mars.2012


le 31 samedi
//毎度感じる悪性の疲れ// 若い頃、例えば夜更かしをして朝の六時頃とかに感じる、あの纏わりつくような疲れ。滑り込むように寝ないと消し去ることのできない疲れ。僕は悪性の疲れと呼んでいます。  陶芸を一日すると、家に戻って必ずや僕を襲う悪性の疲れ。特に、日曜なんてのは酷いものです。

だから、土曜も日曜も戻ってから出歩くなんてことはしません。
陶芸は全力投球なので、【豆の木】(赤いアプリともいう)で、作陶をご一緒させてと言われても、丁重にお断りし続けている。 
そもそも二日でも足りないのに、教える時間なんて無いし、会話の無いデートなんて成立しないし。 そうなのです。人に言わせるとすごい集中力で挑んでいるらしい。
この作陶からの開放は、一気に疲労感となって襲いかかってくるのだ。

その土曜日の晩、珍しく外出する。
まずは豆の木で知り合った人とお茶。それがですね、本来なら疲労感に襲われ寝ているところの会話で、陰と陽のバランスが崩れて、頭痛ですよ、頭痛。

その人と別れて、女子大へ。ようやく陰と陽のバランスも取り戻し、○○恵ちゃん祭にいく。抱腹絶倒とは、まさにこのこと。
久しぶりに見る顔の実に多いこと。嬉しいことです。

この一年ほどまえから、飲みに行くのは復活しましたが、こういうダンス系の集まりは前に顔を出したのも覚えがありません。
ナイトライフというのなら、こういう遊びに慣れた人もいるのでしょうね。
名古屋で生活して週末のアレコレも名古屋。たまにどこかに旅行という生活のパターンです。
僕はというと、この10年は、週末は名古屋からの脱出。

これは前から言おうとしていたのですが、芸の人生でも枝分かれ。
学生の頃は、その枝もわずかで、かなり似たような生活をしていたのかと思う。
ところが20代になり別の道を歩み始める人が現れ、30代にもなると幹は同じでも枝の実に多いことか。もちろん40も50多くなるばかり。
もとは、芸という一つの木なのに、人の関心や生活パターンは無数に枝分かれ。
当たり前と言えば当たり前なのですが、傷のなめ合いで寄り添い集まるのではなく、皆が皆それぞれの関心の枝を伸ばしている様は、嬉しい光景です。

きっと、久しぶりにみる顔の皆さんも、
普段の生活や関心事は僕の想像に及ばない見知らぬ世界なのでしょう。

まあ、僕が数時間前まで手ロクロ高速回転で何かを作っていたなんて、
誰も知るわけではないし。

さて、明日から四月ですが、新年度ですが、明日も陶芸。
今、格闘しているのは薄くて大きな器。
限界の力学はあるのですが、その際まで突き進み、如何に薄くて大きな物を作るのか、探求は楽しくてしょうがないのです。


le 30 vendredi
//総じて寒い// 三月も総じて寒かった。記憶に残る暖かな日は今日を含めて2-3日程度で、あとは寒い印象の三月。  四月はどうなのかな????

記憶に残る小話に、今年の花粉は、もう残り時間もわずかで、例え寒くても晴れていたら大量に噴出すると言っていました。最初のうちは寒くて様子見だったのですが、こうも長く続くと花粉も慌てるようです。

思うに、人が満足に働けれるのも人生の短い間。
卒業してから定年までは長いと言う人もいるのだろうけれど、人生の半分。
そう、半分は働かずして生活してきた・生活しているのだから、
いかに現役時代が大切か分かります。
今年、40ですから、仮に60歳定年と考えるなら、もう働けれるのも20年。

当然、労働に従事すべき時に、勤労忌避行為によるニート的な生活があるとするなら、
次にいざ働くとしても不足分を埋めるためには、今年の花粉のように雨の日以外は田畑を耕さなくてはなりません。 
日々、真面目に生きていくのが何にもまして大切なのが、身にしみて思うこの頃。


le 29 jeudi
//只今の壺// 会社で飾っています。梅の枝を何本か生けまして、
なんか、それなりって感じ。。。



le 28 mercredi
//数字は息をする// 死なない数字は無い。0にして成仏させるまで、数字は息をし続ける。
最近、そういうことを考えてしまう。

変な操作で、本来ありえない利益を、どこからか持って来たとしても、
収奪された数字は、恨みを持ち続け息をする。

こつこつ汗を流し働いたお給金。
10万貸して、と騙され収奪された金も、やはり恨みを持ち息をし続ける。

お金に追われる人は、そのお金が、ちっとも息を引き取らないことに恐怖するのでしょう。
その時、騙し取った10万円は、相手方の消えた記憶にはならないのであって、
支払いの催促に迫られる。

年度末が近づいていますが、
本来支払わなければならないお金は、支払うべきであって
逃げたり、第三者から騙し急場をしのいだとしても
やはり数字は息をする。0の成仏が無い限り、
地獄の底に追い詰めるまで影のように付いて回る。

パチンコ代や酒代。働かずして持つ携帯代。身の丈に合っていない散財。
その責任は、やはり本人が背負うべきであり、逃げても騙しても0の成仏が無い限り
数字は人の恨みを添えて追い続ける。

貨幣の歴史が始まって何千年経たとしても
貸した金を忘れるほど、人はまだ仏に近づいていないのだ。


le 27 mardi
//次に強くなるのは僕らの番// 歳をとると言うのは、頼れる人を一人づつ失っていくこと。
いつの頃からか、自分は人の頼りにされていて。

置かれている環境など、それは常に変わるものであり、
今の苦痛はいづれ解消し、今の平安もいづれ消えうせる。
だから絶望することはないし、胡坐をかくこともできない。

なのに、例えば定年まで40年働いていた人がいて、
やはり彼の静かな半生に驚異的な直向きさと努力を覚えてしまう。

10人いたら定年まで何人残る???
そりゃ、年金貰うまで10人中8-9人は働いていると思うけれど
中には職を転々とする人もいるでしょう。

一つの出会いを全うする人。三人くらいかな。


le 26 lundi
//おわっとる// mixiのお気に入りを久々にみると、ログイン三日以上の人がゴロゴロ。
もはや見向きもしていない人たちの、いかに多いことよ。

HP日記を書き始めて10年超。
この間の、僕の興味の変遷は、今に聞くと恥ずかしい単語の羅列。
例えばフランス語とかね。

フランス語。ドライブ。シティーホテルで過ごす週末。地方都市で過ごす週末。ディナーブッフェ。日帰り温泉。エレガント・ウォーキング。斜面集落。川魚料理。陶芸。。。。。。。。。。

今は絶えてしまった趣味や情熱。今が盛りの関心事。今もなお続いているモノ、いろいろ。
陶芸。この情熱はかつての斜面集落探訪に匹敵する勢い。

後悔はしていません。それは知識として残るから。
何かの折に、とびっきりの寿司屋を僕は紹介できるし、そういう面では過去の散財も無駄ではなかったと思う。古い話を持ち出せば大学の頃、外国ばかりに行ったのも良い経験。今は全く興味はないとしても、それがどういうものか、どういう匂いや手続きや、そういうアレコレが脳裏で再現できるのも豊かな日々の証でしょう。

一昔前、旨そうな鰻屋を見つけては、その店の最も高価な丼や重なりを頼んで、その店の粋を推し量っていたものでしたが、これもやっていて良かった経験です。
これでもかと出てくる特上丼なんてのは、もはや食べられるものではありません。


le 25 dimanche
//三月の雪// ドラえもんにありますね。そんな話も温暖化でありえないと思っていましたが
これはどういうことでしょう。。。。。
本日、川売へ梅の花を見に行きました。
名古屋方面の人は足助から分岐すると書けば、お分かりと思いますが、しばらく進むとそこは真冬の光景。路面以外は銀世界。三月も25日なのに!!!!!!!
もちろん寝雪ではなく、前日の夜に襲い始めた寒波の影響。
雪は降ってくるは、竹は雪の重みで倒れているわ。
とうとう路面まで積雪じみて、ノーマルタイヤで行けれるか心配になった、時期外れな真冬の光景


今年の梅は、この時期なのに6-7分咲き。
地元の人も驚いていました。鶯もなく頃なのに、雪が降っていると。


11:30過ぎに陶芸へ。
16時過ぎまでいましたが、出来たの一個だけ。。。。
時間の経過はあっという間でしたが、毎度のことですが出来不出来の差が激しい。

今、土日の両日、朝から夕方まで作陶している。
仮に三日間だったら三日目を休みにしようとは思わない。三日目も陶芸。
四連休なら、一日は休みにするけれど、他の何もないと嘆き、五連休を渇望する。

二日働いて五日休む。。。。。


ある指導員が今月末で退社。実際に会えるのは今日が最後。。。
彼のますますの活躍を祈るしだいです。


le 24 samedi
//褒められた!!!!// 朝から陶芸。本日は、ある国宝を真似てみました。上手く焼き上がったらマダム宝になります。本日作ったのは、これ一個のみ。出来上がったとたん、集中力が続かず、作陶は中断。釉薬に変更。11個素焼ができていたので二手に分けてサササっと掛ける。

褒められたのは写真の作品ではなく、釉薬をした11個。
昨年の11月、僕は陶芸の技術が飛躍的に向上しました。磁器のように極限まで薄く作ることにこだわりをみせてから、粘土と真剣に向き合うようになり、それまでの分厚くて不均衡な作品とは別世界になったのです。
ある紳士が、「コレ、手ロクロでつくったの!?」 と尋ねてから、おほめの言葉をいただきました。嬉しい瞬間です。そう、僕は電動ロクロはやりません。たぶん手ロクロで終える生涯でしょう。

さてと、薄い11個。その中に若干の楕円がいくつかある。
出来上がりを持つときに歪んでしまうからだろう。
出来上がり、乳鉢を背面にしたそのカーブで、歪みを治し、そのまま乾燥に運んだモノは円のままでした。どうやら、最期の最後で歪む危険があるみたい。


le 23 vendredi
//瀬戸四連続二日目// 昨日も今日も仕事で瀬戸に行く。そして明日と明後日は陶芸で瀬戸に行く。  冷たい雨の降る瀬戸市。昼休みはブラブラと、平日の昼に歩くのは、まるで地元民の感覚。  僕はこの町が本当に好きだ。少し前、長野県は飯田に同じような感情を抱き、通い詰めていましたが、食べ物は景観は飯田が優れているにせよ、瀬戸は陶都。もちろん陶芸以外にも鄙びた旧市街が自分好みでもあります。

いづれ日本家屋に住みまして火鉢片手に、マダム焼を日々賞翫する生活を送りたい。


le 22 jeudi
//うなぎ// 絶滅も危惧される現象だとのこと。もう、どえらい高額な丼になるそうな。
4-5年前、鰻と言えば、その店の一番高い丼なり重なりを食べ、その優劣を認めるドライブなどに興じていました。もう、そんな時代も来ないのでしょうか。。。。。


le 21 mercredi
//たまに、人生は短いのだと思う// 20代も30代もあっという間に終わる。6月から始まる40代も同じでしょう。僕は、たぶん40代も人を愛することなく過ごすので、生物学的に見ても恋愛とは無縁の一生。まあ、そういう定めだったのかと思う。

とてつもない世界があるとして、僕はそこに手を触れず終えるのだから、他の何かでもって大きく昇華したいものです。昇華するためには、手を触れることができなかった諸々を憎んでは駄目。その悔しさや後悔や諸々の物言いを伏せてこそ、他の何かの昇華であると思っています。

なるほど、人は恨んではダメということです。
恨みに相当する不条理を、そのパワーを私の他の秀でた部分に注ぐ。

昔、呆れるほど色恋の多い人がいました。その対極が僕。呆れるほど一人でいる自分。


le 20 mardi
//大量焼き上がり// その中から、、、


今朝も朝一番から陶芸。目覚めも早く余裕の到着。
やっている間は全く問題もなく、心地良いのですが、これは毎度のことですが家に帰ってから疲れが堰を切る。  寝ると、疲れが襲いかかる。その勢いは半端なく心臓の鼓動がついていけない感覚がある。心臓も慌てる疲れ。

指先と脳の使用は半端なく、たぶん呆け防止には役立つでしょうが、さて、これでどれだけカロリーを消費しているのでしょう。運動不足の様な気もするけれど、よくよく見ると陶芸をしている人にお太り遊ばした方はいない。案外、脳と指先だけでカロリーを消費しているのだろうか???


le 19 lundi
//エレガント・ウォーキング問題// お腹たぶんたぶん。本来なら、夏が来る前にエレガントウォーキングを何度もし、脂肪も燃やしていたのですが、そう、週末は陶芸。全く歩けない。。。。。

家から瀬戸まで歩けば??と言われそうですが、エレガント・ウォーキングとは本来コース選定に最も神経を費やす、風光明媚なウォーキングなのです。

明日は休み。この心の軽さは何なのか。


le 18 dimanche
//薄いの大好き// 薄い器を、少しづつ大きくしていこうと考えています。それをスラスラ作れるようになるためには頭の中で作成のメカニズムを理解しなければなりませんが、未だ理路整然として成り立っていない。

僕は電動ロクロを使わない。よく勧められるのですが、停電しても楽しめる手びねりの方が性に合っていると思うのです。深く言えば、これこそ原初の技法であると思うし、粘土の癖などを知るには、やはり手間暇のかかるこの方法が良いと思うのです。まあ、最も重要なのは無駄な粘土が発生しないと言う事なのですが。

厚さも2mmから1mm以下に持っていくと、いづれ限界の悲鳴を指先に感じ取れるのです。その際で轆轤から手を離す欲を控える心があると上手くいく。



le 17 samedi
//目覚め良し!!!// 朝に余裕持っての瀬戸行は、やはり心の奥底でこの日を待ちわびていた証拠なのでしょう。 今日は釉薬がけに神経を使い果たしたのか、作陶はイマイチ冴えませんでしたが、それでも楽しいことには変わりません。

世の中、自分の思うようにはならないものだけど、粘土のそれは、技量の向上に伴い裁量が拡大する。自分の思うようになる世界が少しづつではあるが広がっているのです。楽しくて楽しくてしょうがない。


僕を良く知る会社の先輩も、今回ばかりは少し違うと言う。
そう、僕は飽きっぽいところがあるのです。例えば自転車。30-40万円ほど投資したのに、瞬く間に飽きてしまって、廃車にしました。。。。
陶芸は一年を超えました!!!! これは明らかに違う。


le 16 vendredi
//飲み屋で語る年金の話// 直帰なのですが、週末ですからね車戻しがてら女子大に。
語るは年金や老後のこと。この店は屋号は同じでも場所を三度変え、僕はそのすべてを知っています。最も古い伏見時代。「伏見の頃、こんな話していた!???」
皆、歳をとったというわけです。

昨晩に引き続き、二日連続の飲み。あな珍しや。


le 15 jeudi
//居酒屋// 超、久しぶりに仕事帰りの飲み。 送別会とかでなく純粋な仕事帰りは、今年初めてのような。。。。  昔は週に3-4回は行っていた気もするけれど、今から思うと、行くも行かないも慣性なのです。どちらかの生活パターンに慣れる。

最も暴飲暴食だったころは10年近く続いたのかな。
それこそ週に3-4回ホテルのディナービュッフェ。
それを卒業してからは、週に3-4回の焼肉。痛風の気になり、謹慎。
焼肉を卒業してからは焼き鳥がメインの居酒屋。週に3-4回。
そして今は、仕事の勤務時間が若干変わり、僕の課は早く出て早く帰る。ようやく居酒屋時代からの卒業です。

たぶん、そんな飲み食いで車の1-2台買えたような買えないような。。

居酒屋の場合、そのあとにお洒落BARがセットになっていて、
今はとてもできない金の使い方。

ドライブを控え陶芸に専念する以外にも、この分野の節約効果も実に大きいと思うのです。


le 14 mercredi
//一年後の地震// 関東では震度五強。  東日本の地層が未だ落ち着くところに落ち着いていないのが良く分かる余震の延長ですが、いづれ東日本と西日本の境に歪みが発生して大地震になるような。東海東南海南海の三連連動地震が発生し余震も収まった頃、地震国日本において比較的安定な時期を迎えるような気がする。

一通り揺れが収まるには、まだ全体の三割近くしか終えていないような気がするのだ。


今日は、仕事の途中、津島市の旧市街に立ち寄った。
旧市街と言えば良いのか、何とも情緒深い古い街並みと、川魚料理をはじめとする独特の食文化が今も息づいている魅惑の町。  小さなデートに津島市はお勧めです。

モロコの佃煮を買いました。砂糖醤油と山椒で匂い消しをしていますが、それでも噛むと泥臭い味がする。これぞ滋味。  そして鮒味噌も買いました。大きな大豆と鮒を味噌で甘辛く炊き上げたもの。やはり、これも滋味。


le 13 mardi
//まず外れるものだから// 宝くじ。圧倒的な国民にとって、まず外れるモノである。僕もその感覚が強いのに買ってしまった復興宝くじ。  投資金額は義援金。

僕はケチなのか度量がでかいのか、ケチなことばかり書いていますが、かなりの金額を買いました。こういうところが名古屋人なのだとつくづく思う。

夢を見ますよ。当たるまで。
当たったら、その夢を現実のものにしていきます。
外れたら、当初から義援金なのだから引きずる思いは無いのですが、投資金額分の一層の倹約はどこかですると思う。  それはそれで良いのだ。


le 12 lundi
//寒過ぎて// 今朝、傘をさして出勤。北から来るサラサラの真冬の雪が吹雪のように。これでは梅の見頃はいつになるのか皆目見当もつきません。

一週間延期をしましたが、はたしてそれで見頃になるのか、たぶん地元の人でもチンプン&カンプンなんでしょうね。


le 11 dimanche
//黙祷// 本日も陶芸です。一つ乗り越えなくてはならない壁がありまして、均整のとれた器は出来るようになったのですが、抹茶茶碗のような「自然の風合い」が、自ずと整えられて味気なくなります。 桃山陶の あの歪みは、轆轤のガタツキから来たものか、計算されたものか、それとも整え未領域の作り手の作品なのか。
昔は、整えたくても自然の風合いでした。。。
整えれる上で自然の風合いを醸し出せれたらと、春の宿題です。

昨日も今日も朝から夕方まで陶芸。他の一切は手もつけられない週末になりましたが、好きなことに没頭できて、それは良しとします。

本日、13時過ぎ、聞き慣れない館内放送がありました。
「3/11は東日本大震災から一年がたちます。。。。。」黙祷の呼びかけでした。
僕は、その時間がきたら一人別な場所に行き福島を向いて祈るつもりで家を出たので、この放送でどうというわけでもありませんが、国民の連帯、心にじっときた館内放送でした。

14:46 その五分前に手を休め、手洗いのあと大きなベランダに出て一人福島を向きました。時計とにらめっこでしたが、一分前に改めて館内放送が流れ、僕もそれに合わせて手を合わす。とめどもなく涙が流れるのはなぜでしょう。手を合わして思いを一年前に向けると、この揺れの何分後かに多くの人たちが津波に飲みこまれたかと思うと、悲しみも堰を切ったのです。





//440⇒480// 白土が四月から値上げです。
今までの二キロ単位が一キロで売られます。
一キロ240円。つまり二キロにして40円の値上げ。
焼き賃は同じで、今までの二キロ400円を一キロ200円に。

どうでしょう。一カ月白土を何袋買うのかな???  7袋と換算すると、一月280円の値上げ。
年間、3360円もの支出!!!!!!!!!!!!
粘土経済学上、3360円もあればどれだけ粘土が買えるとか考えるわけですから、悔しい限り。限りなく薄く作ることに挑戦しなければならないし、年間に3360円は何かで倹約します。


le 10 samedi
//梅は見合わせ// まだ蕾が固いと次の週末に延期です。
本日も陶芸にどっぷり。明日もまた同じく。
これはこれで良いのです。とても充足した感覚。
では、他の、例えば斜面集落探訪やエレガント・ウォーキングはいつするかと言えば、
それは祝日のある週に当てる。

3/20の火曜日は春分の日。一日陶芸三昧でしょう。
だから3/17-18 か3/24-25の週末は、陶芸以外のアクセントを添えようかと思うのです。

例えば、3/17は早朝から川売の梅。昼ごろ瀬戸に戻り陶芸。
そして瀬戸か多治見で過ごす週末をして、日曜は名古屋に戻る前に陶芸。

と、考えたりもするのですが、もう一段のガソリンの値上げが近々に控えているし、遠出の決断が重くなるのは確かなところ。  まあ、僕は粘土経済学、つまり全ての出費は陶芸の粘土代に換算し、その価値を今一度確かめ消費の取捨選択の機会とする。そう、粘土経済学により、どえらい支出が抑えられているのです。だからガソリンの値上げなんてものは、十分に吸収できるのですが、いかんせん生来のドケチが故、払えるのに払いたくない心理が強いのです。


さて、去年の三月家の近くに名二環のインターができ、しばらくは瀬戸へは高速を利用していました。ETC割引で片道500円。25分で到着できます。

ところが粘土経済学を積極採用して、これも緊急時のみの方法に。
まあ抜け道を見つけたというわけ。
朝は35分。帰りは夕方45分。朝の10分の短縮で500円なんてのは、粘土経済学上破門に付す愚行。帰りは、以前、60-70分もかかっていましたが抜け道を見つけ45分。高速利用に比べて20分も時間はかかりますが、この浮いた500円で粘土を買えると計算すれば、僕は粘土の無限の可能性を信じるわけです。

全ては、この粘土経済学。
会社帰りの居酒屋も壊滅的減少。3000円の支払いで粘土が何個買えるかと計算すれば、やはり粘土の無限な可能性なわけですよ。


le 9 vendredi
//第40回・世界㌧㌧節// 極めて親しいお友達のカナコ女史が声をかけてくれて四人で東急の鉄板焼きを賞味。本日は㌧㌧さんの誕生日たったのです。
彼とは5年近く会っていませんでしたが、全くお変わりなく安堵しました。
中国株で大儲けしたこともなくfxで大損したわけでもなく、皆息災に集まり、美味しい食事とお酒を楽しめれたのは日々の生活が真面目ゆえの賜物なのでしょう。

//豆の木// 赤いアプリと皆は言うけれど僕は豆の木と呼んでいる。
さて、自己紹介で案外多くの人が読む本に自己啓発系なモノを挙げているのですが、
僕からすれば、聖書と仏典を一度読めば、どこぞの心理カウンセラーとかの怪しそうな人生指針なんてものは吹けば飛ぶような存在に見えるのですが。

と、いうのは、その人はそれで成功したと、その私信を述べているのでしょうが、
聖書や仏典は、気が遠くなる昔から、信じるに値すると、その裏付けがあって今も何十億の人の信仰の対象になっている。  とくに心のありようなんてものは、聖書や仏典に勝るものがあるはずもないし、勝っているのなら生き仏。その人の生き様は他の人が書きますって。


le 8 jeudi
//国際夫人の日// 万国のマダム、団結せよ!

本日は、久しぶりに都市生活者の夜。
まあ、仕事終わって風呂に入って栄に行ったわけです。
ケーキセットのあと田楽と熱燗。
僕は食いしん坊で、その順序が逆でも全く問題としない傾向にありまして、、、、デブの元。


le 7 mercredi
//賞翫// 毎晩、賞翫しています。最近の陶芸作品は、 ひたすら写真をクリックして下さいね。  

特に愛でるのが二つ。


毎晩眺めては、時の過ぎるのを忘れてしまうのです。


le 6 mardi
//ドケチ棒// ジムでストレッチポールを使うと体が軽くなる。ネットで調べたら、あんなウレタンの円筒で8500円。ありえない。。。

よってウーマンは、何でもって代用するべきか考えているのです。


le 5 lundi
//梅// もともと植物や花には興味がありませんでした。花の知識なんて全然ありません。ところが唯一、激しい興味を持って眺めるのが梅。

桜なんてのは集団体操、マスゲームみたいなもので全く個性が感じられないのですが、
こと梅に関しては、一輪のそれを眺めるだけでも愛おしくなってきます。

梅は、若くても老いを感じる。
あの枝ぶりに花の付き具合。

le 4 dimanche
//伊賀の上野、伊賀上野// 本日は朝から両親を連れて伊賀上野へ。
ワンダー★ウーマン家にとっては、こちらも先祖の一つの流れ。

旨い酒を買ってきました。

さて、週末も終わり。
次なる週末は、新城の川売の梅の具合で一日のみの陶芸かどうか。

馬蝗絆なる青磁の器を本で見て、全く見とれてしまう。これとほぼ同じ形が日進のマスプロ美術館にあるそうなので、折々に通い詰めそうですが。
さて、その形に似たようなものをたくさん作っているわけですが、
サラサラとは作れない。試行錯誤してようやくなのです。
20も30も作って、ようやく順序立てて作れるようになるのでしょう。
上手く作れたとしても、釉薬もまた試行錯誤になるし、こりゃ大変です。


le 3 samedi
//半月ぶり//の陶芸でした。 ダメですね。粘土の状態が良くないのは不利に働いたとしても、それ以上に全く納得のいく内容で無い。まあ、出来上がりの作品に満足いくものがいくつかありまして、帰ってから賞翫の一時。


le 2 vendredi
//そうそう// 二月の老後預金も無事に済ませました。。。。
結婚資金なんて関係ないから散財していましたが、、、、
やややや、、、、、老後に金かかるじゃない!!!!

自分が思う老後は、やはり一人で生き抜きたい。
一人で生き抜く喜びを存分に味わい、
そして木の香りが感じられる和室なり田舎の風景なりを愛で昇天したいのですが、はたしてどうなることでしょう。。。

今が、整い過ぎていると思うのです。
草むらに倒れ死ぬ日本人。
こんな旅の果ての姿は昔は珍しくなかったような気がするのです。
山奥の草庵で最期の時を過ごし、誰に看取られることもなく死に
草庵もろとも土に帰る。

理想です。


le 1er jeudi
//左手が// 痺れる。 なんか鈍痛ではないのですが、鈍痺れ。
いっそのこと左手が無い方が軽い感じって。。。。
思うのはヘルニアか、そう脊椎の圧迫なのかしらと。。。。

40肩の延長程度なら良いのですが。
灸と指圧でしばらく様子見です。

 
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