novembre.2012





le 30 vendredi
//私の不安は消えた// 今日はアルバイトの女の子が辞める日。
彼女は対人恐怖症になった過去もあり、仕事もぎこちなく、やはりその違和感がゆえ辞めてもらうことに。ダメだ出来ない見込みがないと彼女の悪口を言う人は多かったが、だからこそ僕は別の言葉を添え続けた。

まだまだ、いろいろと言いたいことはあるのですが、
彼女にはこれだけは忘れるなと言ったのが、
「笑うことから遠ざかってはならない。笑えることが無かったら寝る時、笑った顔をして自分に語りかけなさい。ありがとう。と」「自分を愛したその先に、他人を愛することができるのだから、他人の顔色なんて気になさるな。人との付き合い方に迷ったら、自分を愛しなさい。思いっきり褒めてあげて愛して信頼なさい。そうすれば自ずと力が湧いてくるよ」と。
「アナタにはマダム焼を(4つ)あげるから、目にとまったら自分を愛すること笑うこと思い出してほしい」と。


心の中に漠然と存在し続けた彼女の行く末に対する不安が、すっかり無くなったのは、
つまり、そういうことなのです。心配するに及ばず。

忘年会は、相変わらず「つまらん」かった。
なんか皆、下品に騒ぐと言うか酒の力を借りて「言ってしまうアレコレ」
それは酔いが冷めても尾を引きますよって。
こういう複数の秩序の混在する大人数過ぎる飲み会はやはり好きになれない。


le 29 jeudi
//9連休の過ごし方// 確実なのは1/5-6が陶芸。残る7日どうしよう。
結構真剣に考えているのが、hpの大改編。
要は、マダム焼の記録の一助としてのhp。

全ての作品を網羅するマダム博物院収蔵庫。
マダム博物院常設展と企画展。
マダム宝 重要マダム財 夫人首都指定マダム財 三種のマダム
この振り分け。

あとはエレガントウォーキング。
美術館も閉まる年末年始。
大掃除して美術本でも読み耽りましょう。


le 28 mercredi
//40肩// こうやって一つまた一つ老化を感じるのでしょう。全然治らん。鈍痛が続く左肩。
僕は左半身の劣化が早い。足の関節。腰の痛み。肩。そして左耳に左目。
体幹が左に負担を強いているのか、左半身の劣化が、昔から激しい。

今日は仕事で瀬戸に行きました。
週末の瀬戸は郊外ですが、今日は瀬戸の旧市街。
隣の尾張旭は名古屋の植民都市で個性が無い。
瀬戸も人口の大半は名古屋での経済活動で食べている人たちですが
なんといっても地場産業がある。
この特殊性が街の個性となり、瀬戸は歩いていても大変に楽しい。


le 27 mardi
//好きな時間// 僕は昔からテレビでもラジオでも、その日その時間に流れるopedにお気に入りを覚えてしまいます。気に入ってしまうと、その瞬間に聞き入ることに悦を覚え、番組の内容は二の次になってしまいます。
今で言うなら、ラジオ深夜便の、いろいろあるコーナーのopedに流れる曲。
それは5秒足らずの短いものですが、物凄い寛ぎを見出すのです、僕は。


le 26 lundi
//5日間//三連休明けが5日間なのも珍しい。
なんか疲れた! と、いうことでスポーツサロンおさぼり。
何をするわけでもない時間が好きだ。


le 25 dimanche
//運転お疲れさまでした// 伊豆半島ってのは、殆ど山なのですね。平らな土地が修善寺の南北以外、ほとんど見当たらない。 イメージとしては東京資本に侵食されて海岸のドライブどころではないと思っていましたが、いやいや、これほど海を見ながら走れる海沿いも珍しい!!!!

帰りは恐ろしい大渋滞に巻き込まれました。
道中、眠たいにもかかわらず運転してくれた幹事さんに感謝です。


le 24 samedi
//伊豆旅行// 金曜日の晩は旅の前泊。愛知県は刈谷。とてもきれいな部屋で彼の人となりも伺えます。僕はと作陶で疲労困憊の合流なのですぐに寝れました。グーグー。

伊豆は名古屋から三名。東京からは二名。
隣の県の最果て。伊豆は下田。

当初は山登りの予定でしたが、雨では仕方ない。
東伊豆をしゃべりながら南下。

幹事希望の山登りが中止になったのは、残念で同情申し上げるのですが
また、次の山旅行があるなら是非とも参加したいものです。


le 23 vendredi
//楽しくて楽しくて//

三連休の初日は、終日作陶。
楽しくて、楽しくて。 おじいさんが、アナタは本当に楽しそうに作っているね、と。

明日明後日は旅行だから造れないけれど、
今年は、あと9日しかその機会がありません。
大切にしなくては!!!!!!


le 22 jeudi
//こんなにあるのに//14でしたっけ、、、政党の数。こんなに選択肢があると言うのに、入れたい政党が見当たらないとつぶやく人の実に多き事かな。

既成政党に対する閉塞感ではありません。それ以上の節操の無さを湧いて出てきた政党に見出しもします。

民主党が政権を取り、小沢だの非小沢だの権力闘争に明け暮れて、時間を消耗したのが運の尽きでしょう。野田さん個人はとても好きなのですが、自分の選挙区にいない。
では、自分の選挙区の民主党の候補が、この間何をしていたのかと言うと、良く分からないし、調べたら足の引っ張り合いに興じていた一人なのかもしれない。

原発は廃止するべき。
新自由主義には反対します。よってTPPも反対。
中国・韓国との領土問題に対しては強く出るべきであるが
国防軍の創設は、知恵が無いと思う。
教育の問題を日教組に求め、
それで全てが解決すると思っている無学の政治家には辟易する。
消費税の増税には賛成。

入れたい政党が見当たらない。


le 21 mercredi
//祈ることしかできないと言うのに// 祈ることさえしない人もいる。
祈りは、祈った分、蓄えが減るものでもない。
祈ることさえできない人は、許すこともできないであろう。

もちろん、それは他者に対する祈り。

祈ったり許したりする心の修養・鍛練は、やはり平素からするべきであり
それは、その心の持ちようでもって災いから我が身を守ってくれるとも信じています。


le 20 mardi
//豊かな時間// 目の前に美味しいケーキがあると、お茶の色濃くなる前に手を付けてしまうのが僕の悪い癖。豊かな時間は、美味しいお茶とともに味わうケーキのイメージなのですが、そこには、我慢という要素が必要なのです。全て揃って、さてと、おもむろに手を動かす。

僕は完成されたイメージを追い求めるあまり、勇み足が激し過ぎる。
全て揃う前にあるものからスタートする見切り発車をするので、結局完成には至らない。

何か、納得のいくものを得るには、精神の修養として「待った」のできる
自分自身の強さが必要なのだろう。


le 19 lundi
//この先に何があるのか// いづれ両親も他界するだろう。
絶望とは言わないが、圧倒的な孤独が到来する。
そう、ともすれば誰とも何とも話さない日が連綿と続く。

僕は何でも先のことを考えてしまう。
今は、老いと死。
老いの充足と孤独。そして死。

10年前から強く感じるあることがありまして、
それは僕にとっては進むべき道であり答えだと思う。

親の介護は責任を持って見る。
そのあとに来る孤独を、それを打ち消すのが、一人で暮らせれる喜び。
その喜びを究極的に後回しすることが、老いを楽しむ一つの知恵だと思ってもいる。

何もせず逃げてばかりで老いてしまって一人では
たぶん圧倒的な存在として到来する時間に殺されると思うのだ。

ようやくやりたかったことができる、
そう、旦那が死んで活き活きとしだす老いた妻のような感覚ですよ。

若きうちに好き勝手するのも自由ですが、
僕は、自由の謳歌を究極的に後回しにすることで老いを楽しく迎える作戦に出ます。

60にして70にして、初めて何の制約もなく出来るアレコレの自由。
それが正しいかどうかは、想像するしかありませんが
僕は、正しいと確信するし、
その時、あれこれと発信していかなければなんて思ったりもしています。


le 18 dimanche
//ありがたや ありがたや// 月に一度の早朝の座禅。
なんとなんと、10年に一度あるかないかの境内に二つある国宝を参加者に解放。
中まで入れてくまなく見せてもらえる、これぞ法悦か。





このあとは4時間だけでしたが陶芸。
僕の週末は穏やかに終わるのでした。


le 17 samedi
//いかんいかん// 急須作るのに6時間。 なんか心と指先が一致しないのです。
焦っては勇み足でダメになったり。
こういうときって、頭では作れるめどがついて「よっしゃ!!」と感じている時。
その勢いに指先がついて行かず、結局、形がダメになってしまう。


急須の口。その周りを究極に薄くしたいというのが目下の目標。
まずは全体の形を何なく作れるようになってから、その次ですね。


le 16 vendredi
//エレガンス廉価版のための投資// 陶片。それは昔の遺跡や窯跡から出てくる割れた器の数々。それを眺めているだけでも好きだ。そこに描かれている模様は、往時の人の何に喜びを感じていたのかとか、明瞭過ぎるのです。

そんな陶片を見ているだけでも飽きない僕ですが、この近辺で言えば
荒木集成館 マスプロ美術館 瀬戸蔵ミュージアム 愛知県陶磁資料館

近々、瀬戸蔵ミュージアムの年間パスポートを購入しようかと思うのです。
1500円なのですが、1500円の優越は僕だけでしょうね。
いつも素敵な陶片に出会える優越。


le 15 jeudi
//割とどうでも良い//明日、解散ですね。政治にしても私生活にしても自暴自棄ではなく、もっと昇華されたと言うか、執着を忘れる。 疎かにしないけれど、割とどうでも良い。

さて、陶芸に熱心になり過ぎるあまり、近場のアレコレも叶えられない始末。
本日は仕事帰りに八事の興正寺と、お食事処に顔を出す。
そんな平日の夜、ジムの休みの木曜日辺りが僕のまとまった自由時間。

なぜ陶芸に束縛され過ぎるのか。
それは楽しく、そして発展途上であるから。
いやいや、僕はとても丁寧に作り、ある種の満足と引き換えに自由を確保しなければ。

北風が強く吹き出すと、その時、僕は師崎あたりにいたとする。
黒い雪雲の破片が四日市方面からどんどん南下し、
その切れ目から青空であって、午後少し過ぎれば夕暮れの豊かさが色として見て取れる。

そんな時間があった。
僕には毎週末、どこかに出歩いては、そんな豊かさに浴していた。
やはり、それは偶然の感動であったとしても僕には必要なんだ。

あの海岸の豊穣と冷たさと充足と悲しみの入り混じる様が好きだ。


le 14 mercredi
//純粋で無垢過ぎて//つまり何も知らない。
化粧の仕方も知らないような彼女のうろたえて泣きそうな顔。
「ごめんなさい」という彼女に、そういう生き方だったのかと。

そう、アナタは心優しい。心優しい人は強い人だと思う。
全てを受け入れられる心を持っているから、人より傷つきやすいけれど。。
弱い人は、悲しみから逃げることをする。
だから優しい気持ちと強い気持ちで聞いてほしい。

今回の出来事で頭の中は真っ白だと思うけれど、
アナタには恨む人なんて誰もいない。
アナタは心優しいから、そもそも恨むことはしないだろう。
でも、アナタはアナタ自身を恨んではいないか??

自分を愛してほしい。自分を慈しんでほしい。
自分を労わって、自分に語りかけたほしい。
時に自分の内なる声に耳を傾けて、自分と相談して、そして自分を信頼してほしい。

これから否が応でも多くの他人に接するだろうし
新しい世界に旅立つ。
他人が信じられなく、怖いと思うのなら、
まずは自分を愛してほしい。
そして自分との語らいで自分自身が信じられるようになったとき、
他人の目は、いうほど怖いものではなくなる。

自分を信頼するその先に人を信じるのだと。
人を信じる。それから始めようとすると人の顔色の変化ばかり気になるとおもう。
人を信じるなんてのは結果論。
自分を愛し、自分を信じたその先に、他者に対する愛が生まれるのだから。

アナタは心優しく強いのだから。
全ての経験は、悲しみであっても無意味ではない。
その悲しみを慈しみに変えられる心の優しさと強さがアナタにはあると僕は信じている。


le 13 mardi
//おさぼりした夜に// 寒いのでスポーツサロン見合わせ。
今日は仕事帰り本山に寄って、噂に聞いた喫茶店による。
コーヒー一杯で本が進むのは良いのだが、そのコーヒーがいまいちでした。。。

//そりゃテレビだなんて見ないわな// 週末は陶芸でしょ。平日はスポーツサロンも二回位は行きたいでしょ。僕にとっての自由時間は平日と週末の夜だけ。

本を読みたいでしょ。ボーーーーッとしたいでしょ。
こうやって何か書きたいでしょ。暖かいベッドで寝たいでしょ。
そりゃテレビだなんて優先順位も低下する。
朝に体内時計を合わせるかのようにNHKは見ますよ。
それが精一杯。

民放だなんて、その低俗な内容に
少ない自由時間を割いてまで見るべきモノではないと断言します。


le 12 lundi
//一言なら//自分を愛せよ。もう一言許されるのなら、他人を愛せよ。
アルバイトの女の子に契約解除の告知。
彼女は一度対人恐怖症になり、今でもとてもぎこちない。
僕はそれを何とか治してあげたかったが、無理でした。

フロアを過ぎる全ての人に「おはようございます」を言う不快感を全く察することなく、
そうしなければと毎朝強迫観念が。

彼女の真心が裏目に出てしまうのは、
つまるところ彼女が相手方を信頼していないから。
信頼の無い人間に、その日の橋を渡すため、全ての人に「おはようございます」
「おつかれさまでした」

人は、時に無愛想でも、それは瞬間の表情。
恐れるに足りずですが、他人に対して信頼感が醸成されないので
その一瞬におびえ、極端な礼儀作法で乗り切ろうとする。

たぶん、彼女はどこに行っても、極端な礼法で失敗するだろう。
そんなのは真心でもなく、対人不信の表れに過ぎない。

と、何を言っても理解できそうにない。

彼女は他人を信頼することができない。
そんな彼女には、是非とも自分自身を愛してもらいたい。
自分を慈しみ、自分を愛し、自分を応援し、自分から力をもらい、自分を信じる。
それに慣れたら、きっと少しだけでも他人を信頼できるのではないかと。


le 11 dimanche
//浮き沈み//本日も7時間作陶。最初の4時間超は全くダメ。形にならない。
ところが、残り2時間と少しでスラスラと造り出す。



造り出しても、家に戻れば、しまった。。。こうすれば良かったとか。
どんなに情熱を傾けても週末だけですから、
このやり残しやミスってのが大変に悔しい。

まあ、情熱の七割を制約される今の環境ってのは
悔しいのですが、これは長い目で見ると良いのかもしれない。

と、いうことで週末は両日とも陶芸に専念。朝から夕方まで。
でも、たまには外出する。
これが以前とは違って熟慮の上の価値ある外出。
そういう意味において、僕は時間を無駄にしなくなったと思う。

自由時間は平日の夜くらいしかないのだがスポーツサロンもあるし、
だから、ちっとも本も読めないし、勉強なんてする気さえ起らない。
睡魔は何にも増して最優先でやってくるし。


le 10 samedi
//東奔西走// 朝、4時間だけ作陶。
ところが、終日作陶できないソワソワ感からか、まったく集中力が無く小さな飯碗一個だけ。

と、申すのは、クラトコに行くソワソワ感。
作陶とは違った空間に身を置く、そわそわ感。

全くの快晴を、南に高速を飛ばす感覚も久しぶり。

さて、楽しみにしていた各種食べ物屋さんは売り切れ続出。。
この手のイベントで、一番の稼ぎは食べ物屋さんであることがはっきりしました。
食べ物飲み物には列をなして確固たる買う意思があると言うのに
本日の主役である手作業の各種商品はゆったりと見て回られる対象。

一枚の素敵なお皿を買いました。
作家の手作りですからね、百貨店価格です。
でも良いのだ。一枚のお皿から伝わるものが価格以上にあるので。



夜。久しぶりに会う仲の良い集まり。フルコースに舌鼓を打ち、
電気自動車で「大自然」を見に行く。
凄い賑わいで目にも眩しい大自然。

自分がジッとしていても、周りの環境が変われば
それは一つの変化を受容しなければならない。
大きく旅立ち変わろうとする人もいれば、
変化避けざる環境に身を置く人もいる。

僕はと言うと、ジッと構える超保守派ですが、
この集まりが、今後、当分、とても難易度の高いものになってしまう現実は
保守派であっても変化には関わると言うこと。


le 9 vendredi
//作戦会議// 明日、僕は朝から四時間だけ瀬戸に行く。
四時間の作陶のあと、高速を使い41分で半田インター。ほどなく常滑の大曽公園。
クラトコを見て回ります。

昔は、こういう世界観は、少し抵抗があった。
なんか独りよがりの集合体と言うか、その集合体が醸し出す雰囲気が、あまりに似たりよったり。手仕事を追求すると、そう単純ではないと思うのだが、若い作家が売れ筋を意識すると、似たり寄ったりなのかと。。。。

でも、それしかないと言うのなら、それでも良いと思う。
型で作ったものとか大量生産モノの「バラエティーに富んだ世界」が
手仕事の世界からすれば異常なのだ。

江戸時代。いや、もっと前。
京の市を覗いたとしよう。
規格品の無い世界であっても、
規格品ばかりの現代の多様な商品棚には足元にも及ばない単純があったのだと思う。

その単純世界の中の、歪みやにじみが
世界に一つだけの、まあ、どれもそうなのだが、規格品では表せれない多様な世界。


le 8 jeudi
//200円損したよ。//毎月8日と週末はドニチエコ切符発売日。買いましたがね。
そもそも定期圏外のヘアサロン。最低でも400円は使う。
今日行ったので、400円は使いました。
それから行ったん家に戻ると、意気消沈。
200円を消化するための再度の外出に億劫になって、
600円のドニチエコ切符、結局のところ400円しか使いませんでした。

思ったのだ。
200円の損を取り戻すため、無理して外出すればさらに金を使う。
200円の損を受け入れるのが、もっとも得なのだと。。。。。

明日、200円ケチれば、そもそもこの話は無かったことになる。

どれだけ小心者なのか、俺。


le 7 mercredi
//実は見えないらしい// 宇宙に輝く星。それが全てではない。と、いうと暗黒の星ばかりかと言えばそうではない。恒星の周りの惑星は、そう、例えば地球は太陽の恵みを受けている明るい星ですが、遠く宇宙から見ると恒星の光に圧倒され消えてしまう存在。

だから見える星が全てではない。

さて、やはり僕は風変わり。
それから妄想が膨らむ。

宇宙人。その姿形はありえない形状かもしれないし人間に似ているのかも。

僕は思う。
生命誕生には必要な元素の組み合わせがあり、
元はと言えば、それは宇宙空間に漂っていたもの。
その組み合わせから生命が生まれてくると言うのなら、
見えない星の宇宙人も、案外、人間と似たような進化を遂げたのではないかと。

ところが、その星は恒星の輝きにより隠れてしまう星。
太陽の恵みを受ける明るい星なのに認識されない星。

輪廻転生とかあるけれど、
もし似たような進化の歴史をあの星でもこの星でも辿ったとすれば、
魂は、そんな星の果ての無い移動の繰り返しだったりして。。。


le 6 mardi
//どえらい大切、平日の夜// こうも週末、陶芸に専念していると、まあ、楽しくて仕方ないし当分これが続きそうだから、僕はともすれば会社・睡眠・作陶の三色で一週間が終わってしまう。
読みたい本もあれば、買い物もしたいし、スポーツサロンに、美味しいコーヒーを、お食事を、、、いろんな誘惑もありますが、それらが陶芸を上回ることも無いので、結局のところ、平日の夜にどう活かすべきなのかです。

ところが、僕は部屋に入ると、ボケーーーーっとする。
あとで本を読もうと言い聞かせ、ボケーーーーっを優先させる。

寝る時間。


le 5 lundi
//旨いコーヒー屋探し// 読みたい本は大渋滞中な僕ですが、家にいると誘惑が多すぎる。
だから、一冊持ち運び、どこかのコーヒー屋さんでじっくり構えて読みたいものなのだが、
なかなか夜遅くまでやっている心地良い個性派のお店ってないのです。

願わくば、22:30ごろまで開いている
個性的で美味しいコーヒーを出してくれるお店がほしい。


le 4 dimanche
//富// 農業の富って、奇跡だと思う。
考えてみると、土を耕し肥を施し水をやり草をとる。収穫期の害獣を追い払い収穫。
手間暇かけた愛は、撒いた種の万倍。そう一粒万倍となって戻ってきて、自身の胃袋以上の収穫は、売り払い現金収入や他のものと交換される。

富は、何かしらの結実。

売ったこともなければ、そのつもりもないけれど
作陶していて不思議なのは、所定の費用を支払うと、
僕の目の前には、粘土と作業スペースが提供される。
ただ、それだけ。

まるで農作業の様に、粘土の塊に魂を注ぐと形になり、時に人に配っては喜ばれる。

全く飽きがきません。
こんなに熱中しても飽きないのは、
上手い下手は別として、打てば必ず響くのが面白くてやめられないのだと思う。


le 3 samedi
//作陶して仮眠してもう一度// 毎度のことですが朝から作陶。焼き上がりを持ちかえる。


そんでもって、仮眠して、再び瀬戸へ。


21:30に着いて、アーダのコーダの話し、1:00過ぎにお暇する。
この時間が何とも楽しかったのですが、寝ないと明日の作陶にも影響ありますから。
皆様ありがとうございました。


le 2 vendredi
//年末年始の正念場//9連休。この期間と時を同じくして陶芸もお休みなので、、、、さて、困った。と、陶芸中毒集まれば、そんな越冬のアレコレを語る。

僕はと言うと、エレガント・ウォーキングを三本以上は入れたい。
地方都市で過ごす休日も一つくらい。
大掃除もしなくては。

それからHPを大幅手直し。

そんで、年越しは鳴海。一年越しの秘密計画。


le 1er jeudi
//季節が深くなりました// 10月の初めは、まだ夏だと誰もが唸っていたのですが、さすがに11月となると冬と言う人はいなくとも、夏ももはや口にしません。

自由。自由は好きだ。だから誰かに束縛されるのを忌み嫌う。
でも、自身に自由が溢れるほどあるかと言えば、
週末の手ロクロ、その中だけ。

 
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