octobre.2008


le 31 vendredi
//消したい日記// ↓ でも、別な自分は、こんな考えなんてしていないのです。うまく事が運び成就できたらって。 結局、訳分からないが結論。
恥ずかしいけれど、書いた日記は消さないことにしている。
そりゃ、もうお粗末な内容は沢山あるけれど、当時は案外真面目に思っていたり。それは記録として自分には少しくらい価値はあるのかと。

le 30 jeudi
//全くないの??// では性的な欲情は無いのか!と問われれば、そんなことはありません。愛に関しては、かなり偏屈した持ち主なので、性愛も変なのでしょう。それがどういうのかは言いませんが、変だと思います。


たまに思う光景は、早朝には、ビーナスラインに車を停めて、霧たち登る紅葉の山ろくを愛でながら、一人静かにコーヒーを飲む私。

愛する人が居たとするのなら、それはそれで良い話なのでしょうが、
そのための段取りとかは全然考えもしない。

ただただ、冷たい高原の朝に、一人美味しいコーヒーを飲みたいだけ。

le 29 mercredi
//悪事を働かない// それはもちろんのこと、水に溺れている虫がいたとするのなら助けてあげる。   私を救ってくれる唯一の方法は悪事を働かない。他に何を信じればよいのでしょう。愛に挑戦しては勝手に逃げたり。せめて老人には席を譲り、溺れる虫は助けてあげないと。

傷つかなければ傷つけもしない。そして時おり良いことをする。
一人で過ごすのって、誰にも迷惑をかけない。

そこに寂しいから誰かそばに居てほしいと思うと、自分が嫌になる。
なんて打算的で独善なのでしょう。

le 28 mardi
//そもそも、、//愛の最高形態は結婚で子供を生み育てる流れ。
産まれてくる子供にとって、それは愛の結晶だと理解する日も来るでしょう。
そこに夫婦愛が問いかけるのです。
愛の結晶として産まれた私の両親の姿は、互いに敵対しあっている。
どう合理化すればよいのでしょう。
未だに答えが出てきません。
ただ、愛が馬鹿らしく、結婚があほらしく。

それは私が裁判官になる日々でした。
不和の原因は相手方にある。いかに相手方が不当かと目の前で訴えかけられた日々。もう、すっかり大人になった夜でも涙を流す日々でした。
訳が分からずベッドの中で鳴いていて救いを求めたとき、ある考えが浮かび、僕は解放されました。
「私の苦しみは、私が結婚しない現実が到来したときに理解してもらう」
流す涙もぴたりと止まりました。

相変わらず裁判官になる日々でしたが、あの時の、「この不当を私は未婚で訴える」解決策が私を救ってくれまして、以前ほど混乱する日も少なくなり強くなった思いがしたのです。

そして、そんな日が来ました。
どうして結婚しないのかという度重なる問いに答えたのです。
それ以来、一切の夫婦喧嘩は僕の前から消え去り、本当に心穏やかな日々になったのですが、一方で腹立たしくもある。
私が身を持って訴えて、初めて我に返るなんて。

それはあまりに長い日々でした。
物心付いたときから、31歳まで。今更、この恐怖感と馬鹿らしさなんて消えはしないと冷笑するのです。

今、36歳。
あの夜の奇妙な決意を覆せるのも今で最後だと思っているのです。
ただ、やはり僕にとって愛は、とても怪しげな存在。
そんな怪しく輪郭のはっきりしないものに、自分の人生の相当な時間を与えても良いのかと疑問に思う。

世の中には、恋の歌が腐るほどあるのが不思議で仕方ない。
恋愛って、そんなに人の身近にあるものなのでしょうか。

le 27 lundi
//老いた姿// そういう想像をすると、結婚とかも考えればよかったと思う。しかし、間髪入れず、自己の都合で結婚を考える自分が嫌になる。なんて独善で不純なのでしょうかと。

そもそも人を好きになる理由が良く分からない。人を愛することは高尚であるべきだと思っている。  快楽の安定的な供給相手とか、食事家事などの世話係、老後の介護職員、、、、そういう節が少しでも見え隠れするスタートなら、嫌だな〜〜と思うのだけれど、そういう節の存在しない愛ってなんなの??

老人に席を譲るのは「愛」
そこに性愛はまったく存在しない。
それは健全な愛。

性愛の欲情が見え隠れする愛なんてのは、不純なんです。慰安婦。寂しいときのお慰め。

俗に言う愛を不善としたなら、なんて無味乾燥で寂しい日々が続くのでしょう。寂しい日々が愛のある日々とは思えない。
よって健全な愛を求めていたら、私は枯れる。

何が言いたいのでしょう。
今週は、僕のまとまりきらない愛への思考。

le 26 dimanche
//頭おかしいと思う//  ←不愉快ゆえ、クリックには注意。
アメリカでも忘れたい過去なのに。。。。。。不愉快千万。
これがベトナム人に知られるのも近いでしょう。
失うものの大きさは、どうやら全く考慮に入れていないようです。
正常ではないですよ。
よって、彼らの発言は聞くに値せずです。同じ人間には思えない。

一部過激派の行動かと思いきや、出席者の面々。
これで日本の過去を執拗に主張するのですから、彼らの目的が平和とは無関係の金銭そのものと蔑まされても反論はできませんね。

le 25 samedi

//健全な分野//が効率的になると、健全な分野に従事する者も少なくなり、不健全な分野が肥大化する。   健全な分野の一部を他国が肩代わりしたとしたら、国内の健全な分野に従事するものは減少する。結局、不健全な分野が肥大化する。

某雑居ビルを観察すると入居と転居の繰り返し。扱う商売も消費者として警戒したくなるような、一攫千金狙いなものetc
そのような商売が昔に比べて遥かに拡大していると思うのですが、その理由を考えてみたのが、↑。

働く姿は一様に尊いものだと信じたいのですが、人を騙す商売は、そのカテゴリーには属しません。



今週は疲れた。こうやって曇天の土曜日を家で静かに過ごすのも好きな時間です。

le 24 vendredi
//勤労は農耕// マンモスを追って、肉の塊を得る。そんな狩猟的勤労ではないと思う。日本の働く姿は。
コツコツ真面目に。それは枯らさないために水遣りを欠かさないのと同じ。

//勤労は初めての自転車// 人間の成長の段階で、自転車を乗る「時期」ってのがあると思います。その時、自転車に乗ることを回避した者に、後々乗ることは相当の困難。おそらく避けて人生を終えるでしょう。

働くことも同じだと思う。

働く【癖】をつける時期というのは存在していて、それを逃した者が、後々働くことに挑戦するとき、思った以上の試練で投げ出す確率は高いでしょう。

勤労に真面目ではなく、小銭を稼いでは遊ぶ繰り返しの者。
不景気になったし、小銭を稼ぐ機会も減ったので、そろそろ真面目になろうか!と思っても、時既に遅しと思うのです。

//勤労は報う// 勤労を馬鹿にする者。汗まみれになって働く者を冷笑する人の末路は、総じて哀れでした。 真面目に働く者が、報われない姿を僕は見たことがありません。 その転機を待たずして匙を投げる人の実に多いことか。

勤労は実に恐ろしく、馬鹿にする者にも、汗を流す人にも総じて答えを出してくれる。無視することは無い。



働くことに不誠実な者に対して、いづれ首切りは避けて通れないでしょう。思うに、人生は寓話的で、雇用側は寛容に接し、時に耐え、彼が変わるのを期待していたにもかかわらず、その愛情を無視して相変わらず不誠実。結局、最悪の事態は訪れるのですが、それは彼の人生の歯車からも「最悪の章」の中に放り出されるのでしょう。  つまり、首を切られたあとも、さっぱり良い話がない。二連続の打撃。そう思うのは、切る側が耐え忍んだ時期のズレがあると思うからです。

好況の時に首を切られたなら、再起も簡単ですが、待っていたズレが、彼をさらに苦しめると思うのです。


と、書いたのは、物凄く不誠実な人が居たのです。それは遥か昔に前任者が始末するべきでしたが、彼は黙認していました。 そして今の当事者も、彼が変わることを真に期待していましたが、不誠実な態度は相変わらず。協議の結果、始末することに成ったのですが、今の社会状況は、彼の味方ではない。

le 23 jeudi
//私は悲観主義者か、、、// 日記を書いていても、寝るときの勝手な妄想も、例えば自給自足を迫られたなら何を栽培するとか!?とか、この不景気の果ての姿とかを考えてしまいます。

前にも書きましたが、世界が同時に不況なので、好況の国にあやかる逃げ道がありません。グローバル化で、世界が好況のころはダイナミックに利益を生み出していたのに、今やその逆で世界は一斉に停電。

そのような不安材料は新聞紙上で毎日載っています。
これが実体経済として、さらなる閉塞感をもたらすのは、来年の1月初旬辺りでしょうか。

たぶん、街に浮浪者の姿は以前より多く目にするでしょう。

抗生物質の効かない流感のようで、自然治癒を待つ長い回復の道のり。
今回の不景気は悪性で長く続くと思います。

まもなくアメリカの大統領も変わりますが、現・二代目は米国史上最悪の大統領として長く語り継がれることでしょう。


前の不景気を目の当たりに見た感想ですが、2年働かなくても生活できる蓄えは必要だと思います。それはNHKとか見た感想です。
大不況と呼ばれても永遠には続かない。いづれ回復します。
その時、住所不定に転落した者に、救いの窓口は驚くほど少ない。ほぼ皆無と思っています。  とにかく二年間は働かずにも生活できる蓄えが必要です。
もちろん、日本には社会保障がありますが、この恩恵を受ける期間を含んで二年間。  それが僕の感想です。

le 22 mercredi
//週末の予定が決まった// 寝ます。 明日はこの忙しさも少しは緩和しているのでしょうか。 もぐら叩きゲームではありませんが、問題を処理しては、アッチからこんにちは。そこを解決したら、こっちからバァー。  この繰り返し。モウイヤ!


社会保障。会社の体力。世の中の景気。学歴。年齢。職歴。

不景気に伴う人員整理は、まず派遣の首切りから始まりました。
これは失業率の上昇という数字に後日あわられます。
毎月、上がり続ける失業率に社会の雰囲気は防御的になるでしょう。

空を飛ぶ鳥からすれば、日本の国土に一遍の変わりも無いのに、心境は激変です。

以前の日記に、定年するまで、あと2-3回は不景気が来ると書きましたが、こうも早く到来するとは、、、、困惑します。

つい先日、NHKスペシャルでワーキング・プアの特集を見たと思ったら、世の中が救い出す以前に不景気になるなんて。

僕が思うに、愛知県や一部の地域は、前の大不況から脱出して、別の時代を経験して、新しい不景気に挑むわけですが、日本の多くの地域や、多くの人にとっては、前の大不況が終わることなく今も続いているのでしょう。

le 21 mardi
//年末まで忙しいのでしょうか。。。// 驚くほど忙しすぎて、あっという間に一日が終わりました。  今週末は休養に当てましょう。


そういえば大昔、NHK-BSで世界のニュースを録画していました。たしか韓国KBSのテープもあったはず。その頃、韓国はIMFの管理下に置かれ、金の供出運動を連日報道していました。  ドルの低下以上に韓国wonの価値が下がる不思議。この流れの行く先はどこでしよう。


//小さなお祭り// なかなか遭遇するのは難しいけれど、山村の集落の神社の秋祭り。それを写真に収めたい。 ワンボックスの車なら、そこを宿に歩いて参加して、お酒でも飲めるのですが。

le 20 lundi
//忙しすぎて良しとしましょう// 一日があっという間に終わりました。この調子で五日間頑張ったら、瞬く間に週末です。


下栗の里では、山のキノコを買いました。
キノコの知識は欲しいのだけれど、甘い知識だと致命傷になるし。
鑑定士さんに脱帽するのは、よくもまあ、似たような姿かたちで毒の有り無しが判別できるものだと。

le 19 dimanche
//また行きました// 今回は某マイミクさんをご招待。
今年何度目でしょうか。見事なまでの秋の青空。




下栗の里は、上から下まで歩いて、また戻る。結構な運動量。

その後、天龍村にある愛して止まない中井侍集落へ。

こちらも上から下まで歩いてまた戻る。

斜面集落を歩いたほかは、ほとんどが移動。そして食事。

ご招待する度に不便なのが、グリーンロード八草インターを出てから名古屋駅まで一時間以上かかる。このルートでご案内するときは、リニモや東山線で解散していますが、、、、グリーンロードと名古屋高速が一本で繋がっていたら便利なのですがね。

le 18 samedi
//破綻学// 不況の時は、不況から脱出する策を国家国民挙げて考える。景気には浮き沈みが必然で、好況もやがて破綻する。

その好況が爆発的なら、破綻も暴落の一途でしょう。
足元の好況の行く末の破綻を、やはり国家なり常設の機関は常に考えておくべきではないのでしょうか?

好況は必ず終焉する。その終焉の姿を描き出し、事前に対策を練る。
それは現政府を否定するような存在ですが、
例えば、破綻学という学問が確立していて、
政府の経済政策の破綻を前提に対策を練る政府機関があっても良いと思う。

小泉改革を進める一方で、政府内に小泉改革の破綻を描き出し対策を練る常設の機関。
新自由主義を進める政府内に、新自由主義が破綻した場合の対策を練る政府機関。

常に、進める政策の破綻の姿を描き出し対策を考える。

le 17 vendredi
//大不況の愉しみ// ガソリンが上がり続けた数ヶ月前、車に頼らない週末の愉しみを考えたものです。 そういう頭の体操は好きです。

さて、ガソリン価格は下落しても、今度はボーナスが少なくなったり社会全体を覆う閉塞感に見舞われ、散在しない余暇の追求が必要になるのかもしれません。

無料もしくは格安で泊まれるキャンプ場の開拓。
絵画や楽器などの愉しみ。
持っているもを活用する愉しみ。ステレオとか。
ウォーキングのコースを多様化しての愉しみ。


実は、そういう楽しみは好不況に関わりなく備えておくべきなのでしょう。
一つ、興味があるのは彫像。
全くの初心者ですが、精魂こめて仏像を彫ってみる。
ややや、ご利益が舞い込み、不況なんか全く関係なかったりして。

le 16 jeudi
//世界は同じ天気// グローバル化は言葉だけだと思っていましたが、まったく恐ろしいことになりました。 僕が入社した頃、日本は長期の大不況。
しかし、今ほどグローバル化は進んでおらず、隣の大国・中国の好況が日本を救ってくれました。  それ以前も、アメリカなりイギリスなり、世界のどこかは不恐怖でも日本とかが豊かで、それにあやかる逃げ道も存在していました。

ところが、只今、全世界が不況に突入しています。例えるなら、世界が同じ天気で、台風の被害に見舞われる状況。

まもなく訪れる不況は、相当に厳しいものになると思います。
不幸にも、日本は内需を疎かにする構造。つまり派遣社員とか、自動車製造に関わっていても自動車が買えない日本国民の大量発生。

以前、80年代、アメリカが長い不況に陥っても、日本は旺盛な内需で豊かでした。90年代、日本が不況に入っても中国やアメリカとの取引があれば会社は存続できました。

全てが不況に入る新しい世界。
これが好況ならダイナミックなのですが、反転すると暗黒です。

これからの世界を占うなら、この反省は世界をブロック経済化するのかもしれません。EUはEUの利益を最大限にかなえるために時に排他的になるでしょう。アメリカも南北の流れに目を向けるかもしれません。

le 15 mercredi
//惚れる// 欠点を恐怖に思えば切がないし、それが故に次の行動にも出せない。そんな欠点は僕にもあるし、他の誰かさんにもあるかもしれない。

ただ、欠点を上回る良い視点があれば、不安共々消し去るでしょう。
惚れるってことでしょうか。

その人に惚れてしまったなら、その人が思っている欠点なんてのは僕には全く関係が無くなる。その逆も然り。

le 14 mardi

//mi●iは、、// 健全な環境がウリの一つだと思っていたのですが。。
携帯で足跡見ると、お色気な漫画の広告。  そういう需要はあると思うのですが、お前も走ってしまったのかと、m●xiに幻滅せざるを得ません。

//アハハハハ// 男らしいって何なんでしょう。  
私生活のトラブルのムシャクシャを、
顔を真っ赤にして仕事に持ち出すなんて、なんて卑劣。
だいたい、そんなの会社とは関係ないじゃん。

今や、その独善的で破滅的な生き様は、一つのコメディーになっているのが分からないのでしょうか。  顔を真っ赤に威圧しても、無様な姿は喜劇。

そりゃ、紳士的に接するので、アナタは笑われていますとは言いません。
気づくまで放っておくのです。

le 13 lundi
//窓を拭くだけで// 気分が晴れ晴れ。本日は終日家に篭ったのだけれど、なぜか心が晴れ晴れ。三連休、課題に遊びに休養に時間配分が上手かったと我ながら感心。

掃除もして、庭の草木の剪定もして、窓を拭いて掃除をして。
慌てることが一切無い祝日って、なんて贅沢なことでしょう。



今、欲しいものが二つあります。
それを買う秋になることでしょう。





さ、今から本日二回目のお風呂。
たっぷり濃厚な泡洗顔を楽しんだ後は、本を読んで、
そして今日は長めに瞑想しましょう。

le 12 dimanche
//諏訪日帰り// 目が覚めたら快晴。空気が冷たい。好きな気候になりました。  とりあえず高速を飛ばして諏訪まで行く。
最近、特に目的も無く天気の具合だけで車を200kmとか飛ばす行為に、日本人も豊かになったとしみじみ思います。昔で言うところのアメリカ人の贅沢だと思う。

まっ、鰻と馬刺しを食べて温泉に浸かって美術館に戻っただけですが、200km先の出来事がこの程度なのも、さらに印象深くします。

コーヒーショップで、東京の友人に、今から諏訪で泊まりません?と提案したら、時間が遅すぎたということで却下。あと二時間早ければ、諏訪で過ごす地方都市の夜ができたのに。


家に戻って正解だったのはNHKスペシャルを見れたこと。
アレは面白かった。


鰻は旨いのだけれど、前日の昼も鰻だったし、その前の夜は焼肉だし、
すこしは食事制限しないと。

le 11 samedi
//雅な仕事// 一人自主的に休日出勤。残務処理と仕上げるレポートがあるのです。

後回しにすることもできたのですが、心のどこかで本日仕上げるべきだと。
それは前々から信号として僕に伝わる。

こういう信号は大切で、それに従えば須らく最善の形で決着する。
フラフラと遊んでいたり寝ていたりして、するべきことをしなかった場合、
たぶん、それは相当な困難として我が身に降りかかると想像できたから、
自己防衛本能が働いたのでしょう。


大いなる慰めは近くの神社で例大祭。山車が町内を練り歩き、笛や鉦の音がなんと雅なことでしょう。


不思議なことに、三連休の一日が潰れたという悔しさが全然無い。
今日の努力は週明け、大いに報われるからです。

le 10 vendredi
//HP開設8周年// 先日、サイト名を【world of elegance】に改めましたが、HPを開設して本日で八周年。

//何故、止めないのか?// 書くことはとても楽しいからやめられない。最大の理由です。  次にメモ帳や作戦会議に。自問自答する日記は、一つの旅のプランを仕上げるものでもあります。   怒りを静めるために、落ち着くために書くことも多々あります。   そして、近々に解決するべき諸問題に関して、「書くことは」意思表示や心のスタンス。それは心のよりどころ。精神衛生的にも助かっています。


そこに公開する必要性はどうなのか!?と問われそうですが、そうでもしないと、「書かない」から、というのが理由です。

あと、一つ書き足すのなら、私の書き続ける駄文を、
この空の下の誰かが、見るテレビ番組の無いときの暇つぶしなり、
少しなりとも楽しみにしてくれたならという期待感。

いつの日か思いも寄らない誰かから、お便りを頂けるかもしれません。
それは、ネットという海の中に、瓶にしまった私の手紙を、世界の誰が読んでくれるという、一抹の期待感。

le 9 jeudi
//お手元鏡// 正直申し上げますと、老眼と思われる症状が出てきました。
僕は人より早く白髪も出始め、その量も多すぎる。早老症だったりして。
パソコンの画面は問題ないのですが、請求書や契約書の文字、それがメガネをかけていても、見にくいときがあります。

詳しく書けば、メガネで見える範囲にもかかわらず、
その文字がぼやけて見える。そして、目をしかめたりして、
ようやく見え始める。


土曜日出勤が、ほぼ確定。仕方ありません。



//温熱療法// 食べて寝転がっている週末は血も澱む。せめてウォーキングでもすればよいものの、それさえ怠けてしまう。最後の手段として温熱療法。温泉なり入浴剤を入れた風呂に入って血流を良くます。

さて、脳内において同じ効果を期待するなら、僕は瞑想だと思っている。
何も考えない、もしくは意識をできるだけ低下させる。
それは湯船の湯を抜くようなもので、次に復活するときは
清水を満々と満たせる。

前に、知多半島を24-5キロ歩いたときも、脳は瞑想に近い状態になり面白い発見でした。  ただ、転ばすに道を誤らず歩くというだけの脳内活動。

ベラベラ喋っても長時間喋れば無口になっていくように、
雑念ばかりの脳内も、歩き続けると、瞑想に近い最小限の活動になる。
それは山登りでも同じ。

遥か向こうのゴールを目指し、ただ、それが成功するだけの脳内活動。

もちろん、静かに座って瞑想するなら、さらに脳内活動は低下しますが、
不思議なことに、低下と書きましたが、それは雑念などが湧かないだけであり、何も考えていないのに聡明な感覚になります。


窓ガラスを割るのも、我が子を殺めるのも、罵詈雑言を浴びせるのも
脳内のストレスや怒り、つまり澱んだ部分が臨界点に達したときの、一種のガス抜きだと思っている。

人の脳に大差は無いけど、差をつけるなら、澱みの部分を無くすかどうか。
同じ容量に澱みが多いようでは正常な行動が取れない。ましてや新規の有用な行動など夢の向こうです。

仕事で悶々とする。上司や同僚の嫌なとこばかり頭に浮かぶ。
酒を飲む理由はそれで、忘れるどころか増幅し怒りながら酒を飲む。

それは自分に負けた行動だと思う。

解決策が見当たらないなら、まずは前段階として、怒りを忘れましょう。

澱みが去った脳に、人間は本能として問題解決策を提示します。
(提示していても怒り信号があると掻き消される)

le 8 mercredi
//洗顔を過信してはダメ// 今から10年近く前でしょうか。二つの石鹸で、泡たっぷりの洗顔で、お肌の問題を一切解決するという某化粧品会社。当時、宣伝番組を大量投下して記憶に残っている人も多いと思います。

言わんとしている事は分かりました。ただ、それは市販の石鹸でも、強いては市中で購入できる少し高めの石鹸でも十分に通用するのでは?と思ったりする次第。

そんな面白そうな石鹸を仕入れては泡立ちネットでたっぷりと濃厚なクリームに仕上げて洗顔する時間が大好きです。


さて、題名の「洗顔を過信してはダメ」
これは先ほどの某社の一大旋風に化粧品会社が世に送った対抗CM。

僕は、洗顔オンリー派だったのですが、今、効能の高い栄養クリームを探しているところ。  まっ、いろいろと問題も出てくるわけです。

le 7 mardi
//三連休に漂う暗雲// どうやら土曜日は出社しないと。土曜日で終わればよいものの、残るようなら日曜も月曜も。

と、危機感は抱いているものの、また大衆の風情(炭火焼肉屋の内々の隠語)

加圧トレーニングってあるじゃない。只今、お腹周りはそんな感じ。
もうサイズ大きくしないときつくてきつくて。

le 6 lundi
//良いと思う枠組みは、、、// いつまでも長続きはしない。この人の頑張りで助けられている、と、感謝の気持ちは持っていても、その人はいづれ去ってしまう。  その繰り返し。  裏を返せば、嫌な奴も、そんなに長く目の前にいるわけでもない。


次を次を想定する繰り返しは疲れますが、定年するまで、いや、死ぬまで考えることなのでしょう。

//仕事が無い!!// あるビルの社員を眺めるのが癖になっています。その雑居ビルの一階に店舗を構える某社の社員は、いつも裏口でタバコ吸ったり携帯したり。

そもそも、入っては出て行く繰り返しの一階。扱う仕事も詐欺まがいで、どうせ長続きしないだろうと勝手な先入観。

やはり彼らは去ってしまった。規模拡大でどこか広いところに移転するのなら目出度いですが、いつも見る暇そうな社員たち。仕事が無く行き詰ったとしか思えません。

僕が勤めている会社なんてのは、戦前も、遥か前から、その場所に「鎮座」しているのに、一体何が違うのでしょう。扱っているモノの違い??

いや、それとは別で、もっと根本的な違いがあると思う。

le 5 dimanche
//world of elegance// monde de l'élégance
サイト名を、こっそりワールド・オブ・エレガンスに変更。
当初は、monde de l'éléganceを考えていましたが、
写真上に特殊文字を反映させることができなく撤退。

実は、旧サイト名は、おかしいのです。それは初日から気が付いていたのですが、そのまま8年近くほったらかし。



木曜日、ぎっくり腰になりかけましたが、治りました。
ある意味、強烈に体のゆがみを是正したのか、
それ以降、顎が少しおかしい。顎を大きく開けると音を感じる。ハテマタ。

le 4 samedi
//本日の鰻// 本日も鰻。

安くて旨かった。肝てりの小鉢を注文してもなお安い。
鰻の量は少ないですが、この値段、満足です。
おまけに焼き方が僕好み。

12時過ぎてから家を出る。


ゴロリだよ。
ゴロリした後、温泉につかって、本日の目的、大人の喫茶店。

そして帰り道に鰻屋により、名古屋市内に入ってからは夜の中国茶。

le 3 vendredi
//こちらは旨い!!// 本日の昼もうな丼。旨かった〜〜〜
安くてボリューム満点。もちろん肝吸い付き。


ダムも無い昔の日本。
海から遠い山村の河川に遡上する天然鰻は、
村人の御馳走だったのでしょうね。

もっと自由な時間があったら、馳走の研究がしたい。
昔の日本人が持て成す料理。

漁村なら現代人でも舌を唸らす膳でしょう。
ところが山村の場合、どんな食材で饗応に対処していたのでしょうか。
とても関心の湧く分野です。

le 2 jeudi
//鰻論//仕入先はほぼ同じ。あとは店の腕次第。
僕は方々の鰻屋に行くのが大好きです。
そこで頼むのが、最も値の張る丼や重。(ひつまぶしは食べない)

なぜ高いのに拘るかといえば、その店の情熱が最も伝わる一品だからです。
これよりも贅沢な丼は無い!と出す、丼や重。

と、大ブルジョワジーみたいなことを書いていますが、
不思議なもので3000円も出せばお釣りが来る。

寿司屋では無理です。フランス料理や中華でも。


愛知県の店なら、ほぼ一色から仕入れることでしょう。
あとは店主の腕次第。

本日の鰻屋は、有名なだけで、高くてイマイチイマニ。
肝吸い別料金だなんて、たいした商売ですよ。
ただ、焼き方としては僕好み。


le 1er mercredi
//それは判断材料// 直接の害は無くても、悪行をしていると見聞きする者に近づくことはできない。全く自分に関係は無くても、それは自己の行動を規定する相当な要因になる。

手癖の悪い友人がいたとする。やはり関わり合いたくないのは自然の流れ。
栄養ドリンクではなく、変な物質で元気になっているのでは?と方々から噂されるような人のところにも、やはり行く気にはなれない。


それは、家を建てる土地が、実は不法投棄の現場だったと知る者に、話は聞いても契約の印鑑を押せないのと同じこと。

他所は他所とか、人は人とか、かような分別方法はあり、割り切って接することもできますが、そうする義務は無いし、他の選択肢もあります。

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