septembre.2007 le 30 dimanche //早いお帰りだこと// 7:30の朝食を食べ、慌てて宿を出る。 朝食は500円。 500円でこの内容は大いに評価できます。 急ぐ理由は唯一つ。ETC通勤割引の適用。それも二段階活用。何としてでも9時までには、松阪インターで一度降りて入らなければなりません。夢の超特急運転により間に合いました。全線半額の2100円! 家に着いたのは10時過ぎ。余裕ある帰宅は、それはそれで意味を成すので満足です。 ガソリンを極限まで満タンにして来月からの値上げに備える。 肌寒い昼、波の音を聞きながら三時間ほど昼寝。 ■御座での波の音は、波そのものは穏やかで、波の個性を最大限に引き出しているのですが、風防を上回る風のゴワゴワ音が入ってしまう。 ナチュラルな音を修正するのは嫌なのですが、低音部を下げてMDに落としました。 気にならないレベルに仕上がりました。 ■浜島の夜の波の音は、風もなく、その点は評価できますが、こちらは少し荒々しいので、そういう音が好きな人向けです。 ともに車の音も入らず、録音環境は良い場所です。 //不安になって当然// 日曜の夜、明日からの仕事を考えると、ちょっぴり不安になったり、不安が転じて嫌になったり。それは僕が弱虫だからか? そんな感情は上下の変化はあっても消えることはない。だから不安になって当然だと思っている。 では、不安のまま、おびえながら月曜を迎えるのかといえば、それは違う。 漠然とした不安を、安心感に変える。これが精神衛生上とても大切。こんな手品みたいなことができるのかと言えば、人それぞれでしょうが僕はできると信じています。 もう何年も続けていることは、日曜の夜は特に大切に、そして平日も翌日に向けての、心静かなる祈りの一時。その静けさは瞑想に近く、一通りの祈りを終えたら、瞑想につなげる。何も考えないけれど、私は存在する。 そのような習慣づけはできていますので、今考えるべきは、より効果的な文言でしょう。 新興宗教や性格改善など、怪しい切り口から金儲けをする個人や団体は今後も尽きないでしょう。問題は、そのような宗教的な感覚を科学的な冷めた目で見て、冷めているからこその確信を得ることでしょうね。 残念なのは、この手の話は一網打尽にして受け付けない人もいます。危険回避のために、ある意味有効な手段です。 だけど人間って、自分の経験や、せいぜい口達者な相談好きな友人のアレコレで、解決を図れるレベルなのでしょうか? いつ行っても伊勢神宮は人の尽きないこと。 田舎のお地蔵さんの日々手入れの行き届いたこと。せめて、このくらいの信心は、人が優しく角も立てないという意味から持ちたいものです。 le 29 samedi //晴れの日の夕方// そんな一日だったら、もっと印象も違ったことでしょう。終日、曇天。夜に雨。 距離にして三重の浜島は諏訪と大差ない。しかし、諏訪は中津川まで高速であとは下道にしてもそんなに時間はかかりませんが、三重はそうはいかない。 木曽路にたいした町がないのとは対照的に、国道23号線は三重県の幹線国道。まともに走ったら信号の連続で夕方になっちゃう。 だから、名古屋から伊勢まで全線、高速利用。 今回もETC二段階活用により半額の2100円。 伊勢神宮内宮の荒祭宮。 おかげ横丁では、伊勢うどんと赤福を。 実は、今回の旅に当たって、便秘気味な体質の改善もかねて粗食で押し通そうとしていたのです。大嘘吐きになりました。 ホテルのチェックインは午後の四時。時間は有り余る。 英虞湾を取り囲むようにして伸びる半島の南東の先。御座まで車を走らせる。 水はきれいで白い砂浜。御座白浜と呼ばれる海岸に、人は僕だけ。 夏も終わった閑散とした海は、大好きです。 堤防の上でしばしの昼寝。この間、デジタル録音機で波の音を収録。 帰り際、マイミクさんにも進められた和具の集落へ。 海女さんが浜で焚き火をして、海の幸を焼いて食べるのは良く知られた光景ですが、シーズンも終わったのでしょうか? そんな気配はなく、和具の集落もまずまず大きいので、狙いを定めることはできませんでした。 でも、せっかくリアス式海岸の英虞まで来たのに、何も食べず帰るのはもったいない。 事前の知識がないのは四苦八苦します。 ようやく、大き目の寿司屋を発見したのですが、店頭には全く値段も乗っていない。躊躇しましたが入ることにしました。 特上握り2500円なり。 大台町のスーパーで、黒ビール二缶と辛子明太子にヨーグルトを買い込み、小雨が振り出してきたので宿へ急ぐ。3:30に入りました。半ば強引。 伊勢では持ち帰り用の三個入り赤福も買ってきてあるので飢えの心配はありません。 この宿は、今はビジネスホテルですが、もともとは日観連の旅館。部屋は全室和室で、バス・トイレ、かつ広縁もあり。これで素泊まり一人3500円。朝食付きで4000円。 部屋からは海も見え、また最上階の浴場からはもっとはっきりと見える。 しかし!「古+臭い」 これに耐えられるかどうか! 浜島の町で、美味しい料理屋とかを見つけ、そちらでの満足感で相殺するのなら可能ですが、そうでもしなければ、辛いかもしれません。 宿に入り、展望風呂に浸かって、明太子とビール。それに赤福も食べ昼寝。 目も覚めたらあたりは暗く、ブラリ歩きの時間を逸してしまったと焦る。 この宿には夕食はなく、探すべき必要があるのですが、全然知識がない。 とにかく歩いて、ようやく品の良い店の暖簾を潜る。 こちらも表には値段は出ていません。漁師町はこんなものか? 網元が営む料理屋で、品数豊富にどれも新鮮。 この他に生中を二杯で5500円ほど支払う。 確かに美味しいのですが、名古屋で食べるよりもはるかに美味しいのですが、越前海岸や焼津で食べる海鮮に比べて、なにかそのパンチ力に欠ける。 店を出て、来た道を戻る。 廃業に追い込まれて久しい遺構。 いったん部屋に戻り、再び表に出る。 海岸は近くて、そこに照明も明るい小さな公園がある。 ベンチに腰をかけ、コチラでも波の音を録音。その間に携帯からmixi日記をup。 ルパン三世のエンディングで、不二子ちゃんがコートの襟も立たせて冬の海岸に立ち、灯台のライトを浴びて帽子が海に飛ばされる歌がありましたが、まさにそのような場所。 リアス式海岸なので、湾を形成する向こうの岬の端に灯台があって、光が周回する。 今回の浜島の旅は【南の毒沢】を探す一環なのです。 ところが結論から言えば、天気も悪く、その感激がない分だけ、毒沢には及ばず。 次回、天候も良いときに再訪して、毒沢になりうるか見てみましょう。 le 28 vendredi //シクロクロス// マイミクさんで同じGIOSに乗る人がいます。彼はシクロクロス。どうやらロードとマウンテインの中間の造りのようです。 速く軽く走りたいけれど、それよりも重要なのはパンクの危険性の低減。ロードよりもはるかに丈夫だそうです。シクロ。 で、買うなら愛着のあるGIOSだから、マイミクさんのと被るけれど、許してもらいましょう。 今日は、久しぶりに二キロジョギングした。 涼しくなったのと、便秘気味なのと。 le 27 jeudi //結構真剣なのさ// はやり、諸々の方面から考えてみても、ロードレーサーっぽいのを買うのが最善だと思う。 まず、体を動かしたいのと、素晴らしい休日(素晴らしい景色や体験)を両立させるために、ロードレーサーは向いている。 さらにガソリン価格暴騰に見事に対処し、自転車は初期購入費用の他はほとんどタダ。 唯一の欠点である、素晴らしい自然までのツマラナイ道程も、分解術をマスターすればセダンのウーマン号でも乗せれるはず。 これから真剣に勉強して、年内には購入します。 //実際、足乗っているし// 変な女、片足、土俵に乗っているし。国技返上したらいかがでしようか? デブのスポーツ、相撲。 だいたいデブに細やかで鮮やかなことなど無理なのに、人を殺して隠し通せるとでも思っているのだろうか?? デブのくせして事態が公になると、コソコソとしているけれど隠れるの無理ってもんよ。デブだもの。 横綱審議委員会も、朝青龍のときは口も達者だったけれど、この殺人については物言いしないの?? 多くの国民にとり、相撲の好きでないところはガスの種火のように心のどこかに燻っていましたが、この殺人事件での情けない動きにたいして、苛立ちを募らせていることでしょう。 デブのくせして陰でコソコソするなっての。 le 26 mercredi //日記を検索する// 僕のHPは273ページもあるそうです。このサービスを受ける以前は、過去の日記を探し出すのに四苦八苦でしたが、今ではとても簡単。「小さな精神の石」というキーワードは覚えていて、その箇所が読みたくなって、調べたら、瞬時に判明。2004年三月の日記でした。 //つまづきとは些細な精神の石// 自分が思うに、皆自由に生きているとしても、やはり何かしらの歯車に組み込まれている気がする。 ストレスを感じる人は、その歯車が些か歪。スムーズでない。 誰かが、僕の歯車に小さな精神の石を置いたとしても、それは顕著に現れる。 そう。誰かのペースを崩すことなんて意とも簡単なんです。 ちょっとしたイヂワル・非協力・無愛想・不親切は効果テキメン。 彼の歯車に意図的に小さな精神の石を置けば、彼はその日はギクシャクするはず。 体調は特に顕著。運勢というか仕事関係人間関係も何となく分かる。バランスの崩れる頃。これを放置すると体調面でも精神面でも風邪を引く。初期の手当てが必要です。 何となくそれを感じます。須らく最善の形で解決するには、やはりアレですね。 le 25 mardi //2月27日火曜日の日記// そもそも退屈しないのは行きたい場所と行くべき場所が目白押しだからでしょう。 越前大野など地方都市を2-3箇所堪能したら、「しらびそ」や「大平宿」「毒沢」「白水湖」など年中行事格、気が付けば夏なんです。 延期した土曜日出勤が確定しない。これが気がかり。 3/4は川売の梅の花かな? 遅すぎるか?? ただ一眼レフがポンコツな状態なので、行く気が失せるのも事実ですが。 越前大野は、行けれませんでしたが、今年の春夏も、 大平・しらびそ・毒沢・白水湖・川売は全て行きました。年中行事格になると、こんなもんです。 この夏にやり残したことは、二年越しのやり残しですが【ひぐらし】の録音。 録音全般も今ひとつ盛り上がりに欠いた。 適当な読み物が手元にないとき。そういう時に限って睡魔はなく、地下鉄にも座れて。 そんな時、pcサイトビューアーで過去の日記を読むのが、なかなか面白い。一ヶ月が一ページなので、一度受信すれば終わり。結構な量で、自分の書いたものに、面白いというのも変ですが、確かに面白い。 この週末は三重の浜島。良い音とれるかな? le 24 lundi //皆様のウーマン旅行社// 11月の三連休。恒例の三人旅+一名。 ■プラン@■ JR塩尻駅10時集合-ワイナリー巡り-奈良井宿にてお食事-乗鞍高原 ■プランA■ 伊那バスターミナル11時集合-伊那のソースカツ丼を昼食に-奈良井宿-乗鞍高原 ■乗鞍では■ 手作りアンプ作り(希望者) 乳白色の温泉 詳しくはコチラ 時間があるので、行き先をガラリと変えることも可能です。関係各位はウーマンにメールを。 //古里でなく、下宿でもなく// 何の縁もゆかりもない土地。育ちもしなければ親戚もいなく、ましてや大学や転勤の先でもない。それでも琴線に触れる、そんな場所。 それを海外に置き換えるなら、この例えも鮮明でしょう。スイス!とかオーストラリア!とか。無性に好きで何度も行く。 そんな場所が、僕には国内にもあって、それは南信州と諏訪。 嬉しいことに、この地の情報を地元ケーブルテレビ局の自主番組の配信で知ることができます。 ■南信州 ■諏訪 地方都市で過ごす週末はお気に入りですが、飯田もそろそろしなければ。 le 23 dimanche //あなたに出会えてよかった// 名曲ですよね。 帰り、どうしても寄りたい場所がありました。ここのソースカツ丼に出会えてよかった。絶品ぞよ。 帰りは、伊那路を一般道にて南下。伊那市のT村食堂のソースカツ丼も食せて大満足。 栗がゴロゴロ落ちていないものか!?と期待して、飯田からは大平街道を利用して南木曽へ。拾えたの四個だけ。 マツタケの季節なんでしょう。所有者の軽トラの監視がなんか嫌な気分。 聞けば、皆さん、三連休はいろいろと旅に出ているみたい。僕はウーマン号の範囲内で、しかも北北東の方面ばかり集中しているけれど。前に誰かに地元圏内でこんなに楽しめれるアナタが羨ましいと言われたことがあります。そういわれるとせいぜいウーマン号で一泊圏内ですからね。 でも、只今、【南の毒沢】計画もあるのです。 その場所が相応しいものか、早々に調査隊を派遣します。 le 22 samedi //全て嫌いだと人間ではない// 絵を描くのが、本を読むのが、文を書くのが、楽器を弾くのが、書道をするのが、ダンスをするのが、木や石を彫るのが、etc そういうのが好きだから、人間。 //毎度を少し変えての諏訪の旅// 今年三回目の諏訪は毒沢鉱泉の旅。 毎回、木曽路を北上しての諏訪入りですが、今回は中央道を伊北まで利用。一度中津川で降りて・・・ つまりETCカード二段階活用により、フルに通勤割引を適用。半額。 本当は夜中に出発して諏訪湖一周ウォーキングを早朝に済ませたかったのにね見事に寝坊。 最近、寝坊の事例が多い。 狙っていた鰻屋の開店時刻は11時。20−30分暇なので、湖畔のベンチで本を読む。 気ままな諏訪の旅は、【ノンビリに徹する】が目的なので、これはこれで心地良い時間。 さて、岡谷市は鰻の産地らしいです。一色町を抱える愛知県民にとり、それは新鮮な響きですが、鰻好きの僕にとり大いなる楽しみ。鰻価格論は以前の日記にも書きましたが、この店の特上うな重は1700円。 うなぎって高い食材というイメージもあるけれど、専門店の最高位のメニューが1700円なのは格安な世界。寿司や焼肉の専門店では、こうはいかない。それを発見してからというものの、鰻とは大変に食べ得のある食材だと認識。 う〜〜〜〜ん。65点。 感動ってのがない。 それから諏訪湖を一周するように車を走らせ、上諏訪の片倉館で湯に浸かる。この歴史ある建築物の隣には、同じく味のある諏訪市美術館が。 僕は諏訪の宿に泊まるたびに見るものに、地元ケーブルテレビ局のLCVチャンネルってのがあります。 長野県って、連邦共和制のようで、各エリアに独立した新聞があり、それも複数あって驚くこともある。昔から、社会党も議席を獲得する岐阜とは違った在野的なものも息づく、そんな県。田舎=保守というイメージは薄く、議論闊達お上に物言う気風?? 何が言いたいかと言えば、LCVの独立性。 最近は、地域ごとのケーブルテレビも盛んですが自主放送ってのが枯山水状態。 ところがLCVは、積極的に取り組み、内容も面白く、深く取り組んでいる作り。 数日前、ネットで検索したら、ページがありその日のニュースだけは見られる。それを見るのが日々の楽しみになっているのですが、諏訪市美術館にあった【多面体展】なる看板を見て、そのニュースを思い出した。210円払って美術館に入るのも、旅慣れた諏訪だから。行き急ぐものはない。 名も知らぬ市民有志の作品にはいろいろと思うところもありました。今日の日記の一番最初に書いたもの。その時の印象です。食事・睡眠・生殖とは関係のない欲求。それは押並べて人間的なものですが、それを作品に仕上げる生き方の豊かさを思わざるを得ませんでした。 美術館を出て、湖岸の木の下に腰を下ろし本を読む。ところが見上げて見た雲の形が、明らかに普通ではなく地震雲!!!と身震い。 僕はmixiのコミュで地震雲などを見たら有志が携帯などで撮影し速報でupするものに入っていて、そちらを覗いたら、他にもこの異常に感づいている人がいた。これはホンモノ!!!とかなり不気味に陥る。 その場所を離れ、感じの良いコーヒーショップを探したのですが、なにせそこまでの知識がなくて、マックのドライブスルーで一杯手に入れ、別の湖岸で再び読書。 諏訪湖は、臭いこそないのですがアオコが繁殖していて水質の改善を急ぐべきだと思いました。興ざめです。 それでも、湖の青さと空の青さの間にある山並みは、見ていて飽きず美しい。 いつもは木曽路を北上して塩尻のワイナリーを見て回るコースでしたが、今回は入り口を変えたので新鮮な心地。それでもチェックインの三時近くになったので、毎度の買い物を西友で済ませ、和菓子屋で饅頭も買う。(この間、西友が移転していてビックリ) 一番に宿に入り、夕食までの間に二度風呂に入り午睡もする。 一人で戴く夕食も慣れたもの。 この宿の素晴らしさは何度も書いているので、今回は割愛しますが、年内に1-2度は訪れる予定です。その時は、諏訪湖周辺の美味しいコーヒー屋さんも見つけましょう。 le 21 vendredi //本気で痩せる// 夜は食べない。 寝る前だもの。 そもそも毎日一万歩以上歩いているのに太るのは、それを凌駕するカロリーの摂取。 お盆の山登りで痩せたのに、6キロほど減量します。 でも、諏訪明けね。ダイエットは。 なんかガソリンが高騰し続けていますね。調子付いて値上げばかりしていると脱石油の時代になって、あんたたち干上がるわよ!(ほとんど言いがかり) le 20 jeudi //TARO先生ありがとう!!// mixi日記で南の毒沢を探している旨書きましたら、早速にも先生から第一級の情報が寄せられる。 それは小さな港町の海の見えるビジネスホテル。素泊まりなら3500円から。 この集約された小さな港町が魅力。少し離れれば大自然。中に篭れば猥雑なところもあるだろうし、一人夕食を探しにブラブラ歩くのも面白すぎることでしょう。 あとは、周辺の情報を収集し、日帰りの天然温泉、評判の寿司屋、本を読むのに好都合な展望公園とか探しましょう。 近々、調査隊を派遣し(僕)、良ければ本格開拓で、海を見たい衝動に駆られたときの、南の毒沢に位置づけましょう。 それにしてもビジネスホテルで良かった。 一人旅の、地方都市で過ごす週末の醍醐味は、夜にブラブラ当てもなく旨そうな店を探すこと。 さっ、今週末は諏訪。旅の準備をいたしましょう。 携帯中国茶器セットを買ったので、二種類くらい茶葉を用意して、それから本も二冊程度用意して、岡谷辺りの鰻屋を調べて、、、、、 慣れた旅先とはいえ、ちょっくら考えていることもあります。 le 19 mercredi //問題は二泊目だ!!// 例のごとく毒沢の旅館に泊る三連休は初日。なんでしょうか。この繰り返しは。毒素を排出する健康の旅?? 今回は趣向を変えて、岡谷市を探索して名物の鰻を食べましょう。 問題は二泊目。そのまま帰る公算も大きいのですが、地方都市の風情を堪能しても良いし。 山に行くのになんですが、どこか人気(ひとけ)のない海岸でボ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っとしたい。 次なる旅の宿題は、僕が海の色を見てノンビリできる宿探し。一人旅派なので、そういう者も違和感のない宿。ビジネスホテルでも良いけれど、とにかく寿司が美味しく、人気のない海岸があるところ。志摩辺りにありそうですが。 le 18 mardi //日東壮遊歌// 宮本輝全集第二巻読破後は、日東壮遊歌。朝鮮通信使の韓国人官吏の日本見聞録。 本当に面白いです。 頭に広がる光景は、当時の松の枝並みの向こうの海の色とか。はやく名古屋のところを読みたいです。鳴海もあるのかな? そろそろ本気で痩せましょう。 ヴァカ。ホントに馬鹿。 勝手に話を展開させ、そうでないと知った時のアホらしさ。 その非は全て自分にある。 le 17 lundi //ナンダカンダ言って・・・// 天気良いじゃん。迷う。遠くに行くべきかゴロゴロするべきか。 この場合の遠くは車で100キロはどこか。 雨の心配はなさそうなので、久々の自転車です。覚王山まで足を伸ばすことにしました。 もう少し涼しくなったら、快適なんですが、九月も半ばというのに暑い。 覚王山ではコーヒーショップで一服。 読みかけの本が佳境に入っていたので、ここで読破するつもりでした。 ちょうど読み終えた頃メールが入り、何度かやり取り。 覚王山にも素敵な中国茶のお店があると教えてもらい、コーヒーショップを出て5分もしないうちに二軒目の店内に入る。 コチラはコチラでとても素敵。エリアごとに拠点となる喫茶店を知っていれば、自転車散歩も面白味が増すはず。 覚王山エリアは、ここに決まりです。 最近の散在を反省して、本日は自転車散歩に徹したのに、帰り際、他の店とかにも寄り、10000円も消えてしまった。 自転車でも散在できるというわけです。 そろそろ質素倹約闘争かな。 家に戻ったら先日amazonで頼んだ本が届いていた。 //小説を読み始める// 何度も書いたことですが、僕は小説はほとんど読みませんでした。架空の絵空事を呼んでも実益にはならない。 それなら誰かの研究紀要などに目を通すべきであると。 路線を転換しました。どんどん読みますよ。貪るように。 その理由は過去に二度ほど書きましたので今日は言いません。 ヒントというか(ほとんど答えだけれど)、それを言うならば、絵空事でも伝えたい何かがあるってこと。伝えたい何か。 //食前の祈りのように// こんなことを吐露する必要もないのですが、もう10年以上も欠かさず続けていることを紹介しますね。 それは、その日一日の仕事が無事平穏に終わることへの祈り。日曜の夜には、次の週の仕事が無事平穏に終わることへの祈り。 祈りというより、思い描く。それを精神も統一して静かに大切に念ずる。 平安や安寧は、成果や勝利と違って静かな存在ですが、黙っていても降り注ぐものだと思ってはならない。それを思うとき、長く続く平安と安寧のパワーには凄まじく畏怖の念を感じざるを得ません。 僕は、この手の「祈り」の日記を何度も書きました。祈りという目には見えず宗教じみて迷信に近いと思われがちなものを、何年もかけて自分なりに解釈し、ボンヤリとではありますが答えも出ました。HPを長年やっていて、最大の収穫はまさにコレでしょう。 その存在を神と称する人もいれば仏という人もいるはず。それが何なのか全然分かりませんが便宜上Aと名付けるならば、世の中にはAが存在するのです。そのAは偉大で全てを覆わんばかりの広大無辺なのに、別に語りかけてくれるわけでもないし、色もなければ形もない。昔話で、神様に祈れば即座に語りかけてくる人間の受け答えのような明瞭さは、その道の達人でなければ見ることもできないと思っています。しかし、Aは存在し、それを懐疑なく信ずれば身近に感じることもできるのです。 そのAがなんなのかは、言葉になるようでならない。 ただ、森羅万象、生命が存在する限り広大無辺に見えざるが存在するものでしょう。そして人間は生きているが、それは大いなる営みのほんの一部であって、死んでもなお生きていて直線上にある。だからAに願うとき助けてくれるのです。生きている自分は全体のごく一部なのだから、多数派の智慧を借りるべきなのです。その通信手段が祈りであり瞑想。 それに気が付けばAをとても大切に思い、時に願い時に助けを請う。それで良いと思っている。 例えば、極端に言えば、仏前や祠に、毎日花や塩を盛らなくても、その時するであろう、懐疑なき祈りの通信があれば事足りると思っている。 ただAを信じ認めなければ、話は先に進まない。そのAを僕は感覚として分かったつもりでいますが、言葉では説明ができない。 なんでしょう。聖書とか仏典。コーランなど、おびただしい人間の数が悠久の昔から信じてきた統計学。三冊目を通せば分かるかもしれませんね。 よって、変な展開になりますが、Aを知るために僕の日記にフムフムと頷いてもダメ。僕の人生は35年だし、新興宗教の歴史も仏教に比べたら湯葉みたいなもの。信じるに値せず。 しかしAは存在します。とても身近に。ひょっとして内在していて、かつ外在もする。そんなAを持てる言語力を最大限に動員して説明するならば、やはり神であり仏。漢字一文字に帰結する。 le 16 dimanche //お洒落ナビゲーターと共に// その格安なメガネの情報もお洒落ナビゲーターによってもたらされた。 僕の勝手で彼を早起きさせ、いざお買い物。 安部晋太郎メガネを現代風にアレンジしたものを二点買う。 もともとフレームの太いメガネには抵抗があったのですがお洒落ナビゲーターの後押しにより新しい世界が広がりました。 それから三越で石鹸を一つだけ買う。そして、こだわりの茶葉で中国茶を愉しむ。 それで日曜は終わると思っていました。 夜は家出。とにかく、母上が僕の部屋でのみしか受信できないハイビジョン番組を二時間ほど今から見ると言い出し、居場所を失う。 一日に二度、中国茶を飲みに行くのは初めての経験。 夜は、とても素敵な洋食屋さんで古き良き時代。 le 15 samedi //楽しみ⇒愉しみ// ムフフとする密かというか、私だけのお楽しみ⇒愉しみ。 僕は、卓上の中国茶セットに湯を注ぎ、高級なスーパーとかで買った割高な小さなお菓子をお供にするのが、ムフフで密かな楽しみ⇒愉しみ。 今日は、朝一番にヘアサロン。 それからこだわりのケーキ屋により何点か選ぶ。家に戻り、お洒落染め。天然染料だから時間がかかる。兄一家が夕方遊びに来たのですが、シャワーキャップみたいなので僕は応対。 そんなけの土曜日でしたが、我慢も限界に髪も伸びていたころなので、とても充足した土曜日。 le 14 vendredi //お楽しみは夜も更けた頃// まっすぐ帰り、シャワーを浴びて車に乗る。遅い夕食は、名古屋北部市場に隣接する寿司屋。 寿司って、塩分が多いんでしょうね。毎回、食後に喉が渇き、不思議なことにコーヒーを求める。 だから、離れているけれど日進のコーヒー屋まで足を運ぶ。 三連休は明日から始まるのだけれど、実質、こんな素敵な金曜日の晩からスタートできるのは幸せですね。 le 13 jeudi //台風に救われる// 三連休、特に何かしようという外への渇望がなくて、かといって内へのプランもない。こういうモヤモヤって僕は引きずるタイプなので、三連休は終わるまで何しようか?と考えているはずと思っていた。 ところが台風の影響で天気は良くないというので、外のプランは一切放棄。これで少しは救われて、内なるプランに専念できる。 ヘア・サロンとお洒落染め。それと買おう買おうと伸ばし伸ばしになっていたメガネの購入に当てようと思います。それで三連休が埋まるとは考えていませんが、小さな所要を片付ける週末でありたい。 le 12 mercredi //自分の山でキャンプをしても睨まれる// それが田舎というもの。山で一番恐ろしいのが山火事。何十年の努力が灰になる。 それが我が家の名義でも三重の田舎の山。今は名古屋人。村人には警戒の対象になる。衆人環視の恐ろしいこと。 でも、もったいない。負担金を出して林道も開通したし、沢もある。 今後、何年か通い、間引きをして下草を刈り、沢の近くで、それなりの平地を作って、火事の心配もない、誰の目からも安心な土地作りから始めようかしらん。 次の週末は、ヒグラシを求めて、三重の田舎に南下しよう。祖母にも会わなくちゃ。 //結局は馬●に帰結するのか!?// 安部さんの突然の辞任。 彼は誰もが責任を取ると考えた参院選大敗後に続投を表明した。この不思議な構図を説得するために彼はアレコレ説明しなければならず、国民の側からすれば、何度も聞かされた。その後、内閣改造をして、やはり言い訳というか決意を聞かされました。 大いなるマイナスを補填するのにはやはり長ったらしい説明というか説得。 こんなに聞かされて、国民も本人がそこまでやりたいなら仕方ないと、黙認というか再チャレンジのチャンスを与えた。所信表明も聞いた。 彼は、何度かあった辞任のチャンスを見事に逃したばかりか、辞め際も最大の無礼というか失態。 やはりの●鹿に帰結するのだろ。 僕がもっとも腹立たしいのは、続投よりも、この最悪の辞め方。 こんな無礼を平然とし、その理由を党首会談を拒否されたからと小沢さんに転嫁する脳内の構図は一度大学病院で診るべきでしょう。 本来なら、この無礼をどうしてもしたいならば、ただただ平身低頭に謝りつくし許しを請うべきなのに責任転嫁して匙を投げる。 それも所信を表明した二日後に。 美しい国と保守派の良心の代表格みたいな立場を喧伝したなら、せめて日本人として道理を尽くした辞め方をするべきでした。 こんな不遜で無礼を平然として教育のあり方とか述べているのだから、やはり本末転倒支離滅裂。我侭なお坊ちゃまの戯言に日本国民は付き合わされていたということでしょう。 でも、裏を返せば小沢さんの老獪さが伝わります。 なんでも強行採決して正面突破をするのが強い政治リーダーと思っていた彼に、参議院は妥協しない旨を伝え、彼に詫びさせる精神的圧迫は、我慢も限界に達したのでしょう。強い男のプライドは実に弱く、そのあたりをチョコンと突いただけで、この有様。 国会の論戦も始まっていないのに、参院のイメージだけで彼は伏してしまった。 自民党にとっても最大の被害者になりかねない辞め方。精神の錯乱に近いものがあったのでしょう。とても表に出すのは無理だと。 漏れ伝わるところでは、彼自身のスキャンダル云々・・・と何かで見ますが、ただたんに歴代の首相に比べ格段に、そのなんというか、劣っていたのでしょう。 le 11 mardi //追求・工夫は人生の楽しみ// 今考えているのは、大白川並みの格安なのに、最上級の質感を味わえる休日は他にないのかと。 金を払えば、贅沢はできる。美味しいものも食べられる。 でも、それは小学生並みの脳活動。 ほとんど金を払わない。しかし、人も羨む休日。これを何パターンか確立したいのです。 茶盤も少しは乾かさなければ。 本日は茶盤なしでの中国茶。 //禁断症状// 快楽をもたらす物質とかから謝絶の状態で、全身が砂漠で水を請うような心境。 そう定義すれば、あの時僕は快感に浸っていたのでしょう。 それは地方都市で過ごす週末。 なんだか無性にあの風情に浸りたい。 le 10 lundi //この風情// 僕は諏訪の毒沢鉱泉の某旅館には年に何回も(一人で)泊る。名古屋からの北上コースもほとんど同じ。 名古屋インター→中津川→国道19号→塩尻のワイナリーにてワインの購入→下諏訪の西友で部屋での酒とかを買う→新鶴で和菓子を買い込む→宿。 チェックインも、毎回、受付開始から90分以内には入っている。 さて、部屋ですることといったら、道中で購入した長野県内各地の地方紙。● ● テレビは地元のケーブルテレビ局のLCV。 これがなかなか面白い。 ニュースだけですが、ネットでも配信。 まったく実生活に何の影響ももたらしませんが、こういう気に入った場所の情報を視聴覚で感じることができるのは便利な時代だし、名古屋に居て風情満点。 そろそろ、この感覚にどっぷり浸る頃です。 諏訪は年に何度も訪れます。 コースも全く同じ。でも飽きない。 le 9 dimanche //三連発// 今週は郡上八幡。先週は大阪。その前は、白川村。 次なる三連休はどうしましょうか???? ヒグラシの音を探しに行く。 地方都市に泊る。 毒沢鉱泉に行く。 飯田線に乗ってみる。 休みが充実しているのは良いことだ。 でも、その休みのためにセッセと働いているスタイルも悲しいものがある。 仕事-休み そういう陰陽な二面的でない時の流れを確立したいものです。 le 8 samedi //幸せなドライブ// 郡上八幡に絶品なる鰻を食べに行く。大満足。 この町は、湧水の豊かな町。湧き水は街角のいたるところにあって、湯飲みも添えられており、夏のぶらり歩きに涼をもたらしてくれる。 マグノン師とは長い付き合いで、互いに車は好きなのに、ご一緒して遠いところに行くのは初めてでした。 そのあと、上前津の中国茶の店により、先日頼んだ茶杯と聞香杯を頂にあがる。ホッとする店は、疲れも堰を切って表れて、ここに来て疲労困憊。そうそうに家に戻る。 le 7 vendredi //足元にある地方都市// 地下鉄のある路線は毎日のように利用するけれど、降りない駅はぜんぜん利用しない。 そんな駅の近くにバーなんかがあって、扉を開くと全く面白い時間が流れる。 ここは名古屋で地元にも近いのに、見ず知らずの土地。 そんな地方都市の風情に浸れる夜のちょっとした時間っていろいろとありそう。 世の中の流れは、大都市に東京に、先進国に、人口大国に集中するけれど、 僕は何故だか逆行して、ノイズは入るけれどAM岐阜ラジオ。長野の地方紙などに目を通す時間が本当に好き。 le 6 jeudi //お洒落な人はFM// 10−15年昔の視聴覚の選択肢。テレビにレンタルビデオ。テレビゲーム。ラジオならAMかFM。お好みのCDを流し、好きな時間を構築する。 現在、これに加わるものとしての最大勢力はネット。 他にはケーブルテレビなどの多チャンネル時代の到来。 選択肢があまりに多い。 少し前、お洒落で憧れの的であった民放FM局のDJ。大変だと思います。 //自ら記す奴隷の証// 大阪の地下鉄で、正しい日本語も習得できていないような日本人青年がいた。彼の手にはtatooが。全く、目立つのが粋なのか、手の甲にも記している。 彼は、自ら永遠の下層階級の指定席を得たようだ。この手の甲のtatooは彼の就業を大幅に制限し、彼の再起を挫くでしょう。 若いときに粋がるのは理解できます。 しかし、手の甲のtatooは、若さもなくなった頃、終身の経済制裁を課すでしょう。 そもそも古代ローマでイレズミといえば奴隷兵士の脱走を防ぐためのもの。一生の奴隷であると宣告する信号。 せめてペイントなら救われるのに。 どれだけ真面目に再起しようと心がけても、手の甲のtatooを発見した採用官は答えを決める。 人生の選択肢を自ら狭めることは愚かです。 le 5 mercredi //秋の予定表// ●大阪に行く ●諏訪の毒沢鉱泉に行く&ワイン購入 ●中津川に行き新栗の栗きんとん&ヘア・サロン・地方都市の旅 ●美濃の白川でのコテージ ●郡上八幡での鰻 以上、確定事項。 //9/5は戒めの日// 今日から一年無事故無違反なら帳消し。当たり前を維持するのは難しい。 le 4 mardi //近すぎる存在// 今週末は瀬戸物祭り。一度は行ってみたいと考えるものの、混雑のあまり避けてしまう。 近いのだから、穏やかな週末にでも、と考えるのだが、近いからまた今度と延期してばかり。 近いから、あえて突撃するという考えも成立すれば、近いから、混雑を回避すると述べることもできる。 要は、瀬戸の向こうには、僕を魅了する東濃や木曽の山があるので、手前の瀬戸は次の機会と考える。 ただ、瀬戸市は愛知県にあって地方都市の風情という観点で言えば随一の地位。 瀬戸川に沿って古い町並みが連なり、陶磁器を売る。 そして旧市街の周りには「窯集落」が点在していて、面白みに層がある。それも何層もある。そんな瀬戸の町を探索して、夜は赤提灯に入り一杯するのが地方都市の風情なのですが、大問題は、そのような場所にホテルがない! 栄には瀬戸線で一本の瀬戸。ホテルの需要がないのは理解できます。 ただ、僕は、どっぷり浸かるのが大好きで、瀬戸という街で地方都市の風情を味わうと決めたら、泊りが前提になります。その大前提が揺らいでいる町なので、いつも延期になってしまうのです。 le 3 lundi //お忙しい陛下// こうも度々大臣の認証式をするのも大変ですね。今まで、大臣に辞任や更迭は何度となく見てきましたが、仕事もせずに辞めていったのは初めてのような気がする。赤城でも実質は海外逃亡ですが公務もこなしていたし。 聞くところによれば、首相には「許さないリスト」とかが心にあるそうで、そこに名前が載ったら最後、絶対に許してもらえないそうです。 少しの昔、ネットの中では隣国の奇妙奇天烈な大統領を揶揄しては、何かしらの爽快感を得ていましたが、まさか国内にも居たとは。 le 2 dimanche //高話// 前日が文化探訪なら、本日は未来を占う高話です。 何をお話になったのかは、ここでは伏せますが、何故に僕が、大阪まで行き拝聴賜るのかをお知らせしたく存じます。 それは今から5年も前、(その時も飛田新地には行きまして) 時の首相は小泉さんで、後継の話は世の中に存在せず、彼の躍動に日本国民が心を奪われていた頃、親愛なヒロシ同志は、次期首相は安部さんであり、彼が選挙をすれば自民党は大敗するであろうと僕に語ってくれたのです。 その話が現実のものになったのは皆様もご存知のはず。 帝塚山の喫茶店で、他に四名が、中にはメモも取り出して聞き入る。話は多岐に亘りましたが、選挙の総括と、それ以外は諸々の未来。 それから阪堺電軌鉄道に乗り、最南端は堺の浜寺公園まで行き、難波に戻る。 往復のアーバンのチケットは購入したのに、衝動の神戸で行きは新幹線。11/7までに、再度の来阪というわけです。 最近は、一人でキャンプをしたり、そんな休日でしたが、今回の滞在によって脳の使われていない部分が活性化されたのを明瞭に感じております。 親愛なヒロシ同志におかれましては、改めまして御礼申し上げます。 また、親切にしてくださった皆様方にも、特にマムコ女史に御礼申し上げます。ありがとうございました。 le 1er samedi //自己批判// 今回の大阪。行きは神戸に立ち寄りたくなって、駅裏の格安チケットで7100円を払いのぞみに飛び乗る。目的地は中華街。 新幹線も、新大阪までなら5500?円程度なので、大幅な増額。 何がいいたいのかと言えば、新神戸で降りても、三宮までは乗り換え。 それなら、新大阪で降りて梅田まで行き、阪急か何かで行けば、、、いやいや、新大阪にも止まるJRの新快速に乗れば、時間にして40分程度増えるだけで安く抑えられるような気がするのだ。 //本来の日本の夕暮れ// 今回の大阪は、親愛なヒロシ同志主催の飛田新地での宴会と、彼の高話。どちらも価値のある内容。一挙両得という言葉がありますが、一度の大阪で、価値ある二つの大イベントを経験できたことに、心よりの感謝の念を申し上げるのです。 集合場所は、JR新今宮駅。僕は、御堂筋線の動物園前から駅まで歩くのだが、その歩道の、向こうを歩くか、手前を歩くかで、嗅覚の疲弊度には相当な差も生じるだろう。 手前を歩き駅に向かう。 数日前の新聞で、ドヤに巣食う彼らも高齢化し、全体の数が減ったのはもちろんのこと、安宿は外国人のバックパッカーにその活路を見出す記事を読んだばかり。 それでも、世界陸上が行われている大阪とは思えない光景。 歩道でうずくまって寝ているオッサンがいる。 他の町なら、人々が集まり、彼の容態を聞いて救急車も呼ぶだろう。 しかし、この街の臭気は、彼が好きでそこに寝ていると教えてくれる。 13人の宴会で、知った顔と言えば親愛なヒロシ同志と伯爵先生。緊張するのかと覚悟を決めていましたが、彼に集まる人々は、とても解放的で門戸が広い。 JRの新今宮から、飛田新地へ向かうのに、それなりに平穏なコースも設定されているとは思うのだが、客人をもてなすお気持ちでしょう。向こう側の事務所の前を歩き、そのブロックの中を右に折れたり左に折れたり。 僕たちは今、頂点と言えば金メダルのようで語弊があるので、「極み」と称しますが、そんな極みを歩いているのです。 幹線道路沿いから見る、極みの縁側も衝撃的だが、一般市民は、その奥に何が広がっているのか、立派なコンクリート物件が邪魔をし、見ることもできず、ただただ想像するだけ。 その想像の域内で見たものが【本来の日本の夕暮れ】と僕は思ったのです。 極みの外周からは見ることもできない、この内部。そんな内部の夕暮れは、人々が一斉に表に出て(どこに内を構えているのかは不明だが、、、)、所在無く立ちつくしたり、歩きは緩慢で、その目指す方向も良く分からない。だれかに会えば談笑する姿。 行き交う顔見知りと挨拶を交わし、好きなところに寝たりもできる。 ひょっとして僕が見ている光景は、江戸の町の夕暮れと大差ないのではないか?と思った。 夕涼みと称し、家の前で風を感じ、将棋の相手が見つかれば、一杯やりながら次の一手も考えていただろう。食後から日没までの貴重な太陽の照明を、町全体の休息として活用していた。 風呂の頻度も雇用形態も、その実、江戸の町に似ていて、何が違うかと言えば、彼に家庭があるかないかの程度かもしれない。 時間にして10分程度の意思ある右往左往。 僕に語りかけてくるものを10分で表現することは到底無理な話だ。 宴会は、飛田新地で唯一カメラを構えることの許される物件でもある文化財の百番。成金の色欲溢れる楽園を具現化したもの。大正の価値観が憧れる甘美なる世界。 本来の使い方は、一階で宴会を開き、二階の個室で夜を楽しむ。ただ、ここは享楽の世界。個室一つ一つにも意匠が施され、東海道島田宿と称しては、中が渡し舟のような内装になっていて、夜の過ごしにも面白みを与えている。 そんな飛田新地の界隈は、その意思を引き継いでおり、先細りする伝統文化が多い平成の世にあって、業態は少しづつ変えているものの、立派に機能しているのには、ただただ、この街の度量の深さを思い知らされるだけである。 そして、僕は心斎橋のホテル日航大阪の30階に戻るのだが、夜景を見ても、麻痺していて、なにも信号が脳に来ない。 |
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