octobre.2014



le 31 vendredi
//少しペース落としましょう// 金曜日の解放感は別格でお酒が進む。でも、今年の前半に、こんな習慣はなかった。金曜の夜は、こうあるべき。と、ならないようにもっと自分を大切に。

それと質素倹約闘争!を復活させねば。


le 30 jeudi
//残すものは捨てるもの// 何を思ったのか、10月にして大掃除。こういう大掃除は不定期に実施しますが、その度に残すものと捨てるものを選別。ところが、前回残すモノは全く活用されておらず捨てるものとして、今回は大粛清の嵐。携帯用CDプレイヤーとかMDプレイヤーなんて7-8台。使えるけれど使っていないので、それは壊れた物を放置していたと同義。
これがですね、出るわ出るわ。


le 29 mercredi
//ブラインド// 今年は粘土以外の買い物に心当たりがない。家電製品も、服も、小物もほとんど買っていない。車の修理費用は20万円くらいかな。
さてと、木製のブラインドを買おうかと思案中。取り付けるのめんどくさいのですが、変化は劇的でしょう。

//座る向き//最近、須磨保が偉大な存在だと、つくづく思う。ネットの発達でテレビを見ない層が拡大していると、その一員に僕も含まれていますが、テレビもパソコンも定位置の文化。座る場所があり、笑う場所が決まっていた。ところが須磨保は、この定位置の文化を破壊し、もはや椅子も机も本来の機能を喪失しつつある。pc机の椅子に座ってスマホをいじる時、pcに背を向けている自分がいる。


le 28 mardi
//火曜日// 火曜日も夜になるので日記を書くのですが、と、いうことは明日は水曜日。
一週間は早いものですね!

寒くなると、火鉢のある生活にあこがれる。
いつの日か、幼い頃に手をあぶったあの感覚を再び自分のものにしたい。

夜、二時間ほど掃除をする。こんなに掃除をしたのに、一区画くらいの、なんと慎ましいスペースかな。これから毎日、少しづつ掃除をしていきまして、年末慌てないようにしないと。

年末年始は、陶芸もお休みなんで大掃除でも良いのですが、僕にとっては、この期間が唯一、体も休めれて作陶からも解放されるまたとない機会。今年は、存分に休養に当てようかと考えています。旅行も行かず作陶もせず、休養に徹し一年分の本を読むとか、一年分のノンビリをしようと言うわけ。


le 27 lundi
//心をこめて一つづつ// 一つ一つ丁寧に。須らく問題が解決したことに対する感謝の表明は、私の最も楽しい時間の一時である。
丁寧に、疎かにすることなく深く心をこめて須らく最善の形で解決することを祈る。
まるで僕の人生はこの繰り返しなのだが、幸せだし嬉しい限り。

嫌だ嫌だと明日が嫌と考えるのは大人であっても同じこと。これで悩む人はきっと多いのだろうが、僕は祈ることをしてから、もう何年経過するのでしょうか、そういう日に遭遇したことがない。そしてまた僕は祈るだが、それは正しくて力のあることと分かっているから続けられる。

こんなに効果あることだと分かっているのに、自分のことって無頓着なのか、欲がないのか、祈らないのですよ。それは相応に守られているとか、満たされている感情があるからで、あえて祈る必要のない有難さと言うことでしょうか。


le 26 dimanche
//変わり映えしない// 日曜日の行動は、作陶に寝る前に特別に静かな時間を設ける。土曜日は、その時間がないだけの作陶のみ。これが来る週も来る週も。

今朝は4時に起きたもので、睡魔が、、、、、まあ、あかん。寝る。


le 25 samedi
//見るだけで疲れる// 美術館とか博物館に行くと、見る行為だけで疲労困憊することって、よくありますよね。今日は美術館内のソファで途中、寝てしまいました。

朝鮮の陶磁の美なんですが、高麗の美は大変に素晴らしい。元を辿れば中国の官窯の水準が多少劣化して朝鮮の地に。ただし、これが朝貢関係の下位の国なのだろうかと、驚くほどの美なのです。当時の日本で、これを作れるかと言うと、暫く時代の変遷を待たねばなりません。ところが李氏朝鮮になると、高麗の水準が目に見えて劣化している。それを独得の大らかな美とも表現できようが、明らかに文化の破壊が一度あったとみて良い。それから多少上向くものの、李氏朝鮮の美は、高麗を凌駕することはなかったと僕は思う。
李氏朝鮮の腐敗ぶりは、最近の日韓対立でよく騒ぎ立てられていますが、では全く
美術工芸品が作れなかったと言うと、そうではありません。高麗とは別で、相応の美術工芸品を排出していますので、儒教の朝鮮は職人を差別して良いものは全く世に出回らなかったという一部言論は、極論過ぎると展示物は訴えています。


le 24 vendredi
//大義名分// 自分の役割はあり、それで救われている人もいる。ただ、そういう枠から飛び出したい自分もいる。そうすると、不器用な彼らは厳しい風に曝される。誰が彼らの益を代弁しようものか!! そういう意味に置いて、物凄く僕が存在する意味はあるのですが、この関係から脱却して全く新しい世界に入りたいと、心の炎は消えない。

見捨てることになる。それを見捨てないような大義名分はないのか!!
自己責任だから放っておけば良い、との風潮に身を挺して反対しているのだが、正直、疲れたりもする。

自己を実現して、なおかつ、彼らも救われる、そんな新しい枠組みを願うばかりです。そういう高度で高尚な枠組みの創出は、森の恵みの様で、実際は存在するのだ。祈る時、自分のことはほとんど考えない。周辺のトラブルの最善の解決。どうしても自分に欲が出せないのですが、もっと自分自身に欲も出して、それでいて彼らも救われる、そんな世界を疲れることなく考えられるように。


le 23 jeudi
//裏の顔// 人それぞれに裏の顔があり、平素真面目に過ごしている人ほど、腰を抜かす裏の顔があるものだと、知るにつれ、この世は表面以外の結びつきも実に太いのだと思うのです。 どういう訳あってか、今の人間関係なのですが、見える世界が世界の全てではない。皆、隠しながら表の世界で生活を維持しているのだ。


le 22 mercredi
//この豊富さ!!!// 歳と共に内向的になるのか、今では気になる町のコミュニティーFMをチェックするのが密やかな楽しみ。
ここに紹介するのは岐阜県多治見市のFM-pipi 自主番組の豊富さに驚かされます。
赤字の番組と、背景が白枠の時間帯は自主制作なのだから、全く驚いてしまいます。

若い頃は、一人でフラフラ海の向こうにも行ったものですが、
どんどん興味は小さくなり、最終的には手のひらに収まる抹茶碗の趣に深い世界を見るのかもしれません。
心のどこかでいつも思うことは、僕は相当先を歩んでいる、と。流行とかではなく、先見の明は言い過ぎ。つまり、自分は今、相当先の歳であるとどこかで認識し、そういう行動パターンを歩んでいる。そういう意味では、物凄い早さで死期を迎えるような気もするのですが、冷静に考えても僕に若い感覚で物事を進めることは、今、ほぼ無いのです。年老いて行動範囲も狭くなり、いづれベッドが世界の全てである日。それに慌てないように今から準備しているのだと、この感覚、消えないのですよ。


さて、思い起こせば、その人にはトラブルばかりが付きまとっている。長く知る存在で、僕が得た答えは、人生の半生はトラブルを楽しみ、残る半生はトラブルに追われる。つまり、人を困らせては楽しむ人ってのは、潮目が変わると、その恨み辛みによって防戦一方になるのだ。
彼からすると、人生の後半、調子良くない!と思うのでしょうが、周辺は潮目の前後を含めて彼にはトラブルが絶えないと、そういう人間として見てしまう。そういう人間にカテゴライズされるから、平安や安寧を願う人は、自然と距離を置く。だから、彼の周りにはトラブルの種が尽きないのだ。

許すことなく人を責めている人、寛容の精神を忘れた人は、既に片足を被告人席に置いているのだ。子に対する虐待の報いが老いた頃、降りかかるように、血気盛んで人を狂わした代償は、老いて諸々守らざるを得ない時に、嫌がらせのようにやってくるのだろう。

今、許す人は、既に遠い未来のある日において、許されてもいるのだ。



le 21 mardi
//アホ同士の// なにやらニコニコ動画で二人の対談が殴り合い寸前の罵倒に終わったらしいですね。僕は1秒たりとも見たくないので知りませんが。

僕は政治的立ち位置で言えば、右派に属するでしょう。
ただし、あの二人は共に嫌悪する。
市長の方は、話にならないほど嫌悪するし期待する素地が全くない。
もう一方も話にならない。ただし、その運動形態を広範な市民の理解を得るような統制の利いたものであるなら、見方も変わるでしょう。上げ足を取られるだろう罵詈雑言を放置した運動形態に、先を見る目がないと大いに失望するのです。

生活保護の不正受給や犯罪行為は批難されて当然だろうし、擁護する余地もない。
それらの醜悪な実態が、あのカテゴリーにおいて突出して多いのなら、やはり抗議の声が集団化するのも、正当な流れであると思う。ただし、あってはならない文言を吐く、つまり上げ足を取られるだろう行動を、果敢だの勇気だのと履き違える低質な組織のあり様にも、全く同意できません。

そして、あのカテゴリーに属する人たちに言うとしたら、言うことはない。集団を一つの色に決めつけてモノ言う行為は、やはり正当化できない。あくまで生活保護の不正受給や、通名とか、報道時における隠避の実態を正すべきであり、全てに嫌悪することはまかりならない。

急進右派の行動は、中道右派と左翼の大連立などにより激しい反撃にあい、未だ与党なり得ない立ち位置であるのはフランスを見れば理解出来る。中道右派に愛想尽かされては元も子もないと。人を憎まず、罪を憎めと言うことです。


le 20 lundi
//寒い寒い//冷たくてしっかり降る雨の夜。
こういう夜は、何して過ごそうか!?
その一つに、【早く寝る寝る運動】があるのだけれど、僕は、まもなく、それを採用するだろう。


le 19 dimanche
//作りたい形の喪失// 嫌味に言わせてもらうと、作りたいと思ったものに関しては、作れるようになったので、目標が喪失してしまったことを感じざるを得ない。心の底から何か作りたいと思えないのだ。もちろん、作陶は楽しいのですが、目標が消えてしまった。急須作りも、心のどこかで納得の域に入りつつある反動みたいなものだろう。

と言いつつも、次の週末もまた行くであろうし、まあ、必要と思われるのは陶磁美術関係の展示を見て、何かしらの衝撃を心に受け止めなくてはと思うのだ。


le 18 samedi
//一個の理由// 本日の作陶は絶不調で一個のみ。アハハは。途中で昼寝もするしね。
理由は先日の深酒なんです。見舞い終わったあと終電まで飲みに出歩いていました。

金曜日の晩に飲みに出歩くスタイル、改めねばと思うのですよ。
質素倹約闘争時代では考えられない使い方。おまけに土曜日の作陶は不調になると、これまた僕が何回も証明しているし。ただ、誰かと話すのも楽しいひと時。僕はあまりにも週末が孤独なのだ。


le 17 vendredi
//見舞い// 手術が済み、落ち着いたら電話を下さいと。ようやくどこのベッドかも判明したので、帰宅して見舞いに行きました。
彼のことは不器用な人だとは書いたけれども、歩む道は僕と大差ない。だから、親代わりと言っては何ですが、出来ることはしてあげるつもりでもある。ただ、見舞いに行って改めて思ったのは、やはり不器用な人であると。あのまま入院が長引けば、廃用性委縮で判断能力にも影響が出てくるのではと、正直に思いました。 やはり手足、体を動かしてこその脳細胞の活性化だと。


le 16 jeudi
//院須田//グラム。これに登録してから、その偏重ぶりが酷い。データ使用料を見ると、あれまあれまの右肩上がり。良く分かりませんが院須田ってのは、twitterと併用してこそ意味あるものなの?? ふとした連絡やね個人的な送信も院須田では不自然だと思い始めるからです。ちなみに【te696】がウーマンです。


le 15 mercredi
//ふと思い始める、エボラ// 例えば、一年後の日記には、デング熱の蚊の様に、エボラ出血熱を、あのくらいの感覚で恐怖するのだろうか!?

大流行・大恐慌、そんな恐怖を思う時、僕はいつも、あの夏焼集落を思い出してしまう。
国破れて山河あり、を今も体現する場所。何が起きても、世界が右往左往しても、全く関係がないのだ。そういう生活を、心のどこかで渇望するのだ。


le 14 mardi
//洗車しました//詳しく書けば昨日のことですが、台風が来ると言うので車庫から車を出すこと一時間。激しい風雨にさらされて、車、ピカピカ。作戦勝ち。

今日から、会社の同僚が入院する。彼は器用か不器用かと言うと、不器用な部類である。
彼は、「困った。困った」と表明するものの、自分で解決はしない。解決は「困った」と表明して第三者がしてくれるものだと、そういう生き方をしてきた。これを不快を思う同僚も多く居るのだが、僕は多数に与してはならない。

数年前に定年した人が教えてくれたのだが、彼は幼少の頃、高熱に侵され、不器用な部類の人間になってしまったと。何かの縁で、僕と彼の接点はあるのだから、僕は事情を知っている以上、見捨てるわけにはいかない。現実として出来ることはしてあげて、無理なら祈るのだ。


le 13 lundi
//自宅湯治の日//陶芸をやる前、僕は基本的に週末は南信州だと焼津だの常神半島とか出かけてばかり。もちろん一人で行ってばかりだから、結構費用もかさむ。その対策として、たまに自宅湯治と称して家でゴロゴロに徹する日も設けたものです。
これを本日いたしまして、まあ懐かしいのなんのって。
こういう穏やかな時の流れがたまりませんね。

台風転じて、良い休日が舞い込んできました。


le 12 dimanche
//美濃焼祭・あとりえ参道//来年行きますわ。結局、本日も作陶。
明日台風がきたら、外出も無理そうだし。ってか、本当に来るの!?

男のデブやポッチャリは嫌いだけれど、
女のデブやポッチャリは、僕、好きなんだと。

たぶん、その外見から来る攻撃性のないところが好きなんでしょうね。
ところが、男でそうだと嫌悪するのだから不思議。ただの怠け者と見てしまうのよ。。


le 11 samedi
//台風モタモタして気がかり// 中心より東に位置するであろう今回の台風は覚悟が必要ですが、遅すぎて火曜日仕事がマヒしそう。。。

今日も作陶でしたが、なかなか充実した時間を過ごせました。あまりしゃべらない指導員とも良く話し、これまた良い時間。

明日は美濃焼祭に行こうかとも考えましたが、今回は三日とも作陶に専念しようかと。


le 10 vendredi
//思う時間が過ごせず// 仕事終わって帰宅することなく、夜の都市生活者。
余裕ある時間にアレコレしたかったのですが、なかなか思うようにはいかず。

僕が求める過ごし方は、十分な怠惰や休養の後にある自由な時間なので
まずもって、そこに到達することが難しい。

頭は冴えている。他にしたいことも、もう見当たらない。そういう状況でアレコレ好きなことをする時間が、僕にはないのです。


le 9 jeudi
//ズレとる!!// 今週は週の初めから感覚が一日ズレテいる。つまり、毎日それに気がつくと一日余分に働かなくてはならないと言う、損した思い違い。

ノーベル賞に湧く名古屋ですが、今週の大発見は、ガッテンです。僕には。
16:30-17:00とにかく忙しく動いて、そのあとに牛乳を飲む⇒松千代。


le 8 mercredi
//あまり表に出ない気になるニュース//アフリカから飛び出したエボラ出血熱。

さてと、僕は、毎年、ウーマン梅園で梅肉エキスを作っているのですが、これは万能の秘薬だと信じております。


le 7 mardi
//だって、どうでも良いもん// 執着と言うか虚無と言うか。虚しいものを感じるのは正直なところ。そういう湯葉みたいなところのみで、「私の世界」と互いが交流する潮流に虚しいものは感じる。本当のところで言う個性とは、部屋がきれいと言うより、どういう(個性的な)汚さなのかで分かると思う。それは湯葉の世界では全く消される存在なのだ。


le 6 lundi
//割とどうでも良い病、再発// どう見せるか。どう見られるかとか、割とどうでも良い。
手にとって生活の中に入って何を感じてもらえるか? これが全ての様な気がしてきた。
だから、どう見られるか、どう見せるかなんて割とどうでも良い。

そういう意味で俗世の感覚と言うか、どう見せ、どう見られて誰かと繋がっていく最新の関係性も、なんか感情が移入できない。それはアナタから発する本当のモノなのって。

だからと言って僕ほどリアルに熱を上げない人も珍しいし、
まあ、自分の中で、【良かれ】というラインを突破したものは、時間を割く価値があると思っていますが、【良かれ】を見極めるために時間を割く行為は、よほど暇でない限りか、もしくは何かのついででない限りあり得ないし、今の状況では、まず無い。

では、その【良かれ】は何で得るかと言うと、上記の最新の関係性にも頼ったりしますが、どう見せる世界でもって、その小さな写真の撮り方とか、数少ない言葉や単語から、これは会いたいと思える何かの発信の有無。そのラインが、物凄く高いと言うか狭き門と言うか。
でも、見目麗しい狭き門ではないですよ。僕が言いたいのは、
限られた世界故のデータ量の少なさから大量が参加し出会いを求める希薄な中から、
その人なりの味わいを、一定以上に感じられる人。これが僕の求める人。

例えば、読書の欄で、【本は読むのも好きだけど、書くことはもっと好き】と言える人。
風変わり100%の売り出しではなく、素朴な中からガツンとくる一節が書けれる人。好きだな~

その反対に、渡航記録の羅列とかには、あまり意味が感じられない。
僕が書くとするなら、【21世紀に入って海外に行ったことがありません】です。

話し変わりますが、これから静かに祈る時間を設けます。
今回もまた須らく最善の形で完結したことに関する感謝の念は、とても丁寧に祈ってもなお余りあるくらいの奇跡なのです。


le 5 dimanche
//32000円は//無駄ではなかった。
常滑焼祭りで一目ぼれした32000円の急須。何のためらいもなく購入し、しげしげと眺めてから、僕の急須作りが数段向上したようです。






さてさてさて、今、無風なんですが、明日の朝、台風が最接近するそうです。
いつから急変するのかな??
今晩も、寝る前に静かな時間を設けましょう。


le 4 samedi
//常滑は31km//瀬戸は家から片道17kmですが、常滑は31km
この街も好きです。瀬戸も常滑も多治見も。

来月はクラトコだし、もう一度常滑に行けれる!!


le 3 vendredi
//やっぱり// 前回、似ているな―と思ったのだが、まさか、あんなふうじゃないでしょ、僕の記憶では、、と思っていました。もちろん、今晩も、最初の内はそうだったのだが、思い違いしていました。  では、どういう風に違ったかと言うと、歳をとったとか、太ったとか剥げたではなく、本人から出る雰囲気が、僕の記憶とはまるで違う。 


le 2 jeudi
//質素倹約闘争、再び// この前の増税を前後して、質素倹約闘争に邁進し、結果としては諸々の緩みも許される生活となり、結局、散財がちらほら。いかんいかん、ここらあたりで再び締めてかからないと。

le 1er mercredi
//早い!!!!!//もう10月。こんな調子で11月になると、とうとう今年もやり残したことでいっぱいと焦るのだろうか!!
それは案外早く来るだろうとは、もう経験から分かる。


 
→→→先月の日記←←←