令和5年11月novembre.2023

le 30 jeudi 金曜日
//今に意味を見出せ//失敗が続き、俗に言う停滞期であったとしても、これには意味がある。失敗を目の前にして布団にもぐったり、ちゃぶ台ひっくり返す人は、そこまでの人でありましょうが、この失敗には深い意味があり私にとって全て良きことであると。

何処かに存在する突破口。これを潜った時、もう一段高い世界に入れると思うと日々の努力や工夫は有意義で楽しいものです。

11月も本日で終わり。愉しい日々でした。


le 29 mercredi 水曜日
//矢島&直樹//昨日のことですが、youtubeで矢島直樹さんの動画を見ました。始めて彼の存在を知り見たのですが、私、この方と何処かで親しくお話ししたような記憶があるのですが、どう考えても絶対にありえないのです。ですが、やはり何処かで親しくお話しした感覚がある、20-25年程前。何度も言いますが、絶対に接点はないのに、全く不思議な感覚です。

今日、放置してあるfacebook経由で中学時代の友人から連絡が来た。近況を尋ねられて陶芸家として生き始めたといったら驚いていました。世界の広がりは、知らぬ人の出会いもあれば20-30-40年と隔てても旧知の間柄から歩み出すこともありましょう。

明日は朝一番で窯出し。窯詰するものは施釉済みなので動きは早いです。焼き上がりを見て、次回窯詰用の施釉をします。

今、無性に座禅がしたい。瞑想がしたい。無になるというより、ここではない世界と語る感覚。私にとって、誰かと語るとは座禅での会話になってきます。と、言っても会話ではなく感覚的に交信があるような状態に置くだけです。こんなに孤独でありながら微塵たりとも寂しさを感じないのは、先に挙げた感覚の成立からくる絶対的な信頼の方が現世で右往左往するより、はるかに安堵するからです。
もう一度言いますが、粒子のような言葉での交信ではなく、波のような会話になっていませんが、互いの世界観の交信。とても精神的なものの書きようをしますが、座禅をする人の脳内って言い現わすと、誰でも似たり寄ったりだと思います。

要点を言えば、その先の世界を私はあると信じているから成立するのであって、そんなものはありもしないと考えるなら、それでおしまい。

この日記は20年以上も書き続けています。ここで私の死生観はじめ理論武装や思想を構築したのですが、今年は特に感じるのですが、youtubeや本で似たような記述を目にすることがあるのです。こういうものに接すると、私なりに考えてきたことも無駄ではなかったと思うし、同じ座禅をするにしても絶対的な意義を持って挑めるのは、我が人生で得た宝物であると思います。

ある種の強気みたいなものは、やはり魂の有り様を自分で考えてきたことです。どうして生まれたのか、死の意味するものを自分なりに思想として確立できてから、私は強くなりました。寂しく思う素因が無いのです。


le 28 mardi 火曜日
//失敗は語る//私にとって失敗は、現時点を教えてくれるもの。失敗を通して大いに語ってくれる。限られた時限において、今、プレート皿を集中的に作っています。その素焼きですが、前回は半分近く割れて、これはイカンと今回も大量に焼きましたが、また半分割れました。失敗は語る。プレートはこれまでにして、他を焼き上げよと。時改めて、同じことをしたら割れは無いと考えるのです。今、私の進むべき道はプレートと共に別にあって複数示してこそ拓かれると。

こう理解したので、焼き上がりも順調に行くでしょう。無駄なく進んで別なるものを取り組むために。


le 27 lundi 月曜日
//柿//私は柿が好きではありませんでした。小さい頃、友達のうちで出されたおやつの柿、お母さんも一緒で、一口食べたのですが、私には閉口する味。それでも子供心に美味しそうに食べなければならない、大人への試練。

さて我が家の柿の木は今年は大豊作。この2年ほど前から、熟れる前のシャキシャキした柿なら食べれることが分りました。今日も、陶芸仕事の合間に柿の木から一個もぎっておやつに。大きな柿を皮ごと丸かじり。糖度も高く、我が家の庭で良くここまで育ったと感心します。これを、一個食べると腹も持ちが良く、夕食までお腹を空かすこともありません。戦時中、柿の木は多くの国民の慰めになったのだろうと思います。

24日の日記にも書きましたが、某組織へ加入する手続きをしました。来年あたりから、横の繋がりが出来て、陶芸家ですと自己紹介する機会とかあるのかな??泡沫自称陶芸家ではなく誰もが認める陶芸家になるよう、今日も一日頑張りました。明日も楽しみです。


le 26 dimanche 日曜日
//焼き上がりを見て//この道を進もうと決心するのです。というより、この焼き上がりが新しき我が世界を導いてくれると、ここ数日のソワソワ感も消えてなくなり、変わって私に深い納得感を与えてくれるのです。

好きとか嫌いとか、そういう意味で他の陶芸家さんを見ることはありません。気になる陶芸作家さんをより深く見ることはありますが、平素、嫌悪する作家さんなどは幸い私にはいません。と、そんなことを言っても好き嫌いは強制されるものではないので、私が嫌いの対象になっていることも十分に考えられます。それでも良いのです。ただ、私がここではない別なる所に移動する感覚があって、昨日のlineの記録消失ではないけれど、動き始めたと感じるのです。もちろん、具体的なことは全く分かりません。言えることは、私の作品が私をあるべきところに導いてくれる。それを大いに感激し歓迎するだけ。


le 25 samedi 土曜日
//TORQUE G06//5年程使ったスマートフォンを買い換えました。前回もtoruqueでしたが、カメラの性能が格段に改良されていて驚くばかり。発信するのも大切な仕事になっていくので、良い画像映像は重き存在になっていきます。

lineの過去の会話記録とは全て消えてしまいました。読み返せば懐かしさも溢れるのでしょうが、なんだか人生の岐路というか、良い意味で身軽になれました。連絡等、引き続き変わりなく受け付けます。


le 24 vendredi 金曜日
//何かに属すること//今、全く何ものにも属していません。これは格好良い生き方とか強い独立心とか、全く関係ないですし、弊害もあると思っています。会社組織に属していなくても地域のボランティアに属するとか、何かしらに所属して社会と関わりを持つ事は良いことだと考えます。
そういう訳で、私も何かに参加しようと動きました。そこでの活動において、また新しい地平が開けること楽しみにしています。


le 23 jeudi 木曜日
//中勢バイパス//全線開通しました!!!自宅から新工房へ行く道で、一つ残念なことは三重県随一の幹線道路なので全工程の99.8%に田舎の風情がない。これが足助方面だと、まもなく緑の中を走るというのに、ひたすら23号線を南下し、途中で西に進む。その西のみに田舎の風情があるのです。ですが、中勢バイパスだとほどなく緑の中を運転。これで全体の50%は田舎の風情になります。

//この度、畏き辺りにおかせられては大詔を煥発あらせられ//煥発。 特別に重き思いを添えて奮い起こすかのような重大なる発表をすること。上記のものの言い様は、戦前、天皇陛下が何かしらを御示しになられたことに対するNHKのアナウンサーの伝え方。

煥発。自分の内心でも、例えば「もう二度と遅刻をしない!!」と心に刻むような、あの精神の激烈なる宣言は、煥発と言っても差支えが無いと思うのです。そういう煥発は別に躊躇うことも気にすることも無用だと思うのです。今日という日を、今を一生懸命に生きると、その都度激烈に決心することは、大いにすべきだと思う。
 まだ心がそわそわする。どんな境地でも受けて立つ意気込み、やり抜く意気込み、そういう不退転の精神をまだ心に構築できていない。上辺だけでなく、表も裏も関係なく純真に思う。昼夜を問わず、目覚めの喜びから就寝の喜びに至るまで、内心に腐った要素を排撃して、純真な気持ちで大いに奮い立つ。日々、都度、煥発していこうと思う。


le 22 mercredi 水曜日
//あの時、私は敗退した//今から思うと、どうしてあの時勇気を選ばなかったのだろうと後悔することがある。あの時、選択一つで私はもう一回り強くなれたのに弱きを選んだ。

これは私の肝臓がん騒動で明日結果を聞くという前日の夜。それまでは考えても無駄な事だから、とにかく今を一生懸命生きるべきだと平生と変わらぬ生活をしていました。その辺りは私の誇りなのですが全体を通して弱音一つ吐かないでと言いたい所なのに、一つ吐いてしまった。乗り越えることが出来なかったので、おそらく今後の私に、強くなるための試練がやってくると思っています。

//残念ではあるが//本日、電気自動車の電池性能が一段階劣化したのと表示が。12点満点なところ、前に11点となり今日からは10点。でも、ショックなことがこの程度だと思うと守られているようで幸せです。

漠然とした不安を感じる時があります。不安というより歯車の合っていない感覚。今がそう。
これは何かの不調和を教えてくれる信号のはず。見過ごすことをしたら、結末に衝撃を受けるだけ。と言っても不調和の正体が分からない。こういう場合は二時間でも三時間でも座禅を瞑想をするべきなのでしょう。私という存在を本来あるべきところに、それが調和なのでしょうが、座禅を通して不調和が消えるまで精神を澄まし強くせねばと思います。

これは前にも言いましたが何かに属する生き方をやめたので上司が組織がどうだの関係がありません。全ては私。でも、私を私のみとして見つめたなら、これは心細い。やはり人生には哲学とか宗教観、死生観は必要ですね。
何故生まれたのか。何故生きているのか。死ぬ意味とは。
そういう哲学的な観念はこの日記で何度も書きましたが、その思いが薄くならないためにその都度書き起こしたりもしています。そういう時、私はとても強い気持ちになる。我が魂とこれに通じ合うものの関係。仕組みが心に描けるとき、ああ、この道を歩めば良いのだと完全な安心感が湧き上がる。

おそらく、私の陶芸環境というか今の世界の陶芸の枠組みというか陶芸を通して見える世界がまもなく変わるのでしょう。だから心にある種の不調和を感じるのですが、忌み嫌うことではないし、これこそ待ち望んでいた世界の扉なのだろう。私はもっと広く高く俯瞰して、その扉を開く前と後を含めた広い物語を歓喜して受け止める、そういう魂の道を理路整然と鮮やかに喜びをもって描くようにして、万全の受け入れ態勢を整えなくてなならない。そういう時期の到来なので、ソワソワしているのだろう。


le 21 mardi 火曜日
//感謝する心//最近、感謝する心に欠けているように思う。制作している時に、否定的な彼是を思い浮かべて時が過ぎる。いかんいかんと思っても、気付いたらその続きを考えている。全ての事には意味がある。それら全ては意味あって私に現れているのだから、解釈すれば良きことで収まる。なのに、そこまで思考が及ばない。何故なんだと考えていたのですが、それは今日も生かされていることへの感謝の気持ち、思いを巡らす全ての事象への感謝の気持ちが足りていなかったり上辺だけのものであったり。

つまり、沸々と湧き上がる嫌なシーンってのは、一種の警告で、「感謝が足りていませんよ!」と教え諭しているのだと。それに気が付けば、全ては意味あることで感謝の枠の中。繁栄の意味をこめて本日は深い感謝の瞑想をします。

//信州お野菜特別便//有難きお野菜の数々、今回もありがとうございました。明日の朝、母上に色々と説明するのが楽しみです。あの可愛い蕪を、なんとしてもお漬物にして美味しく食べたい。


le 20 mardi 月曜日
//有難い勘違い//どのみち時間が足りなくなることは必至ですが、何故だか12月の出店を一週間前倒しして全力で頑張っていました。ここにきて一週間プラスされたわけですが、余暇時間が増えたわけではないので、当日まで全力で。

もう何度も書いていますが、私の内には陶芸家の魂があると。そうでも考えないと、始めて体験してから一か月もしないうちに豹変した説明が付かないからです。(その中の一人は)勝手に時同じく東日本大震災で志半ばで亡くなられた陶芸家さんの意思を継いでいると思っているのですが、こればかりは分らずじまいでしょうが確実に言えることは、私の意思では出来ない芸当を毎日実践している。言い換えれば私が差し出しているのはこの肉体のみで、閃きを含め全ては共同作品。
 この確信があるなら、現世の他の作家のことなんて全く気にする必要もないと。鋭敏にするのは陶芸界の傾向とかではなく、我が共同作業の相手方との意思疎通。多くの陶芸家さんも言いますが土が語るとの例え。これは、この先どうするべきかを先方(土)のほうから指し示すこと。実際、良くあることで、始めてから一か月以内にはその声がして、以来絶えることなく、どうすべきかは先方が答えてくれる。人は土の声と言いますが、私は共同作業。複数の魂というか意思の力が私に入って教えてくれること。


le 19 dimanche 日曜日
//何を味方とするのか?//敵や味方の話ではありません。瀬戸時代も去って私に教えてくれる人もいない。それは何かに属するという立場を取っていないので全ては私一人で彼是と。でも別なる選択をしている人は、新しい仲間・同僚・上司など行動に制約は生まれても、引き続き教えてもらえる環境です。私が進歩する時は閃きや失敗の改善からであって、別なる人の体験から何かを得る機会がもうないのです。

そういう孤軍な私であるので、何を味方にするのかというと、本であり座禅や瞑想になってくる。
だから、その方面を徹底的に深く大きく日々真剣に取り組んでいかなければと。どれだけ考えても、これしかないと思うのですが、それに気が付いたことには救われます。
もし、私に読書と座禅・瞑想を奪ってしまえば、、全く薄っぺらい存在ですもの。

それと私はしばしば瀬戸時代の事を書いていますが、別なる選択をした人は、そこでの新しい展開に毎日輝きをもって接しているでしょうし、考えることも、その辺りなのでしょう。この日記も4-5日ほど瀬戸時代特集みたいなものですが、そんな思考の後ろ向き加減は私だけかも知れません。

決めました。瀬戸で生活するわけでもあるまいし、思いを巡らすは、世界へ日本の隅々へ。昨日発見のガラス作家さんのように、私の知らない美を放つ人との出会いに心は弾ませて。


le 18 samedi 土曜日
//素敵な作家さん//本日発見のガラス作家さんなのですが、その作品に見入るばかりです。当分、私の関心はこの作家さんに集中しそうです。手作りで優美で繊細でデザインも多様。

本日は北風が強く寒い一日でした。施釉して本焼き。粘土の再生と制作。明日は制作のみの日曜日になりますが、ガラス作家さんに影響を受けたのでしょうね、一点モノの価値ある作風に焦点を合わせて。


le 17 vendredi 金曜日
//真似しないために//瀬戸時代の事を書いていたら思い出したので続き。皆が皆、それぞれにデザインして作っていくのですが、一人だけその方面の努力はせず、世の中の誰かの作品を贋作のように真似るだけ、それも全てに徹底している人がいました。そういう作風は見苦しいなあと思ったのですが、私にも冷や汗のでる体験が。

いつでも金彩・銀彩が出来るように、その準備は出来ています。ただ高価なものなので、その時ばかりは事前にデザインを。ところが、これがある作家さんとそっくり。もちろん出来栄えは雲泥の差があるのでしょうが、これを発表したら、これに気付いたら真似しやがって!!!!と怒るでしょう。法律的に違反かどうかは悪意が無いのでセーフなのかもしれませんが、焦りました。そして、その作家さんを詳しく見ると、多くある作品群の内で、今あげた、真似しやがって!!!と言われかねないものが数点。釉薬や土が違えば風合は変わるでしょうがデザインがそっくりでは、その意志がなくてもルール違反だと思うので、それ以来、真似しない参考のために何度も覗いています。このような定点観測的な作家さんは数人います。

ところが書いていて思うのが、真似しないために意識すると、無意識のうちに真似てしまうのでは??と禅問答のような問題が。上に挙げた数人の作家さんは、そんなことは考えないで私が考えたのだから私のオリジナルと脇目も触れず邁進しているかと思うのです。結果的に似たものを作ってしまうのはお互い様と、悪意が無ければ意匠権を取得していなければ黙認するのが紳士協定の世界なのかもしれません。

特に講義を受けたり尊敬する作家さんにその様な傾向が強くなります。これと似たことは漆芸の世界でも聞いたことがあります。


それにしても今日は寒かった。火鉢初日になります。それと寒さのせいか、このpcなかなか開いてくれず壊れたかと。暑さでダメになることは聞くのですが寒さでもあるのかな?それとも急激な温度変化??


le 16 jeudi 木曜日
//活動的な木曜日//朝の窯出しはイマイチでした。これにより良品を作ることが最優先となり今週末の出店を期日変更してもらいました。それから役所とauショップとネットからは二件未知なる世界の申し込み手続き。

瀬戸時代はこの三月に終了しました。1名脱落して10名卒業。
うち二名が全く関係ない業種に就職。一名が釉薬屋さんで三年間の弟子入り。一名が瀬戸で窯業関係に就職。2名が瀬戸市が運営する陶芸の養成機関に進学。一名が信楽に行き製陶所で働きながら自分の工房でも活動。一名が私。そして一人だけソビエトのような秘密主義で全く進路が分らなかったのですが、県芸に、どういう立場なのか不明ですが進学して引き続き陶芸の勉強を。

私は嬉しい。11名のうち三名は別なる選択をしましたが、残り8名がそれぞれに思う歩幅と方向で陶芸に従事し、今後は幹から分れた枝のようにそれぞれに素敵な作品を作り出していくのだろうと、その内の一人が私であると思うと、本当に嬉しくて感謝の気持ちしかありません。

芸術は爆発だ!!とは名言です。ほんとうに内なる創作の思いが溢れ出し、新工房が動き出せば、この思いを形にしたい。


le 15 mercredi 水曜日
//一週間前は//8日の水曜日。全く時間が足りないので、せめて一週間でも昔に戻れたら。
明日は朝一番で釉薬を濾す作業。それから窯出しで窯詰。このあと役所に行ってauショップにも行けれたら満点です。

今朝方は変な夢を見た。とても鮮明で。
ある漁師町で妻が旦那の漁に関わる資格の勉強を手伝っている。それを上空から見ていたのですが、次の瞬間には私もそこに居てちゃぶ台の上の子供の宿題ノートを見る。印刷されたかのような美しい筆記体。この娘の宿題を解いてほしいと母から頼まれる。この次に娘には問題があると認識。さらに次のシーンでは、その娘が全く攻撃的な言葉を浴びせながら、私たちの居る部屋に来て、何故だか布団が敷いてあり、その中でふて寝をする。

この次に、私は全く几帳面に書かれている文字から娘の心を分析して、かなり親身に心の闇を取り除こうとしていました。人の道を外してはダメだけど、もっと脱線して生活しても良いと。etc
夢の終わりでは、私が、そろそろお暇する。私も陶芸家として活躍する世界の戻るため。そして最後にもう一度、娘に今後のアドバイスを。

夢って不思議ですね。見ている間は、全く違和感を感じません。現実に戻ってから、辻褄が合わないとか飛躍しすぎとか言うのだけれど、見ている間は「現実」です。そうそう、この夢では、私が、この問題に関わりすぎると自分の世界に戻れなくなると、ある種の危険も感じて、そろそろ戻らなくてはならないと言った次第。

なんだか寝ている間に一仕事してきたかのようです。

もし、次元の違う世界が現実としてあり、夢で見たその世界もあるところにはあるとしたら、その娘さんには笑顔になってもらって扉の向こうの世界の豊かな味わいを経験して素敵な人生を歩んでほしいと、夢で言った言葉を、ここにも残しておきますね。


le 14 mardi 火曜日
//お気に入り//


例えが飛躍していますが、私の作品もこんな感じでありたい。
エレガンスで官能的で颯爽とした佇まい。


le 13 lundi 月曜日
//作戦//本日も朝から晩まで。明日は10時前には窯出しが出来る。14時には本焼きを行いたいので、この間は必至の施釉になります。この本焼きのあとに素焼を一回。よって窯出しまでは増産体制になります。

寒くなりました。窯の放熱を利用しての乾燥となります。新工房では作業部屋の横に窯場を。冬場は暖房利用で問題ないのですが、夏場はどのくらい熱波が到来するのやら。風の通り道はあるのですが、実際はその時にならないと分りません。


le 12 dimanche 日曜日
//乾燥//冬は湿度もなく乾燥注意報も出るのですが、こと陶芸で言うと、気温の低下により粘土の感想が進まなくなる。いくら空気が乾燥しても寒くては粘土内の水分が蒸発しにくい。そういう現象がチラホラと出てきました。

本日、顕微鏡が届きました。双眼鏡のように覗き込むのではなく7インチの画面にてミクロの世界を垣間見る現代の顕微鏡。これで釉薬のさらなる研究に用いようかと思うのです。

明日、朝一番に二度目の素焼き。これがおわったら制作かな。火曜日に窯出しで三度目の素焼きにするか本焼きか、この辺りで迷うところ。


le 11 samedi 土曜日
//失敗⇒改良//本日は朝から晩まで作陶。香炉の脚に関して改良を施しました。
今現在、私の持っている窯は小型です。今後、新しいのを買うにせよ工場で使う大型の窯は無理なので、知れていると言えば知れている。そんな中、誰よりも秀でるとしたら、細工物と釉薬の研究になるだろう。この二つは窯の大きさは関係ない。

陶芸にとって釉薬の存在は大きい。この分野で圧倒的な立ち位置に立つことは窯の大きさに関係なく可能であるから、私は今後もその方面を注力しなければと思う。


le 10 vendredi 金曜日
//大安息日//久しぶりに全く陶芸をしない休日を設けました。朝からしたことと言えば散髪しただけ。それでも夜になるのだから、私は何していたのだろう。


答えは、一日中、この釉薬の発色を見ていました。私の新しい釉薬になりますが、すっかり惚れ込んだというわけ。因みにお香立てになります。

//ありがとう 感謝の気持ち//それも心からの。これを忘れず日々生活しているか??今ある全てが感謝の対象で、今日も生きていることに心から感謝しているか? 当たり前すぎて何も思わないのなら私もそこまでの人間なのだろうと考えると、運命の基礎基本が自分の足元にあるのであって、ある意味恐ろしいことです。私という存在に喜びを持ち続け、だからこそ、この存在は感謝たるものであるという我が細胞までもを愛おしむ気持ち。それが前提にあっての一日の活動。


le 9 jeudi 木曜日
//営業//私のことを全く知らない環境において、私の作品を道端に置くという商行為をすると、6時間程度で1万円売れるとする。そういう統計が出てくると、作品自体に非の無いことが分ってくる。考えるべきは販路であり、それは営業力。もし私がコンビで活動をし、もう一方が営業のプロなら結果は全く違ってくる。桁の違う売り上げになってくると思う。そう思うと営業力と言うのがどれだけ重要なのか分ります。良い品を作れば道は開けると、それだけに固執していると径の小さな導管を全てだと思ってしまう。しかし答えは別で作品の持つ力は販路さえあれば花開く待機状態なのだから、作ることと売ることどちらも疎かにしない努力が必要になってきます。

でも、私は一人で活動している。利益総取りに軸足を置けば径の小さな導管。販路という意味において第三者を介在させ利益の相応は彼のものと割り切れば、取りこぼしは多いけれど小さな導管よりも豊かな生活が出来る。繁栄とは分け合ってこそ享受できるものなのでしょう。「私が作ったものなのに、なんで!!」という狭い了見では豊かさも繫栄も私を素通りする。


le 8 mercredi 水曜日
//頑張りました//久々に朝から晩まで作り続けました。あすは、朝から若干の続きで、それから棚板の大掃除にします。
最近、休憩時間に座禅を取り入れています。座禅の時間を設けるのではなく休憩時間に見出す。


le 7 mardi 火曜日
//作る喜び//久しぶりに轆轤を回す。この時間は本当に好きで朝から晩まで没頭していました。
早く素焼き窯を稼動させ新しい作品を生み出していきたい。

前職の頃も瀬戸時代も私は饒舌でした。ところが今ではその様な環境ではないものの全く寂しいとか話したりないとかの感覚もない。頭の中で日々創意工夫しているので自問自答が尽きないところが大きな要因でしょう。


le 6 lundi 月曜日
//そうそう//この週末にlineが一通。前職の上司に当たる方から。何だろうと思いましたが、お隣りの社長さんが亡くなられたと教えてくれました。人の一生は分からないものです。定年退職して一か月もしないうちにガンで亡くなった方もいました。その先は全く分からないと思うと、答えは一つになります。その日その日を一生懸命に生きるかどうか。我が生命に与えられた時間が実のところとても貴重な存在だと思うとき、怠惰や忌避など選択の余地は必然と消えます。

私も未だに前職の夢を見ますとは返信しませんでしたが、元上司含め皆さんお元気であろうか??今日は月曜日三連休明け、忙しいのだろうと思い浮かべるのでした。


le 5 dimanche 日曜日
//暑い二日間//Tシャツ一枚で過ごしました。全く日本も亜熱帯になったかのような11月です。楽しい二日間でした。多くの陶芸作家さんも参加されていて、彼らの作品を見るのは楽しいことです。
そうそう、土曜日、ある叔父さんがお客の体で私の所に。その話しぶり聞きぶりで同業者であるとすぐに分かりましたが、日曜日に彼が出店しているところを見た時は心の中で笑ったものです。
でも、良い傾向です。彼が技術的なことを盛んに聞き出そうとしてきたのは、私の作品に何か感じるものがあったからでしょう。

心を込めて作り出店する。あとは天に任せることにします。私の考えでは及ばない御縁を八方から寄せてくれると、この二日間、ニコニコしながら立っていました。


le 4 samedi 土曜日
//飯田初日//もう何年か前、まだ前職の頃、飯田のクラフトフェアに出店している友人を訪ねたことがあります。その時、心から、私も同じことをしてみたいと強烈に思い、また願ったものでした。本日は、その時の思いを叶えた形となります。

明日も出店なので飯田泊。飲みに出歩けないのが観光と違うところですが、私も逞しくなったというか、昔は敷かれたレールを進むだけでしたが、今は自分で取捨選択し、どう生きるか判断しながらの毎日です。


le 3 vendredi 金曜日
//11月の蚊//永く日記を書いていると、11月に今年最後の蚊が弱々しく私に近づき、叩くことを見送った、そんな日記を書いたこともありますが、昨晩も今日も寝ても起きても蚊はぶんぶん飛んでいる。全く生き生きとして叩こうとする私を相変わらずかわすのです。


le 2 jeudi 木曜日
//ズレた//天気予報を見ると雨の心配も無くなり、ある種の楽しみは消えましたが安堵はしています。今週は制作は控えました。来週から、大規模に作りまくります。


le 1er mercredi 水曜日
//納める//初めて依頼された品を先方にお届けし、そのなかから4点お買い上げくださった。全く持ってありがたいことです。帰り古書店を5軒覗きまして三冊買う。うち1冊武者小路実篤著『牟禮随筆』がとても良い感じ。

 
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