令和3年9月septembre.2021

 
le 30 jeudi 木曜日
//今月は//ムクちゃんが旅立って一か月になります。この間の私は、陶芸に関しては一生懸命でしたが、新しい技術の開発とか技法の習得というと、果たしてどうだったか。

釉薬に関しては進歩がありました。これに満足せず、さらに昇華したいものです。壁にぶつかることもありませんが、爪は痛めました。二週間ほど轆轤はお休み。
今は素焼の山を施釉して本焼き。ただ漠然ではなく、何かしらの進歩を。

一か月前、ムクちゃんの瞳孔が開き、心臓が止まる一切を見届けました。命が尽きる瞬間です。その尽きるまで一生懸命生きてきた、これは私も学ところ大です。結果とか成果とか月末に報告できなくても、この間、一生懸命であったか。これは極めて重要です。私は組織というものから離れました。堕落しても言い訳しても諫める人はいません。それに安堵するようでは一生懸命生きたことにはなりません。自身の健康を含めて無理もダメですが堕落も許されません。選んだ道を、ただひたすらに一生懸命。一生懸命。


le 29 mercredi 水曜日
//そろそろ水も//水を汲みに行かなくては。それは南信州に行くということ。
もう何年も前に、ためしてガッテンでフッ素を歯にコーとする歯磨き法が紹介され、以来実践していますがエナメル質が強化されるのか一度も虫歯にはなっていません。もう驚くべきことです。


le 28 mardi 火曜日
//週末は//日本伝統工芸展で、そして10月にもなります。明後日の30日は可愛いムクちゃんの月命日だから、私がこの一か月を一生懸命生きてきたのかと振り返る日になります。

毎年のことですが、日本伝統工芸展は、本当に楽しみです。今年は何回行くのでしょうか。明日から開催ですが、明日は歯医者なので。。。


le 27 lundi 月曜日
//時代が進むと、劣化する!?//特に社会サービスにおいて、劣化するなんてことはありませんでした。ところが10月から郵便配達が大幅に劣化する。私は南信州新聞を購読していますが、翌日には届くので良しとしていましたが、どうでしょう、そろそろ解約するときが来たのかと。。。いやいや、これは私と南信州を結ぶ心の架け橋。購読したいのですが、今ではない新聞を手にする意味は、よほどでないと、、、と思います。


le 26 dimanche 日曜日
//驚くこと、もう一つ!!!!!!!!!!//第二工房予定地の近くに、将来は人間国宝になると確信している、あの若き陶芸家も先に工房を構えるとのこと。どうでしょう。車で20分程度で行けれると思います。

そりゃ私が倍以上生きていて、いろんなことで先輩風は吹かすことも出来ましょうが、そんなことしたら冷酷な現実が突きつけられる。彼は、もう人の手も借りたいくらいの忙しさになるだろう。
これもまた人生の不思議な御縁。私は私なりに立派になって、近所付き合いが出るように、一生懸命今を生き続けなければならない。

この一か月ほど、創作の面において、もう一山もふた山も越えたい昇華という欲求が止まりません。ただ何をすれば良いのかは見えていないのに、コレではない何かを確実に求めている。


le 25 samedi 土曜日
//窯の都合で//いつ以来でしょう。ほぼ終日、一日のんびりしていました。疲れに任せて寝てばかり。夜に少しだけやる気が湧いて作業場に。でも、それも早々に引き上げ。

寝ても寝ても、眠れる日ってのもあるのですね。


le 24 vendredi 金曜日
//それは夢に見た箱//そっくりで驚いてしまった。私は、そのアルミのカバンをもって東京に行くのだ。そして、それと同じ鞄を頂いたのだ。

とてもとても不思議なものを感じる。私の人生の豊かさにおいて、この人の、この人たちとの出会いは、これは産まれたときのお祝いとして、既に私の運命に位置づけられていたのかもしれません。
陶芸の道を選んだのも、この鞄を頂いたのも、そして東京に行くのも。


le 23 jeudi 木曜日
//午前100%パー//最後の追い込みで作りましたが、午前中の全てが急速乾燥のし過ぎでひび割れ。それをまた再生して夜の20時過ぎまで。

爪をまた痛めてしまった。轆轤は当分お預けです。


le 22 mercredi 水曜日
//最後の追い込み//これより素焼を二回して週末から本焼き。素焼き一回目の排熱を利用して二回目用の作品の乾燥を。

指先というか爪を痛めたので、轆轤は一旦見合わせで施釉の名を借りた養生に入ります。


le 21 mardi 火曜日
//ほんと、意味ない//また、あの手の夢を見た。どうして去ってしまったところの夢を見るのか、全く意味が分かりません。それも、戻りたいとか、そういう気持で見るのではなく、夢は決まってこの先に来る難題というか災難。  仮に、これが正夢であったとしても私には意味ないことだし、本当に度々出てくるので困ってしまうわ。  気味が悪いのは、支離滅裂ではなく、系統だっていること。


le 20 lundi 月曜日
//そうなのか//月末は可愛いムクちゃんの月命日。特に何をするわけでもなかった月末ですが、今月からは、この月の私は一生懸命生きていたのかと振り返る日にしたい。

私の死生観に、
生きるとは私に託された多くの魂を生涯かけて溶解し、一つの魂として再び捧げる行為だと思っている。

幸いにも、ムクちゃんの息を引き取るその時までを看取ることができました。一生懸命、今を生き続けることの繰り返しの、最後の瞬間でした。
私もまた、その日のために、私の中の私と共に一生懸命生きなければ。その報告とする日にします。


le 19 dimanche 日曜日
//一日中//轆轤を回していました。

コレではない別な何かを作るべきとは思いつつ、それは今ではないと確信している自分もいる。それに至る熱量に達していないからである。こういう待機や時に撤退を選ぶとき、それが正常な判断で行われているのか、それとも怠惰ゆえの結論なのかは、歩く後ろ姿で判別できる。今ではないとしても、怠惰ゆえの答えなら、私は陶芸を辞めて、今すぐにでも職安に行くべきなのである。


le 18 samedi 土曜日
//三連休初日//変な台風でした。近づいている感覚がないので、去ったときに、そうだったの!??と、あれが台風だったのと。

これは以前にも言及しました。
温暖化で台風が強大になるのは理解できます。
さて、巨大な台風が頻発して期間も長く。これらの消費カロリーが以前よりも1.5倍とか2倍になったとします。もちろん、温暖化に起因していますが、以前の2倍カロリーを消費していたとするのなら、それは温暖化エネルギーを巨大な風力で消費し、結果としては消費した分、正常に向かっているのかと。もし、そうであるのなら巨大台風は恐怖でしかないのですが忌み嫌うものでもない。そうであってほしいのですが。


le 17 vendredi 金曜日
//より良き//心に思う消したい事柄や生い立ちにおける負の側面などは、忘れようとしても追いかけてくる。それは忘れるという意気込みで近づけているからなのかもしれない。だが、何もしなければ生涯付きまとい、これもまた負の再生産になるのだろう。

では何をすれば良いのかという答えが、この歳になってようやく。
特に負の側面が未だ拡大再生産される環境において、私はどうすれば良いのか。全てを焼き払っても、それで解決にならない。私がするべきことは、私が本来思う心に描くことを叶えてこそ、そう、自分が勝ち得た環境に酔いしれることができるのなら、その時、初めて大した存在ではなくなると思う。嫌なことがあればあるほど、谷が深ければ深いほど、凄味あるものを造りだしてこそ陵駕できる。この新規に拡大再生産ができる環境も、言うほど長くはない。であるならば、私はそれは貴重な動力源として目や耳を閉じるのではなく、相手の皴の一つまで脳裏に焼き付け「心の負い」として手元に置いておかなくてはならない。凄味あるものを造るためにも。


le 16 jeudi 木曜日
//後ろ姿//その人の、【今】が胆のあるものかどうかは、歩く後ろ姿で完璧に分かる。例え10代であったとしても、胆のない気の抜けた者の後ろ姿は、酷いものである。

私は、例え壁にぶつかっても道開くまでの間でも、そんな後姿を晒してはならない。
何か未だに達成できないのなら、遮二無二なのだ。


le 15 mercredi 水曜日
//生産性//僕は、後日の自分はより良きものになっていると、どこかで信じている。だけれど、生産という意味では、例えば一つの、例えば一輪挿しとかを一か月集中的に作り置き、ストックするという行為が、どれほどのものなのかを知ることも大切なのかと考える。なのに、そういう試みは多感な私は未だ試みたことがない。

一度、一週間期間を区切ってひたすら同じものを造ってみても良いのかも。


le 14 mardi 火曜日
//作戦会議//●陶芸で蒔絵のような表現。これは陶胎漆器ではなく、全く漆は用いません。陶芸で蒔絵の様な表現。これはどうしても挑みたい目標です。●香炉 特に火舎を精巧に作りたい。●急須 これも失敗なく精緻なつくりと緊張感のあるデザインを。 ●洋食器 格式ある赴き ●天目茶碗 妖艶な輝きを


どれもこれも挑みたいし、これでもって凄味あるつくりをしてみたい。だけれど、ここから絞り込むとなると、陶芸における試練が訪れるような。これらから共通点を探し出し、良き発見を応用できるような、そんな取り組みで並行なのかな。


le 13 lundi 月曜日
//伸び悩み//土から、美しいもの、愛されるもの、喜ばれるもの、求められるもの、安心安全・価値あるもの、そんな物を作りたいと思っていますが、なにか上達している感がない。色々な形状に挑戦していますが、そのどれもが完成度も今一。つまり、私の作るものに【凄味】がないのだ、全く。

これから、年末にかけて【凄味】を一つでも我が術としたい。ひょっとしたら、来る日も来る日も同じものになるのかもしれませんが、凡ではなく非凡に。沢山作っても、非凡なものに。


le 12 dimanche 日曜日
//晴れと言っていたのに//陶芸をする者にとって、その日の天気は作業内容を左右するほど。傘を差せば屋根の下なら問題ない、、というわけではない。
確か、昨日見た天気予報では晴れマークでしたよ。最近はコンピューターも発達してかなり精度よく当てるのですが、今回は空振りでした。

私はドケチ陶芸家である。釉薬汚れを拭いたぞうきんの、洗って沈殿する釉薬成分も回収して再利用する。粘土も同様である。捨ててはならんのです。こういう原材料は無駄にすることなく、それを徹底してこそ天井と床下の空間も広がるもので。

今日も一日よく頑張りました。家から一歩も出ていません。


le 11 samedi 土曜日
//ムクちゃんの気配//午前中、買い物をした以外は作陶。今日は強くムクちゃんの気配を感じました。庭を歩いていたら、向こうからやってくる感じ。こういう気配は、これからも感じるのでしょう。

さて、退職した私に不思議なことがあります。それはもう全く縁の無い世界なのに、夢に出てくる。特に枝分かれした会社の人たち。これが一度や二度ではない。そして、夢の傾向は幹にあたる会社に関わってくる、いろいろなシーン。
それが正夢でも、そうでなくても全く関係ないのに、夢の中の私はハラハラしているのですよ、その中で。


le 10 vendredi 金曜日
//疲れた//夜からも頑張ろうと思いましたが、それは無理でした。。
季節の変わり目は疲れが出る。毎年、私は、そんな時、早く寝る寝る運動と称して2-3日8時過ぎに寝たりして新しい季節に順応できる身体としてきました。そろそろなのかな。


le 9 jeudi 木曜日
//ねっとり//瀬戸の原土を精製しているのですが、枯草菌の働きも手伝って、かなりねっとりしてきました。それで急須も作れたのですが、早く焼いて水漏れとかの確認もしてみたいです。

最近、ヒノキの端切れで箆を作っているのですが。ヒノキの香りは本当に好きです。
木工職人の仕事場って、理想の環境なのでは??


le 8 mercredi 水曜日
//失敗//作品展に出すための大型が素焼の段階で破裂。もちろん、その作品展で名を馳せるなんて無理となりましたが、今の私にとっては、ナニソレで失敗したと関連付けられるのなら、それの方が意味があるのかもしれません。


le 7 mardi 火曜日
//一週間//ムクちゃんが昇天してから一週間が過ぎました。一つ後悔しているのは、この日記を振り返っても、ムクちゃんの記述も写真もほとんどないこと。当り前の存在が無くなったときの手元に何もない感覚です。

ムクちゃん、今頃何をしているのだろうか??


le 6 lundi 月曜日
//電車に乗るなら//人より早く動いてラッシュを避けなくては。ワクチンは打ったとしても、避けるに越したことはない、そういうものは避けるべきであって。

そうそう、土曜日は西尾にも行きましたが、どうやら平日でしか店は開いていないようで。
味噌を買いに行ったのです。隣町というわけでもないので、当分、先になるのかな。


le 5 dimanche 日曜日
//それでも作るよ!!//陶芸しかないのです。だから、日曜日も出歩くことなく、物思いに耽るでもなく轆轤を回す。

今、もっと凄味あるものを造りたいと思っている。在り来たりのものしか作れていないような。


le 4 samedi 土曜日
//豊川からの帰り//ムクちゃんがいないものとして、家にササッと上がっていたことを後で知る。やはり、2日のお別れは、あれは本当だったのだ。人間は四十九日はこの近くにいるというけれど、ムクちゃんは亡くなった日を含めて三日目に、次なる世界に魂は渡ったのでしょう。

これからは、ムクちゃんとの思い出や学んだこと、大切にするべきことは私が持ち続けるのか否かに掛かっている。忘れるべき時には忘れるであろうし、生涯持ち続ける宝は輝きをもって私の中で存在すればよい。

さて、不思議なことを一つ。
ムクちゃんが亡くなって八事霊園に運ぶとき、お隣さんの亡くなったおじいさんが表に出て見送っている姿を、僕は見た。   それは、とても有難いことだと思う。


le 3 vendredi 金曜日
//約束したこと、今叶えてる//美しきもの、愛されるもの、喜ばれるもの、信頼されるもの、求められるもの、安全なもの、価値あるもの。それらを作るよ、いついつまでも。

実に不思議だ。
今年の3/31に退職して、5月に寝たきり。介護も臨終を看取ったのも荼毘に伏したのも、それら全てに携われたこと、大きな流れだ。

それには意味があるのだと、約束したこと今叶えなきゃ。


le 2 jeudi 木曜日
//本日二回//午前中に、ああ、ムクちゃんに会いたいと自然と声が出た。そして、暫くしてムクちゃんがお別れに来たと、なにか感じる気配があった。今までの気配は、本物であったのだが、これからは私の心の中で感ずるもの。 そんな質的な違いが本日あったことを感じる。

まだ、ムクちゃんの匂いが残っている。これも近日中には消えてなくなるでしょう。


le 1er mercredi 水曜日
//可愛いムクちゃん、ありがとう//いつも寝ているところに居るような気がするし、音というか気配を感じる。

昨日の日記にも書きましたが、火葬直前に抱いたときの、首の無抵抗。あの感覚は、生きていた頃の記憶と同様、とても大切だと思う。確かに気配は感じたとしても、それは気配なのだ。
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