octobre.2012 le 31 mercredi //ケチのための投資// 結果的にはそうなる。 愛知県陶磁資料館⇒会員 瀬戸蔵ミュージアム⇒年間パスポート 徳川美術館⇒賛助会員 来年は、上記三つの自由観覧権を得なくてはと思う。 結局のところ、僕の行動範囲は充実と共に集約され無駄な散財も戒められると。 税金に保険料に値上げの一途ですが、 こういう投資をすることによって、結果的には支出を抑えられるだろうと言う算段。 まあ、無理して美術の風を吹かしているわけでもなく 陶芸とリンクしてもあって、僕には自由時間の選択と集中。 le 30 mardi //マスプロ美術館// うふふ。じっくり見ました。ここの収蔵品と僕の趣味が合致しているので、もはや陶片のそれらでさえ心奪われる。 さてと、次の週末は、年末年始のご挨拶用の器を作ろうと思う。 丁寧に仕上げて、丁寧に仕上げて、実験的なことはせず 贈答用に専念。 そそれと土曜日の夜のことを考えると心躍ります。 週末はさらに寒くなるらしいので 薪の暖かさがさらに増すことでしょう。 le 29 lundi //イヂワルな私//豆の木で、おそらくヒスパニック系の人から 片言の日本語でメッセージが来る。 それは良いのだ。ただ問題は、本人はビルの写真一枚で、 僕のセックスの立ち位置とか、 ただセックスしたいだけの片言メール。。。。 だから、とても丁重な日本語でお断りするイヂワルをする私。 この度は、ご丁寧にメールまでいただきまして誠にありがとうございます。 折角の申し出ではありますが、、、、、申し訳ございませんが、他を当っていただけるようお願い申し上げます。 と。 le 28 dimanche //まずは//本日も終日陶芸。冷たい雨。 この感情は10年続く日記に2回ほど吐露しました。 実は昨日も。 その不思議な感情を始めて強く認識したのは 小学校の後半、愛知県は足助。 駐車場から目的地まで行く途中で、神社のお祭りがありました。 皆が集まり神輿を担ぎ山車を引く。 涙腺が緩みました。 昨日は、栄で名古屋圏の外国人が集まって各国料理をふるまう出店や 彼らへの支援イベント。 涙腺緩むの、俺だけだろうね。 足助以来、お祭りに出くわすと涙が出そうになる。 答えは知っています。 僕は、心の底に、いつも人を疑ったり、人を避ける気持ちがあります。 信頼か疑いかと言えば、最後のカードは疑うべしになるのです。 そのレベルが会社の対人関係レベルではなく、愛全般においてもそうなのですから、僕は冷めた男です。 やはり愛も最後のカードは裏切られると、そう確信するので、最初から避ける。 だから、お祭りで、皆がそれぞれの理由もなしに一つに寄り添って担ぎ出すさまは 信頼の醸成が既にあってのことだし、そういう連帯感に 無いものを見てしまったと言う、憔悴や衝動に襲われ 僕は泣いてしまう。 では、どうしてそうなったかと言えば 書き殴りたくもなるので、もう書きません。 le 27 samedi //愛知の富は長久手にありけり// 本日は美術館巡り。ウーマン号は使わず、ドニチエコ切符とリニモを利用する。 藤が丘で降りるのも久しぶり。 もはや成熟した郊外の中心地の感があり、「新しい」街なのだが、並木は40年物だろう。 さて、リニモに乗って陶磁資料館まで。 これに乗る時、名古屋以外の友人が乗り合わせたら、どのように見るのかなって、 いつもそんな想像をしながら窓の外を見る。 目に飛び込むのは、整った街並みに緑多い土地柄と大学や研究所・博物館。 まるで、首都圏のどこかを移動しているような、 しっかりと意味のある建物や区画の整備。グランドでスポーツに興じる若者たち。 午後からは徳川美術館にも寄りました。 来年は賛助会員になるべきか思案中ですが、 アクセスが良ければ、即、申し込みなんですが。 そのあと、栄で買ってきた本を読んだり、 大曽根まで行き、ゆとりーとラインに乗ってみたり いつもと違う過ごし方も楽しいのですが、デイトのお誘いはお断り。 割とどうでも良い。 le 26 vendredi //冷めとるよーーー// どえらい鮫捕るよ。 週末は楽しい陶芸に美術館巡りもするけれど やはり根底に地下水脈のごとく流れるのは、 「割とどうでも良い」という感覚。 執着しないのです。 つい先日も、自作の細い細い一輪ざしを破損したと言うのに、 全く悔いるところが無い。 例えば、卵が嫌いで卵を食べない一生だとすると 食の悦びの何割かは失うことになる。 それと同じ。 めんどくさいから、御縁が無いから そもそも想像もできないからと、今では全く関心も無く だから人生の悦びの何割かを既に失っているのだが だからこそ、何かにものすごく秀でるであろうと確信もしているわけだが そんなに簡単に開花しない。 このズレに虚無感と言うか、割とどうでも良くなるのだ、全てが。 le 25 jeudi //やややっっっ// 今週の土曜日は、マダム芸術の休日。 徳川美術館では美術本を買うでしょう。それをどこかの喫茶店で読み耽ること間違いなし。 その日、パレードを見るかもしれません。 これに関しては芸内部でも激しい対立があるのは東京での喧々諤々を見れば一目瞭然。 では、僕はと言うと、保守派ですから。。。 権利拡大とか、そういう意味合いは理解できます。 ただ、路上で、ほとんどヌードショウに近いパフォーマンスをする発想が理解できない。 その手の自己顕示欲は権利拡大とは別の働きを与えているからです。 権利拡大は多数派への理解と、その働きかけ。 これに路上ヌードショウもどきが、なんの貢献をするのか全く理解できないのです。 そういう取捨選別も出来ずして、ドレスコードもなしで 雑炊のような何でもありで叫ぶのは 秩序を大切にする保守派にとっては受け入れがたい。 le 24 mercredi //恋する者たちよ// さてさて、今週の土曜は文化的な土曜日。 ドニチエコ切符を買って、リニモにも乗って陶磁資料館へ。 さささっと釉薬をかけたら、アールデコ・光のエレガンス展を見て、 東山線千種で降りる。jrで大曽根まで行き、南口を出て歩くこと500mほど、 徳川美術館で鑑賞の文化的な土曜日。 le 23 mardi //畳二枚か三枚// 電気も通さない、そんな離れの茶室がほしい。 畳二枚に床一枚。 それが世界の全てとして、茶を点ていただく。 思うに、省いて省いた先に 物も溢れる現代社会の最高の贅沢があるような気もするのです。 le 22 lundi //殺し文句// 限りない宇宙に、限りないエネルギー ちびっ子が悟ったかのように宇宙の広大無辺さを言う、この節回しにやられました。 頭の中でヘビーローテーションです。 le 21 dimanche //須らく最善の形で// 今回も須らく最善の形で解決したことに、心の底から感謝出来る喜びに勝るものはあるでしょうか!!! 深く丁寧に大切に心をこめて祈ると言うことは、無駄ではない。 そのテクニックと言うものはあります。 コツと言うかリズムと言うか。 やはり、日々、祈ることに慣れていないと、いざという時、 勢いはあっても雑な祈りになってしまう。 祈ることはないって!?? いや、感謝することも祈りなのだから、やはり、そういう心は失ってはならない。 le 20 samedi //素晴らしいお天気//終日、作陶。 まあ、明日もなんですが、どうして、こうも楽しいのだろう。 素晴らしい趣味に出会えて大感謝。 2011年の2月26日(土)から始めた陶芸。 枕元には、初回の作品があります。 遠い遠い昔のような出来栄えですが、去年の話なのですから驚き。 le 19 vendredi //愛に不器用な集合体// 少しデイトした金曜の夜。愛に不足する故、極端に安売りや依存、受容する態度に、愛への不信がある故、可能性として否定できない先々のトラブルが目に浮かび、やはり僕は今回も遠ざけてしまう。 思うに、平安は若き頃に思い浮かべる愛への諦めから生まれるものだと思う。 翁・媼の愛は、目の前の人に対する諦めから生じた平安と受容なのだと思う。 僕は、それがほしいのだけれど、その境地に至るまでに きっとある愛の厳しい側面に、やはりどうしても恐怖する。 le 18 jeudi //10月16日は//父上の73回目の誕生日。肉を食いたいとのことなのでステーキ食べに行きました。老いたとはいえ、あの食欲にしばらくは安心できそうです。 心の深いところの刺すような恨み辛みは消えることなく、 都合の良い時に僕の言い訳に呼び戻すことも多々あり。 そうですが、肉親への愛は僕を狼狽させる。 これからもお健やかであらんことを。 それを祈るばかりです。 le 17 mercredi //一人居酒屋// インフルの予防接種の帰り、一人で居酒屋に行く。多量の飲酒は問題だとのことで多量ではない飲酒に心がける。 秋の冷たい雨。 ようやく優しい降り方の雨を楽しむ夜にもなりました。 本来なら、一か月前に降る雨でしょうが、夏はますます強くなるばかり。 熱燗にしたよ。二合。 le 16 mardi //カフェと須磨保と都市生活者// まず都市生活者の多くが車からの脱却に成功、もしくは余儀なくされ、都市内に滞留。よって街かどのカフェは不景気でも人は入る。そして何をするかと言えば須磨保。 貧乏になったと思う。 岐阜ラジオを聴けば、秋、あちこちで催し物の案内をしてくれる。 そういう、田舎の手作りイベントに行けれる自由は、ひとつの贅沢なのであると、最近思う。 le 15 lundi //古いアメコミ日本語吹き替え//cartoonで見るそれらは、 単純な構造で見ていてすっきりストレス解消。 さてさてmixiが「あしあと復活」とか、今さら笑えるユーザーファーストらしい。 たぶん利用者激減で株価の下落。株主の突き上げがあったのでしょうか?? あれほど「あしあと復活」の要望を無視して、今になってこの態度ですから。 ところが冷めてしまった心は今に始まったものではなく、 もはや、またやる勝手な改編。。 今となっては、もう手直ししないで、なんですが。 le 14 dimanche //品のある独裁者// 政治の閉塞感は、もはや与党にも野党にも期待できない。 そんな思いを託して誰かに荒治療をしてもらいたいのだが、 大阪の市長の発する言動の支離滅裂さと扇動さには危険とお粗末の感が消えること無い。 品があって、竹島の共同管理とか訳の分からないことを言う人ではなく、 なおかつ秩序の再構築をし、 懸案を先送りさせない強い意志のある保守的な政治家はいないのだろうか!?? 例えば、不動産収入で、社外取締役で、まあ特に働きもせず収入が確保されるとするなら、 僕は、いろんな美術館や博物館の会員になって、折々の展示を見に行き、 合間合間に陶芸にいそしみ、現在で言うセレブではなく、昔の旦那衆的な文化的支援をする贅沢を楽しみたい。 と、夢見ながら眠りまして明日の仕事に備えましょう。 le 13 samedi //理想の世捨て人// その寝る前の勝手な妄想では、たまに理想の土地を探し古民家に住む僕。 理想の土地。 リアス式海岸。背後の山からは清流が尽きることなく緑も多い。尾鷲あたりの地形です。 僕は、10分ほど海岸を登った、標高にして50m程の山に住む。 その山は一直線の傾斜ではなく、都合良く、そう河岸段丘のような平地もあって農業ができ、炭も焼け、山菜やキノコもあって、日々の日課に釣りをして塩も自分で作る。 今は、陶芸に熱を挙げていますが、 その世界では、炭を焼くことの方が、魚を干すことの方が 出来たら機を織る方が僕には重要なんです。 le 12 vendredi //きのこ// 植物に詳しい友人がいます。山道を走っていても、その植生の変化を見逃さない。僕と同じ景色を見ているのに、景色から感じ取る内容の深さが全然違う。 先日の日記に山奥暮らしへの憧憬を記しましたが、 きのこの知識が僕にとっては皆無なのです。 原木の椎茸は、たぶん見る姿は野趣あふれていて僕には別種の毒キノコって思うかもしれない。 le 11 jeudi //エレガンス廉価版// 陶芸を始める前は、毎週末のドライブに散財して、それを戒める日々にエレガンス廉価版の休日を設けたものです。 これにはいろいろな知恵を働かせていた。 ところが陶芸と言うものはドライブに比べて安上がりなのですが、その反面、エレガンス廉価版に対する知恵の捻出も甘くなり、そういう詰めの甘さが、結果的な散財を招いているのだなと。。。 どこにお金が消えてしまうのだろうかと、、、いつも不思議に思う。 陶芸以前は、土日とも家に籠り、なのに充実感のある過ごし方をしたものです。 あの記憶が薄れつつある。。 le 10 mercredi //小さくも強い願望// たぶん、前世にそんな環境での楽しき日々があったのか、僕には小さいのですが消えることのない強烈な願望がある。 それは、山奥で自給自足。 粟や稗、芋などを栽培して、炭を作り、そんな生活。 その思いが強烈なんです。 寝る前だけは月面基地にも滞在できるけれど 僕は、そんな自由世界において、いつも山奥で一人。 le 9 mardi //暑い10月// 二カ月に一度の、つまり六枚のカレンダーだと、7-8月は夏の絵。9-10月は秋、11-12は冬の景色でしたが、今の9月は真夏だし、10月は残暑って感じ。 昨日一昨日と買ってきた器。さっそく使っています。 手に取って優しい。口に付けて優しい。見ていて優しい。 僕には遠い世界の作品を、手にとって栗ご飯を食べる喜び。 le 8 lundi //三連休最終日に考えるは、、、//次の週末。 10/13(土) 作陶日 10/14(日) 多治見にて座禅⇒せとアトリエ参道⇒作陶 今日も昨日と同じ作家市に顔を出しました。 とうとう買いましたよ。 良いと思って買うのが一番の理由ですが、 もう一つ挙げるとするなら、ある種の人たちへの応援。 若手作家と言えども、親の代から窯業に従事している人は、何かと有利に働く。 僕は、そうではなくて、作業場を確保するのにも苦労している人たちの中から良いものを見つけ出し、たまには買ってあげたいと。 le 7 dimanche //程度の高いお店たち// 本日は作陶日でしたが、ちょっとした作家市があり顔を出す。 実は、例えばせともの祭に行ったとして、それが産地の手の込んだものとは言い切れない悲しさがある。 そんな器は一目瞭然なのですが、つまり機械工業的に大量に作り、売れ残りを廉売市として出す。 100円ショップに並ぶ程度の品物です。 ところが、今日見た作家市は、たとえ型で作ったものであろうと、 そのあとに手作業があり、見ていて心を感じるものばかり。 le 6 samedi //多治見//を見て回る一日でした。 この日は作陶のことを一切忘れて美濃焼祭りへ。 まあ、食べてばかりで、春のそれに比べたら規模が小さく残念でしたが、 市之倉や「ながせ商店街」は歩いていて楽しかった。 瀬戸市の方が人口が多いそうですが、 多治見駅前の発展ぶりは瀬戸をはるかに凌駕しています。 暑い街と言われますが、この町で生活するのも楽しそう。 夜は夜で久しぶりに飲みに出かけた。 染めるのを止めたので、僕の白髪ぶりに驚かれる。 確かに僕は50歳くらいの白髪頭なんです。 le 5 vendredi //豆の木の歳について// 僕は正直に書く方である。だから見る者に僕は40だと分かる。 ところが、この40がやっかいなライン。 認めない人がいる。それは良しとしましょう。 僕より年上が年下になっている。それも良しとしましょう。 さて、そんな38-9を3-4年やってきた人たちが、とうとう40になる。 ここに問題が生じる。 正直に40と謳う者と、44-5の40とでは顔の老け方に違いがあり過ぎる。 40-43の若く見える人たちは正直者でしょう。 40-43の、老いた人たちの顔を見ると。。。。。 だから、僕は40-43のそれ相応の人が大好きです。 le 4 jeudi //羨むな//羨まれる生活をしろ。 それは生活の質。 心の隙間を埋めるためにパチンコや酒、買い物に向かう人はたくさんいます。 誰かと見比べれば、心の隙間はより鮮明になるかもしれない。 そんな事には見向きもせず、自分の時間を大切に謳歌するなら、 他人のアレコレなんて関係ないし、ましてや自分そのものが羨望の的にもなる。 心の隙間なんてありえなくなるし、それを埋めるための馬鹿行動も必要無い。 秋。楽しい事が数珠つなぎ。 le 3 mercredi //催し物のお知らせ//が多くなる秋の日。と、言いつつ今日は暑かった。10月なのに。 少し先ですが、こういう小さなイベントにも顔を出してみたいです。 ● 昔は南信州からの帰りは瀬戸赤津インターで降り、瀬戸市街をブラリ歩きして、また一時間ほど車を走らせるのが常でした。その時、今回のイベントの初回か二回目が雨のなか開催されていて、瀬戸市の発信力に深い感銘を受けたのです。 地元FM局も中継していて、それ以来の愛調者です。 割とどうでも良いモードなんですが、それは大都会のイベントなんか割とどうでも良い。 足元の小さな企画を感じ取れるアンテナは感度良くありたいと思っている。 le 2 mardi //淡々と// そういうことなので淡々と。これに限らず最近、執着が無くなったと言うか、割とどうでも良い。 どうでも良いからと金をパーっと使うことはしないので、そういう意味では保守的というか投げやりではない。 投げやりではないけれど、割とどうでも良い。 刻一刻と季節は進み、秋は深くなるでしょう。 それで良いのだ。 le 1er lundi //宇宙忍者// 俺の白髪が出てくるよ。 さてさて、先程、閃きがありまして、あることを実験中。 明日の朝には結果が出てきます。どうなることやら。 |
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