octobre.2013



le 31 jeudi
//早く寝る寝る運動の弊害//月曜日、極端に早く寝たのです。19:30 それからというものの今日まで、なんか一日ズレているのですよ。金曜日の感覚だし、昨日は木曜日の感覚で、つまり明日は土曜日出勤。。。。。

早く寝て仕事についての繰り返しはマッハのスピードで週末になると面白おかしく言ったりもしていましたが、体内時計は一日余分に働く感覚で、損した感じ。。。


le 30 mercredi
//三連休作戦// 土曜日、陶芸。夜にもう一度行く。薪窯で夜通し薪をくべます。日曜日、自宅湯治の日。月曜日、陶芸。

そうそう日曜日、その気になったら携帯買い替えます。Xperia Z1
それとamexのポイントで、ipod tuchがそろそろ手元に届くのでデザリングしましょう。

そそ、居酒屋に行かなくなったな―っと、これは今年の私的10大ニュースになるでしょう。
ここ数年、全てにおいて、回数が減っているのです。あらゆる分野の一年の回数が減少。唯一の例外と言えば陶芸ですが、それ以外の遠出や贅沢、居酒屋や買い物など全てが減少傾向。 その陶芸も、10回通うところを9回にする一日安息日運動を展開しましたので、こりゃ凄い結果を生み出しそうです。

円安と増税など、とにかく可処分所得の急速な減少は避けて通れません。日々の細やかな倹約はストレスを生む可能性もあり、それは副作用としての散財が予見されますので、いかに節制がストレスフリーで継続可能であるかが重要です。
僕が見出したのは、一日安息日として、自宅湯治。全く消費活動から離れた心身充足日を設ける。あとは通常生活。

そんなアイデアを実行したとしても±ゼロだと思う。一回の努力は円安と増税で霧散するのです。もし、貯蓄の増額を願うなら、一安息日を二安息日にしなければと思う。

来年は、読みたいと揃えた本を消化する、そんな生活運動を強力に実施しましょう。
何度も言うことですが、要は
何で心を満たすのか!
これで失敗する人が実に多いのです。失敗とは考えない人のこと。
心を満たすことを真剣に考えず安易な方法を選ぶ。そもそも
心を満たそうとしない人はいませんので、誰であれ何らかの行動に出ます
それを真剣に考えない人は、パチンコや深酒、薬物などで解決するのですが、これら最低ラインでなくとも、衝動買いややけ食いなど勧められない消費行動に出る人は実に多い。

多くの人は働いて賃金を得る。その賃金を作るために商売があり経済がある。
貨幣経済を見るに、心を満たす行為をあまり真剣に考えてもらっては困るのです。その手持ちの資金を放出すれば、ありとあらゆる快楽が心を満たします。これで経済が成り立っているのですから。ただし、僕はこの体勢から脱却しています。皆がある方向になびく意味は、なびかない人に最大の富を得る仕組みがあります。笛を吹いて皆を躍らせる構図は踊ることなく笛を吹く人に富が集まるのです。人と同じこと、流行、流行りの金儲けは、多数を躍らせてDJが得をするのです。そのDJになる気が無いのなら、せめて参加しないことに意味がある。
仮に株をするなら上昇局面では参加せず、世の中が真っ青になった頃、参加する資金のある人間であるべきです。そして皆が参加する頃、手元の株を売るのです。

ただ、そういう結果が分かっているから参加しない!と宣言しても、空虚感が漂うなら意味が無い。人は心を満たそうと動き出すので下手な我慢は予測不可能な行動の要因になりかねない。だから孤高でいたとしても、心は何かで満たす必要があるのです。それを僕は陶芸に見出しましたが、それだけでは弱々しいと思うので、まったく消費活動とは離れた心身の充足を、3-4本持ちます。

いづれ、年金生活者になり、かりに蓄えが十分にあっても身体機能が低下します。それでも人は生きなければなりません。内向的になったときに楽しめる術は外交的な今から想定すべきだと思う。


le 29 mardi
//人の流れが変わる// 12/20だっけ、UFJのATM手数料が変わり、コンビニでは全ての時間が有料に。その一方、自行ATMの無料時間枠を拡大。。。。。。
圧倒的多数が不便を強いられるでしょう。UFJ-ATMの前では長蛇の列が目に浮かびます。
まさか、今になってタンス預金の時代が来るとは。。。。。。
とりあえず10万とか20万とかおろして、タンス預金にし当座の現金にあてる。

寄り道せずUFJ-ATMに行くことこそ肝要かと。たぶん、早朝座禅の帰り道、瀬戸のATMに寄り当面の資金を下すのが、最も行動にロスが無いと思うのですよ。

持ち歩きの現金は少なく、その都度、コンビニATMで下していたという国民の行動が変わり、お金下すのに長蛇の列。なんか引き出し騒動みたいで嫌ですね。


le 28 lundi
//眠い眠い// 早く寝ると、目を覚ましても、また眠れる至福感を朝まで何度も味わえる。夢を鮮明に覚えて、その夢を楽しむこともできる。
早く寝る体に仕上がったのか、とても眠たいので、寝ます。。。。


le 27 dimanche
//週末報告// 台風も過ぎ去り、mixiとかで皆の週末報告を見ると、それぞれに良い時間をお過ごしの様で、こちらも楽しくなります。 僕は特別遠くに行ったわけではありませんが、それなりに満足な時間を味わいました。まあ座禅⇒作陶なんですがね。

毎週末、出来上がりを楽しみにするのだから、なんて素晴らしい循環なのでしょう。

//スポルティフ兄さん// やはり彼は清楚で美しい。その基本がスポーツに依拠しているのは格好から想像がつく。僕も10-15kgスポーツで痩せなければスポルティフ兄さんにはなれんだろうな。 そういう人から伝わる感覚ってものはアレコレ想像するに楽しい。基本が真面目な人や律する人の一週間ってのは、日常のふつうの所作から美しいと思うのだ。


le 26 samedi
//青空ですよ!!// 午前、少し瀬戸に行き戻る。ムクちゃんの相手をして晴れてきたから窓を開けて掃除をし布団を干したり、散歩したり。

良い茶碗が焼き上がりました。



夜、台湾から両親が戻ってきました。ムクちゃん大喜び。
今日こそ夜更かしするぞ!と言いたいところですが、明日は座禅の日、結局4時起き。


le 25 vendredi
//どんなに愛しても// 言葉が伝わらないのでムクちゃんには残酷。戻ってくるのは明日です。金曜日の晩は夜更かしする人も多いですが、今、21時を過ぎましたので寝ますね。ムクちゃんと一緒に。


le 24 jeudi
//四時起き//昨日は20時過ぎに寝まして、1時ごろから寝たり起きたりで四時にムクちゃんと散歩して一日をスタートさせました。 今日もムクちゃん僕のそばから離れません。南信州新聞も読めないので、19時過ぎたところですが、寝ますわ。ムクちゃんおいで!!


le 23 mercredi
//エヘヘ// 我がムクちゃん。以前、ペットホテルに預けたら精神を病んで戻ってきたこともあり、今日から四日間はムクちゃんに手厚いアレコレを。

家に戻るなり、エヘヘと近づくムクちゃん。早くおいでよ!と合図するのですが、靴を脱いでいる僕に、もう一度エヘヘと戻り寄るムクちゃん。とにかく寂しかったのか僕から離れません。何も出来そうにないのでこれから四日間は早く寝ますね。


le 22 mardi
//寝過ごした!!// アレだけ早く寝たのに、帰りの地下鉄、一駅寝過ごしました。。
今日も早く寝ましょう。
昨日の続きだけれど、世界中の人が、今より2時間睡眠時間を多くしたら、
殺人や犯罪は低下する。事故なども減少。紛争も沈静化。学校は落ち着く。虐待の防止。
案外、広範な効果が期待できるかも。

起きていてれば刺激のあるアレコレと接することが出来る。そして短い睡眠の後、翌日の活動。全く無問題ってことはないと思う。睡眠時間の短い人と長い人。怒りへの到達時間は相当に前後すると思う。


le 21 lundi
//早く寝る寝る運動// 寝るのが一番! 働いて寝る。そして起きて働いて寝る。あっという間に週末だ!!!  

案外、本気に考えているのが、【眠り教】なる宗教。
人は、必要最低限だけ起き耕作をし、あとは寝る。寝ると欲は湧かない。寝ると喧嘩もしない。
世の中、平和になるのではと。
田んぼ畑を耕作し、当番を輪番制に24時間体制。
ですが、拘束時間は短い。生命活動の主たる項目は睡眠なのですから。
寝てばかりの人は、そんなに食べなくても良いので、田畑を広げる必要もない。
少ない耕地で飢えることもなく、24時間体制なので害獣にやられることもない。豊作が期待できる。僕は天才ではないのか!!!


le 20 dimanche
//安息日//家から一歩も出ず、一切の経済活動もしませんでした。終日、雨音を楽しみのんびり過ごせ疲労も元から解消。でも、もっと事前に準備すればさらに心地良い時間であったかも。こういう安息日を設けると、それを選択しなかった場合を対比してしまう。実施して良かった思えるように、やはり意義を感じて事前の準備も。

そもそもモノに溢れているので、そのモノでさえ全部把握しきれていないし、安息日は僕のモノを掘り出す良い機会でもあるのです。一切の経済活動をせず心地良く感じるのですから、以前に買って忘れた物などの活用が求められるのです。

遅読地方紙も追い付きました。
一つ感慨深い記事が。

僕は陶芸を始める前、南信州は飯田に足繁く通いました。ある素晴らしい小料理屋があり酔いに任せて食する週末が至福でありました。客も多く繁盛の理由が手の込んだ風土料理を求める、とても良い循環を見ることのできるお店だったのですが、去年の八月、謎の閉店。

以前は入院して長期休業もあり、謎の閉店の謎がなんとなく読めた気にもなりましたが、その女主人の、その後が記事に載っていました。東京で優勝!!CDも発売。


le 19 samedi
//この線で動く//
カードのポイント交換でiPod touchを申し込みました。
次にすることは、①自宅のネット回線の容量をupさせスマートバリューを適用させます。
②須磨保買い換え。sonyの新型、安堂ロイドです。
③新スマホではデザリングも申し込む。

調べた結果、スマートバリューが曲者。
確かに割引が二年利きますが、そのためには新しい工事とか契約内容のupとか。
たぶん、それはその時代時代に内容が提示されるので、割引にすがるため他を必要以上に整える繰り返しが起こると思う。  今回は、自宅のネット回線が割り増しになりますが、それでもメリットはあると考えましたので申し込みますが、二年ごとに、この繰り返しだと疑問も増してきますね。


全てマダム焼だよ。

le 18 vendredi
//三連休の余波//四日働いたらお休みです。 会社の先輩で、土曜日に祝日が重なり三連休が消滅する事実を、心から嘆き、その制度を批難する人がいます。それは聞いていて面白い。本当にお休みを楽しみにしていたんだなって。

あと、休みはどうだったと聞けば、その良し悪しをパチンコの成績で言う人もいます。。。。
これも聞く分には楽しいのですが、なんか知恵が無いというか。。

2年ほど前の日記に書きましたが、
人生の質とは、良きに分類される思い出の多少の前後だと。
それはある一定の信号によって脳に記憶される思い出。

例えば、地図を見て素晴らしいコースだと自分で設定して夜明け前から歩く時、
どこかで素晴らしい日の出に出くわす。それを12/31に振り返り思い出したなら
一年は、一つ良い方向に軸がぶれるのです。
この積み重ねで老い、いづれ死を待つ。
たぶん死ぬ時ってのは、なんとなく実感するものだと思うのですが
それからの時間、振り返り、良きに分類される思い出がふつふつと湧きあがるのなら
なんて人生は素晴らしかったのかと。
その時、やり残したことや選択の間違い、言い争いなど浮かぶようなら、
たぶん、そんな記憶の再生のまま死ぬとしたら、それが閻魔大王さまの前で「地獄行き!!」と言われ苦しむ姿なのでしょう。

どこかで現世の記憶を背負ったまま死ぬわけです。そんな時、新しい何かをしているわけでもないのだから昔を思っての旅立ち。感謝や幸せの記憶の再生でないと、旅立ちは不安に満ち満ちて地獄だと思う。


le 17 jeudi
//思案 試案 私案//携帯大作戦。
iPod touchをポイント交換で無料で手に入れます。そして携帯を買い換え。
デザリング機能を行使して、iPod touchも外で自由に。

そうまでする必要はあるのかと自問を繰り返す。。。
ちっとも決まらん。。。。


le 16 mercredi
//豆の木// 赤いアプリの不具合に閉口しています。
機種変して復活⇒機種変してもダメという報告ありけり。
ipod tuch購入⇒機種変して問題なければ意味ない買い物。
最も安価な方法で解決する道筋ほ考えています。
カードのポイントが15.5万あるので、それで買っても良いのだけれどね。


le 15 mardi
//真剣な妄想// どんなに考えても実生活に反映されないのですが、考え出すと頭の中で生き残れるかのシュミレーション。僕の病的な告白として、たとえ妄想の世界でも登場人物は僕一人なんです。たまに来客がある程度。
さて、どんな内容かと言うと、一人だけで山奥の自給自足。
メイプルシロップなんて、養蜂の危険性もないし、一番手軽な糖分だと思う。
油分は胡桃。山羊なんか買ってチーズを。

と、考え出すと止まらない。

人嫌いではないのですが、深いところで人を好きになることが出来ない。自分の生活で知らない誰かがずっといるなんて狂気の沙汰。。。


le 14 lundi
//アナタだったのね//祝日。今日も作陶。 素焼の急須にひび割れ。困ったと仲の良いおじさんと話していたら、近くのおばさんが、アナタだったのね!と言う。

手ロクロの良さは、かなり精密な作りも可能だということ。もちろん電動ロクロ全盛の時代は、ある程度精密で簡単に作れるメリットがありますので大挙して靡いているのですが、僕は手ロクロは、その、ある程度の精密さを上回ることが出来ると信じています。平日はまず来れない、ウーマン。僕の作品は野ざらしみたいになるのですが、夫人曰く、それを噂していたらしい。誰なんだろうと。。。

来週、山ほど出来あがります。
楽しみ楽しみ。


le 13 dimanche
//362km 13km/L//久々の長距離ドライブ。










国産の、いやいや地区で採れた松茸を地区の公民館で食べる秀逸な企画。
松茸そのものにはカロリーが無いのに、カロリーが無い食材にここまで魅了されるなんて、なんて不思議なのでしょう。それは桁違いに強烈な香りと長く続く余韻。体に染み付いた松茸が時間とともに体外に放出されることほぼ一日。

どうもありがとうございました。


le 12 samedi
//あとりえ参道// 午前は特別な作陶。年に一度の古窯焼成のための土も特別な作陶。
正味90分ですが4個も作れたのは、日頃の手ロクロの成果そのもの。

それから、せとあとりえ参道へ。
瀬戸の街が好きなのは、せともの祭以外にも、こういう小さなイベントが年中開催されるところ。イベントが好きというわけではなく、イベントを開催している自立性。それは陶芸を始める前から注目していて、名古屋の郊外に町は腐るほどあっても、観光課のHPを打ち出せれないところもあると書いた覚えがあります。


le 11 vendredi
//ポチっと//サブ掃除機、ポチっと。送料込みで格安。
宇宙家族ジェットソンみたいに家にいて全ての物が揃う。それが質も良いのだし何と便利なと言いたいところですが、ショートカットで青色吐息な中間もあるのでしょう。モノを選定し手に入れる時間が短すぎると。


le 10 jeudi
//今週は、、、//水曜日の感覚があったので、一日得した気分!!
三連休の作戦。
【土曜日】作陶⇒せとアトリエ参道
【日曜日】南信州
【月曜日】作陶or美濃焼祭

さてさてさて、先月の日記で名日記があるとするなら、鬼に関しての記述。
よくよく観察すると笑わないのですよ。怒ることはしょっちゅうだけれど笑わない。
僕は笑ってばっかりの人間ですので、笑わない人の生活が理解できません。
たぶん、脳のどこかが極端に委縮しているはず。
日常として怒り汚い言葉を綴っていると、何かが見える形で現れてくると思っています。


le 9 mercredi
//誰でも歳をとる//場合によっては働かなくてはならない。
良く考えてみろ! もっとも不安なのは、その老人のはず。彼を責めるな。

僕も歳をとる。場合によっては働かなくてはならない。新しい職場に赴くのは不安でいっぱいだ。若い人間に、動きが遅いだの、モノ覚えが悪いだの責めたてられては不安の上に悲しみまでまといつく。働きたくはないけれど働かなくてはならない人の立場。しがみつかなければならない。なのに老いたという理由で責められては、そりゃ辛いだろう。

ただ、乗り越えなくてはならない仕事上のラインはある。彼にそれが無理なら、やはり正直に申し上げて、早い段階で別の職場を探してもらうのが良いとは思うのだが、世の中の雇用は彼に優しくない。 ある段階で、僕は彼に宣告しなければならないと思うのだが、その前段階で彼の今後に対する深い祈りは捧げなくてはと思う。

見えない部分であっても愛は醸成すべき。

機械的に出来る出来ないで人を分別し、コレといった人を探し出しては、また同じことを繰り返す。そんな世の中だけれど、去ってしまう人の背中に愛と祈りを捧げましょう。窮している人に、さらにアレコレ不足を言いたてない。窮していない人こそ、その不足を補ってあげるべき。それが具体的なものとして差し伸べることが出来ないのなら、窮していない人は窮している人に、今後の祈りを捧げる心の余裕はあってしかるべきです。

生活に窮していない人の、精神的な責務は、困窮者に対する祈り。
困っている人に、最低でも心のなかでは祈り助けてあげましょう。それは自分が窮しないための黄金律でもある。
そういう祈りをする人は、そういう祈りが引き続き求められるものです。
窮しない者の自覚は、窮しないためにも持ち続きるべきなのです。



と、説教じみたことを書いていますが、僕の日記は自分に対する訴えかけなのです。
ここで、とことんまで書き、絶対の信頼を作りだし行動に移す。


le 8 mardi
//美しいベンチ// 今、考えているのが、どこで南信州新聞を読むか!?
消費物忌日は、近々、設けなくてはと思っている。ところが空虚な時間が漂うではダメ。
ケチるアイデアばかり書いていますが、ここ数日考えているのは、美しい公園のベンチで南信州新聞を読む休日。 家の前には、そこそこロケーションの良い公園がある。これを利用するのも手だし、定期で行ける範囲で寛げる場所の模索。

こういう消費物忌日は、お洒落して出かけるのも一つの手。貧すれば鈍すではなく、消費社会において消費に頼らずエレガントな時間を過ごす術の開拓。決して貧乏からすることではないと、新聞を読む姿に凛々しいものを感じさせたなら私の勝ち。

どうして南信州新聞が出てくるかというと、ケチリストの僕なのにあえて不必要に分類される支出なのです。毎日郵送され購読しているのが南信州新聞。これを最大限に利用するというわけ。


le 7 lundi
//絶対の信頼//取り乱すこともないのは、確信が、絶対の信頼があるから。深く丁寧にした祈りの後ってのは、臆することなく堂々とできるもの。

こうやって生きてきたし、これからも生きるのだと思う。

//楽しみ// 連日の質素倹約日記から物忌日というか経済活動を控える日の設定を書きました。実は、これが楽しみでしかたない。まあ、こんな理由でもない限り陶芸からの解放もないからです。大好きなんだけれど、心のどこかは離れてみたい気持ちもあって、両者落ち着くためにも物忌日は必要かと。

一つの憧れに、一日家にいて、ローカルラジオを耳の慰めに本を読み耽り、薬湯に入っては灸を据え、マダム焼の諸々の器で茶を点てたりと。作ることばかりしていましたが、使うことにも楽しみをおきたい。


le 6 dimanche
//お帰りなさい// 毎年執り行われている大平。今年、僕は参加を見合わせましたが一部果敢な勇者が先程帰還したそうで、おかえりなさいませ。

今日は、これまた妙に暑い。台風の関係でしょうか。。。。

//ボロボロの聖書// まず初めに僕は仏教徒・曹洞宗です。
次に、般若心経唱えても意味が分からないので、どの方面に効用のある呪いなのかチンプン&カンプン。座禅は自ら体験しますので、瞑想の効用は理解していますが、こと、読経は、さっぱり響かないのです。

僕にはボロボロの聖書があります。改宗するつもりは全くありませんが、世界で何億もの人間が歴史を越えて信じている、その経典が般若心経と違って、1972年生まれの僕でも理解できるのです。こういう布教に勤める姿は、聖書の巻頭に、○○を思う人は、この節を!と開く頁まで紹介して下さっている。だからボロボロになるのだし生涯手放すつもりはありません。

心をこめて大切に祈ることは、委ねること、託すこと。

心をこめて祈るということは、時間を割くこと。

祈りのための時間を、何に向けるか!?

聖書でも仏典でもコーランでも祝詞でも、つきつめれば同じことだと思っています。僕らは目に見える世界で争ったり愛したり思い悩んだり笑ったり。でも、人間の煩悩を深く抱く超越した豊かさは、目に見えない世界にあると思っている。
もし、神や仏という者が、見えない世界の構成物・構成物質だとしたら、祈りはその世界に向けて行うべきでしょう。怒りに震え、欲の塊で、アレコレ願ったも響かない。それはあまりにも手段が世俗というか目に見える世界のやり方だと思うのです。

嫌な事実をパソコンの画面で見て、アレコレ悪口を書いたり思い浮かべても、それは叶わない。叶うテクニックの大前提が間違っているから。解決したいことは煩悩の類であっても神や仏に祈る姿は世俗であってはならない。

どうしてそんなことが言えるのかと言ったら、祈りの所作には共通するものがあるからです。この共通の所作こそ、見えない世界との対話の第一歩。
祈りとは、実に効果がありますが、心をこめて静かに深く祈らないと伝わらない。

もし、悪口の類も心をこめて静かに祈れば、それは響くと思うのですが、祈りは深い世界の響きあいなので、そんな悪徳信号を発信して憎悪の往復を自ら招くことは恐ろしい事でありますし、そもそも響く祈りは簡単なものではないので、やはり有用に使いたいものです。

高度に発展した現代社会は、人の頭数だけ正義はあっても秩序維持のために、時として人に喜ばれない事実を突き付けたり、喜ばれない内容の命令をしなくてはなりません。それが目に見える社会の作法なら従わなくてはなりませんが、一人静かに祈る時間を設けられるのなら、彼のためにも祈ってあげたい。表向きは懲罰を受けたとしても、その懲罰を越えた祝福がきっともたらされることでしょう。 
これに絶対の自信を、そう、祈りに絶対の信頼を持って、初めて心に浮かぶ全ての人が救われるのです。


le 5 samedi
//昨日と良い、今日と良い// 家に戻ったら少し外出してハレた気分で都市生活者でもしようと考えてはみたものの、結局は家でダラダラ。
それは家の中でも外でも出来ること。だから、あえて外出する必要もないと結論を出すのですが、そういう合理を突き破って、何かを期待し時を過ごした若い感覚は、本当に減衰している。

半年後に消費税が8%になりますが、対策は10%の世界であり、努力の結果が残高の増加になるような、つまり15-20%の節約術でありたい。最低でも10% それより上回った分は残高の増加。

と、いろいろと考えているわけですが、これは果てしなく付きまとうもので、長続きしなくては意味が無い。努力に耐えられず頓挫したら意味が無い。消費税が続く限り、倹約もまた続ける。
だって消費税を増やしたからと言って、自分の老後はそれで賄うものではないのだから、やはり蓄えは必要なのです。
毎日をそれなりに充実して過ごす術を持っているので、やはり老後に専念できる環境を持ちたいし、命だけあっても貧乏が付きまとうのは、避けられるなら避けたいものです。


僕が思うのは、努力せずとも目的を果たす、10回のうち一回は安息日。
昼休み、食後にケーキセットを食べる悪習がありますが、月に2-3日は喫茶店に行かない。こういう過ごし方。自分を省みて、年に10回同じことをしている何かがあるのなら、それを一つ割愛する。

最たるものは陶芸なのですが、10回利用するところ、一回は安息日で、それこそ陶芸の読みたい本に時間をあてる、それでも良いのかと。

そうすれば毎回、何かをケチらなくても総体としての支出は目的を果たすのです。

【貧すれば鈍す】になってはダメ。
でも、景気の状態では可処分所得の減少など、降ってかかる年もあります。
そういう時は減少分に見合った安息日を設け、普段の経済活動では貧する感覚を持たず知覚は鋭敏なままに。

一割減らすわけです。
大問題は、陶芸やヘアサロンなら回数が読めるけれど、衝動的に行くドラッグストアでの買い物は、今が何回目で年に何回で収まるのか見当もつかない。。。。。。

読めないものの一割減は本当に難しい。
これに対する有効な作戦は、10週のうち1週を質素倹約闘争週間にする。これしか思い浮かばない。。。でも、出来る範囲の対策だと思う。衝動を諌めると、必ずしも闘争週間後に待ってましたと買いに走ることもないと思うからです。

読めるものに関しては、10回に一回、お休みを。
読めないものに関しては、10日に一日、10週に一周でもよい質素倹約闘争週間を。


le 4 vendredi
//神様お願い!!// あの人ストレスあるよね!とかそんな話をしていました、昼休み。そこで僕が答えたのは、
「僕は神や仏にお願いするよ。神様お願い!って。だって相手は神様だもの、人間が考える以上ですって」

茶化した言い方ですが、これは大真面目に何年も前から取り組んでいます。
何を解決したいのか、どうしたいのかを心をこめて祈り託す。
あとは何も考えない。

日中、冴えた閃きとかあります。これに従えば良いのです。


あと、人間にはいろいろな器を備えており、この器から溢れた時、それは顕在化する。
人を助ける器が飽和して溢れたなら、きっと人生に良い事が溢れた分、現れるでしょう。
人を笑顔にしていたら、ある時から、ほっておいても笑いの絶えない生活が訪れるでしょう。
努力していたら、ある時、結果がバンバン現れるでしょう。
心をこめて祈り続ければ、ある時、僕に叶うものです。

器を満たせ!!


le 3 jeudi
//名物食堂には//名物おばちゃんありけり。そんな名物食堂もサラリーマンを20年近く勤めていると一つ二つ消えてしまうのです。

家賃を支払う心配のない食堂は大好きです。
価格も良心的ですが、食材をケチって良く見せようとか、へんな小細工が無く直球勝負だからです。僕は知らない街でも美味しい店を探し出す嗅覚は優れているそうで、褒められたりしますが、ポイントは簡単、家賃を支払い必要があるかないか!?

家賃を支払う必要のない店と言うのは、既に時代の荒波を越えている。それだけの支持があるのから、やはり安くて旨いのです。


le 2 mercredi
//奉祝・第62回神宮式年遷宮・遷御之儀//常若の思想って本当に素晴らしいですね。
これで日本国に御神威新たに漲ること慶びの極みです。

賑わいも落ち着いた頃、一度参拝に上がりたいと思います。
徴古館など、じっくり時間をかけて。


le 1er mardi
//松茸が心配// 一旦、涼しくなった後の高温で、菌が溶解することもあるらしい。。。。
暑い暑い、夏が再びやってきた。この前、涼しくなったな!と名月の頃は、その進み具合に喜んでいたものですが、いかんせん、この暑さ尋常ではありません。


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