令和5年9月septembre.2023


le 30 samedi 土曜日
//翌日書く日記//土曜日の日記ではありますが10/1(日)に書いています。
この日は朝の7時から作業場にて制作開始。
終わったのが、日曜日の2時。  こういうことであるからです。

素焼二連続の二回目に間に合うように、作り終えたら窯の上で強制乾燥。この荒業をしていたのですね。


le 29 vendredi 金曜日
//9月は8月//全く秋の気配なく9月が終わる。日本中の誰しもが9月を夏と言うだろう。そういう位置づけに変更しても良いと思う。

一年の半分は夏であり、
4月~梅雨入り前『前夏』
梅雨
梅雨明け~8月末『暑夏』
9月~10月『後夏』

何だか夏王朝みたい。


le 28 jeudi 木曜日
//地球の行き来//私は粘土を加工して世に出す仕事をしている。私がどんなに景気よく何百トンもの粘土を加工しようが、実際のところ、地球上で取れる鉱物を加工し別物にして、いづれ地球のどこかに捨てられる。これの例外はない。

栄耀栄華も地球上の物質を形を変えて我が物にするだけ。全ての富の原型は既に地球にあって、誰がどう加工して世に送り出すかだけである。

そう思うと地球は宝の山である。贅沢過ぎるというか恵まれすぎている。ビッグバン以降、星々が誕生し、これで地球が生まれた。ガスや塵が集まり星になったという。熱い地球は冷えて海が出来、生物が誕生する。

太古の昔に私が降りたったとして、河原で大量の砂金とか宝石を得たとします。これは現在では宝であるが、太古の昔に私一人なら、この宝は物質的には変わらないものの、全く価値を生じない。同じものであっても宝に成り得たり、見向きもされない。この価値というものは人間という存在が複数から誕生して、美を思う心が芽生えて、はじめて宝と認知される。

幸い人間は多い。何を持って宝と成すかは、今後も選択肢は沢山あろう。その全ては、この大地に内在し加工されるのを待っている。美を思う心に通じ合う存在を大地から掘り出し、それでは工夫が足りないというのなら、ここに芸術家工芸家の立ち位置があるのだろう。地球かな何かを頂いて加工して世に出し、美となり宝と成す。

例えどんなに悲しいことがあっても、その存在を見た時、心奪われる瞬間・見入ってしまう瞬間があれば、その存在は美であると思う。美は人の心を奪い、どんなに悲しい気持ちの人であっても、それを忘れさせるもの。幸せの源泉。


le 27 mercredi 水曜日
//作戦会議//30日に1回目の素焼、翌日は予備日。と言うことは、制作できるのも明日明後日の二日間のみ。

他にも書きたいのですが、疲れたので本日はこれでおしまい。


le 26 mardi 火曜日
//ありがとうございました//本日は母上が栄の教室を閉じた日です。30年と言っていました。この間、諸々のこともあったでしょうし、ただただ敬服するのみです。自慢の母親です。
これによって週一回は栄の先進文化を我が家に持ち帰る交易船みたいなのも途絶えるわけでして、これからは意図して栄に行かないと、ただの郊外の住人になってしまう。おなじく、信州のお野菜とお花も。いつもありがとうございます。


le 25 lundi 月曜日
//浜松三日目//三日間の感想は色々とあるのですが、当り前ですが、この場所に三日間立っていたから言えることです。何事も経験してみて扉を開いて果敢に進んでこそ、見たり聞いたりが出来る。籠っていれば、浜松の一切は無かったのであるから、同じような単調な日々ってのも程度の問題で、殆ど語ることの無い短調の毎日を選べば、ただそれだけの日々である。

この街でしか会えない仲間の存在。嬉しくて仕方がない。


le 24 dimanche 日曜日
//ソワソワしていました//雑念・妄念の塊であったと思う。そういう乱れた心の有り様というか乱れた波長の持ち主には、潜在的に近寄りがたい雰囲気を醸し出していたのかもしれません。デンと構えるくらいで良いのでしょう。

この場所に立つとあらゆる人を見る。すれ違う人の日常生活は小説以上のものであろう。


le 23 samedi 土曜日
//興奮した時は//金曜日の夜は早く寝床に入ったのですが、脳が興奮状態で全く寝付けない。このままでは睡眠時間ゼロで浜松行きが確定しそうなので、急遽作戦変更。湖西の道の駅まで運転し、ここで時間まで仮眠すると。なんとか4時間仮眠出来ました。

久々の浜松。心和みます。


le 22 vendredi 金曜日
//一瞬から外れると//何度も言っていることなのに、【今この瞬間を大切にする繰り返し、それのみ】とお釈迦様が言いましたが、この瞬間の情熱を忘れると、過去の事、未来の事、考えてばかりです。

今晩は早く寝ますが、その前に座禅して、心を整え、一瞬一瞬を大切にするお釈迦魔の教えをもう一度胸に刻みます。


le 21 jeudi 木曜日
//20時29.9度//雨雲レーダーを見ると、名古屋は天白区以北に激しい雨雲。我が家では雷鳴しか聞こえません。しかし、この画面を広域に拡大すると、雨雲な長い帯。まさに夏と秋を分ける寒冷前線です。まもなく激しい雨が降りましたあとは、今年初めての秋の空気を味わえます。一か月遅い秋の気配第一陣。


le 20 mercredi 水曜日
//21L//本日は釉薬再生。約二年間、道具を洗ったり、手や床に付いた釉薬でさえ、バケツで洗い沈殿させ、全く漏らさず再生できたと思っています。粘土でも同じ発想で、私の陶芸は、捨てるものが無いんです。早く再生釉薬が何色に発色するのか知りたいです。

//瞑想しよう//最近、忙しくてその時間がありませんでした。今晩は30分くらい出来そうなので、なにかそのソワソワするところを介抱しようと思います。


le 19 mardi 火曜日
//短い時間でも//これからの制作は短い時間も積極利用で数を仕上げていきます。駒ヶ根の直前で、実に素晴しい釉薬を開発しました。今、最終の実験焼成。どの辺りを狙うか定めまして、釉薬の大調合をしようかと考えています。


le 18 lundi 月曜日
//ミスを犯す//名古屋に戻る前に飯田でも出店。これは通り道で出展料も安かったので選んだのですが、私の選択ミス。あの浜松の洗礼も分析すると、公園のお散歩コースに出店。このようなお散歩で使える金額は僅かなので、私の作品の売れる余地がありません。なぜ、それに気が付かなかったのだろう。仮にこのような会場で出店する場合、B品処分で、500円均一とか、このくらい割り切らないと、ミスマッチが埋まらない。


le 17 dimanche 日曜日
//駒ヶ根二日目で飯田泊//近道だと思って県道18号を利用しましたが、酷道でした。
飯田こそ、出歩きたかったのですが、やはり仕事なので早く寝ることを優先。
なかなか味わい深い二日間でした。


le 16 samedi 土曜日
//駒ヶ根初日//全く真夏のような暑さで、屋根付きの会場に命救われました。浜名湖や信楽でも大きなイベントがありましたが、余りの暑さに客足は少し鈍っているとも伝わってきます。
この日は駒ケ根でホテル泊。利益は、これに消えた形ですが、それ以外の選択肢も無いので、ノンビリ疲れを癒しました。昔なら地方都市で過ごす週末なんでしょうが、仕事でもありますし飲みに歩くことは控えます。


le 15 vendredi 金曜日
//暑すぎる//日が短くなってこの暑さだから、夏至に近ければ40度を越えるのかも。この温暖化は人類の文明の負の側面も大きいのでしょうが、草木や鳥に虫の声。空の雲に罪はありません。皆それぞれに美しいものを持っている。この輝きに気付き愛でる気持ちは、どんなに暑くとも忘れてはなりません。


le 14 jeudi 木曜日
//大ショック//桜通線が減便ですって!!!!!!!! 数年前にも一度ありましたが、二度も減便って、ありえない。  ますます不便を感じ遠ざかると思うのですが。地元選出の市会議員とか、何やっているのだか。


le 13 mercredi 水曜日
//精読//ショウペンハウワー曰、下らない本は読まないこと。良い本はすぐに二回目を読むこと。
今、精読しながら一冊の本を読んでいます。これこそ読了即再読しなければと思います。

//反射//ダイヤモンドですが、ガラス玉のように研磨したら、ダイヤモンドの輝きは特に無いのでしょう。あの輝きはカットの反射から生まれる。美しいとは光の反射。不規則なのが美しいのか?規則的な反復が美しいのか? 


le 12 mardi 火曜日
//秋の陣//本日の本焼きをもって一旦制作は終了。これより水漏れ試験や値札張りなどの作業になります。

ふと思うのは瀬戸を去ってから半年。この間、早いようで濃密な毎日でした。大雑把にまとめると、前半張り切り過ぎて左手を痛める。2か月ほど轆轤を見合わせ、この間、別に作陶もしましたが、何か本調子ではなかった。7月の浜松で、もっと色んな所に出店して世界を広げなくてはダメだと言われ、それから秋のエントリー作業。そのエントリーした企画が徐々に開催されて行きます。

数日毎に窯から新しい焼き上がりが。これを眺めていると、素直に美しいと思います。これからは、この美しい作品を一人でも多くの人にお買い上げいただいて、この作品でもって、その人の生活が、豊かに幸せに美しいものになるよう、神様仏様御先祖様・大宇宙に願うばかりです。



le 11 lundi 月曜日
//お昼の特別便//本日の信州お野菜特別便はお昼でした。いつもありがとうございます。今年の落花生の話を聞きまして、あの感激から一年が経過するのねと月日の早さを感じます。

//この睡魔は?//昔から私にある症状ですが、コロナのブレインフォグみたいな話を聞くと、いやいや私に現れた新しい症状である、と考えたりもする。特に本を読んだりするとき、急に睡魔が訪れ、それを感じたら1分もしないうちに寝てしまう。車の運転とか活動レベルが一定を超える時は、このような症状は無いのですが、こと机に向かうときに、必ず私に現れる症状。まさに脳の霧で、その睡魔が来ると、全く思考領域が麻痺する。そして抵抗しようとも必ず負ける。


le 10 dimanche 日曜日
//金曜日//朝から窯出し⇒施釉⇒窯詰め・本焼き。動きとしては、この前の金曜日と全く同じです。よって明日はoff日になりますので気楽です。


久々にマダム焼を。本日の焼き上がりになります。

//自慰//凄いyoutuberを発見。おそらく東大か京大の哲学科の院卒なんだけれど、30になるまで自慰行為をしなかったそうです。そういう下らないことで我が時間の費やされることに納得行かなかったため。例えば恋心を抱く人が現れると、強烈に睾丸が痛くなるそうです。肉体の射精の叫びなのでしょうね。あと、どんなに賢人であっても、いやらしい夢を見て夢精をするのか否かを自らの肉体で実験したりと、全く脱帽してしまいます。起きていれば射精欲など制御下に置けるそうですが、恐怖は、友人の家やホテルに泊まった時に夢精の可能性があること。

この人の動画は良く見ます。読書関係もそうですが、見る動画の根柢には、発信者の粋というか人格に惚れ込んだり共感するところがあって、だから見入るのですね。それぞれの分野を、最も高等な教育を経た方が大らかに楽しそうに語り進めていく。心の広さは魅力です。


le 9 samedi 土曜日
//素晴らしい休日//朝、案外早く家を出る。以前を同じ交通機関を使って瀬戸へ。今日と明日はせともの祭り。早く着いたと思っても、駅を出たら既に活況を呈していて瀬戸が一番賑わう二日間は、朝からそれだ。

どうでしょう、15時くらいまで瀬戸で散策。懐かしいお顔、頑張るお顔に再会できるのも、この祭りの楽しみです。
それから、名古屋古書店巡り。今回は4店舗。昭和22年の本を買ったのだが、「新しい」と思って一瞬迷ってしまった。最近は戦前の本ばかり買い求めていますから。

明日は早起きして窯出し。余熱あるうちに本焼きまで持っていきます。


le 8 vendredi 金曜日
//誘われない人//今回は参加できないのですが、また賑やかな面々だそうです。退職した人たちの親睦会ですが、その中にあって誘われない人がいる。誘われない人の理由は、在職時に皆が持つイメージが酷すぎるから。あれから人が変わったのかもしれませんが、そういう情報が無いので、皆のイメージは当時のまま。だから何回開催しようが一度たりとも誘われない。

でも、私もまた所変われば誘われない人間であろう。複雑に交差する人間環境で私の生き方は一種独特であり、改める気は全くない。こうなると波長の合わなくなる人の出現は必然であり、あとは成すが儘を受け入れるべきである。人間関係の誘う誘わないの問題を私まはったく気にしません。我が道を行けば、孤独が必須の携行品になるのだから。

ただ孤独代表選手の立場から一言言わせてもらうと、いつも全く単独行動ですが、
無音の世界ではない!!!!!!!! 人間に話さなくとも、何かしら言葉にならない受答えを、諸々の対象物、それは美しい街路樹であったり細い路地や鳥や目に入った虫などから、言葉ではないけれども、受ける印象に返す我が印象、波の送受信えみたいなものは始終している。分りやすい例えで言うと、一人で長距離ウォーキングをする時、常に通り過ぎる光景を論評している私が居る。


le 7 jeudi 木曜日
//大失敗の予感//ちらっと見たけど、大失敗の予感。ウーーーーーーム、難しい。

本日は読書三昧。Amazonから一冊届きましたし、風呂敷広げ過ぎかな?
本に線引きとかはしない主義ですが、今回の本は精読ということで鉛筆片手に読み始めました。理想は、喫茶店でのんびり甘いものとコーヒーで読書なのですが、そこまでの暇は無いので、これは冬頃のお楽しみとします。


le 6 mercredi 水曜日
//本焼き//13時過ぎに素焼の窯出しをして、余熱あるうちに本焼きをしたいので、必死の施釉。18:30に本焼き稼動。窯出しは金曜日の朝になります。これから暫くは本焼きの連続ですが、忙しいのですが忙中閑ありで、待ち時間のみという、そんな時間が現れたり。
明日は散髪に、読書に昼寝にと、のんびりできる一日。勉強もしなきゃ。


le 5 mardi 火曜日
//便意//外出途上の強烈な便意を何とか制御下に収め事なきを得る出来事があると、その日の記憶は、これのみになってしまう。他の全てがどうでも良く思えるのだ。

おそらく便意制御の記憶はリアリティの連続で脳に新鮮な記憶と新境地の体験を、絨毯爆撃のように刻みつける。それは人生の記憶の生存競争でも最後まで生き残る最高位の部類に入るエピソードであろう。

我が便意制御の最たる記憶は完全に長期記憶に転じており、もはや20年近く前の出来事ではあるが、肛門周辺の筋肉の痙攣に似た限界に近い我慢は、今でも熱く語ることが出来る。2kmに及ぶ行軍における便意の圧倒的な放出圧力。足を引きずり歩けば振動も無くなり便意も後退するとか、帰宅前の100mほど前から、放便に滞りが無きよう、夜でしたから衣服を脱ぎやすくしたり、あらゆる知恵を働かせました。

短距離走者がゴールする時、前傾になり少しでも早く到達する姿は想像に難くありませんが、我が放便の瞬間も似たようなものであり、便座に座ってからの方便ではなく、まさに放出しながら着座する、最も敗北に近き大勝利を収めました。それから20分近く放心状態で、うつろに苦難の行軍を思い起こしたり、肛門の熱き痺れのような感覚を収まるまで味わったり、水洗機能は、この戦果を無にしそうで、余韻を優先したり。

//受験生へ//この壮絶な便意制御の記憶は今でも雄弁に語ることが出来る。人の記憶とは、記憶するに値する信号値を反復してするか獲得するか、そのものが強烈で一撃で獲得するか、このどちらかなのだろう。こう考えれば上記の我が便意制御は、強烈な一撃の波状攻撃で、2kmの行軍が生涯語れる記憶に昇格してしまった。戦争中、敵の銃弾の中を命からがら生き延びた戦場での記憶と並列であると思う。今後の人生で覚える必要のないことでも、強烈な波状攻撃は、たった一回の出来事でも生涯の記憶にしてしまう。

よって、予め水を沢山飲み100個単語を覚えないと放尿も許さないと自らに課したら必死で覚えるし、漸く放尿して呆然とするときに100個覚えたか復唱すれば、この一回の物語で100個の単語は生涯の記憶になると思う。

振り返ると、私は本日の便意制御を有意に利用できなかった。もっと上手に生きるべきだと反省するのです。


le 4 lundi 月曜日
//作っても作っても//更に作りたいのですが、どこかで次の段階に移らねばならないので、それを本日としました。明日からも忙しいのですが、窯焚きの段階になると忙中閑ありで、待つだけの時間も発生します。これを楽しみに頑張りましょう。

最近は読書好きのyoutubeチャンネルを見ています。どれもコレも楽しいのですが、行きつくところはその人の人格になります。真面目なんだけれども、ニコニコ時に面白く進める番組になってしまいます。

本日は父上と病院に。肺のレントゲン写真に異常はなく安心しました。彼是先生に説明する父上ですが、相手に伝わる文章の構成が出来なくて私が通訳する始末。こういう観点で見れば痴呆も進行しているのですが本人は95歳までは生きたいとのこと。


le 3 dimanche 日曜日
//あと一日//明日まで作ったら、あとは素焼⇒施釉になります。明日も朝から晩まで頑張りませう。

明日は正午前から素焼きの点火。窯の熱で、月曜制作のものを乾燥させ、火曜日窯出し後、直ちに窯詰。水曜日窯出し後、当日中に一回目の本焼き。土曜日朝に窯出し後、二回目の本焼き。月曜日窯出し後三回目の本焼き、水曜日窯出し後、四回目の本焼き。

そうそう、本日は名古屋で検査会がありました。こういう機会は参加していますが、今回は不参加。忙しいのではなく、前回検査以降、採血する事案が全く無いからです。これはこれで参加の面倒もなく良いと思っています。このまま残りの人生に、そういう行為が無く、故に検査の面倒からの解放も意味ある選択なのかと思ったり。出来ることなら芸を卒業したい。これは多数派に移籍するのではなく、芸ではありますが、そういう欲も無くなり一切の関心が消え去ることなのですが、そこまでの解脱は全く至っておりません。


le 2 samedi 土曜日
//夏の夜は、風//暑い暑いと言っても夜に風が通り抜ければ心地良い。そんな日がお盆以降振り返ってみても、ほぼ毎日ありましたが、今晩は無風。

//真剣さとは//具体的に恐怖的なことが予見される場合、そうならない様に真剣に祈りの時間を設けたものです。それはそれは真剣で、真剣故、効果も覿面でした。これは明日の在り方の生殺与奪の権が全く他人に握られ、まな板の鯉状態。出来ることと言ったら祈る事しかないので、それは真剣でした。ところが、現在は全く自分の意思に委ねられるので、堕落を選んで、その結果が具現化されたにせよ、誰にも迷惑を掛けないので、今の堕落を選ぶ余地が見え隠れする。薬物を乱用する者が誰にも迷惑を掛けないと吸引を正当化する詭弁と全く同じと言うことに気が付きました。

もう一つ気が付いたと言ったら、真に困る存在は自分に宿ると言うことです。誰にも迷惑を掛けないから、今の堕落を選ぶ。と、いう理論ですが、もっと内心に光を当てれば、その堕落で困り果てるのは、この世に生まれ出た我が魂であると思うのです。
我が魂は、堕落の具現化を味わうために、この世に産まれ出たものではないと言えるからです。誰にも迷惑を掛けないと言い放ち大麻を吸引する毎日があるとして、そういう毎日はいづれ何かしらの形になるでしょう。魂は、吸引の結果を味わうために産まれてきたのかと考えるなら、魂の悲鳴が内心に響くはず。大麻を例えにしましたが怠惰や堕落であっても同じこと。最も悲痛な叫び声を挙げるのは、我が魂。

ということは、魂の喜びも、また内心で響かせることが出来ると言うことです。これが何であるのかを探し求めて、これに沿う生き方をするべきでありますが、怠惰や堕落の類ではないのですから、努力や健全の域でしょう。その努力的な日々の在り方が辛苦ではなく喜びに満ちた感覚であるためには、自分のすることの大義を打ち立てる必要があるのでしょう。汗を流しても苦ではない感覚にするには、
自分の行いの大義を生き生きと内心に思い描き、その結果は流す汗をはるかに凌駕するものであるという確信。そして、この大義の具現化こそ、誰にも迷惑を掛けない歓喜と奇跡の創造世界であって、我が魂が待ち焦がれていたものである。故に毎日の祈りは真剣であって、これに沿うべきなのである。

明日もまた、その都度、怠惰と堕落を選べる余地があると思うと、自営の環境にあっては、本当に恐ろしい。伏魔殿は緩んだ心にたちまちのうちに建設される。


le 1er vendredi 金曜日
//父上//毎日のリハビリの効果を実感しています。それは小さなものですが悪化の一途から別の方向に舵を切ったことが、とても嬉しいのです。

本日は粘土の再生。嫌気性微生物の独特の匂いがします。粘土も硫化しており青黒く変色。4kgほど再生出来ました。床に散らばった粘土、道具に付いた粘土も洗い沈殿させて全て再生します。そういう手間は時間の無駄と、常に新しい粘土を使う陶芸家さんもいますが私は貧乏性で粘土はもちろん釉薬でさえ完全再利用。


 
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