octobre.2015 le 31 samedi //イメージがあると// 設計図なんて書きません。イメージが頭の中にあると、スラスラと作れてしまいます。 le 30 vendredi //作陶// 最近までドライブに浮かれていたのに、もう少し長続きするものだと思っていましたが、明日は作陶です。それも楽しみで仕方ありません。 全くそんな素質もありませんでしたが、ある日を境に爆発的に上達した。と、いうより目覚めたという感覚が正しいです。前世を信じるなら、一人は陶芸家であったと確信するほどの劇的な変化。まるで僕が上達したのではなく、僕の体を利用して前世さんが目を覚ましたと。とても嬉しいことです。 le 29 jeudi //昨日一昨日// 頭から離れません。今、この一瞬が人類史上最も新しい歴史だという不思議。それは認めても、宇宙史的に今が最も新しいのかというと、それは違うと思う。 妄想は続く。この瞬間が最も新しく人類の歴史の新たな一ページだとしますね、今が地球の歴史からしても最も新しい。これより先の未来も無い。 無い!? いや、ある。 今が最も新しい瞬間だとして、例えば10秒後や1時間後、いやいや1秒先の世界が、全て秩序だって訪れることも不思議だ。過去に作り上げたシステムが未来に光放ち、今に降り注ぐ。訪れる未来の秩序だった風景は、全て過去の創造物。過去に作り上げた全ては未来へと投射している。その光届く範囲の物の「残影」みたいなのが、その都度現在に降り注いでいる。未来は誰にも分からないというけれど、10秒後の世界の僕の部屋の間取りは同じである。それは、その瞬間、慌てて整えたのではなく、過去の模様替えの残影。それが現在に降下したしたようなもの。 そう考えるとですね、過去の事象は、その及ぼす範囲は瞬時にして未来へと投影し、そのつどそのつど現在に降下する。氷りが及ぼす未来への影響力は短いけれど、テレビだと10年先も投影している。変化するものとしない物は、投影力の長短なのである。 つまり、今というのは、今、自分が好き勝手に動かさせてもらえるだけの、小さな事象に過ぎず。その舞台は、未来からの贈り物ではなく、過去という映写機が映し出す「未来」なのである。 未来は確かに見えるのである。しかし未来から発せられるのではなく過去という映写機が未来に向けて送る映像である。 le 28 mercredi //補足して寝る// 昨日の続き。今の宇宙はビックバンからって言われているじゃない。 それをソーダの泡に見出します。泡が誕生し外に大きくなって弾ける。つまり、その宇宙の最新の状況は泡の外縁。刻一刻と大きくなっている。僕らの今一瞬が、人類の地球の歴史で最も新しい瞬間。それは外に向かう泡の皮に僕らが位置していると考えても良い。 ですがね、もし宇宙は無数のソーダの泡だとしたら、僕らの向かう未来は、仮に隣の泡が弾けたとしたら、その最も核となる再過去の方向へ進むのである。 つまり、僕らは未来未来に進むのだけれど、誰かの領域の過去へ過去へと進んでもいる。 もし、そこで乗っている車両を乗り替えることが出来るのなら、その過去のある一時点に着地し、それから彼らの進む未来未来へと向かうので、意識の上では、常に未来に向かっているのだが、まるで来た道を戻るようなルートだけれど、常に新鮮な驚きで満ちている。 le 27 mardi //一番の不思議// まるで小学生みたいなことを書きますが、最も不思議な事を書きますね。それは、今、この瞬間。この瞬間こそ人類の歴史で一番新しい瞬間。そう、コツコツとこの瞬間こそが最新で、人類、いや地球の歴史の上でも、この瞬間こそが一番新しい。 と、ここまでは言えますが、果たして、この理論を広がる宇宙の全ての隅々にも応用できるのでしょうか!? この瞬間こそ大宇宙で最も新しくて新鮮。 僕は思う。そんなおこがましいことがあろうかと!! 一番や極みってのは、本当に極点みたいな存在で、のんべんだらりとしているわけではない。今、この一瞬が大宇宙で最も新しい時であるなんて、あり得ないと思うのです。大宇宙での極の一つを自分が体験しているなど絶対にあり得ない。 確かに狭い存在で言えば、この瞬間が時の最新の状態だと思うのですが、大宇宙で見ると、ソーダの泡の弾ける様で、物質の変化がそれぞれに起きており、泡単位で見るといつも最新の状況だけれど、大宇宙で見るなら、上にも下にも横にも弾けている泡の一つであり、決して全てに共通する時の最新の状況ではないと思うのだ。 と、いうことは時というものは普遍的なものでも角度が一定で延々に真っすぐに伸びる性質でもなく、人間が小さいので普遍的に思うのだが、大宇宙で見ると時は湾曲したり、僕らは未来に向かっているのに、まるで僕らに近づく、そう僕らの過去へ向かってくるような別の時間の最新の衝撃波みたいなものもあると思うのだ。 そういう降り注ぐ別の最新の無数の波形があらゆる方向から僕らをすり抜けているように思う。ただ無害で見えないから時間というのは「地球時間」の一つしか感じ得ないのですが、それが全てで宇宙を説明しようと思うと無理がある。 要約すると、全ての物質は変化というそれぞれの未来に進んでいるのだが、その方向は千差万別で僕らに向かってくる別の物質の変化の波形は、それはそのまま進めば僕らの過去に突進している。生まれ成長し果てる過程は時の進行であるのだが、僕らの進む道は、誰かの領域の中心に向かうものであり、それは誰かの過去に近づく。ただ無害で見えないので、そのまま通り過ぎているのだが、実は好き勝手に無数に交差している繊維の塊みたいなのが、それぞれの時の進行の混じり合いだと思う。 だからと言って、どうなるわけでもないのですが、この瞬間が最も新しいと思うのは間違いで、もしそう思うのなら、今というのは生命の誕生から死までの過程の最新の状況であり、決して全ての存在の最先端に位置しているわけではない。 le 26 lundi //作る気がしないのと// 何も考えずスラスラと出来てしまうのは、同じことではないかと思う。 写真の白天目茶碗はとても好きな形ですが、同じのを作ってみようという気は全然湧かない。良いモノを量産できれば素晴らしいと思うけれど、その気が全く起こらない。一方、昨日の写真は何も考えず勝手に作り上げたと言っても過言ではない。 そう!!!作る気がしないのと何も考えずスラスラと出来てしまうことは同じことではないかと思う。そもそも、僕の作陶も隠れていた何かが爆発的な露出で発見できたものであり、一昔前の潜在的な存在が成し遂げたものだと思う。 さらにつき進めれば、自分の意思とは関係なく、その人がしてくれるような感覚なのです。気が乗るも乗らないも心の中のその人次第。 その人は僕とは絶対的な親和性があるはずなので敵対的な行動には出ない。もと、ブレーキをかけるとするのなら、何かの警告のはず。作る気がしないのに作っても時間の無駄であると予見しているからだ。 そういう内なる自分とのさらなる前進をいかように進めていけば良いものか!?表の自分は何をしてあげせれるのだろうか。 le 25 dimanche //もっともっと//精進するぞ――― ブッタがムハンマドが悟りや昇天の境地に達したように、ここ最近、至極当たり前ですが、とんでもないことだと身震いする思いがありまして、少し書きますね。 写真の作品は本日の作陶。でも、朝一番は粘土の塊だったのです。それは粘土代そのもの。仮に500円としましょう。もみもみして変形しても500円。親には価値があっても他人には500円の粘土代のみの作品もあります。一個100円なら買ってもよさそうな茶碗もあります。と、修練しつづけると、どこかの段階で500円の粘土の塊が、1500円なら買ってもいいよ!とかの世界に変身する。※売ったためしないので例えばなし。 美や価値ってのは、そういう希少なものがあって値がつり上がるのだと思っていましたが、いざ自分が陶芸に没頭するようになると、田畑を工作するように、美や価値が最終的に生まれるのだという、世の中の富を生産する不思議な存在であると、気がつくのです。 粘土の塊が、最後には称賛される。そしてそういう意志やルートがあれば換金という行為に乗せることもできる。実に不思議。本当に不思議。粘土の塊が、粘土そのものの価値しかない、その粘土が、全く別な輝きを持って世に出る。それが自分の手作業の中から生じる不思議。神の栄光は燦然と輝き潤沢であるような記述は聖書に出てきますが、皆が黄金の宮殿に住める世界が別に用意されているのでもなく、まさに、このことではなかろうかと思うのです。もし、作る環境と求める人との換金行為がルートとして整備されるのなら、まさしく、あとは粘土の変形に従事すれば良く、まったく溢れる栄光と富だと思うのです。 まあ僕は一個も売ったためしがないんで、言うのなら美の観点でしか話せませんが、世の中の美は、自然の造形美だけでなく、人間が作り出せるものであり、偉大な先人の遺作だけでもなく、実際に能力と環境が整っているのなら、ポンポンと世に誕生させることが出来る。これってのは、偉大すぎません!!!!? 美というものは誰かが評価し人民の評判でもって確立しているのだと思っていましたが、いやいや自分でも作り出せれるではありませんか!!!!実に不思議で有難いこと。こんな能力があるのなら、惜しみなく使い、どんどん美を世に送り込もうと決意します。 美の作り手の側に居られることって、既に仏典や聖書・コーランに出てくる神仏の恵みを受ける世界そのものだと思うのです。まさか、現世にあったとは!!!と愕然とする喜び。 le 24 samedi //この不経済を//涼しい顔して出来るのもリーフのおかげ。瀬戸で施釉して、いったん帰宅して知多半島は師崎の温泉まで。北に南に。昔なら、こんな発想は思いもしなかった。ガソリン代から解放されるって素晴らしいことです。 le 23 vendredi //夜の都市生活者// 週末、特段の予定を組んでいない焦りというか、いつもに無い気晴らしを求めて。 終電間際。 le 22 jeudi //先週と今週は、、// 毎日早く寝ている。たいてい一週間なんですが。。。それはですね、新しい季節に体を慣らす頃合いを見て、僕は一週間ほど連続で早く寝る寝る運動をするのです。 昨日なんて、毎日早く寝ているのなら、少しはベッドの中で本も読み進めれるでしょ!と思ったのですが、全く進まず次の次のページは捲れなかった。 le 21 mercredi //冷たいうどん//10月も残り10日なのに、お昼のうどんは冷たいのを選ぶ。 ロシア人は冬にもアイスクリームを食べるし、氷を切り裂いたプールで泳ぐし、冬に冷たいうどんを食べたら案外美味しかったりして!! le 20 mardi //NとN// 世俗的な願いは、そう、快楽が伴う願い事は、いつも近づけば近づいた分だけ対象物が反発して遠くなる。磁石の同極の接近みたいな感じ。努力も偶然も全く働かない。。。 ただ、世俗の願い事が全て叶っていたなら、僕は作陶もここまで上達しなかったはずだし、フリーターみたいな生活をして、それでもなお満たされない真面目な生活にこそある独得の充足感を追い求めているのかもしれませんね。 le 19 jundi //5日連続// 当たり前ですが、今日から5日連続の勤務。まあ、日記書く頃には一日消化しているのですが。 それにしても暑い!! 一旦、寒くなったと思ったら暖の戻り!! さて、お通じの話。ここ最近の傾向は、土-日と滞り月曜に臭い滞納物が。火曜日も臭い滞納物が。水曜日に通常処理の臭いのが。の、繰り返し。結局、ドライブも陶芸も体動かしていないということなのです。 le 18 dimanche //冴えない日曜日。。。// 本日も終日作陶でありましたが急須一個だけ。。。 こんなことなら、当初考えていた「ひまわりの湯」にいくなり別な動きをするべきだった。 他にも下らないことをして一人辱めを感じたりと、冴えない日曜日。。。。。 le 17 samedi //一個だけ//終日陶芸だったのですが、 大型の作品を一個だけ作ったら疲れがどっと出てきて90分ほど早く切り上げる。 さて、本日は行きに二回、帰りに一回充電しようと思ったのですが、どれも先客がいた。 どうやら、施設の整備と電気自動車の普及が逆転したようで、例えばディーラーに二台設置の普及とか近々に進めなくては、どこかで不便が噂されてしまいそうです。 le 16 vendredi //思いについて// どここかで真剣に分析してみたいのですが、自分の思いについて。 叶う叶わないの二通りに分類されます!と言えばアホ!!!と言われそうですが。続きを聞いてください。 下賤な欲無く、利己の欲無く、こころから誰かを助けたいとか、これは命や人生のピンチであると思い、避けようとする、状況を転じようとする純粋無垢な願い事は、必ず叶う。 ところが欲が前提で、それが沈静化すること無く地獄のようにボコボコ溢れている環境に置いて、表面だけ冷静に装い祈ったりしても、全く叶わない。 比率で言ったら、1:9ですわ。後者の願いを、如何に前者にするか、そういう欲や雑多なことを巡回無垢な形で祈れたらと思うけれど、なかなか欲は心の奥を平静にしてくれない。おそらく、ポイントは願い事の質ではなく、欲に基づく願いとの不調和が原因だと思う。欲が根底にあると心から祈れる環境にはなかなかなれないのです。 //早く寝る寝る運動// この言葉は僕の造語ですが大好きなんです。つまりです、寝るというのは力んでいては達成できない。だけど、秋の交通安全運動のように、意図して然るべき方向に促す。それを睡眠に置いて実施する。力んでいては寝れないけれど、早く寝ることを敢えてする。 お休みなさい。 le 15 jeudi //夢に出てきたので// 浅い眠りだったのでしょう。飛んでる矢は止まっていると同じですが、僕たちは、今、この瞬間を生きているのであって、そう、瞬間をポチポチポチっと絶えまなく生き潰している。夢では、瞬間しか生きていないのに、ずっと生きていると連綿として生きていると錯覚するのは、過去を切り捨てていないからであると。どれだけ思っても修正利かないのだから、過ぎ去って捨ててしまえば良い過去を、まるで連綿として今に通じる命の河のように思うのは、ポチポチポチの瞬間として生きる本質を見失い、まるで人生のレールが過去から未来へ続くように、それに乗っかっていると思うからだと。。。 そして、妄想は良くないけれど適切な未来を思うことは大切だとも。 つまり、生き切るとはポチポチポチの瞬時の人生の絶間無い滝のような流れであったとしても、あってはならない方向から瞬間が来てもらっては困る。そういう自己防衛のためにも、近々の未来の然るべき姿、そう2-3歩先のあるべき自分をどことなく想像して生きることは、適切な瞬間を得るために必要であると。。。 le 14 mercredi //ありがたや三連休// 三連休の偉大さは、終わってみても実感する。今週は4日だよ。毎年のことですが、お盆過ぎてから年末まで祝日が多くて、有難いことです。そうそう、今年は秋の晴天率が高い気がする。こうも快晴が長く続く秋も珍しいと思うのですが。。 le 13 mardi //昨日の話// 帰宅後、床に倒れ込む。疲労感が一気に出たので。あの、纏わりつく悪性の疲れが、久しぶりに。それから一時間後、なんとか椅子に座ったのですが、重力に抵抗できず、そのまま疲れと一緒に溶けるようにして、さらに一時間。なんとか起き上がれるようになり、歯を磨いてベッドに潜り込む。お風呂に入ったのは本日の出社前。 le 12 lundi //2.5日// 三連休のうち2.5日を作陶関係に。本日も終日没頭。 上二段-下三段梅花紋重箱。上一段にも変更できるよ!! これも厚めに作ったんで、簡単に仕上げれました。 le 11 dimanche //関刃物祭// 我が父上の度重なるリクエストにこたえて、岐阜県は関市の刃物祭へドライブ。朝、早く着いたので、ディーラーで30分充電。この間、近くの喫茶店でモーニング。 陶器まつりは各地でありますが、はもの祭ですからね、そりゃ全国から来ますわ!! 来年も行きましょう。 帰宅後、施釉しに瀬戸へる le 10 samedi //たまたま行ったら、あらら。// 古窯焼成作陶日でした!! 何にも考えずもいつもの粘土とは違って一日で仕上げる。 って、ことで前にも作った大型香炉を。 少し厚めに作ったら、こうも簡単に作れるものなのですね。これは新しい発見。 le 9 vendredi //まるは温泉// 平日の疲れを師崎の温泉まで。三連休、明日は作陶の日なので、思いっきりドライブの前倒しということで。。平均電費が9.3に行くかなと期待していましたが9.2のまま。 le 8 jeudi //一年の試練は// 5月の連休明けからお盆までの間。あとは、ちょっと働いたら三連休とか、週の中日で祝日とか。特に年の後半は休みばかりっていう印象は毎年のことです。 さてさて、昨日は10.5時間寝ました。お目目パッチり浅丘ルリ子。 le 7 mercredi //密度低そう。。。// 次の三連休のことです。確定した予定が中日のみですらね。。大型の企画は無理ですし、まあ陶芸に舵を切ろうか。 今日は、早く寝るぞーーーーーー le 6 mardi //反対に回しても。//僕は 手回しロクロのみでの成形。左回りの高速回転。これは多くの人と逆です。たいていの人は右回り。でも不思議なことに、同じものを作ることが出来るのです。 マイナス×マイナスは+で答えは同じということでしょうか。 さて、このマイナスとマイナスを×と+になる仕組みを僕は説明できません。そうであるからとしか言えないからです。。。。 le 5 lundi //乗らない一日//納車して初めてではなかろうか。こういう日が、日毎に多くなっていくのでしょう。 近々の夢に、この車で長野の友人の山の家に行くことがあります。一応、金曜日出発で時間をかければ。問題なく到達できます。帰りは充電時間の関係から、早めに失礼しますが。 le 4 dimanche //平均電費9.2km/kwh// 2500km走行してこの数値は凄いでしょ。旧ウーマン号で徹底したケチケチ運転の技術が電気自動車でも有用でありました。本日は知多半島は先端でお魚の朝市。帰宅後、作陶に行こうとしましたが、その体力はもはやなく、まさかまさかの非陶芸の異常なる週末に。 僕のドライブはしばらく続く。充電スポットの関係で行けない場所があるのも事実ですが、山岳道路や高速や、旧ウーマン号では到達できたルートや環境を、この車はどれだけ達成できるか知るためです。1万キロは運転しないと、この車の能力はつかめないと思う。 le 3 samedi //440km// 久しぶりにエレガント・ウォーキングをしました。諏訪湖一周16km 金曜日21時に家を出る。今回の道程は全て下道。高速を使わない所に、リーフの偉大性が最大限発揮されるのです。 瀬戸から多治見の峠越えで外気は13度。噂通りの忍び寄る冷気。この先を懸念せざるを得ません。急遽コンビニによりゴミ袋を買う。これを膝やお腹の上に敷き保温に努めるのですが、最大の収穫は足元。足元があまりに冷える。僕はゴミ袋をふくらまして足の裏にフットレストのように置く。これが保温効果も覿面で助かりました。 最初の充電は中津川のディーラー。仮眠も並行しての30分。 寝ている間はシュラフを毛布代わりで全然問題ないのですが、もはや走行時に暖房の使用は避けられない。と。言いつつもドケチで名の通るウーマン。シート―ヒーターを低めで設定。 これが絶大な効果を発揮し、以降、これ以上の暖房は使用しませんでした。 二回目の充電は木曽福島で仮眠と共に30分。 三回目の充電は必要もなかったのですが岡谷で仮眠と共に30分。 そして湖畔に早く着きすぎたので仮眠。 5:45⇒8:04 一周16kmの諏訪湖を2h19mで回る。 それから下諏訪の共同浴場で朝湯の後、新鶴で和菓子を買い求める。 来た道を戻る。 奈良井の道の駅で四回目の充電。40分仮眠と共に。 途中、松茸を求め二軒寄り道するものの、既にシーズンは終了とのこと。。。 五回目の充電は瀬戸市で10分だけ。する必要もなかったのですが、まあ何となく。 そして帰宅。 旧ウーマン号で想定されるガソリン代の枠内で、ほぼ賄えました。 とくに高速を使用していないので、支出の少なさは圧倒的です。 le 2 vendredi //100%までの間、仮眠する//バケツに水を短時間で溢れることなく注ぐためには、80%近くまでは勢いよく注ぐものの、それ以降は絞って100%に到達させる。充電もコレと同じで、市中の急速充電器では100%まで充電しません。だいたい80-90%に抑えて、遠出するときのみ自宅で普通充電器を取り出し100%にする。 今、この時間。所要時間は2.5時間だそうです。お休みなさい。 le 1er mercredi //早く寝る寝る運動の日//21時前には寝ています。久しぶりにするなぁ、早く寝る寝る運動。 まあ、金曜日の晩から動きますんで。 |
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