mars.2011 le 31 jeudi //あとは勉強// mixi日記を読んでいて、都市生活者の未来的生活を体現している、それは首都圏の聡明な人たちが綴るには、集中して勉強をし、そのストレスをジムや第一級の景観が楽しめれる都会のコースをジョギングしたり、、、、なんとなんと映画的。 誰かと会う時、生活のレベルを順位づけ云々はしません。当たり前です。 大人の作法として、口に出すことはしないからです。 では、会う人すべてが似たり寄ったりな生活かといえば、 それぞれにむそれぞれに大いに輝いて活躍しています。 今日知った事実を言えば、特許に何本も名前を連ねていらっしゃる。 努力のたまものです。そんな努力は言わないし、その成果も言わない。 言わない人が確実に手に収めているのは、これは他にも言えることで、 努力している人は、そういうことを言う意味のなさを知っているのでしょうね。 年度末に、良いお勉強になりました。 le 30 mercredi //変わるものですわ// 昨日も今日も七時前の帰宅。スンバラシイ。 時間があるから、食事のあと、どこかにふらついても帰ってくるのは9時過ぎ。 時間の流れが変わりました。 出歩くということは、行った先で500円とか1000円とか2000円くらいは使うのですが 僕が南信州に足しげくドライブしていたときは日帰りでも1.5-2万前後でしたから、 手短な消費活動を繰り返しても、なんか余裕を感じるのですよ。 これで、変な話だけれど車を手放したとしたら、 それは使いたい放題なのでしょうが、名古屋の都市交通整備は まだまだ疎であり、車は持ち続けなくてはならない存在。 使用頻度が下がる程度です。 でも、冷静に考えると朝に関しては、言うほど時間短縮にはならない。 ●前 バス停まで徒歩30秒。バス待ち5分。 移動時間5分。+駅構内の移動と地下鉄待ちで5分。 ●今 地下鉄駅まで徒歩5分。+駅構内の移動と待ち時間で5分。以前の駅まで地下鉄で4分。 つまり、以前の駅では地下鉄が出発するまで15.5分だったのですが 今はそのスーとラインに行くまで14分。 帰りに関しては、効果を発揮します。 ●前、その一。寄り道しない場合 駅改札からバス停まで3分。 バス待ち5分。移動時間8分。バス停から家まで2分。 ●前、その二。寄り道ありの場合。 待ち時間が長くなるので、上記にプラスして3分。 ●今 駅改札から地上まで1分。地上から家まで5分。 ただし、以前の駅から今の駅まで地下鉄の移動で4分なので、 前① 18分 前② 21分 今 10分 ピンクの文字を度外視すると、最寄りの駅まで格段に速くなりますが そういう比較は公正ではないので、トータルの通勤時間を基本に考えました。 そう、トータルの通勤時間で言うと、 ●前 朝15.5+28(地下鉄の乗車時間)+5(地下鉄の駅から会社まで)の合計で、48.5分!!!! ●前 帰り 寄り道なしで5+28+18=51分!!! 寄り道ありで5+28+21=54分!!! ●今 朝10(家から電車に乗るまで)+32(地下鉄の乗車時間) +5(地下鉄の駅から会社まで)=47分!!! ●今 帰り 寄り道の有無に関係なく、5+32+2(ホームから地上まで)+5+=44分!!!! ※ 帰りは遅くなればなるほど待ち時間は長くなり、 道路状況により移動時間も増えることを加味すると 実際のところ従前は一時間を越えて帰宅していたことが多々あったと分かります。 つまり、効果を最大限に実感するためには 仕事帰り夜遅くまで飲みに出なくてはならないということです。 le 29 mardi //抵抗力// 睡眠時間を多く確保するだけでも免疫力は高まります。 お風呂に入ってスポーツをして毛細血管に至るまで血行を良くする。 もちろん添加物ばかりのジャンクフードでカロリーを満たすのはもってのほか。 もはや、放射性物質の体内への取り込みは避けることができないような気がします。 アレもダメ、これもダメと窓を閉め切って家にいるより、体の抵抗力を免疫力をUPさせる方が 重要かとますます思うのです。 //7時前//に家に着くなんて!!!! 地下鉄の延伸恐るべし。 早い帰宅は余裕も生まれるというもの。昨日も今日も着替えて出歩きましたよ、夜に。 本日は本山の西山コーヒーで本を読み帰るだけですが、 平日の過ごし方にもう一つの色を添えることができまして、延伸に感謝感激なのです。 le 28 lundi //●// 参考までに。 事態が一向に収束せず、ある日突然の大異変も可能性があるわけだし、 人類史上最悪の放射能事故として記憶されるのだろうか。 le 27 dimanche //洗練された都市生活者のイメージ// ①スマートフォン ②地下鉄 ③スポーツジム つい先日まで、①②③と全て持ち合わせていませんでしたが 慌てて、②と③をゲット。。。。 ガソリンは高いままだし、 しばらくは未来的な都市生活者をイメージした行動様式にしましょう。 嬉しいのでしょうね。 朝から出歩きました。 本当に名城線左回りで降りれるものかと、八事で本山で試してみる。 大曽根でも降り、そこから瀬戸電に乗りまして瀬戸市へのプチ旅行も。 瀬戸焼そばを食べて戻っただけですが、栄町よりか運賃も安いし、 この変化、大なるものです。 久屋大通で桜通線に乗り終点の徳重駅まで。ヒルズウォークでお買い物を楽しむ。 90分並び続けた甲斐があったというわけです。 さてと次の週末は、どういう風味の都市生活者でいようかしらね。 いや、この変化、明日から実感するはず。 会社には「背の高い人」と呼ぶ気の合う先輩がいるのですが、 たまには本山くらいはご一緒しなければと、ウフフ、タダで乗降できるから 気もデカクなりますわ。 le 26 samedi //過去何日分かの土曜日// こんなに充実する土曜日も珍しい。 どうしたものか、朝、決断し、10年ぶりにジム復活です。 その手続きをしましたその手続きをしました。普段の僕は、この程度の大仕事で放心状態、 あとは寝て過ごす土曜日なのですが、車を洗いまして二週間ぶりの陶芸。 あの名二環を利用し、東名と名古屋瀬戸道路を使って愛知県陶磁資料館までという なんとも贅沢な選択。 特に帰りに威力を発揮。 夕方になると名古屋に入る外縁地帯はどこも渋滞します。 僕の場合は国道153号バイパスを越えるあたり。。 ところが上空を地下を悠々と走る高速は、瞬く間に緑区です。 そのままヒルズウォークに行きまして、ジム用のお洒落着やおしゃれ用品を購入。 さて、陶磁資料館では初回から前回までの 僕の作品が焼きあがっていたので持ち帰りました。 陶芸は未経験で、初回に10分程度の説明を受けただけなので、 ご覧のとおりの出来栄えですが、、、、、そう、この段階を越えなくては先が無いのです。 ●第一回 ●第二回目 ●第三回目 ●第四回目 ●第五回目 え?? まだ日記が続くって!?? そうなのです。晩御飯食べてから、野並駅まで行きましたよ。 やはり本日も外は寒い。まさか90分も待たされるとは。。。。 明日、地下鉄の桜通線が延伸されるのに伴い、定期の書き換えです。 ちょっと頭ひねりまして、アハハハハ、すごいルートを申請しました。 別にルール違反ではないので問題ないのですが、 相生山⇒国際センターのところ、同じ五区間で乗り換え三回まで可能で、 いかも一筆書きという制約のもと、僕が申請したルートは、 ターミナルの徳重駅から【新瑞橋】乗り換えの、名城線左回り(八事-本山方面)、 【上前津】で二回目の乗り換えをし鶴舞線の【丸の内】で三回目の乗り換え、 桜通線を使いまして最終駅は名古屋。 名古屋市営地下鉄は、同じ地下鉄とクロスする接続駅が、 新瑞橋 八事 本山 平安通 久屋大通 栄 上前津 金山 御器所 伏見 丸の内 名古屋 今池 と13駅ありますが、赤字三駅以外は利用できるルートにしました。 エヘヘヘヘヘヘヘ。 90分立ち続けで待たされましたが、怒りなど全くありません。すっきりしたもんです。 今日の日記は続きます。 見た目だけで薬物常用患者と判別できる眼力があれば良いと ネットでは、その特徴とかを調べたりもしていましたが その90分待ちの間に、見事にドンピシャリな人がいました。 覚せい剤を常用すると、顔から虫が湧きだす感覚に、 誰彼となくおそわれるそうです。 よって顔を指先でつねったりむしったりするので、 顔中、小豆大の赤い腫れが残るのですが その彼は、まさしく、そのような顔で、 決定打は、早足で改札をくぐった後、 ゴミ箱に手を突っ込み、何かをせわしなく探す。 今のところ浮浪者ではありませんが、その手は、何かを探しているのに そういう勢いはあるのに、探すにしては精度に欠ける、 なにかしら粗野な慌てよう。 そして、たいして探しもせず、かき回しただけという方が正解ですが、 彼はまた足早にホームへと降りて行った。 le 25 vendredi //寒い三月// 一週間ほど暖かい日もありましたが、あとは寒い日が続きます。 本日は夜に1.5カ月ぶりに人と会う。その時も寒い寒いと言っていましたが、まさか三月も25日に言うとは。 ところで名鉄ヤング館が閉店ということですが何ができるのでしょうか?? と、今、調べたらヤマダ電機だそうです。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 le 24 jeudi //案外、仕事の鬼// あまり公言しませんが、まもなくバスを利用した通勤が無くなるので一言申すなら、僕は何年も前から毎日朝一番の6:30のバスに乗って通勤します。朝二番のバスなんてのは、言い換えれば何年も乗っていません。 朝早くから仕事をスタートさせるのは僕の入社以来変わらないスタイル。 今後は地下鉄になるので、毎朝見る乗客の顔ともオサラバです。 地下鉄は、どの駅で降りるかによって座る場所は人それぞれ。 ところがバスはいつも同じ顔。話したこともないし知らない人ばかりですが 皆、多くの他人よりかは知る存在。 le 23 mercredi //おめでたふ// 本日はヘアサロン。この長く続く日記に、ある一人の理容師の話が何度となく出てきます。彼と出会って10年は経過するのです。実家の中津川に戻ってからは年に一度はそちらでカットします。 先日結婚したそうです。おめでたふ。 大昔、名古屋は大須のヘアサロンに飛び込みで入る。 ストレートパーマにして!と申しでたところ、アナタは、それをしてはなりませぬ。 もったいないと。 そういう客の申し出を一考させる助言のできる店、瞬時に素晴らしいと思い通い詰めることに。 そのとき、マネキンの頭で練習をしている一人の少年がいました。 あるとき、いつもの人がお休みで、彼が代打で僕を担当する。 かなり時間がかかったこと、今も覚えていますよ。仕上がりは可もなく不可もなく。 でも、帰るとき「とても上手じゃない」と褒めたところ、緊張感も解けた時分ですし彼の喜んだ顔、今も鮮明です。 それ以来の僕の担当は彼になり、長い付き合いがはじまる。 彼が、店をかえたら僕もついて行き、実家に戻ってからは年に一度を三年か四年。 時代は変わるのですよ。同じような毎日を過ごしても、 それはそれでとても胆力のいる継続の努力かもしれませんが 周囲の星の配置は毎日微妙に変わる。こればかりは受け入れざるを得ません。 le 22 mardi //新しく、あるもの。// あるものを利用するのは当たり前だし、 あたらしく出来るものがあれば、大いに活用したい。 ようやく最近分かり始めたのは、 都市生活者というものは社会資本の積極的利用者であると。 僕は週末は名古屋脱出組みなので、そういう感覚が全然働きませんでしたが ガソリンは高いままだし、少しは地元で過ごすことに達者でなければと。 そのためには社会資本を積極的に利用しなくては。 社会資本の集中投資対象は、もちろん日本の首都である東京。 あとに続くのが政令指定都市群。つまり都市の規模に応じて社会資本の増減は比例すると思っています。ところが五万の町と50万の町では10倍の開きがあるかといえば、どこかで妙なプラスアルファが加味されます。例えば金沢。北陸の雄である金沢は、一つの吸引力のある街。21世紀美術館も存在できるのです。ところが同規模であるが雄ではない東大阪市に、どうかと言えば、以下略。。。 巨大な建物の、何という力学を駆使したのか、斜めに張り出される立派な梁。 そういうものをただ眺めてコーヒーを飲むのは、都会人の特権であるし、 夢見る若者の一つの憧れかもしれない。 横浜の、それは見事な海の見える都市公園と言うか共同の空間と言うか。 風を受け入れる作りのレストランでは昼下がりのワインを当たり前のように楽しむ人たち。 横浜の、そういう場所だから許されるお洒落だし時間です。 これも社会資本が局所的に集中した産物。 やはり都市生活者と言うものは田舎への憧憬以前に、 都市の魅力も味わってこその「広がり」なのだと。 名古屋にどうかと言われれば、何とも答えづらいのですが 我が家の近くに、最近、社会資本の集中配分がありました。 利用してこその都市生活者なのでしょう。 星が丘テラスには足元にも及びませんが、 ようやく少しだけお洒落な時間が過ごせそうです。 le 21 lundi //笑い// 上質で健康的な笑い。 大震災以降、何気ない平穏な話題さえ口にするのも不適当と、言葉を選ぶあまり寡黙になったり、ましてや避難所では笑いはタブーなのかもしれません。 一つ気になるのは、脳の特定部位の委縮。 笑うのを避ける日々が続くあまり、建設的なことを考えるのが苦手な脳になっては、これからのご苦労ますます増すと思うのです。 だからといって民放が得意とする下賤な笑いは平素から嫌悪していたので、例えばボリショイサーカスではありませんが、あのような上質な移動の興行も精神衛生的に必要なのかと思うのです。 ガンバレ!が席巻する雰囲気にあって、笑いは100のガンバレ!より背中を押すのかも??って思いましたので書いてみました。 こういう時に、人を傷つけない健全な笑いを提供のできる芸人は立派だと思うのですが、 僕が思う民放に出てくる芸人というのは、熱いお風呂に入れた時のリアクションをあざけ笑ったり下位に位置する芸人を叩いたりとか、、、、まあ、日頃、低俗な域での活動ですから期待もしていないのですが、誰が最初に健全な笑いを提供するのかは注目したいところです。 le 20 dimanche //そぞろ歩き// それは朝10時の光景。誰もが家から出てきて、多くは家族を伴って一家でそぞろ歩き。新しい地下鉄駅の中に吸い込まれるようにあっちの道からも、こっちからも皆がそぞろ歩き。本日は地下鉄桜通線延伸四駅分のみの行ったり来たりの無料開放。 終点、徳重駅には先日オープンした大型の商業施設ヒルズウォークがありまして、 こちらも大賑わい。 タダで移動できましたし、交通局員が手に持つ募金箱にも、 これまた多くの人が協力していました。 今回にとどまらず、町に観光地に出かけるとしたら、 その行動できる自由への感謝も含めて、 行った先での募金はするべきだと強く思うのです。 働いて納税をし、消費活動をし消費税を納め、 事は非常事態、行った先での募金への参加。 le 19 samedi //穏やかな一日// 何もしない一日。感謝するべき一日。 三連休の初日、特に何もすることなく過ごした土曜日。 こういう時間の過ごし方ができることに感謝するべきだし、 後日、労働で得た富みは寄付金に回すべきだと思っています。 今晩も一度、緊急地震速報器が作動しました。 正直、大震災からの報道と余震の連発で名古屋にいる僕でさえ、疲れるところがあります。 罹災者の方々のご苦労をお見舞い申し上げます。 福島第一。少し事態も好転したようで、 この流れが続きますこと何よりも祈るしだいです。 le 18 vendredi //野球。。。// 国民に節電を求めて、関東では通勤にも困難を極めている状況で、 ドームで野球なんかしても理解は得られないと思う。 せめて電力の回復があるまでは自粛するべきだとは思うのですよ。 原発のニュースは見聞きするだけでも心が疲弊します。全く回復の見込みが無いような、 来る日も来る日も打開できない状況に疲れてしまうのです。 気がかりは見えざる放射能の恐怖から、出るに出られず救援物資も到達せず孤立無縁な人たちがたくさんいるとのこと。 いわき市がゴーストタウンとか、いったいどういう事なのでしょうか。。。 思うに諏訪湖一帯のホテルや旅館を政府が借り上げ、被災者の疎開先にする。 こういう大規模移転で援助の拠点を他に設けて効率的にするとかはできないのでしょうか??? 時間が経過すれば、何かと物言いが付いてくると思います。 今は国難、消費税を10%にして5%を災害復旧に当てても良いし、 そういう強引さも今は許されるのだから。 国難でも、国難慣れする頃には、何かと物言いがつくはず。 le 17 jeudi //米を仕入れる// 本日は、古い商店街の米穀店に顔を出し、10kgの米を仕入れる。 埼玉の同僚に約束した米をなんとか発送はできましたが、着日指定は無理な状況です。 原発さえなければ、事態も好転に向かうのでしょうが、一進一退の報道に連日接し、 関東周辺の人たちが食料を買い占めるのは、そういう心理状態は理解はできます。 被害があまりに広範囲で甚大で、原発の問題もあり、何から手をつけて良いのか 実際は薄く広くで、被災民には手厚い救助体制を実感できていないのでしょうが、 それでも前例のない規模で取り組んでいるのは確かです。 日本の三割が被災して七割が無事なら、その七割が頑張らなければ誰が助けると。 元気良く働いて経済活動に参加して、メリハリのある消費生活をし、 募金には規模も大きくその都度参加し、 自身の健康は管理をし、お国には負担はかけない。 最も不謹慎なのは不安を煽りたてること。 ネットでは、不備の指摘を大きく逸脱し、ただただ扇動を楽しむ輩もいますが、 後日、一部彼らのネット言論は、 ますます信頼に値しないものだと認知されることでしょう。 それにしても都知事の天罰発言は、真意は他にあったとしても 日本人として到底揶揄してはならない文言は、 当たり前に存在するとは思うのですが。。 le 16 mercredi //週に一度は、、、// 壱萬を。 おとといの日記にも書きましたが、一週間、生活を省みて浪費や散財を戒めれば10000円は捻出できます。 当分の間は、貯蓄に回すのではなく、募金に当てたいと思いまして、本日はその第一回目。 日々、増え続ける情報に何もできない虚しさもつのり、募金はそういう意味でも私を慰めてくれる。 さてと、本日は東京から来た人に地震についてアレコレ話しました。 もはや米などはスーパーに売っておらず、名古屋で買って新幹線で帰るという始末。 そんな重たいものを。。。と、米は僕が調達するからお帰りなさいと。 と、大見得を切ったものの、会社飛び出して大型スーパーに寄ったものの、米は売り切れでした。。。 仕方ないので、これまた残りわずかな乾麺の類を、調味料などを、もろもろを段ボール一箱分にしまして本日発送しました。 国家の大惨事なのに、名古屋でいつもと変わらない生活をし、何の協力もできなかった悔しさや違和感が、少しだけ癒されました。ただ、復興に伴う費用は莫大であり、募金は継続して週に一度は実施できるよう、日々の散財を戒める所存であります。 le 15 mardi //週末は// 夜に不気味な地震がありました。隣接するプレートを刺激したのかと。 この週末は、いづれ遭遇する大震災に備えて、自身への備えに専念します。 東北の人への義援金はもちろんのこと、 災害弱者にならないための自立のための自己投資も。 le 14 lundi //経済活動と、寄付金確保のための個人的行動// 電力返上も微々たるもので、ほとんど何もできない西日本の人間にとって 日々溢れる情報と、あくまで傍観者である自分とのギャップが、とてもむなしい。 義援金。今までの額とは、やはり桁を増やしての義援金の供出。 このためには、例えば平日の飲みを減らし、その捻出。 週末のドライブは、やはり回数を減らす。 捻出もできれば、貴重なガソリンの不必要な西日本での消費も戒めれる。 こういう日々の倹約で毎週10000円を継続的に寄付することもできる。 日々の経済活動で経済の循環に寄与することも大切ですが 義援金のパンチ力は、巡る経済の循環より、とても明瞭です。 僕が供出する義援金は、より専門的な人の手に渡り、 例えば、今後必要になる重機のガソリンに転じるかもしれません。 一市民には情熱はあってもできることは限られる。 でも、そういう市民の拠出金は専門家を動かすことになる。 そのためには、働くことです。 le 13 dimanche //国家の大惨事// 戦後最大の国難とは言い過ぎではないと思う。 その惨禍たるや日を追うごとに増し、全体像が分かるとき、 心底震え上がると思うのです。 //無利子国債の発行を!!!// 今の動かない現金を動かす所へ移動させる。 本来なら利子という新たな財政負担も強いるべきなのですが、 日本の財政は惨憺たるもの。利子はないけれど、当座のお金の融通を。 5-10年後で良いから戻ってくるのなら、多くの国民は喜んで参加すると思う。 もちろん寄付も進んでするべきですが、二重の財政支援を。 何ができるかと自身に問いかければ、それはまず平常の生活。 つまり経済活動。働き働き富を生み、寄付をする。 そして消費活動も停滞させることなく経済の循環の一助となる。 危惧するのは、原発事故の風評被害。 いづれ東北の物産は積極購入して彼らを助けようとする 自然発生的な消費者運動を阻害しかねないからです。 阪神大震災と違って今回、多くの国民は自身の思いをネット上ではあるが 発信し記録に残すことができる。 国家の大惨事をそれぞれが思うところで述べている、 そういう自由を初めて手にしているのだ。 例えばmixiでは、自然発生的にある種の禁忌が生まれ、 揺れのない人たちも浮いた話は書きこまない。 そして、皆がそれぞれの立場で、混乱や場違いな話題を避けた形で 分析や提案、思いなどを述べているのを見て、 なにかしら国民の大きなうねりを感じるのです。 この大惨禍を、国民はあらゆる形の参加でもって乗り切るのです。 le 12 samedi //大震災// 阪神大震災の1000倍の破壊力だったそうです。 日も明けて、時が過ぎるほど惨状が一つまた一つ。 それなのに、全体像は一向につかめず、全く連絡の取れない、、、、 連絡した先の町や村が全て流されているのでしょうか。 南三陸町では町民の半数以上の一万人と音信不通とか、 おそらく数万人もの犠牲を伴う大惨禍であるのでしょう。 福島の原発ではあわや大惨事の事態でしたし、 緊急地震速報は朝も夜も。 心底恐ろしく震え上がるのは、一週間、一カ月たった後の被害の全体像でしょう。 今は、全く祈ることしかできませんが、 いづれ自分のできる範囲で何か手助けができればと思うのです。 ひとつ、気になることがあります。 港町が洗い流される瞬間の映像を見て、 この大惨禍のあとに、災害孤児が、どれだけ多くうまれるのだろうかと。 今はあまりの惨劇にただただ呆然とするばかりですが、 命ある人の、一刻も早い救出を祈るばかりです。 le 11 vendredi //東北地方太平洋沖地震// 亡くなられたであろう多くの方々のご冥福をお祈りするとともに、 一人でも多くの方に救いがあらんことを。 記録として淡々に書きます。 その瞬間、僕は名古屋にいて車。信号待ち。 なぜかゆらゆら長いこと揺れるのです。それは二日酔いのような三半規管の揺れ。 車の調子が悪いのか、風が強いのか、いろいろと確かめる。 ラジオをNHKにあわせると、騒々しいのだが放送になっていない。 予算委員会が紛糾しているのだと思っていました。 車を停め、久しい以前から上空を飛ぶヘリコプター。 会社から飛び出してきた社員に、なにか事件でもあったと聞く。 彼は上空を見ていたのだ。 彼は言う。今揺れている。 僕も上空を見ると、ビルがゆっくりと揺れている。 長周期地震動。これのみの体感だったので、 つまりダカダカという体感はなく、ゆらりが長かったので どこか遠くで大地震が起きているのだろうと直感。 家に帰り、ずっとNHKを見ています。 壊滅的な被害が次々に明らかになる今、一通りの復旧のあとは 国民すべてが喪に服す日も来るのだろうと、あまりの壊滅的な有様に思うのです。 le 10 jeudi //禁を破る// 飲みに行きました。焼鳥屋のあと、バーといういつものコース。 le 9 mercredi //悪習二つ// 早く寝ようとしてもダラダラと23時を過ぎてしまう。 夕食は割愛しようとしても、ついつい食べてしまう。 そこで考えるのは、僕はどうも夜に一定量のダラダラがないと、 寝る間を惜しんでさえダラダラする。 そこで考えたのは、夕食は割愛してダラダラを前倒し。 一定量のダラダラを満たしたので早く寝ることもできる。 なんて頭が良いのでしょうか。 明日からは食べるのも惜しみダラダラしますね。 le 8 mardi //小さな放送局// 少しノイズの入る向こうから聞こえてくるのは、愛知県瀬戸市からのコミュニティーFM局、ラジオSANQ 84.5Mhz スポンサーが少ないのか、夜も深くなる頃には、ずっと、そう、例えば誰かのピアノとかジャズのCDを流してくれる。 そんな平日の夜、少しブランデーでも飲みながら、週末の陶芸で何を作ろうかと 色鉛筆を動かしてみる時間は、僕にとって素敵です。 毎度のことですが、それがちっとも形にならなくて、何の制約もない世界なのに 手の中の粘土は言うことを聞いてくれません。 頭の中の先行するイメージと、細やかな丁寧さが求められる手の動きが 全く連動していないのでしょう。はやる気持ちを抑えつつ、丁寧に丁寧に、 とは思うものの、待ちに待った週末の手の中の粘土は、 やはりどうしても早く形にしようと焦ってしまう。 le 7 lundi //ラジオを聞いてやる// 愛してやまない放送局は二つ。 AMは岐阜放送。そしてFMは瀬戸市のコミュニティー局。 どちらも地域の情報を発信し後日の訪問の大いなる参考になりますし、 記憶に残るかの地の山河は脳裏にあって、そして耳からは最新情報。 家にいて旅先にいるような心地にもなるのです。 面白いのは電波を拾う努力。 岐阜放送は、付属のAMアンテナに、いらなくなった家電製品のコードをぐるぐる巻いて 極めつけは電気スタンドに掛けると高感度なのですが、点灯するとまったくダメ。 FMは、これまた電気コードを長く長くのばして窓の外。 電波を拾う角度がありまして、見事にキャッチ。 見えないのですが、なんというか濃淡のある電波。 いかに救い上げるかがポイントなのです。 そういや、小さい頃は三重県や岐阜県のローカルテレビ局を受信したくて 自作でアンテナを作りました。 これである程度見られるようになるのだから 面白いのよね。 le 6 dimanche //どうとでもなれ!!// 民主党。前原辞任じゃ、もう後が無いでしょ。 経済ガタガタだし、減税一点張りの大衆迎合型政治を許さないためにも 今、とても責任のある政治力が必要なのに、、、、、でも、もう期待しません。 僕が匙を投げるということは、既に多くの国民が離反したということです。 二度と民主党が与党になることはないでしょう。 政治に期待しない、という層はいるということは知っていましたが、 とうとう僕も仲間入りです。 //神の手// 本日も行きました。先週と今週、土日が計四日ありまして、四日とも顔を出す。 先週の土曜日が初めてで、ちんぷん&かんぷん。 翌日曜日は、なんとか作れました。 それから仕事で五日間。どれだけ週末になることを待ちわびたか。 昨日は、三日目にして、おおおっという出来栄え。 本日は、挫折。。。。 悔しいです。毎日、粘土コネコネできるのなら、毎日でも挑戦したいのですが、 どうあがいても3/12を待つしかありません。。。。。。 さて、大量に仕上がるだろう陶器は、もちろん使用に耐えない、いやいや見るに堪えない 出来栄えも大量生産。家におくにしても場所は取るし、かといって捨てるのも忍びない。 三重県の田舎の家に、庭のオブジェがてら大量投棄ですかな。。。 粘土コネコネしても、自分の好きなように仕上がらないのって本当に悔しいのです。 ところが、僕が勝手に神の手グループと命名している人たちは違う。 どこにでもいるおばちゃんや爺さんが、あれよあれよという間に なんと見事な器を作るではありませんか!!!! さてと、その神の手グループの筆頭格に、ある若手男性の存在を挙げねばなりません。 四日とも顔を見せるのは彼くらいでしょうか。 全く驚きなのです。どうして粘土の塊を渡されただけなのに あのような寸分の狂いもない、繊細でエレガントな器を作れるのでしょうか!!!!!! le 5 samedi //壺作り// 10時ごろから4:30まで壺作り。この間、何度か集中力も途切れましたが、 なにせ粘土コネコネはどうにもならない原始的なレベルで好きなので 時間の経過はあっという間でした。 手前の壺が本日一個目。 今回は、壺作りに専念しました。 なんとかして作成のコツを自分のモノにしたかったからです。 結局、一日で五壺。 陶芸というものが、今回で三回目ですが、 誰も誉めてくれませんが、三回目にしては出来も良いのかなって、自己満足。 もともと週末はほとんど一人で過ごすので、陶芸こそ、僕にあった趣味だと、 この巡り合いに感謝感激。 明日も行きましょう。 le 4 vendredi //エレガント・ウォーキング// 久しぶりに会社から家まで歩いて帰る。 ところが、八事から家の近くまではバスに頼る。。。 三寒四温の三寒の域で、歩いているうちに、手がとても冷たくなる。 これがなかなかの苦痛で、八事のフランテで買い物がてら小休止。 ところが、この小休止が汗の気化熱で、体がとても寒くなり、 これにて歩いて帰ることを断念。 家に戻っても、ストーブの前で暖をとっていたら、30分ほどうとうと。 体の冷えは収まらず大病にならないためにも、暖かくして寝るのでした。 le 3 jeudi //これ幸いかな。。。// ガソリンが馬鹿高くて笑えてしまいます。さらなる値上げはwtiの動向を見れば確信が持てますので、まったくお手上げ状態。。。 ます、お目出度いのですが利用見合わせなのが、家の近くにできる名古屋第二環状のインター。ドライブにおいて、この存在は絶大な効果を発揮します。今まで東名名古屋まで小一時間だったのですが、あっというまに高速道路へ!!! では、題名のこれ幸いとは、やはり月末、家の近くにできる地下鉄の駅。 ドライブをせずとも、気を紛らわしてくれそうな地下鉄の存在。ガソリン高な今日においてはありがたいことです。 今月末は、なにかと激変です。 le 2 mercredi //非文化-無芸術// 僕にとって芸術的な感性の光る趣味など昔からありませんでした。 楽器は全く駄目だし絵を描いても下手。 と、言って体育会系でもないし、とにかく何をやらせても、おそ松くん。 傾倒しているというっても、先週末の二日間ですが、陶芸が、なんとか人も誉めてくれるレベルに達したら、ようやくそちらの方面に光明も差したといいましょうか、巨大な閉塞感から脱出できるようで。 上手い下手は別にして、とにかく楽しい。四時間とか、あっという間。全てに対して楽しいわけではないので、やはり粘土コネコネの寡黙な陶芸というものは、どうやら僕にあってはいるようです。 le 1er mardi //ベッドの中の悦びは、資本家を制す// エレガンス廉価版。その本領発揮です。 今年は3-4年前のガソリン価格暴騰の年と同じく ガソリンは言うに及ばず、コーヒー豆、砂糖、植物油、天然ゴム、 小麦、バター。。。。と須らく値上げの年です。 お値段そのままだとしたら、サイズは小さくなるであろうし、 一度小さくなったケーキや和菓子は、 もう二度と大きくならないのは 3-4年前の経験で学びました。 さて、皆さんどうしましょうか???? 世の中なんでも値上げで、給料もそれに見合えば良いのですが そう簡単に連動はしない。 可処分所得の目減りを痛感するでしょう。 ああああ。1000円で買えるモノが少なくなってきたぞよ、と。 +++++++++++++++++++++++++++++++ 2011年は、如何に優雅にドケチ生活を楽しむか。 これができる人とそうでない人では、 積もり積もった差というものも、 大きくなって換算されるでしょう。 とにかく、散財を戒めるのですが、 それに比例して生活が無味乾燥であっては本末転倒。 ドケチ経済体制に突入するのですが、優雅に、 そう、さらに優雅な生活を送らなければならないのです。 例えば、生豆のコーヒー豆を仕入れて、丁寧に丁寧に 自宅で焙煎し、その香りを楽しみながら、 優雅な音楽を流し、とっておきのコーヒーカップに淹れる。 今まで取り揃えてきた、値の張るものを こういう窮状時にこそ使わなくてはならないのです。 少しお高い買い物をしまして、コーヒーカップなどを 手に入れた経験は皆様あると思いますが、 買い物がままならないときこそ、過去の贅沢に水を注ぐのです。 それはファッションでも同じこと。 流行は過ぎ去ったとしても、値の張るお買い物は皆様したと思うし、 やはりそれは捨てられない。 お買い物がままならない時にこそ、 今一度着こなしてみるべきだと思うの。 世の中なんでも値上げなのに、経済は閉塞感が漂う。 貯蓄を切り崩すのか支出を戒めるのか そういう選択を迫られるとは思うのですが、 心のどこかにドケチなエレガンスを。 +++++++++++++ 個人的には~2年ほど価格高騰の苦しみを受けると思いますが、 実態と裏付けの希薄な狂乱価格と言うものは 必ず実態に戻ろうとします。 上がる上がると原油先物に手を出したとき もう上がらないと判断するものが、涼しい顔をして売り抜けます。 彼らこそ、この狂乱価格を先導した者。 ●設け分は、さらに上がると信じたものの先行投資。 そういう潮の干満で儲ける人には、波が必要なのです。 波がなかったら作るくらいのことは、 やはり涼しい顔をしてするとおもうのです。 辛抱すれば、下がりますので、 今は、それに頼らない別な贅沢を思案したいと思うのです。 過去に買った色鉛筆で絵に没頭したとすれば、 狂乱価格の外で心の充足は得られるのですから。 最終的には、皆が皆、心の充足を追い求めている。 その最も信頼のおけるお相手がお金。 お金さえ払えば、退屈な時間をバラ色にしてくれる。 でも、そのお金を儲けるために そう、この前の波で大損をこいた者が、悔しさのあまり 物価高騰をあおりたてる。今度こそ、頂点の一歩手前で売り抜けようと 彼の再試験のために、やはり狂乱物価は起きてもらわなくてはならないし、 前回儲けた聡明な人は、やはり参戦してくるでしょう。 この試験の正解は、頂点一歩手前で、買ってくれる人がいる段階での売り抜け。 でも、ベッドの中の性の悦びに没頭していたとするなら 世の中の物価が100倍になっても、関係ないのです。 心の充足に、マネーゲームとは別世界のモノを。 |
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