな」と噂される人がいた。どうも手癖が悪く友達の家にいっては高価なものを盗み出す「癖」があるらしい。 これまた昔のニュースですが、懲りもせず万引きを繰り返す老婆の話。彼女曰く「癖であり、抑えきれない衝動が沸くそうです」盗めそうなものを、なぜ盗まない!心の声が叫びます「盗め!」 そうと分かった手癖の悪い人と時間を共にできますか? 彼は、まもなく会社を去るのですが、誰一人送別会を開こうとはしない。社内での穏便な付き合いも必要なくなる今、本音がむき出しになり、怖いドラマを見ているようですが、反面自業自得なのでしょう。 天に唾吐く者は必ず自らのもとに返ってくる。 誰かを困らすことを愉快と思っていはダメ。 |
→→→先月の日記←←← |