mars.2010


le 31 mercredi
//菌糸// 某煮のチャンネルで、AIDS患者の末期の写真がズラズラとupされており、かいつまんでみていた。 カビが生えてくると聞いたことはありましたが、まさしくその写真。  ただ疑問なのは、この手の写真は治療も未発達な90年代前半までの記録なのか。
それとも、健康体でも人はいづれ死ぬ。
投薬している人でも同じでいづれ他界する。そのときの写真なのか?

人はいづれ死ぬ。それは生気が完全に抜けた姿。よほど徳を積んだ大往生でもない限りやはり見るものの哀れを誘うだろう。
だからAIDSが悲惨だと、陰惨を強調するのは病理全般の感覚を乱すことにもつながりそうです。

つまり、老衰でなく病の進行で亡くなる死というものは、やはり苦痛を連想させる何かがある。


早期発見は申すまでも無く、現在の治療は誤魔化しの利かない体調不良に寄る診察ゆえの発覚の段階でも治ると聞く。
もちろん、遅くに知った分だけ治療は難渋するものとは思いますが、あのような写真は全く医療から隔絶したものの姿と認識するならば、
一抹の恐ろしさを抱えるにせよ勇気を持って検査に行くべきである。

le 30 mardi
//緑区に泊まるということ// 大高に泊まってみたかった。
全くありえない場所で泊まってみて、ブラブラと歩いてみる不思議体験。
ところが青少年センターなるものがあるのみで五名以上の予約だとか。


まずもって必要なのは時間。
高級なホテルに泊まったとしても滞在時間が短くては意味が無い。
のんびりする時間の有無。

大学の頃、パリですることが無く昼寝ばかりしていたとき、
観光なんてのは一日に一箇所あるかないかでちょうど良いと思いました。

することがなくボ〜〜〜〜っとして、さてどうしようかと濃い目のコーヒーを飲んだり本を読むときに、この街にいるのだと実感する。

地方都市で過ごす週末が好きな理由は、
見るべき観光スポットというのがなく、ただあるいているのが楽しい。
そして有り余る時間に贅沢を覚えるのです。

この境地に早々に達するためには、目星をつけた街に足繁く通う。
もう勝手は知っているのに新規なる発見はほとんど無いというのに
また来てしまった。だから草々にすることが無くなり、
100km以上離れた街に目的を見失う。

ここに擬似地元民感覚に陥る入り口があるのだ。



さてさて、飯田で撮影したビデオを見ています。
お祭りの細切れの小一時間。
これが見ていて全然飽きない。
BGMとしても心地良い。

le 29 lundi
//慌てて故郷に帰る// 大都会東京で働いて働いて、そして定年。
人生の過半を東京で過ごしたというのに、自由を手に入れたとたん
故郷の北陸へ舞いもどる。

戦後一貫して東京は人口を吸収し続けてきた。
子の代になれば違和感は無くても
第一世代東京がまだまだ新規に衰えることなく現れている。

第一世代東京には故郷の記憶がある。
何かの力が働いて東京にいるのだろうが
その力から解放されたとき、どこに歩みだそうとするのか?


彼の姿形は分からない。
どんなに想像力を働かしても、彼の髪の太さやクセも言い当てられないし
肌の色、目の形も全く外れているはずだ。

だけど彼が父性の欠損を心の闇として抱いているのは
なんとなく言い当てられそうな気がする。

でも、父性の欠損とは離婚や死別でなくても存在する。

le 27 samedi et le 28 dimanche
//飯田お練祭り// 七年に一度。見に行って良かった。
歳をとると、成し遂げない正当化が実に上手くなる。
今回、自分で自分を後押ししてお練祭りに出かけた。

縦の筋も横の筋もどの筋も溢れんばかりの人だかり。

思うのだ。
働きに働いて、週末街に出る。
地方都市が輝いていた頃、それは週末の欲求を
飯田なり中津川なり、街そのものが提供していたのだろう。
古い作りの映画館やボーリング場を見ると
往事の賑わいを思わざるを得ない。

交通網が整備され、それは地域振興や地域間格差の是正でもって
進められたのだろうが、結果として、
週末の賑わいが大都市に吸収されてしまった。

そして、その道路整備が中心市街地を外堀で囲むような郊外のバイパス。

町の中心が、JRの駅前という当然の感覚から
核を要しない郊外のバイパス沿いに線をなして生成されている。

それでも飯田は頑張っているほうだ。
恵那市とか、本当に酷い。

飯田も郊外のバイパス沿いに若者が、買い物客が集まるのだが、
それでも丘の上と呼ばれる旧市街は何かしら力強いものがある。
答えを言うと、旨い酒と料理が今もなお味わえるからだろう。

バイパス沿いには、その店に入れば飯田であっても名古屋であっても青森であっても全く同じ味なのだが、丘の上にはその店にしかない旨い酒と小料理がある。  そういう遊びは、大げさに言えば、現代版の芸者遊びのようにも思える。お茶屋云々ではなく、粋な味を求めて個人料理屋に行くという、これまた粋な動き。

たぶん、飯田に住んでいる人は、そんなことは思わないはず。
この街は実に旨い料理を提供する街なのに、
当たり前過ぎてその自覚が無いのでしょう。贅沢だと思う。

le 26 vendredi
//緑区でも// 鳴海とか大高に住んでいたなら、地域の深みを楽しめたと思う。  やはり生活のちょっとした徒歩圏内に幾つかの神社仏閣地蔵や祠があって欲しいし、道路は区画整備された無味乾燥的なものではなく、
妙に曲がりくねっていて、はるか昔にも人がそこを歩いていた意思を感じ取れる空間を共有したい。

整備された道路があって、庭があって、その奥に家がある。
整備以前の道があり、家の壁が道路との境。

今となっては名鉄も高架になりましたが
少し前までは、そんな路地に近い細い道の奥から踏切の音が聞こえる。
夏、気の遠くなりそうな午後に、またも鳴り響く踏切の音。
逃げ場の無い夏に素直に負ける快感。

国土地理院のHPに、
米軍が終戦直後に撮影した航空写真がある。
我が町の輪郭は地形の起伏で読み取れるのだが、
わが町に整備された区画は道路は全くの人工的な圧力。

ところが目を凝らすと、雑木林の中に道があり
畑があり、家らしきものがある。

祠や地蔵もあったのでしょう。  

le 25 jeudi
//4/3-4は// 次の週末は飯田で練り祭り。
その次の週末は、気合を入れて旅行記を編纂しましょう。

10年近く前、多度大社の上げ馬神事を見たことがある。
地元の若い衆が昼間から酒は飲み飲み、ハレの日です。
明らかに未成年と思しき衆も、ハレの日ですから警察も黙認のような。。

田舎の有名なお祭り。
周辺地域から若者たちも観客として集まる。

そこで不思議なものを見た。

平素の若者は、粋といえば流行を先取りしたもの
流行の特定の要素を強調したもの。

ところが、そんな出で立ちで参加したにもかかわらず
法被姿の若者衆の粋に完敗。
羨望の目で見る彼らと、
今日は何をしても許されると羽目を外して皆の注目を集める彼ら。

どんなに憧れに思っても
伝統に属さない若者は、指一本触れることさえできない。


飯田でも、同じ光景を見ることでしょう。

le 24 mercredi
//文化的な生活// 書き始めから脱線。
今一番欲しい楽器は、インドのシタール。
適当に指を動かせば神秘の響きが得られるようで。


本を読みたいし、新聞を一言一句逃さず読みたいし、
大辞林をとにかく読み耽りたいし、
NHKラジオの情緒的な番組を聞きたいし、
火鉢で暖をとりたい。


金銭的な贅沢は二の次で
一の贅沢は僕の望む情緒の姿。


それにしても今年は寒い。
二月の後半に、南極が溶けるのでは?と思う陽気に襲われましたが
再び冬が来ました。

le 23 mardi
//理想の食事// 漆の膳に、雑穀の飯と汁。漬物。野菜の煮物。
めざし一匹。

お洒落を追求すると伝統に即した生活に戻ると聞いたことがあります。

雑穀は、数十年前は米の不足を補うもの。米の代用。二級穀物。
ところが今、粟や稗を求めると驚くほど高い。
これでは100%の粟飯は望めない。
今や、粟や稗の不足を補うものとしての米。雑穀の代用。二級穀物。

le 22 lundi
//多治見から始まる魅力// 休日の午後、多治見にふらりとドライブをした。
多治見には一度泊まってみるべき。歩きに歩けばきっと面白味に溢れているはず。

岐阜県は多治見市から中津川まで団子状に味のある地方都市が連なっている。団子都市群で泊まったことがあるのは中津川のみですが、
地方都市でしみじみと時間を過ごす。


三重県の田舎で、小さな小さな犬のフグリが咲いていた。
この花には思い出があって、春から初夏。土の香りがする畦道。
土は肥え黒々としていて、青い小さな花が沢山咲いている。

土の匂いと爪に真っ黒な肥えた土の生活をしてみたい。

アレコレ考えると答えは八方にあって対策も八方。道のりも八方ある。
もう訳が分からなくなりますが、もはや祈るしかできません。
須らく最善の流れに身を任せているように。

le 21 dimanche
//花粉に黄砂// 良い大人が泣くなんてのは、みっともない。と泣くことから遠ざかっていたなら、花粉と黄砂に責任を取ってもらって思いっきり泣きましょう。

道を外れ肉親からも恨まれ疎まれるのは理解できる。
なのに、まだ何もしていないというのに
親から恨まれ疎まれ命をも奪われるなんて。
この子はなんのために生きてきたというのか。

そんな悲劇は現代社会の孤独が生み出すとも言われます。
いや、それはない。
そんな子供たちは、命は繋いでもその淵に立たされた子供たちは
どの時代にもいたはず。

何かのために産まれてきたから、というから苦しめるのか。
考えたことがある。
日本人が一人生まれるということは、自然界にとっては今や大罪。


さて、今日は朝から忙しかった。
夕方、仮眠した。
疲れが堰を切ったとき、無呼吸でした。
それは脱力する感じで息を吐く。
それは疲れを吐く感じで心地良い。
次に吸うという努力をしばし放棄していた自分を発見していた。

疲れを吐き、吐ききったときの安楽。
安楽が結え、息を吸うことを後回しにしているのです。
それが無呼吸。

le 20 samedi
//ありがとう// 良き思い出をありがとう。ありがとう。ありがとう。
ありがとう。ありがとう。
当たり前のようにしてあると思うものの消え去るとき、口から出る言葉は
ありがとう。これに勝るものは無い。ありがとう。

//長々と// どうでしょう。この日記の量の多さときたら。
ところが似たようなことを書いている。
書きながら自己を整理しているので赤裸々です。
それはそれで良いのです。

結婚という問題にぶち当たると、いろいろと書く。
できることなら結婚したいのです。
でも、いろいろと書いている。結局、掘り下げて掘り下げると
人を愛することに底知れぬ恐怖を抱く病理の闇を露に。

それはそれで良いのです。

不安なことがあると、祈りの効用を書いています。
いろいろと書いて祈りのテクニックも書いています。

それはそれで良いのです。

決まらぬ週末に地方都市で過ごすことを逃げ道として
あれこれ思案している。

それはそれで良いのです。

男性ホルモンの減少か加齢か、
以前は見て見ぬフリをしていた諸問題が不安になり始める。

死へ向けた焦土作戦。
身を軽くして、まだ頭の回転が利くときに決めるべきことをする。
決定を躊躇して選択肢の無くなる事を恐怖する。

le 19 vendredi
//小さなアパートだけ// 聖書にこの世に財が溢れても持っていくことはできない云々みたいな箇所があります。
年老いて家がある。  限界まで住んだとしても
取り壊す段取りを孤老にできるというのか。

ふと思うのは、孤老となり小さなアパートに住んでいる。
処分する財産とかもなく、生きていくだけの最小限の年金。
なんて幸せなのかと。

年老いて家に住んだとしても、もうアパートも借りられない。
なのに地震とか火災で住めなくなる場合もある。

花粉の季節だから結婚を勧められても良い返事のできない悔しさは
アレルギーの仕業にできる。

この類の苦しさは子供のできない夫婦に両親や親類が
子供はまだかというに通じるのでしょう。

できることなら希望に添いたい。
親孝行はしたいし、やはり一生の過程に孤独というのは
不自然である。

そんな不自然を突き進もうとするのだから
静かに見守って欲しいのだ。

税金は納める。老人に席は譲る。
親の言うことは聞ける限りのことはしている。
なのに結婚をしないことは、両親を悩ませ僕を苦しめる。

結婚云々に関しては書けば大河の流れのような長さになる。
そもそも結婚も恋人も誰かと一定以上の接近が恐怖そのものである
僕の人間に対する愛の軽薄さ。
これは病理の域に達していると思うのです。
不眠や偏頭痛に悩むことは全くないけれど
恋愛や結婚は恐怖そのもの。
その果ては敵対関係であり激しい憎悪。
自分なりに見出した道は、これ以上傷つくのは勘弁。
そのためには孤独でいることが最善。
そう、思っていた。
老いていくとベッドの中で涙を流して決めた事柄にも揺れが生じる。

le 18 jeudi
//先祖の力// 老いる両親に祖母の意見や、先祖の意思は一致する。
それは僕が結婚して三重県の山奥に居を構えること。

それは見えない大河のようであって僕は流れを乱す川の中の岩。
そんな意固地なところがなくなって流れのままに流されてもみたい。

思うのです。
先祖の力があの世からこの世に降りて何かしでかすとしたら
僕は会社で不当な扱いを受け飛び出す方向に持っていくでしょう。

全てを捨て名古屋に何の未練もなく新しい地を探すとき
東京でも大阪でもない。三重県の山奥。

一つ聞きたいのは、皆、どれだけ自由か?

山の情緒は好きです。
住んでみたいと夢見に思う光景は三重県ではない。

例え三重県であっても、ここに居を構えてみたいと考えても
ここはダメ、あそこ、となる。

自由に生きてきたけれど
将来の夢を語るとき、ことごとく制約を受ける。

結婚は、事後の成り行きだとしても
三重県の山奥に住むとしたら
少しは僕なりの希望も叶えて欲しいものだが
住む家は○○。あれはダメこれもダメ。
アーシロコーシロ。
だったら安定した職でも見つけてよと言いたいのだが
それは自己の努力。

制約もあり好きでもない所に住むというのなら
名古屋で大崩壊があってのことでしょう。
意固地な僕に、たぶん先祖はそう仕向けてくる。

le 17 mercredi
//南北果ての音// アイヌの伝統楽器。口に小さな弦のようなものを入れ、ビヨンビヨンビヨと鳴らす。  生で聞いても琴線に触れるというか、特別の感情は湧きませんでした。
中学の頃、琉球音階ってなんて心地良いのだろうと、特別な感情が湧きました。
アイヌも琉球も元を辿れば、古日本人というか縄文人。
南北果ての音を聞いても、心に染み入るのは琉球。
僕の耳垢は湿っているし、縄文系の割合が高いですが、
ルーツは黒潮に乗って南の島からやってきたのかと思ってしまう。



pcの反応が遅すぎる。
買い替えもチラホラかな。

le 16 mardi
//眠ることは起きること// うつ病⇒自殺から、不眠⇒うつ病⇒自殺
政府は「おとうさん。よく眠れてる?」と睡眠確認の自殺防止予防キャンペーンを展開中。

幸い、僕はよく眠れる。不眠の方には申し訳ありませんが
眠り過ぎが悩みの種。

●まずベッドに入ったら、妄想の世界に耽る。
 現実のことなんか全く考えない。
 僕の憧れる田舎暮らしや大富豪の生活。⇒すぐ眠れる。
●どうしても解決するべき問題とか期限の迫った問題が控えているとき、
 僕は、考えない。
 しかし問題があるのに考えないのって難しいこと。
 心を無にするなんてできない。
 さし迫った問題があるとき、僕は考えずに祈る。⇒すぐ眠れる。
●日中の短時間の睡眠のあとの、側頭葉がカーっと燃えるような覚醒。
 僕が良く眠る中毒は、この覚醒に中毒だから。


心配事の尽きない人は、きっと事を心配しているから。
そのことばかり考えている。
考えても、解決というのは考えの及ばない
人間関係の妙によって左右される。

あの場面では、こう言う。あー言う。
そんな問答をしていたら事例が多すぎて朝になる。

祈りは偉大です。
明日私は、須らく最善の受け答えができます。
本当にありがとうございます。
事例なんてない。⇒すぐ眠れる。

le 15 lundi
//昨日快晴、今夜雨// 春に三日の晴れは無しというけれど
二日ももたない。

マグロの禁漁区が世界のあちこちで誕生しようとしています。
過激保護団体シーシェパードのニュースや、太地町の盗撮映画受賞問題など忌々しきものもありますが、マグロの捕獲制限には賛成です。

そもそも日本人は何かに取り付かれたようにマグロマグロという。
よくよく考えてみると寿司なんてのは20年も前は、
高級食材でなかなか口に入らないもの。

いっそマグロを高値にして、皆が地魚の素晴らしさに目覚めたなら
マグロ一辺倒の寿司感も是正されると思うのです。

地のものを旨く食べる。そういうルートや店の有無。
これが確立しての地方だと思うのです。

//開かれた皇室// 何かのインタビューで、
開かれた皇室を目指してとかは良く聞くお言葉。
ところが東宮家に対して国民の心配が鬱積している今、
こと皇室に関しては言及しない禁忌を犯して
多くの国民が思うところを述べ始めている。
とても皮肉ですが結果として開かれた皇室になってしまった。

例え皇室であっても、
尊崇の念は公務の上に醸成されるのだと思いました。

le 14 dimanche
//大秘境遡上二日目//








中井侍と下栗にも行きました。
詳しくは、後日、特別頁を書きます。

le 13 samedi
//大秘境遡上// 四人で行きました。特別頁書かなくては、、、





大秘境遡上。小和田に夏焼。大秘境。

le 12 vendredi
//無駄使い排斥運動// WTIの先物を見ていると、近々、ガソリンはまたまた値上がりする。 二年前の暴騰の初期、この価格は未知の体験で、相当問題視していた自分。山を過ぎて二度目の高騰局面に入っていますが、前回ほど危機感のないところがダメです。

訪れる場所は列を成して僕の到着を待っている。
平素の無駄遣いを排し、ガス代を確保しなくては。

そういえば二年ほど前、狂乱価格の夏、ハイオクが170-180-190-200円とかでしょうか、南信濃和田に一人で山肉料理を食べに行ったことがあります。
近くの温泉施設もガラガラで恐怖を感じました。
店の主人もこの価格で客足が1/3になったという。

東京に住む人たちに、あの夏は、普段の延長線だったかもしれませんが、
僕にとって、僻地に住むものにとって、あの狂乱が再び訪れると思うと
それは深刻な恐怖の何物でもない。

le 11 jeudi
//ネットでアナタも日本一// もはや国民の調べもの、その手段の最たるものはネットです。ググるともいうみたいですが。

僕の偏向的な趣味は斜面集落。
特に天龍村中井侍地区や大嵐駅近くの夏焼集落。
ターゲットは狭い。ここを徹底取材して、ボリューム満点でネットにupする。
すると僕は中井侍を最も詳しく説明できるその筋の権威に、いとも簡単になってしまう。
人は何かするために産まれてきたとも言う。
何かで日本一なら充分な理由です。産まれた甲斐もあるというもの。

中井侍を紹介した特別頁はたくさんあります。
おそらく中井侍集落の人も一度は検索して見ているはず。

何をしても兄と比較され、その劣なるところを道化でごまかしてきた自分。
良いじゃない良いじゃない。僕には日本一があるのだぞ。

と、言うことで、ネットで個人的な興味を徹底的に紹介すれば、
きっとその筋の権威になります。

le 10 mercredi
//次に暇暇な週末に// 2010年の旅行記を作りましょう。この週末、一つ旅をしますので、書かなければなりません。

さて、壊れていないけれど反応速度が遅いから、、、
というような僕の周りの電化製品。 pc 携帯 テレビ。
壊れていないので買い替えの大義名分が立ちません。
困ったものです。

//陰陽// どちらも味わい深く過ごしたいもの。
陽は、例えば快晴の週末。海へ山へ車を走らす。
陰は、寒すぎる日とか雨とか嵐とか、家に居て
ラジオを聞きながら新聞をじっくり読んで、
少しからだが冷えたと思ったらベッドの中でうとうとと寝る。

le 9 mardi
//貧しき生活への憧れ// 夢見に思う勝手気ままな世界は二つある。
贅沢と貧窮。どちらも憧れ。

貧窮が憧れなんて変なことを言うようですが
一つ書いてみると、山奥の一軒家。
囲炉裏か火鉢で暖を取り、雑穀飯と漬物と味噌汁の食事。
薪がパチパチ、煙の良い香り。
ノイズの入るNHKラジオ。

日が昇れば暇な時間など無く、炭を焼いたり畑を耕したり。

車も宝石も高価な服も無縁の世界で、
生きるために穀物を作る生活。
余分な脂肪分などない、質素な生活。

le 8 lundi
//国民新党// 既に何回か述べていますが、僕の思想信条に一番近い政党が国民新党。  なのに毎回支持率1%以下。。。。

亀井加盟党なのが問題なのか。
落選した兄上はインパクトはないものの毒もない。
弟はインパクトもあれば毒もある。
娘は言うに及ばず。

続いて、これは二度目の言及ですが、
現首相「童話作家」説。
政治家やめて絵本でも書いていれば良いのにと思うのです。

と、いって保守の再生を叫ぶ安部さんあたりは好きになれない。

この保守というのが、未だ謎。
つまり保守陣営は、労働者のありかたを語ろうとしない。

国民新党が好きなのは、保守の枠内でありながら
労働者の勤労形態の目指すべき姿を明瞭に打ち上げている。

安部さんがアーダノコーダノ言ったとしても
国民の勤労形態の目指す姿をほとんどかたろうとしない。
保守といいながら国民には拝金主義の犠牲になるような勤労形態を
改革の名の下で進めようとする。

国民新党は、保守主義者が目指す国民の勤労形態を侵蝕する
下賎な企業家連中と真っ向対峙する。

そこに期待したいのだが、支持率1%以下では、如何ともし難く。

le 7 dimanche
//ファッションの傾向と対策// 春物の上着が欲しかったのです。
ところが歩きに歩いても目指すものは見つからず。
僕が欲しかったのはジージャンなのですが、
色が明るくて薄い緑かオレンジ。
これに白のパンツを選べば完璧でしょ。

ところがどこに行っても白黒を基調としたファッション。春ですよ春。
僕からすれば、まったく心ときめかない商品が百貨店のお値段。

松坂屋に、一つ買っても良さそうなジャケットがありました。
しかし目指したジージャンは、栄地区の百貨店やファッションビルに見出すことはできず、次点の商品を買う。

百貨店価格なのに、中国製です。もう、日本では何も作っていないのでしょうか???

次点の商品は、ジージャンではありませんが、
ビビットなオレンジの上着。ヨレヨレではなく線がしっかり入っていて
そういうところも好き。これに白のパンツをはけば、楽しい春の予感もするのです。


昔からストールは多用していました。
今回のファッションの傾向と対策では、
そういうところは僕が数年前から進んでいたと実感。

le 6 samedi
//記憶が無い// 土曜日は、ベッドでウダウダ。鶯の初鳴きを聞く。
岐阜ラジオも聞く。風呂に入って医者に行き、
帰りにドラッグストアでアレコレ買い物。

昼過ぎに戻ったのに、あまり記憶が無い。
つまり長い昼寝をしたのである。

土曜日がどういう天気だかあまり記憶にもないし、
低質な一日になりました。。。

le 5 vendredi
//酩酊状態// 送別会で酔いまくりました。
mixiから転載しましょう。土曜日の記述も書かれていますが。
ウーマン:金曜日の晩は赤ワインを多量に飲み酩酊状態で帰宅⇒
     吐く⇒寝る。

父上:夜中トイレに行く⇒トイレに多量の吐血のあと⇒
  ビックリ&仰天⇒
  母上も起こして二人して検分⇒夜も眠れず不安に陥る⇒
  朝一番で病院の予約

ウーマン:淫らな格好で寝ているところを起こされ
     診察の時間を告げられる⇒
     前日の酒が残っており、ナニガナンダカ⇒
     そのうちその気になってウーマンも震える⇒
     風呂に入っているところで原因は赤ワインと知る⇒
     だけどそのまま病院に行き、
     事の顛末を告げ、女医の呆れた顔を見る⇒
     ショックを受ける。


le 4 jeudi
//精神的見地から見合わせ// 川売行きは一週間伸ばしましょう。
春に雨が多いのは分かりますが、こんなに続いたっけ???

伸ばしたところで、その次も雨だと今年はダメになりそう。。

le 3 mercredi
//白黒// 全くけしからんのが、若者の白黒を基調としたファッション。
春ですよ。ビビットなオレンジ色とか、なんで選ばないの??

スーツもそうだし、どうして???
ファッションに敏感なのは流行に敏感。これが笑えるのよね。

le 2 mardi
//大秘境遡上ルート// まずは三河の川売集落で梅見。
そのあと旧富山村を目指します。
大嵐駅前で車を止め、秘境!夏焼集落探訪。一番の見所です。ウォーキングにもなるし長いトンネルでお話の花を咲かせましょう。

次に目指すは中井侍集落探訪。
ところが車で行くとしたら、理想のコースは平神橋利用。
人の命を預かるものとしては避けるべきかも。

時間があえば、飯田線を利用して中井侍まで。そしてまた飯田線で戻る。
大嵐で車に乗り北上。

坂部集落は時間がないような気もする。
向方に行き温泉に入り、平岡駅前でお買い物を楽しむ。
そして宿入り。

宿入りの前にダム近くの梅を見るのもよいかも。

あれだけ足繁く通う天龍村だけれど泊まるのは初めて。

le 1er lundi
//南部の南部// 南信州の南部。信州における春の入り口が天龍村です。長野の南端といえば少しだけ根羽村が南に張り出している。ところがこちらは奥三河から続く高原状の土地で標高が高い。
一方、天龍村は川は海へ流れる最後の長野。飯田市よりも低い。
低いのに山深く険しい。不思議な土地です。

近々のウーマン旅行社では、南信州の南部を中心に執り行われるでしょう。
雪の心配がなくなったからといって下栗は興も冷める荒涼とした冬枯れ。

やはり山野に緑と花を見たいものです。
そこで南部の南部という限られたエリアになるのですが、
ウーマン旅行社の力量が試される時期でもあります。

狭いエリアで飽きさせず見惚れてしまう天龍村を考えて参りましょう。

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