septembre.2008 le 30 mardi //私の美意識とは反する// 色気づいて魅せるためにtatooなどするマッハgogoboy そういう人が多くいる中で、全くそれを施さない人に美を感じます。 あんな彫り物、5-10年もすれば、それがあるゆえの醜悪が醸し出されると思う。スパイスのようなもので、美味しいと思う時期もあるのですが、さらに不味くなる時代に突入する。石鹸で消えればよいものの、消えないようでは、困ったものです。 年相応の色気というものはありまして、それを邪魔する最大の要因になると思う。 それを計算してかは定かではありませんが、手をつけないマッハboyは美しいし頭が良いと思う。 //反省しないご婦人// 近所のご婦人。ほぼ○になってしまった体系。歩くのにもゼーゼー。そりゃ太りすぎです。 しかし、拝見する度に、両手にカロリーの高そうな食べ物ばかりを買い込んだ重そうな袋。 医者に通うことがあれば、必ず注意されそうなご婦人ですが、彼女は、ゼーゼー言いながら両手に甘いものや脂の塊を抱え家に戻る。 そういう姿の例外を見たことがないので、感心するというか呆れるというか。 le 29 lundi //本を読む場所// 南信州へ誘う名古屋圏のリゾート国道。153号線。長野県に入って、高原状の地形を国道は走る。辺りは広葉樹が豊富で、新緑の鮮やかなことはもちろん、何年か前、見事なまでの紅葉に出くわしたことがあります。 そして、何年も気に留めては通り過ぎてきたお洒落な構えの喫茶店があるのです。 先日、入ってみました。木製のドアに小さな張り紙が。 「ここは大人の隠れ家。お子様はご遠慮ください」と。 そのときは、地元新聞に目を通していただけですが、 そのうちしてみたいことは、読みかけの本を持参して、 時おり窓の外を眺めては、コーヒーを飲み読書に耽る。 それがメインの休日の過ごし方があっても良いと思う。 名古屋ナンバーのこの人は、週末に来ては、一人で本を読み帰っていく。 そう印象付けされても全くかまいません。 過ごす、質。 これは追い求めたいものです。 le 28 dimanche //二つの教団// ウーマン号を走らせ栄で買い物をしようと思ったら、大規模なデモ隊によって大渋滞。 彼らは、貞操観念を守り純潔を訴えていました。 保守的な主張は傾聴に値しますが、大規模なデモ隊の割には所属団体等が一切伏せられている。 果たして、この謎な集団は何者???と思ってネットで調べたら韓国に本部を置く、某教団でした。彼らはキリスト教を名乗っていますが、壺を買わないと先祖の霊が解放されないなど怪しさ満点で、バチカンからも全く認められていません。 次に、お茶をしたときの光景。 その女は、真ん中で、右に僕、左に娘。 まず、僕が読んでいた新聞を、間髪入れずに、大きく頭を近寄せら、覗き込み、信州新聞をお読みなのですね。と話しかける。ところが、この話し方が不自然で、別の何かを意図している雰囲気が伝わってくる。 それもそのはず、その女は勝手に話しかけ、私も、常に○教新聞を持ち歩いていますと。もちろん関心ない態度で答える。 次に、左の女にも話しかけ、何を読んでいるのかと聞く。相手の答えなどは彼女には何の価値も無く、続けざまに今私の読んでいる本は、○明党を分かりやすく紹介した漫画です。一冊あげましょうかと。 娘は丁重かつ、即、拒絶。 その彼女は、ことあるごとに他人の会話に入り込もうとするのですが、 上記二つの事例からも分かるように、僕らの会話なんて何の関心も価値も無い。 ただ、ひたすらに、その教団と表裏一体の某党への勧誘がしたいだけ。 彼女にとっては、選挙も近いのか必死なのでしょう。 でも最近、特に思うのが、必死すぎてあまりに異質。 こういう熱烈な信者が現す異質性は他にも垣間見ましたが 良かれと思ってすることが、実に違和感がある。 それは自己の正当性の攪拌どころか、世間の感覚との断絶を体現していて、滑稽といえば滑稽。 le 27 samedi //青空に誘われて// 空の青さが僕好み。 この景色を、日帰りで堪能できるなんてのは、誠に有難いことです。 le 26 vendredi //仕事の夢ばかり// 夜中に目が覚めると、例外なく仕事の夢を見ている。 そんなに追われる思いもしていないのに、自分の感じないところで何かしらの圧迫要因でもあるのかな。 金持ちそうに見えて、実は貧乏人ってのは世の中に多い。 綺麗に着飾っているのに、返済すべき残高がある人とか。 それに比べると、 貧乏そうに見えて実は金持ちって言う人の割合のほうが 圧倒的に少ないはず。 でも、質素に暮らしていて、案外、豊かな人が一番多いと思う。 le 25 jeudi //自力更生だもの// いつも一人で平気。自分は強いと思っている。一人の時間も自分で居心地良くする。 詳しくは書かないけれど、二人一組で行くある種の催し物に関して、僕は特定の人を誘いすぎ、少し飽きられている。 自分は強いと思うのなら、別な枠組みを見つけ出さなくては。 その人が嫌というなら、あちらから行くというまで自分で他を探すべき。 le 24 mercredi //嫌味な采配は、転ぶ// 嫌味な采配をする権限があっても、それを実行すると回転が狂い自らに降りかかる。 ムムムムっと来ることがあっても、そこは伏せるのが自らに課せられた試練。 問題は須らく最善の形で解決されます。 しかし、問題の無い日々は、訪れない。 解決するべきことは絶え間なく訪れる。 その解決のために、もろもろの対策を練るわけですが、 必ず須らく解決されますが、 面倒だと思い、後回しにしたり、対策を練らない場合 冷徹な仕打ちとして我が身に降りかかる。 le 23 mardi //小学六年生、桐山●成くんの作品// 父さんは・・・・・ 選挙よりも MS(モビルスーツ)の方が 大切なんで すか!? 突っ込みどころ満載! まず、キミ、何でこのシーン知ってるの?? キミのパパは、ガンダム世代なのか。ふ〜〜〜〜 おい、審査委員。お前ら面白すぎ。 酸素欠乏症で頭のおかしくなった実父を見て 憂いに満ちたアムロの表情も細かく描写しすぎ。 ってことで本日は、目が覚めたら快晴だったので 車を飛ばして適当にドライブ。340km リッター13.2kmで走り終えました。 8:20に名古屋インターに入りました。ETC二段階活用のため、九時までに中津川に到着したかったのですが、当然に無理。手前の恵那インターで、8:58に二枚目のカードを挿入して、さらに北上。 恵那のSAで行き先を考える。30分ほど考える。 このまま諏訪まで行こうか。中津川で降りて、乗鞍まで行こうか。 いやいや濁河温泉を目指そうか。 それとも、毎度のごとく、下栗や天龍村方面に行こうか。 でも、せっかく二枚目の挿入に成功したわけだし、次の100キロを北上することに決意。そこは伊那インター。あの、ソースカツ丼の伊那市。 伊那市に入って、ポスターの上にも載っている田村食堂で、絶品ソースカツ丼を食べる。この間、地元新聞を読んでいて、目に飛び込んだのが、この秀作。 市内でコーヒーを飲んだのですが、あまり美味しくなく、この街を出ることにする。 伊那から、ただひたすらに国道153号線を名古屋まで。(猿投グリーンロードは使う) 伊那近辺は天気は良くなかったのですが、南下するに従い晴れ。 飯田で地元新聞を二誌買い、平谷村の温泉で足を伸ばす。 コーヒーの飲みなおしは、前々から気になるお店があったので寄ってみた。 たぶん、これからも行くでしょう。 最近は、ちょっとした旅日記は、mixi先行ばかりだったのですが、HPにこっそり載せるのも良いですね。 さて、青空が期待できるのなら、次の週末どうしよう。 諏訪の毒沢鉱泉に泊まろうかな〜〜〜〜 この場合、金曜日は車で会社に行き、仕事終わってから北上。 どこかで仮眠して、早朝のビーナスラインを楽しむ。 下諏訪の町の朝湯を楽しむのも良さそう。 お誘いしたい人はいるのですが、相方さんがおみえ。 自重するべきです。僕は、本当にそういう方面は奥手。 心の中にしまいましょう。 le 22 lundi //青空// 大陸の乾いた空気がもたらす快晴の青空。大好きです。時として、晴れていても人によっては薄曇と表現してしまいそうな白い晴れは、あまり好きではありません。 今日のような青空が休みの日だったら、間違いなく遠出しています。 それにしても、相変わらず仕事が忙しい。その疲れを癒すのに精一杯。昔は、仕事の疲れなんてのは、遊んだ後の疲れとまとめて癒せば良かったのですが。 //浅慮故の短編集// 書いてみたいです。物語の題材は数多とありまして、それは尽きない。ただ、どれもこれも浅慮-薄慮なので短編集として手短に書き上げたい。 例えばですよ、天使が空を飛んでいて、私が見たヘンテコな人たちの活動記録を神様に上奏する形式なら、とても簡単なんです。 ですが、それはリアリティに乏しい。 僕が書くのですが、「文字の中では誰が書く!?」 これが大問題。 主人公が書く物語にするなら、彼の相当の側面は描ききれない。 と、言って妻や彼や友人が書くとしたなら、やはり相当の側面が描けれない。 両方を解決するのが、時に主人公の内面を見通せれるような神様の類。 しかし、その便利な設定は稚拙すぎる。 世の中には、私を含めて変な人が多い。垣間見ているだけで、どんな映画よりも面白い。 le 21 dimanche //流行の発信は、ココから⇒// ● 【オハヨー スミマセン】を、一つのフレーズとして言う。 朝、会社の人と会ったら、オハヨーと挨拶するのと同時に、理由は無くても、とにかく相手に謝罪する。 神秘の国・日本の美徳を体現しましょう。 //散在が過ぎて⇒篭る// 雨だし、終日、家に居た日曜日。こういう過ごし方も、実は大好きで、篭ると決めたら、上質に篭るべきだと色々と工夫する。 自宅カフェであり、自宅湯治。自宅コンサートホール。 先日の日記にも書きましたが、真空管アンプとデジタルアンプ。思い出のスピーカーと、奮発したスピーカー。同じ楽曲をコーヒー飲みながら聴き比べる。 贅沢といえば贅沢な行為ですが、電気代だけです。 昨日散在しても、収支バランスが取れるのは、慎ましい贅沢に喜びを見出しているからでしょう。 窓を開けると、相変わらずしとしと雨が降り、時おり雷鳴が聞こえる。 急いで何かすることも無いし、もう十分、昼寝はしました。 雨雲が厚く、とても薄暗い17:40ですが、贅沢を感じているのです。 le 20 samedi //お買い物を楽しむ// 15分車を飛ばしてお洒落な街に出てみる。 仕事の疲れがたまっていたのか、今回もまた昼過ぎまで惰眠をむさぼる。 遠出は無理だし、名古屋市内をグルグル回りましょう。 15分車を飛ばして、八事。それから覚王山に行き、大須。 普段の出費といったら、炭火焼肉とカクテル代。これが週に2-3回。 あとはガス代と高速代。たまに宿泊代。その程度。 珍しく、名古屋市内で買い物三昧。 昨日の、懸案も解決しまして、開放感を満喫しているのです。 定価で服を買うなんてのもしましたよ!!!! 少ししたら、最新のモードで車を飛ばして、 青空の高速をどこまでも走り、美味しいものを食べ、泊まりに行きましょう。 さて、お馬鹿な日記を書きましたが、僕の消費生活水準はこの程度。 ところがmixiを見ると、栄耀栄華を誇った50年代のアメリカ人もびっくりな日本人の贅沢な生活。こればっかりは毎回驚いてしまう。 僕にも栄耀栄華は来ないかしら??? le 19 vendredi //懸案解決日//となりました。 かなりややこしい問題がありまして、三ヶ月ほど膠着状態。正直言いますと、この間、問題の最善なる解決を日々祈りました。 不思議なものです。本日、直訴するべきで、このように言うべきであると、2-3日前からふつふつと湧き出し、それも言うのは金曜日であるべきと、なんとなく、心のどこかで確信しているのです。 それに従い、本日、社長に直訴しました。問題は、最善の形で解決し、おまけにお褒めの言葉まで頂きました。 改めて、祈りは技術だと思う。 その技術に関しては、もう日記に何度も書いているので割愛しますが、宗教心の有無に関係なく、正しい祈りの技術は持っているべきだと思う。 le 18 jeudi //コードレス// マウスにキーボード。初めて手元にそれを置いたとき、あまりの不経済な造りに気分が良くありませんでした。 ところが実際は、デジカメやデジタル録音機で弱くなった電池を、最後まで使い切るという意味で、電池の墓場みたいなもの。これはこれで経済的なのかと思っています。 一段楽したかに見える名古屋駅前の再開発。 市民が注目するほどの奇抜なデザインや超高層のビルの建設は無いと思いますが、花を添える感じの30階程度のマンションとかは何棟か建設している感じがします。これらが完成すれば、名古屋駅もボリューム感が出るでしょうね。 本日は、西区方面から名古屋駅を見ましたが、手前に何棟もビルを作っていました。完成予想図で判断すれば25-30階建てでしょうか。 le 17 mercredi //都会には変な人が多い// 気になり始めると、その存在に気が付く。 その細長いビルは沖縄料理屋で、夜に開店。 ところが昼休みになると、おばさんが、 ドアの隙間に口を近づけて、「○○さ〜〜〜〜〜ん」と何度も叫ぶ。 約一時間。 一度きりの光景かと思いきや、昨日も見たし今日も見る。 そんなに用があるのなら、開店時間に行き、話を済ませばよいものの、 頭がおかしいのだろうか!?? le 16 mardi //音質// pcでもそうだし、その小さな携帯プレーヤーに沢山しまいこむから、音質は劣化する。質と量の交換条件。 僕は、音楽を楽しむといったら、デカデカ・ステレオシステムで聞くのですが、そういう聞き方も、中年の古びた趣味と言われるのも近いのかもしれません。 小さな真空管アンプの専用スピーカーは、もう20年前に買ったAIWAのデカデカコンポのスピーカー。構造が単純なので壊れることも無く元気です。 実際のところ、デジタルアンプでダイアトーンスピーカーがメインなのですが、たまに、この古いスピーカーを鳴らすのが好きです。 購入して20年目に知った真実は、AIWAスピーカーのウーハー振動板であるアモルファス・シリカクロス振動板は、DIATONEのOEMだったそうです。 ってか、スピーカーは、どれだけ手元に置いても楽しい。 とても現実味は無いのですが、往年の名スピーカーとか、 バブルのころの贅沢仕様のデカスピーカーとか、 気になる商品は多いのです。 金持ちに成った日には、スピーカーをコレクションしたいものです。 le 15 lundi //美味しい鰻// 四人組といえば、文化大革命で断罪された江青以下の四人組が有名ですが、本日の四人組は善良な四人。 そもそも互いに交流はあるのですが、休みが合わなかったりと、なかなか全員揃って遠出ができませでした。 ところが三連休の最終日に奇跡的に全員のお休みが一致しまして、朝も早くにウーマン号を走らす。 まずは、ひるがの高原へ。ソフトクリームを食べるために東海北陸道を北上。 今回初めてETC向けの簡易料金所を使い一般世界に出ることをしました。 ただ、一般社会に出たといっても、車の向きを変えただけで、同じく名古屋方面の簡易入り口を利用し、郡上八幡へ。 まずは、年に一度は食べるべき鰻屋へ。自分だけが美味しい美味しいと叫んでいるのかと心配しましたが、うな重を食べている間は、四人とも静か。会話も忘れる。やはり旨いというわけね。 八幡の街をブラリ歩きして、帰り際、うだつの上がる街である美濃の古い町並みにも寄る。 お天気は、あいにくでしたが、日帰りとしては、それなりに気分転換できたドライブになりました。 あとは、遠慮することなく温泉に入れれば、 旅の厚みもかなり増すと思います。 le 14 dimanche //経済は、道徳論に帰結するのか!?// まもなく訪れる不景気は、原油高とか資源高、サブプライムなど多くの要因が指摘されていますが、つきつめれば道徳観の欠如がもたらした天罰のような気もします。 極一部に富を集中させ、抑圧と制裁、法を改正した後の合法的抑圧などにより、体力の無い労働者は、ただ黙々と働く。そこに流す涙は多いけれど、法が変わったし、今のまま我慢してもらいましょう。 極一部に富を集中。まるでアメリカの話にも聞こえますが、崩壊した社会主義国に顕著です。その格差たるや社会主義国の方が激しいのかもしれません。結局、貧しき国民はサボタージュ・労働忌避性向などの消極的抵抗により、社会主義体制は生産性を上げることができず疲弊し崩壊してしまった。 アメリカが足を踏み入れつつある不景気も、弱き国民を大量に作り、彼らの衝撃吸収能力の無さから来る、再起不能と先進国民とは思えぬ購買力。 彼らは貧しさを体で張って、モノを買うことを拒絶し、新自由主義を崩壊へと導く。 使用者は、その責任から労働者より豊かな生活が保障されるべきです。裁判官が生活に不自由なく、任務に専念できるように、国家が生活を保障するように。 使用者は、小さな家族の集合体の家督であって、それなりの地位はあるべきです。 使用者は、競争の中に守るべきものの存在を認識し、彼らに対する道徳心を忘れてはならないと思う。 国家も党幹部もすっかり忘れて崩壊したのが社会主義体制であって、今や、看板は変わっても新自由主義の不遜と道徳心の無さは、天罰の対象に思えてならない。 そのバランス感覚は極めて鋭敏なセンスが求められると思うのですが、やはり、敬虔な気持ちと道徳心の保持が求められるのでしょう。 le 13 samedi //窮乏を楽しむ// 読んで楽しい天龍村史。急峻な山村に水田は少なく米は貴重品。名家であっても、年を通した飯の炊き方は何十通りも書き記してあって、常にアレコレ混ぜたりする。純粋な米の飯など大晦日に一回くらい。あとは米に何かを混ぜる。これは上位に位置する食べ方。次に米粥に何か混ぜる。そして麦飯に何か混ぜる。雑穀の粥に何か混ぜる。 この村は、とにかく飯の増量材を見つけ出す歴史。 本日、ジャガイモを三つ取り出し、すりおろしました。 そして小麦粉と混ぜ、匙ですくい、沸騰した塩入り水で湯がき、団子としました。塩気が多くて、そのままでも食べれましたが、味噌汁に入れて食べたり、焼いて醤油をかけて食べたり、往時を偲びます。 やはり、その程度で一日を過ごすとお腹が空きます。 それでも家でゴロゴロ本を読む程度なので、罰当たりな発言。 窮乏を楽しむなら、小麦粉に変わってそば粉でも面白そう。 米飯が当たり前ですが、少し前の日本人には、純粋な米飯はご馳走。 米に代わるものを考えるのは楽しいし、ひょっとしたら知っておくべき知識かもしれません。 例え、農業を迫られたとしても、その土地が豊かであり、灌漑が整い、 農機具があって、肥料や農薬も揃っているのなら、ある日突然の都会人の転進も可能かもしれません。 ただ、都会人が転進を迫られるとき、おそらく、それは迫られてのことで上げ膳据え膳の農業ではない。 痩せた土地で農業をするなら何を植えるべきか? 窮乏の歴史書でもある天龍村史は、無人島でのサバイバルな映画を見るようでハラハラドキドキの連続です。 le 12 vendredi //北朝鮮// 金正日の重病説はほぼ確定事項として世界を巡っています。危惧するのは、不満分子を徹底的に抑圧した政権の瓦解の早さです。 絶対的な政治力をもつ集団も個人も、崩れる兆候を国民が察知したとき、それは堰を切ったような現象として表れ、崩壊してしまう。 中国も、金正日なきあとの北朝鮮対策は練っているとは思うけど、北朝鮮国民の暴発を防ぐ意味での介入であり、そうであるならば、一刻も早く介入すべきであると思う。 北京が、平壌の動揺を知るのと同時に北の人民も察知する。さすがに、飢えた人民が手身近な抑圧機関に報復行動にでる現状の中で、丹東から平壌まで解放軍を南下させるのも難しいと思う。 北朝鮮が平穏なうちに親中国の傀儡政権を樹立させないと、残るは混沌とした半島だけ。そういう混乱を防ぐ意味からも、米国は黙認するでしょうし、韓国も抗議しないでしょう。 そもそも韓国も久しい以前から、北朝鮮との統一を「熱心には望んでいない」し、今回もまた、知らぬところで北朝鮮の扱いが決まるのでしょうか。 le 11 jeudi //生豆でコーヒー// 少量の豆を超深入り焙煎してコーヒーとなすのは、おそらく缶飲料系の製造現場では当然のことなのでしょう。僕が経営者であったら、そう指南しますし。 さて、生豆を買い、浅い焙煎で飲む。 豆は、ほんのり色づく程度で、まだ生豆の色彩に近い。 しかし、抽出された色合いは、それほど薄くは無くコーヒーであります。 さて、飲んでみると、アーモンドのような味わいのするコーヒーで美味。 何倍でも飲める。 なんか、深い味わいのコーヒーこそ贅沢だと思っていた概念が見事に崩壊した瞬間でした。 また生豆買いましょう。 le 10 mercredi //左手の壺// 親指と人差し指の付け根をたどると骨が枝分かれしている手の甲に辿り着きます。夜、本を読むとき、最近は電話帳のような分厚い本なので、本は枕の上。そうです。寝ながら読むのです。うつ伏せになって本を読む。両手は左手を上にするように重ねる。僕のあごは、上記の壺に当たる。どうもこの壺は睡眠を誘導するのでしょうか、2-3ページと進むまもなく寝てしまう。 ただ、最近は、こんな姿勢で寝るので夜中に目が覚める。ベッドサイドのライトを消し、再度正式な姿勢での睡眠。ここで気が付いたのは、毎夜、ヘンテコな夢を見ている。 まず、仕事をしている夢は必ず見ている。そして、想像を絶する奇妙な夢も見る。 le 9 mardi //裾野の芸術// 地方都市をブラリ歩きしたいという欲求は通年のもの。去年、210円払って、地方都市の美術館に行き市民の展覧会を見ました。もともと美術とか才能も無ければ関心も無い。ただ旅先で有名だからという理由でルーブルなり諸々の美術館に入りました。 心に残るものは、210円も負けてはいません。 //芸術は体現だ!//と思う。自分が脳内でイメージするものを、何かで現せることの出来る人が、その筋の才能の持ち主なのかもしれません。 思い描いても、カンバスにはお粗末な絵。それが僕のレベル。 そう思うと、人間が脳内でイメージするものを「現す」という一連の流れは、途中で他者が介在するわけでもなく、自己完結で終わるはずなのに、なんて言うことを聞かない指先であろうか。 脳内で思うこと⇒体現させる。 本棚の意図する本は、間違うことなく取り出せるのに、何故、思い描くことが現せないのだろうか。 と、言いたい放題書いていますが、世の中には得手不得手が数多と存在し、思い描くイメージを文章に表すことが、とても苦手という人もいるかもしれません。 それは陶芸家も然りで、思う曲線が現せないとか。 冷蔵庫を見て、頭を働かし一品作ることは出来ても、 何故、冷蔵庫の中身を、絵の具で描くことが出来ないの???? le 8 lundi //足元は新しい不景気// 好景気と不景気。その違いを端的に言えば、物を買うか買わないか。ネットショッピングが盛んになり、人が自宅にて買い物が出来るようになり、商店街に足を運ばなくなっても、やはり最終的には誰かが物を運ぶ。 本日、大手運送会社のドライバーさんと話したのですが、ここに来て、明らかにモノの流通が減っているそうです。 こんなエピソードが新鮮で深刻で、別の会社のドライバーさんにも聞いたら、同じことを言う。 つい最近、原油価格高騰で料金の値上げを打診してきたのに、今や、モノの奪い合いで、値下げ合戦に転じているようです。 原材料価格高騰の、新しい不景気も、次の段階に入ったようです。 第一段階は、消費者が財布の紐を締め、倹約に走る。 それが自分だけの慎ましい闘争だと思ったら、社会全体に攪拌し、 巡り巡って、自分の働いている会社の商品が売れなくなりつつあると。 さらに次の段階に入れば、支給賃金の減少。 今のところ、賃金は据え置いたとしても物価の高騰で、実質の目減り。 それが支給される賃金も減少されるだろうから、かつて経験したことのない 絡みつく不景気の連鎖に突入するのかもしれません。 バブルが崩壊し、供給体制の見直しということで、同一労働でも安価な賃金で働かせる、道徳心の無い労働体制が確立されました。 ところが、彼らが労働者の1/3以上を占める現在、その安価な供給者は 脆弱な消費者でもあり、使用者を苦しめる最大勢力になるでしょう。 やはり、あの時、我々は智慧を総動員せず、米国共和党のいうような新自由主義に踊らされて、安易に弱い国民を作ってしまったことへの罪は、今後も長く我々を苦しめるはずです。 le 7 dimanche //真心こめて// 期待すると外れる。私はそうだから。無欲のまま行きましょう。 人の心あっての人間関係。 そういう妙な法則を内に立てる人もいると思います。 もし、自給自足を迫られたとき、生きるがために真心こめて田畑を耕します。そして豊作を否定する文言など決して言わないはずです。努力したのだから、豊作であって欲しいと、そう願うのが本来の素直な気持ちなのでしょう。 農民に、期待すると裏切られるからと、手に持つ鍬も軽く握り締める人なんていない。 真心こめて、不作なら仕方ないけれど、 不作になるから、真心をこめないでは、そりゃ不作になるわけです。 明日から月曜日。多くの人と関わります。 その全てに私の真心が通いますように。 le 6 samedi //おそらく隣にいると思います// 初対面の待ち合わせ。メールでのやり取り。そのセンスが光っていて大笑い。 素晴らしい人と友達になれたこと、とても嬉しく思います。お時間が合えば、またどこかで楽しい話の続きでもしたいものです。 お忙しい中、名古屋まで来ていただいて、ありがとうございます。 さて、待ち合わせ時間に遅れそうだったので、僕は車にて名古屋駅まで。 途中、信号待ちで見た変なおばさんが脳裏から離れない。 座り込み、何かブツブツ言っている。ただ顔は険しいので優しい言葉の類ではなさそう。心から離れないのは、ガリガリな足。骨と皮だけになって、化粧はするものの、心身共に険しい人になったようです。 どうして、そうなったのか想像が膨らむ。 精神の故障から来るものか、薬物中毒患者の為れの果てか。 le 5 vendredi //面白すぎる天龍村史// 草木一本、岩石に至るまで、動物から歴史、全てを網羅した二冊。長野県は天龍村の天龍村史。面白い。天龍村に限定された記述でも、応用が効き、ためになります。 急斜面の山村。昔、大地震が起きたとき、天龍村では岩が飛び出して降ってきたそうです。実際、どこで大地震に遭遇するか分かりませんが、山奥の険しいところでは、地震波が岩を押し飛ばすようです。 また、ある木の実は普段は食べないが飢饉の時には食用にするとか、とにかく読んでいて面白い。 近いうちに、また天龍村をブラリ歩きしましょう。 le 4 jeudi //岡崎で大地震// そんな風説があちこちから耳に入ります。まさか親まで知っていたとは。聞いたところでは今月の13日。また別の人は15日。 大地震が起きるという風説の流布。これは一括して害悪あるものとはいえない。そうでもしないと地震にたいして備えさえしませんからね。 無いことに越したことは無いけど、永遠に無いと錯覚するのは危険。 来るかも!!!と緊張感が走るのは良いことなのかもしれません。 le 3 mercredi //刺激的な生活を追い求めたら、、、//自給自足に辿り着くような気がする。寝る前の脳内劇場で、架空のサバイバルを体験しています。自給自足への憧れはあるのです。 エデンの園ではないですが、理想的な地形といったら、 目の前は海。砂浜の端は小さな半島でリアス式海岸。 背後は川が蛇行して平野が広がり、一方は隆起して丘陵地。 その背後には山が広がり、温泉も湧き出る。 そんな土地があれば、自給自足してみたいです。 ただ、脳内劇場に登場するのは僕一人。 数々の妄想でも、たいてい自分だけの世界。 この病理は解き明かしてみたいものです。 le 2 mardi //どうしよう、どうしよう。// 不正を働いた現場を見たとします。1円だとしても不正は不正。額の少なさから、本人に警告のみにしますか? それとも不正は不正なので、告発の対象でしょうか??? 1円じゃないのですよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。 告発と同時に解雇でしょうね。会社の金だもの。 でも、12000円で人の一生が変わるなんて、 なんて安っぽい人生なのでしょう。 le 1er lundi //大晦日まで、早いよ〜〜〜// 九月から年末まで祝日も多く、その度に旅の楽しみ。あっという間に今年も終わってしまいます。 //官能的//レクサスのハイブリットと10年の前のベンツ。そのベンツに乗ると、レクサスには無い感応的なものが伝わります。古くなっても、レクサスの到達できない世界が、そこにはある。あの重厚感。それをも甘く愛撫するかのようなエンジン。燃費は恐ろしく悪いのでしょうが、高級車が人間の皮膚に伝えるものの伝導率の高さははるかにベンツが上回っていると思う。レクサスは、確かに綺麗で静かなのですが、言い換えれば、何も存在しないというか、座禅して瞑想しているようなもの。皮膚に何も伝わらない。 |
→→→先月の日記←←← |