la propagande

このページは過去の日記から、
今に言いたい内容を不定期に抜粋するものです。

2008年1月17日の日記からです。

le 17 jeudi
//何故、死んではいけないのか!?// この質問に答えるのは難しい。残された者が寂しいから。それだけで論破できるだろうか? きっと未来は明るいから。そう言い切れるだろうか? その人は未来も絶望しているので全く根拠無い話である。  しかし、死んではならない。  その答えを言うならば、僕はこう考える。

死後の世界はあるかないか誰も分からない。

ここは平等に確率を1/2としましょう。

さて、なにも無い世界ではなく、実は天国と地獄があり、自殺したものは永遠なる飢餓と劫火の中で彷徨う・・・・としたら、どうします???

あらゆる宗教書では自殺した者の行くべき世界は酷い有様。まずは調べる。

例えば、死後も世界が続くなら、人生は長い。
今、自殺して、残りの「人生」が、この比ではない永遠なる苦しみである確率、それが1/2。
そんな歩の悪い賭け事をするなんて正気ではない。アナタは一度、冷静になり、そんなヤクザのような賭けの世界に入るべきではない。

この世が苦しくても、この世は「人生」の中では短い。この世のために長きに亘るあの世を台無しにするな。

何故、悲嘆を回避するために大いなる悲嘆を手にしなければならないのでしょうか。そう言い切れる確率、1/2。



僕が思うのは、人生が無事平穏で終わる人は少ない。ある人は大地震に遭遇したり、台風の直撃で家が倒壊したり、火事にあったり、交通事故、犯罪に巻き込まれたり。考えれば切が無い。健康を害したり、頼れる身内が無くなったり、気づいたら借金の山。


例え、善良で法を守っていても災難は訪れる。ただ、善良なる者には、その程度は低いだけ。そう思っています。

さて、何かの理由で、人生が嫌になるけれど、それを言い訳に自殺したら、1/2で、この嫌さを上回る嫌さをおそらく永遠に味わうのです。

例え苦しくても、生きてみるのが最善だと言い切れる確率、1/2。

人生の大仕事。1/2の賭けで挑戦する人はまず居ません。家を買うにしても結婚をするにしても慎重に考える時間がある。


 現在の日記へ