マダム博物院
〜閲覧にあたって〜
マダム焼、その歴史的変遷と価値
マダム大法院制定の
マダム財保護法に基づく区分 |
マダム宝 |
重要マダム財であってかつマダム文化の見地から価値の高いもので、
今後とも類ないマダムの宝となるもの。
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重要マダム財 |
マダムの歴史上、芸術上あるいは学術上価値の高い有形のマダム財。
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夫人首都指定
マダム財 |
夫人首都における価値ある有形のマダム財。
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マダム焼マダム協会認定のマダム焼 |
マダム名物 |
おもに茶器に通じるマダム焼であって、賞翫に秀でたもの。 |
大きさに関する統一表現 |
特大 |
両手で持ち上げるもの |
大 |
両手に大きく収まるもの |
中 |
両手に余裕で収まるもの |
小 |
片手に収まるもの |
極小 |
片手に小さく収まるもの
もしくは指で摘まめるもの |
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以下、マダム大法院が制定のマダム焼歴史区分。
ただし、時代の変遷とともに、新区分け制定の吟味が最高マダム幹部会より発せられた場合、
マダム学術院は新区分を諮問し上奏しなければならない。
最高マダム幹部会はマダム大法院の名において、これを公布しなければならない。 |
古マダム前期
2011年2月26日-3月頃
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←【マダム名物 銘・芋頭】 大
ワンダー★ウーマンこと精神的指導者のウーマン師が
2011年の2/26に開窯した精神的な焼き物であるマダム焼の原初、黎明期の作品群。
この時期の作品群は既に考古学的価値の高いものであって、
原初の武骨さからくる美は、他に類を見ないものである。
【マダム名物 銘・芋頭】 大
古マダム前期のマダム名物である。水指。
無骨な作品は厚く重い。
胴が円く張り、口が閉じたものであるが、均整はとれておらず
それは芋が土の中で勝手に成長した、それに通じる感もある。
濃い黄瀬戸釉に口縁部には鉄分が豊富な赤ドベが発色に趣きを与えている。
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古マダム中期
2011年4-6月頃
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古マダム中期は、蓋ものや、原始的なタタラ製法もみられたり
作風に新しき挑戦が見て取られる。
ただし、それらの全ては粗雑であり、今となっては
またとない作風でもある。
←【夫人首都指定マダム財 マダム名物】 大
【マダム黄瀬戸高銅鑼 銘・薄野(すすきの)】
箆目で立ち上げた銅鑼型。
口縁部は内側に持ちあげた意匠が、古マダム前期には見られない余裕でる。
ただし、肉厚で大変に重い作品は、古マダムに共通する面持ちである。
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古マダム後期
2011年7月頃
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←【重要マダム財(旧・マダム宝)】 特大
【マダム織部手提二段重箱】
※蓋部破損のため、マダム宝から重要マダム財へ格下げ。
古マダムを締めくくるこの時期は、陶芸の基本は未熟なものの
時に秀でた美術的な作品が仕上げられる。
古マダムの自由闊達さが栄える、一つの黄金期を迎えたのが
古マダム後期、2011年の7月ごろである。
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マダム焼中葉前期
2011年8-10月頃
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←【マダム宝 マダム名物】 中
【マダム奥高麗茶碗 銘・老友(おいのとも)】
古マダムの風合いも色濃い、マダム中葉前期の最高傑作のひとつである。
識者によっては古マダムに類する主張もあるが、
上記【マダム織部手提二段重箱】以降の作品であり、
当・マダム学術院は、これを中葉前期に指定する。
均整がとれ厚さも省かれた作品であるが、
現マダムとは違い、内側の箆目整形で外側に寄った微妙な凹凸は
それを省く技術もなく、景色として生かされている。
整ってはいるものの歪んでおり、整ってはいるものの無骨である。
この時期の作品は六古窯作品群に影響を受けており、
マダム名物が最も多く見出される時期でもある。
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マダム焼中葉中期
2011年11月
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←【マダム宝 黄瀬戸碗】 中
薄造り路線に舵を切った記念碑的作品。
正面、口縁部の小さな白い粒は、一粒の砂の粒子である。
陶器でありながら限界まで細く仕上げる。
1mmの口縁部。これが成り立つのは「芯出し」が完璧であるから。
マダム中葉中期は、ロクロ整形の基本である「芯出し」の技術を習得した瞬間。
その技術の応用は高台の位置取りでもあるが、こちらも成しとげられるようになった。
2011年2/26から初めて、ようやく碗作りを一人前に作れるようになったころでもある。
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マダム焼中葉後期
2011年12月-
2012年1月17日
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←【重要マダム財 マダム鉄釉酒器揃え】 中
ロクロ整形の基本である芯出しが出来るようになってから、
即品の幅も飛躍的に広がる。
以前の実験的な急須類とは比較にならない精緻な作りを成し遂げられるようになる。
ここに2011年2/26以降のマダム焼において、一つの成熟を極めることになる。
中葉後期の特色は、次に控える個人施釉を控えて
自作の篆刻を作品に押しながらも、一般利用客の印でもある
その日の数字番号も併記される移行期である。
これら併記の作品群は、その作成時期が限定できるものであり
博物学的観点からも大いに注目されるところである。
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近マダム焼前期
2012年1月18日
-末日
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←【マダム碗】 小
2012年1/18に個人施釉の資格を取得する。
これにより釉薬を自分で掛けられるようになるが
それは全く未知の領域に踏み込むものでもある。
複雑な色合いが可能な分だけ、焼き上がって失敗も多々あり、
釉薬の世界は未だ未踏域ばかりである。
この日を境に、作品に数字の記入はなくなる。
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近マダム焼中期
2012年2-3月頃
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←【マダム宝 マダム壺】 特大
釉の景色の面白味、全体の表情から
六古窯の作品にも通じる野趣あふれるマダム壺。
マダム宝の中では最大の大きさである。
ただし整形には技術の成熟がみてとれて大変に軽量でもある。
近マダム中期は大型の作品も多々作り、
また作る器も均整がとれるようになり
ここにきて、初めて陶芸が心より楽しく、自らの趣味であると言える域に達した。
ただし勢い余った量産は
薄く均整がとれているものの、やはり雑な感もぬぐえず、
また極端な薄造りによる焼成の歪みは創作上の大いなる問題点としても浮上してきた。
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近マダム焼後期
2012年4-10月頃
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←【夫人首都指定マダム財 マダム緑釉鉢】 特大
近マダム焼後期の特色は、新しい整形の憧憬ではなく釉の道であった。
この鉢に見る見事な発色を追い求め、集中的に織部釉との掛け合いを試みるものの、
未だに納得いく発色に出会えていない、
後期の作品群には色の違う緑釉の作品が突出して多い。
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現マダム
2012年11月〜
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現マダムの作品には既に二つの系統があり、
次回の新・区分けではこの時代は分割されるであろう。
まず、左の香炉のように高度な整形への憧憬でもって碗に留まらない作品への情熱と
下の碗である。下の碗は、薄造り最大の欠点である口縁部の強化を試みたものであり、
極限まで薄く作るものの、口縁部は2倍程度の厚みを持たせようとする
新しい技術確立への挑戦である。
←【重要マダム財 マダム青磁香炉】 中
透かし彫りを施す、新技術への果敢な挑戦。
↑【マダム梅花紋碗】 小
口縁部の厚みは勿論のこと、意匠にも拘りを持たせる一手間多い作品づくり。
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