novembre.2010 le 30 mercredi //6枚の写真// 11月も終わりです。 使用する紙をすくなく、最近のカレンダーは6枚が主流です。 六枚の写真で季節の移ろいを現わすのですが、 今年を振り返ると、 1-2月は冬景色で良いでしょう。 3-4月は春ですね。寒かったけれど平年並みなのでしょうか?? 5-6月は初夏をイメージした写真。 7-8月は夏。 9-10月も夏。 11-12月は秋の写真ということで。 le 29 lundi //働いてはならぬ// 我が父上の兄まであった、働いてはならぬ???? なんじゃそりゃ?とお思いでしょう。 祖母が言ったらしい、家長たるもの働いてはならぬ。 基本はフラフラして、たまに庭木の剪定とか、そのようなことをすれば良い。 家長たるものが働いては、家の恥だということです。 働かなくても贅沢な生活を見せ付けることに意味があるそうな。。。 そういえば李氏朝鮮の本を読んだとき、両班階級も全く働かずフラフラして タバコを吸って茶を飲み、空理空論の話に明け暮れていたとのこと。 たぶん儒教的なモノの見方の一つの果てに、 勤労の蔑視というものがあるのだと思うのです。 今となっては必死で働かないと生きてはいけない。 働き口のあることに、心の底から感謝するのです。 le 28 dimanche //雨の日の行き先// 肺の炎症を収めるべく、僕が選んだ最終手段は岐阜県は恵那市のローソク温泉。 あっ!とお思いの方もいるでしょう。昨日中津川、今日は恵那。。。。 本来は泊まるべき行程ですが、一度家に戻って再度行く。。。。 ここの湯は、無色透明無味無臭なのですが、日本で一番、世界で三番目に濃いのです。 放射線が濃すぎる湯なのです。 どうでしょ、湯につかるとしばらくして、普段の温まりとは違う 例えるのなら自分が電子レンジに突っ込まれたかのような、不思議で強烈な温まり。 ここの湯は、浸かると、湯あがりにとても疲れてしまうのですが、 蘇生なのです、寝起きから体がすこぶる調子が良い。 問題の肺の炎症は、ラジウムの高濃度蒸気を吸ったり吐いたりして なんとか終息に努めようと、粘りましたが、二時間程で撤退。 ここは、湯治場としての性格がとても強く、いづれ泊まりで療養しようと思うのです。 恵那市街で、少しだけぶらり歩きをし14時には家にいる。 le 27 samedi //道の向こうに山がある// 岐阜県は中津川。 年に一度、僕は中津川で髪結ひをします。もう5年目なのですよ。 もともとは名古屋でお世話になっていた人が実家に戻ったためでしたが、 名古屋時代の付き合いも10年程でしょうか、毎年、太る彼に驚きを隠せないのですが、 それはたぶん僕にも言えることでしょう。 驚きは、駅前に二時間無料の立体駐車場。地方都市は市内中心部の空洞化対策として 駅前に一時間は無料の駐車場を構えているものですが、二時間は、たぶん中津川だけ。 90分ほど前に着き、市内をぶらり歩き。 ↑ なぜ名古屋城の看板があるのか全く謎でした。 中津川行を決めたのは土曜の10時頃。 最近は、何をするにも、その決め手がなくウダウダと時間だけが過ぎ、 出発には遅すぎるという致命傷が僕を内向的にさせるのですが、 今回も似た傾向が。 この日は、泊まるかどうかも決めかねていましたが、結局、家に戻りました。 le 26 vendredi //全体として、パッとしません// スカッとする血の巡りの良くなることもありませんし、 何かの達成感もない。遠くに出掛けることに気後れしたり、今月は質素倹約闘争強化月間だったので、仕方ないとて言えば仕方ないのですがね。 12月はいろいろなお付き合いでお酒を飲む機会も多くなるので、平日の個人的な飲みってのは、かなり厳しく抑制するべきなのだと思うのです。 咳が止まらん。痰が出る。。 le 25 jeudi //天ぷら// 本日は、会社帰り丸善により、近くの天ぷら屋へ。 天ぷらは、来年の僕の食の課題でしたが、前倒しのお勉強、一人17000円。 でもね、地方都市に行けば、同じボリュームで半値とか、そういう世界だと思うのです。 港町の天ぷらや、是非とも開拓したいものです。 さて、その前に寄った丸善で、僕の心を引き寄せるガラスペンがあり、 買いませんでしたが、買わなかったことを今も後悔しています。 これまたその紙質に心奪われる高級なノートも売られておりまして、 一揃え手にしたら、夜の長いこの時期、アレコレ書きあげたいと思うのですが、 さて、何を書くのかというと、これが問題。 書くということに関して、特に万年筆、毛筆、ガラスペンの場合、 書こうとする漢字をスラスラと思い起こさなくてはなりません。 漢字の忘却、この凄まじさは、皆さんもキーボードで一度は書かれたことがあると思います。 読めても書けれない漢字が、きっとその多さに驚愕するのでしょう。 le 24 mercredi //エヘン虫// なんでしょう。痰が絡み続ける。咳が出る。何かの花粉かと思うのですが、 それが長く続く。肺の中に異物が入ってしまい、抗体反応が本日もまた続く。 何度も書いていますが、風邪とい言うものは発汗と睡眠と栄養で治るのです。 だから平素の食材を考えるだけで解決するのですが、 この10年で二回、ある温泉の助けを借りたことがあります。 つまり肺の炎症が全然収まらないとき、僕が用いる食事療法では限界があると判断して 岐阜県は恵那市のローソク温泉に行くのです。 ここは日本で一番、世界で三番のラジウム泉。無色透明無味無臭ですが、 濃さが全然違います。 炎症を起こした肺に、高濃度ラジウムの蒸気を深呼吸してと乗りれる。 これが治るのですよ。 泊まることもできるそうですから、一度、そちらの経験もしてみたいものです。 le 23 mercredi //グータラ感謝の日// グータラに徹しましたよ。なんか咳が出るのです。 風邪とはまた別の系統の咳。しかし痰が出てきたので、 体は何かの異物を感知して攻撃をしているのが分かります。 風邪は食材と睡眠と入浴法で治すことを15年は続けているので、 自分を知る感度というものは鋭敏になったのかと思うのです。 風邪薬飲めばお気楽じゃない!!と言われそうですが、 それらは、発汗と睡眠導入。この二点を柱に作られていると知ったなら、 トウガラシや胡椒、それに熱い風呂に入って寝る前にウィスキーで事足りるのです。 自分の勘で調合した食材で翌日、風邪が治るのはテストで万点をとったように 嬉しいものです。 さてと、昼寝して風呂に入っていたのです。薬湯。 出てきたら北朝鮮が韓国に砲撃ですって!??!! 功を急ぐ三代目が慌てたのか? 巷には二代目が死んで 軍部が暴走と述べられているけれど、 なんかギリギリのラインで収まっているので、熟慮の上での統制は取れていると思う。 要は、死亡説が北の国内で広まって国内が不穏当になるのなら、 それは意図した流言の流布でありますな。 さて部屋の中に話を移しましょう。 本日はグータラ感謝の日。この題名で日記書いている人は多いと思うけれど。 部屋では、岐阜ラジオと瀬戸のコミュニティーFM、ラジオSANQを聞きながら 本を読んだり寝たり、風呂に入ったり、アレコレ。 地元の情報を詳しく発信。そういう地元に住んでいる人って羨ましく思う。 名古屋だと、それはいくつか放送局を有して、名古屋だからこその義務もあり 意外と自分の住んでいる周辺の情報はキャッチすることができないのです。 何の束縛もなく自由に住むことができるのなら、僕は瀬戸市か飯田市かな。 le 22 lundi //忘年会第一弾// 安い油で揚げた串揚げ。。。。 個人的関心が天ぷらに移行しつつある昨今、この揚げ物には閉口してしまいました。 雨です。 明日が休みというのは、楽なものですね。 例えば、身につけたら人生広がるなぁと思う技量のアレコレは思い浮かぶのですが、 さて、何かを手にして勉強しようと思っても、その気がサッパリ湧かないのです。 日本人が、日本の慣行で贅沢に一生を終えれる時代は過ぎ去ってしまいました。 15年ほど前、どこかの空港の免税店で値の張る万年筆を買いました。 丸善に行けば、それこそ頁の紙質に心奪われる上質のノートがたくさんあります。 PCが無いころ、机で書くことは、本当に多かった。書くという行為の最高峰のために買った万年筆は、結局のところ使い道がありません。 今の僕に、丁寧にしたためた手紙を書いたところで、送る相手はありませんし。 le 21 dimanche //居酒屋一人3000円// 帰りにちょいと一杯ひっかけたら3000円程度でしょ。 考え方改めます。3000円あったら⇒● 人参粉末150グラム、2625円でしょ。 大学の頃からしてきた、冬の催しに、 それは僕の人生における孤独のレースを予告するようなものでした。 冬の海は大好きです。北風が容赦なく吹き付けるのですが、 これゆえに絶景の浜辺も歩く人はとても少ない。 好きな音楽を聴きながら、冬の海の、空の青さに感嘆し、 時に流れゆく白き雲に、西の空が夕暮れの薄黄色を投げかけるとき、 あの頃は時間の経過など関係なく、ただただぼんやりと、 それは紫になり、赤く青く黒く、太陽光線は波長を変えるのでしょう。 西の際に、かすかにガスコンロの火のような色だけが見て取れる。 おそらく、一人で過ごすことにある種の美的なものを感じ取るのでしょう。 今となっては、時代というものが、一人の美を発信できる。 だから、ますます一人の美というものに陶酔するのでしょうが、 この酔いが醒める日は来るのか僕には、さっぱり分からないのです。 今、●に陶酔しています。これは一つのラジオCMですが、 内容と音楽の調和に陶酔。 le 20 samedi //天ぷらへの道程// 理想とする姿は、地方都市のてんぷら専門店。 カウンターで地の酒と揚げたての天ぷらを食す。 ところがです、検索するとグルメサイトのアレコレが席巻し、個人店のサイトを探すのに四苦八苦。 そもそも蕎麦屋のメニューに天ぷらそばがあったら検索に引っかかるので、専門店を探すのはとても難しい。その数は寿司屋の何十分の一以下でしょう。 例えば尾鷲や熊野だと目の前は海、そして背後には山菜が。 こういう抜群の天ぷらの聖地を探すことから始まるのですが、 天ぷら専門で生きていくには弱小地方都市では固定客が少なすぎる。 あって町に一件ですが、目につくのは寿司の片手間に揚げる店。。。 本日は、自宅湯治。全くの快晴ですが、歯医者もありましたし、 夕方、地下鉄に乗って名駅で少し買い物をして戻るだけ。 le 19 vendredi //変態// 僕は変態だと思う。性愛の部分に関しても少数派の、しかも変態。 さて、そんなことは、いつかの酒宴の席でお話ししましょう。 木曜の夜が、早く寝る寝る運動。平素の疲れはバッチシ平日に解消。 なのに金曜日の安堵感は別な疲労をもたらす。 FM SANQを聞いています。 さてと、管さん全然発信力が無いのですけれど。 新自由主義には激しく嫌悪する自分であって、そういう行動基準で投票はしています。 僕が見限ると、既に見限る人は7-8割いるはずだと思う。 何もかも自民党の否定から走る軽薄な政治的感覚がもたらした結末でしょうか。。。 le 18 jeudi //街路樹は// 実のなるもの。色彩を愛でる植木などは伐採され食につながるものへ。 昨日の続きです。限られた国土で1.2億人に飢えることなく食糧を供給するためには、 だからと言って「肥溜め」の復活にはつながらないと思う。 現代科学で汚泥は、何かほかの有用な変身を遂げるでしょう。 都市部の池には淡水魚を養殖。空いている土地には芋。 グローバル化の行きつく果ては、世界を一律に覆う資本主義。 ブロック経済とか関税の障壁で多律だった資本主義で割高な商品を買わされていた反面、 部が悪くても売れる生産者の存在もいた。 ところが今後は、 ある国が富を蓄えても、その国で国民を養う雇用の場は存在しえない。 グローバル化の行きつく先は、雇用のための戦争、そう思ったりもする。 それは人間の何割かに確実に存在する劣等の比率があるとするのなら、 25%としよう、行きつくては、どの国も25%のスラム街。 水は高いところから低いところへ流れ、そして平坦になる。 これを防いでいたのが多律時代であったのに、アジア太平洋、平準化の波。 だからといって共産主義が訪れるわけではありません。 先進国だから末端まで守られていたという時代が終焉し、 守りの放棄は中流の一部にまで浸食するだろうと思います。 le 17 mercredi //江戸の食卓// 2010年は食べることに関して異常なまでの執着を示した年。 江戸時代のお膳を忠実に再現した食事を味わいたいのです。 思うのは、飯(玄米) イワシ(特別な日に出てくる。普段はなし) 汁 野菜・根菜の焚き合わせ 香のもの これではお腹がすくので、昔の人はご飯は何杯もお代わりを。 よって、飯が進むように塩味の濃い食事であったと考えるのです。 現代においても三食異なり、それらは続くこともなく日替わり。 日本くらいだそうです。先進国でも、朝とか昼は来る日も来る日も同じものばかり。 ふと思うことがある。鎖国。 鎖国したら、それこそ失業者はいなくなる。ありとあらゆる土地を開墾し食糧増産。 疲弊して久しい農村に光が。 衣服は高価になるのだから、みな破れるまで使う。 昔は破れて細切れになった布は縫い合わせて紐にしたそうです。 もちろんビニール紐と違いきつく締めれるものではありませんが。 糸を縦に横に上下に繰り返して作る布は 手間暇の極致であり、太くてゆるい紐に何度目かの再利用をして、 やっと捨てられたのだと。 鎖国すれば、現代に許されている諸々の猶予なんてのは消滅し、皆が役割を持って 働かざるを得ない。ニートなんてのは穀つぶし、鞭振るってでも働かす。 le 16 mardi //精の付くもの// 食の突き詰めたところは、精がつくかどうか。 美味しいという「俗」な壁が立ちふさがりますが、やはりその向こうに、精がつくかどうか。 食べると太る。その「脂」の壁を越えた、食べると精がつくもの。 これら精の付く食材と「大麻」とかの違いは、 後者の味わいを知らないので僕には近親な存在かどうかさっぱりわかりません。 伊那のローメンの店の一角には各種精の付く焼酎が並べてありました。 朝鮮人参なんてのは可愛いもので、どでかい蜂の焼酎もありましたよ。 これらを飲むと、きっとカーーーーっとするのでしょう。 さてと今月は質素倹約闘争強化月間。来月は大東京現地指導でしょ、労を労うウーマン旅行社でしょ、一人ひそかにどこかに旅立ちたいでしょ、、、、いろいろありまして。 伊那に行くのはいつのことでしょうか。。 le 15 lundi //マイミクになるということは、、// つぶやきが閲覧可ということ。 このつぶやきが日記にはならないことですが、なかなかツボを得ていたり、 タイムリーな情報で、その人の成りを見る上で重要な策の一つ。 もちろん僕もバンバン書いているので、見てほしい人もいるのだけれど マイミクじゃないし、、、、 le 14 dimanche //男というものは、、、// 昨日貰った本で、さっそく一冊読破しました。 【ホームレスにはなりたくない】という、なってしまった人たちと世間の意見をまとめた本。 この本は、多くのホームレスの経歴を箇条書きにしたもの。その間に、ホームレスへの意見を一般に求めましての、その投稿文。本ではありますが、作者というより編纂者によって作られた本です。 1996年のホームレスですから、彼等の生い立ちは、尋常小学校卒業(まれに驚きの高学歴もいますが) 学制が旧制である、今となっては他界しているだろうホームレスの歴史。 これを読んだとき、タダでもらった本だし古い記憶ではあると思いましたが、 まてよまてよ、釜ヶ崎の衝撃を見たのは、ちょうどあの頃であったと、 その接点に一気にリアリティーも富み読破しました。 尋常小学校を卒業し、バブルがはじけた頃、一斉に日雇いの仕事を高齢が故断られ、 段ボールの回収で食材だけは買い求めているという彼らのパターンは、 読んでいて、いづれ古い型のホームレスになるだろうと。 つまり、現在のニートの類も、いづれホームレスになるのでしょうが、 彼等は日雇いさえしたことのない男たち。勤労の経験もなく路上生活者となるものは、 この本ではその紹介はありませんでしたが、今後は多数を占めるのでしょう。 さて、古い型のホームレスの紹介ではありますが、 当時では「現在進行形」 この本で、今の浮浪者は、、、と嘆いているのが新鮮でした。 と、言うのも、その高齢の女性の投書では、かつての浮浪者は 束縛を逃れる意志ある路上プロレタリアートであったというのですから。 そして京都の某橋の下では、バラックがあり、家族で生きていたアウトローもいたとの紹介。 それはスラムなのでしょうが、今となっては、探しようもありません。 さて、多くの事例を紹介しているので、ある種のパターンを読み取れます。 それは男というものは、ストレスが臨界点に達したとき、逃避に出ると。 この場から抜け出せば、今のストレスともサヨナラできる。 残された家族とか、そういう者たちへの思考の余裕はなく、衝動的に家を出る。 きっとその先は全く考えていなくて、衝動的に家を出て 日雇いで10-20-30年働き、そしてバブルはじけた頃、 老齢が理由で仕事にさえありつけない。 家族とも音信不通。 この手が一番多いタイプでしたが、なかには、想像を絶する生い立ちの人もいます。 戦時中、奉安殿での最敬礼を、どうしても拒む7歳の少年。 もちろん非国民として家族は投石などの嫌がらせを受ける。 7歳にして、家を追い出される。 路頭に迷った彼は、両手10指ないライ病の老人と出会う。 理由を述べたところ、山奥の彼の家を紹介され、飢えの恐怖からは逃れられたと。 そして沖縄戦。皆が砲弾から逃れるため山に逃げ惑い、 彼はライ病の老人と壮絶な体験を。 戦後、大阪に出て日雇い。 日本が、路上生活者の問題を解決する、その体力は既に失ったと思っています。 今後の日本は失業者が13-17%存在する景気の低迷が平素の姿。 路上生活者は、貧困ビジネスで減ったものの、また溢れ出すことでしょう。 思うのは、そろそろスラムが形成されるのではないかと。 le 13 samedi //瀬戸市万歳// 歯医者の後、瀬戸市に行く。この前買った驚きの漆器、 その追加購入です。 いづれ、特別頁に瀬戸論を書かなくてはと思うくらい、この町は魅力にあふれている。 土曜日なんて、お洒落して名古屋人なら栄とか買い物にいそしむのでしょうが、 僕はお洒落はしましたが、窯巡り。 瀬戸は窯業の町でして、街おこしのイベントには事欠きません。 一概に瀬戸といっても市内に三か所、窯業の盛んなる地区があるのですから、 層の厚さがお分かりに戴けると思いいます。 この週末は三地区合同の窯巡り。 でも、その前に。 市内中心部に車を停め漆器を買い、コーヒーとケーキも楽しむ。 「神道」の本を読んでいるのですが、結構ページも進み良い時間の過ごし方をしているなと 頁を休めるふっとした一時に思うのです。 無事に漆器も買いまして、赤津という町に窯巡りでもしようかと とりあえず駐車場に戻る途中、 瀬戸市立図書館の除籍本の無料配布を知る。 提供される本が大量なのに驚いたこと、そして貰いたい放題なのにもまた驚き。 それから黄砂の夕暮れの赤津集落へ。 抹茶を戴き、2-3、顔を出す。 今のところ、欲しい器が無いので、見ているだけでしたが それでも楽しい時間が流れるものです。 紅葉前線も、ここまで南下したのかと黄砂の夕暮れは とても寂しい光景ですが、錦織なすさまは霞にたたずむ猿投山まで見てとれます。 家に戻りまして、先週と同じことですが、漆器の光沢に心奪われ 手に取りましては球面に光り輝くその移ろいに酔いしれるのです。 とにかく上質なものですから塗りが厚い。 黒を塗った上の赤ですので、なおのこと。 来週の歯医者は、同じく土曜日ですが、9:40と早い時間。 そのあとは、どこに行きましょうか???? le 12 vendredi //ゆるり11月// 明日は歯医者でしょ。朝一番の歯医者でもないし、土曜日は遠出もできません。だから何をしようか未定、当日の思いつきで。。 今月は歯医者に伴う外出自主規制の質素倹約闘争強化月間。 春季闘争は、2-3月のどちらかで。春にも歯医者に行きましょう。 さてと、誰を見て誰と接するかなのです。 僕は上流というと語弊がありますが、先頭集団で頑張っている人たちとの交流というものが 20代にはなかった。では、誰と接していたかというと、そういう人生の規範や禁忌を学ぶ者として下層との接点がある。 某所では、金欠を嘆くものの、その解決に勤労というものはなく、 詐欺や窃盗、色仕掛けの類で急場をしのぐ者たちを、多く見ていた。 今となっては、平々凡々の規範でも禁忌でもない人たちと記憶に残らない交流をするよりかは はるかに学ぶものがあったと、そういう意味で自己合理化しています。 彼らとの接点は3年ほどでしたが、今は生きているのか死んでいるのかさえ分からない。 たぶん、何人かは生きていないと思う。 若いとは、継続や努力より一発逆転、起死回生、そういう山師的なものの確率の高さを信じてしまう傾向もある。それを押し留めたのは我が父上の厳しき戒めと、彼らの姿。 あの時、何の根拠もなく、その確率は高いであろうと信じて フラフラの繰り返しをしていたら、今頃、路頭に迷っていたと思う。 詐欺や窃盗、色仕掛けで生きるには、自分で言うのもなんですが 僕は育ちが良すぎた。そういう度胸というものはなく、たぶん躾けられた規範が下層転落後の有力な術さえ捥ぎ取っていただろうと。 転落したなら鬼になって、海の下に海山ってあるでしょ、その山頂に立つくらいの道徳心の破棄が求められるけれど、心やさしく転落すると たぶんうつむき加減のホームレスその姿になっていたと思うのです。 人生の転落というものは、地の果てにあるものではなく、コインの裏側に死ぬまで存在し続けるものだと確信している。その世界は人生の途上で消滅するものではなく、死ぬまで足を踏み入れない、規範と緊張感。 le 11 jeudi //災難は素直に受け入れるべし// これ災難を避ける妙法なり。 どういう言い回しか忘れましたが、このような話を聞いたことがあります。 昔のお坊さんの言葉。 災難は避けることはできないと思う。 もう何度も書いていますが、死ぬまでに大地震に遭遇する確率は、50%以上だと思うし、 巨大台風の被害は80%以上。熱中症や交通事故、家庭での転倒事故。 脳梗塞とかの突発的な病や、糖尿病のように忍びよる影。 失業や離婚、裁判沙汰、恫喝や恐喝、窃盗、火事、骨折や肉離れ。 これら何かに遭遇する確率は100%であるはずだし、 2-3の複数該当も100%だと思っています。 災難は避けることはできない。 ただし、善良に生きている者の、その程度は低いし治癒も早い。そう信じています。 その程度で良かったと安堵していますし、 回復への祈りは落ち着いた時間を設けて致します。 須らく最善の形で解決されましたこと、心から感謝申し上げるのです。 le 10 mercredi //彼は罰せられ、、、// その罪でもって政府が瓦解するのもよろしかろう。 義憤だからと規範の逸脱は罰せられるべきです。 その懲罰はあってしかるべきで、ためらうべきではないし、ためらってもいけない。 そして懲罰を施した上で、この政権が行き詰まり瓦解するのなら、 彼の義憤は道理に基づいた形で達成されるのではないかと思う。 そもそも選挙に行かない国民があまりにも多い。彼らこそ白紙委任した人間なので 本来ならば、政府の方針には盲目的従属というか不感の立場を維持するべきですが。 le 9 mardi //自慢の海// 世の中は自慢に満ち羨望と嫉妬いう名の潮がある。 最上級のステーキを食べる。 食べる前の自慢。食べている時の至福。食べ終わった後の自慢。 昔、僕は、いや今でもあるのですが、 贅沢とは瞬間の至福と前後の自慢から構成されるもの。 10000円の贅沢なら前後も大いに披露して ダイヤモンドのような輝きに。 ところが、そういう下級市民の贅沢三倍活用法とは全く無縁の 質素な生活をする上級市民というものが確かに存在するのですよ。 贅沢は三倍活用して、初めて贅沢を使いきったと実感する僕には、 彼らの常日頃は敬虔な修道女のようなありさま。 例えば、1500万円の車を買う予定だとすると、 僕は、散々迷っていることを披露し、決定した瞬間を披露し、 待ち焦がれている様を綴り、手に入れた時の輝きを広く照らし、 使う悦なる心地を分からせようとします。 ところがです、全く、そういう感覚とは無縁で1500万の車を所有する人がいるのです。 本当の金持ちには、そういう意味から慣れるものではないと実感するのですが では、偽物の金持ちにはなれるかといえば、嘘をつくネタに尽きる、そういう感じ。。。 le 8 lundi //勝手な妄想が終わるとき// それは理想の間取り図。もちろん億の世界ですが。 見ていてうっとり。妄想は家具の配置のこと細かいところまで及ぶ。 でもね、入居が決まったようで、その間取り図は、もう見ることはできません。 勝手な妄想と、現実に手に入れる人。私は戦いもせずですが完璧な敗者であります。 本日も、漆器を見てはただただウットリ。 le 7 dimanche //漆器の艶は見目麗しき姫のやう// 日曜日は昼まで寝ていて、いたたまれず外出。 特に目的もないのですが、血の巡りを良くするための外出。 向かった先は、毎度毎度の、瀬戸市。車を停めあちらこちら歩きましたよ。 陶磁器の町ですが、最大の収穫は、この木製の漆器です。 古物商の前を通り過ぎた時、これはただものではないと戻る。 じっと見ていたら主人が出てきて、由緒ある物の流れを説明、即購入。 何が嬉しいのかと言えば、今時、木の本漆を買うとなれば、下の写真で20万円はします。 もはや工芸品の域に達してしまったのです、漆器というものは。 これが、なんと5000円!!!!!!!!!!!!!!!!! こういうときって、持てる知識はどこかで披露するべき。 「やはり、相当ぬるい湯で洗わなければならないのですよね」と メンテナンスの会話で漏らす。 大切に扱ってくれる人に買ってもらいたいと、黒い漆器は主人からのオマケ。 昨日の日記にも書きました、瀬戸のコミュニティーFMを聞きながらの、本日の瀬戸日記。 le 6 samedi //指向性ですよ、指向性!!!!// 瀬戸市は、最も近い個性的な町。名古屋周辺の衛星都市であっても、旅をすれば、瀬戸の味わいが存分に楽しめて、それは植民市ではなく独立市。 最近発見したのは、地元FM局。コミュニティーFMの類です。 調べたら瀬戸市-尾張旭市-長久手町がエリアだそうです。 これがですね、なかなか力を入れた放送局で、 僕が愛聴する岐阜ラジオのFM局版にあたります。 前に、訪れた時は小さなイベント会場に出前放送局を設置して 特別番組を放送している。こういう地域の発信というのが大好きでして、 カーステでも限界まで聴き入りました。 つまり、帰り際、その限界というものを確認したわけですが 到底家で聞けれるものではない。 ところがです、本日は歯医者と予防接種で素直に自宅湯治に切り替えたので、 家であれこれする時間がありまして、まるで中学生のようなことをしたのですが いかにすれば、このFM局を聴取できるのかと試行錯誤。 ラジオを窓際に置き、アンテナを外に伸ばしてある方向に、そう指向性です、 電波をキャッチする角度がありました。ノイズは入りますが、 ストレスなく聞くことができます。 岐阜ラジオは夕方になると和歌山放送と混信し、日没後は全く持ってノイズの中。 これに比べてもはるかに状態が良いのです。 家にいる、楽しみが、いや、慰めが一つ増えたということになります。 12時前、同時にテレビもつけていますが、引き分けにおわる。 le 5 vendredi //尖閣ビデオ// 昨日のクローズアップ現代では、内部告発サイトを紹介していましたが 日が明けてみたら日本でも告発モノが。 政府が隠し続けた幻のビデオです。 見た感想を言えば、日本人は忘れやすい性質なのだから 最初から全面公開にしておけば今頃関係修復も軌道に乗っていると。 問題の銛で突くシーンはupされていませんでしたが、これが無いものとして 今日見た感想です。 明日は、歯医者と予防接種。遠出は素直に断念できるので、自宅湯治になりそうです。 中国も江沢民の反日原理主義が登場するまでは、付き合いやすい相手だったのに、 上海なんてのは最も発展した地域で、未だに反日ですよ。 たぶんそれは北京に対する独自色としての原理原則の立場なのでしょうが、 そういうところからして人民内部の矛盾です。 le 4 jeudi //冷めても旨い、伊藤順和堂//の芋きんとん。 名物は一代で成し得るもの。その人が心血を注ぎ、拘りに拘りを抜いたとき、それらは万人から支持されるものへと変化し、店にはいつも人の列。 2010年を一字で表すのなら【地】になりそうです。 地方都市で過ごす週末とか、それは何度もしていますが、 食材に関しても、その地の料理に努めて拘りを現わしたのが2010年。 ところが、探しても見つからない不毛の地というのもありまして、 来年は、地のモノが食べられる場所への訪問になりそうです。 地球の裏側の情報もライブカメラで、今まさに見える時代なのに、 最も価値があり新鮮で感動的なものはブラジルの幻のコーヒー豆でもなく 尾張の水郷地帯で今もなお供される川魚料理であったりするのです。 le 3 mercredi //日帰りドライブ498km// 過去最長だと思う。 名古屋⇒三重県川越町⇒大垣⇒敦賀⇒越前海岸⇒福井市⇒勝山市⇒大野市⇒ 九頭竜湖⇒美濃白鳥⇒大垣⇒川越⇒名古屋。 伊藤順和堂の芋きんとんというのは、世の中で一番うまい和菓子だと思う。 純粋に車を動かしていたのが9時間と五分。平均燃費は12.1km/l (只今、11/4ですが) 7:30に寝て10間もぐっすり。。。 le 2 mardi //ぼーっと顔を近づけて// スピーカーの前に顔を近づける。それも至近。 たまにします。目を閉じて、どうして、こんなに細やかな音が出てくるのか 不思議に思うのです。 二系統あるスピーカーの古い方はAIWA製。AIWA CDS-777 調べても、ほとんど情報がありません。 これが現役なんですよ。バンバン鳴らしています。 二つあるスピーカーでは下位の存在ですが、下位が故、愛着もある。 コーン紙を使用したミッドは、当時でもいささか型落ちの感もありましたが、 音が破れることもなく現役です。 スピーカーというものは、人間が耳で音を感じる限り、存在するでしょうし 原理というものは、革命的な変化もなかなか考えられない。 カセットがMDがCDが、、、、と音楽の収録物はめまぐるしく変遷するというのに スピーカーに関しては原理原則、音の原理主義者。 そうそう、スピーカーを保護するためにネットを張りますよね。薄い網戸。 光に例えれば、薄い網戸で光線の何%かは遮断される。 それと同じことで音というのは矮小化されないのだろうか??? デリケートな部分を保護する目的でしょうが、 僕は、平素、スピーカーキャビネットは外しています。 もちろん振動板に埃が付着して、それがどういう影響を醸すのか見当もつきませんが。 100年前も100年後も、これに関しては大差なしと思っています。 le 1er lundi //質素倹約闘争強化月間// 11月は努めて倹約に走ります。質素倹約闘争強化月間。 ただし去年の寝てばかりでは、脳が委縮しロクなことを考えなかったので、 健康的に、豪華に、優雅に、贅沢に倹約生活に走ります。 今月の日記は、これら倹約の日々に関する理論武装誌。 最大の倹約は寝ることですが、この危険性は去年身をもって実感。 これに続く倹約は外出を控えるですが、これは実践していくことでしょう。 たまの外出は歯医者、予防接種の類にして、意味もないフラフラとした外出は慎みます。 ただし、誰かのお誘いとか誰かと行くと楽しい食事とか、そういう方面に関しては 通年、枯渇気味なので機会あれば積極的に。 よって、予定がない場合のぶらり歩きぶらり旅を厳に慎む。 |
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